松木ひろしの情報(まつきひろし) 脚本家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松木 ひろしさんについて調べます
■名前・氏名 |
松木ひろしと関係のある人
石立鉄男: 以後、『気になる嫁さん』、『パパと呼ばないで』、『雑居時代』、『水もれ甲介』、『気まぐれ天使』、『気まぐれ本格派』と通算8年にわたり、日本テレビとユニオン映画製作、松木ひろし脚本によるホーム・コメディドラマ(疑似家族物語)の主演を続け、お茶の間の人気者となる。 窪田篤人: 1970年に逸見稔が立ち上げた創作作家集団SHP・葉村彰子を植木昌一郎、向田邦子、松木ひろし、津田幸夫らとともに担当。 臼井正明: 芝区赤羽小学校(現港区立赤羽小学校)で児童文学作家の中村博と同級生になり、東京府立第五中学校では、澁澤龍彥、脚本家の松木ひろしと同級生になった。 植木昌一郎: 葉村彰子と名乗り向田邦子、松木ひろし、窪田篤人、津田幸夫、大西信行、櫻井康裕、田口耕三、柴英三郎、加藤泰らを束ね、「ナショナル劇場」を始めテレビドラマに革命を起こす。 田波靖男: しかしながら無責任シリーズ2本にあった毒は打ち消されたものとなった(初期2本のみは松木ひろしとの共作名義となっていることから、消え去った毒や過激さは松木の作風とする批評もあったが、実際は松木は名前のみで田波が一人で執筆したと後年の著書で記している)。 剣持直明: 『娑婆に脱帽』(だるま企画プロデュース)作:松木ひろし 演出:菊地一浩 星里もちる: 以降は小学館『ビッグコミック』系青年誌を中心に活動し、1970年代の松木ひろし脚本作品を思わせるホームドラマコメディと内向的でリアルなドラマを往復、または両者が入り混じった作風が特徴となる。 向田邦子: 当時のテレビ界は、映画出身の作家に対しテレビラジオ出身の作家の待遇が悪く、その待遇改善のため、逸見稔が立ち上げた創作作家集団SHP・葉村彰子を植木昌一郎、松木ひろし・窪田篤人・津田幸夫らと担当。 石立鉄男: 石立をドラマの主演に起用した経緯として、脚本担当の松木ひろしは「当時アメリカにいたトニー・カーチスやロック・ハドソンのように喜劇の出来る二枚目俳優を探していたところ、顔が二枚目で、芝居は三枚目もシリアスな役も出来る珍しい俳優さんだったから」と述べている。 増村保造: この子の七つのお祝いに(1982年、松竹=角川春樹事務所)原作:斎藤澪、脚本:松木ひろし・増村保造 |
松木ひろしの情報まとめ
松木 ひろし(まつき ひろし)さんの誕生日は1928年11月16日です。東京出身の脚本家のようです。
卒業、映画、テレビ、ドラマ、結婚に関する情報もありますね。2016年に亡くなられているようです。
松木ひろしのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松木 ひろし(まつき ひろし、1928年11月16日 - 2016年9月19日)は、東京市神田区(現・東京都千代田区)出身の脚本家。本名は松木 弘。 東京府立第五中学校での友人に澁澤龍彥がいる。旧制東京高校を卒業後、大学受験に失敗。鎌倉アカデミア夜間講座映画科で学ぶ。 自身の劇団を作って活動をしたのち、1950年に明治座の文芸部に入社、企画宣伝を担当。明治座時代に舞台を観ていいなとおもったのは、菊田一夫や飯沢匡の芝居だったと話していたことがある。 1954年のニッポン放送の開局とともに同社に入社してラジオ番組の制作にたずさわる。同社に勤務しながら村田正雄、旭輝子、池田昌子、三田佳子らと劇団「現代劇場」を立ち上げる。1958年、同劇団にて上演した「娑婆に脱帽」の脚本が第4回新劇戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)の候補作品となる。 1958年のフジテレビの開局にともない、出向して演出を担当。自らが演出していたコメディ『ぼうふら紳士』で一部の脚本を担当し、テレビ脚本家デビュー。その後、盛んに脚本を書くようになり、1961年に独立。 テアトル・エコーにも、脚本を提供。クレイジーキャッツの〈無責任〉シリーズの一部を始め、ザ・ドリフターズやコント55号の主演作など、喜劇映画の脚本を多く手がける。 当時のテレビ界は、映画出身の作家に対してテレビラジオ出身の作家の待遇が悪く、その待遇改善のため、1970年に向田邦子・松木ひろし・窪田篤人・津田幸夫らによって作家集団SHPを作る。その発展形として逸見稔が中心となった作家集団葉村彰子にも参加し、テレビドラマ『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』なども手がけた。 ホームドラマのコメディを得意とし、向田邦子らとともにテレビドラマ『七人の孫』『だいこんの花』など森繁久彌主演のホームドラマを執筆。また『おひかえあそばせ』ではじまる、1970年代の石立鉄男主演の「石立ドラマ」ではそのほとんどで、メイン脚本家として活躍した。 2016年9月19日午後3時20分、急性白血病のため死去。87歳没。 