島田仁郎の情報(しまだにろう) 裁判官 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
島田 仁郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
島田仁郎と関係のある人
竹崎博允: 2008年11月17日、前最高裁長官の島田仁郎は、退任記者会見において竹﨑を評して「彼を思うと坂本龍馬が浮かぶ。 |
島田仁郎の情報まとめ
島田 仁郎(しまだ にろう)さんの誕生日は1938年11月22日です。東京出身の裁判官のようです。
事件、父親、趣味、卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。島田仁郎の現在の年齢は86歳のようです。
島田仁郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)島田 仁郎(しまだ にろう、1938年〈昭和13年〉11月22日 - )は、日本の裁判官。第16代最高裁判所長官を務めた。東京大学名誉教授・英文学者の島田太郎は兄、明治大学教授・物理学者の島田徳三は弟に当たる。 名古屋地裁判事在任中に高田事件では裁判の左陪席判事を担当し、異例の裁判の打ち切りを決めた判決の起草を担当した。東京地裁判事在任中にはロス疑惑の三浦和義の刑事裁判を初公判から数十回の審理を担当した。 2006年10月の最高裁長官就任にあたっては、裁判員制度のスタートを3年後の2009年に控えていたことから刑事裁判に詳しい島田が適任と判断された。 長官就任直後の新人判事補へ辞令を交付した場での挨拶として「裁判官は人に批判されることが少なく、裸の王様になりやすい。初心を忘れず、謙虚に、人の心の痛みがわかる人になってほしい」とあいさつした。 2008年11月21日に長官を退官するにあたっての同年11月17日の退官挨拶では「迅速、適正な裁判と、身近で利用しやすい裁判所の実現に向けて努力してきた。まだ十分とは言えないが、両方とも相応に前進したと思う」と、また長官在任中に印象に残った事件として同年6月に婚外子国籍訴訟で父親から生後認知を受けた婚外子について父母が婚姻しなければ日本国籍を取得できないとする規定を違憲とした大法廷判決を挙げ、「違憲立法審査権の重みを、身をもって実感した」と語った。 退官後に作家の夏樹静子の「裁判百年史ものがたり」を読み、山一証券代理人弁護士夫人殺人事件について夏樹との対談で「読ませていただいて、自分の不明を恥じる気持ちになりました。自分の裁判では被害者の気持ちを十分酌んできたつもりでしたが、そんな甘いものではないと思い知らされました。被害者とその遺族の気持ちを代弁するのは検察官の役割で、被害者や遺族には証人としての証言や上申書提出で十分と思っていました。また、被害者を裁判に参加させて当事者として発言を許すのは、裁判の中立公正な運営を乱す恐れがあり、決して好ましいことではないと思っていました。しかし、被害者に出てくる岡村勲弁護士の実体験を読んで、考え方が変わりました。岡村弁護士らの努力によって(2004年に)犯罪被害者等基本法が成立したことは本当によかったことと思っています」と述べている。 趣味は読書で、ロシア文学や推理小説を愛読している。 東京府出身。 1957年 東京学芸大学附属高等学校卒業 1962年 東京大学法学部卒業 1962年 司法修習生 1964年 判事補任官
1968年 ロンドン大学M.Phil(英語版) 1974年 大阪地方裁判所判事 1977年 司法研修所教官 1981年 東京地方裁判所判事 1982年 最高裁判所調査官 1983年 最高裁判所事務総局刑事局第一課長兼第三課長 1986年 東京地方裁判所判事部総括 1989年 最高裁判所事務総局刑事局長兼図書館長 1994年 宇都宮地方裁判所所長 1996年 浦和地方裁判所所長 1998年 東京高等裁判所判事部総括 1999年 司法研修所所長 2001年 仙台高等裁判所長官 2002年 大阪高等裁判所長官 2002年11月7日 最高裁判所判事 2006年10月16日 最高裁判所長官。 