川村一明の情報(かわむらかずあき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
川村一明の情報まとめ
川村 一明(かわむら かずあき)さんの誕生日は1962年5月4日です。新潟出身の野球選手のようです。
引退、現在に関する情報もありますね。川村一明の現在の年齢は62歳のようです。
川村一明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 川村 一明(かわむら かずあき、1962年5月4日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代のニックネームは「ハッカイ」(西遊記の猪八戒から)。 松商学園高等学校では1979年、2年生の時に夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で池田高に敗退。 1980年夏の甲子園にも連続出場。1回戦で高知商に0-2で敗れたが、高知商のエース中西清起と互角の投手戦を展開し注目される。 1980年のドラフト会議で阪急ブレーブスの1位指名を受けたが拒否している。なおこの年、日本ハムファイターズから1位指名を受けた高山郁夫、読売ジャイアンツから4位指名を受けた瀬戸山満年も入団を拒否、3名ともプリンスホテルに進んでいる。 1983年にはエースとして都市対抗に出場するが、1回戦で日本生命に惜敗。 同年のドラフト4位で西武に指名され入団。 1984年に初勝利、この年はアメリカの1A・サンノゼ・ビーズに野球留学もしている。 1985年には3勝をあげた。 1989年には11勝を挙げてイースタンリーグの最多勝利投手となるが、層の厚い一軍投手陣に割って入ることはできなかった。 1990年シーズン途中でヤクルトに金銭トレードで移籍。ヤクルトでは主に中継ぎとして起用され、同年は30試合に登板した。 1991年は2試合のみの登板に終わり、この年限りで引退した。オーバースローから、スライダー、カーブを武器とした。 2010年現在は長野県安曇野市在住で、スポーツDEPOに勤務している。 初登板:1984年7月31日、対南海ホークス19回戦(大阪球場)、2回裏に救援登板、5回1/3を2失点 初勝利:1984年8月8日、対近鉄バファローズ19回戦(西武球場)、2回表に救援登板、5回4失点 初先発:1985年5月17日、対阪急ブレーブス7回戦(西武球場)、1回1失点 初セーブ:1990年9月4日、対広島東洋カープ19回戦(神宮球場)、9回表2死から救援登板、1/3回無失点・完了 53 (1984年 - 1990年途中) 50 (1990年途中 - 1991年) ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、175ページ ^ ベースボールマガジン 2011年3月号 p.110 ^ 週刊ベースボール2012年4月16日号 P14 新潟県出身の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 日本人のマイナーリーグ選手一覧 個人年度別成績 川村一明 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 表 話 編 歴 1位:渡辺久信 2位:辻発彦 3位:青山道雄 4位:川村一明 5位:仲田秀司 表 話 編 歴 1位:川村一明(入団拒否) 2位:長村裕之 3位:弓岡敬二郎 4位:西尾利春 日本の野球選手 松商学園高等学校出身の野球選手 プリンスホテル硬式野球部の選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手 アルペンの人物 新潟県出身のスポーツ選手 1962年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/29 22:56更新
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kawamura kazuaki
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