森光子の情報(もりみつこ) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
森 光子さんについて調べます
■名前・氏名 |
森光子の情報まとめ
森 光子(もり みつこ)さんの誕生日は1920年5月9日です。京都出身の女優のようです。
テレビ、母親、父親、家族、結婚、映画、姉妹、ドラマ、病気、子役、離婚、退社、現在、事件、引退、解散に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2012年に亡くなられているようです。
森光子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本の女優、歌手、マルチタレント、司会者。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。 京都府京都市出身。京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく「寛寿郎の姪で1923年生まれ」としていたが、1984年の紫綬褒章受章にあたり事実を公表し、訂正している。芸名は嵐の母(伯母)から、女優の森静子と伯母の旧姓・森端にちなんで「森」、本名の美津より「光子」とつけられたことによる。 母親・艶は祇園の芸妓、父親は紡績会社社長の御曹司で学生時代に母を見初め、共に寄り添う仲となったが、家族の反対に遭い結婚がかなわず、そのなかで森は生まれ、母親の私生児として育てられた。幼少の頃は歌と踊りが大好きで、7歳の時にはNHKのラジオ番組にも出演している。母の実家は京都・木屋町二条下ルで商人宿『國の家』を経営、旅館にはしばしば俳優の阪東妻三郎が芸者衆を連れて訪れており、その華やかな様子も少女時代の森に大きな影響を与えた。しかし『國の家』は後に倒産、両親も森が13歳のときに肺結核で相次いで死去。 森は、松竹少女歌劇のスター水の江瀧子や宝塚少女歌劇団の小夜福子に夢中になり、時間があれば歌や踊りに興じた。彼女らに憧れて歌劇の道を志すが果たせず、不本意ながらも従兄の嵐寛寿郎のプロダクション(第二次寛プロ)に所属。1935年に映画『なりひら小僧 春霞八百八町』でデビューしたが、1937年(昭和12年)、嵐が寛プロを閉鎖。1938年(昭和13年)、日活に移籍する中、森は新興キネマ(後の大映)に所属し、娘役として多くの映画に出演した。多くは「狸物(阿波狸合戦伝説に材をとった『阿波狸合戦』を初めとする喜劇映画)」などの喜劇や二線級の映画であり「溝口健二の『祇園の姉妹』のような映画に出たい」と夢見ていた森は失望する。またこの頃、気鋭の映画監督だった森一生にプロポーズされ、婚約したがその後婚約破棄。これを境に撮影所内で悪評が立ち始め、役者としての活動をしづらくなったため映画界から一時身を引く。 1939年(昭和14年)10月、映画法が制定。映画出演が制限され始めたため、1941年(昭和16年)、21歳で歌手を目指して陸軍の満洲慰問団に参加した。戦時中は日本軍慰問団で東海林太郎らの前座歌手としてミスワカナ・玉松一郎らと中国戦線や南方戦線を巡回する。慰問団では赤木春恵と出会い、以後60年以上に渡り親交を深めることとなる。後年、セレベス島滞在中の体験談を語っている。森は事前に、空襲の際にはホテルの防空壕よりも、堅固な近くの刑務所の防空壕に逃げるように説明されていたが、ある日、買物からの帰り際、空襲警報に遭遇、やむなくホテルの防空壕に避難した。しかし、空襲で直撃弾を受けたのは刑務所の防空壕だったため、難を逃れたという。 この時期、映画『小島の春』(監督:豊田四郎)を観て、この映画の杉村春子の演技に大きな衝撃を受け、これ以上の衝撃を以降感じたことはないと述懐している。森は「演技の師匠を持たない私が、心から尊敬しお手本としたのは10代から憧れた杉村先生ただ一人です。時代劇の娘役の頃からいつか近づきたいとひそかに思い続けてきました」とも語り、杉村を生涯の師とした。 終戦後は役者活動に留まらず、ジャズ歌手として進駐軍キャンプへの巡業も行っていた。1947年(昭和22年)、27歳の時、そこで森を見初めた日系アメリカ人2世の米軍属リチャード・ウエムラからプロポーズを受け婚約する。だが芸能界に未練があった森は決まっていた渡米をキャンセルし、日本に留まった。ウエムラは結局婚姻関係を結んでから1週間後にハワイに帰り、短い結婚生活は終わった。 その後1949年(昭和24年)の秋に肺結核と診断され、約3年間芸能活動を休止、京都山科で闘病生活を余儀なくされる(これ以前の1944年戦地慰問先の南京で既に肺浸潤性疾患を患っている)。この頃「森光子は死んだ」という噂がまことしやかに流れ、のちに復帰作となったNHK大阪放送局製作のラジオドラマ『エンタツちょびひげ漫遊記』で共演した赤木らもそう信じていたという。 当時すでに結核の特効薬である抗生物質、ストレプトマイシンは発見されていたが、非常に高価であり病気のため収入の途絶えた森に治療を受けることは難しいと思われた。しかし療養先が知人の縁者であったこともあり、担当医師が闇で仕入れたストレプトマイシンの効果を確認するため、「モルモット(実験台の意)」との名目で森に投与したことで一命を取り留める。 その後1951年(昭和26年)に大阪へ戻り、仕事復帰の準備を始めるが、森を待っていたのは芸能界の厳しい現実だった。約3年のブランクに加え、一度は「死んだ」と噂された若手女優に再び手を差し伸べる相手は無く、森は御用聞きのように「仕事無いですか?」と知り合いを渡り歩く日々を送る。 そんな森に関心を示したのは当時NHK大阪放送局で芸能番組担当プロデューサーを務めていた富久進次郎だった。富久は1952年(昭和27年)新春から立ち上げる予定だったラジオコメディー番組に森の起用を決める。これが前述の『エンタツちょびひげ漫遊記』である。横山エンタツの相手役として、翌年の続編『エンタツの名探偵』にも出演し、その後は開局間もない民放ラジオ番組にも起用され始める。この間、ラジオドラマへの出演が決まったばかりの頃は収入が不安定で知人の裏千家千宗室(14代淡々斎)夫人・千嘉代子の秘書として雇ってもらい、生計を立てていたという。 1955年(昭和30年)、ラジオ出演に関して朝日放送と専属契約。大卒初任給が1万2千円程度というこの時代に「契約金60〜65万円、番組へのレギュラー出演を局側が保証する」との高条件の下、ミヤコ蝶々、南都雄二、夢路いとし、喜味こいしらと『漫才学校』にレギュラー出演。芸達者な実力者を向こうに回し、関西をホームグラウンドにラジオタレントとしての確固たる人気を獲得、『ロート東西お笑い他流試合』での大阪方の司会役などバラエティー番組のみならず、ラジオドラマでも活躍する。 ラジオへの出演と共に黎明期のテレビ在阪局(NHK大阪、大阪テレビ放送)製作のドラマにも出演するようになる。ABC専属の森は、系列の大阪テレビ放送(のち、朝日放送と合併)において1956年(昭和31年)、在阪局制作のコメディー番組としては初の全国ネットとなった中田ダイマル・ラケット主演のコメディ『ダイラケのびっくり捕物帖』(放送期間中の会社合併に従い大阪テレビ→朝日放送)で藤田まこと演じる与力・来島仙之助の“めっぽう腕の立つ妹”・妙を演じ、関東にもその顔と名を知られるようになった。なお、幼少から若手女優の頃は「黒みっちゃん」と呼ばれるほど色黒だったが、尋常性白斑のため年齢を重ねるにつれ白くなっていった。 1958年(昭和33年)、梅田コマ劇場でダイマル・ラケットと共演した舞台『あまから人生』で、防空壕から洗濯物を持って出るシーンの台本に台詞が無く「8分間よろしく」とだけ書かれていたため、アドリブでこの当時のヒット曲『船方さんよ』、『お月さん今晩は』、『有楽町で逢いましょう』、『俺は待ってるぜ』の4曲を1フレーズずつ繋げたものを歌ったところ客うけがよく、この時、偶然にも空港へのハイヤーを待っている間に劇場に入って森の演技を見ていた東宝の菊田一夫に「芸術座で芝居をやらないか」と上京を誘われる。大阪で絶大な人気を誇り、実力を認められた森であったが、かねてから、東京からのスターとの共演では香盤が4番手程度になることに不満を持っていた(脇役専門の女優として甘んじていたこの頃のエピソードとして、三木のり平と共演したある舞台の楽屋でのこと、「名前を書かずに、自分の胸の内を川柳にして詠みあおう」と仲間内で遊んでいた際、「あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ」と詠んだ話がつとに有名である)。そこで、東宝と専属契約を結び上京を決意し、この年の芸術座公演『花のれん』(原作:山崎豊子、脚色:菊田一夫、主演:三益愛子)で東京進出を果たし、その後も『がめつい奴』などに出演する。当時ABCとの契約も残っていたため、『びっくり捕物帖』の出演分は、VTRで撮りだめして対応した。 1959年(昭和34年)、大阪から東京に拠点を移したほぼ同時期、NHK大阪出演時の仕事仲間で、直後にラジオ東京に移籍したプロデューサーで演出家の岡本愛彦と結婚。岡本が5歳下だったこともあり、森本人は3歳サバを読んで36歳ということにしていた。 1961年(昭和36年)、前年の舞台『がしんたれ』で演じた林芙美子役が脇役ながらも高い評価を受け 、菊田はこれを発展させる形で『放浪記』の脚本を執筆。森は主役の芙美子役に抜擢される。この年の芸術座10月公演で初演にして8か月のロングランとなり、芸術祭文部大臣賞、テアトロン賞(東京演劇記者会賞) を受賞。以後、生涯通算で2017回を数える森の主演代表作となると共に、それまで脇役だった森が主演女優への階段を上るきっかけとなった。また劇中、森扮する芙美子が自分の小説の新聞広告を見つけ、喜びのあまりでんぐり返りをする場面は、名物と言われるまでになった。また、森は、林芙美子役について「舞台で死んでもこの役を渡したくない」と、並々ならぬ思い入れを語っていた。 1963年(昭和38年)、『放浪記』で人生初の主演を務めあげたことで、森は仕事にのめり込み仕事最優先となる。この時の心境について「いつでもぎりぎり決着の逃げ場のないところで、体をぶつけて、私は生きてきました。俳優という退職金も失業保険もない職業のみじめさを、私は自分自身の体に刻んでいるのです。だからお仕事を断るなんてぜいたくなことはできない」と、当時のインタビューで答えている。そんな妻に対して、夫・岡本は「君は仕事に殺される、仕事を半分に減らせ」、「夫の忠告がなぜ聞けないのか!」と、森を思うが故、反発するが、その亀裂はもはや修復不可能となっていた。結局、森は仕事を選び、この年2人は離婚。この結論に至った事については「私は、妻の座についていたかった。今でも岡本を愛しています。許してくれるなら、謝りもしましょう。現に、彼の前に手をついて、『別れないでください』と泣いて頼んだこともありました。