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時津海正博の情報 (ときつうみまさひろ)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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時津海 正博さんについて調べます

■名前・氏名
時津海 正博
(読み:ときつうみ まさひろ)
■職業
相撲
■時津海正博の誕生日・生年月日
1973年11月8日 (年齢50歳)
丑年(うし年)、蠍座(さそり座)
■出身地・都道府県
長崎出身

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

時津海正博と同じ1973年生まれの有名人・芸能人

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時津海正博の情報まとめ

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時津海 正博(ときつうみ まさひろ)さんの誕生日は1973年11月8日です。長崎出身の相撲のようです。

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取り口、人物・エピソードなどについてまとめました。卒業、趣味、引退、結婚、事件、父親、離婚、現在に関する情報もありますね。時津海正博の現在の年齢は50歳のようです。

時津海正博のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 - )は、長崎県福江市(現・五島市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は坂本 正博(さかもと まさひろ)。東京農業大学卒業。最高位は東前頭3枚目(2001年11月場所)。身長184cm、体重137kg、血液型はA型。得意手は右四つ・寄り。趣味は釣り、麻雀、トレーニング(引退後)。

農家の二男に生まれ、父の影響で2・3歳位の時から宮相撲に出場した。小学校では野球、中学校では柔道をやっていたが、部員が足りず休部状態に陥っていた相撲部を再興し、自宅の倉庫を稽古場に改造し、相撲を続けた。長崎県立諫早農業高等学校では相撲に専念し、東京農業大学でも活躍した。しかし、4年生の時は企業に就職しようと考え、印刷会社の試験に合格し、また父からアマチュア相撲の強豪である和歌山県庁への就職も勧められたが、アマチュアよりプロで取る方がいいという本人の意志で時津風部屋に入門。1996年3月場所、幕下付出で初土俵。

時津海が入門した頃はまだ学生相撲出身者に対する風当たりが強かったため、巡業では他の部屋の錚々たる関取衆のかわいがりに遭った。また、新潟にあった部屋の夏合宿場で、炎天の下非常に厳しい稽古を積まされた。14代時津風も、稽古場では何も言葉を発さない寡黙な人物であったため威厳があって怖く、大卒であり早く関取に上がりたいという気持ちもあって必死で努力した。

1998年9月場所新入幕。以降は主に幕内中位で活躍し、2005年5月場所まで41場所連続で幕内の地位を維持し続けた。2001年から2003年あたりが全盛期で、この間に3度の技能賞を受賞。2001年7月場所、婚約の効果か千秋楽勝てば三賞受賞という1番に勝ち初受賞。2002年1月場所、結婚式が控えていたからか勝てば三賞受賞という1番にまたも勝利し2度目の受賞。2003年7月場所の11日目には大関栃東を破り単独トップに立つ活躍も見せた。その栃東を破った2003年7月場所11日目の取組は、相手に左前ミツを取られたものの、これを持ち前の技術で切ると攻勢に転じ、右差し左上手の体勢から寄り切って相手を下した、という内容であった。幕内中位で勝ち越すことが何度もあったが最高位は前頭3枚目と、番付運がなかった。また、大関昇進前ではあるが琴光喜に強く、5勝3敗と勝ち越している。右四つ左上手での理詰めの相撲は好角家をうならせたが、2005年5月場所は西前頭12枚目で3勝12敗と大負けし、翌7月場所は1998年7月場所以来、42場所ぶりに十両に陥落した。以後は怪我もあって十両に落ちることが増え、幕内下位に低迷した。それでも2005年7月には2度目の十両優勝を果たし、2006年1月場所では14日目に白鵬に敗れるまで優勝争いに加わる活躍で12勝3敗と大勝して4回目の技能賞を獲得し、西前頭14枚目という当時最も低い地位での三役揃い踏みを経験するなど長く地力を保ち続けた。

しかし2007年10月9日、同年6月に発生した時津風部屋力士暴行死事件を受け、日本相撲協会より解雇された部屋師匠で15代時津風こと山本順一の後継として部屋を継承するために急遽現役引退することとなり、日本相撲協会に引退届および年寄時津風襲名届を提出した。時津海自身は「まだ燃え尽きていない」と現役へのこだわりがあったが、今回の新弟子死亡事件からの出直しを図るため、14代時津風(豊山勝男=入門時の師匠)を始めとする関係者の説得を受け入れ、16代時津風となり、部屋の師匠として名門復活に全力を注ぐこととなった。

