松浦雅也の情報(まつうらまさや) ミュージシャン 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
松浦 雅也さんについて調べます
■名前・氏名 |
松浦雅也と関係のある人
松本隆: 月夜のドルフィン(作曲:松浦雅也) 森雪之丞: 青空がいっぱい(作曲:松浦雅也) 岡田徹: 1987年、松浦雅也、安部隆雄と『AMOR』、1995年、大所帯アコーディオンバンド・『LIFE GOES ON』、2001年、山本精一、サロン・キティの伊藤俊二と『ya-to-i』、2008年、エイプリルズのイマイケンタロウ、ELEKTELのporymoogと『CTO LAB. 』、2014年、夏秋文尚(ジャック達)、吉田孝(Rose-Unlimited、5thガーデン)、黒田英明(plusico)と『UKULENICA』を結成している。 松浦季里: NICOGRAPH'83で優秀賞を受賞後、松浦雅也とコラボレーションを始める。 安部王子: 岡田徹、松浦雅也とのユニットAMORとしても活動。 森雪之丞: 遊びにきてね(作曲:松浦雅也) 松本隆: be with YOU(作曲:松浦雅也) 天野なぎさ: 作曲・編曲:松浦雅也/コーラス・アレンジ:佐藤寛 森雪之丞: 氷のヴィジョン(作曲:松浦雅也) 天野なぎさ: 作詞:三浦徳子/作曲・編曲:松浦雅也/コーラス・アレンジ:佐藤寛 松本隆: Power Stone(作曲:松浦雅也) |
松浦雅也の情報まとめ
松浦 雅也(まつうら まさや)さんの誕生日は1961年6月16日です。大阪出身のミュージシャンのようです。
PSY・Sとしての活動、ゲーム業界における活躍などについてまとめました。卒業、解散に関する情報もありますね。松浦雅也の現在の年齢は63歳のようです。
松浦雅也のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)松浦 雅也(まつうら まさや、1961年6月16日 - )は、音楽家、ゲームクリエイター、プロデューサー。大阪市出身。 赤橋幼稚園、大阪市立晴明丘小学校、枚方市立殿山第二小学校、枚方市立第三中学校、大阪府立牧野高等学校を経て、1983年立命館大学産業社会学部卒業。 小学生のときから音に強い興味を持ち、親に頼んでピアノ教室に通うようになる。ただしピアノを習うのは小学校を卒業するまでと親と約束していたことから、音楽を続けるために中学では吹奏楽部に入部し、パーカッションに配属される。 中学2年生のときに若い新任の音楽教師と出会い、数々のロックや、冨田勲の『展覧会の絵』といった音楽に触れる。 牧野高校に入学すると同級生からの影響を受けウェザー・リポートなどを知り、ローランドのシンセサイザー「SH-3A」を購入、高校で音楽を演奏する場所を確保するために軽音楽部を自ら創設しバンド活動を始める。高校卒業時には後輩たちのためにSH-3Aは部室に残したという。 京都の立命館大学に進学後もバンド活動を続けていたが、あるとき新大阪のシンセサイザースタジオ「TONスタジオ」でアルバイトをすることになり、スタジオを運営していた東祥高と出会い、空いている時間には高価な機材を自由に使えるようになる。その後、松浦はアルバイトを辞めるが、東が新しく「NEW*TONスタジオ」を始めると今度は音楽制作のパートナーとして誘われ、再び働くようになる。 あるとき1980年代初頭から輸入楽器を扱うようになったナニワ楽器の営業マンから「フェアライトCMI」を紹介され、デモテープを聞いて衝撃を受ける。当時1200万円したこの機材を購入することを決意した東と松浦は、ローン契約のためにスタジオを「株式会社ニュートンスタジオ」として法人化、松浦は共同経営者で代表取締役となる。 なお、この契約に当たっては、かつてイベントの音楽を担当したことで親交のあった小松左京が連帯保証を引き受けた。その後、1980年代末にMacintoshとシーケンスソフトのパフォーマーが導入されるまで、シーケンスはフェアライトのページRで行われた。 スタジオの仕事の一つとして、松浦はFM大阪でアメリカ人DJ・カトリーナによる帯番組『HIT RADIO~POP MUSIC STATION』の一コーナーを担当していた。そのコーナーで毎月新曲を録り下ろしする企画が始まり、知人から紹介されたボーカルの安則まみ(チャカ)と「Playtechs(プレイテックス)」が結成された。