でも、結局、破局でした。2人の間には、永久に交わることのない、平行線があったのです。一つだけはっきりしているのは、もう二度と結婚しない。これからは役者ひと筋に生きていくということ」と語っている。結局、森はこの時の決意を全うし、この離婚以後、生涯独身を貫いた。ただ、一方ではその後、作家の水上勉、五味康祐との恋愛関係や、作曲家の渡辺岳夫との長期にわたる不倫関係を取り沙汰されたこともある。 1965年(昭和40年)、当時人気のテレビ時代劇で、偶然、家で見ていたNET(現・テレビ朝日)系『新選組血風録』(制作:東映京都テレビプロダクション)に興味を示し、いきなり東映京都撮影所に電話を入れ、自ら出演を打診、最終回(1966年1月2日放送分、第26話「燃える生命」)に、急遽設定された架空の人物、山南敬助(演:早川研吉)の恋人・光枝役として特別出演している。 同年、乳腺腫瘍の摘出手術、1967年(昭和42年)には急性肝炎のため1か月の入院を余儀なくされ、この時期は健康上の不安に見舞われている。 1966年(昭和41年)、東宝でマネージャーを務めていた吉田名保美が独立し「吉田名保美事務所」を設立。森も東宝から同事務所に移籍(ただし、これ以降も提携関係を継続)。 『東芝日曜劇場・天国の父ちゃんこんにちは』(TBS、1966年 - 1974年)、『時間ですよ』(TBS、1970年 - 1973年、以後シリーズ化)、『土曜グランド劇場・おふくろの味』(日本テレビ、1970年)、『銀座わが町』(NHK総合、1973)、『かくれんぼ』(日本テレビ、1981年)等数多くのテレビドラマにも出演。加藤治子や山岡久乃や京塚昌子らとともに日本を代表する「お母さん女優」としてその人気を不動のものとし、「日本のお母さん」の異名を取っている。特に、時間ですよシリーズでは下町の銭湯のおかみさん役が当たり役として話題になった。確立したイメージはCMでも活かされ、特に1968年(昭和43年)から起用された「タケヤ味噌」のCMでは、途中に空白期間はあるものの2008年(平成20年)まで約40年にわたりCMキャラクターを務めている。 1974年(昭和49年)から1988年(昭和63年)までの14年間にわたり、フジテレビのワイドショー番組『3時のあなた』で月曜日・火曜日のメイン司会を担当し、この間、石原裕次郎の追悼特集(1987年7月20日放送)や田中角栄との対談(1984年9月3日放送)などの大役をこなし、女性司会者としての地位も確立、同番組での歴代最長司会者でもある。また、この番組では森を姉と慕っていた美空ひばりが第1回と最終回にゲストで出演した。司会者としての実力は『NHK紅白歌合戦』の紅組司会者としても発揮されており、第13回〈1962年(昭和37年)〉、第29回〈1978年(昭和53年)〉、第35回〈1984年(昭和59年)〉の3回、起用されている。また『輝く!日本レコード大賞』でも、1972年(昭和47年)から1976年(昭和51年)まで司会を務めている。 紅白では、実際紅組司会を務めた3回以外でも起用が有力だった回がある(森が辞退した回もある)ほか、出場歌手の候補にも挙がったこともあるとされる。また、第35回での64歳での紅組司会は第66回〈2015年(平成27年)〉で森とも親交のあった黒柳徹子(第66回時点で82歳。同回の総合司会)に抜かれるまで紅白司会者の最年長記録となっていた(紅組司会としては最年長記録を保持している)。 1975年(昭和50年)11月12日から翌年5月12日までTBS系で放送された『花吹雪はしご一家』で母子役として共演した西城秀樹からは「東京のお母さん」と呼ばれ公私にわたり親交を深めた。プライベートで年上の有名女優と交際していた西城の恋愛についてアドバイスしたり、コンサートにも数多くゲスト出演している。 1977年(昭和52年)、「吉田名保美事務所」から独立し、個人事務所「オフィス・モリ」を開設する 大阪での喜劇女優としての経験を生かしてザ・ドリフターズとの『ドリフと女優の爆笑劇場』(1977年〜1989年、テレビ朝日系)や加藤茶、志村けんとの『加トちゃんケンちゃん光子ちゃん』(1987年〜1994年、フジテレビ系)といったスペシャル枠のコント番組にも長年出演するなど、その芸域の広さと柔軟性も見せている。 好奇心旺盛にして有り余るほどの行動力を発揮し、興味を持った歌手やアーティストの公演には足繁く通い、その姿勢は自らも「若さの秘訣のひとつ」と語っていた。中でもジャニーズ事務所所属タレントらや、クレイジーケンバンドとの交流は有名だった。ジャニーズ所属タレントの中では少年隊の東山紀之の歌と踊りを高く評価。公私にわたり親交を深め「森の右手を握れる男性は東山だけ」ともいわれ、実際に交際の噂を立てられる程で舞台では5作品(6公演)、テレビドラマでも共演作がある。また、2011年11月5日、東山と前年10月に結婚した木村佳乃との間に、第1子となる女児が誕生した際には祝福のコメントを寄せている。80歳にして「絶叫コースターに挑戦したい」と希望し、テレビ番組の企画でTOKIOの長瀬智也と実際にコースターに乗ったこともある。 ジャニーズ事務所の創立者であるジャニー喜多川との親交は古く、喜多川の父親が大阪の道頓堀の劇場で森の舞台をよく見に行って「森光子は踊りがうまい」と褒めていたことを覚えており、のちにジャニーズ事務所開設とともに交流を深めることとなった。 黒柳徹子とも50年来の親友だったという。 大橋巨泉(以下、巨泉と記述)司会の人気番組だった『クイズダービー』(TBS)『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)にも、度々ゲスト解答者として出演していた。特に『クイズダービー』では、森の「ドッキリ発言」のエピソードが知られている(第684回、1989年4月8日放送分)。森は出場者側(ギャンブラー席・赤チーム)として登場の際、CM明けの6問目に初代2枠レギュラー解答者・五月みどりの曲『恋する蝶ちょ』の歌詞当て問題で、正解が「男にとまれ」(解答者5人は全員不正解)と巨泉が発表した直後のことである。出場者の森は突然「私は、もしかしたらあの…『ホテルにとまれ』かと思った」と真顔でコメント。この森の発言に全解答者のみならず、出場者側で出演したタレント達も大爆笑、巨泉も流石に「それは過激すぎますよ!」と苦笑する始末だった。また、『世界まるごとHOWマッチ』においては、森自身が「レギュラー解答者になりたい」という程でもあり、当番組の最終回スペシャルにも出演していた。その後、森は巨泉が番組スーパーバイザーも兼任したTBSの大型バラエティ番組『ギミア・ぶれいく』のレギュラー陣の1人としても起用されている。 1984年(昭和59年)11月、紫綬褒章を授与される。この時、年齢を3歳サバ読みしていることや、嵐寛寿郎の姪ではなく従妹であることが発覚するが、当時のマスコミの論調は好意的だった。 1985年(昭和60年)、好角家としても知られた森は新装となった両国国技館に足を運び、1月場所2日目に砂かぶり席で観戦。その姿がNHK大相撲中継に映された映像が現存している。ちなみに森が観戦したこの日の結びの一番が昭和の大横綱である北の湖現役最後の一番でもあった。 1992年(平成4年)11月、勲三等瑞宝章を授与される。この頃から体力の衰えを実感し、当時野茂英雄が通っていたジムへ行きトレーナーへ指示を仰ぎ肉体改造に着手。毎日欠かさず150回(朝75回、夜75回)のスクワット(実際には、スクワットというよりも軽めの屈伸運動に近いものである)を行いエアロバイクを漕ぐなど筋力強化に励んだ。こうして、80代に入ってもなお、若々しい容貌と機知に富んだコメントで、幅広い世代に親しまれ続けた。 1996年(平成8年)、1月31日と2月1日に新高輪プリンスホテルで初のディナーショー、『森光子 Special Dinner Show』を開催。構成・演出はジャニー喜多川。バックダンサーとして、東山紀之や堂本剛に加えV6、TOKIOも踊りを披露しており、ジャニーズJr.にはデビュー前のタッキー&翼、嵐の大野智らが参加している。結局これが生涯ただ1度のディナーショーとなった。 1999年(平成11年)、京都市特別観光大使に任命される。その後2009年(平成21年)に京都市市民栄誉賞を受賞。2011年(平成23年)からは京都市名誉観光大使を務めた。 2000年(平成12年)、16年間悩み続けた白内障の手術に踏み切り、無事成功する。 2005年(平成17年)、芸能生活70周年を迎えたこの年の3月4日 - 27日に行われた芸術座公演『放浪記』は、老朽化のため解体が決まった芸術座での最終公演。千秋楽ではカーテンコールの際に「祝・大千穐楽 あたたかいご声援をありがとうございました」と書かれたパネルが舞台上に掲げられ、48年の歴史に幕を閉じた。 10月5日 - 30日(帝国劇場)、11月5日〜30日(中日劇場)、伊集院静原作の舞台『ツキコの月 そして、タンゴ』に出演。東山紀之との共演が話題となった。また、この舞台の主題歌として10月5日、10年ぶりにリリースした新曲『月夜のタンゴ』(作詞:竹内まりや、作曲・編曲:山下達郎)が10月17日付のオリコンチャートで45位初登場となった。歌手デビュー64年で初のチャートインは史上最長期間記録。85歳5カ月での初登場トップ50入りも最年長記録で、ダブル快挙である。 11月、文化勲章を授与される。女優からの勲章受章者は山田五十鈴以来2人目(杉村春子は辞退)。 2006年(平成18年)9月2日 - 27日(明治座)、11月1日〜26日(名鉄ホール)に公演が行われた『女たちの忠臣蔵』(作:橋田壽賀子、劇化:田井洋子、演出:石井ふく子)にナレーターとして参加。1979年のテレビドラマ版でナレーターを務めて以来、1980年の舞台初演からナレーターを務めているが、この公演の録音が最後となった。この年、元・俳優で1970年(昭和45年)以降、35年余にわたり森を支えてきたマネージャー関冨士夫が直腸がんを発病、治療に専念するため退社を余儀なくされる、という出来事が起きている。 2007年(平成19年)10月2日 - 26日、新橋演舞場10月公演『錦秋演舞場祭り 中村勘三郎奮闘』に出演。十八代目 中村勘三郎との初共演が注目された。昼の部は勘三郎中心の歌舞伎公演、森は夜の部の『森光子・中村勘三郎特別公演「寝坊な豆腐屋」』(脚本:鈴木聡、演出:栗山民也)に出演、親子を演じた。先代勘三郎とは歌舞伎座公演『いくぢなし』(1969年)、帝劇公演『花の吉原つき馬屋』(1984年)など過去に4回舞台で共演しているが、十八代目との共演は前名・中村勘九郎時代から映画、テレビを含め初めてであり、これに加えて森の希望で2代目 中村勘太郎、2代目 中村七之助も配役され、実に親子3代との共演が実現した。しかし、これが最初で最後の共演となった。