杉本健吉の情報(すぎもとけんきち) 洋画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
杉本 健吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
杉本健吉と関係のある人
上司海雲: 後に(1971年(昭和46年))、七人会(入江泰吉、上司海雲、熊谷九寿、杉本健吉、鈴木光、須田剋太、水島弘一)を結成し、奈良の芸術文化に力を注いだ。 上司海雲: 杉本健吉(画家)、会津八一(歌人・早大教授)、入江泰吉(写真家)、須田剋太(洋画家)などが出入りした。杉本健吉は一時観音院のなかにアトリエを設けることをゆるされ、東大寺や奈良の街角の風景などを描いた。 土川元夫: また、没後に着工されたリトルワールドも土川が万博にヒントを得た構想を具現化したものであり、地元画家杉本健吉の作品を集めた杉本美術館など、その後に数多くの施設を生み出した計画も土川の発案が基となっている。 入江泰吉: 上司を介して、会津八一(歌人)、小林秀雄(批評家)、亀井勝一郎(批評家)、広津和郎(小説家)、吉井勇(歌人)、棟方志功(版画家)、杉本健吉(洋画家)、須田剋太(洋画家)らの知遇を得る。 入江泰吉: 入江の風景写真には雨、雪、霧、雲などが効果的に写し込まれることが多く、しっとりとした情感にあふれているので、親友・杉本健吉にミスター・ウエット・イリエと評された。 石飛博光: 『わたしだけの般若心経読み書き手本』藤井正雄,杉本健吉共著 小学館 2002 |
杉本健吉の情報まとめ
杉本 健吉(すぎもと けんきち)さんの誕生日は1905年9月20日です。愛知出身の洋画家のようです。
現在、卒業、引退に関する情報もありますね。2004年に亡くなられているようです。
杉本健吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)杉本 健吉(すぎもと けんきち、1905年9月20日 - 2004年2月10日)は、日本の洋画家、イラストレーター、グラフィックデザイナー。 愛知県名古屋市生まれ。幼少期を津島市で過ごす。津島第一尋常小学校(現在の津島市立南小学校)卒業。1923年に旧制愛知県立工業学校(現在の愛知県立愛知工業高等学校)を卒業後、加藤静児のアドバイスにより図案家、今でいうグラフィックデザイナーとして鉄道会社を中心としたポスターや商業デザインの仕事を手がける。1925年に京都に出向き岸田劉生の門下に入る、1926年に「花」で春陽会に初入選。その後、吉川英治作の『新・平家物語』・『私本太平記』等の挿絵を担当し絶賛を得る。1949年、東大寺観音院住職上司海雲師の知遇を受け、観音院の古土蔵をアトリエにしてもらい、奈良の風物を描く。奈良では志賀直哉、入江泰吉らと交流する。1971年、画壇(国画会)よりの引退を表明。しかし、画家としての創作は続ける。 1987年、名古屋鉄道により、愛知県知多郡美浜町美浜緑苑に杉本美術館が開館し、売らずにいた絵画が収蔵された。また、この美術館の近くに、名古屋鉄道は名鉄知多新線 美浜緑苑駅を設けた。晩年まで毎週、同美術館に足を運び、美術館内に設けられたアトリエで、デッサンや来館者との歓談を楽しんでいたが、2004年肺炎のため死去、享年98歳。同美術館は2021年閉館。 1905年:名古屋市で生まれる。父は人形浄瑠璃三味線師匠の杉本銀次郎。 1923年:旧制愛知県立工業学校図案科卒業。 1925年:岸田劉生の門をたたく。 1926年:「花」で春陽会初入選。 1950年:平家物語を題材にした吉川英治作(週刊新潮連載)『新・平家物語』の挿絵を担当する。 1977年:名古屋市ヒマラヤ美術館に展示室開設。 1987年:愛知県知多・美浜緑苑に財団法人杉本美術館が開館。 1989年:世界デザイン博覧会に陶壁を制作する。 1994年:「画業70年の歩み 杉本健吉展」を愛知県美術館で開催。 2004年:肺炎のため亡くなる。享年98。 1926年:春陽会展に入選(「花」) 1927年:大調和展入選(「幕間」) 1931年:国画会展入選(「秋郊」その他) 1942年:新文展特選(「博物館中央」) 1946年:日展(日本美術展覧会)特選(「博物館彫刻室」) 名鉄3780系電車(ライトパープル)・名鉄7000系パノラマカー(スカーレット)・名鉄交通のタクシー(エメラルドグリーンとアイボリーホワイトのツートンカラー)や名古屋市営地下鉄東山線(ウィンザーイエロー)の車両色。