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松本亜紀の情報 (まつもとあき)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

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松本 亜紀さんについて調べます

■名前・氏名
松本 亜紀
(読み:まつもと あき)
■職業
タレント
■松本亜紀の誕生日・生年月日
1969年11月23日 (年齢54歳)
酉年(とり年)、射手座(いて座)
■出身地・都道府県
東京出身

(昭和44年)1969年生まれの人の年齢早見表

松本亜紀と同じ1969年生まれの有名人・芸能人

松本亜紀と同じ11月23日生まれの有名人・芸能人

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松本亜紀の情報まとめ

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松本 亜紀(まつもと あき)さんの誕生日は1969年11月23日です。東京出身のタレントのようです。

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歴史、メンバーなどについてまとめました。テレビ、解散、脱退、卒業、事件、ドラマ、映画、姉妹、引退、現在、子役に関する情報もありますね。松本亜紀の現在の年齢は54歳のようです。

松本亜紀のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、フジテレビテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ。1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて活動した。

1985年(昭和60年)4月1日、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』開始とともに番組内のアシスタントとして同時に芸能界デビューし、3か月後の1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイクした。会員番号制度、歌詞に含まれる独特のユーモア、本業の学生活動を優先させるクラブ活動的感覚での芸能活動で人気を博して一大ブームとなる。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内の小ユニット(『うしろゆびさされ組』『ニャンギラス』『うしろ髪ひかれ隊』)名義で、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースし続けてヒットさせ、おニャン子現象と呼ばれる社会現象となり、1980年代後半の日本のアイドルシーンを席捲した。1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、翌9月に解散コンサートを行ない、わずか2年半でその活動が閉じられた。2年半の間にメンバーの加入と脱退が頻繁に行われたので、メンバーの顔ぶれは常に流動的であった。結成時は11人で、解散時は19人が在籍していた。おニャン子クラブは日本で最初の大人数アイドルグループとされ、メンバーを固定せず、卒業や新メンバーの加入があるという、1980年代当時において画期的なアイドルグループであった。おニャン子クラブの登場は、日本の音楽シーンに、アイドル観に、そしてテレカ等の販売を巡るパブリシティ権の問題(おニャン子クラブ事件)に、大きく揺さぶりをかけた。

歴史

結成までの経緯

1983年(昭和58年)から始まったフジテレビ土曜深夜の生放送番組『オールナイトフジ』は、"女子大生ブーム"を巻き起こすなど社会的現象ともいえるほどにヒットし、そのヒットの一翼を担った番組アシスタントの女性グループ、オールナイターズもアイドル的な人気と活動展開で盛り上がっていた。彼女らは既存の芸能人ではない素人の女子大生たちを中心に構成されていて、それまで崇高な存在であったアイドル像とは相反していたことで注目を浴びていた。素人女子大生集団のオールナイターズがレコードを出したりタレントに転身するといった流れは、おニャン子クラブやおニャン子以降のグループアイドルの原点とされ、後世に絶大な影響を及ぼした。

その成功から、フジテレビは同じスタッフによるもので、平日夕方の時間帯で中高生をメインターゲットに放送する、『オールナイトフジ』と同様な生放送の情報バラエティ番組『夕やけニャンニャン』の開始と、オールナイターズに相当する番組アシスタントの女性グループ、おニャン子クラブの結成を企画する。

1985年(昭和60年)

1985年4月からの夕方ローカル放送枠で行うレギュラー番組に先駆けて、まずはパイロット番組として、1985年初頭に特番『オールナイトフジ女子高生スペシャル』(1985年2月23日、3月16日)を制作して放送。その特番に出演していた女子高生の中から選抜した11人でおニャン子クラブを結成し、4月1日から『夕やけニャンニャン』放送開始とともに出演させた。

おニャン子クラブは当初からメンバーの増員を図ることとなった。『夕やけニャンニャン』番組開始時からメンバー選定のオーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」を設けて、それに合格した新メンバーが続々と加入していく。平日月曜から金曜まで夕方5時からの一時間番組だった『夕やけニャンニャン』の番組コンセプトに“放課後”を置いていたため、現役の女子高生が中心に集められた。また、「どこにでもいそう」、「ちょっと気になる可愛い同級生」と、オールナイターズのコンセプトが踏襲されて、芸能界に染まっていない素人感覚のメンバーを集めたのだが、当初から芸能界志向のある者や、その関連オーディションの常連者、既に芸能事務所に所属していた者、オールナイターズ出身者で既に名前が知られていた者まで参加していた。

