津田真道の情報(つだまみち) 啓蒙思想家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
津田 真道さんについて調べます
■名前・氏名 |
津田真道と関係のある人
森有礼: 明治6年(1873年)夏、帰国すると福澤諭吉・西周・西村茂樹・中村正直・加藤弘之・津田真道・箕作麟祥らと共に明六社を結成する。 加藤弘之: 外敵を防ぐためには武器だけでは駄目で人和が必要であると喝破し、立憲思想(議会による上下分権)の優越性を論じ、同僚の西周や津田真道に大きな影響を与える。 杉亨二: また、1866年(慶應元年)にオランダ留学から帰った西周、津田真道との交流からも、統計への興味を深めていった。 佐久間象山: 嘉永6年6月4日、浦賀に急行し、6月6日まで滞在し、同地で門人の吉田松陰・津田真道らと和戦の得失を論議した。 加藤弘之: 1861年(文久元年)に執筆された『鄰艸』はわが国で初めて立憲政体(上下分権の政体)の透徹した理解を示し、その強みと必要性を説得的に論じた画期的な著作であり、公表されなかったとは言え、同僚の西周や津田真道に読まれ、大きな影響を与えた。 榎本武揚: 1861年(文久元年)11月、幕府はアメリカに蒸気軍艦3隻を発注するとともに、榎本・内田正雄・澤太郎左衛門・赤松則良・田口俊平・津田真道・西周をアメリカへ留学させることとした。 大槻文彦: 1891年6月23日、文彦の仙台藩時代の先輩にあたる富田鉄之助が、芝公園の紅葉館で主催した『言海』完成祝賀会には、時の内閣総理大臣・伊藤博文をはじめとし、山田顕義、大木喬任、榎本武揚、谷干城、勝海舟、土方久元、加藤弘之、津田真道、陸羯南、矢野龍渓ら、錚錚たるメンバーが出席した。 杉亨二: 明治維新後は、駿河に移封となった徳川家にしたがって静岡藩に仕え、他の開成所メンバーと同様に、向山黄村・津田真道が学頭をつとめる静岡学問所で教える。 吉原重俊: 明治6年に森有礼、福澤諭吉、西周、津田真道らが起こした啓蒙学術団体である明六社の会員と成った。 |
津田真道の情報まとめ
津田 真道(つだ まみち)さんの誕生日は1829年7月25日です。岡山出身の啓蒙思想家のようです。
今年の情報もありました。1903年に亡くなられているようです。
津田真道のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)津田 真道(つだ まさみち、文政12年6月25日(1829年7月25日) - 明治36年(1903年)9月3日)は、日本の武士(幕臣)、官僚、政治家、啓蒙学者。福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと明六社を結成。岡山県出身。 美作国津山藩上之町(現:岡山県津山市)の生まれ。幼名は喜久治。後に真一郎、行彦とも名乗った。嘉永3年(1850年)に江戸に出て箕作阮甫と伊東玄朴に蘭学を、佐久間象山に兵学を学ぶ。 藩籍を脱して苦学したが、安政4年(1857年)蕃書調所に雇用されて、文久2年(1862年)には西周とオランダに留学しライデン大学のシモン・フィッセリング(ドイツ語版)に学ぶ。オランダ留学中の1864年(元治元年)にライデンのフリーメイソンリーの「ラ・ベルトゥ・ロッジ・ナンバー7」に入会している。4年後に帰国する。その講義録を慶応2年(1866年)に『泰西国法論』と題して訳出する。これは日本初の西洋法学の紹介となる。その後、幕府陸軍の騎兵差図役頭取を経て、目付に就任。大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想した(『日本国総制度』)。 明治維新後は新政府の司法省に出仕して『新律綱領』の編纂に参画。明治2年(1869年)、人身売買禁止を建議。明治4年(1871年)、外務権大丞となり日清修好条規提携に全権・伊達宗城の副使として清国へ行く。のち陸軍省で陸軍刑法を作成。さらに裁判官、元老院議官。明治23年(1890年)には、第1回衆議院議員総選挙に東京府第8区から立候補して当選、大成会に属して初代衆議院副議長に就任。同年10月20日、元老院が廃止され議官を非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた。明治24年(1891年)12月17日に商法及び商法施行条例の一部施行に関する法律案の第三読会開催案が可否同数になると、衆議院副議長として日本政治史上初の国会の議長決裁を行い、消極的に決した(否決)。 明治29年(1896年)1月31日に貴族院議員に勅選されて、翌年には請われて京華中学校校長となる。男爵、法学博士。 1903年死去。 1873年(明治6年)11月17日 - 従五位 1885年(明治18年)10月1日 - 正四位 1886年(明治19年)10月20日 - 従三位 1894年(明治27年)5月21日 - 正三位 1888年(明治21年)5月29日 - 勲二等旭日重光章 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章 1900年(明治33年)5月9日 - 男爵 1903年(明治36年)8月26日 - 勲一等瑞宝章 長男 津田弘道(貴族院男爵議員) ^ “Japanese Page”. 2024年5月10日閲覧。 ^ 奥田晴樹. “明治維新と立憲政体構想”. 金沢大学. p. 6. 2023年12月20日閲覧。 “まず、津田が慶応 3 年の 9 月に「日本国総制度」と題する政治制度改革の提言を幕府に提出します。(中略)諸藩の存続を前提として,立憲君主制の連邦国家を組み立てるというものでした。連邦を構成する最大の国家は「関東領」で,幕府の直轄地や譜代大名の支配地を領域とし,徳川宗家の当主(慶喜)を戴く立憲君主制を採っています。(中略)連邦国家の立法権は,政府と国会で共有します。政府は江戸に置き,国会は二院制を採り,上院は大名を議員とし,下院は 10 万人に 1 人の割で士農工商から選ばれた者を議員とします。