琴錦功宗の情報(ことにしきかつひろ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
琴錦 功宗さんについて調べます
■名前・氏名 |
琴錦功宗と関係のある人
貴ノ浪貞博: 他に千葉ロッテマリーンズ(琴錦功宗も同様)、浦和レッドダイヤモンズのファンを公言していた。 貴ノ浪貞博: しかしその中日に水戸泉政人に敗れて連勝が止まり、9日目には優勝争いの筆頭だった琴錦功宗を倒して勝ち越すものの、残り6日間は全て敗れて8勝7敗で終わった。 琴櫻傑將: 大関では琴風豪規(内弟子として入門)・琴欧洲勝紀(停年退職直後に昇進)・琴光喜啓司・琴奨菊和弘(いずれも停年退職後に昇進)、関脇では琴ヶ梅剛史・琴富士孝也・琴錦功宗・琴ノ若晴將の4人、小結では琴稲妻佳弘を始め、合計22人の関取を育成した。 燁司大: 年寄名跡を借株で襲名することが初回の襲名から6度続いた者は他に琴錦功宗・敷島勝盛・金開山龍の3人が居り、いずれも7回目の襲名において正規の年寄を襲名しているが、燁司は6度の借株襲名の末に退職しているため、遂に最後まで正規の年寄を襲名できなかった。 |
琴錦功宗の情報まとめ
琴錦 功宗(ことにしき かつひろ)さんの誕生日は1968年6月8日です。群馬出身の相撲のようです。
現在、父親、兄弟、結婚、引退、趣味、テレビ、家族に関する情報もありますね。去年の情報もありました。琴錦功宗の現在の年齢は56歳のようです。
琴錦功宗のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)琴錦 功宗(ことにしき かつひろ、1968年(昭和43年)6月8日 - )は、群馬県群馬郡箕郷町(現:高崎市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は松澤 英行(まつざわ ひでゆき)。最高位は東関脇。現在は年寄・朝日山。 箕郷町立箕郷中学校では柔道部で活躍していたが、相撲大会にも駆り出されて蔵前国技館で行われた全国大会にも出場した。その実績はロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した山下泰裕からスカウトされるほどだった。当初は高校進学が決まっていたが、全国大会を観戦に来ていた佐渡ヶ嶽からサインをもらった際に恵まれた体格を見出され、父親から「柔道ではメシが食えないから相撲で稼いでこい」、佐渡ヶ嶽から「相撲に来れば強いヤツとたくさん戦えるぞ。柔道なんて目じゃねえよ」と言われ、佐渡ヶ嶽のセリフをきっかけに大相撲へ進むことを決意、1984年3月場所で「琴松澤」の四股名で初土俵を踏んだ。同期には共に幕内で活躍する湊富士、大至、旭豪山がいる。入門当時は当時の新弟子検査の基準ギリギリの175cm、80kgの体格であった。 佐渡ヶ嶽部屋での生活が始まって最初の朝、4時に部屋の者にいきなり鼻を殴られ、起きると鼻血が流れた。稽古場では兄弟子も師匠や部屋頭からスコップ、バットによるかわいがりを受け、稽古場にあるテープが巻かれた竹箒500本のうち、琴松澤を殴って壊れる分だけでも一日に5〜6本が消費された。足の裏の皮や爪も剥がれ、毎日足は血だらけだったというが、このようなしごきを受けたのは稽古初日に稽古場で関取の顔を張ったためで、そのような鼻っ柱の強さから自然に目を付けられていたためだった。それでも琴松澤の家は貧乏で、何としても親孝行したいという強い想いからかわいがりには必死に耐え、ちゃんこにおいても当時は力士とはいえ褌担ぎとなれば好きなだけ食べられる時代ではなかったため、具の欠片だけが残ったちゃんこのスープとポン酢で丼飯を12〜13杯を食べた。佐渡ヶ嶽部屋は70人ほどが在籍する大部屋だが、それらの皿洗いや家事などを同期入門の力士と二人だけでこなしていたために昼寝する時間も無く、稽古が足らない分は夜間に屋上へ行き、ダンベルを持って鍛えた。そんな新弟子時代の自身に対する扱いに関して、2018年の週刊誌の記事では「大事にされていたらダメな力士だったんだと思いますよ。褒められると必ず負ける。師匠(佐渡ヶ嶽)と揉めてる時は優勝しちゃったりしてね。だからしごかれた兄弟子や、師匠にも、本当に感謝してます」と振り返っている。 そうした努力が実を結び始め、初土俵から2年ほどで幕下へ昇進した。その一方で身体が小さく、新弟子時代は周囲に名前を覚えてもらえず、「キミ」「ぼく」呼ばわりされていたと言い、幕下昇進後にようやく「マツ」という渾名を付けられつつも、フルネームはそれでも覚えてもらえなかったという。