本田真凜の情報(ほんだまりん) YouTuber 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
本田 真凜さんについて調べます
■名前・氏名 |
本田真凜と関係のある人
本田真凜の情報まとめ
本田 真凜(ほんだ まりん)さんの誕生日は2001年8月21日です。大阪出身のYouTuberのようです。
卒業、兄弟、事故、引退、テレビ、家族、姉妹に関する情報もありますね。今年の情報もありました。本田真凜の現在の年齢は23歳のようです。
本田真凜のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)本田 真凜(ほんだ まりん、英: Marin Honda, 2001年8月21日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2016年世界ジュニア選手権優勝。2015年ジュニアグランプリファイナル3位。明治大学卒業。マネジメントはヒーローズマネジメント株式会社。 京都府京都市伏見区出身。血液型はA型。 5人兄弟の次女(3番目)で、一般人の姉と兄の太一、そして望結と紗来の2人の妹がいる。太一、望結、紗来もフィギュアスケーターであり、望結と紗来は女優としても活動している。また、望結と紗来と共にオスカープロモーションに所属していた時期もあった。 2歳でスケートを始め、他にアイスホッケー、水泳、体操、テニス、ピアノ、絵画教室を掛け持ちしていた。 関西大学初等部および同中等部卒業。関西大学高等部1年次修了後に、練習拠点をアメリカへ移すとともに青森山田高等学校普通科スポーツコース2年次へ編入学。2018年7月、日本航空がアイススケート部を創設するとともに、スポンサー契約から所属契約へと移行した。編入学した青森山田高校では堀田賢慎が同学年にいた。2020年に明治大学に入学し、2024年に卒業した。 1番好きな選手や憧れ、尊敬している選手は荒川静香である。トリノオリンピックの荒川の演技を観て、オリンピックを目指す様になった。 2017年、望結(読売中高生新聞担当)と紗来(読売KODOMO新聞担当)とともに、読売新聞のPR活動を担う「読売新聞アンバサダー」の読売新聞担当に就任した。 卓球選手の伊藤美誠と仲が良く、休みの日には良く二人で遊びに出かけている。他には、将棋棋士の藤井聡太のファン。 2020年春に明治大学に進学し、スケート部に在籍。練習拠点やコーチ変更はないという。 2011年、全日本ノービス選手権(ノービスB) に初出場し2位となる。これによりノービス強化選手に指定され、翌2012年3月、初の海外公式戦であるチャレンジカップデブスクラス(ノービス未満)に出場し優勝。 2012年、全日本ノービス選手権(ノービスB)では歴代最高得点をマークして優勝。2013年トリグラフ杯ノービスクラスに出場し優勝する。2013年世界国別対抗戦には開催国の招待選手としてエキシビションに参加した。 2013-14シーズンより日本スケート連盟のフィギュアスケート強化選手に初めて選ばれる。2013年アジアフィギュア杯と2014年プランタン杯のノービスクラスではそれぞれ2位に入賞。同シーズンの全日本ノービス選手権(ノービスA)では3位となり、全日本ジュニア選手権ではショート13位からフリーで2位と大逆転し、総合5位に入る。 2014-15シーズン、2014年アジアフィギュア杯のノービスクラスで3位入賞、2015年ババリアンオープンのノービスクラスでは優勝する。2014年NHK杯のエキシビションに開催国の招待選手として参加。同年の全日本ノービス選手権(ノービスA)では青木祐奈に次いで2位となり、全日本ジュニア選手権ではショート7位からフリー2位につけ総合4位に入る。2014年12月18日、ステファン・ランビエールがプロデュースして開催された日本・スイス国交樹立150周年記念アイスショー「アイス・レジェンド」に、未来を担うスケーターとして島田高志郎と共に参加。 2015-16シーズン、初戦の2015年アジアフィギュア杯ではジュニアクラスに出場し、青木祐奈に次いで2位に入る。ISUジュニアグランプリシリーズに初参戦し、JGPコロラドスプリングスではショートで首位に立ち、フリーではミスが出て4位だったものの総合では白岩優奈に次いで2位に入った。JGPクロアチア杯ではショート3位からフリーでは1位となり逆転優勝し、ジュニアグランプリファイナル進出を決めた。全日本ジュニア選手権では6位となる。ジュニアグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。初出場となった全日本選手権では総合9位となり、この結果、2016年世界ジュニア選手権の代表に初選出された。 2016年世界ジュニア選手権ではショート、フリーともに自己ベストを大きく更新し、初出場ながら優勝を達成した。日本が女子シングルで世界ジュニア選手権を制したのは2010年の村上佳菜子以来6年ぶりであり、ジュニア1年目で世界ジュニア選手権優勝は2013年のエレーナ・ラジオノワ以来3年ぶりであった。 2016-17シーズン、初戦の2016年アジアフィギュア杯のジュニアクラスで優勝。JGP横浜・JGPリュブリャナ杯でともに2位となり、2年連続のJGPファイナル進出を決める。 4度目の出場となった全日本ジュニア選手権ではショートで2位に付けたものの、フリーでは精彩を欠き6位となったが、自身初の表彰台となる3位となった。 2016年11月21日、日本航空とスポンサー契約を締結した事が発表される。 