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武者小路実篤の情報 (むしゃこうじさねあつ)
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【11月23日】今日誕生日の芸能人・有名人

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武者小路 実篤さんについて調べます

■名前・氏名
武者小路 実篤
(読み:むしゃこうじ さねあつ)
■職業
作家
■武者小路実篤の誕生日・生年月日
1885年5月12日 (年齢1976年没)
酉年(とり年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
東京出身

武者小路実篤と同じ1885年生まれの有名人・芸能人

武者小路実篤と同じ5月12日生まれの有名人・芸能人

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武者小路実篤の情報まとめ

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武者小路 実篤(むしゃこうじ さねあつ)さんの誕生日は1885年5月12日です。東京出身の作家のようです。

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現在、結婚、離婚、再婚、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1976年に亡くなられているようです。

武者小路実篤のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、旧字体:武者小路 實篤、1885年〈明治18年〉5月12日 - 1976年〈昭和51年〉4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。名誉都民。贈従三位(没時叙位)。

姓の武者小路は本来「むしゃのこうじ」と読むが、実篤は「むしゃこうじ」に読み方を変更した。しかし、一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと正すことはなかったという。仲間からは「武者」(ムシャ)の愛称で呼ばれた。

東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に、藤原北家の支流・閑院流の末裔で江戸時代以来の公卿の家系である武者小路家の武者小路実世(さねよ)子爵と勘解由小路家(かでのこうじけ)出身の秋子(なるこ)夫妻の第8子として生まれた。上の5人は夭折しており、姉の伊嘉子、兄の公共と育った。2歳の時に父が結核で死去。

1891年(明治24年)、学習院初等科に入学。得意科目は朗読と数学で、体操と作文が苦手だった。同中等学科6年の時、留年していた2歳年上の志賀直哉と親しくなる。同高等学科時代は、トルストイに傾倒、聖書や仏典なども読んでいた。日本の作家では夏目漱石を愛読するようになる。1906年(明治39年)に東京帝国大学哲学科社会学専修に入学。1907年(明治40年)、学習院の時代から同級生だった志賀直哉や木下利玄らとつくった「十四日会」で創作活動をする。同年、東大を中退。翌年には処女作品集『荒野』を自費出版した。1910年(明治43年)には志賀直哉、有島武郎、有島生馬らと文学雑誌『白樺』を創刊。彼らはこれに因んで白樺派と呼ばれ、実篤は白樺派の思想的な支柱となる。「白樺」創刊号に「『それから』に就いて」を発表し、漱石から好意的な手紙を得た。そこでは「夏目漱石氏は真の意味に於ては自分の先生のやうな方である、さうして今の日本の文壇に於て最も大なる人として私かに自分は尊敬してゐる」と述べており、以後漱石の依頼で「朝日文芸欄」に執筆するなど、親密な交流を続けた。文学上の師を持たない主義であったため、いわゆる漱石門下とは区別されることが多いが、事実上の弟子とする見解もある。1913年(大正2年)、竹尾房子と結婚。1916年(大正5年)には、柳宗悦や志賀直哉が移り住んでいた現在の千葉県我孫子市に移住した。

理想的な調和社会、階級闘争の無い世界という理想郷の実現を目指して、1918年(大正7年)に宮崎県児湯郡木城村に、村落共同体「新しき村」を建設した。実篤は農作業をしながら文筆活動を続け、大阪毎日新聞に『友情』を連載。しかし同村は川原ダム建設により大半が水没することになったため、1939年(昭和14年)には埼玉県入間郡毛呂山町に、新たな村落共同体「新しき村」を建設した。但し実篤は1924年(大正13年)に離村し、村に居住せずに会費のみを納める村外会員となったため、実際に村民だったのはわずか6年である。

この両村は今日でも現存する。同村のウェブサイトでは、実篤が村外会員になって文筆活動に専念した事を好意的に受け止めている。実際に実篤が村民だった頃の活動は離村後の彼の執筆に多大な影響を及ぼしたといわれており、また同村にとっても実篤が事実上その象徴的役割を果たしたことは否めず、両者は今日に至るまで言わば持ちつ持たれつの関係にあると見ることもできる。