なお、時津海の引退と年寄襲名により、日本相撲協会は2007年11月場所番付において、引退した時津海が位置する予定であった西前頭11枚目を空位にするという措置を取った。これは時津海が年寄時津風として番付に掲載されることにより、番付上の重複を避けるためである。幕内の番付で空位が発生した事態は、1873年(明治6年)11月に当時の東京相撲の関脇だった小柳常吉ら以来(この時は力士名を墨で塗りつぶした)、実に134年ぶりという珍事となった。

また時津海が時津風を襲名するにあたり、自身が取得していた年寄・錦島株を弟弟子の霜鳳に譲渡した。

先代こと山本が解雇されたちょうど1年後の2008年10月5日、両国国技館において引退相撲を執り行い、断髪式で髷に別れを告げた(留め鋏は14代時津風が入れた)。式典後、時津海の16代時津風は昨年の不祥事を改めて謝罪した後、「新生時津風部屋を良い方向へ行くように頑張りたい」と抱負を語った。

2016年3月30日時点で、協会の職務では審判部の所属であった。

2017年1月31日に間垣(元小結・時天空)が悪性リンパ腫により死去した際には「堪えますね」とぽつり。続けて「(昨年の)9月に復帰して指導者として稽古場に毎日来てました。若い衆にしつけとかあいさつとか厳しかった。あんなに厳しく指導するやついない。自分も見習わないといけない。若い衆をしっかり指導していきたい」と、沈痛な表情を浮かべながらコメントした。

2017年5月場所はヘルニアで場所を休場。3日目に足立区内の病院で内視鏡手術を行い、すぐに部屋に戻った。

2021年2月22日、後述の不祥事により、日本相撲協会より「退職勧告」の懲戒処分を受け、同日付で退職した。時津風部屋は部屋付き親方の間垣(元前頭・土佐豊祐哉)が名跡を時津風へ変更し、同部屋を継承した。

長男の博一(青森県立三本木農業高等学校卒)は、父親が師匠を務めていた縁で時津風部屋入門が決まりかけていた。しかし父親の退職を受けて入門するべき部屋を再考し、次男の正真と共に立浪部屋に入門した。同年5月場所前の新弟子検査に合格し、同月11日に初土俵を踏む。

処分の決まった2月22日に、犯罪ジャーナリストの小川泰平のYouTubeチャンネル「小川泰平の事件考察室」にインタビュー動画がアップロードされた。動画の概要欄には録画は2021年1月末と明記されており、16代時津風は相撲協会に在籍している。インタビュー動画では16代時津風も小川もマスクはしておらず、両者を仕切るアクリル板もインタビュールームには無い状態であった。インタビューを行った小川は、マスコミの取材に対して「マージャン店と報じられた店は、雀荘として営業はされていませんし、雀荘の看板もありません」「そこの社長の父親が以前は別の場所で雀荘を経営していたが、昨年、その社長が亡くなり、雀荘は閉めた。社長の息子さんの事務所に、そこの雀卓が2台あって、1台は使っていなくて、あとの1台は後援会の人や友人らが集まればマージャンをやることもあったそうです。時津風親方は『マージャンはやっていない』と話している」と16代時津風の代弁をしている。また16代時津風は小川を通じて、「僕が夜に部屋から出たことは、協会のガイドライン違反です。その日は両国国技館に午後6時半くらいまでいて、いったん部屋に帰って、着替えて部屋の者と軽く食事して、それからチケットを持ってその場所に行ったんです。協会のガイドラインでは、ちゃんこ番の買い物や、治療等以外は(場所中の不要不急の外出は)ダメです。だから、そこは反省して認めています。外出したという時点で僕は違反をしている」とコメントしている。

また、退職直後の3月10日付で時津風部屋の部屋施設(マンションの1~3階部分)が東京家庭裁判所の命令により仮差押えをされたことが分かった。債権者は16代時津風の妻で、16代時津風が長男・次男の角界入門を控えた時期に遊び歩いた末に退職に追い込まれたことに激怒して離婚裁判を起こしたと伝えられている。時津風部屋後援会長は妻から離婚の知らせを受けていたという。しかし、部屋を継承した17代時津風も部屋施設の仮差押えは知らなかったという。

一連の出来事について、16代時津風は6月4日発売のFRIDAYのインタビューに応じ、説明を行った。

2007年の力士暴行死事件直後に15代時津風(山本順一)に呼ばれ「オレは(相撲協会から)解雇されるだろう。オマエ、引退して親方になれるか」と言われたという。突然のことで即答できず、現役生活に未練もあった。しかし当時は幕内下位に低迷しており、力士としての限界を感じていたことから、両親と相談し、時津風部屋継承を承諾した。部屋を継承以来、弟子を連れて被害者遺族や各地の後援会に謝罪をして回る日々で、「将来ある若者の命を奪って!」などと厳しい言葉も浴びたという。2,3年で事態が落ち着いてきたが、ついこの間までともに稽古をしてきた仲間から「師匠」と呼ばれる自らの立場に馴染めず、現役力士の土俵入りを見ると「現役はイイなぁ」と寂しさを感じていたという。