『夕やけニャンニャン』放送開始から3か月後の7月5日にシングル「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビュー。たちまちにヒットしていき、当初から評判があった番組とおニャン子クラブの人気はここでブレイクした。それを期に『夕やけニャンニャン』は番組開始当初は7局ネットだったのが年内には全国ネット規模の23局ネットまで拡大していく。当初3%だった視聴率も、年末には18%を超えるようになる。また、おニャン子クラブは、フジテレビの他の番組である『夜のヒットスタジオDELUXE』や『スターどっきり㊙報告』、他局人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)にも出演を果たし、さらにアイドル情報雑誌の『明星』『平凡』『DUNK』などにも登場して全国的な知名度も上がっていくようになる。

1985年9月、「セーラー服を脱がさないで」のヒットで軌道に乗ったおニャン子クラブから、そのメンバーのひとりであった河合その子が「涙の茉莉花LOVE」でメンバー初のソロデビューを果たす。オリコン週間チャートで初登場5位、翌週には1位を獲得。女性アイドルとしては薬師丸ひろ子以来となる、デビュー作チャート首位という快挙を成し遂げる。翌10月には、そのメンバーから高井麻巳子と岩井由紀子(ゆうゆ)のふたりで結成された初のグループ内ユニット、うしろゆびさされ組がフジテレビにおける新番組のアニメ『ハイスクール!奇面組』主題歌「うしろゆびさされ組」でデビューして、こちらもまたヒットして『夕やけニャンニャン』発のおニャン子クラブ関連曲は成功を収め続けた。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ、グループ内ユニットのシングル曲を続々と繰り出し、いずれもヒットを記録していった。

おニャン子クラブは、テレビ番組での歌唱にとどまらず、10月に初の有料コンサートを開催。フジテレビの関連会社、フジパシフィック音楽出版が運営する公式ファンクラブの「こニャン子クラブ」も発足し、最盛期で18万人の会員数が集まった。また、おニャン子クラブが番組内でタイアップで着ていた、原宿のブティック、セーラーズの服が番組の影響で爆発的に売れるという現象が起こった。それを参考に「Hip's road」というフジテレビによる独自ブランドを立ち上げ、グッズ販売だけで番組のスポンサー収入に匹敵する事業収益をあげるなど、おニャン子クラブは単なる番組企画的な存在から、フジテレビにおける収益事業のひとつに向けて変換されていく。

1986年(昭和61年)

1月、「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人のうちのひとりだった新田恵利が「冬のオペラグラス」でソロデビュー。オリコン初登場1位となり、30万枚以上の売り上げを記録する。新人女性歌手のデビュー曲初登場1位は初めての記録であった。同月、フジテレビ単発ドラマ枠の「月曜ドラマランド」において、おニャン子クラブのメンバー初主演ドラマとなった福永恵規主演『ボクの婚約者』放送。以後、同枠では月に一、二本のペースでおニャン子クラブのメンバーを主演に置いたものが放送されるようになっていく。

2月、おニャン子クラブ結成時からの人気メンバーであった国生さゆりが「バレンタイン・キッス」で満を持してデビュー。3月、「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人のうちのひとりだった中島美春が専門学校に進学するため、河合その子がソロ活動に専念するためにおニャン子クラブを脱退する。それを受けて、『夕やけニャンニャン』の番組内と同時期に開催されたおニャン子クラブのコンサートツアー最終公演でふたりの“卒業式”が執り行われ、華々しく送り出されていく。これが慣例となり、以後おニャン子クラブから脱退していく主要メンバーに対して、番組内とその同時期にあるコンサートツアー最終公演で“卒業式”が行われるようになっていく。現代において、モーニング娘。やAKB48、乃木坂46などのグループアイドルが採用している卒業システムは、おニャン子クラブがその先駆けである。