この頃から琴ヶ梅と共に井筒部屋へ出稽古するようになり、逆鉾から「小さく中に入り、鳥が羽ばたくように大きく広がりなさい。差す時には手の甲から入ること。背は伸ばせないから肩幅を広げなさい。そうすると相手からは大きく見えるから」と指導を受けた。 西幕下5枚目で迎えた1987年(昭和62年)9月場所、11代・佐渡ヶ嶽の四股名である「琴錦」へ改名した。当時、鏡山部屋の序ノ口力士に同音の「虎勝錦」が在籍していたために本来は改名できないはずだったが、佐渡ヶ嶽より鏡山へ懇請し格違いで譲ってもらい、改名を果たしている。実は琴錦の名は松澤自身が入門する直前に友人と考えていた四股名と全く同一で、11代親方と相撲の型(容貌、性格も)が似ていたと言われ、11代親方夫人の許しを得たものだった。しかし松澤本人は、「琴錦」の名が11代親方の現役時代の四股名だったとは全く知らず、入門後に聞いて大変驚いた。その場所は2勝5敗と負け越し、関取昇進は一度お預けとなったが、同年11月場所、1988年(昭和63年)1月場所と連続して5勝2敗の好成績を挙げ、同年3月場所に十両昇進を果たした。この場所では力の差を見せつけられて4勝11敗と大きく負け越し、一場所で幕下に陥落したが、同年9月場所へ再昇進を果たすとその後は順調に番付を上げていき、1989年(平成元年)5月場所に新入幕を果たした。小柄な身体から繰り出される速攻の突き、押しの取り口は「F1相撲」と評され、「風のエール」という応援歌も作られた。また、同時期は貴花田・若花田のいわゆる「若貴」ブームだったが、どちらにも強かったことから「若貴キラー」とも呼ばれていた。 1990年(平成2年)3月場所では横綱、大関陣に全く歯が立たず、4勝11敗と振るわなかったが、同年5月場所には横綱・北勝海を破って初金星を挙げるなど9勝6敗と勝ち越し、初の三賞となる敢闘賞を受賞、7月場所では横綱・千代の富士、大関・北天佑を破るなどの活躍が評価され、殊勲賞を受賞した。9月場所で小結に昇進すると、初日にいきなり北勝海を破るなど9勝を挙げ、2場所連続の殊勲賞を受賞した。 1990年(平成2年)11月場所で新関脇に昇進すると、霧島・小錦の両大関、横綱・旭富士を破るなど初日からの6連勝を含む10勝5敗と活躍し、3場所連続の殊勲賞および技能賞を受賞した。さらに1991年(平成3年)1月場所では初日からの8連勝を含む11勝4敗の好成績を残し、2場所連続の技能賞を受賞、勝ち星自体も2場所連続で二桁を記録し、いよいよ大関の声がかかるようになった。しかし佐渡ヶ嶽は、琴ヶ梅に代わる大関候補の誕生に期待をかけながらも琴錦の素行面を不安視しており、同年3月場所の直前に琴錦の女性問題が発覚したことでその不安は的中してしまった。琴錦は当時行きつけの喫茶店でアルバイトをしていた女性と入籍済みで、しかもその女性が身重であったにもかかわらず「(別の)女子大生と結婚する」と言い出し、挙句の果てに「どっちも好きだし…」と発言するなど人間性を疑われるような言動に終始したことで「重婚するつもりか」と周囲からバッシングを受けた。当初は報道を否定していたが、結局双方に弁護士が入った結果、婚約者の元に戻った。 事態を重く見た日本相撲協会から琴錦、佐渡ヶ嶽に対して謹慎処分を発表し、「相当の好成績を上げない限り、大関昇進は有り得ない」と厳しい対応を決めた。この場所では前例の無い辛辣な野次を浴びた影響もあって9勝6敗に終わり、大関昇進の絶好期を逃してしまった。同年5月場所も8勝、7月場所においては場所中に左足首を負傷する不運もあり4勝11敗と大きく負け越し、大関昇進どころか平幕へ陥落という苦しい場所となった。この場所は同部屋の兄弟子、琴富士が平幕優勝を果たした場所だったが、場所後の打ち上げでは歓喜の輪に自ら入ることは無く、部屋の隅で一人寂しく笑顔の兄弟子の姿を眺めるだけだったという 自分の撒いたタネとはいえ、女性問題による謹慎処分と平幕へ陥落、さらには兄弟子の平幕優勝の快挙による歓喜に加わることが出来なかった琴錦の落ち込みは相当なものだった。廃業も考えていた琴錦に対して佐渡ヶ嶽は7月場所終了後、故郷に帰っての休養を命じた。故郷に帰っても周囲から白い目で見られるだけと思っていたが、帰郷すると地元では温かい励ましを受け、怪我の治療をしながらやる気を取り戻していく。番付は前頭5枚目まで落ちたが、部屋に戻ってからは猛稽古に取り組み、9月場所は2日目に若花田、12日目貴花田に敗れたものの、14日目を終えて12勝2敗と優勝争いの先頭をキープ。