曾禰荒助の情報(そねあらすけ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
曾禰荒助と関係のある人
芳川顕正: 男子に恵まれず、四女の鎌子に子爵・曾禰荒助の次男を婿養子にとって家を継がせた(芳川寛治)。 小村寿太郎: 5月30日、文官で併合反対派だった曾禰荒助に代えて第3代統監として寺内正毅陸相が選ばれた。 小村寿太郎: ただ、小村は北京議定書調印のため清国を離れることができなかったため、その間、曾禰荒助蔵相が外相を兼ねた。 倉成正: 曾禰荒助 磯部勉: 経世済民の男 第一部「高橋是清」(2015年、NHK) - 曾禰荒助 寺内正毅: 明治42年(1909年)10月26日のハルビンにおける伊藤博文暗殺後、第2代韓国統監・曾禰荒助が辞職すると明治43年(1910年)5月30日、陸相のまま第3代韓国統監を兼任し、同年8月22日の日韓併合と共に10月1日、朝鮮総督府が設置されると、引き続き陸相兼任のまま初代朝鮮総督に就任した。 松尾臣善: 1903年(明治36年)10月、山本達雄第5代日銀総裁の任期が満了となり、大勢は山本の再任と認識していたが、松尾が大蔵省局長に通算17年も在任し、当時の大蔵総務長官(大蔵次官)阪谷芳郎よりも先輩でありその処遇に苦慮していたことと、日露戦争開戦となると日銀総裁は戦費調達のため政府の方針に従ってくれる人物が望ましく、山本は政府に従順な人物ではなかったため、曾禰荒助大蔵大臣の意向により松尾が第6代日銀総裁に就任した。 木村俊夫: 曾禰荒助 寺内正毅: その後、曾禰荒助の後任として韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めた。 |
曾禰荒助の情報まとめ
曾禰 荒助(そね あらすけ)さんの誕生日は1849年2月20日です。山口出身の政治家のようです。
解散、事件に関する情報もありますね。1910年に亡くなられているようです。
曾禰荒助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)曽禰 荒助(そね あらすけ、旧字体:曾禰 荒󠄁助、嘉永2年1月28日(1849年2月20日) - 明治43年(1910年)9月13日)は、明治期の日本の官僚、政治家。号は西湖。明治時代の歴代内閣で閣僚職を歴任した。伊藤博文が暗殺される少し前に第2代韓国統監に就任し、韓国併合を進めた。 長門国(現山口県)萩藩の家老の宍戸氏の出身で、宍戸潤平の三男として生まれた。通称を寛三郎。曾禰詳蔵高尚の養子となり、曾禰姓を名乗るようになった。 17歳ながら家老格の家柄のおかげで長州藩兵の小隊長として戊辰戦争初期に従軍した。明治維新後、明治元年(1868年)、明治政府に出仕を命じられ、降兵取締に任じられた。明治5年(1872年)、フランス留学を命じられて5年後に帰国。明治12年(1879年)、陸軍省勤務。翌年から陸軍士官学校勤務を兼ねた。 明治14年(1881年)に太政官書記官に転じ、明治19年(1886年)4月に内閣記録局長、明治23年(1890年)に初代衆議院書記官長に任命された。この任を2期務めた後、第1次松方内閣の解散に伴って衆議院選挙に出て、山口4区から初当選を果たした。会派は品川弥二郎が主宰した国民協会に属したが、明治26年(1893年)に駐フランス全権公使に任じられた。しかし日清戦争の後には駐ドイツ全権公使青木周蔵と共に三国干渉では列強にやり込められている。 明治31年(1898年)に第3次伊藤内閣が発足すると司法大臣に就任。以後、農商務大臣、大蔵大臣、外務大臣等を歴任。特に日露戦争時は、外債の不足に苦慮したが、大蔵大臣として大任を果たした。 明治40年(1907年)に初代統監府副統監として伊藤博文を補佐し、伊藤の退任後に韓国統監となった。