一方でこの時期、おニャン子クラブ関連が毎週2~3組もランキングしていたTBSの『ザ・ベストテン』に、フジテレビと『夕やけニャンニャン』側は「順位が低い」とランキングについて異議を唱える。このランキングの見解を巡ったことによる双方の溝は埋まらなかった。7月からフジテレビと『夕やけニャンニャン』側は、おニャン子クラブ、ソロ、グループ内ユニット、そしておニャン子クラブから脱退したOGも含めた全ての出演を『ザ・ベストテン』に対してボイコットしていく。これは翌1987年4月まで半年以上にわたって長引いていくことになってしまった。

9月の番組内およびコンサートツアー最終公演で、新田恵利、名越美香、福永恵規、吉沢秋絵、山本スーザン久美子の結成時からのメンバーを含む5名が卒業しておニャン子クラブを脱退。それと前後して、集英社刊行の女性ファッション誌『Seventeen』主催のオーディション「ミス・セブンティーン」とコラボレーションした「ザ・スカウト アイドルを探せ!」によって選ばれた貝瀬典子ら新世代のメンバーが大量に加入。番組開始当初は毎日出演、この頃は週一でレギュラー出演していたとんねるずの石橋貴明は、新メンバーの顔と名前が一致しないと嘆くようになる。

『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブは1986年前半から中盤に掛けては前年以上のブームを巻き起こしたのだが、後半である秋口あたりからブームの退潮が見られるようになっていく。8月末に全国公開された主演映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』が興行的に失敗に終わる。そして、5月からゴールデンタイム帯で放送されていた『夕やけニャンニャン』の姉妹番組『夕食ニャンニャン』もわずか4ヶ月後の9月で終了し、"異常ブームの終わり" "陰りが差したおニャン子"などと囁かれ、本体の『夕やけニャンニャン』自体の視聴率もピークだった1986年初頭から下がり続けていった。1986年の後半から荻野目洋子や南野陽子などのおニャン子クラブ系以外のアイドル・タレントも活躍を示し、アイドル・マーケットもおニャン子クラブだけではなくなってきたことを示した。コラムニストの竹内義和は、河合その子や国生さゆり、新田恵利などピンでも人気の獲れるトップアイドルが集団になっていたのがおニャン子クラブの魅力であったが、そうした人気メンバーが次々卒業していったことが、グループとしての人気低下に繋がったと指摘した。

1987年(昭和62年)

3月の番組内および4月の春のコンサートツアー最終公演で、「セーラー服を脱がさないで」フロントボーカル4人のうち最後のひとりであった内海和子、初期メンバーであった樹原亜紀、国生さゆり、立見里歌、高井麻巳子が脱退。5月、生稲晃子、工藤静香、斉藤満喜子の3人で結成されたうしろ髪ひかれ隊がシングル「時の河を越えて」でデビューする。ヒットしたものの、これがグループ内ユニットの最後のものとなり、翌6月15日に『夕やけニャンニャン』内で番組の終了とおニャン子クラブの解散を告知する。同時に、おニャン子クラブの新規メンバーを選ぶ番組内オーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」も終了となる。

8月21日、ラストシングル『ウェディングドレス』を発売。同月31日、『夕やけニャンニャン』が番組終了。翌月9月20日の代々木第一体育館におけるコンサートにて解散した。テレビ連動型のグループであったが故に、番組の終了と共に必然的に終止符が打たれてしまう定めであったが、約2年半での解散となった。ヒットチャートを独占した前年程の勢いは無かったものの、まだまだ余力を残しての早過ぎる解散であった。おニャン子クラブ活動中にレコードデビューしていた者を中心に芸能事務所に所属していたメンバーは解散以降も芸能界に残れたが、それ以外のメンバーのマネージメントはフジテレビ預りであったため、活動続行不能となって同時に引退していった。尚、派生ユニットの「うしろ髪ひかれ隊」は、おニャン子クラブの解散後も活動を継続した。

解散

1990年代に幾度か、「あの人は今」のような番組の企画で、芸能界に残っていた者、芸能界から引退していた者も含めた元メンバーを集め、時には「セーラー服を脱がさないで」を歌唱させ“再結成”と謳われもしたが、あくまでもその場限りであった。