千秋楽、優勝が懸かる大一番で舞の海を土俵下まで吹っ飛ばし、13勝2敗で幕内最高優勝を果たし、7月場所の琴富士に続いて2場所連続の平幕優勝を佐渡ヶ嶽部屋勢で達成した。 1991年(平成3年)11月場所では小結に復帰し、場所前の予想では「本命不在」「連覇の可能性は十分ある」と言われた。初日に霧島、9日目に新入幕の貴ノ浪に敗れるも13日目を終えた時点で2敗を守り、1敗で優勝争いの先頭を行く大関・小錦と14日目に直接対決が組まれた。二子山理事長は「二場所連続優勝なら、大関昇進を考える余地がある」と発言、過去に例の無い「関脇以下での連続優勝」、前田山英五郎以来となる「関脇を飛び越えての大関昇進」に期待が高まった。琴錦はこの一番を制して優勝争いで小錦と並んだが、千秋楽は若花田に敗れて12勝3敗(優勝次点)となり、連覇にはあと一歩届かなかった。しかもこの一番で古傷の左足首を負傷し、1992年(平成4年)1月場所では関脇に復帰するも7勝8敗と負け越し、大関昇進は完全に振り出しとなった。 同年3月場所は前頭筆頭、5月場所は小結でそれぞれ9勝を挙げて7月場所で関脇に返り咲くも、この場所を6勝9敗と負け越して一気に平幕へ逆戻りしてからは、9月場所(前頭筆頭)、11月場所(小結)と大関昇進どころか平幕と三役を行ったり来たりする日々が続く。11月場所では大関・曙と千秋楽まで1敗を守って優勝争いを演じるが、千秋楽に前年の若花田に続いて、今度は大関昇進の望みを繋ぎたい関脇・貴花田に敗れて優勝を逃す。1993年(平成5年)1月場所では半年ぶりに関脇に復帰し、貴花田と共に大関昇進を狙うチャンスだったが、場所直前の稽古不足が響いて11日目からまさかの5連敗を喫して負け越すなど、大関昇進のチャンスに三度も手を掛けながらついに大関昇進は果たせなかった。 大関昇進の夢が断たれたものの、1993年(平成5年)9月場所から6場所連続、1995年(平成7年)11月場所から4場所連続で関脇の地位を守るなど、常に三役から幕内上位で活躍する。この頃から貴乃花・曙には力負けすることが多くなったが、若乃花に対しては1995年(平成7年)1月場所から4連勝、武蔵丸・貴ノ浪の両大関陣にもたびたび土を付け、互角に近い力を発揮(若乃花戦は16勝25敗、武蔵丸戦は18勝26敗、貴ノ浪戦は19勝21敗といずれも負け越してはいるが負け数は全て10敗以内)したほか、武双山・魁皇ら次世代の大関を目指す力士に対して重要な取り組みで黒星を付けるなど存在感を増し、その活躍が評価されて三賞受賞の常連となった。1998年(平成10年)1月場所では武双山、同年5月場所では貴闘力に対して八艘飛びの奇襲を仕掛けて勝利するなど、ファンを驚かせて楽しませる相撲を披露した。正攻法の相撲が基本だが、時たまこのような奇襲戦法も用いて白星を重ねる姿を見せた。 1998年(平成10年)1月場所は小結で迎え、武蔵丸・若乃花の2大関を下しての10勝を挙げて技能賞を受賞、3月場所は6勝9敗となり平幕に陥落するも、5月場所では4年間未勝利だった曙を下して11勝を挙げ、3年ぶりの殊勲賞を受賞する。しかし同年7月場所の貴乃花戦で右足を痛めて途中休場、公傷制度を申請出来るほどの怪我だったがあえて申請しなかったために、翌場所も出場した結果、前頭7枚目で5勝10敗となり、11月場所では前頭12枚目まで下がった。30歳となり体力の衰えと気力の限界を感じていた琴錦は場所前に佐渡ヶ嶽へ引退を相談する。年寄名跡を所得していなかったことで協会に残らず、自動車整備業の仕事に就きたいと考えていたが、佐渡ヶ嶽は激怒して36歳にしてもなお十両で活躍を続ける琴稲妻佳弘を例に出し、「バカヤローッ!何が限界だ!(琴)稲妻を見てみろ!今でも頑張ってるじゃないか。それに転職なんかこの不景気の中、予想以上に物凄く大変なんだぞ!甘ったれるのもいい加減にしろ!もう一度死ぬ気になってやれ!」と長時間にわたって叱責されたという。この言葉で目が覚めた琴錦は引退を撤回し、同年11月場所は初日から見違えたかのような相撲を見せ、11連勝で優勝争いの単独首位に立つ。12日目に若乃花に敗れて連勝は止まるも、13日目に貴乃花に完勝して金星を獲得、会場内はたくさんの座布団が乱れ飛び、協会役員室で取組を見ていた佐渡ヶ嶽は部屋を飛び出し、琴錦に握手を求めたほどだったという。14日目には貴ノ浪を圧倒し、2敗で追いかけていた土佐ノ海が敗れたことで、史上初となる二度目の平幕優勝を達成し、この日審判長として土俵下にいた佐渡ヶ嶽が感極まって涙ぐむシーンが見られた。同時に「アイツ(琴錦)は相撲も速いが気も早い。やれば出来るんだよ。(琴)錦本人がそれに気付いてないんだから」と苦笑しながらコメントした。