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川澄奈穂美の情報 (かわすみなほみ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

川澄奈穂美の情報(かわすみなほみ) サッカー選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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川澄 奈穂美さんについて調べます

■名前・氏名
川澄 奈穂美
(読み:かわすみ なほみ)
■職業
サッカー選手
■川澄奈穂美の誕生日・生年月日
1985年9月23日 (年齢38歳)
丑年(うし年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和60年)1985年生まれの人の年齢早見表

川澄奈穂美と同じ1985年生まれの有名人・芸能人

川澄奈穂美と同じ9月23日生まれの有名人・芸能人

川澄奈穂美と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


川澄奈穂美と関係のある人

大野忍: 得点王:4回 (2007、2008、2010、2011) ※2011年は川澄奈穂美とのW受賞


大野忍: なでしこリーグでは同僚の川澄奈穂美と並び12得点で2年連続4度目の得点王を獲得した。


本田美登里: 2005年8月10日からトルコのイズミルで行われたユニバーシアード世界大会では女子サッカー代表の監督を務め、後に日本女子代表の主力へと成長する近賀ゆかり・岩清水梓・川澄奈穂美らを擁して銅メダルを獲得した。


真野恵里菜: なお、真野自身は川澄奈穂美のファンであり、「筋肉がたくましくて素敵ですね」と語っている。


大和屋エコ: なでしこのキセキ 川澄奈穂美物語(週刊少年サンデー 2012年24号 - )


上尾野辺めぐみ: 川澄奈穂美は林間SC時代からの同級生である。


川澄奈穂美の情報まとめ

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川澄 奈穂美(かわすみ なほみ)さんの誕生日は1985年9月23日です。神奈川出身のサッカー選手のようです。

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人物・エピソード、評価などについてまとめました。卒業、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。川澄奈穂美の現在の年齢は38歳のようです。

川澄奈穂美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

川澄 奈穂美(かわすみ なほみ、1985年9月23日 - )は、長崎県長崎市生まれ、神奈川県大和市出身の女子サッカー選手。アルビレックス新潟レディース所属。元サッカー日本女子代表。日本サッカー協会常任理事。JFAアスリート委員会委員。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。日本体育大学体育学部体育学科卒業

高座みどり幼稚園、大和市立中央林間小学校、大和市立つきみ野中学校卒。3歳上の姉の影響でサッカーを始め、小学2年生のときに地元の少女サッカーチーム「林間SCレモンズ」に入団。ここで川澄は上尾野辺めぐみと出会うことになる。小学校6年生の夏に静岡県静岡市で開催された全国少年少女草サッカー大会「清水カップ」で、川澄と上尾野辺の2人の活躍で人生で初めての「日本一」に輝いている。その後、上尾野辺らとともに女子サッカーの名門「日テレ・ベレーザ」の下部組織である「日テレ・メニーナ」のセレクションを受けるが落選。メニーナに受からなかったことで、地元の中学では女子がサッカーを続けられる環境が整っていなかったため川澄らはサッカーを続けられなくなる可能性があったが、林間SCレモンズの代表であった加藤貞行が彼女らの受け皿になるために創設した新チーム「大和シルフィード」に中学1年生のときから所属し、中高6年間で練習に1日も休まず参加した。大和シルフィードでプレーしたこの期間では全国のタイトルには手が届かなかったが、高校3年のときに「ティファール・カップ レディース・フットサル大会 (後の全日本女子フットサル選手権大会)」というフットサルの大会で全国優勝している。弥栄西高校時代は大和シルフィードの活動と部活を掛け持ちしており、部活ではキャプテンを務めていた。高校卒業後、日本体育大学に進学、4年連続で全日本大学女子サッカー選手権大会に出場し、2004年の第13回大会と2007年の第16回大会で2度優勝を経験している。2005年にはトルコ・イズミルで開催されたユニバーシアードで全6試合に出場し、銅メダルを獲得した。

