湯沢三千男の情報(ゆざわみちお) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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湯沢三千男の情報まとめ
湯沢 三千男(ゆざわ みちお)さんの誕生日は1888年5月20日です。栃木出身の政治家のようです。
卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1963年に亡くなられているようです。
湯沢三千男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)湯沢 三千男(湯澤 三千男、ゆざわ みちお、明治21年(1888年)5月20日 - 昭和38年(1963年)2月21日)は、大正・昭和期の日本の政治家、内務官僚。内務大臣(第58代)、宮城県知事(官選第22代)、広島県知事(官選第26代)、兵庫県知事(官選第24代)、参議院議員(1期)。 随筆や美術評論を書いたり、画集を監修したりするなど文化人でもあった。 栃木県上都賀郡加蘇村(現鹿沼市)の宮司の子として生まれる。旧制第一高等学校を経て明治45年(1912年)に東京帝国大学法科大学経済学科を卒業後、内務省に入省する(福島県属)。地方官を歴任後、衛生局保健課長、社会局保険部長、同労働部長を歴任する。明治神宮競技大会の発案者であると言われている。昭和4年(1929年)に宮城県知事、同6年(1931年)に土木局長、広島県知事、同10年(1935年)に兵庫県知事となった。昭和11年(1936年)に内務大臣潮恵之輔のもとで内務次官を務める。 廣田内閣の崩壊後に退任。日中戦争勃発翌年の昭和13年(1938年)に中華民国臨時政府の顧問として中国に渡るが、そこで日本陸軍北支那方面軍の参謀副長であった武藤章と親しくなった。対満事務局参与や、武藤の縁で陸軍と強いパイプを築くことになった湯沢は昭和15年(1940年)に大日本産業報国会理事長に就任する。 昭和16年(1941年)の東條内閣成立に際して、開戦派によるクーデター防止を理由に首相東條英機が内務大臣を兼務したが、これを補佐する為の内務次官として武藤によって推挙されたのが湯沢だった。その後、太平洋戦争(大東亜戦争)が開戦となり、総選挙は戦時下の情勢を理由に一年延期となっていたが、緒戦の勝利に沸く国民感情を利用し、政府系の候補者で議会を独占しようと考えた東條は、「翼賛選挙」準備のために、昭和17年(1942年)2月7日、湯沢に内務大臣の地位を譲った。 内相就任後は、翼賛議員同盟の実力者山崎達之輔の実弟で内務省の要職を歴任した山崎巌を内務次官として旧既成政党関係者との連携を図った。同年4月30日の第21回衆議院議員総選挙では大規模な選挙干渉が行われる一方で、大政翼賛会内部では強力な後援会と政府とのつながりを背景に公認を獲得する既成政党出身の前職と、既成勢力の排除と新人による新生議会の形成を主張する軍部の一部や革新派、大日本翼賛壮年団との対立の激化、選挙の進め方を巡る湯沢との対立に起因する警保局長今松治郎、警視総監留岡幸男の辞任などの混乱が続いた。 1942年の暮れに召集された第81帝国議会で湯沢は、東京都制法案と市制町村制改正案を提出した。東京都長官、市町村長を全て官選あるいは準官選にするという提案に、東條は議会や世論の政府批判につながることを憂慮して内閣書記官長星野直樹、法制局長官森山鋭一、企画院総裁鈴木貞一、情報局総裁谷正之とともに提案延期を説得し、翼賛政治会からも差し止め要請が出されたものの、湯沢は戦時下の今こそ内務省に人事権を取り戻す好機と踏んで提出したのである。ところが議会はこれを内務省の強権として激しく反発し、更に翼賛選挙の非推薦議員からは「翼賛選挙の違憲性」の問題が提示された。東條らの政治工作で両法案は一部修正を経て通過されたものの、湯沢は「挙国一致」性を疑われかねない政府と議会の対立を引き起こしたことで、東條からの信頼を失い、昭和18年(1943年)4月20日に更迭されることとなった。直後の同月30日に貴族院勅選議員に任じられて終戦を迎え、1946年(昭和21年)2月22日まで在任した。 戦後、公職追放となるが、追放解除後に中央社会保険医療協議会会長、市町村建設促進中央審議会会長、明治神宮総代などを歴任。昭和34年(1959年)の第5回参議院議員通常選挙に自由民主党公認候補として栃木県選挙区から立候補して当選し、在職中に死去した。死没日をもって勲一等旭日大綬章追贈(勲二等からの昇叙)、従三位から正三位に叙される。 