曾禰は韓国併合反対論者で、併合論者の桂太郎首相に対して、「桂はよく話して聞かせれば判る」と息巻いていた。しかし結局、山縣・桂に押し切られる形で「適当ノ時機」に韓国併合を断行する閣議決定(7月6日)に同意した。伊藤暗殺事件の直後から韓国併合を進めて、明治43年(1910年)、胃癌により同職を辞したが、併合の完成を病床で聞き薨去。享年62。墓所は青山霊園(1ロ12-28)。 外交・内政・財政さらには韓国問題まで幅広くこなした万能政治家であったものの、二流政客と称され、長州閥の実力者に肩を並べるには至らなかった。このことから「器用貧乏」ともあだ名された。 フランス公使時代は公使館の一室に籠って、交際も何もせず、朝から晩まで花牌を引いてばかりいたため「花牌公使」とあだ名された。 黒岩涙香によると、1898年時点で十代の愛人を2人抱えていた。一人は17歳の田中いねで小間使い兼妾として雇い、在官中はいねとともに官邸に宿泊し、日曜ごとに赤坂台町の自邸にいねを伴って帰るのが常で、その傍ら、三十軒堀の花三升の花香19歳のもとにも足しげく通っていた。1909年ころ、朝鮮の慶州から石窟庵五重小塔を持ち去った。 1911年、江ノ島の龍野ヶ岡(最近は恋人の丘と呼ばれる)に、時の首相桂太郎篆額による「西湖曾禰君碑」という巨大な顕彰碑が建てられた。これは、曾禰の別荘が片瀬にあったためである。撰文は三島毅、書は高島九峰。なお、この碑には、1923年9月1日の関東大震災で破損し、翌年11月に修復したと刻まれている。 1889年(明治22年)7月23日 - 兼任 内閣記録局長、叙 奏任官一等 1890年初代の衆議院書記官長となる。 1892年 第2回衆議院議員総選挙に当選し、同年衆議院副議長をつとめる。 1893年駐仏公使に転じる。 第3次伊藤内閣司法相、第2次山県内閣農商務相、第1次桂内閣蔵相等を歴任。 1900年9月26日 - 貴族院勅選議員に勅任。 1902年男爵に叙爵。 1906年枢密顧問官に就任。
1907年9月21日 - 子爵に陞爵、副統監となる。 1909年6月14日 - 韓国統監に就任する。 1910年9月13日薨去。 1881年(明治14年)
11月26日 - 正六位 1886年(明治19年)7月8日 - 従五位 1890年(明治23年)6月11日 - 従四位 1897年(明治30年)2月15日 - 正四位 1898年(明治31年)2月14日 - 正三位 1904年(明治37年)4月20日 - 従二位 1910年(明治43年)8月29日 - 正二位 1889年(明治22年)
12月27日 - 勲六等瑞宝章 1890年(明治23年)12月26日- 勲五等瑞宝章 1891年(明治24年)3月18日 - 勲四等旭日小綬章 1894年(明治27年)6月19日 - 勲三等瑞宝章 1898年(明治31年)4月6日 - 勲二等旭日重光章 1901年(明治34年)10月21日 - 金杯一組 1902年(明治35年)
12月28日 - 勲一等瑞宝章 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日大綬章・明治三十七八年従軍記章。 1907年(明治40年)9月21日 - 子爵 1909年(明治42年)4月18日 - 皇太子渡韓記念章 1910年(明治43年)8月29日 - 旭日桐花大綬章 1897年(明治30年)
10月6日 - スペイン帝国:イサベル・ラ・カトリカ第一等勲章 1898年(明治31年)9月20日 - ポルトガル王国:ヴィラ・ヴィソーザ無原罪の聖母騎士団勲章グランクルース 1902年(明治35年)3月12日 - 大清帝国:頭等第三双龍宝星 1908年(明治41年)3月12日 - 大韓帝国:李花大勲章 1909年(明治42年)