2008年、INAC神戸レオネッサに入団。大学4年生の1月にはまだ進路先が決まっていなかったが、最後に声をかけてもらったINAC神戸に入団を決めたという。川澄は1月の下旬に1度神戸へ練習見学に行っており、そのときのINAC神戸の印象について「その時は代表選手がいなかったんですけど、ゲームを見たらすごくスピーディーで攻撃的で楽しそうでした」「一年中ブラジル代表のプレッタと練習が出来るというのが魅力でした」と語っている。入団時の背番号は13で、当初は試合終盤のスーパーサブとして途中出場することが多く、リーグでは21試合に出場して3得点だった。なでしこリーグオールスターのなでしこWESTチームに選出され、途中出場で1得点を挙げた。このオールスターでの川澄のプレーを見た元サッカー日本女子代表の大竹七未は、「フレッシュさとスピードに乗ったドリブルからのシュートやパス。とても魅力ある選手」「4年後が楽しみ」と自身のブログで絶賛している。

2009年、この年から背番号9を背負い、ウイングのポジションを獲得し、米津美和、高瀬愛実と3トップを形成しリーグ戦で21試合で10得点を挙げた。オールスターにはファン投票で選出され、スタメン出場を果たした。

2010年、リーグでは18試合に出場し8得点し、自身初のなでしこリーグベストイレブンに選出された。オールスターには3年連続で選出され、スタメン出場。2011年元日に行われた第32回全日本女子サッカー選手権大会決勝の浦和レッズ・レディース戦では、川澄のゴールで先制し後半に同点に追いつかれるが、PK戦で最後のキッカーを務め、冷静にシュートを決めてチームに初タイトルをもたらした。

2011年はキャプテンに任命される。9月23日のジェフユナイテッド千葉レディース戦では、自身の誕生日を祝う2発のバースデーゴールを挙げた。11月6日、勝てば優勝が決まる日テレ・ベレーザ戦では、川澄が先制ゴールを決めるも引き分けに終わったが、次節11月12日のASエルフェン狭山FC戦を川澄のゴールなどで快勝、チーム初のリーグ優勝を成し遂げた。さらにチームメイトの大野忍と並ぶ全12ゴールで自身初のリーグ得点王のタイトルを獲得、リーグの年間表彰式で最優秀選手賞(MVP)とベストイレブンも獲得し、得点王と合わせ個人タイトル三冠を達成した。

同年11月30日に東日本大震災のチャリティーマッチとして国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で開催された「TOYOTA Vitz CUP」でイングランド女子リーグ・FA WSLの強豪アーセナル・レディースと対戦した。試合は1-1の引き分けに終わったが、チ・ソヨンによるINACの先制ゴールの起点となり、アシストを記録した。このときアーセナルを率いていたローラ・ハービー監督は2013年から米・NWSLのシアトル・レインFCを率いることになり、2014年に実現した川澄のシアトル・レインへのレンタル移籍はこのときの対戦がきっかけとなっている。

同年の第33回全日本女子サッカー選手権大会では、準々決勝で相手選手との接触で左手甲を負傷し途中交代するアクシデントがあったが、準決勝では2ゴール1アシストの活躍を見せ、決勝戦でも攻撃の起点となり、チームの大会連覇とリーグとの2冠に貢献した。

2012年、ロンドンオリンピックに向けて負担を軽減することや、元々一年ごとにキャプテンが交代するチームの方針もあり、キャプテンを退任した。

同年2月にINAC神戸レオネッサのスペイン遠征に帯同、FCバルセロナの女子チームと東日本大震災の復興支援のための慈善試合を行った。この試合で川澄は4-3-3の左FWとして先発し、ドリブル突破でスタンドを何度も沸かせた。川澄のプレーを見た現地メディアは「スキャンダラスなくらい素晴らしい選手」と絶賛し、相手の監督も「今日の試合では川澄のプレーが一番印象的だった」「スピードがあり、アグレッシブで、積極的に攻撃を仕掛ける」と称えた。川澄は男子のバルセロナのファンであることを公言しており、この試合について自身のブログで「本物のバルセロナのユニフォームを着る相手と試合したなんて夢のようです」と感想を述べている。