鯱バスの塗装デザイン。 青柳ういろう(小野道風の故事をもとに、柳に飛びつくカエルの姿を図案化)や、中部電力(「電」を図案化)・名鉄百貨店(「名」を図案化)の社章(いずれも初代)。 名古屋市営地下鉄のマーク(地下鉄のトンネルと線路、名古屋市の丸八マークを図案化)のデザイン。 常滑市の市章(「常」の字を図案化)のデザイン。 東大寺が経営する東大寺学園中学校・高等学校(奈良市山陵町)において、中学棟・高校棟を繋ぐ「転心殿」を榊莫山と合作し、同校へ寄贈した。 大須観音の鐘楼堂の華精の鐘(女人梵鐘)のデザイン(四面の池の間に、四季の花、梅、牡丹、蓮、菊、その中心に、華の精の姿を描く)。 吉川英治が亡くなった時、杉本健吉は感謝の意を込めて、新・平家物語の主人公に囲まれた吉川英治の絵と手紙を描いた。 名古屋能楽堂が完成し、その鏡板(舞台の背景)の制作を担当した際、他の能楽堂では定番となっている老松を描くところを、杉本健吉は若松を描いたため物議を醸した。これに対し本人は「できたばかりだから元気が良く若々しい松の方が似合う」「伝統に決まったものはない」と語っていた。後に老松の鏡板も描かれ、隔年で配置されている。 晩年「(やりたいことを)行えばいいんです。私の場合は自然の中でたわむれているうちに絵ができた。それが私の人生だった。」との言葉を残している。また、「長生きするのが目標ではなく、絵を描くのが目的で、そのために長生きしている」とも。100歳になる年の愛知万博に自分の絵を出品して参加することを目標としていたが、その願いはかなわなかった。 『新平家・画帖』朝日新聞社 1956年 - 1958年 『修二絵画帖』美術出版社 1958年 『墨絵奈良』角川書店のち求龍堂 1960年 『画帖私本太平記』毎日新聞社 1963年 『画帖新水滸伝』講談社 1963年 『幻想奈良』求竜堂 1967年 『新平家絵物語』杉本健吉画集刊行会 1970年 『杉本健吉奈良作品集 油絵・墨絵』杉本健吉画集刊行会 1970年 『墨彩大和』求竜堂 1975年 『海外スケッチ』求竜堂 1976年 『杉本健吉作品集』駸々堂出版 1976年 『杉本健吉素描集』朝日新聞社 1981年 『杉本健吉展図録』朝日新聞東京本社(現代洋画家デッサン・シリーズ) 1981年 『聖徳太子御絵伝 四天王寺絵堂障壁画』総本山四天王寺 1983年 『秘苑 杉本健吉画集』求竜堂 1985年 『杉本健吉展図録』朝日新聞名古屋本社 1986年 『新・平家絵物語屏風』名古屋鉄道 1987年 『杉本美術館 開館一周年記念展』名古屋鉄道 1988年 『杉本健吉展 画業70年のあゆみ』愛知県美術館 1994年 『続・新・平家絵物語屏風』名古屋鉄道 1995年 『杉本美術館 開館十周年記念展』名古屋鉄道 1997年 『余生らくがき 杉本健吉画文集』求龍堂 2001年 『わたしだけの般若心経読み書き手本』藤井正雄、石飛博光共著 小学館 2002年 『杉本健吉展 新収蔵記念』愛知県美術館 2008年 『東大寺美の小箱 杉本健吉画文集』入江泰吉写真 求龍堂 2010年 『宮脇晴と杉本健吉 旅先の風景』知多市歴史民俗博物館 2011年 ^ 朝日新聞東京本社企画部 編『杉本健吉展図録』朝日新聞東京本社〈現代洋画家デッサン・シリーズ〉、1981年。全国書誌番号:92040727。 ^ 3780系電車登場前に、既に本色に塗り替えられた他形式が登場していたが、新造時に本色であったのは本形式のみ。 ^ “市の概略”. 常滑市. 2021年5月1日閲覧。 杉本美術館 杉本健吉 | 新潟市會津八一記念館 杉本健吉 : 作者データ&作品一覧 | 収蔵作品データベース | 刈谷市美術館 杉本健吉 - 神田画廊名古屋 杉本健吉 - NHK人物録 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ 洋画家 日本のグラフィックデザイナー 日本のイラストレーター 日本の鉄道車両デザイナー 名古屋市出身の人物 1905年生 2004年没 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事
2024/11/20 00:47更新
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sugimoto kenkichi
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