また、東宝系の舞台出演が多い森にとって、松竹系の演舞場への登場は1966年に森繁久彌、三木のり平らと共演した「森繁劇団特別公演」以来、実に41年ぶりのことであった。 2008年(平成20年)、1月、前年11月、芸術座の跡地にオープンした新劇場「シアタークリエ」で初の『放浪記』公演を行う。この公演からそれまで名物となっていた「でんぐり返し」をとりやめ、万歳三唱に変更。これは前年の博多公演で失敗したことや、森の体力面を考慮しての処置であり「でんぐり返しの封印」と報道された。また、この年の4月に唯一存命の肉親で、長年「オフィス・モリ」代表、マネージャーとして、公私にわたり森を支え続けた3歳下の実妹・柳田咲子が死去。そのショックは大きく、本人は喪に服し(公に発覚したのは翌2009年の放浪記公演前だった)、気丈に振舞うも、夏頃には喉の病気を患ったことも重なり、あきらかに衰弱した姿が見られるようになった。またこの時期と前後して、長年森に尽くした付き人がいつともなく森の元を去っている。こうした事実に、多数の週刊誌が興味本位に「森光子の老い」との記事を組むなど、翌2009年の放浪記の公演はおろか森の生命すら危ぶまれる状態にあった。森はそんな中、親交が深い和田アキ子宅を訪れ、まだ女優を続けたい思いと、思うようにならない身体との間で思い悩み、和田に相談を持ちかけたという。4時間に及んだ話し合いの中、和田は森に「森っち、もうええやん。これまでずっと頑張ったやん」と降板するように進言したという。しかし、結局森は「お客様が待ってる」「私の生きがいだから」とそれを断り、舞台に拘り続けた。 2009年(平成21年)1月、初の著書『女優森光子 大正・昭和・平成 -八十八年激動の軌跡-』を出版。懸念された健康状態も年明け頃から徐々に立ち直り、舞台公演は無事に続けられ、5月9日の誕生日には『放浪記』上演2000回を迎えた。また、5月11日には河村建夫内閣官房長官より森に国民栄誉賞を授与する方針が表明され、5月29日に正式決定の上、7月1日に授与された。これは俳優では初の生前授与である。 11月3日から27日にはマキノノゾミ作・演出の明治座11月公演(国民栄誉賞受賞記念出演作品)『晩秋』に出演。マキノは森を想定して脚本を当て書きし、演出した。また森自身が共演者として十代目 坂東三津五郎と八千草薫を指名、三津五郎とは初共演、八千草とは1961年の『放浪記』以来48年振りの共演となった。この作品では振袖姿で『センチメンタル・ジャーニー』を英語で歌うシーンもこなしている。 2010年(平成22年)1月8日 - 2月6日、引き続き帝国劇場での舞台『新春 人生革命』(作・演出・構成:ジャニー喜多川)に出演、滝沢秀明、錦織一清との共演が話題となったが、この頃すでに立ち上がりや歩行に介添えが必要となっており、舞台上でも座った姿勢での演技や共演者が移動の際に手をとるなど「立たずに済む、動かずに済む」演出が多くなり、抑揚に欠ける台詞回しや、長台詞になると飛んでしまう(忘れてしまう)こともたびたび生じ、場面によってはリップシンクが採用されるなど、その衰えは否めなかった。しかし持ち前のユーモアと機転でアドリブを交え、そうした不安をカバーして1か月に及ぶ公演を務め上げた。だが2月26日、体力面を不安視する主治医の勧めもあり、同年5月から6月にシアタークリエで公演予定だった『放浪記』の中止が発表された。 以後は各種のイベントや芸能関係者の訃報・慶事に対し本人名義のコメントを寄せているが、2008年TBS放送の『渡る世間は鬼ばかり』第9シリーズ秋のスペシャルがドラマ作品の遺作となり、女優としての活動は舞台『人生革命』が最後となった。2010年8月11日放送(収録は7月)のドキュメンタリー番組『戦場の漫才師たち 〜わらわし隊”の戦争〜』(NHK総合)に証言者として出演、同年11月には帝国ホテルで帝国劇場100年記念ムック本『帝劇ワンダーランド 〜帝国劇場開場100周年記念読本』への収録のためインタビュー取材と写真撮影を受けているが、これが表舞台での最後の仕事となった。2012年(平成24年)1月2日〜28日、明治座創業140周年記念公演として、5年4か月ぶりにキャストを一新して上演された『女たちの忠臣蔵』では久々にナレーターとして名を連ねているが、実際には前回、2006年の明治座9月公演の際に録音されたものが使用された。最後の近影となったのは、2012年2月7日から4月30日にかけ上演された堂本光一主演の舞台『Endless Shock 2012』の初日に公表された、公演ポスターを掲げる姿(実際には1月22日の撮影)で、公式の場に寄せた最後のコメントとなったのは、2012年7月9日午後7時55分に山田五十鈴が死去した際のものである。 2012年(平成24年)11月10日午後6時37分、肺炎による心不全のため、入院先である文京区本郷の順天堂大学医学部附属順天堂医院(以下、順天堂大学病院と記述)で死去。満92歳没(享年93)。生前からの本人の希望で親族だけの密葬を済ませた後、死去から3日後の11月14日の夜に、親族からの連絡で東宝から正式に発表された。なお、発表の数日前には、実際には既に死去していたにも関わらず、“復帰間近”という報道が流れた他、事実の公表寸前まで復帰を願う声が数多くあった。奇しくも森が没した3年前の同日には森繁久彌が96歳で、2年後の同日には高倉健が83歳で亡くなっている。なお、森の本葬時には高倉が弔電でお悔やみを寄せた。 森の死去の報を受け、親交の深かった王貞治、米倉斉加年、浜木綿子、篠山紀信が哀悼コメントを発表した。インタビューで篠山は「その生き方は全女優がそうありたいと思うかがみだったのではないか」と発言している。 また、死去が発表された2012年11月14日以降、追悼番組が各局で編成された。ザ・ドリフターズのメンバーも葬式に駆け付け、「いずれ僕らもそっちに行くかもしれないのでよろしく」とその死を惜しんだ。 2012年11月30日、日本政府は閣議に於いて森光子の日本演劇界発展への貢献を多として、命日である11月10日付で従三位を遺贈することを決定した。 12月7日に青山葬儀場で開かれた本葬では、2300人が参列した。 戒名は「惠光院放譽花雪逗留大姉(けいこういん ほうよ かせつ とうりゅう だいし)」。花雪(かせつ)の時節を通して培われた燈火(森自身のこと)から放たれる恵みの光が、これからも多くの人の心に留まり続けるものであるという意味が込められている。 なお、生前の森は無宗教だったが、13歳の時に亡くした母の菩提寺が京都にあり、上記の院号もこの寺院から受けたものである。1989年に親友・美空ひばりを亡くしたショックから翌年、茨城県に生前墓を購入しているが、故人・遺族の意向で、茨城の墓ではなく、京都の母の菩提寺に納骨された。その後茨城の墓は撤去されている。 2013年、「一般財団法人 森光子芸能文化振興財団」が設立される。創設時の代表理事は、長年森と仕事をしてきた、元フジテレビ・共同テレビの塚田圭一。その後塚田が2016年12月31日に死去し、現在は、「3時のあなた」で森とコンビを組んでいた野間脩平が代表理事を引き継いでいる。 2014年2月27日、フジテレビが開局55周年記念として、森の半生を描いたドラマの製作を発表。森光子役に仲間由紀恵、菊田一夫役に石坂浩二、岡本愛彦役には藤木直人がそれぞれキャスティングされた。作品は大阪の喜劇役者時代(26歳)から、『放浪記』で芸術祭賞を受賞(42歳)するまでを中心に構成されている。後日、正式タイトルは『森光子を生きた女〜日本一愛されたお母さんは、日本一寂しい女だった〜』となること、森の誕生日である5月9日に放送されることと、併せて5月3日には「3時のあなた」などの所蔵映像を中心に構成した特別番組『3時のあなた〜森光子が蘇る〜』の放送も発表された。 5月9日、11月に森の三回忌が明けることから、2015年6月、シアタークリエで『放浪記』に次ぐ森の代表作である『おもろい女』が9年ぶりに藤山直美主演で復活、1か月間上演されることが発表された。森自身、生前に「肉体的にもっともきつい作品」と話し、2006年の公演が最後となったが、一方で「いい脚本だから、残してほしい」とかねてから希望していたこともあり、東宝が再演を決めたものである。『おもろい女』は元々NHKで1965年9月18日に単発ドラマとして放送されたテレビ版がオリジナルで、この時の森の相手役(玉松一郎役)こそ藤山直美の父である藤山寛美であり、この時、直美も中国人孤児役で出演していたなど、浅からぬ因縁がある。 2015年10月には、『放浪記』が仲間由紀恵主演で復活。 2015年、「森光子の奨励賞」を創設。第1回は、中村勘九郎と中村七之助が受賞した。第2回は、市村正親と北島康介が受賞した。 2016年9月には、『雪まろげ』が高畑淳子主演で復活。 がしんたれ
あかさたな
放浪記
おもろい女
雪まろげ
月形半平太(1935年、山本松男監督) 活人剣 荒木又右衛門(1935年、マキノ正博監督) 文武太平記(1935年、吉田信三監督) 子負ひ虫(1936年、益田晴夫監督) 破れ合羽(1936年、吉田保次監督) 国訛道中笠(1937年、仁科熊彦監督) べらんめえ十万石(1937年、仁科熊彦監督) 静御前(1938年、野淵昶監督) 怪猫五十三次(1938年、押本七之輔監督) 暴れだした孫悟空(1939年、寿々喜多呂九平監督) 台所太平記(1963年、豊田四郎監督) この空のある限り (1964年) 冷飯とおさんとちゃん(1965年、田坂具隆監督) 大根と人参 (1965年、渋谷実監督) 氷点(1966年、山本薩夫監督) 春日和 (1967年、大庭秀雄監督) 悪名一代(1967年、安田公義監督) 乱れ雲(1967年、成瀬巳喜男監督) 喜劇 駅前百年(1967年、豊田四郎監督) 若者よ挑戦せよ(1968年、千葉泰樹監督) コント55号 世紀の大弱点(1968年、和田嘉訓監督) 喜劇 “夫”売ります!!(1968年、瀬川昌治監督) 妾二十一人 ど助平一代(1969年、成澤昌茂監督) 前科 ドス嵐(1969年、小澤啓一監督) 誰のために愛するか(1971年、出目昌伸監督) グアム島珍道中(1973年、岩内克己監督) 映画女優(1987年、市川崑監督) 川の流れのように(2000年、秋元康監督) 千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、堀川とんこう監督) 人間誕生(1955年、NHK総合) かんざし(1955年、NHK総合) 街の歌(1956年、NHK総合) こわい顔(1956年、NHK総合) 晩秋の幸福(1956年、NHK総合) コント千一夜(1956年 - 1961年、大阪テレビ) 絵本(1956年、NHK総合) 父親志願(1957年、NHK総合) ダイマル・ラケット、森光子のびっくり捕物帖(1957年 - 1960年、大阪テレビ) 小判は寝姿の夢(1957年、大阪テレビ) 芽(1957年、大阪テレビ) サンヨーテレビ劇場(ラジオ東京テレビ)※民放初出演