1993年、『第35回日本レコード大賞』に作・編曲の佐藤準が編曲賞を受賞したために特別出演して「セーラー服を脱がさないで」を佐藤準の新アレンジでの披露で生歌唱出演した。その時のメンバーは岩井、内海、新田、斉藤、立見、白石の6名であった。

2002年、初期メンバーのうち賛同者のみの14名によって一時的に再結成し、シングル「ショーミキゲン」をリリースした。リリース後にはイベントやテレビ出演なども果たし、同年12月5日放送の『2002FNS歌謡祭』では、後期メンバーを含めて「ショーミキゲン」と「セーラー服を脱がさないで」を歌唱した。また2010年にはテレビCM上で11名のメンバーが再結成し、「セーラー服を脱がさないで」のサビを俳優・伊藤淳史とともに歌い踊り、アラフォーになったおニャン子クラブの姿を披露した。

2005年秋、サンセイアールアンドディからパチンコ台「CRおニャン子クラブ」がリリースされた。ザ・ベストテンのランキング発表のような反転フラップ表示的な演出が特徴である。もっとも、視覚的には番組と同じなのはロゴとキャラクターの振り付けのみで、会員の実名は一切使われておらず、アニメ絵のキャラの顔も、特に会員に似せてはいない。登場キャラクターは全員学生服を着ているが、実際の番組では制服のまま出演することは許されなかった。

2018年7月7日正午から日本テレビ系の音楽特番「THE MUSIC DAY」で、内海和子・国生さゆり・立見里歌・新田恵利・山本スーザン久美子・渡辺美奈代が出演した。