このときにPlaytechsとして制作された楽曲が収録されたテープがCBS・ソニーの新人開発を専門とするSD事業部に渡ったことが、後のPSY・Sデビューの切っ掛けとなった。 PSY・Sとしての活動打ち込み音楽の先駆け的男女ユニット「PSY・S(サイズ)」で1985年にデビューし、9枚のオリジナルアルバムと3枚のベスト盤をリリース。作曲・サウンド面をすべて担当(1996年解散)。 PSY・Sオリジナル・アルバムなど 1985年、Different View 1986年、PIC-NIC 1987年、PSY・S Presents "Collection" (Compilation) 1987年、Mint-Electric 1988年、NON-FICTION 1989年、ATLAS 1990年、SIGNAL 1991年、TWO_HEARTS 1991年、HOLIDAY 1992年、TWO SPIRITS Live PSY・S Best Selection (Live) 1993年、THE SEVEN COLORS LEGEND OF PSY・S CITY / Macintosh CD-ROM 1993年、WINDOW 1994年、MUSIC IN YOUR EYES / Original CG video 1994年、HOME MADE 1994年、EMOTIONAL ENGINE 1996年、TWO BRIDGES 1998年、Brand New Menu+Another Diary (Compilation) 2012年、Psyclopedia (CD BOX SET) 2020年、Atlas (アナログ盤) 2020年、Two Hearts〜originals & remixes (アナログ盤) (上記は全てCBS・ソニー) 2020年、vib-ribbon(アナログ盤 Minimum Records イギリス) ゲーム業界における活躍1996年、PlayStation向けゲームソフト『パラッパラッパー』は、その後の音楽ゲームの先駆となり、70カ国以上でリリースされる。元々音楽家で、作品制作でサンプリングを活用した経験があり、先駆的な技術にも詳しい松浦が、CD-IやCD-ROM XAの機能に精通し、ジャンルを越えたメンバーを結集して1994年頃から制作を開始していた。集まったメンバーはゲーム業界と関係の無いメンバーが多く、ゼロベースでゲームを再定義し、新ジャンルを生み出した。後に、植松伸夫が「パラッパラッパーが出てきた時が、ゲームに触れてきた中で一番の衝撃だった」と語っている。 ゲーム作品 1993年、メタモジュピター (NEC/PC Engine CD) 音楽部分のみでの参加 1996年、チューニン・グルー (Apple Bandai/Pippin) 1996年、パラッパラッパー (SCE/PS1),(2007, PSP),(2017, PS4) 1999年、ウンジャマ・ラミー (SCE/PS1) 1999年、ビブリボン (SCE/PS1) 2000年、ライムライダー・ケロリカン (Bandai/WonderSwan) 2002年、パラッパラッパー2 (SCE/PS2),(2015, PS4) 2003年、モジブリボン (SCE/PS2) 2004年、ビブリップル (SCE/PS2) 2005年、たまごっちのプチプチおみせっち (BNG/Nintendo DS) 2007年、Musika (Sony-BMG/IPod games, iPod) 2006年、たまごっちのプチプチおみせっち ごひーき2 (BNG/Nintendo DS) 2007年、たまごっちのプチプチおみせっち みなサンきゅー (BNG/Nintendo DS) 2009年、メジャマジ・マーチ (Majesco/SQEX/Wii) 2010年、WINtA (One Big GameiPhone/iPod touch) 2012年、Haunt (MS/Xbox 360) 2015年、Beat Sports (Hermonix/Apple TV) 一部音楽部分のみでの参加 2024/06/20 02:43更新
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matsuura masaya
松浦雅也と同じ誕生日6月16日生まれ、同じ大阪出身の人
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