今も尚、当時の琴錦なら何ら不思議でもない実力通りの優勝と語り継がれている。 琴錦は千秋楽も勝利して14勝1敗となり、優勝に花を添えた。2度の平幕優勝は史上初(2022年(令和4年)11月現在でも琴錦ただ1人)の快挙で、同時に殊勲賞・技能賞も受賞18回目の三賞、43場所ぶりの優勝は史上最長間隔だった。また、最高位が関脇以下で複数回の幕内最高優勝を達成した初の力士でもある。 1999年(平成11年)1月場所では小結に復帰し、初日に貴乃花を破って前場所の優勝がフロックでないことを証明した。この場所は6勝9敗と負け越したがその後も幕内上位で活躍、1999年3月場所は若乃花に勝ち5月場所も若乃花に勝ち7月場所は貴乃花に勝ち3場所連続8個目の金星、9月場所は若乃花に勝つなど前場所から6場所連続で対横綱戦に勝利(最高位が関脇以下の力士としては史上初)するなど、さらなる活躍が期待された。しかし、2000年(平成12年)1月場所では前頭3枚目で3勝12敗と大敗すると幕内下位へ番付を落とし、同年3月場所では前頭8枚目で迎え、4日目にそれまで通算39勝8敗と大の得意としていた安芸乃島戦で右肘内側側副靱帯を損傷、前日の取組で負傷した部分をさらに悪化させたことで途中休場となった。同年5月場所では西十両筆頭に陥落したが公傷制度を利用して全休、7月場所は8勝7敗と勝ち越したものの9月場所では東十両筆頭に留まり、結果的に幕内復帰が見送られてしまった。同場所も初日から5連敗を喫し、7日目の敷島戦で敗れたのを最後に現役を引退、準年寄・琴錦を襲名した。佐渡ヶ嶽はこの時の引退の決意を翻意できず、琴錦の引退会見では「やる気があればまだこれからなのに…辞めるのには早過ぎる」と惜しんでいた。 引退後の会見にて、印象に残る力士として若乃花の名を挙げた。小柄な体格ながらも横綱まで昇進した若乃花に対して琴錦は一目置いており、「若乃花関は動きの速い力士で、対戦すると何かを学べるから楽しい」と語り、若乃花も「琴錦関は自分と同じ瞬発力で相撲を取るタイプ。取り口を真似したことがある。良い手本で、学んだり盗んだりした」とお互いに認め合っている。土俵上でも両者は熱戦を展開しており、琴錦が優勝した2度の場所では、いずれも琴錦は若乃花に敗れている。 2002年(平成14年)7月場所後に甲山部屋の力士が全員引退し、甲山部屋は事実上消滅した。当初、9代・甲山は9月場所を最後に退職し、年寄・甲山を琴錦に譲ると公式に表明し、琴錦自身も年寄・甲山を襲名することを発表した。しかし、甲山が周囲に説得されて翻意し、退職せずに湊部屋に移籍したため、この話は白紙に戻った。一説には、時津風一門が年寄名跡を一門外に流出することを防止するため、退職を思い留まらせたという。結局、2005年(平成17年)5月26日に甲山が停年(定年)を迎えても、琴錦が襲名することはなく、大碇が5月27日に10代・甲山を襲名し、後にはこの名跡を正式に取得した。 2002年(平成14年)9月場所後、準年寄としての2年間の資格期間の満了が差し迫っていたため、一門外ではあったが年寄・若松を一宮章から借り受け、13代・若松を襲名した。その後、2003年(平成15年)9月に空き名跡の年寄・竹縄を花田茂廣から借り受け、若松から竹縄に名跡変更をしている。年寄・竹縄の所有者は栃乃洋泰一に変わったが、引き続き借り受けた。なお、引退の原因となった肘の故障は栃乃洋との対戦で負ったものである。 2007年(平成19年)7月、竹縄から浅香山に名跡を変更した。浅香山も借株で、所有者は元大関・魁皇であるが、その魁皇も2011年(平成23年)7月場所限りで現役引退、年寄・浅香山を正式襲名している。2009年(平成21年)1月13日に元横綱・稀勢の里が取得した荒磯を、同年9月27日付には先に停年退職した元関脇・長谷川(その後、元大関・琴奨菊が所有)の持つ秀ノ山を、2014年(平成26年)1月21日には元関脇・嘉風の持つ中村をそれぞれ借株として名跡変更をしている。また、中村に名跡変更すると同時に尾車部屋へ移籍した。移籍先の尾車部屋では、所属の豪風(元関脇、現押尾川親方)や嘉風(元関脇、現中村親方)に、自身の持ち味の速攻相撲を伝授し、両者に幕内長寿力士となる基礎を植え付けた。これは財団法人としての相撲協会において最後の借株襲名で、その7日後の1月29日をもって公益法人へ移行したことで借株が原則禁止となったため、まさしく滑り込みで借り換えたことになる。 2016年(平成28年)1月6日、先代の停年退職により空き名跡となっていた年寄・朝日山を継承、襲名し、合計6株に亘る借株生活に別れを告げた。