大槻文彦の情報(おおつきふみひこ) 国語学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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大槻文彦と関係のある人
高田宏: 代表作となった『言葉の海へ』は、近代日本最初の国語辞書『言海』を編んだ大槻文彦の生涯を描いた評伝。 鈴木唯一: 「鈴木唯一氏の談 三十六年七月十一日」(大槻文彦著 『箕作麟祥君伝』 丸善、1907年、30-31頁、75-77頁、172-173頁) 富田鉄之助: だが、自己の蓄財には関心が低く、私財を投じて共立女子職業専門学校の設立への支援や大槻文彦らとともに旧仙台藩出身者の学資支援などを行ったという。 大槻玄沢: 玄沢の息子に漢学者の大槻磐渓、孫に国語学者の大槻文彦がおり、郷里の一関では、この3人を「大槻三賢人」と称する。 高田宏: 1978年に『言葉の海へ』(言語学者・大槻文彦の評伝)で大佛次郎賞と亀井勝一郎賞。 吉野作造: 明治28年(1895年)の旧制中学校入学の年が林子平の百回忌にあたり、校長・大槻文彦が子平の伝記を講義した。 紀田順一郎: また、1984年の著書『知の職人たち』で、塙保己一、吉田東伍、石井研堂、大槻文彦、斎藤秀三郎、日置昌一、新村出等の、破格の辞典・事典編集者たちを取り上げ、のちの監修本や監修ビデオなどで、彼等の業績を紹介した。 鈴木唯一: ^ 大槻文彦著 『箕作麟祥君伝』 丸善、1907年、22頁。 吉野作造: 明治25年(1892年)6月、宮城県尋常中学校(現、仙台一高、校長は大槻文彦)が開校し、古川から初めて吉野が推薦された。 伊達政宗: 「達磨図」 - 1933年に刊行された東北遺物展覧会の図録によると「清嶽生家伊庭氏旧蔵」とされ、出品者は大槻茂雄(大槻文彦の養子)となっている。 箕作秋坪: 三叉学舎は当時、福沢諭吉の慶應義塾と並び称される洋学塾の双璧であり、東郷平八郎・原敬・平沼騏一郎・大槻文彦らが学んだ。 |
大槻文彦の情報まとめ
大槻 文彦(おおつき ふみひこ)さんの誕生日は1847年12月22日です。東京出身の国語学者のようです。
兄弟に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1928年に亡くなられているようです。
大槻文彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大槻 文彦(おおつき ふみひこ、弘化4年11月15日(1847年12月22日) - 1928年(昭和3年)2月17日)は、日本の国語学者。明六社会員。帝国学士院会員。実名は清復(きよまた)、通称は復三郎(ふくさぶろう)、号は復軒(ふくけん)。 日本初の近代的国語辞典『言海』の編纂者として著名で、宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)校長、国語調査委員会主査委員などを歴任し、教育勅語が発布された際にいち早く文法の誤りを指摘したことでも有名である。 儒学者・大槻磐渓の三男として江戸木挽町に生まれる。兄に漢学者の大槻如電、祖父に蘭学者の大槻玄沢がいる。幕末には鳥羽・伏見の戦いにも参戦、また仙台藩の密偵として江戸に潜伏、情報収集にも当った。戊辰戦争後に旧幕府側に付き奥羽越列藩同盟を提唱した父の磐渓が戦犯となった際には、兄の如電とともに助命運動に奔走した。 開成所、仙台藩校養賢堂で英学や数学、蘭学を修める。1867年には、英国人牧師マイケル・ベイリーが創刊した『万国新聞紙』の記者、編集員を務めた。 その後、大学南校で英学を学んだ後、1872年に文部省に入省。1875年に、当時の文部省報告課長・西村茂樹から国語辞書の編纂を命じられ、1886年に『言海』を成立、その後校正を加えつつ、1889年5月15日から1891年4月22日にかけて自費刊行した。自費出版を条件に文部省から原稿が払い下げられた。 1912年4月、増補改訂版である『大言海』の執筆に移るが、増補途中の1928年2月17日に、自宅で肺炎のため死去した。 『言海』は近代的国語辞典の嚆矢として、後世の国語辞典の模範となった。大槻は「発音」「品詞」「語源」「意味記述」「出典」が必須であるとするが、これにより近代的な国語辞典の体裁が整ったのである。 『言海』執筆の過程で、国学の文法理論を踏まえながら英語に即して日本語の文法を体系づけた。『言海』の巻頭に掲げられた「語法指南」は、これを目的に『言海』を求める人もいるほど日本語の文法学の発展に寄与し、後に『広日本文典』として独立して出版された。これは大きな副産物といえるが、「日本語の本態を抑圧した」などの問題点を山田孝雄などから批判されている。 国語調査委員会に所属していた頃に刊行された『口語法』は、同委員会の全国調査を参考にしつつ、当時の口語の規範を示した。その付録の『口語法別記』において大槻が、標準を定めるにあたって歴史的な変遷と方言分布を検証した方法は、後の口語研究の可能性を開拓したとされる。 19世紀~20世紀にかけて、米英仏独伊など「列強」と呼ばれる各国では、国語の統一運動と、その集大成としての辞書作りが行われた。具体例を挙げるなら、米国の『ウェブスター大辞典』、英国の『オックスフォード英語辞典』、フランスのエミール・リトレ(英語版)による『フランス語辞典』、ドイツのグリム兄弟による『ドイツ語辞典』などがある。『言海』の編纂も、そうした世界史的な流れの一環としてみることができる。 1891年6月23日、文彦の仙台藩時代の先輩にあたる富田鉄之助が、芝公園の紅葉館で主催した『言海』完成祝賀会には、時の内閣総理大臣・伊藤博文をはじめとし、山田顕義、大木喬任、榎本武揚、谷干城、勝海舟、土方久元、加藤弘之、津田真道、陸羯南、矢野龍渓ら、錚錚たるメンバーが出席した。なお、父・磐渓以来大槻家と親交のあった福澤諭吉も招待されたが、次第書(祝賀会プログラム)で自分の名が、伊藤の下にあるのを見て「私は伊藤の尾につくのはいやだ。学者の立場から政治家と伍をなすのを好まぬ」と、出席を辞退したという。 言海(1889年 - 1891年、全4冊)。ちくま学芸文庫(全1冊の復刻版、2004年) 広日本文典(1897年) 広日本文典別記(1897年) 根岸及近傍図(1901年) 復軒雑纂(1902年)