しぶちん 持参金 船場狂い 羅生門(1959年) 雁(1959年) 夢十夜より(1959年) 鱧の皮(1959年) 山を見るな(1959年) 東京の風(1959年) 地と虹(1960年) 女(1960年) 赤坂ふらんす亭(1960年) ミステリー 影「疑惑」(1959年、毎日放送) 街のどんぐり(1959年 - 1962年、毎日放送) 東芝日曜劇場(ラジオ東京テレビ→TBS)
一枚看板(1959年) 渡り鳥(1961年) ある夜の殿様(1961年) 湯葉(1961年) かげ(1963年) 足は暖かかった(1963年) みだれ(1964年) 三代目(1964年) いくじなし(1964年) 結婚という就職(1965年) 天国の父ちゃんこんにちは(1966年 - 1978年) おたふく物語(1967年) 私のダイヤモンド(1968年) 心の足音(1969年) 松本清張おんなシリーズ・熱い空気(1979年2月4日) - 河野信子 役 女たちの忠臣蔵(1979年12月9日)ナレーション 二人だけの結婚式 女の橋(1960年、NET) 日立劇場「五条木屋町」(1960年、ラジオ東京テレビ) しゃっくり寛太(1960年、読売テレビ) そんなとき私は(1960年 - 1961年、ラジオ東京テレビ→TBS) 夜の十時劇場「東京タワーは笑ってる」(1960年、フジテレビ) おかあさんシリーズ(TBS)
あれち野菊(1961年) 山のてっぺんの港(1961年) 青い家(1962年) 誕生まで(1963年) ダルマとアゴヒゲ(1964年) 恋獄(1961年、TBS) 若い季節(1961年 - 1964年、NHK総合) 飛田ホテル(1961年、日本テレビ) 山本周五郎アワー「しづやしづ」(1961年、TBS) 人生の四季(日本テレビ)
道づれ(1962年) NECサンデー劇場「嬶天下」(1961年、NET) テレビ指定席(NHK総合)
たった二人の工場から(1961年) 近鉄金曜劇場(ABCテレビ)
花の慕情(1962年) 毒薬(1963年、TBS) 螢(1963年、TBS) あっちゃこっちゃ(1964年、TBS) あやふやを愛す 36才の純情(1964年、TBS) おばさまと娘たち(1965年) 月夜の傘(1965年) 新選組始末記(1961年、TBS) 半七捕物帳(1961年 - 1962年、日本テレビ) 文芸劇場「下町」(1962年、NHK総合) 女シリーズ「虚飾の森」(1962年、毎日放送) 夫婦百景(日本テレビ)
置き手紙(1963年) 番頭夫婦(1964年) 酔いどれ女房(1966年) 大番(1962年 - 1963年、フジテレビ) おはなはん一代記(1962年、NHK総合) 花は桜子(1963年、TBS) テレビ劇場(NHK総合)
五年目の春(1964年) 30分劇場「五月を待つ女」(1964年、日本テレビ) NHK劇場(NHK総合)
ふるさとの甘い風(1964年) ソクラテスの妻(1966年) 日産スター劇場(日本テレビ)
幸せが来た(1964年、読売テレビ) おせっかいさんの婿選び(1965年) 花嫁候補がやってきた(1966年) 教養あるおかあちゃん(1966年) お妾さんのいる社宅(1967年) かあちゃんは本日休業(1967年) 私は妻です(1967年) 姉妹の春(1968年) 十年目の再会(1968年) 危うし妻の座(1968年) たこたこあがれ(1969年) ポーラ名作劇場(NET)
いのちある日を(1965年 - 1966年) 徳川家康(1964年 - 1965年、NET) 新たなり(1965年、NHK総合) 木下恵介劇場「お好み焼きてんまつ記」(1965年、TBS) のれん太平記(1965年 - 1966年、フジテレビ) 沙羅の門(1965年、関西テレビ) おもろい女(1965年、NHK総合) ああ! 夫婦 第2話「情けないやらくやしいやら」(1965年、TBS) 草暦(1965年、NHK総合) シオノギテレビ劇場(フジテレビ)
巷談本牧亭(1966年) しぐれ人形(1966年) うちらの青春(1966年、読売テレビ) にっぽん道中記「おでん・かん酒物語」(1966年、関西テレビ) おてんとさまどんと来い!(1966年、フジテレビ) ナショナル劇場「青春怪談」(1966年、TBS) のれん繁昌記(1966年、フジテレビ) 新選組血風録 第26話「燃える生命」(1966年、NET) 大河ドラマ(NHK総合)
琉球の風(1993年) イソバ 役 スター推理劇場(フジテレビ)
一年半待て(1968年) - 須村さと子 役 道頓堀(1968年、読売テレビ) 大奥(1968年、関西テレビ) - 浦路 役 夜のグランド劇場「恋しかるらん」(1968年、日本テレビ) 娘すし屋繁盛記(1969年、TBS) もうれつ大家族(1969年、フジテレビ) おんなの劇場「出雲の女」(1969年、フジテレビ) - 明石はる 役 火曜劇場「ごちそうさん」(1969年、関西テレビ) - 立花令子 役 時間ですよシリーズ(TBS)
時間ですよ昭和元年(1974年10月 - 1975年4月) 時間ですよふたたび(1987年6月 - 8月) 時間ですよたびたび(1988年7月 - 10月) 時間ですよ平成元年(1989年10月 - 12月) おさな妻(1970年、東京12チャンネル) 男は度胸(1970年、NHK総合) 2丁目3番地(1971年、日本テレビ) 徳川おんな絵巻(1971年、関西テレビ) からすなぜ泣くの (1971年、NHK総合・銀河ドラマ) - 花輪りん 銀座わが町(1973年4月 - 1974年3月、NHK総合) 新選組(1973年、フジテレビ) - 語り さよなら・今日は(1973年10月 - 1974年3月、日本テレビ) 花吹雪はしご一家(1975年 - 1976年、TBS) 一丁目物語 ゴッドマザーの二度目の青春(1977年、日本テレビ) せい子宙太郎‐忍宿借夫婦巷談(1977年 - 1978年、TBS) 敵か?味方か?3対3(1978年5月25日 - 7月6日、テレビ朝日)松井妙子 役 お昼のテレビ小説「浪花おこし」(1978年、フジテレビ) - ナレーター 熱愛一家・LOVE(1979年2月14日 - 1979年8月8日 TBS) 石本千代 役 なぜか初恋・南風(1980年2月13日 - 1980年7月16日 TBS) 和宮様御留(1981年、フジテレビ) 観行院 役 春よ、来い(1982年、日本テレビ) 田中丸家御一同様(1982年、日本テレビ) 田中丸せつ 役 おかあさん−たぬき屋の人々 (1985年、TBS) 川村雅江 役 ドラマ人間模様(NHK総合)
銀河テレビ小説(NHK総合)
おんなは一生懸命(1987年 - 1988年、TBS) 竹山登世 役 火曜サスペンス劇場「スキャンダル」(1988年1月5日、日本テレビ) 山田和子 役 水曜グランドロマン「女たちの百万石」(1988年10月12日・19日、日本テレビ) 黄昏の赫いきらめき(1989年、NHK総合) 源義経(1990年、TBS) 渡る世間は鬼ばかり(1990年 - 2008年、TBS) 森山珠子 役※ドラマ作品の遺作(第9シリーズ) なんだら まんだら(1991年、フジテレビ) 源氏物語 上の巻・下の巻(1991年、TBS) D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌…(1992年、フジテレビ) 月曜ドラマスペシャル「かあさんはドンシリーズ」(1992年-1993年、TBS) 華岡青洲の妻(1992年、フジテレビ) 土曜ドラマ(NHK総合)
お玉・幸造夫婦です(1994年、読売テレビ) スペシャルドラマ「誰かが誰かに恋してる」(1996年3月29日、TBS) 鈴木芳江 役 必要のない人(1998年、NHK総合) 水戸黄門(TBS)
1000回記念スペシャル(2003年12月15日) 狩野山月 役(特別出演) ハルとナツ 届かなかった手紙(2005年、NHK総合) 拝啓、父上様 第3話(2007年1月25日、フジテレビ)(特別出演) 寧々〜おんな太閤記(2009年1月2日、テレビ東京) 語り もののけ姫(1997年、宮崎駿監督) - ヒイ様 役 ジェシカおばさんの事件簿(1988年、NHK) - ジェシカ・フレッチャー:アンジェラ・ランズベリー ブラザー・ベア(2004年、ブエナ・ビスタ・ピクチャーズ) - タナナ ラジオドラマ『エンタツの迷探偵』(1952年、NHKラジオ第1大阪) ラジオドラマ『ダム』(1961年、ニッポン放送) - 第16回芸術祭奨励賞 ラジオドラマ『綱大夫四季』(1975年、NHKラジオ第1) - 第30回芸術祭ドラマ部門優秀賞 ラジオドラマ『松鶴恋歌』(1987年、MBS) - 第35回日本民間放送連盟賞娯楽番組部門最優秀賞、第14回放送文化基金賞本賞 第14回ラジオチャリティミュージックソン(1988年12月、ニッポン放送) - パーソナリティー(生放送) オールナイトニッポン(2009年1月2日、ニッポン放送) - パーソナリティー NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1)
1969年・1976年・1989年 - 応援ゲスト 1961年・1981年・1986年・1992年・1994年・2004年・2005年・2009年 - 審査員 輝く!日本レコード大賞(1972年 - 1976年、TBSテレビ・ラジオ) - アシスタント 思い出のメロディー(1976年 - 1978年・1983年、NHK総合・ラジオ第1)司会兼歌手、(2008年) - 歌手 3時のあなた(1974年4月 - 1988年4月、フジテレビ) - 司会 ドリフと女優の爆笑劇場(テレビ朝日)レギュラー 加トちゃんケンちゃん光子ちゃん (フジテレビ) 関口宏のサンデーモーニングスペシャル(TBS)1989年12月31日 西村晃とともに出演 ギミア・ぶれいく(TBS)レギュラー格 勘三郎が泣いた!勘太郎挙式&感動秘話〜さよなら歌舞伎座SP(フジテレビ) - 語り ためしてガッテン(NHK総合) - 一時期準レギュラー、第1回放送のゲストでもあり、2001年12月までは数か月に1回ペースで出演 徹子の部屋(テレビ朝日) - 司会の黒柳徹子とはテレビ創成期からの大親友であり、顕著に出演 さんまのまんま(関西テレビ) - レギュラーではないが、生前最後のバラエティ番組ゲスト出演となった(2009年10月16日) タケヤ味噌 ※1968年以来、一時中断を経て40年間CMキャラクターを務めて「ひと味ちがいます」のコピーを生んだ 興和新薬『コルゲンコーワ』 リクルート『とらばーゆ』 日本道路公団 アース製薬 京都呉服[1] 人形の秀月 日本赤十字社 国民年金基金 全日本空輸 キリンビバレッジ『午後の紅茶』 『いきいき』(シニア層向け生活雑誌) 日本喜劇人協会第6代会長 日本俳優連合名誉副会長 『女優 森光子 大正・昭和・平成 -八十八年 激動の軌跡-』(集英社、2009年1月)ISBN 9784087813883 『人生はロングラン - 私の履歴書』(日本経済新聞出版社、2009年4月)ISBN 9784532166922 『女優・半世紀の挑戦 あきらめなかった いつだって』(PHP研究所、2011年5月)ISBN 9784569781471 篠山紀信写真集 『女優魂 森光子『放浪記』二〇一七回の記録』(扶桑社、2015年5月) 杉本礼 『森光子 汗と涙のカーテンコール』 テーミス、2006年1月 真鍋秀夫 『女優森光子 大スターその光と影』 元就出版社、2005年10月 小松成美 『全身女優 私たちの森光子』 KADOKAWA、2015年5月 川良浩和 『森光子 百歳の放浪記』 中公新書ラクレ、2020年3月 Mitsuko Mori