準年寄時代の2年間も含め、引退から15年4か月、47歳で初めて年寄名跡を取得したことになる。また「朝日山」の年寄株取得に際して、2016年(平成28年)末までに尾車部屋から独立し、2015年(平成27年)1月場所限りで閉鎖された朝日山部屋を再興する意向を表明。その後、同年5月26日の理事会で、6月1日付で力士3名と共に朝日山部屋を独立することが承認された。この時点で、独立時に必要な内弟子を確保しており、部屋の土地も千葉県内に取得済だった。 日本相撲協会の中においての役職は、上述の通り長年にわたり借株であったため平年寄の地位に据え置かれていたが、2016年(平成28年)3月に行われた協会の新たな職務分掌では、2階級昇格し委員となった。 引退後の審判部所属前は、しばしば大相撲中継の解説を務めたが、そのとても分かりやすい解説は毒舌の北の富士勝昭からも絶賛されている程である。また、ベースボール・マガジン社発行の雑誌「相撲」では、本場所展望号でその場所の好取組に対する予想と解説を行うことが恒例となっている。また、木戸での切符もぎり担当だった際も、来場客への接客態度を絶賛されていた。 弟子育成に関しては関取が出ず、関取候補で高校相撲のエリートであった朝日龍(最高位・東幕下23枚目)が3年足らずで引退するなど、苦難を経験している。その後、関取はおろか現役幕下すら在籍していない状況となった。 2017年(平成29年)9月には体調不良で休場した枝川親方に代わって勝負審判を初めて務め、それから約1年後の2018年11月には退職した貴乃花親方に代わって審判部に所属となった。 2017年(平成29年)には長男の亮英(あきひで、1998年4月14日 - )が自身の部屋に入門し、「松澤 亮英(まつざわ あきひで) → 若勢道 央(わかせいどう あきら)」の四股名で2022年7月場所まで相撲を取った。最高位は西三段目70枚目。 自身が突き押し主体の力士だったためか、指導方法としては押しを重視するタイプである。記事で取り上げる対象が四つ相撲の取り手であろうとそれは変わらず、むしろ四つ相撲の力士にこそ「稽古場で差さないこと」「差す稽古をすると力が落ちる」と自身の記事で押しの稽古をすることを強く勧めている。また、突っ張りに関しては相手の懐に潜り込むために数発ほど撃つやり方を自身の記事で指導している。胸からあたる立合いや諸手突きに頼る立合いなど甘い立合いには辛辣な評価を下す傾向がある。また、張り差しやかち上げなども、琴錦としては正攻法の相撲では無いと見做し、前者ほどではないものの、やや辛辣な評価を下す傾向にある。 自身の現役時代と比べて角界のレベルは低下していると主張している。2017年7月場所前には「私は(幕内で)2回優勝していますが、もし今自分が現役なら、あと2、3回は優勝できていたんじゃないかと思います。その理由はレベルの違い。はっきりいって、どんどん落ちていますね。若貴時代なら朝青龍は横綱にはなっていない、関脇止まりでしょう。白鵬は微妙ですが、少なくともこんなに優勝して大横綱と呼ばれてはいない」と話している。それを証明する一番が、2002年9月場所の貴乃花と朝青龍の1番だといい「朝青龍は勢いがある新大関。一方、貴乃花は7場所連続の休場明けで引退間際。このボロボロの貴乃花に朝青龍は勝てなかった、そういうことです」と説明している。レベル低下については「圧倒的に稽古の量が減りました。私のころは三番稽古といえば、100番は取ったものです。ところが、いまは30番もやれば多いほう。入門する子も少なく、辞められると困るので厳しくしない。逆にアマチュアのほうが稽古は厳しい。だからアマチュアで成績を残した人は、プロ入りしてすぐに番付の上位まで行ってしまう。プロとアマの実力が逆転しているんです」とはっきり言っている。 琴錦が大関に昇進できなかった理由は、ムラッ気の多い性格故に成績が安定しなかったことと、連相撲だったことが挙げられる。すなわち、平幕で11〜12勝を挙げ、三役昇進後に前半戦を勝ち続けても、中盤から崩れて最終的に8〜9勝に終わる場所や、序盤戦で星が上がらないと後半も尻つぼみで負け越す場所が多かったのである。また、優勝争いにも何度か加わりながら終盤の重要な取組で敗れ、結局優勝を逃すケースが多かった。1991年(平成3年)1月場所は初日から9連勝だったものの10日目に初黒星を喫し、11日目にこの場所で9連敗と調子の上がらない隆三杉太一に敗れて連敗となり、優勝争いから脱落となった。