リーグ戦では全試合に出場しチームのリーグ連覇に貢献し、自身もベストイレブンに選出された。

2013年、2年ぶりにチームキャプテンに復帰した。4月27日のベガルタ仙台レディース戦でリーグ戦出場100試合をデビューから連続で達成した。同年12月23日に行われた第35回皇后杯の決勝アルビレックス新潟レディース戦は延長戦を含め120分で決着が着かずPK戦にまでもつれたが、3-3で迎えた5人目のキッカーを務めた川澄がゴールの左隅に決め、皇后杯4連覇を達成。この年INAC神戸はなでしこリーグ・なでしこリーグカップ・国際女子サッカークラブ選手権・皇后杯を制し、日本の女子サッカーリーグでは初めてとなる国内4冠を達成。主将としてチームを牽引した川澄は「4冠ってこんなに重いんですね。4冠は別格だと感じる」、「4冠と言いますけど、今年は苦しい中で獲ったタイトル」と語った。

2014年3月、アメリカのプロリーグ・NWSLのシアトル・レインFCへ半年間の期限付きで移籍。20試合で9ゴール5アシスト、2度の週間MVPを獲得し、チームのシーズン1位 に貢献。リーグのベストイレブンに選出された。また、この年のAFC女子年間最優秀選手賞とFIFA最優秀選手賞の候補に宮間あやとともに選出された。

2014年9月1日、レンタル移籍の期間を満了し、INAC神戸レオネッサに復帰。

2015年12月27日、第37回皇后杯決勝アルビレックス新潟レディース戦。後半33分の右CKでキッカーを務め、この試合が現役最後の試合となった澤穂希の決勝点となるヘディングゴールを演出した。試合後に川澄は「澤さんにゴールをプレゼントしたいからと神様にお願いしました」と語っている。

2016年4月30日、プレナスなでしこリーグ1部第6節浦和レッズレディース戦に先発出場し、通算150試合出場を達成した。

同年6月16日、シーズン途中にINAC神戸レオネッサを退団することを表明し、翌17日、アメリカのプロリーグ・NWSLのシアトル・レインFCへ完全移籍することが発表された。

2016年7月3日、復帰初戦となったNWSL第11節のボストン・ブレーカーズ戦で先発出場を果たすと、2ゴールを挙げる活躍でチームを2-0の勝利に導き、自身3度目となるNWSL週間MVPに選出された。

2017年5月13日に行われたNWSL第5節ワシントン・スピリット戦で1得点4アシストを記録し、チームを6-2の勝利に導いた。この活躍で自身4度目のNWSL週間MVPに選出された。同月27日に行われた第7節ヒューストン・ダッシュ戦では1アシストを記録し、チームの2-0の勝利に貢献した。5月はリーグ新記録となる1試合4アシストをマークするなど、5アシスト1ゴールの活躍でチームの月間成績2勝2引き分けに貢献し、リーグの月間ベストイレブンに選出された。

2016年10月、NWSLのシーズン終了後、期限付き(2016年12月31日まで)でINAC神戸レオネッサに加入した。

2019年1月、シアトル・レインFCからトレードにてスカイ・ブルーFC (現 NJ/NY ゴッサムFC)へ移籍。背番号は9。

2021年8月21日、古巣の対OLレイン戦で日本人選手として初めてNWSL通算100試合出場を達成した。

2023年7月8日、シーズン途中ながら出場機会を求めてゴッサムFCを退団することが発表された。

2020年8月、COVID-19の影響でNWSLレギュラーシーズン開催が不透明であった為、期限付き(2020年12月31日まで)でINAC神戸レオネッサに加入した。