メンバー

会員番号 名前 生年月日(現年齢) 加入日 卒業/脱退 所属事務所(当時) 備 考
No. 1 奥田 美香(おくだ みか) 1968年02月28日
(56歳)
1985年04月01日 1985年04月25日 ・週刊文春喫煙事件により脱退。・脱退後はモデルとして活動。・1988年に『プレイメイトジャパン』準ミスを獲得。
No. 2 榎田 道子(えのきだ みちこ) 1967年05月04日
(57歳)
1985年04月01日 1985年04月25日 ・週刊文春喫煙事件により脱退。・1997年にテレビ東京『ASAYAN』にて開催された 「三井のリハウスレディ」オーディションに参加。
No. 3 吉野 佳代子(よしの かよこ) 1967年04月03日
(57歳)
1985年04月01日 1985年04月25日 ・週刊文春喫煙事件により脱退
No. 4 新田 恵利(にった えり) 1968年03月17日
(56歳)
1985年04月01日 1986年09月26日 ボンド企画 ・第2回卒業生。・卒業後も芸能活動を継続。・1990年に芸能界を引退。・1993年に芸能活動を再開、現在も活動中。
No. 5 中島 美春(なかじま みはる) 1967年10月01日
(56歳)
1985年04月01日 1986年03月31日 ・第1回卒業生。・歯科衛生士の専門学校へ進学する為に卒業。・卒業と同時に芸能界も引退
No. 6 樹原 亜紀(きはら あき) 1969年03月30日
(55歳)
1985年04月01日 1987年03月30日 ・第5回卒業生。・ニャンギラスのメンバー。・卒業と同時に芸能界も引退
No. 7 友田麻美子(ともだ まみこ) 1968年01月08日
(56歳)
1985年04月01日 1985年04月25日 ・週刊文春喫煙事件により脱退。 ・脱退後はモデルとして活動。 ・現在は芸能活動を再開し、活動中。
No. 8 国生 さゆり(こくしょう さゆり) 1966年12月22日
(57歳)
1985年04月01日 1987年03月30日 エイプリルミュージック ・第5回卒業生。・『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』内の 「美少女コンテスト」において優勝を獲得。・卒業後は女優・タレントとして現在も活動中。
No. 9 名越 美香(なごや みか) 1966年04月13日
(58歳)
1985年04月01日 1986年09月26日 ・第2回卒業生。・ニャンギラスのメンバー。・卒業後は舞台女優として活動後、芸能界を引退
No.10 佐藤 真由美(さとう まゆみ) 1967年09月25日
(56歳)
1985年04月01日 1985年04月25日 ・週刊文春喫煙事件により脱退
No.11 福永 恵規(ふくなが さとみ) 1967年01月26日
(57歳)
1985年04月01日 1986年09月26日 ボンド企画 ・第2回卒業生。・卒業後も芸能活動を継続。・1989年に芸能界を引退。・1997年からプロダクションスタッフ勤務。
No.12 河合 その子(かわい そのこ) 1965年06月20日
(58歳)
1985年04月05日 1986年03月31日 渡辺プロダクション ・第1回卒業生。・卒業後も芸能活動を継続。・1990年に芸能活動を休止。・2010年に資生堂「IN&ON」のCMに出演。
No.13 内海 和子(うつみ かずこ) 1967年02月16日
(57歳)
1985年04月05日 1987年03月30日 ホリプロ ・第5回卒業生。・元オールナイターズのメンバー。・卒業後も芸能活動を継続。・1993年に芸能界を引退。・2014年に芸能活動を再開。現在も活動中。
No.14 富川 春美(とみかわ はるみ) 1968年09月26日
(55歳)
1985年04月05日 1987年09月20日 解散時メンバー。・在籍中にソロデビューが諸事情により中止になる。・解散後もモデルとして活動後、芸能界を引退
No.15 立見 里歌(たつみ りか) 1965年11月14日
(58歳)
1985年04月19日 1987年03月30日 ・第5回卒業生。・ニャンギラスのメンバー。・元オールナイターズのメンバー。・卒業と同時に芸能界も引退。・2014年に芸能活動を再開。現在も活動中。
No.16 高井 麻巳子(たかい まみこ) 1966年12月28日
(57歳)
1985年04月26日 1987年03月30日 田辺エージェンシー ・第5回卒業生。・うしろゆびさされ組のメンバー。・卒業後も歌手・女優として芸能活動を継続。・1988年に芸能界を引退
No.17 城之内 早苗(じょうのうち さなえ) 1968年05月17日
(56歳)
1985年05月10日 1987年09月20日 プロダクション尾木 解散時メンバー。・メンバー唯一の演歌歌手として現在も活動中。
No.18 永田 ルリ子(ながた るりこ) 1967年06月23日
(56歳)
1985年05月17日 1987年09月20日 解散時メンバー。・解散と同時に芸能界を引退
No.19 岩井 由紀子(いわい ゆきこ) 1968年05月26日
(56歳)
1985年06月21日 1987年09月20日 渡辺プロダクション 解散時メンバー。・うしろゆびさされ組のメンバー。・解散後はバラドルとして芸能活動を継続。・1997年に芸能界を引退
No.20 寺本 容子(てらもと ようこ) 1969年12月21日
(54歳)
1985年07月19日 1985年09月10日 ・番組の規定に違反し、脱退。・脱退後はモデルとして活動。・1996年に芸能界を引退