また、同年11月場所では9日目に新入幕の貴ノ浪貞博に敗れたのが優勝と大関昇進を逃した原因と言われ、1993年(平成5年)7月場所14日目には栃乃和歌清隆に敗れてまたも優勝争いから脱落するなど、ここぞの一番で取りこぼすシーンが多く見られた。ただし引退後、琴錦本人は「現役時代は本気で大関を目指してはいなかった。自分は関脇のままでも良いと思っていた」と話している。 しかしながら実力は間違いなく大関クラスであり、関脇在位は同じ佐渡ヶ嶽部屋の長谷川勝敏と並ぶ21場所・当時史上1位タイの記録だった(現在は大関へ昇進した琴錦の弟弟子である琴光喜啓司に更新され、史上2位タイ)。当該場所の優勝力士から白星を7個獲得したという記録も琴錦の実力を物語る事実で、これは最高位が関脇以下の力士としては最高記録である。 血液型はB型。趣味はテレビゲームと野球観戦、車。 千葉ロッテマリーンズファンであり、同球団の始球式を務めたこともある。TUBEのファンでもあり、大相撲部屋別歌合戦では「俺は角界一、TUBEの似合う男。プロレスのように土俵入りの時に入場テーマがあるなら、絶対俺はTUBEだよ」と言って周囲を爆笑させた。 大の相撲ファンで知られたジャック・シラクフランス大統領は琴錦が一番の贔屓で、大統領在任中は琴錦と同郷の小渕恵三首相と会談の際、たびたび琴錦のことを話題に出した。 引退から5年後の2005年7月場所前に、既に37歳になっていた琴錦は、当時現役で自身より10歳も若い西十両8枚目の琴春日と稽古場で三番稽古を行い、14勝4敗と圧勝した。現役より30キロ体重が落ち、股関節も痛めていた身体である上に廻しを締めること自体がその前年の春以来であったにもかかわらず、最終的には琴春日のスタミナ切れで打ち止めとなった。 湊富士は同じ群馬県出身の同期生である。2014年4月12日には湊富士の初土俵30周年を記念した前橋巡業が行われたが、当初は湊富士が同期生の琴錦に配慮して自身の記念事業として行うことを辞退する意向を示していた。 アマチュア相撲に新弟子集めのパイプが無いために、新弟子募集には苦労しており、そんな中でコンビニのアルバイトをしていた者やハローワーク通いをしていた者の中から弟子を獲得している。2017年7月場所前の時点では、マネージャーを雇う余裕もないという。 2014年から、BSフジの『感動!大相撲がっぷり総見』という番組に解説兼進行役としてレギュラー出演している。同番組に出演した旭道山と花田虎上は若き日の琴錦について、「怖くて、とても話しかけられるような人ではなかった」と語っている。 2021年5月場所中の報道によると、暇さえあれば最寄りの駅などで行き交う若者たちを観察しては声をかけて運動経験があるかどうか確認するという。ある時は焼肉店などで偶々近くのテーブルに座った体格の良い若者にも声をかけ、時には夜中にコンビニ前でたむろしていた若干柄の悪そうなグループに「仕事してるの?ブラブラしているならウチの部屋に来ないか」と勧誘を行ったという。 朝日山部屋といえば『天才!志村どうぶつ園』で話題になった保護犬の「ちび」が有名。志村けんが愛した捨て犬を2017年4月に引き取った。2023年9月5日時点で白内障を抱えながらも11歳となったちびに加え「地域の方々から猫が最近多くなって困ると言われて、何かできないか」とコロナ禍の21年からは保護猫活動を開始。同時点ではオス2匹、メス3匹、そして居心地が良かったのか部屋にすみ着いた野良猫「らい」も加えた大所帯に成長した。 2021年から妻と次女が朝日山部屋併設のパン屋を切り盛りしている。 生涯成績:663勝557敗58休 勝率.543 幕内成績:506勝441敗43休 勝率.534 現役在位:100場所 幕内在位:66場所 三役在位:34場所(関脇21場所、小結13場所) 三賞:18回
敢闘賞:3回(1990年5月場所、1991年9月場所、1993年7月場所) 技能賞:8回(1990年11月場所、1991年1月場所、1992年11月場所、1994年3月場所、1995年9月場所、1996年9月場所、1998年1月場所・11月場所) 金星:8個 対横綱戦成績:17勝63敗(千代の富士1勝2敗、北勝海3勝5敗、大乃国0勝3敗、旭富士2勝4敗、曙3勝24敗・うち不戦勝1、貴乃花5勝19敗・うち不戦勝1、若乃花3勝3敗・うち不戦敗1、武蔵丸0勝3敗) 対大関戦成績:57勝83敗(北天佑2勝1敗、小錦8勝11敗、旭富士0勝2敗、霧島7勝7敗、曙0勝3敗、貴乃花4勝7敗、若乃花8勝14敗、貴ノ浪14勝17敗・うち不戦敗1、武蔵丸13勝14敗、千代大海1勝4敗、出島0勝3敗) 各段優勝