これらを「根本律法」という憲法で定めるのです。 この構想のミソは,行政権を握る政府の首班である「大頭( ママ)領」の選任方法が明示されていないところです。その一方で,譜代大名領を取り込んだ広大な「関東領」から選出される議員が下院の多数を占めることは明白です。また,上院の議員に譜代大名を含むかどうか不明ですが,仮に含まないとしても,親藩に加えて外様の一部の大名を取り込めば、徳川宗家が上院も支配できる可能性は高いと言えましょう。そうなれば、「大頭領」に誰が選任されるかは言わずもがなでしょう。” ^ 我部 & 広瀬 (1995, p. 300) ^ 『官報』第2195号、1890年(明治23年)10月22日。 ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、6頁。 ^ 『太政官日誌』明治6年、第152号 ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。 ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。 ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年(明治27年)5月22日。 ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。 ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。 ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。 ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部) ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、104頁。 大久保利謙 編 編『津田真道 研究と伝記』みすず書房、1997年3月17日。ISBN 4-622-03500-6。https://www.msz.co.jp/book/detail/03500/。 小川恭一 編著 編『寛政譜以降旗本家百科事典』 第1巻-第6巻、東洋書林、1997-1998。ISBN 4-88721-303-4 ISBN 4-88721-304-2 ISBN 4-88721-305-0 ISBN 4-88721-306-9 ISBN 4-88721-307-7 ISBN 4-88721-308-5。 我部政男・広瀬順晧 編 編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書』 下巻、柏書房、1995年6月。ISBN 4-7601-1167-0。 津田真道 著、大久保利謙・桑原伸介・川崎勝 編 編『津田真道全集』 〈上下〉、みすず書房、2001年8月。ISBN 4-622-03507-3。 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。 津山洋学資料館 明治文化資料叢書 明治文化全集 明六雑誌 明六社 近代日本人の肖像 津田真道 – 国立国会図書館 津田 真道:作家別作品リスト - 青空文庫
表 話 編 歴 津田真道 曾禰荒助 楠本正隆 安部井磐根 片岡健吉 島田三郎 元田肇 杉田定一 箕浦勝人 肥塚龍 関直彦 花井卓蔵 早速整爾 浜田国松 粕谷義三 松田源治 小泉又次郎 松浦五兵衛 清瀬一郎 小山松寿 増田義一 植原悦二郎 岡田忠彦 金光庸夫 田子一民 内ヶ崎作三郎 勝田永吉 木村小左衛門 井上知治 田中萬逸 岩本信行 原彪 高津正道 杉山元治郎 椎熊三郎 正木清 中村高一 久保田鶴松 原健三郎 田中伊三次 園田直 小平久雄 藤枝泉介 荒舩清十郎 長谷川四郎 秋田大助 三宅正一 岡田春夫 勝間田清一 多賀谷真稔 安井吉典 村山喜一 鯨岡兵輔 渡部恒三 中野寛成 横路孝弘 衛藤征士郎 赤松広隆 川端達夫 赤松広隆 海江田万里 議院 衆議院 貴族院 参議院 表 話 編 歴 近衛篤麿 徳川篤敬 箕作麟祥 槇村正直 二条基弘 津田真道 細川護成 平松時厚 村田保 二条基弘 大原重朝 伏原宣足 坊城俊章 名村泰蔵 柳原義光 鍋島直彬 二条基弘 寺島誠一郎 廣澤金次郎 徳川頼倫 寺島誠一郎 松平直之 奥平昌恭 寺島誠一郎 徳川慶久 一条実輝 徳川慶久 大木遠吉 細川護立 西村精一 細川護立 兒玉秀雄 奥平昌恭 堀田正恒 中川久任 樺山愛輔 中御門経恭 伊藤安吉 千田嘉平 四条隆愛 二荒芳徳 紀俊秀 辻太郎 千田嘉平 佐佐木行忠 鷹司信輔 千田嘉平 辻太郎 東久世秀雄 周布兼道 千田嘉平 小畑大太郎 深尾隆太郎 周布兼道 飯田精太郎 廃止 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research 日本の啓蒙思想家 19世紀日本の学者 幕末の旗本 錦鶏間祗候 貴族院勅選議員 明治時代の貴族院議員 在職中に死去した日本の貴族院議員 衆議院副議長 (帝国議会) 東京府選出の衆議院議員 (帝国議会) 明治時代の衆議院議員 日本の元老院議官 日本の裁判官 戦前日本の司法官僚 戦前日本の外交官 気吹舎の人物 東京学士会院の人物 明六社の人物 静岡学問所の人物 江戸幕府目付 幕府陸軍の人物 開成所の教員 法学博士取得者 日本の男爵 正三位受位者 勲一等瑞宝章受章者 勲二等旭日重光章受章者 幕末津山藩の人物 日本のフリーメイソン 1829年生 1903年没 大日本帝国憲法関連の人物 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/11 03:59更新
|
tsuda mamichi
津田真道と同じ誕生日7月25日生まれ、同じ岡山出身の人
TOPニュース
津田真道と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「津田真道」を素材として二次利用しています。