2023年7月23日、アルビレックス新潟レディースへの加入が発表された。2023-24シーズンのチームキャプテンに就任した。

2008年5月31日、AFC女子アジアカップのチャイニーズタイペイ戦で代表デビューを果たすが、同年の北京オリンピックの代表メンバーには選出されなかった。

2011年3月4日、アルガルヴェ・カップのフィンランド戦で代表初得点を挙げる。

2011年FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会では、大会当初はベンチメンバーとしてわずかな出場時間だったが、準決勝スウェーデン戦で、不調のエース永里(当時)に変わってスタメンに抜擢されると、前半18分に左サイドの宮間あやからのクロスに飛び込んで同点ゴール。さらに逆転後の64分には、相手GKが安藤と競り合いながらクリアしたことでがら空きになったゴールに、約30mのロングシュートを蹴りこみ、3-1とスウェーデンを突き放した。このゴールはFIFAのゴール・オブ・ザ・デイにも選出された。川澄のスタメン起用について佐々木則夫監督は「日本代表の中でも群を抜いてすばらしくスタミナのある選手」である川澄をトップに置くことで、前線からのプレスをより徹底し、スウェーデンの攻撃パターンのひとつであるロングボールの出所を抑えるという意図があったという。この2得点の活躍により決勝アメリカ戦でも引き続きスタメンで起用された。延長前半14分にワンバックのゴールで勝ち越されるが、このような状況でも川澄は「このぐらいの方が楽しいよね」と話していたといい、延長後半に澤のゴールで追いつきPK戦に突入した時にも「こんな状況はめったにない。楽しむしかない」と言っていたという。PK戦ではGK海堀あゆみの好守などでアメリカが立て続けに3本を失敗すると、日本は男女通じて初の世界大会優勝を決めた。試合後に川澄は「まだ夢を見ているみたい」「楽しい大会だった」とコメントしている。

9月1日からのロンドンオリンピック・アジア最終予選では、主に2列目の左サイドで全5試合すべてに先発出場し2得点1アシストを挙げた。

2012年のアルガルヴェ・カップでは、初戦のノルウェー戦で決勝ゴール、決勝のドイツ戦でもチームは敗れたが1得点を挙げた。ロンドンオリンピックでは、グループリーグ第1戦のカナダ戦で先制ゴールを挙げるなど全6試合に出場し、日本代表初の銀メダル獲得に貢献した。

2013年のアルガルヴェ・カップでは、初戦のノルウェー戦で自身初の代表キャプテンを務めた。また、3戦目のデンマーク戦で先制ゴールを決め、節目の代表通算10ゴールとなった。

2014年5月にベトナムのホーチミンで開催された2014 AFC女子アジアカップの準決勝中国戦では、90分で決着が付かず120分の激闘となったが、川澄は延長後半に自陣からのカウンターでドリブルで持ち上がるなど、底知れぬスタミナを見せつけた。試合はラストプレーとなった延長後半120分に宮間あやのコーナーキックから岩清水梓がヘディングで合わせたゴールが決勝点となり、劇的な日本の勝利に終わった。川澄は試合直後のインタビューで「楽しかったです」と笑顔で答えた。

2015年のFIFA女子ワールドカップ・カナダ大会。準決勝のイングランド戦で、後半47分に川澄が右サイドからクロスを放つとこれをクリアしようとしたイングランドDFのラウーラ・バセットに当たってそのままオウンゴールとなり、これが決勝点となり日本の二大会連続決勝進出という劇的な幕切れを演出した。

2016年リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選のメンバーに選出され、川澄はベトナム戦で1得点を挙げたものの、チームは予選3位となり五輪出場権を逃した。

2018年3月、AFC女子アジアカップ ヨルダン大会(2019 FIFA女子ワールドカップ予選)の日本代表メンバーに招集され、約2年ぶりに代表に復帰した。

人物・エピソード

アルビレックス新潟レディースの上尾野辺めぐみとは幼馴染である。小学生時代、川澄と上尾野辺は2人1組の練習ではいつも一緒で、互いに切磋琢磨しながら上達していった。上尾野辺は視力が低かったが、背番号が見えないときも、川澄とボールだけは見えていたというほどのコンビネーションだった。川澄は上尾野辺について「メグのほうが全然上手かった」「メグがいたからこそ、ずっと頑張ってこれた」「『親友』、いえ、それ以上の存在」と語っている。2023年にアルビレックス新潟レディースに加入する際の決め手は、上尾野辺の「地球3個分」の想いを込めたオファーであったと語っている。