2016年12月9日、2度目の出場となったジュニアグランプリファイナルでは優勝候補であったが、開催地への移動中に体調を崩し、会場での初日公式練習には参加したものの、ショートプログラム当日にインフルエンザの感染が判明した為棄権となった。2度目の出場となった全日本選手権では総合4位。全国中学校スケート大会で初優勝。 2017年3月、台北市で開催された世界ジュニア選手権では、ショートとフリー共にパーソナルベストを更新し、ジュニア選手として史上2人目の200点超となる201.61点をマークしたものの、2位となり連覇を逃した。 2017年4月、2017年世界国別対抗戦に開催国の招待選手としてエキシビションに参加した。 2017年7月2日、プログラム曲を発表した。ショートは「ジェラシー」と「ラ・クンパルシータ」、フリーは「トゥーランドット」。シーズン突入直前の8月末に「自分の中で衝撃なぐらい素敵な曲に出会った」として、ショートの曲の変更を表明、初戦となったUSインターナショナルクラシックは、ショートを前年の曲に差し替えて演技し優勝した。初参戦となったISUグランプリシリーズのスケートカナダでは、ショートで新プログラム「The Giving」を披露。準備期間が短かった事もあり、転倒等のミスが相次ぎ10位と大きく出遅れたが、フリーでは大きなミスなくまとめ3位、トータルでは5位となった。連戦となった中国杯も5位と表彰台には届かず、ファイナル進出を逃した。 平昌オリンピックの代表選考がかかった全日本選手権では、ショートではジャンプにミスが出て6位、フリーでも後半のジャンプにミスが出て9位。トータルでは7位と不本意な成績に終わり、夢のオリンピック選出とはならなかった。 2018年4月、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、幼少期から師事した濱田美栄コーチのもとを離れ兄の太一と共にアメリカへ拠点を移した。 2018年7月10日、日本航空アイススケート部と所属契約を締結、同年7月25日にIMGとマネジメント契約を締結したことが発表された。 シーズン初戦となった2018年ネーベルホルン杯では、ショートでの転倒やフリーでの回転不足等ミスが相次いで6位に。ISUグランプリシリーズのスケートアメリカでも、ショートで4位につけたもののフリーで全ての3回転ジャンプで転倒するなどミスが相次ぎ総合8位に留まった。次戦のフランス国際ではショートで4位の位置につけたが、フリーでは6位に落ちて総合6位とまたしても表彰台に届かず、GPファイナル進出もならなかった。 4年連続4回目の出場となった第87回全日本選手権は、ショートで3回全てジャンプの失敗が響いて18位と大きく出遅れる。巻き返しを図ったフリーでも精彩を欠いて15位、結局は総合15位に終わった。 2019年7月、中京大学のアイスリンクにて、日本国内でのコーチとして本田武史から教えを受けていることを明かした。 シーズン初戦のCS ネーベルホルン杯では、SP6位・フリー5位の総合5位。ISUグランプリシリーズのスケートカナダの本番前、男子シングルの田中刑事と共にタクシーの乗車中に、交通事故に見舞われるアクシデントに遭い、右足脛部に打撲傷を負ったが、当試合へ強行出場を決める。結果、SPでは10位と大きく出遅れるも、フリーでは挽回して6位の総合6位に入る。次戦の中国杯では、SPは6位の発進だったが、フリーではミスが響いて7位の総合7位に終わり、GPファイナル進出を逃した。 5年連続5回目の出場となった第88回全日本選手権は、SPで大きな失敗無くまとめて6位のスタートだった。期待されたフリーだったが、最初の3回転ルッツを転倒するなどで8位、総合順位は8位に留まった。 2020年10月のジャパンオープン2020に出場予定であったが、右肩脱臼のため欠場。シニアで初めての地区予選を経験することになった東京選手権では総合7位。フリーでは誤ってエキシビジョン用の音源を提出してしまっていたため、ほぼ即興で4分間を演じた。東日本選手権でも総合10位と苦戦を強いられたが、全日本選手権の出場権を獲得。総合9位に終わったNHK杯の後、佐藤信夫コーチの元で練習を積んでいる。 6年連続6回目の出場を迎えた第89回全日本選手権は、当日朝の公式練習の準備中にめまいで倒れ、ホテルに戻り安静にしていたが症状が残っていたため棄権した。 2021年度、日本スケート連盟の強化選手からは外れ、大学限りでの引退も示唆。 東京選手権は12位、東日本選手権は5位で通過し、7年連続して全日本選手権への進出が決定。2年ぶり6度目の出場だった第90回全日本選手権は、SP23位・フリー21位の総合21位。 東京選手権は8位、東日本選手権は6位で通過して臨んだ第91回全日本選手権はSPで51.81点の26位となり、上位24人によるフリーに進めなかった。 東京選手権は12位、東日本選手権は5位で通過。しかし第92回全日本選手権はSPで44.42点の28人中最下位となり、上位24人によるフリーに2年連続で進むことができなかった。 2024年1月5日、同季限りでの引退を表明。1月11日、引退記者会見を行い、プロスケーターへの転向を表明した。 アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを11歳でマスターした。コンビネーションでは、3回転ルッツ・フリップ・ループ・サルコウ・トゥーループ・2回転半アクセルの後に3回転トゥーループをつける事が出来る。表現力に定評があり、中学1年の時点で髙橋大輔から「ちょっとした体の動かし方が色っぽさがある」「雰囲気とか、魅力的な目を引くものを持っている」と評されている。 2018-2019シーズンから本田を指導するアルトゥニアンは、以前から本田のことを「ずば抜けた才能を持つ女の子」と認識していた事を明かし、「美しさと芸術的な表現力。