PCCA-00793(1995年10月4日、2枚組) - カラオケ盤がない PCCA-03031(2010年1月6日、2枚組) - 再発売 森光子のふるさとの歌をたずねて (民謡12曲の歌とナレーション)
歌と想い出 (懐メロ14曲の歌とナレーション)
仲間由紀恵 - 『森光子を生きた女 〜日本一愛されたお母さんは、日本一寂しい女だった〜』、2014年5月9日放送、フジテレビ 2013年4月27日、石川県加賀市山中温泉の旧・金沢信金山中支店跡に『森光子一座記念館』が開館(開業期間は2年間)。森は以前から山中温泉との縁があり、1972年にはドラマ『時間ですよ』のロケで当地を訪れており、商工会との親交があった。また、2000年頃「山中節は民謡の中で一番好き」とラジオ番組で語ったのを旧山中町町長・田中實が偶然耳にして感動し、森に熱心に要請したことがきっかけで『山中節と温泉の館 山中座』の名誉座長に就任している。2009年5月、既に記念館の構想が提案され、2015年に創業800年の老舗旅館「よしのや依緑園」の日本家屋に建設する話がまとまっていたが、森の死去により前倒しで開館となったものである。2013年6月5日には来場者数が1万1111人を達成。またこの日、記念館の「名誉監修」として石井ふく子が就任することが発表された。 しかし、遺品について展示に協力してきた東宝との借用期間が過ぎ、県道の拡幅工事により入居建物についても移転が必要なため、2015年の年内をもって休館することとなった。山中温泉で再開する計画があるが具体的な移転先は決まっていない。 新潟県柏崎市でお盆に開かれる「柏崎ふるさとまつり」にて、直筆の絵あんどんを出品していた。 ^ 富久進次郎には、NHKラジオの『アチャコ青春手帖』へのオファーのために、芸能界引退後消息不明だった浪花千栄子の居所を探り当て、復帰にこぎつけた「実績」があった(読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 p.122)。 ^ 引用ページでは「通院」となっている。 ^ ただ、起用当初は視聴者から「女優が何をしているんだ」と非難を浴びることもあったという。森自身、辞めるべきか悩んだが、この時相談にのったのがTBSで森のドラマを数々手がけた演出家の鴨下信一だった。鴨下は「森さんは、いろんな経験をしてさまざまな世界を見てきた。これからの女優は演技以外のこともするべき。絶対に続けたほうがいい」とアドバイス。これに応え、長きにわたり司会を務めた。 ^ 舞台では『御いのち』(1994年)、『深川しぐれ』(1997年)、『春は爛漫』(1995年、2003年)、『花も嵐も』(1999年)、『ツキコの月 そして、タンゴ』(2005年)。テレビドラマでは『花迷宮2 / 上海から来た女』(1991年、CX)、『誰かが誰かに恋してる』(1996年、TBS)などがある。 ^ 誕生の報告を受け、たまたま立ち寄った喫茶店で乳児を連れた母親を見かけると「うちにも生まれたんですよ」と話しかけ、まるで初孫誕生のように大喜びだったという。 ^ 当時「クイズダービー」のレギュラー解答者は、1枠北野大・2枠井森美幸・3枠はらたいら・4枠竹下景子、5枠ゲスト解答者は5代目2枠レギュラーの長山藍子が出演した。 ^ 1989年10月10日 - 1992年9月29日まで放送。 ^ 山下夫妻は、ジャニー喜多川や夫妻の所属事務所社長で、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役でもある小杉理宇造を通じて森と懇意になり、家族ぐるみでグループ旅行に参加するなど、以前から親交があった。また、演劇について森から様々なことを教わった、とも述べている。 ^ 用語的には「でんぐり返り」」だが、記事の記述に沿って「でんぐり返し」とする。 ^ 国民栄誉賞の俳優での受賞者は、1984年(昭和59年)の長谷川一夫、1996年(平成8年)の渥美清に次いで3人目、女優での受賞者は森が初めてとなる。長谷川、渥美はいずれも没後の受賞であった。また、女性への国民栄誉賞受賞者は歌手の美空ひばり、漫画家の長谷川町子、陸上選手の高橋尚子に次いで4人目となる。なお非スポーツ選手で他に生前授与した例に歌手の藤山一郎、将棋棋士の羽生善治、囲碁棋士の井山裕太がいる。 ^ 昼の部のみの公演。2009年4月に出版された森の自叙伝『人生はロングラン』を読んだ喜多川が、森の幼少期や戦中・戦後の体験や森自身から語られた言葉をヒントに創作したオリジナルストーリー。芝居仕立ての作品ではあるが、ミュージカルやイリュージョン、ステージからのフライングなど、バラエティ、エンターテイメント的要素の強い舞台である。夜の部は2009年正月にも上演された滝沢秀明主演による『新春 滝沢革命』・リニューアル版の公演が行われた。なお、主題歌『人生革命』は森自身が作詞、作曲は馬飼野康二でMARK DAVIS名義。コーラスに共演者の滝沢、錦織に加え、Kis-My-Ft2も参加している。 ^ この決定を受け、ジャニー喜多川が内博貴やA.B.C-ZらジャニーズJr.による代替公演を用意して穴を埋め、森の面子を立てている。 ^ 2011年1月刊、東宝/ぴあ、ISBN 978-4-8356-1782-4 ^ 「森繁対談」では第1回のゲストが高倉健で、第11回のゲストが森光子である。 ^ 2012年11月15日『徹子の部屋 追悼 森光子さん』(テレビ朝日) ^ 2012年11月16日『金曜プレステージ さよなら森光子さん 緊急追悼特別番組』(フジテレビ) ^ 2012年11月18日『NHKアーカイブス 森光子さん追悼〜放浪記と歩んだ女優人生〜』(NHK) ^ 2012年11月18日『追悼特別番組 ありがとう……森光子さん』(TBS) ^ 初代の没後に襲名した二代目ワカナは、森とも親交のあった同い年のミヤコ蝶々だった。なお、ミスワカナは4代目までおり、いずれも玉松一郎の相方を務めた。 ^ 司会5回は女性の最多記録である。 ^ 司会4回は松坂慶子に抜かれるまで女性の最多司会だった。また、3年連続司会を経験した女性は森のみ。 ^ 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.32. ^ “森光子 〜タレント名鑑〜”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月11日閲覧。 ^ “エンタメニュース /森光子さん死去、92歳…放浪記・時間ですよ”. YOMIURI ONLINE (2012年11月14日). 2012年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月11日閲覧。 ^ “森光子さん肺炎による心不全で死去 92歳”. ORICON NEWS (2012年11月14日). 2024年11月10日閲覧。 ^ “『こちらフジテレビ』 番組審議会名簿”. フジテレビ. 2012年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月11日閲覧。 ^ “京都市長「森さんのご逝去は痛惜の極み」” (2012年11月14日). 2013年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月11日閲覧。 ^ “森光子さん「女優にならなかったら祇園で舞妓になっていた」”. NEWSポストセブン. 小学館 (2012年11月30日). 2024年11月11日閲覧。 ^ 『女優が語る私の人生』NHKサービスセンター、2012年10月18日、95頁。ISBN 978-4-87108-113-9。 ^ “「女優の森光子さん死去 92歳、『放浪記』主演2000回」”. Web刊日本経済新聞. (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121117002804/http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1403S_U2A111C1000000/? 2013年7月16日閲覧。 ^ 馬場マコト『従軍歌謡慰問団』白水社、2012年11月7日、112頁。ISBN 978-4-560-08251-5。 ^ “赤木春恵さん「もう少し時間が必要」 森光子さん惜しむ”. 朝日新聞DIGITAL. (2012年11月15日). オリジナルの2013年4月24日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/ZgnIR 2013年7月16日閲覧。 ^ 『徹子の部屋 追悼 森光子さん』(テレビ朝日、2012年11月15日放送) ^ 森光子『人生はロングラン』日本経済新聞出版社、2009年4月、218頁。ISBN 978-4-532-16692-2。 ^ “【森光子さん死去】2度結婚し離婚…海軍大尉との悲恋も経験”. MSN産経ニュース. (2012年11月15日). オリジナルの2013年1月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/lhuSS 2013年7月16日閲覧。 ^ “森光子さん、死去 女優人生77年 92歳で幕”. スポーツ報知. (2012年11月15日). オリジナルの2013年9月16日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/QvH1b 2013年9月16日閲覧。 ^ 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 p.125 ^ 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 p.66 ^ “大卒初任給の推移”. WEB金融新聞. 