貴乃花とは幕内で48回対戦しており、これは武蔵丸と並んで最多。また、対貴乃花戦勝利数は曙、武蔵丸に次いで3位。 松澤 英行(まつざわ ひでゆき) - 1984年3月 琴松沢 英行(ことまつざわ - ) - 1984年5月〜1987年9月 琴錦 功浩(ことにしき かつひろ) - 1987年11月〜1988年7月 琴錦 功宗(-かつひろ) - 1988年9月〜1994年9月 琴錦 玄教(-ひろのり) - 1994年11月〜1995年9月 琴錦 英行(-ひでゆき) - 1995年11月〜1996年5月 琴錦 功宗(-かつひろ) - 1996年7月〜2000年9月 琴錦 功宗(ことにしき かつひろ) - 2000年9月〜2002年9月〔準年寄〕 若松 英行(わかまつ ひでゆき) - 2002年9月〜2003年9月 竹縄 英行(たけなわ - ) - 2003年9月〜2007年7月 浅香山 英行(あさかやま - ) - 2007年7月〜2009年1月 荒磯 英行(あらいそ - ) - 2009年1月〜2009年9月 秀ノ山 英行(ひでのやま - ) - 2009年9月〜2009年11月 秀ノ山 穣憲(ひでのやま しげかず) - 2009年11月〜2014年1月 中村 英行(なかむら ひでゆき) - 2014年1月〜2016年1月 朝日山 宗功(あさひやま ひろかつ) - 2016年1月〜 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年) p157 - 158 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p25 ^ 週刊FLASH 2018年2月6日号 ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p.78 ^ このほか「角界のマイク・タイソン」と評した力士もいた。 ^ 1990年5月場所から1991年1月場所にかけて5場所連続三賞受賞(うち1場所はダブル受賞、計6回)は平成以降最長の連続受賞記録である。 ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号110頁 ^ 朝日新聞1991年11月9日付朝刊スポーツ面 ^ 朝日新聞1991年11月23日付朝刊スポーツ面 ^ 『相撲』2018年3月号 p.88 ^ 関脇以下で2度優勝した力士は琴錦のほかには、男女ノ川登三(幕内格別席と関脇で1回ずつ)、朝潮太郎(3代)(関脇で2回)、佐田の山晋松(平幕、関脇で1回ずつ)、魁傑將晃(小結、平幕で1回ずつ)、貴花田光司(平幕、小結で1回ずつ)、照ノ富士春雄(関脇、平幕で1回ずつ)、御嶽海久司(関脇で3回)、玉鷲一朗(関脇、平幕で1回ずつ)の8名がいるが、2022年9月時点で関脇が最高位である現役の玉鷲を除く7名が後に大関(魁傑と御嶽海以外は後に横綱昇進、魁傑は二度の大関昇進がいずれもこの優勝を足掛かりとしたもの)に昇進している。 ^ 元関脇・琴錦が中村親方に 尾車部屋に移籍も発表 スポーツ報知 2014年1月21日 ^ 実際には公益法人移行から丸1年近くが経過した2015年1月9日に、元幕内・光法が立田川から西岩に借り換えしている。公益法人移行時点で借株の年寄は3年間に限って現状維持が認められている。 ^ 元幕内光法の立田川親方が「西岩」に名跡変更 SANSPO.COM 2015年1月9日(2015年1月9日閲覧) ^ 中村親方が「朝日山」に=大相撲 時事ドットコム 2016年1月6日(2016年1月6日閲覧) ^ 中村親方、年寄・朝日山襲名 年内にも「朝日山部屋」再興へ スポーツ報知 2016年1月7日(2016年1月8日閲覧) ^ “元琴錦「朝日山部屋」再興 3力士連れ尾車から独立”. 日刊スポーツ. (2016年5月27日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1653747.html 2016年6月1日閲覧。 ^ [1] 日本相撲協会職務分掌 2016年3月30日発表(2016年3月31日閲覧) ^ [2] 日本相撲協会 2022年7月27日発表(2022年7月28日閲覧) ^ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号86ページから87ページで正代に、『大相撲ジャーナル』2014年4月号24ページから25ページでは栃煌山に、そうした内容の助言を行っている。 ^ 『大相撲ジャーナル』2016年12月号86ページから87ページの御嶽海に対する助言、『大相撲ジャーナル』2016年4月号86ページから87ページの千代の国に対する助言など。 ^ 『大相撲ジャーナル』2016年10月号98ページから99ページの琴勇輝に対する批判、『大相撲ジャーナル』2017年2月号86ページから87ページの正代に対する批判など。 ^ 週刊FLASH 2017年6月27日号 ^ 『相撲』2012年2月号109頁 ^ 『相撲』2012年5月号 ^ 『相撲』2013年11月号74ページ ^ 朝日山部屋は動物のパラダイス 志村けんさん愛した保護犬も「うちにとっては家族」/親方衆の癒やし 日刊スポーツ 2023年9月5日5時0分 (2023年9月6日閲覧) ^ 相撲部屋にパン屋?朝日山部屋の「あさひベーカリー」癖になる味、弟子も思わず購入 日刊スポーツ 2023年9月20日8時24分 (2023年9月20日閲覧) ^ 左膝内側側副靱帯損傷により9日目から途中休場。 ^ 右大腿筋挫傷により3日目から途中休場。 ^ 右肘内側側副靱帯損傷・右肘変形性関節症により5日目から途中休場。 関脇一覧 大相撲優勝力士一覧 現役年寄一覧 琴錦 功宗 - 日本相撲協会 琴錦 功宗・生涯星取表 表 話 編 歴 高見山酉之助 常陸山谷右エ門 太刀山峯右エ門 鳳谷五郎 両國勇治郎 西ノ海嘉治郎 (2代) 大錦卯一郎 栃木山守也 常ノ花寛市 鶴ヶ濱増太郎 西ノ海嘉治郎 (3代) 大蛇山酉之助 宮城山福松 常陸岩英太郎 能代潟錦作 玉錦三右エ門 豊國福馬 山錦善治郎 武藏山武 綾櫻由太郎 清水川元吉 沖ツ海福雄 男女ノ川登三 双葉山定次 出羽湊利吉 安藝ノ海節男 羽黒山政司 佐賀ノ花勝巳 前田山英五郎 備州山大八郎 東富士欽壹 増位山大志郎 千代の山雅信 照國萬藏 栃錦清隆 鏡里喜代治 時津山仁一 吉葉山潤之輔 三根山隆司 朝潮太郎 (3代) 若乃花幹士 (初代) 安念山治 玉乃海太三郎 若羽黒朋明 若三杉彰晃 大鵬幸喜 柏戸剛 佐田の山晋松 栃ノ海晃嘉 北葉山英俊 富士錦猛光 北の富士勝昭 若浪順 玉の海正洋 琴櫻傑將 清國勝雄 栃東知頼 長谷川勝敏 輪島大士 高見山大五郎 北の湖敏満 魁傑將晃 貴ノ花健士 金剛正裕 三重ノ海剛司 若乃花幹士 (2代) 千代の富士貢 琴風豪規 隆の里俊英 北天佑勝彦 若嶋津六夫 多賀竜昇司 朝潮太郎 (4代) 北勝海信芳 大乃国康 旭富士正也 小錦八十吉 霧島一博 琴富士孝也 琴錦功宗 貴乃花光司 曙太郎 水戸泉政人 若乃花勝 武蔵丸光洋 貴ノ浪貞博 千代大海龍二 出島武春 武双山正士 貴闘力忠茂 魁皇博之 琴光喜啓司 栃東大裕 朝青龍明徳 白鵬翔 琴欧洲勝紀 日馬富士公平 把瑠都凱斗 旭天鵬勝 鶴竜力三郎 照ノ富士春雄 琴奨菊和弘 豪栄道豪太郎 稀勢の里寛 栃ノ心剛史 御嶽海久司 貴景勝貴信 玉鷲一朗 朝乃山英樹 德勝龍誠 正代直也 大栄翔勇人 若隆景渥 逸ノ城駿 阿炎政虎 霧島鐵力 豊昇龍智勝 尊富士弥輝也 大の里泰輝 一覧 年代は初優勝、しこ名は最後の優勝時。 表 話 編 歴 朝日山 悠錦 錦乃竜 安芸錦 志摩錦 大国山 錦丸 式守勘太夫 天琉 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 雷 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 湊 錣山 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山(停年後再雇用) 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用) 高砂 若松 錦戸 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱 伊勢ヶ濱 楯山 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山 桐山 出来山 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 群馬県出身の大相撲力士 相撲解説者 尾車部屋 佐渡ヶ嶽部屋 NHK紅白歌合戦審査員 朝日山部屋 群馬県出身の人物 1968年生 存命人物 2024/11/19 23:47更新
|
kotonishiki katsuhiro
琴錦功宗と同じ誕生日6月8日生まれ、同じ群馬出身の人
TOPニュース
注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「琴錦功宗」を素材として二次利用しています。