滑っている姿を何度でも、いつまでも見ていたいと思わせるスケーター」と評価する一方で、本田の良さでもある独創性は即興で練習内容を変えてしまうようなコンシステンシー(一貫性)を欠く部分にもつながっていると指摘、「まだ持っている能力の30%しか使っていない」と語った。 ジュニア女子フリースケーティングスコア世界最高記録(128.64)、2016年ジュニアグランプリ横浜(同年アナスタシヤ・グバノワが更新) ジュニア女子2人目となるISU大会での200点超え(2017年世界ジュニア選手権) A - Aクラス B - Bクラス D - デブスクラス N - ノービスクラス J - ジュニアクラス 2016年4月4日 - 京都市スポーツ栄誉賞 2016年4月7日 - 京都府スポーツ賞 2017年1月16日 - 関西スポーツ賞 2017年4月11日 - 京都府スポーツ賞 スケート靴の約束(2013年12月25日、テレビ愛知) - 坂井昌美 役 すぽると!(2024年3月31日〈予定〉 - 、フジテレビ) あたしたちの金メダル ~天才少女と家族の選択~(2014年9月13日、関西テレビ) あたしたちの金メダル'15 挑戦 女優・本田望結と真凜 天才フィギュア姉妹に密着528日(2015年12月26日、関西テレビ) わたしたちの金メダル'16 決意(2016年12月29日、関西テレビ) アスリートの魂「16歳“真のアスリート”へ フィギュアスケート・本田真凜」(2017年12月16日、NHK) 本田真凜 涙の奥に~夢追う軌跡に密着1265日~(2017年12月31日、関西テレビ) 世界の果てまでイッテQ!(2023年3月5日、日本テレビ)スウェーデンのルーレオで凍った海面を整えて特製スケートリンクを作り、特別版ショートプログラム「The Giving」を披露。エレメンツの実施構成は、次の通り。2T/StSq/FCSp/ChSq/2T+2T+2T/LSp ゴーストバスターズ/フローズン・サマー(2024年) - メロディ 役(エミリー・アリン・リンド) シャープ「AQUOS 4K」(2014年) ロッテアイス 「ガーナアイス」(2016年)
ロッテ「ガーナ」(2017年)
読売新聞(2017年) タウングループ/タウンハウジング
「踊って応援」篇(2021年12月 - ) パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊(2017年) コーセー(2017年) アクアバンク(2016年11月 - ) 日本航空(2016年11月 - ) プリンスホテル(2016年12月 - ) ^ 過去に受けたフジテレビの取材で「(藤井と)友達になりたい」と述べた ^ 全日本ジュニア選手権6位以内の選手は、ジュニア推薦枠として全日本選手権への出場が許可されるが、本田真凜は当時ノービスA選手であったため推薦は見送られた。 ^ ※2020/2021 ISUグランプリシリーズは非公認大会。新型コロナウイルスの影響で変則開催の為、ISUの公認記録に反映されない。また世界ランキングのポイントも付与されない 各大会の出場者を地元選手や開催国に拠点を置く選手らに制限しており、公平性を保つため。国際スケート連盟(ISU)2020年10月26日 ^ 当初はSPに「タンゴ・ジェラシーとラ・クンパルシータ」を予定していたが8月末に変更を発表した。10月7日カーニバル・オン・アイスにて初披露。 ^ 妹の望結、紗来と共演。 ^ 国際スケート連盟による本田真凜のバイオグラフィー ^ 『JAL、フィギュアスケート本田真凜選手と所属契約を締結』(プレスリリース)日本航空株式会社、2018年7月10日。http://press.jal.co.jp/ja/release/201807/004788.html。2022年11月27日閲覧。 ^ “フィギュアスケート:強化選手本田 真凜”. 公益財団法人 日本スケート連盟. 2021年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 ^ “家政婦のミタ:“次女”が見たミタさんの素顔 衝撃の結末は……”. まんたんウェブ. (2011年12月21日). オリジナルの2013年6月25日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130625031557/http://mantan-web.jp/2011/12/21/20111221dog00m200014000c.html ^ “フィギュアスケート本田真凜選手のパパに直撃。才能伸ばす「超参加型」子育て”. SAISON CHIENOWA (2017年7月5日). 2017年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月27日閲覧。 ^ “真凜、大阪・関大高から青森山田高に転校/フィギュア”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2018年4月4日). オリジナルの2021年1月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210127204436/https://www.sanspo.com/sports/news/20180404/fgr18040417320002-n1.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜、練習拠点を米国に移した理由語った「悔しさを晴らせるシーズンにする」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2018年4月1日). https://hochi.news/articles/20180401-OHT1T50035.html?page=1 2022年11月27日閲覧。 ^ “フィギュア、本田真凜が始球式東京ドーム、巨人対ヤクルト戦”. デイリースポーツ online (2022年5月7日). 2022年5月7日閲覧。 ^ “本田真凜、明大に進学…スケートと学業の両立目指す”. スポーツ報知. (2019年12月16日). https://hochi.news/articles/20191215-OHT1T50374.html?page=1 2023年10月6日閲覧。 ^ 「本田真凜さん、明治大学卒業を報告 「コロナ禍により入学式中止」で始まった大学生生活、周囲に感謝つづる」『中日スポーツ』中日新聞社、2024年3月18日。2024年4月3日閲覧。 ^ “フィギュア界に現れた13歳の新星。本田真凜は真っ直ぐ平昌を目指す。”. Number Web (2014年10月12日). 2016年3月22日閲覧。 ^ “JGP Zagreb Marin HONDA JPN interview in Japanese”. YouTube. ISU Junior Grand Prix (2015年10月7日). 2022年11月27日閲覧。2015/2016 ISUジュニアグランプリシリーズ クロアチア杯でのインタビュー。 ^ “本社CMキャラクターに本田3姉妹を起用 真凜さん・望結さん・紗来さんがそろって初の"アンバサダー"に”. 会社案内サイト「読売新聞へようこそ」. 読売新聞. 2018年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜、パイレーツコスプレ披露に「セーラームーンもお願いします!」 将棋・藤井四段への“好き”に衝撃”. おたぽる (株式会社サイゾー). (2017年7月17日). https://otapol.com/2017/07/post-11003.html 2024年1月15日閲覧。 ^ “本田真凜 来春、明大に進学”. スポニチAnnex(2019年12月16日). 2019年12月16日閲覧。 ^ “ランビエール、高い芸術性をショーに具現 観客を酔わせる”. SWI swissinfo.ch. スイス公共放送協会 (2014年12月19日). 2022年11月27日閲覧。 ^ “未来のフィギュア界を担う!世界ジュニアフィギュアスケート選手権とは”. 【SPAIA】スパイア (2016年9月8日). 2020年11月18日閲覧。 ^ “本田真凜初V「一番のフリー」フィギュア世界Jr.”. 日刊スポーツ. (2016年3月20日). https://www.nikkansports.com/sports/news/1619088.html 2016年3月20日閲覧。 ^ “本田真凜 JALと契約!真央級サポート、“真凜ジェット”も?”. スポニチアネックス. (2016年11月22日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/22/kiji/K20161122013767280.html 2016年11月22日閲覧。 ^ “本田真凜がインフル棄権 開始直前無念の決断”. 日刊スポーツ. (2016年12月9日). https://www.nikkansports.com/sports/news/1749392.html 2016年12月9日閲覧。 ^ “本田真凜「今の時点では満足」ジュニア勢最高の4位”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2016年12月25日). https://www.nikkansports.com/sports/news/1756667.html 2016年12月26日閲覧。 ^ “真凛全中初V 日本勢初の世界Jr連覇へ「自信」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年2月8日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/02/08/kiji/20170208s00079000025000c.html 2017年2月8日閲覧。 ^ “本田真凜は荒川静香金の曲「自分らしく演技したい」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2017年7月3日). https://www.nikkansports.com/sports/news/1849381.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜、シーズン開幕直前にSP変更を決断「すごい曲。出会ってしまった」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年8月30日). オリジナルの2017年8月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170830070901/http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20170830-OHT1T50128.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜、激動の3年半に密着 涙の奥に秘めた五輪への想い”. ORICON NEWS. (2017年12月29日). https://www.oricon.co.jp/news/2103128/full/ 2018年1月8日閲覧。 ^ “本田真凜が米国拠点、4年後へ浅田真央元コーチ師事”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2018年3月30日). https://www.nikkansports.com/sports/news/201803290000865.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “フィギュア・本田真凜選手、JALと所属契約「とても心強く思っています」”. ORICON NEWS (oricon ME). (2018年7月10日). https://www.oricon.co.jp/news/2115284/full/ 2018年7月11日閲覧。 ^ “フィギュア本田真凜がIMGとマネジメント契約”. デイリースポーツ online. (2018年7月25日). https://www.daily.co.jp/general/2018/07/25/0011478768.shtml 2018年7月28日閲覧。 ^ “本田真凜は52・75点で18位に肩落とす「すごく残念な演技」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2018年12月21日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/12/21/kiji/20181221s00079000252000c.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜「ゼロからスタート」ジャンプミスで15位”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2018年12月14日). https://www.nikkansports.com/sports/news/201812240000250.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田コンビ結成 真凜の“国内コーチ”に武史氏「分かりやすい」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年7月15日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/07/15/kiji/20190715s00079000262000c.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜、今季初戦は5位 ジャンプ乱れるも優雅に舞う 男子では島田高志郎が2位”. THE ANSWER (株式会社Creative2). (2019年9月29日). https://the-ans.jp/news/85802/ 2022年11月27日閲覧。 ^ “真凜交通事故で打撲「影響あります」 田中「結構な衝撃あった」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2019年10月25日). https://www.daily.co.jp/general/2019/10/25/0012818550.shtml 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜はSP10位 交通事故で負傷も「アドレナリンで痛みなくできた」 スケートカナダ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年10月26日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/10/26/kiji/20191026s00079000146000c.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “順位上げ6位の本田真凜 満身創痍もラ・ラ・ランド熱演「アドレナリンの塊みたいな感じ」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年10月27日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/10/27/kiji/20191027s00079000142000c.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “真凜、涙こらえ「自分への怒りでいっぱい」 ミス重なり7位/フィギュア”. サンスポ (産経デジタル). (2019年11月9日). https://www.sanspo.com/article/20191109-O5AFAKK4XFK2PF4GK2UEZIPCMM/ 2022年11月27日閲覧。 ^ “6位の本田真凜、演技後に涙「やっと自分らしさが戻ってきた」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年12月19日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/12/19/kiji/20191219s00079000434000c.