11月15日 - 大韓帝国:勲一等瑞鳳章(妻・曾禰光子 受章) 1910年(明治43年)4月14日 - 大韓帝国:皇帝陛下南西巡幸記念章 ^ 曽禰荒助 | 近代日本人の肖像 ^ 朝日日本歴史人物事典「曾禰荒助」 ^ 西湖曾禰荒助、行書七絶 ^ 小林道彦『桂太郎 予が生命は政治である』 p240-241 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)16頁 ^ 曾禰 荒助 ^ 花牌公使『明治六十大臣 : 逸事奇談』長田偶得 (大学館, 1901) ^ 『弊風一斑 蓄妾の実例 』黒岩涙香、現代教養文庫、1992年、p7 ^ 栄典のタブに画像 ^ 碑像マップ ^ 『官報』第1820号「叙任及辞令」1889年7月24日。 ^ 『官報』第5174号、明治33年9月28日。 ^ 『官報』第6863号、明治39年5月18日。 ^ 『官報』第7272号、明治40年9月23日。 ^ 『官報』第7790号「叙任及辞令」1909年6月15日。 ^ 「曾禰荒助」 アジア歴史資料センター Ref.A06051169700 ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。 ^ 『官報』第2086号「叙任及辞令」1890年6月14日。 ^ 『官報』第4084号「叙任及辞令」1897年2月16日。 ^ 『官報』第4383号「叙任及辞令」1898年2月15日。 ^ 『官報』第6239号「叙任及辞令」1904年4月21日。 ^ 『官報』第8158号「叙任及辞令」1910年8月30日。 ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。 ^ 『官報』第1952号「叙任及辞令」1889年12月28日。 ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。 ^ 『官報』第2313号「叙任及辞令」1891年3月19日。 ^ 『官報』第3291号「叙任及辞令」1894年6月20日。 ^ 『官報』第4427号「叙任及辞令」1898年4月7日。 ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日。 ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。 ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。 ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。 ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。 ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。 ^ 『官報』第7415号「叙任及辞令」1908年3月18日。 ^ 『官報』第6239号「叙任及辞令」1904年4月21日。 ^ 『官報』第8049号「叙任及辞令」1910年4月25日。 西野喜与作「国立国会図書館デジタルコレクション 曾禰荒助の巻」『歴代蔵相伝』東洋経済新報社出版部、1930年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179646/65 国立国会図書館デジタルコレクション。 