澤穂希には小学生時代から憧れを抱き、小学6年の時に所属チームの優勝記念で、上尾野辺めぐみとともに澤のひざの上に乗り記念写真を撮影してもらっている。さらに日本体育大学在学時の2004年4月24日、アテネオリンピックアジア最終予選の北朝鮮戦を国立競技場で観戦し、ひざの故障をおして奮戦する澤を見て「澤さんと一緒にピッチに立って世界の頂点に立つ」という明確な目標ができたと語っており、この夢が2011年FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会で成就したことになる。

幼なじみの佐藤愛香(後のろう者サッカー女子日本代表GK、映画「アイ・コンタクト」に出演)を小学生の時にサッカーに誘い、上尾野辺同様高校までチームメートとしてプレーした。佐藤には生まれつき聴覚障がいがあったが、ゴールキーパーとしてプレーし、小学生のときの「清水カップ」での優勝のほか、高校フットサルの全国大会でも一緒に優勝している。INAC神戸の試合で掲げられる横断幕の一つには、佐藤が川澄の似顔絵を描いたものがある。

中学・高校の体育教員免許を持っている。

手先が器用でネイルアートが得意であり、2011 FIFA女子ワールドカップやロンドンオリンピック・アジア最終予選で自らや他の選手が施していたネイルアートも川澄の手によるもの。また、チームメイトの誕生日にケーキを自作するなど、料理やお菓子作りが得意である。

2011年にFIFA女子ワールドカップドイツ大会で優勝したことで報道が過熱した際には、メディアが「川澄ちゃん」や「おしゃれ番長」という愛称を使うことがあったが、川澄はこのことに対して「あんまりいい気はしないですよね。澤さんみたいに普通に呼んでいただければ。川澄でお願いします。おしゃれ番長も…。あんまりおしゃれでもないですし」と話し、報道陣に異例のお願いをした。ただし一般のファンに対しては「ファンのみなさんは私のこと好きに呼んでくれてかまいませんよ」と自身のブログで補足している。また、この時期には複数の芸能事務所などからマネジメント契約の申し出がクラブを通じてあったが、「サッカー選手として勝負したい」ということで全て断ったという。

2007年4月、川澄が当時大学4年のときに、練習試合中に左膝前十字靱帯を断裂している。手術を要する全治8カ月の重傷だったが、川澄は「悲壮感はなかった」「リハビリ期間中にしかできないことをやろうと、前向きに考えられていました」と語っている。このリハビリ期間に徹底的に体幹トレーニングを行ったことにより、当たり負けしない身体になったと語っている。

INAC神戸2年目だった2009年当時、日体大4年だった有吉佐織が左膝前十字靭帯を断裂したと聞き、自らも同じ箇所を断裂した経験がある川澄は、自身が使用したリハビリ器具とともに、「メッセージ付き詩集」を贈呈した。アルバムのようなノートに、チョイスした「元気が出る詩」を手書きしたもの。感激した有吉は、今でもときどき、その詩集をめくっては気合を入れているという。

海外でプレーすることについては「もともと海外志向ではない」「国内でも自分がやることをしっかりやれば、世界に通用する選手になれる」、「自分のキャリアの中で海外に行きたいと思う瞬間があれば、行きたい」 という考えを披露している。

2014年に期限付きで移籍したシアトルでは、チームメートやファンから「ナホ(NAHO)」や「ホーミー(HOMI)」の愛称で親しまれた。また、川澄が行っていた体幹トレーニングをチームで取り入れることになり、その時間はチームメートから「センセイ(SENSEI)」と呼ばれていた。

2015年にグーグルにより発表された統計によると、「2014-2015に世界で最も検索された女子サッカー選手」の第4位にランクインした。(第1位はアメリカ女子代表のホープ・ソロ、2、3位には同じくアメリカ代表のアレックス・モーガン、アビー・ワンバックが続いてランクインしている)