ぼうふら紳士(1960年、フジテレビ) ※演出兼務 墓場はバラ色(1960年、フジテレビ) 間違いではじまった(1960年、日本テレビ) この線からアッチ(1960年、フジテレビ) くりすます・ロータリー(1960年、NET) 夜の見た炎(1961年5月 - 9月、フジテレビ) 若い川の流れ(1962年2月6日 - 2月27日、フジテレビ) 二十歳の設計(1962年4月 - 5月、フジテレビ) 娑婆に脱帽(1962年5月、フジテレビ) 仮面の女(1962年12月 - 1963年5月、KTV) このデッカイ夢(1963年5月 - 9月、フジテレビ) 七人の孫(1964年1月 - 7月、1965年6月 - 1966年2月、TBS) 光る海(1965年2月 - 5月、TBS) 青空にらくがきしよう(1965年3月 - 10月、フジテレビ) 東京警備指令 ザ・ガードマン(TBS) 雨の中に消えて (日本テレビ)(1966年)第1回、第2回、第7回、第8回、第10回、第12回 あいつと私(1967年2月13日 - 7月3日、日本テレビ) ある日わたしは(1967年10月23日 - 1968年4月29日、日本テレビ) もも・くり三年(1968年8月 - 9月、NET) アーラわが君(1969年 - 1970年、フジテレビ) S・Hは恋のイニシァル(1969年、TBS) だいこんの花(1970年10月22日 - 12月24日、NET) 新・だいこんの花(1972年1月6日 - 6月29日、NET) にんじんの詩(1972年7月6日 - 11月9日、NET) おきあがりこぼし(1970年11月 - 1971年1月、日本テレビ) おひかえあそばせ(1971年、日本テレビ) 気になる嫁さん(1971年、日本テレビ) パパと呼ばないで(1972年、日本テレビ) 火曜日の女シリーズ 木の葉の家(1972年) 雑居時代(1973年、日本テレビ) 水もれ甲介(1974年、日本テレビ) うしろの正面(1975年、NET) 気まぐれ天使(1976年、日本テレビ) 気まぐれ本格派(1977年、日本テレビ) 自由学校(1978年、NHK) 敵か?味方か?3対3(1978年、テレビ朝日) 消えた巨人軍(1978年、日本テレビ) 聖女房(1979年、日本テレビ) 池中玄太80キロ(1980年・1981年・1989年、1992年10月6日、日本テレビ) 玉ねぎむいたら…(1981年、TBS) 俺はご先祖さま(1981年、日本テレビ) ※演出兼務 はらぺこ同志(1982年、TBS)演出も。 明石貫平35才(1983年、日本テレビ) パパになりたかった犬(1984年、日本テレビ) シンデレラの財布(1984年、TBS) なぜか、ドラキュラ(1984年、日本テレビ) のん姉ちゃん・200W(1985年、日本テレビ) なんて素敵にジャパネスク(1986年、日本テレビ) 結婚物語(1987年、日本テレビ) 遠山金志郎美容室(1994年、日本テレビ) ※演出監修兼務 僕は独身社員(1960年) 脚本 サラリーマン目白三平 女房の顔の巻(1960年) 脚本 サラリーマン目白三平 亭主のためいきの巻(1960年) 脚本 トイレット部長(1961年) 脚本 豚と金魚(1962年) 脚本 ニッポン無責任時代(1962年) 脚本 あいつばかりが何故もてる(1962年) 脚本 月給泥棒(1962年) 脚本 ニッポン無責任野郎(1962年) 脚本 にっぽん実話(スキャンダル)時代(1963年) 脚本 散歩する霊柩車(1964年) 脚本 石中先生行状記(1966年) 脚本 ドリフターズですよ!前進前進また前進(1967年) 脚本 春らんまん(1968年) 脚色 カモとねぎ(1968年) 脚本 サラリーマン悪党術(1968年) 脚本 年ごろ(1968年) 脚本 ドリフターズですよ!冒険冒険また冒険(1968年) 脚本 コント55号 世紀の大弱点(1968年) 脚本 燃えろ!青春(1968年) 脚本 涙の季節(1969年) 脚本 いまに陽が昇る(青樹社 1967年) 鬼退治(松木ひろし、葉村彰子 ルック社 1971年) どてかぼちゃ(松木ひろし、葉村彰子 双葉社 1976年) 続どてかぼちゃ(松木ひろし、葉村彰子 双葉社 1976年) 池中玄太80キロ(松木ひろし原作 新樹瞳志編著 日本テレビ放送網 1980年10月) 池中玄太80キロ2(松木ひろし原作 新樹瞳志編著 日本テレビ放送網 1981年6月) 池中玄太80キロ3(松木ひろし原作 新樹瞳志編著 日本テレビ放送網 1981年8月) 雑誌『ドラマ』1980年7月号「仕事場訪問」 書籍『現代日本戯曲大系 4』 「娑婆に脱帽」 ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年7月19日号「脚本家の横顔」65頁 ^ “脚本家・松木ひろしさん死去 ドラマ「池中玄太」など”. 朝日新聞. (2016年9月20日). http://www.asahi.com/articles/ASJ9N61JQJ9NUCLV00V.html 2016年9月20日閲覧。 ^ 『澁澤龍彦全集』第12巻588ページ ^ “松木ひろしさん87歳=放送作家、脚本家”. 毎日新聞 (2016年9月20日). 2020年9月18日閲覧。 ^ 逸見稔『黄門様はテレビ好き』(近代映画社)P.262 ^ 日外アソシエーツ現代人物情報 葉村彰子 - 松木も参加。 VIAF WorldCat アメリカ 日本 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 20世紀日本の脚本家 日本のテレビの脚本家 日本の映画の脚本家 フジテレビの人物 ニッポン放送の人物 旧制東京高等学校出身の人物 東京都立小石川中等教育学校出身の人物 東京都区部出身の人物 白血病で亡くなった人物 1928年生 2016年没 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 文人関連のスタブ
2024/11/22 16:49更新
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matsuki hiroshi
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