芳川寛治 - 次男 多徳島 曾禰荒助 | 近代日本人の肖像 国立国会図書館 憲政資料室 曽祢荒助関係文書(MF:財務省財務総合政策研究所蔵) 曾禰荒助の卷『歴代蔵相伝』西野喜与作(東洋経済新報社出版部, 1930) 表 話 編 歴 伊藤博文1906-1909 曾禰荒助1909-1910 寺内正毅1910 寺内正毅1910-1916 長谷川好道1916-1919 斎藤実1919-1927 宇垣一成(臨時代理)1927 山梨半造1927-1929 斎藤実1929-1931 宇垣一成1931-1936 南次郎1936-1942 小磯國昭1942-1944 阿部信行1944-1945 表 話 編 歴 松平慶永 伊達宗城 大久保利通 大隈重信 佐野常民 松方正義 松方正義 渡辺国武 井上馨 松田正久 西園寺公望 曾禰荒助 阪谷芳郎 桂太郎 山本達雄 若槻禮次郎 高橋是清 武富時敏 寺内正毅 勝田主計 市来乙彦 井上準之助 勝田主計 濱口雄幸 早速整爾 片岡直温 三土忠造 藤井真信 町田忠治 馬場鍈一 結城豊太郎 賀屋興宣 池田成彬 石渡荘太郎 青木一男 櫻内幸雄 河田烈 小倉正恒 賀屋興宣 津島壽一 広瀬豊作 渋沢敬三 石橋湛山 矢野庄太郎 栗栖赳夫 北村徳太郎 泉山三六 大屋晋三 臨時代理 池田勇人 向井忠晴 小笠原三九郎 一万田尚登 佐藤栄作 水田三喜男 田中角栄 福田赳夫 植木庚子郎 愛知揆一 大平正芳 坊秀男 村山達雄 金子一平 竹下登 渡辺美智雄 宮澤喜一 橋本龍太郎 海部俊樹 羽田孜 林義郎 藤井裕久 武村正義 久保亘 三塚博 松永光 宮澤喜一 宮澤喜一 塩川正十郎 谷垣禎一 尾身幸次 額賀福志郎 伊吹文明 中川昭一 与謝野馨 藤井裕久 菅直人 野田佳彦 安住淳 城島光力 麻生太郎 鈴木俊一 加藤勝信 表 話 編 歴 榎本武揚 後藤象二郎 黒田清隆 渡辺国武 白根専一 野村靖 末松謙澄 林有造 芳川顕正 星亨 原敬 芳川顕正 曾禰荒助 大浦兼武 山縣伊三郎 原敬 堀田正養 後藤新平 林董 後藤新平 元田肇 武富時敏 箕浦勝人 田健治郎 野田卯太郎 前田利定 犬養毅 藤村義朗 犬養毅 安達謙蔵 望月圭介 久原房之助 小泉又次郎 三土忠造 南弘 床次竹二郎 岡田啓介 望月圭介 頼母木桂吉 山崎達之輔 兒玉秀雄 永井柳太郎 塩野季彦 田辺治通 永井柳太郎 勝正憲 村田省蔵 寺島健 八田嘉明 小松茂 塩原時三郎 塩原時三郎 松前重義 (心得)新谷寅三郎 一松定吉 三木武夫 冨吉榮二 降旗徳弥 小沢佐重喜 表 話 編 歴 小笠原長行 山口直毅 仁和寺宮嘉彰親王 山階宮晃親王 三条実美 伊達宗城 東久世通禧 澤宣嘉 山階宮晃親王 伊達宗城 澤宣嘉 澤宣嘉 岩倉具視 副島種臣 (副島種臣(外務事務総裁)) 寺島宗則 井上馨 井上馨 伊藤博文 大隈重信 青木周藏 榎本武揚 陸奥宗光 西園寺公望 大隈重信 西徳二郎 大隈重信 青木周蔵 加藤高明 曾禰荒助 小村壽太郎 林董 寺内正毅 小村壽太郎 内田康哉 桂太郎 牧野伸顯 石井菊次郎 本野一郎 後藤新平 山本權兵衞 伊集院彦吉 松井慶四郎 幣原喜重郎 田中義一 幣原喜重郎 犬養毅 芳澤謙吉 齋藤實 廣田弘毅 有田八郎 林銑十郎 佐藤尚武 宇垣一成 近衛文麿 有田八郎 阿部信行 野村吉三郎 松岡洋右 豊田貞次郎 東郷茂徳 東條英機 谷正之 重光葵 鈴木貫太郎 吉田茂 芦田均 岡崎勝男 岸信介 藤山愛一郎 小坂善太郎 大平正芳 椎名悦三郎 三木武夫 愛知揆一 福田赳夫 木村俊夫 宮澤喜一 鳩山威一郎 園田直 大来佐武郎 伊東正義 櫻内義雄 安倍晋太郎 倉成正 宇野宗佑 三塚博 中山太郎 渡辺美智雄 武藤嘉文 羽田孜 柿澤弘治 河野洋平 池田行彦 小渕恵三 高村正彦 田中眞紀子 小泉純一郎 川口順子 町村信孝 麻生太郎 高村正彦 中曽根弘文 岡田克也 前原誠司 松本剛明 玄葉光一郎 岸田文雄 河野太郎 茂木敏充 林芳正 上川陽子 岩屋毅 表 話 編 歴 河野敏鎌 西郷従道 谷干城 西郷従道 山縣有朋 土方久元 黒田清隆 榎本武揚 井上馨 岩村通俊 陸奥宗光 河野敏鎌 佐野常民 後藤象二郎 榎本武揚 大隈重信 山田信道 伊東巳代治 