2008年11月21日 最高裁判所判事定年退官 2008年11月 東北学院大学大学院法務研究科法実務専攻 特任教授 2010年4月29日 桐花大綬章 2019年6月確認(要追加調査) 特定非営利活動法人コンピュータエンターテインメントレーティング機構 理事長 東京都管理職選考試験事件 - 多数意見(合憲) 在外日本人選挙権訴訟 - 多数意見(違憲) 旭川市国保料訴訟 - 全員一致(合憲) 2004年(平成16年)7月の参議院議員選挙の一票の格差訴訟 - 多数意見(合憲) 2005年(平成17年)9月の衆議院議員総選挙の一票の格差訴訟 - 多数意見(合憲) 婚外子国籍訴訟 - 多数意見(違憲) 旧国鉄の国労に対する不当労働行為について、JRの法的責任を一切否定した多数意見に対して、JRの責任を肯定する余地を認める反対意見 小田急線高架訴訟について、付属道路事業について地権者以外の原告適格を否定した多数意見に対して、地権者以外の原告適格を認める反対意見 ^ 長嶺超輝 2007, p. 229. ^ 長嶺超輝 2007, pp. 229–230. ^ “次期最高裁長官に島田判事/近く閣議決定”. 四国新聞. (2006年10月2日) ^ 長嶺超輝 2007, p. 230. ^ “島田最高裁長官が退任会見「裁判員制度、一層の理解を」”. 朝日新聞. (2008年11月17日) ^ 夏樹静子 2012, p. 402. ^ “春の叙勲、4021人”. 日本経済新聞 (2010年4月29日). 2023年4月7日閲覧。 長嶺超輝『サイコーですか?最高裁!』光文社、2007年。ISBN 9784334975319。 夏樹静子『裁判百年史ものがたり』文春文庫、2012年。ISBN 9784167184322。 表 話 編 歴 細野長良1947 三淵忠彦1947-1950 田中耕太郎1950-1960 横田喜三郎1960-1966 横田正俊1966-1969 石田和外1969-1973 村上朝一1973-1976 藤林益三1976-1977 岡原昌男1977-1979 服部高顯1979-1982 寺田治郎1982-1985 矢口洪一1985-1990 草場良八1990-1995 三好達1995-1997 山口繁1997-2002 町田顯2002-2006 島田仁郎2006-2008 竹﨑博允2008-2014 寺田逸郎2014-2018 大谷直人2018-2022 戸倉三郎2022-2024 今崎幸彦2024- 大審院長 表 話 編 歴 白方一1947-1948 垂水克己1948-1951 松本静史1951-1952 安倍恕1952-1955 下飯坂潤夫1955-1956 石坂修一1956-1958 斎藤直一1958-1960 五鬼上堅磐1960-1961 荻野益三郎1961-1962 松田二郎1962-1964 奥田嘉治1964-1965 万歳規矩楼1965-1967 関根小郷1967-1969 山下朝一1969-1970 新関勝芳1970-1971 奥戸新三1971-1973 吉田豊1973 中野次雄1973-1975 服部高顯1975 宮川種一郎1975-1977 木下忠良1977-1979 大塚正夫1979-1980 緒方節郎1980-1981 安岡満彦1981-1982 谷野英俊1982-1984 斎藤平伍1984-1986 貞家克己1986-1988 黒川正昭1988-1989 原田直郎1989-1991 小野幹雄1991-1992 川崎義徳1992-1994 藤井正雄1994-1995 青木敏行1995-1997 上谷清1997-1999 岡田良雄1999-2000 上田豊三2000-2002 島田仁郎2002 堀籠幸男2002-2005 涌井紀夫2005-2006 金築誠志2006-2009 大谷剛彦2009-2010 大野市太郎2010-2011 吉戒修一2011-2012 佐々木茂美2012-2013 永井敏雄2013-2014 大谷直人2014-2015 菅野博之2015-2016 井上弘通2016-2018 小泉博嗣2018 安浪亮介2018-2021 尾島明2021-2022 後藤博2022-2023 平木正洋2023-2024 菅野雅之2024- VIAF この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 日本の最高裁判所長官 最高裁判所事務総局関係者 桐花大綬章受章者 東京大学出身の人物 東京学芸大学附属高等学校出身の人物 東京都出身の人物 1938年生 存命人物 法学士取得者 2024/11/05 11:40更新
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shimada nirou
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