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜8位も「失敗を含めて1つの作品」妹にエールの舞い”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年12月21日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/12/21/kiji/20191221s00079000352000c.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜が右肩脱臼のため欠場【ジャパンオープン2020】”. テレビ東京スポーツ (テレビ東京). (2020年9月29日). https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2020/09/013991.html 2020年12月25日閲覧。 ^ “こんなことある!?本田真凜 まさかの曲間違い「アドリブで滑った」 3回転加え総合7位 東京選手権”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. (2020年10月10日). https://www.chunichi.co.jp/article/135276 2020年12月25日閲覧。 ^ “苦しむ本田真凜 元世界ジュニア女王の復活を見たい”. 朝日新聞デジタル. (2020年11月11日). https://www.asahi.com/articles/ASNCB6SF0NCBUTQP02S.html 2020年12月25日閲覧。 ^ “本田真凜、悪戦苦闘の今季。元世界ジュニア王者は輝きを取り戻せるか”. web Sportiva. 集英社 (2020年12月2日). 2020年12月25日閲覧。 ^ “本田真凜、名伯楽の下で練習/フィギュア”. SANSPO.COM. 産経デジタル (2020年12月24日). 2020年12月25日閲覧。 ^ “本田真凜が全日本選手権を棄権「めまい」の症状で倒れる 欠場理由発表”. デイリースポーツ online (2020年12月25日). 2020年12月25日閲覧。 ^ “全日本選手権、本田真凜が棄権 めまいで倒れ、症状残る”. 朝日新聞デジタル (2020年12月25日). 2020年12月25日閲覧。 ^ “本田真凜、引退時期は「大学生が終わるまで」モチベーションは妹望結との夢”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2021年10月9日). https://www.nikkansports.com/sports/news/202110090001160.html 2022年1月4日閲覧。 ^ “本田真凜が口にした“終わり”と再起への思い 大学限りで引退示唆「また輝けるように」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2021年10月10日). https://www.daily.co.jp/general/2021/10/10/0014748751.shtml 2022年1月4日閲覧。 ^ “本田真凜「この舞台で滑れてすごくうれしい」/フィギュア”. サンスポ (産経デジタル). (2021年12月25日). https://www.sanspo.com/article/20211225-5CQR3KTWT5LOVOZN37VLE55H6A/ 2023年11月5日閲覧。 ^ “本田真凜は合計156・53点で21位「もっと自分はできるんだぞ」苦しかった4年間「感情を取り戻した」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2021年12月25日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/12/25/kiji/20211225s00079000428000c.html 2023年11月5日閲覧。 ^ “本田真凜がフリー進出ならず 出場8度目で初 全日本フィギュア。”. 毎日新聞 (株式会社毎日新聞社). (2022年12月22日). https://mainichi.jp/articles/20221222/k00/00m/050/105000c 2022年12月24日閲覧。 ^ “本田真凛が号泣 ギリギリ5位で全日本選手権進出!「ネガティブな感情たくさん」も勝負強さ発揮”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年11月4日). https://www.daily.co.jp/general/2023/11/04/0016992840.shtml 2023年11月5日閲覧。 ^ [“本田真凜はSP最下位でフリー進めず…右骨盤負傷も万感舞い「闘い抜いたこと誇り」進退は明言せず”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2023年12月22日). [https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2023/12/22/kiji/20231222s00079000540000c.html 2024年1月15日閲覧。 ^ “【フィギュア】本田真凜が引退発表、11日会見 昨年末には「悔いも何一つない」万感思い口に”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2024年1月5日). https://www.nikkansports.com/sports/news/202401050000773.html 2024年1月15日閲覧。 ^ “本田真凜 涙なく笑顔の引退会見「幸せな競技生活だった」今後はプロ転向へ 宇野昌磨の質問には照れ笑い”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2024年1月11日). https://www.daily.co.jp/general/2024/01/11/0017213813.shtml 2024年1月15日閲覧。 ^ 『わたしたちの金メダル'16芽生え』関テレ2016年3月26日 ^ “チャンネルΣ・フィギュアスケート本田4兄妹「わたしたちのレベル4」|2015/03/14(土)放送”. フジテレビ. 2015年3月14日閲覧。 ^ “新コーチが語る本田真凜 「まだ30%」、才能の開花待つ”. 時事ドットコム (時事通信社). (2018年11月20日). https://www.jiji.com/jc/v4?id=201901figuremarin0001 2022年11月27日閲覧。 ^ “フィギュア、今季GPは得点非公認 変則開催で”. 日本経済新聞. (2020年10月27日). https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK20048_X21C20A0000000/ 2021年9月11日閲覧。 ^ “本田真凜がスケートカナダ出場へ”. スポニチ. 2023年7月8日閲覧。 ^ “本田真凜、来季フリーは「ラ・ラ・ランド」 不振脱出へ「自分信じる」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2019年4月28日). https://www.daily.co.jp/general/2019/04/28/0012282496.shtml 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田選手に京都市がスポーツ栄誉賞”. 産経ニュース (産経デジタル). (2016年4月5日). https://www.sankei.com/article/20160405-XXK3J4HAFVMJTHEHGPCJUEZXUY/ 2022年11月27日閲覧。 ^ “★京都府スポーツ賞未来くん賞ならびに京都府スポーツ特別奨励賞表彰式 世界ジュニアフィギュアスケート選手権大会 金メダル 本田 真凜 選手★”. 京都府 生涯学習・スポーツ情報 (2016年4月15日). 2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜「すごくうれしい」関西スポーツ賞”. 日刊スポーツ (日刊スポーツNEWS). (2017年1月16日). https://www.nikkansports.com/sports/news/1766185.html 2022年11月27日閲覧。 ^ “フィギュアの本田真凛に京都府スポーツ賞 「目標のオリンピック目指して頑張る」”. 産経ニュース (産経デジタル). (2017年4月11日). https://www.sankei.com/article/20170411-D4R26INPYBJHNENIU4ZOCIDRZU/ 2022年11月27日閲覧。 ^ “内川聖一&岩隈久志&小野伸二が『すぽると!』新解説者 本田真凜は「αすぽると!」に登場”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年3月13日). 2024年3月13日閲覧。 ^ “本田真凜、ゴースト役で声優初挑戦!『ゴーストバスターズ』吹替版にチョコプラと参戦、最新予告が公開”. シネマトゥデイ. (2024年2月29日). https://www.cinematoday.jp/news/N0141671 2024年2月29日閲覧。 ^ “ゴーストバスターズ フローズン・サマー -日本語吹き替え版”. 吹替キングダム (2024年4月1日). 2024年4月1日閲覧。 ^ “松井愛莉&本田真凜選手、華麗にフィニッシュポーズ”. 時事ドットコム. (2016年9月8日). オリジナルの2016年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160915123932/http://www.jiji.com/jc/article?k=g160626&g=ent 2016年9月9日閲覧。 ^ “フィギュアスケーター本田真凛が松井愛莉と共演で『ガーナアイス』CMデビュー!”. ガジェット通信. (2016年9月9日). https://getnews.jp/archives/1518549 2021年1月4日閲覧。 ^ “本田真凜出演。「真っ赤って、ときめき。本田真凜スケート」篇”. ガーナ. ロッテ. 2018年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月15日閲覧。 ^ “本田真凜、キュートなOKポーズをCMで披露!”. エンタメRBB. (2017年10月26日). https://www.rbbtoday.com/article/2017/10/26/155620.html 2021年1月4日閲覧。 ^ “本田真凜、三姉妹の中で「私が一番しっかりしていない」と反省”. マイナビニュース. (2020年12月4日). https://news.mynavi.jp/article/20201204-1555845/ 2021年1月3日閲覧。 ^ ディズニー・スタジオ [@disneystudiojp] (2017年7月13日). "タンタンタラランラン~♪ 海賊(パイレーツ)姿で華麗に舞う、本田真凜さんの夏限定エキシビション映像が解禁✨ あこがれのパイレーツのテーマ曲に、気持ちを乗せて踊ってくれました! t.co/y3QPPz7Om8 #パイレーツオブカリビアン #最後の海賊". X(旧Twitter)より2022年11月27日閲覧。 ^ “『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』海賊(パイレーツ)姿で華麗に舞う本田真凜さんの夏限定エキシビション映像解禁!”. ディズニー公式 (2017年7月13日). 2017年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月15日閲覧。 ^ 『コーセー、いま最注目のフィギュアスケート選手 本田真凜選手と契約。女優 すみれさんと、メイクの魅力をキュートなシンクロダンスで表現 ふたりで踊る「Dancing Make Up」WEBムービー完成』(プレスリリース)株式会社コーセー、2017年10月2日。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000028807.html。2022年11月27日閲覧。 ^ “本田真凜 with すみれ Dancing Make Up”. YouTube. KOSE SPORTS BEAUTY NEWS チャンネル (2017年10月2日). 2022年11月27日閲覧。 ^ “フィギュアスケート本田真凜選手とスポンサー契約いたしました。”. 株式会社アクアバンク (2016年). 2022年11月27日閲覧。 ^ 『JAL、本田真凜選手とスポンサー契約締結』(プレスリリース)日本航空株式会社、2016年11月21日。http://press.jal.co.jp/ja/release/201611/004036.html。2022年11月27日閲覧。 ^ 『フィギュアスケート樋口新葉選手、本田真凜選手とスポンサー契約締結』(プレスリリース)株式会社プリンスホテル、2016年12月22日。オリジナルの2017年6月12日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20170612073613/https://www.princehotels.co.jp/press/161222_02.html/。2024年1月15日閲覧。 本田真凜オフィシャルサイト 本田真凜 (@marin_honda) - Instagram 本田姉妹やで (@hondashimaiyade) - X(旧Twitter) 本田姉妹やで - YouTubeチャンネル まりん日記 - YouTubeチャンネル 国際スケート連盟による本田真凜のバイオグラフィー(英語) 日本スケート連盟による強化紹介 - 本田 真凜 - ウェイバックマシン(2021年1月27日アーカイブ分) 表 話 編 歴 1976: スージー・ブラッシャー 1977: キャロリン・スコッチェン 1978: ジル・ソーヤー 1979: エレイン・ザヤック 1980: ロザリン・サムナーズ 1981: ティファニー・チン 1982: ヤニナ・ヴィルト 1983: シモーネ・コッホ 1984: カーリン・ヘンチュケ 1985: タチアナ・アンドレーワ 1986: ナタリア・ゴルベンコ 1987: シンディ・ボーツ 1988: クリスティー・ヤマグチ 1989: ジェシカ・ミルズ 1990: 佐藤有香 1991: スルヤ・ボナリー 1992: レティシア・ユベール 1993: 小岩井久美子 1994: ミシェル・クワン 1995: イリーナ・スルツカヤ 1996: エレーナ・イワノワ 1997: シドニー・ボーゲル 1998: ユリア・ソルダトワ 1999: ダリア・ティモシェンコ 2000: ジェニファー・カーク 2001: クリスチーナ・オブラソワ 2002: アン・パトリス・マクドノー 2003: 太田由希奈 2004: 安藤美姫 2005: 浅田真央 2006: キム・ヨナ 2007: キャロライン・ジャン 2008: レイチェル・フラット 2009: アリョーナ・レオノワ 2010: 村上佳菜子 2011: アデリナ・ソトニコワ 2012: ユリア・リプニツカヤ 2013: エレーナ・ラジオノワ 2014: エレーナ・ラジオノワ 2015: エフゲニア・メドベージェワ 2016: 本田真凜 2017: アリーナ・ザギトワ 2018: アレクサンドラ・トゥルソワ 2019: アレクサンドラ・トゥルソワ 2020: カミラ・ワリエワ 2022: イザボー・レヴィト 2023: 島田麻央 2024: 島田麻央 日本の女子シングルスケーティング選手 世界ジュニアフィギュアスケート選手権日本代表選手 過去のオスカープロモーション所属者 日本航空のスポーツ関係者 明治大学の人物 日本の女性YouTuber 青森山田高等学校出身の人物 関西高等学校出身の人物 京都府出身のスポーツ選手 京都市出身の人物 2001年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension 出典テンプレートの呼び出しエラーがある記事/accessdate ウィキデータにあるISU ID
2024/11/20 01:40更新
|
honda marin
本田真凜と同じ誕生日8月21日生まれ、同じ大阪出身の人
TOPニュース
本田真凜と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「本田真凜」を素材として二次利用しています。