No.21 五味岡 たまき(ごみおか たまき) 1970年01月19日
(54歳)
1985年07月26日 1985年09月20日 ・本人の意思による申し出により脱退。・脱退後はモデル・タレントとして活動。・1988年にソロでのレコードデビューが中止となる。・1990年に芸能界を引退
No.22 白石 麻子(しらいし まこ) 1969年06月12日
(54歳)
1985年07月26日 1987年09月20日 解散時メンバー。・ニャンギラスのメンバー。・解散と同時に芸能界を引退
No.23 林 香織(はやし かおり) 1969年02月08日
(55歳)
1985年08月02日 1986年03月27日 ・大阪駐在員。・卒業と同時に芸能界を引退。・化粧品メーカー・マックスファクターP&Gに就職。
No.24 三田 文代(みた ふみよ) 1967年01月06日
(57歳)
1985年08月16日 1986年03月27日 ・広島駐在員。・元モモコクラブ(桃組出席番号611番)・卒業後はモデル・女優として現在も活動中。
No.25 吉沢 秋絵(よしざわ あきえ) 1968年10月20日
(55歳)
1985年08月30日 1986年09月26日 田辺エージェンシー ・第2回卒業生。・「スケバン刑事II」とのタイアップ企画で合格。・卒業後も歌手・タレントとして芸能活動を継続。・1991年に芸能界を引退
No.26 赤坂 芳恵(あかさか よしえ) 1968年07月20日
(55歳)
1985年09月27日 1986年10月04日 ・元モモコクラブ(桃組出席番号2142番)・学校側に無断で出演していたことが発覚し 在籍期間一週間で脱退。・脱退後はモデルとして活動。・1994年に芸能界を引退
No.27 松本 亜紀(まつもと あき) 1969年11月23日
(54歳)
1985年10月25日 1985年10月25日 ・元モモコクラブ(桃組出席番号1861番)・学校側に無断で出演していたことが発覚し、 合格のみで活動がないまま脱退。・脱退後はタレントとして活動後、芸能界を引退
No.28 横田 睦美(よこた むつみ) 1967年09月26日
(56歳)
1985年11月29日 1987年09月20日 解散時メンバー。・ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。・解散後はタレント・女優として活動後、芸能界を引退
No.29 渡辺 美奈代(わたなべ みなよ) 1969年09月28日
(54歳)
1985年11月29日 1987年09月20日 バーニングプロダクション 解散時メンバー。・ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。・解散後は歌手・タレントとして現在も活動中。
No.30 三上 千晶(みかみ ちあき) 1969年06月28日
(54歳)
1985年11月29日 1986年03月0-日 ・2度目の出場で合格。・ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。・本人からの申し出により脱退。・トライアングル・ブルーのオーディションにも合格。
No.31 矢島 裕子(やじま ゆうこ) 1968年12月15日
(55歳)
1985年11月29日 1986年02月0-日 ・本人からの申し出により脱退。・ヤンパライメージガールコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。
No.32 山本スーザン久美子(やまもと すーざん くみこ) 1966年06月26日
(57歳)
1985年12月13日 1986年09月26日 ・第2回卒業生。・卒業と同時に芸能界を引退
No.33 布川 智子(ふかわ ともこ) 1968年08月30日
(55歳)
1986年01月17日 1987年09月20日 解散時メンバー。・シブがき隊の布川敏和の実妹。・解散と同時に芸能界を引退。・2011年に芸能活動を再開。現在も活動中。
No.34 弓岡 真美(ゆみおか まみ) 1970年09月15日
(53歳)
1986年01月10日 1986年12月25日 ・第3回卒業生。・中学業後の1986年3月14日から活動。・卒業後はモデルとして活動後、芸能界を引退
No.35 岡本 貴子(おかもと たかこ) 1971年03月16日
(53歳)
1986年01月10日 1986年12月25日 ・第3回卒業生。・中学卒業後の1986年3月14日から活動。・卒業と同時に芸能界を引退
No.36 渡辺 満里奈(わたなべ まりな) 1970年11月18日
(53歳)
1986年03月27日 1987年09月20日 エイプリルミュージック 解散時メンバー。・解散後は歌手・タレントとして現在も活動中。
No.37 大貫 かおり(おおぬき かおり) 1970年05月17日
(54歳)
1986年05月09日 1986年09月0-日 ・元モモコクラブ(桃組出席番号1809番)・合格後の活動は番組への出演1日のみで脱退。・脱退後はモデル・タレントとして現在も活動中。
No.38 工藤 静香(くどう しずか) 1970年04月14日
(54歳)
1986年05月23日 1987年09月20日 プロダクション尾木 解散時メンバー。・うしろ髪ひかれ隊のメンバー。・元モモコクラブ(桃組出席番号480番)・元セブンティーンクラブのメンバー。・解散後は歌手として現在も活動中。
No.39 高畠 真紀(たかばたけ まき) 1968年04月21日
(56歳)
1986年05月30日 1986年12月25日 ・第3回卒業生。・卒業後はモデルとして活動後、芸能界を引退