『支那に在りて思ふ』創元社、1940年 doi:10.11501/1268091 『湯澤三千男さんの思い出 内務官僚・内務大臣』編者代表山岡憲一、同・刊行会、1963年 このほかメモや日記を遺しており、昭和天皇が終戦に際して街頭で国民に直接話してもよいと語った(松平康昌からの伝聞)ことや、画家熊谷守一との交流など、政治史や美術史の秘話も記されている。 ^ 『官報』第10855号609-610頁 昭和38年2月25日号 ^ 【戦後77年】内務大臣 終戦時の日記/昭和天皇「街頭に立つ決意」 画壇との交流も記す『読売新聞』夕刊2022年8月5日9面(同日閲覧) ^ 『日本官僚制総合事典』(東京大学出版会、2001年11月発行)202頁 ^ 「湯沢 三千男」『20世紀日本人名事典 / 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』。https://kotobank.jp/word/%E6%B9%AF%E6%B2%A2%20%E4%B8%89%E5%8D%83%E7%94%B7。コトバンクより2023年2月24日閲覧。 ^ これについて元警保局長の貴族院議員松本学は「従来軍部に余りにも因縁をむすびすぎた応報として内務省を雍せんとする彼ら(軍部)の意図の先棒をかつがされることになった」と書き記して前途を憂いている。 ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂 52頁 ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂 54頁 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 古川隆久『昭和戦中期の議会と行政』(吉川弘文館、2005年)ISBN 978-4642037716 翼賛議会 表 話 編 歴 櫻内辰郎 黒川武雄 山田佐一 波多野鼎 和田博雄 岩沢忠恭 青木一男 小林英三 館哲二 西郷吉之助 苫米地義三 泉山三六 井野碩哉 木暮武太夫 小林英三 堀木鎌三 館哲二 小山邦太郎 湯沢三千男 木内四郎 太田正孝 寺尾豊 平島敏夫 石原幹市郎 新谷寅三郎 西郷吉之助 塩見俊二 堀本宜実 古池信三 徳永正利 大竹平八郎 鹿島俊雄 大谷藤之助 八木一郎 小川半次 鍋島直紹 町村金五 山内一郎 木村睦男 植木光教 土屋義彦 西村尚治 長田裕二 安田隆明 檜垣徳太郎 原文兵衛 初村滝一郎 林田悠紀夫 平井卓志 中村太郎 遠藤要 井上吉夫 坂野重信 井上裕 大河原太一郎 岩崎純三 倉田寛之 竹山裕 岡野裕 倉田寛之 岡野裕 真鍋賢二 陣内孝雄 片山虎之助 中曽根弘文 小野清子 尾辻秀久 鴻池祥肇 溝手顕正 大石正光 簗瀬進 平野達男 前田武志 石井一 柳田稔 石井一 山崎力 岸宏一 石井準一 山本一太 金子原二郎 山本順三 末松信介 桜井充 表 話 編 歴 大久保利通 木戸孝允 大久保利通 伊藤博文 大久保利通 伊藤博文 松方正義 山田顕義 山県有朋 山県有朋 西郷従道 品川弥二郎 副島種臣 松方正義 河野敏鎌 井上馨 野村靖 芳川顕正 板垣退助 樺山資紀 芳川顕正 板垣退助 西郷従道 末松謙澄 大隈重信 内海忠勝 児玉源太郎 桂太郎 芳川顕正 清浦奎吾 原敬 平田東助 原敬 大浦兼武 原敬 大隈重信 大浦兼武 大隈重信 一木喜徳郎 後藤新平 水野錬太郎 床次竹二郎 水野錬太郎 後藤新平 水野錬太郎 若槻礼次郎 浜口雄幸 鈴木喜三郎 田中義一 望月圭介 安達謙蔵 中橋徳五郎 犬養毅 鈴木喜三郎 山本達雄 後藤文夫 潮恵之輔 河原田稼吉 馬場鍈一 末次信正 木戸幸一 小原直 児玉秀雄 安井英二 平沼騏一郎 田辺治通 東條英機 湯沢三千男 安藤紀三郎 大達茂雄 安倍源基 山崎巌 堀切善次郎 三土忠造 大村清一 植原悦二郎 片山哲 (臨代) 木村小左衛門 廃止 内事局長官・(内事局官房自治課長・官房職制課長) - 国務大臣地方財政委員会委員長・全国選挙管理委員会委員長・(総理庁官房自治課長) - 国務大臣地方自治庁長官 - 国務大臣自治庁長官 - 自治大臣 - 総務大臣 内事局長官・(内事局第一局長) - 国家公安委員会委員長・(国家地方警察本部長官) - 国務大臣国家公安委員会委員長・(警察庁長官) 建設院総裁 - 建設大臣 - 国土交通大臣 厚生大臣 - 厚生大臣・労働大臣 - 厚生労働大臣 内事局長官・(内事局第二局長) - 国務大臣法務総裁・(法務庁特別審査局長) - 国務大臣法務総裁・(法務府特別審査局長) - 