金子堅太郎 大石正巳 曾禰荒助 林有造 平田東助 清浦奎吾 松岡康毅 大浦兼武 小松原英太郎 牧野伸顕 仲小路廉 山本達雄 大浦兼武 河野広中 仲小路廉 山本達雄 荒井賢太郎 田健治郎 岡野敬次郎 前田利定 高橋是清 山崎達之輔 内田信也 島田俊雄 石黒忠篤 千石興太郎 表 話 編 歴 江藤新平 大木喬任 田中不二麿 大木喬任 山田顕義 山田顕義 田中不二麿 河野敏鎌 山縣有朋 芳川顕正 清浦奎吾 曾禰荒助 大東義徹 清浦奎吾 金子堅太郎 清浦奎吾 波多野敬直 松田正久 千家尊福 岡部長職 松田正久 松室致 松田正久 奥田義人 尾崎行雄 松室致 原敬 大木遠吉 岡野敬次郎 田健治郎 平沼騏一郎 鈴木喜三郎 横田千之助 小川平吉 江木翼 原嘉道 渡邊千冬 鈴木喜三郎 川村竹治 小山松吉 小原直 林頼三郎 塩野季彦 宮城長五郎 木村尚達 風見章 柳川平助 近衛文麿 岩村通世 松阪広政 岩田宙造 木村篤太郎 鈴木義男 表 話 編 歴 向山黄村1866-1868 鮫島尚信1870-1873 少弁務使→中弁務使→弁理公使 / 1873-1875 /1878-1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1882-1887 田中不二麿1887-1890 野村靖1891-1893 曾禰荒助1893-1897 栗野慎一郎1897-1901 本野一郎1901-1906 大使館昇格 栗野慎一郎1906-1912 石井菊次郎1912-1915 松井慶四郎1915-1920 石井菊次郎1920-1927 安達峰一郎1927-1929 芳澤謙吉1930-1932 長岡春一1932-1933 佐藤尚武1933-1935 杉村陽太郎1937-1938 沢田廉三1939-1940 加藤外松1941-1942 三谷隆信1942-1946 大使交換中断1946 萩原徹1950-1952 萩原徹1952臨時代理大使 西村熊雄1952-1956 古垣鉄郎1957-1961 萩原徹1961-1967 松井明1967-1970 中山賀博1970-1975 北原秀雄1975-1979 井川克一1979-1982 内田宏1982-1984 本野盛幸1984-1989 木内昭胤1989-1992 矢田部厚彦1992-1994 松浦晃一郎1994-1999 小倉和夫1999-2002 平林博2002-2006 飯村豊2006-2009 齋藤泰雄2009-2011 小松一郎2011-2013 鈴木庸一2013-2016 木寺昌人2016-2019 伊原純一2019-2022 下川眞樹太2022- 表 話 編 歴 在フランス公使が兼轄 鮫島尚信1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1883-1887 田中不二麿1887-1890 野村靖1891-1893 曾禰荒助1893-1897 栗野慎一郎1897-1900 赤羽四郎1900-1907 稲垣満次郎1907-1908 荒川巳次1909-1914 坂田重次郎1916-1919 廣澤金次郎1920-1925 太田為吉1925-1932 青木新1932-1936 矢野真1936 スペイン内戦勃発 避難先で公使館業務継続 矢野真1936-1939 スペイン内戦終結 矢野真1939-1940 横山正幸1940 須磨弥吉郎1941-1945 閉鎖 渋沢信一1952-1956 与謝野秀1956-1961 島津久大1961-1963 関守三郎1963-1967 高野藤吉1967-1969 高橋覚1969-1973 佐藤正二1973-1975 加川隆明1976-1978 横田弘1978-1981 林屋永吉1981-1984 枝村純郎1984-1987 石井亨1987-1991 