スパイクはチームの用具係にまかせず、自分で管理している。

2024年3月、現役選手として初のJFA常任理事に抜擢された。

評価

2011年のFIFA女子ワールドカップ準決勝スウェーデン戦の2ゴールで一躍世間の注目を集め「シンデレラガール」と称されることもあったが、川澄は前年にすでになでしこリーグのベストイレブンに選出されており、また2011年のW杯を迎えた時点ではリーグの得点ランクのトップだったこともあり、当時INAC神戸の監督であった星川敬は、「シンデレラ物語でも何でもない」「これまで日本のメディアはいい選手を逃しすぎだった」と発言している。

INAC神戸では2011年と2013年の2度、主将を務めている。2011年当時の監督であった星川敬は「あれほどうちのチームにとって主将としての適任者はいない。プレーで見せて対外的なことも全部やってチームの若手のことまで目を配って」と絶賛しており、2014年に川澄から主将を引き継いだチームメートの高瀬愛実は「ナホさんは完璧なキャプテンだったと思います。プレーで見せてくれるし、周りも見えてる。締めるところは締めるけど、常にガツガツしているわけでもなく力が抜けていて、自分のプレーにも集中できている。人前に立った時の発言でも、『チームを代表しているだけあるな』と思ってました」と語っている。

2014年にレンタル移籍したシアトル・レインFCのチームメートであったアメリカ代表のMFミーガン・ラピノーは「サッカー選手としてナホはただただ素晴らしい。チームで一番大きいわけでも速いわけでもないけど、ピッチの上でどう動けばスペースをつけるかを知っている。だからゴールもアシストもできる。彼女はそのプレースタイルを、日本代表からこのチームにもたらした。」と称賛した。また、アメリカの女子サッカー専門サイト『The Equalizer』のダン・ロレッタ記者は「2014年のリーグを席巻した、女子で世界最高のクロッサー」と評した。

INAC神戸レオネッサで2シーズン、シアトルでも1シーズン川澄と一緒にプレーしたベヴァリー・ゴーベル・ヤネズは、インタビュー取材で自分がチームメートとしてプレーしたことのある選手の中のベストプレイヤーの1人として川澄の名前を挙げており、「ナホのプレーには本当に無駄がなくて、ゲームを読む能力はワールドクラスです。私は彼女と一緒にプレーすることで本当に多くのことを学びました。ナホはずっと、私の大好きな選手の一人です。」と述べている。

2014年にシアトル・レインFCで川澄を約半年間指導したローラ・ハービーは、翌年のFIFA女子W杯カナダ大会で日本代表としてプレーする川澄に対して「ナホの才能は明らかに豊か。また一緒にサッカーがしたい」とエールを送った。

アルビレックス新潟レディースで2023-24シーズンの主将を務めた川澄に対して、監督の橋川和晃はシーズンの総括で「厳しいことも言えるし、物事を俯瞰して、いろんなことをまとめたり出来る。チームの中心にいて、まさに太陽みたいな存在だった」と述べた。

2024/06/15 15:24更新

kawasumi nahomi


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矢川 澄子(やがわ すみこ、1930年7月27日 - 2002年5月29日)は、日本の作家・詩人・翻訳家。早くから天才少女として注目され、没後は「不滅の少女」と呼ばれた。 教育学者・矢川徳光の5人…

安部川 澄夫(あべかわ すみお)
1922年11月4日生まれの有名人 東京出身

安部川 澄夫(あべかわ すみお、1922年11月4日 - 2017年8月3日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取・会長、新関西国際空港会長。東京都出身。 府立一中、一高を経て1947年に東京大学法学…

浅川 純直(あさかわ すみなお)
1909年11月29日生まれの有名人 宮城出身

浅川 純直(あさかわ すみなお、1909年(明治42年)11月29日 - 1991年(平成3年)3月9日)は、昭和時代の政治家。宮城県角田市長。奥州浅川氏の末裔。 宮城県角田市生まれ。1942年(…

吉川 純広(よしかわ すみひろ)
1982年12月7日生まれの有名人 兵庫出身

12月7日生まれwiki情報なし(2024/06/11 11:25時点)

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話題のアホネイター
川澄奈穂美
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