法務大臣・(公安調査庁長官) 文部大臣・(文部省社会教育局文化課長) - 文部大臣・(文部省社会教育局著作権課長)- 文部大臣・(文部省文化局長) - 文部大臣・(文化庁長官)- 文部科学大臣・(文化庁長官) 神社本庁総長(宗教法人化) 内事局長官・(内事局第二局長) - 国務大臣法務総裁・(法務庁民事局長) - 国務大臣法務総裁・(法務府民事局長) - 法務大臣・(法務省民事局長) 外務大臣・(入国管理部長) - 外務大臣・(出入国管理庁長官) - 外務大臣・(入国管理庁長官) - 法務大臣・(法務省入国管理局長)- 法務大臣・(出入国在留管理庁長官) 内閣総理大臣・(終戦連絡中央事務局長官) - 内閣総理大臣・(連絡調整中央事務局長官) - 外務大臣・(外務省連絡局長) - 外務大臣・(外務省国際協力局長) 表 話 編 歴 大島定吉 岩崎正三郎 殿岡利助↓ 植竹春彦 岡田喜久治↑ 相馬助治 植竹春彦 相馬助治 植竹春彦 植竹春彦 稲葉誠一 植竹春彦 矢野登 大塚喬 大島友治 森山眞弓 大島友治 森山眞弓 大島友治 森山眞弓↓ 矢野哲朗 上吉原一天↑ 簗瀬進 矢野哲朗 簗瀬進 矢野哲朗 戸叶武 佐藤清一郎 戸叶武 湯沢三千男↓ 坪山徳弥↑ 船田譲 田村賢作 戸叶武 船田譲↓ 矢野登↑ 岩崎純三 戸叶武↓ 上野雄文↑ 上野雄文 岩崎純三 上野雄文 岩崎純三 岩崎純三 国井正幸 国井正幸 谷博之 谷博之 高橋克法 上野通子 表 話 編 歴 塩谷良翰 宮城時亮 宮城時亮 権令→県令 松平正直 権令→県令 松平正直 船越衛 勝間田稔 樺山資雄 時任為基 大浦兼武 千頭清臣 高崎親章 野村政明 小野田元熈 宗像政 田辺輝実 亀井英三郎 寺田祐之 森正隆 俵孫一 浜田恒之助 森正隆 力石雄一郎 上田万平 牛塚虎太郎 湯沢三千男 三辺長治 赤木朝治 半井清 井野次郎 菊山嘉男 戸塚九一郎 清水良策 林信夫 加藤於兎丸 内田信也 丸山鶴吉 生悦住求馬 千葉三郎 渡辺男二郎 千葉三郎 佐々木家寿治 宮城音五郎 大沼康 三浦義男 高橋進太郎 山本壮一郎 本間俊太郎 浅野史郎 村井嘉浩 表 話 編 歴 河野敏鎌 大参事→大参事心得 千本久信 権参事(未赴任) 河野敏鎌 伊達宗興 伊達宗興 権令 藤井勉三 権令→県令 千田貞暁 千田貞暁 鍋島幹 折田平内 浅田徳則 岩村高俊 服部一三 江木千之 徳久恒範 山田春三 宗像政 中村純九郎 寺田祐之 馬淵鋭太郎 安河内麻吉 若林賚蔵 依田銈次郎 阿部亀彦 山県治郎 浜田恒之助 末松偕一郎 横山助成 岸本正雄 川淵洽馬 白根竹介 千葉了 湯沢三千男 鈴木敬一 早川三郎 富田愛次郎 飯沼一省 相川勝六 吉永時次 宮村才一郎 横山助成 松村光麿 大塚惟精 高野源進 児玉九一 楠瀬常猪 武若時一郎 楠瀬常猪 大原博夫 永野嚴雄 宮澤弘 竹下虎之助 藤田雄山 湯崎英彦 表 話 編 歴 伊藤博文 久我通城 未赴任 中島錫胤 陸奥宗光 税所篤 権知事 中山信彬 神田孝平 森岡昌純 権令→県令 内海忠勝 内海忠勝 林董 周布公平 大森鍾一 服部一三 清野長太郎 有吉忠一 折原巳一郎 平塚広義 山県治郎 長延連 高橋守雄 岡正雄 小柳牧衛 白根竹介 湯沢三千男 岡田周造 関屋延之助 坂千秋 成田一郎 藤岡長敏 持永義夫 齋藤亮 岸田幸雄 遠藤直人 岸田幸雄 阪本勝 金井元彦 坂井時忠 貝原俊民 井戸敏三 斎藤元彦 FAST ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 栃木県選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 昭和時代の参議院議員 在職中に死去した参議院議員 昭和時代の貴族院議員 貴族院勅選議員 日本の内務大臣 昭和時代戦前の閣僚 第二次世界大戦期の政治家 兵庫県知事 広島県知事 宮城県知事 日本の内務官僚 内務次官 大日本武徳会の幹部 大日本産業報国会の人物 太平洋戦争の人物 正三位受位者 従三位受位者 勲一等旭日大綬章受章者 昭和研究会の人物 公職追放者 東京大学出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 開成中学校・高等学校出身の人物 栃木県出身の人物 柔術家 天神真楊流 1888年生 1963年没 プロジェクト人物伝項目 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/17 20:28更新
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