山口達男1991-1995 坂本重太郎1995-1998 荒船清彦1998-2001 田中克之2001-2004 島内憲2004-2006 吉川元偉2006-2009 高橋文明2009-2011 佐藤悟2011-2014 越川和彦2014-2016 水上正史2016-2019 平松賢司2019-2022 中前隆博2022- 表 話 編 歴 在フランス公使が兼轄 鮫島尚信1880 井田譲1881-1883 蜂須賀茂韶1883-1887 田中不二麿1887-1890 野村靖1891-1893 曾禰荒助1893-1897 栗野慎一郎1897-1900 在スペイン公使が兼轄 赤羽四郎1900-1907 稲垣満次郎1907-1908 荒川巳次1909-1914 坂田重次郎1916-1919 廣澤金次郎1920-1925 太田為吉1925-1932 公使館開設 笠間杲雄1932-1934 米澤菊二1939-1941 千葉蓁一1941-1942 森島守人1942-1946 公使交換中断 神田襄太郎1955-1957 磯野勇三1957-1959 大使館昇格 磯野勇三1959-1961 吉田賢吉1961-1965 勝野康助1966-1968 服部五郎1968-1971 和田周作1971-1974 大口信夫1975-1977 谷盛規1977-1981 田村豊1981-1983 岡田富美也1983-1987 村上和夫1987-1991 平岡千之1991-1993 市岡克博1993-1995 國安正昭1995-1998 西村元彦1998-2000 笹口健2000-2002 浜中秀一郎2002-2005 原聰2005-2008 三輪昭2008-2010 四宮信隆2010-2013 東博史2013-2017 新美潤2017-2019 牛尾滋2019-2022 太田誠2022- 表 話 編 歴 津田真道 曾禰荒助 楠本正隆 安部井磐根 片岡健吉 島田三郎 元田肇 杉田定一 箕浦勝人 肥塚龍 関直彦 花井卓蔵 早速整爾 浜田国松 粕谷義三 松田源治 小泉又次郎 松浦五兵衛 清瀬一郎 小山松寿 増田義一 植原悦二郎 岡田忠彦 金光庸夫 田子一民 内ヶ崎作三郎 勝田永吉 木村小左衛門 井上知治 田中萬逸 岩本信行 原彪 高津正道 杉山元治郎 椎熊三郎 正木清 中村高一 久保田鶴松 原健三郎 田中伊三次 園田直 小平久雄 藤枝泉介 荒舩清十郎 長谷川四郎 秋田大助 三宅正一 岡田春夫 勝間田清一 多賀谷真稔 安井吉典 村山喜一 鯨岡兵輔 渡部恒三 中野寛成 横路孝弘 衛藤征士郎 赤松広隆 川端達夫 赤松広隆 海江田万里 議院 衆議院 貴族院 参議院 VIAF 日本 CiNii Books CiNii Research 統監府の人物 日本の枢密顧問官 貴族院勅選議員 明治時代の貴族院議員 明治時代の閣僚 日本の大蔵大臣 逓信大臣 日本の外務大臣 日本の農商務大臣 日本の司法大臣 明治日本の公使 衆議院副議長 (帝国議会) 山口県選出の衆議院議員 (帝国議会) 明治時代の衆議院議員 日本の帝国議会職員 戦前日本の法制官僚 日本の官僚 (1868-1949) 日本の参事院関係者 大日本帝国陸軍文官 日露戦争の人物 戊辰戦争の人物 日本の子爵 日本の男爵 正二位受位者 勲一等旭日桐花大綬章受章者 勲一等旭日大綬章受章者 大勲位瑞星大綬章受章者 レジオンドヌール勲章グラントフィシエ受章者 幕末長州藩の人物 山口県出身の人物 在フランス日本人 胃癌で亡くなった人物 1849年生 1910年没 プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事
2024/11/09 14:55更新
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