2008年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月27日閲覧。 ^ 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 p.85 ^ 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.160-165 ^ “<訃報>女優の森光子さん死去、92歳…放浪記、時間ですよ”. exciteニュース(毎日.jp). (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121116021633/http://www.excite.co.jp/News/society_g/20121114/Mainichi_20121115k0000m040027000c.html 2013年7月16日閲覧。 ^ 『金曜プレステージ さよなら森光子さん 緊急追悼特別番組』(フジテレビ、2012年11月16日放送) ^ “次回の特集企画 銀幕の森光子”. 神保町シアター(小学館). 2013年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。 ^ “「テアトロン賞」とは?”. 江利チエミの世界. 2004年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。 ^ “森光子さんが死去 舞台「放浪記」で2017回主演”. MSN産経ニュース. (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121130200413/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121114/ent12111419330017-n1.htm 2013年7月16日閲覧。 ^ “女優の森光子さん死去”. NHK NEWS web. (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121117014753/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121114/t10013490011000.html 2013年4月19日閲覧。 ^ “「日本のお母さん」と親しまれた国民的女優”. MSN産経ニュース. (2012年11月14日). オリジナルの2014年1月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140112015323/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121114/ent12111420440020-n1.htm 2013年7月16日閲覧。 ^ “森光子さん “国民のお母さん”が抱き続けた「家庭への憧れ」【森光子さん】”. 女性自身 (2012年11月20日). 2013年10月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 ^ “森光子さん、知られざる私生活…恋と卵と悲しいファクス”. ZAKZAK. (2012年11月15日). オリジナルの2012年11月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121117173521/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20121115/enn1211151542012-n1.htm 2014年5月13日閲覧。 ^ “本多圭の「芸能界・今昔・裏・レポート」なぜ彼女は“芸能界のお母さん”と呼ばれたか? 大女優・森光子さんを偲ぶ”. 日刊サイゾー. (2012年11月16日). オリジナルの2012年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121118044403/http://www.cyzo.com/2012/11/post_11916.html 2014年5月13日閲覧。 ^ “吉田名保美とは”. コトバンク. 2014年5月13日閲覧。 ^ “菊田一夫に見出されて開花した「日本のお母さん女優」森光子”. 本の話WEB - 文春写真館(文藝春秋). 2013年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月19日閲覧。 ^ “森光子、ワイドショー司会抜擢で袋叩き”. アサ芸+ (2012年11月28日). 2013年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 ^ “森光子さん「亡き母の眠る京都に…」進めていた”死に支度" 【森光子さん】”. 女性自身 (2012年12月11日). 2013年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月22日閲覧。 ^ “ジャニーズ「衝撃大きすぎる。コメント出すのに少し時間ほしい」(2/2ページ)”. MSN産経ニュース. (2012年11月15日). オリジナルの2012年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121118051612/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121115/ent12111508080003-n2.htm 2013年7月16日閲覧。 ^ “気紛れDIARY / 森光子、東山紀之が競演、「ツキコの月 そして、タンゴ」の椿事 ?”. 安倍寧 web site (2005年10月31日). 2007年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月5日閲覧。 ^ “森光子さん「華やかに育てて」 東山さん、木村さん女児誕生”. MSN産経ニュース. (2011年11月5日). オリジナルの2013年1月4日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/2rp78 2013年7月16日閲覧。 ^ “東山紀之第1子に森光子も大喜び!うちも生まれたと声をかけ”. 芸能ニュースラウンジ (2011年11月6日). 2014年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月13日閲覧。 ^ “森光子さん没後10年…時代を超えて愛された理由を黒柳徹子らが語る”. 産経ニュース (2022年1月25日). 2022年1月25日閲覧。 ^ 「92年秋の叙勲=勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、外国人受章者」『読売新聞』1992年11月3日朝刊 ^ 2010年5月21日に死去。“森光子の元マネジャー関冨士夫氏が死去”. Sponichi Annex. (2010年5月22日). オリジナルの2014年5月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140513083147/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/05/22/kiji/K20100522Z00001420.html 2014年5月13日閲覧。 ^ “『錦秋演舞場祭り 中村勘三郎奮闘』製作発表 [記者会見]”. シアターガイド (2007年9月6日). 2014年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月16日閲覧。 ^ “森光子さん、でんぐり返し封印 「放浪記」製作発表で”. asahi.com. (2007年11月29日). オリジナルの2007年12月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071201142259/http://www.asahi.com/culture/stage/theater/TKY200711290333.html 2013年10月17日閲覧。 ^ “「和田アキ子、森光子さんから相談4時間」”. デイリースポーツONLINE. (2012年11月17日). オリジナルの2013年10月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131018035623/http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2012/11/17/0005533389.shtml 2013年10月18日閲覧。 ^ “森光子89歳誕生日に「放浪記」2000回達成”. 日刊スポーツ (2009年5月10日). 2020年10月24日閲覧。 ^ “演劇/ 公演中止に関するお詫び” (PDF). 東宝株式会社 (2010年2月26日). 2014年2月16日閲覧。 ^ “内博貴らジャニーズJr.による、森光子『放浪記』の代替公演が決定”. シアターガイド (2010年3月29日). 2010年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月2日閲覧。 ^ “森光子さん死去 お休みなさいお母さん”. nikkansports.com. (2012年11月15日). オリジナルの2013年4月27日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/rvL7a 2013年7月16日閲覧。 ^ “山田五十鈴さん死去 森光子「大きな背中が頼もしかった」”. ORICON STYLE. (2012年7月10日). オリジナルの2013年2月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130206015213/http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2014149/full/ 2013年2月6日閲覧。 ^ “森光子さんのプライバシー守った順天堂病院の実力…VIPも厚い信頼”. zakzak. (2012年11月19日). オリジナルの2012年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121127181804/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20121119/enn1211191534008-n1.htm 2014年7月21日閲覧。 ^ “「復帰情報」流れる御年92 森光子の美学”. Gendai.Net. (2012年11月9日). オリジナルの2012年11月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121112034836/http://gendai.net/articles/view/geino/139563 ^ “メディアが掴めなかった森光子さんの病状 死亡する直前にも「間もなく女優復帰」報道”. J-CASTニュース. (2012年11月15日). オリジナルの2014年7月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140722123448/http://www.j-cast.com/2012/11/15154136.html?p=all 2014年7月22日閲覧。 ^ “森光子さん「一生懸命生きて…」特別病室で残していた遺言”. 女性自身 (2012年11月19日). 2013年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月22日閲覧。 ^ “王さん「歴史に残る名女優」浜木綿子「先日、夢でお会いした」”. Sponichi Annex. (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121118175444/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/11/14/kiji/K20121114004555240.html 2013年7月16日閲覧。 ^ “森光子さん訃報で各界著名人から哀悼コメント”. SANSPO.COM. (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121117114553/http://www.sanspo.com/geino/news/20121114/oth12111420490018-n1.html 2013年7月16日閲覧。 ^ “ニュース詳細 / 篠山紀信さん“全女優のかがみ””. NHK NEWS web. (2012年11月14日). オリジナルの2012年11月19日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/IlVkI 2013年4月19日閲覧。 ^ “森光子さんに従三位…政府が閣議決定”. Sponichi Annex. (2012年12月1日). オリジナルの2012年12月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121211064243/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/12/01/kiji/K20121201004676360.html 2013年9月16日閲覧。 ^ 2012年(平成24年)12月11日付『官報』。 ^ “森光子さん本葬に2300人参列 ジャニーズ勢も多数”. ORICON STYLE. (2012年12月8日). オリジナルの2013年1月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130101084544/http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2019456/full/ 2013年1月6日閲覧。 ^ “森光子さん本葬しめやかに 黒柳徹子、近藤真彦ら弔辞”. ORICON STYLE. (2012年12月7日). オリジナルの2013年2月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130206015204/http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2019341/full/ 2013年2月6日閲覧。 ^ “森光子さん 生前に購入した茨城県のお墓が更地になっていた”. NEWSポストセブン. (2013年11月14日). オリジナルの2013年11月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131114005633/http://www.news-postseven.com/archives/20131114_226857.html 2014年5月9日閲覧。 ^ サンケイスポーツ2015年4月15日分記事「森光子の奨励賞」創設へ、第1回受賞者は5・7しのぶ会で発表 ^ 塚田が創設した歌舞伎セミナー会「花道会」HPより ^ “仲間由紀恵、森光子の半生をドラマ化「身の引き締まる思い」”. ORICON STYLE. (2014年2月27日). オリジナルの2014年4月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140427113849/http://www.oricon.co.jp/news/2034539/full/ 2014年4月27日閲覧。 ^ “『とれたてフジテレビ』 / 放送は、森光子さんの誕生日5月9日(金)に決定!!『森光子を生きた女 〜日本一愛されたお母さんは、日本一寂しい女だった〜』”. フジテレビジョン (2014年4月15日). 2014年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月27日閲覧。 ^ “森光子を生きた女 〜日本一愛されたお母さんは、日本一寂しい女だった〜”. フジテレビジョン. 2014年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月10日閲覧。 ^ “おもろい女 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. 2014年5月10日閲覧。 ^ “森光子さん代表作「おもろい女」、藤山直美で9年ぶり復活”. スポーツ報知. (2014年5月9日). オリジナルの2014年5月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/en9Yt 2014年5月10日閲覧。 ^ “藤山直美版「おもろい女」森さん遺志継承”. nikkansports.com. (2014年5月9日). オリジナルの2014年5月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/HSIgx 2014年5月10日閲覧。 ^ “「森光子の奨励賞」創設! 5・7受賞者発表”. スポーツ報知 (2015年4月15日). 2015年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月8日閲覧。 ^ “中村勘九郎・七之助、『森光子の奨励賞』受賞「父と祖父に感謝」”. ORICON (2015年5月7日). 2015年5月8日閲覧。 ^ 森光子の奨励賞.市村正親&北島康介氏が受賞 90歳まで現役!? ^ 高畑淳子が森光子さん代表舞台「雪まろげ」を継承 ^ 放送ライブラリー 番組ID:000527 ^ NHK劇場 ふるさとの甘い風 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス ^ 放送ライブラリー 番組ID:004063 ^ “もののけ姫”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月18日閲覧。 ^ 放送ライブラリー 番組ID:R00058 ^ 放送ライブラリー 番組ID:R00713 ^ 放送ライブラリー 番組ID:R00408 ^ 司会は高橋圭三。 ^ 森光子 - オリコンTV出演情報 ^ “森光子を生きた女 ~日本一愛されたお母さんは、日本一寂しい女だった~”. フジテレビ. 2024年11月11日閲覧。 ^ “平成二十六年新春山中座舞台開き 舞初め鑑賞会開催”. 山中座 山中節と温泉の館 (2013年12月6日). 2014年5月10日閲覧。 ^ “お宝展示品多数!「森光子一座」記念館オープンへ”. SANSPO.COM. (2013年4月21日). オリジナルの2013年5月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130502062609/http://www.sanspo.com/geino/news/20130421/oth13042105050007-n1.html 2013年9月16日閲覧。 および 読売新聞2013年4月28日13S版2面 ^ “森光子さん記念館の来場者、1万1111人突破”. SANSPO.COM. (2013年6月6日). オリジナルの2013年7月7日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/uZegn 2013年7月16日閲覧。 ^ “森光子記念館休館へ 山中温泉、遺品借用期間が満了”. 北国新聞. (2015年11月11日). オリジナルの2015年11月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151114003601/http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20151111101.htm 2015年11月12日閲覧。 ^ お盆恒例ふるさとまつりが14・15日に - 柏崎日報(2009年8月11日)、2023年5月10日閲覧。 森光子 公式ウェブサイト 森光子 - 日本映画データベース 森光子 - allcinema 森光子 - KINENOTE Mitsuko Mori - IMDb(英語) 森光子 - MOVIE WALKER PRESS 森光子 - テレビドラマデータベース 森光子 - NHK人物録 おめでとう森光子さん~「放浪記」2000回記念特集 - NHK放送史 “加賀山中温泉 / 森光子一座記念館 / Home”. 森光子一座記念館. 2013年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月18日閲覧。 “森光子 1920年生まれ。主人公の林芙美子を演じた…:日本の大女優 写真特集”. 時事ドットコム. 2016年10月24日閲覧。 ウィキメディア・コモンズには、森光子に関するカテゴリがあります。 表 話 編 歴 1977年(昭和52年):王貞治 1978年(昭和53年):古賀政男 1984年(昭和59年):長谷川一夫 1984年(昭和59年):植村直己 1984年(昭和59年):山下泰裕 1987年(昭和62年):衣笠祥雄 1989年(平成元年):美空ひばり 1989年(平成元年):千代の富士貢 1992年(平成4年):藤山一郎 1992年(平成4年):長谷川町子 1993年(平成5年):服部良一 1996年(平成8年):渥美清 1998年(平成10年):吉田正 1998年(平成10年):黒澤明 2000年(平成12年):高橋尚子 2009年(平成21年):遠藤実 2009年(平成21年):森光子 2009年(平成21年):森繁久彌 2012年(平成24年):吉田沙保里 2013年(平成25年):大鵬幸喜 2013年(平成25年):長嶋茂雄 2013年(平成25年):松井秀喜 2016年(平成28年):伊調馨 2018年(平成30年):羽生善治 2018年(平成30年):井山裕太 2018年(平成30年):羽生結弦 2023年(令和5年):国枝慎吾 2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 1951 加藤道子 1952 丹下キヨ子 1953(年初)本田寿賀 1953(年末)水の江瀧子 1954 福士夏江 1955 宮田輝 1956 宮田輝 1957 水の江瀧子 1958 黒柳徹子 1959 中村メイコ 1960 中村メイコ 1961 中村メイコ 1962 森光子 1963 江利チエミ 1964 江利チエミ 1965 林美智子 1966 ペギー葉山 1967 九重佑三子 1968 水前寺清子 1969 伊東ゆかり 1970 美空ひばり 1971 水前寺清子 1972 佐良直美 1973 水前寺清子 1974 佐良直美 1975 佐良直美 1976 佐良直美 1977 佐良直美 1978 森光子 1979 水前寺清子 1980 黒柳徹子 1981 黒柳徹子 1982 黒柳徹子 1983 黒柳徹子 1984 森光子 1985 森昌子 1986 斉藤由貴、目加田賴子 1987 和田アキ子 1988 和田アキ子 1989 三田佳子 1990 三田佳子 1991 浅野ゆう子 1992 石田ひかり 1993 石田ひかり 1994 上沼恵美子 1995 上沼恵美子 1996 松たか子 1997 和田アキ子 1998 久保純子 1999 久保純子 2000 久保純子 2001 有働由美子 2002 有働由美子 2003 有働由美子、膳場貴子 2004 小野文惠 2005 仲間由紀恵 2006 仲間由紀恵 2007 中居正広 2008 仲間由紀恵 2009 仲間由紀恵 2010 松下奈緒 2011 井上真央 2012 堀北真希 2013 綾瀬はるか 2014 吉高由里子 2015 綾瀬はるか 2016 有村架純 2017 有村架純 2018 広瀬すず 2019 綾瀬はるか 2020 二階堂ふみ 2021 川口春奈 2022 橋本環奈 2023 橋本環奈、浜辺美波 2024 橋本環奈、伊藤沙莉 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 表 話 編 歴 第1回 - 第6回(1959年 - 1964年)芥川隆行 第7回 - 第10回(1965年 - 1968年)三木鮎郎 第11回、第12回(1969年、1970年)高橋圭三 第13回(1971年)高橋圭三、山本陽子 第14回 - 第18回(1972年 - 1976年)高橋圭三、森光子 第19回、第20回(1977年、1978年)高橋圭三、久米宏、黒柳徹子 第21回(1979年)高橋圭三、檀ふみ 第22回(1980年)高橋圭三、渡辺謙太郎、中田喜子 第23回(1981年)高橋圭三、渡辺謙太郎、竹下景子 第24回(1982年)高橋圭三、児玉清、竹下景子 第25回(1983年)高橋圭三、竹下景子 第26回(1984年)森本毅郎、竹下景子 第27回(1985年)森本毅郎、倍賞美津子 第28回(1986年)森本毅郎、竹下景子 第29回、第30回(1987年、1988年)関口宏、三雲孝江 第31回(1989年)板東英二、楠田枝里子 第32回(1990年)板東英二、和田アキ子 第33回(1991年) 石田純一、布施明、黒柳徹子 第34回(1992年)神田正輝、黒柳徹子 第35回(1993年)宮本亜門、牧瀬里穂 第36回(1994年)宮本亜門、牧瀬里穂 第37回(1995年)西田敏行、中山秀征、渡辺真理 第38回(1996年)堺正章、飯島直子 第39回(1997年)堺正章、草野満代 第40回(1998年)堺正章、江角マキコ 第41回、第42回(1999年、2000年)堺正章、黒木瞳 第43回(2001年)堺正章、米倉涼子 第44回 (2002年) 堺正章、菊川怜 第45回 (2003年) 堺正章 第46回(2004年)堺正章、伊東美咲 第47回(2005年)堺正章、綾瀬はるか 第48回、第49回(2006年、2007年)堺正章、押切もえ、蛯原友里 第50回(2008年)堺正章、上戸彩、松下奈緒 第51回 - 第53回(2009年 - 2011年)堺正章、藤原紀香 第54回(2012年)安住紳一郎、新垣結衣 第55回(2013年)安住紳一郎、上戸彩 第56回、第57回(2014年、2015年)安住紳一郎、仲間由紀恵 第58回、第59回(2016年、2017年)安住紳一郎、天海祐希 第60回、第61回(2018年、2019年)安住紳一郎、土屋太鳳 第62回、第63回(2020年、2021年)安住紳一郎、吉岡里帆 第64回(2022年)安住紳一郎、有村架純 第65回(2023年)安住紳一郎、川口春奈 TBSテレビ 表 話 編 歴 木村拓哉 内博貴 中山優馬 長谷川純 岡本圭人 中島健人 河合郁人 林翔太 室龍太 高田翔 寺西拓人 原嘉孝 今江大地 松本幸大 冨岡健翔 野澤祐樹 内海光司 佐藤アツヒロ ジュニア 企画ユニット 城島茂 国分太一 松岡昌宏 坂本昌行 長野博 井ノ原快彦 堂本光一 相葉雅紀 大野智 櫻井翔 小山慶一郎 加藤シゲアキ 増田貴久 横山裕 村上信五 丸山隆平 安田章大 大倉忠義 亀梨和也 上田竜也 中丸雄一 山田涼介 知念侑李 中島裕翔 有岡大貴 髙木雄也 伊野尾慧 八乙女光 薮宏太 藤ヶ谷太輔 玉森裕太 千賀健永 宮田俊哉 横尾渉 二階堂高嗣 佐藤勝利 菊池風磨 松島聡 橋本良亮 戸塚祥太 五関晃一 塚田僚一 重岡大毅 桐山照史 中間淳太 神山智洋 藤井流星 濵田崇裕 小瀧望 福田悠太 辰巳雄大 越岡裕貴 松崎祐介 (グループエージェント契約) 永瀬廉 髙橋海人 ジェシー 京本大我 松村北斗 髙地優吾 森本慎太郎 田中樹 岩本照 深澤辰哉 ラウール 渡辺翔太 向井康二 阿部亮平 目黒蓮 宮舘涼太 佐久間大介 西畑大吾 大西流星 道枝駿佑 高橋恭平 長尾謙杜 藤原丈一郎 大橋和也 宮近海斗 中村海人 七五三掛龍也 川島如恵留 吉澤閑也 松田元太 松倉海斗 正門良規 末澤誠也 草間リチャード敬太 小島健 佐野晶哉 Annex ストームレーベルズ SMILE-UP. 東京・新・グローブ座 TOKIO 嵐 King & Prince ファミリークラブ ヤング・コミュニケーション 過去のジャニーズ事務所所属者 過去のバックバンドグループ OBによるグループ ゴート・レーベル ジェイ・ドリーム 1990年以前 1990年代 2000年代 タイアップ一覧 ジュニア一覧 ジャニー喜多川 メリー喜多川 藤島ジュリー景子 藤島泰輔 小杉理宇造 原藤一輝 白波瀬傑 東山紀之 滝沢秀明 飯島三智 森光子 月丘夢路 馬飼野康二 矢田次男 西条満 ジャニーズ
飯野おさみ 中谷良 青井輝彦 堂本剛 二宮和也 松本潤 ジャニーズ事務所 金星スターズ 少年御三家 ジャニーズ大運動会 G-Junior 年男ユニット U&S KAMIGATA BOYZ SMAP
新しい地図 TOBE SUMMARY DREAM BOY ジャニーズ銀座 ジャニーズ・アイランド J-FRIENDS Marching J Johnny's World Happy LIVE with YOU Twenty★Twenty よにのちゃんねる 放課後 GAMING LIFE ジャニー喜多川性加害問題 ジャニーズ性加害問題当事者の会 ザ少年倶楽部 / ザ少年倶楽部プレミアム ヒルナンデス! ミュージックステーション VS魂 シンドラ オシドラサタデー NHK紅白歌合戦 日テレ系人気番組No.1決定戦 24時間テレビ 「愛は地球を救う」 THE MUSIC DAY 日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト ミュージックステーションスーパーライブ ミュージックステーションウルトラFES 究極バトル“ゼウス” 音楽の日 UTAGE! テレ東音楽祭 ジャニーズカウントダウンライブ FNSの日(FNS27時間テレビ) FNS歌謡祭 FNSうたの夏まつり(FNS歌謡祭 夏) FNSうたの春まつり フジテレビバレーボール中継 RIDE ON TIME レコメン! らじらー!(土曜日) VIAF WorldCat アメリカ 日本 MusicBrainz 森光子 20世紀日本の女優 21世紀日本の女優 日本の舞台女優 日本のミュージカル女優 日本の女性歌手 日本の女性声優 日本の司会者 NHK紅白歌合戦司会者 NHK紅白歌合戦審査員 新興キネマの俳優 文化勲章受章者 文化功労者 紫綬褒章受章者 国民栄誉賞受賞者 勲三等瑞宝章受章者 従三位受位者 名誉都民 過去の東宝芸能所属者 結核に罹患した人物 私の履歴書の登場人物 京都府立鴨沂高等学校出身の人物 京都市出身の人物 1920年生 2012年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ 無効な出典が含まれている記事/2016年 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるMovie Walker人物識別子 ウィキデータと異なるNHK人物録ID VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/19 16:59更新
|
mori mitsuko
森光子と同じ誕生日5月9日生まれ、同じ京都出身の人
TOPニュース
森光子と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「森光子」を素材として二次利用しています。