1922年(大正11年)、房子と離婚し、飯河(いごう)安子と再婚。翌年の関東大震災で生家が焼失。『白樺』も終刊となった。この頃からスケッチや淡彩画を描くようになる。また油絵も描き、1929年(昭和4年)には東京・日本橋の丸善で個展も開いた。執筆依頼がほとんどない「失業時代」で、トルストイ、二宮尊徳、井原西鶴、大石良雄、一休、釈迦などの伝記小説を多く執筆した。

1936年(昭和11年)、4月27日からヨーロッパ旅行に出発。12月12日帰国。旅行中に体験した黄色人種としての屈辱によって、実篤は戦争支持者となってゆく。1937年(昭和12年)、帝国芸術院に新設された文芸部門の会員に選出される。1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦後、実篤はトルストイの思想に対する共感から発する個人主義や反戦思想をかなぐり捨て、日露戦争の時期とは態度を180度変えて戦争賛成の立場に転向し、日本文学報国会劇文学部会長を務めるなどの戦争協力を行った。

1946年(昭和21年)3月22日には貴族院議員に勅選されるが(同年8月7日に辞職)、同年9月には太平洋戦争中の戦争協力が原因で公職追放された。1948年(昭和23年)には主幹として『心』を創刊、『真理先生』を連載。1951年(昭和26年)、追放解除となり。同年に文化勲章を受章した。晩年には盛んに野菜の絵に「仲良きことは美しき哉」や「君は君 我は我なり されど仲良き」などの文を添えた色紙を揮毫したことでも有名だった。1955年(昭和30年)、70歳で調布市仙川に移住、亡くなるまでこの地で過ごした。

1971年に志賀直哉が亡くなった際、実篤は彼の葬儀に駆けつけて弔辞を述べたが細々とした声で聞き取れた人はいなかったという。

1976年(昭和51年)4月9日、東京都狛江市にある東京慈恵会医科大学附属第三病院で尿毒症により死去。享年92(満90歳没)。

晩年の20年間居住した調布市の自宅敷地および建物が、没後に「実篤公園」「調布市武者小路実篤記念館」として公開されている。主屋は2018年11月2日付で国の登録有形文化財となった。

白樺派の代名詞的存在とされ、理想郷の建設に代表される理想主義的・空想社会主義的行動には現実離れしているという批判もつきまとった。

気紛れで始めたことを簡単に投げ出すという無責任とも取れる言動を批判されることもあった。ただし、作品は必ずしも思想的背景に依るものではなく、それゆえ現代に至るまで広く一般に読まれている(『友情』『愛と死』などの代表作を生んだ、近代日本を代表する作家の一人としての知名度の方が遥かに高い所以である)。

全集は小学館より全18巻が出版されている。

孫娘・河村有紀子 - 歌舞伎役者四代目中村梅玉の妻。父は実篤の婿養子・穣、母は実篤の娘・辰子。

甥・武者小路公秀 - 国際政治学者。父は実篤の兄・武者小路家10代目当主公共、母は伊東義五郎の娘で公共の後妻・不二子。

従兄・甘露寺受長 - 元東宮侍従、侍従次長。

『荒野』(1908年)

『お目出たき人』(1911年)

『罪なき罪』(1912年)

『わしも知らない』(1914年)

『世間知らず』 

『その妹』(1915年) - 5幕。画家野村広次は、戦争で失明したために、小説家として世に立とうとしている。美しい妹静子は兄を助け、原稿筆記などすべての世話をしているうちに、縁談が舞い込む。相手は金持ちの評判の道楽息子なので、広次は反対であるが、むこうは兄妹を扶養している叔父の上役の家だから、断れば失職するかもしれないと、叔父夫婦は承諾をもとめてくる。兄妹は広次の理解者であり文壇へ推挙してくれようとしている小説家西島に相談すると、西島は同情し、叔父の家から出ることをすすめ、生活の補助さえしてくれることになる。しかし西島の妻はしだいに嫉妬し、家庭の争いもたえなくなる。静子が西島の妾だというあらぬうわさがたち、近所のへんな婆が妾の口を周旋にくる。やっと発表した小説も悪評をこうむり、広次はいらだたしく鬱屈している。静子は、西島の暮らしも工面がつかないことがわかり、自分に恋していることも知り、好意をうける心苦しさに、おもいきって初めの縁談を承諾するべく叔父のもとに行こうとする。広次は腹を立てむりやり引き止めようとするが、自分には妹を救う力のないことを悟るばかり。妹の「あせらないでね。私生きてゐて、あなたの仕事が見られるのは嬉しい」という悲しいはげましとあきらめの言葉を聞きながら「俺は力が欲しい」と心に泣くばかりであった。