口語法 (国語調査委員会)(1916年) 口語法別記 (国語調査委員会)(1917年) 伊達騒動実録(1909年、吉川弘文館)。名著出版(上巻(乾ノ巻)1970年2月、下巻(坤ノ巻)1970年3月) 大言海(1932年 - 1937年、全5冊、文彦の没後完成)。新版一冊本(冨山房) 復軒旅日記 (1938年、冨山房百科文庫、大槻茂雄校訂) ^ これは江戸言葉であることを見込まれたからだという。 ^ 伊達騒動の基本資料となっている。 ^ 大槻文彦 (1928), p. 41. ^ 後藤斉 東北大学文学研究科 『大槻文彦の諸相』 ^ 『玄沢・磐渓・文彦』一関市博物館(2022年1月15日) ^ 服部敏良 (2010), p. 67. ^ 湯浅茂雄 (2016), p. 90. ^ 湯浅茂雄 (2016), p. 91. ^ 斎藤倫明 (2016), p. 114. ^ 湯浅茂雄 (2016), p. 89. ^ 施光恒 (2015), pp. 85–86. ^ 大槻文彦 (1928), p. 49. ^ 大槻文彦 (1928), p. 48. ^ 平川新 (2022), pp. 247–249. ^ 『ダ・ダ・スコ』p25-29 ^ 宗家の代数:『GENTAKU』一関市博物館(2007年) 一関市博物館 編『ことばの海:国語学者大槻文彦の足跡』一関市博物館、2011年7月。 犬飼守薫『近代国語辞書編纂史の基礎的研究:「大言海」への道』風間書房、1999年3月。ISBN 4-7599-11243。 高田宏『言葉の海へ』新潮社、1978年7月。 第5回大佛次郎賞・第10回亀井勝一郎賞受賞。
高田宏『言葉の海へ』岩波書店〈同時代ライブラリー〉、1998年4月。 高田宏『言葉の海へ』洋泉社〈MC新書〉、2007年10月。ISBN 4-862481663。 施光恒『英語化は愚民化:日本の国力が地に落ちる』集英社〈集英社新書〉、2015年7月。ISBN 9784087207958。 平川新『〈伊達騒動〉の真相』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー560〉、2022年11月。ISBN 9784642059602。 一関市博物館『学問の家 大槻家の人びと-玄沢から文彦まで』吉川弘文館、2024年10月。ISBN 9784642084581。 大槻文彦「大槻博士自伝」『國語と國文學』第5巻第7号、至文堂、1928年7月、38-52頁。 湯浅茂雄「大槻文彦」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、88-91頁。 斎藤倫明「山田孝雄」『日本語学』第35巻第4号、明治書院、2016年4月、112-115頁。 服部敏良『事典有名人の死亡診断:近代編』吉川弘文館、2010年5月。 『〈甦る名著4〉ことばのうみへ:大槻文彦と「大言海」』紀田順一郎監修、紀伊國屋書店、1996年3月。 (ビデオ) 山田忠雄『三代の辞書:国語辞書百年小史』三省堂、1967年4月(改訂版、1981年3月) 山田忠雄『近代国語辞書の歩み:その摸倣と創意と』上下巻、三省堂、1981年7月。 池野藤兵衛『料亭 東京芝・紅葉館-紅葉館を巡る人々』砂書房、1994年10月。ISBN 4-915818292 大島英介『遂げずばやまじ:日本の近代化に尽くした大槻三賢人』岩手日報社、2008年10月。ISBN 4-872013913。 田澤耕『〈辞書屋〉列伝:言葉に憑かれた人びと』- 「第4章:『言海』大槻文彦」中央公論新社〈中公新書2251〉、2014年1月。ISBN 978-4-12-102251-6。 安田敏朗『大槻文彦『言海』:辞書と日本の近代』慶應義塾大学出版会、2018年。ISBN 978-4-7664-2554-3 マンガふるさとの偉人「大槻三賢人」 発行一関市教育委員会 2024年3月 https://www.bgf.or.jp/bgmanga/304/ 明六社‐『明六雑誌』 大漢和辞典 広辞苑 - 新村出 簡野道明 一関市博物館‐文彦、言海に関するに関する展示がある。 大槻文彦:作家別作品リスト - 青空文庫 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ CiNii Books CiNii Research IdRef 日本語学者 19世紀日本の言語学者 20世紀日本の言語学者 日本の辞典編纂者 宮城教育大学の教員 帝国学士院会員 明六社の人物 三叉学舎の塾生 戊辰戦争の人物 幕末仙台藩の人物 武蔵国の人物 東京都区部出身の人物 大槻家 1847年生 1928年没 プロジェクト人物伝項目 2024/11/21 15:33更新
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ootsuki fumihiko
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