3度に及ぶ不祥事について、1度目の野球賭博関与については甘い認識で野球賭博に関わったことを反省している。3度目のコロナ禍中の協会ガイドライン違反の外出については、当時は急性膵炎での入院生活中のストレスも残っており、妻との関係が上手くいっていなかったことなどから犯してしまった過ちであるという。3度目の規律違反でけじめをつける覚悟をし、力士たちに話をしている。

東京家裁が時津風部屋施設を差し押さえたのは、離婚時の財産分与の前に第三者に売却されることを防ぐために妻が取った処置であった。妻とはその後離婚したが、おかみとしての役目から解放されたことでストレスがなくなり、毎日のように連絡を取り合っているという。16代時津風は現在、部屋を出て都内で一人暮らしをしており、支援者のもとを回って退職の経緯を説明し、家では体がなまらないようトレーニングをしていると話している。

同年9月24日、朝倉未来がスペシャルアドバイザーを務めている総合格闘技大会『BreakingDown』が同月26日に開催する大会の対戦カードを発表、第26試合で元パンクラスの三浦広光と対戦することが分かった。BreakingDown大会運営側が相撲情報誌TSUNA編集長の竹内一馬に相撲関連のキャスティングを依頼し、実現した対戦であるという。試合は判定に持ち込まれ、2-0で三浦が勝利した。格闘技デビュー当時既に47歳という年齢で、その後格闘技の試合に出場したという情報が無いことを考えると、元々継続的な格闘技参戦の意思はなかったと見られる。

元関脇・寺尾の錣山親方が死去した際には弔問に訪れた。坂本は不祥事で協会を去った身だが、錣山親方は坂本の退職後も気に懸けて連絡してくれた仲であった。

取り口

現役時代の時津海はしばしば「相撲巧者」として紹介された。右四つでの寄りが持ち味。左上手を取れれば引き付けが効き、出し投げ、ひねりもあり、特に強かった。また、廻しを切る技術も秀逸だった。さらには差し手を殺すことも上手く、けんか四つの相手でも勝つことができるというところがあった。しかし元々組めないともろく、突き押し相撲相手には苦戦した。晩年には足腰の衰えが顕著になり、すぐに腰が立って足が流れたり吹っ飛ばされたりすることも目立った。四つ身での技術では同世代の力士の中でもトップクラスであり、4回に渡る技能賞受賞がそれを物語っているが、番付運の悪さや取り口の脆さが災いして三役昇進は叶わなかった。

人物・エピソード

突然に部屋を継承することになったが、山本順一は暴行死事件が発覚し相撲界との関係を絶たれ、部屋の師匠としての職務上の引き継ぎなども何もなく、最初の2、3年はお詫び行脚に終始した。その後、新しい後援会などによって部屋の運営を手伝ってもらえるようになり、自分の仕事も落ち着いてきた。

部屋の師匠としては自分で考えることと自らの意志で厳しい稽古を行うことが重要だと主張しており、稽古場で厳しさを発揮した時天空が死去したことで部屋の上下関係に対する意識や弟子の稽古態度などの面で弟子育成が危機感と隣合わせとなったが、それでも16代時津風は「無理やり(稽古を)やらせても強くならない」として力士達の自主性を重んじている。だらだらとした稽古を長時間行うのではなく、同じ時間の稽古でもより気合や力を入れて集中してやった方が良いと話している。

体の衰え以外の事情で現役を引退して相撲に未練があったためか引退後もトレーニングを継続しており、2017年にヘルニアを患うまで現役力士の頃から気持が切り替わらなかったという。一方気持ちが切り替わって以降も、2018年の時点でもトレーニングを欠かさず行っており、現役時代とほぼ変わらない肉体で弟子に胸を出している。

豊ノ島が引退したばかりの頃、一部報道機関によって「自分のトレーニングに没頭して指導にはあまり熱心ではない」と指導態度を否定された。

臥牙丸は「(時津風部屋は)本当に関取衆の集まる場所でした」と自身の現役時代を振り返り、稽古場として充実していた部屋であった旨を証言している。

2024/06/09 00:02更新

tokitsuumi masahiro


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