『不幸な男』(1917年)

『幸福者』(1919年)

『友情』(1919–1920年)

『人間万歳』(1922年)

『或る男』(1921–1923年)

『愛慾』(1926年)

『母と子』(1927年)

『棘まで美し』(1930年) 

『愛と死』(1939年)

『大東亜戦争私観』(1942年) 

『真理先生』(1949–1951年)

『馬鹿一』

武者小路実篤全集 全12巻、芸術社、1923–1928年

武者小路実篤著作集 全7巻、調和社、1950–1951年

武者小路実篤作品集 全6巻、創元社、1952年

武者小路実篤全集 全25巻、新潮社、1954–1957年

定本武者小路実篤選集 全12巻、日本書房、1961–1962年

武者小路実篤選集 全12巻、青銅社、1964–1965年

武者小路実篤作品集 全6巻、芳賀書店、1965–1966年

武者小路実篤選集 全8巻、筑摩書房、1967年

武者小路実篤全集 全18巻、小学館、1988–1991年

^ 調布市武者小路実篤記念館 よくある質問とその答え

^ 長尾剛『漱石山脈 現代日本の礎を築いた「師弟愛」』 (朝日新聞出版、2018年)

^ 村民になるには原則40歳以下の年齢制限がある。

^ 董炳月『新しき村から「大東亜戦争」へ : 周作人と武者小路実篤との比較研究』 東京大学〈博士(文学) 甲第13815号〉、1998年。doi:10.11501/3162331。NAID 500000183210。https://doi.org/10.11501/3162331。 

^ 「太平洋戦争期においても、武者小路の天皇に対する愛と尊敬は一度も変わったことがなかった。戦争中、武者小路は転向し、戦争に賛成し、協力したのである。これは小さい時から彼の心に滲みこんだ愛国思想と強い国家意識にかかわる」(夏艷文『武者小路實篤自我思想的形成』 (PDF) )

^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。

^ 『官報』第5871号、昭和21年8月9日。

^ 『朝日新聞』1946年9月27日一面。

^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、367頁。ISBN 4-00-022512-X。 

^ 『朝日新聞』1951年8月7日二面。

^ 実篤公園を散策 - 調布市

^ 武者小路実篤記念館 - 調布市

^ 旧実篤邸が国登録有形文化財に登録 - 調布市

^ 武者小路實世アジ歴 地名・人名・出来事事典

^ 亀井志乃「〈裸体をもつてほこる〉詩人 : 武者小路実篤こおける〈詩〉の成立」『国語論集』第11巻、北海道教育大学釧路校国語科教育研究室、2014年3月、19-54頁、doi:10.32150/00008721。 

^ 大津山国夫「武者小路実篤の系族(下)」『語文論叢』第17巻、千葉大学文学部国語国文学会、1989年10月、3-22頁、NAID 110000449798、2023年5月6日閲覧。 

^ 武者小路公共『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929

^ 子爵 三室戸敬光『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929

^ 平田敏雄『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

^ 「武者小路実世」『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年、ム2頁。

^ 弦巻克二、吉川仁子「池田小菊関連書簡 -志賀直哉未発表書簡を含めて-」『叙説』第33巻、奈良女子大学文学部、2006年3月、244-267頁、hdl:10935/67、ISSN 0386-359X、CRID 1050282813367604992。 

志賀直哉 - 同じ白樺派の一員。遠い親戚でもある。

木下利玄

真杉静枝 - 一時、愛人関係にあった。

大津山国夫「武者小路実篤の系族(下)」『語文論叢』第17巻、千葉大学文学部国語国文学会、1989年10月、3-22頁、ISSN 0385-7980、CRID 1050570022159986304。 

    河野通勢 - 親交のあった画家

    『あかつき』-『暁』『幸福な家族』『愛と死』『友情』『その妹』などを原作とする。ちなみに235話では本人が出演している。

    千葉工業大学 - 前身の興亜工業大学設立に携わった。

    史明 - 台湾活動家の彼が著した『台湾人四百年史』の題字を書く。

    武者小路実篤記念館

    新しき村HP

    実篤記念館と実篤公園

    武者小路実篤 とは - コトバンク

    武者小路実篤 - NHK人物録

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      武者小路実篤

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      1885年生

      1976年没

      日本の反共主義者

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2024/11/23 08:40更新

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