No.40 生稲 晃子(いくいな あきこ) 1968年04月28日
(56歳)
1986年06月13日 1987年09月20日 プロダクション尾木 解散時メンバー。・うしろ髪ひかれ隊のメンバー。・解散後は女優・タレントとして活動。・2022年に参議院議員選挙へ立候補し当選。
No.41 貝瀬 典子(かいせ のりこ) 1970年03月05日
(54歳)
1986年08月10日 1987年09月20日 解散時メンバー。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。グランプリを受賞。・解散後はモデルとして活動後、芸能界を引退
No.42 斉藤 満喜子(さいとう まきこ) 1970年09月19日
(53歳)
1986年08月10日 1987年09月20日 プロダクション尾木 解散時メンバー。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。凖グランプリを受賞。・うしろ髪ひかれ隊のメンバー。・解散後は歌手・タレントとして芸能活動を継続。・1998年に芸能界を引退
No.43 守屋 寿恵(もりや としえ) 1970年06月11日
(54歳)
1986年08月10日 1987年03月20日 ・第4回卒業生。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。準グランプリを受賞。・卒業後はモデルとして活動後、芸能界を引退。1988年、ソロでのレコードデビューが中止となる。
No.44 高田 尚子(たかだ なおこ) 1970年08月29日
(53歳)
1986年08月10日 1987年03月20日 ・第4回卒業生。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。特別賞を受賞。・卒業と同時に芸能界を引退
No.45 吉田 裕美子(よしだ ゆみこ) 1971年01月03日
(53歳)
1986年09月19日 1987年03月20日 ・第4回卒業生。・卒業後はモデルとして活動後、芸能界を引退。・ソロデビューの予定があったが中止となる。
No.46 中島 早苗(なかじま さなえ) 1970年10月27日
(53歳)
1986年09月25日 1987年03月20日 ・第4回卒業生。・元モモコクラブ(桃組出席番号1319番)・卒業後はモデルとして活動後、芸能界を引退。・子役出身で加入前から活動。
No.47 山森 由里子(やまもり ゆりこ) 1970年10月27日
(53歳)
1986年10月24日 1987年09月20日 解散時メンバー。・2度目の出場で合格。・解散と同時に芸能界を引退
No.48 我妻 佳代(あがつま かよ) 1968年07月25日
(55歳)
1987年01月23日 1987年09月20日 解散時メンバー。・元モモコクラブ(桃組出席番号368番)・解散後の1987年にソロデビュー。1989年に引退。・芹沢直美の実妹。
No.49(B組1番) 吉見 美津子(よしみ みつこ) 1971年12月25日
(52歳)
1986年08月10日 1987年09月20日 解散時メンバー。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。特別賞を受賞。・1987年4月にB組から本体のメンバーへ昇格。・元モモコクラブ(桃組出席番号1956番)・解散後はモデル・女優として活動後、芸能界を引退
No.50(B組2番) 杉浦 美雪(すぎうら みゆき) 1971年10月14日
(52歳)
1986年08月10日 1987年09月20日 解散時メンバー。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。特別賞を受賞。・1987年4月にB組から本体のメンバーへ昇格。・解散後はタレント・レースクイーンとして活動。・現在はモデルとして活動中。
No.51(B組3番) 宮野 久美子(みやの くみこ) 1971年12月13日
(52歳)
1986年08月10日 1987年09月20日 解散時メンバー。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。特別賞を受賞。・1987年4月にB組から本体のメンバーへ昇格。・解散後は名古屋のタレントとして現在も活動中。
No.52 鈴木 和佳子(すずき わかこ) 1969年01月26日
(55歳)
1987年04月17日 1987年09月20日 解散時メンバー。・解散後はモデルとして活動後、芸能界を引退
B組4番 冨永 浩子(とみなが ひろこ) 1971年05月31日
(53歳)
1986年08月10日 1987年03月20日 ・第4回卒業生。・ミス・セブンティーンコンテストとのタイアップ企画 オーディションにて合格。特別賞を受賞。・卒業と同時に芸能界を引退
B組5番 山崎 真由美(やまざき まゆみ) 1971年12月01日
(52歳)
1986年09月25日 1987年03月20日 ・第4回卒業生。・卒業後の1988年にソロデビュー。・グラビアモデルへ転身後、1994年に引退
研修生 ヨリンダ・ヤン(よりんだ やん) 1969年07月14日
(54歳)
1987年07月13日 1987年07月31日 ・おニャン子研修生。唯一の外国人(香港人)。・現在は香港で歌手・女優として活動中。

2024/06/14 12:07更新

matsumoto aki


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