田村道美の情報(たむらみちよし) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
田村 道美さんについて調べます
■名前・氏名 |
田村道美と関係のある人
入江たか子: この後、日活の俳優、田村道美と結婚し、のちに田村はたか子のマネージャー・プロデューサーとなる。 入江たか子: 稲垣監督も両者の間を取り持ったが、結局千恵蔵の思いは果たせずに終わり、翌年入江は田村道美と結婚している。 入江若葉: 1943年5月12日、無声映画時代からトーキー初期にかけての人気女優入江たか子と、当時日活太秦撮影所の俳優だった田村道美の娘として、東京・港区赤坂に生まれる。 片岡千恵蔵: 人気スタアだけに恋を語る暇もなかったらしく、映画ではチャンバラの王者も日夜恋になやむのを見て稲垣は千恵蔵を急病に仕立てて入江を見舞わせる手まで打ったが、結局何事もなかったといい、翌年入江は田村道美と結婚してしまった。 佐伯秀男: 『快速部隊 都会篇 戦線篇』 : 製作田村道美、製作森田信義、監督安達伸男、原作北条雅祥・塚本靖、脚本山崎謙太・葉山四郎、主演霧立のぼる、製作東宝映画東京撮影所、配給東宝映画、1940年2月28日公開 - 主演 |
田村道美の情報まとめ
田村 道美(たむら みちよし)さんの誕生日は1901年8月4日です。東京出身の俳優のようです。
映画、結婚、卒業、引退、解散、退社に関する情報もありますね。
田村道美のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)田村 道美(たむら みちよし、1901年8月4日 - 1990年代)は、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。戦前の無声映画時代に活躍し、当時の人気女優の入江たか子と結婚した。長女はおなじく女優の入江若葉である。 1901年8月4日、東京市京橋区新富町(現中央区新富)に生まれる。祖父の田村成義は、「田村将軍」の異名を持つ歌舞伎興行の大御所であった。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、1931年、30歳にして京都の日活太秦撮影所に入社、同年11月13日公開の村田実監督の無声映画『白い姉 前篇』でデビューした。翌1932年、三枝源次郎監督の『海に散る花』では早くも主役の座を獲得する。 同年、当時人気絶頂、新興キネマと提携し映画製作会社「入江ぷろだくしょん」を設立したばかりの入江たか子(1911年 - 1995年)と交際、自らの人気を考え籍を入れず別居結婚とする。入江の兄で同プロダクションで監督をしていた東坊城恭長(1904年 - 1944年)はそんな田村を嫌っていた。1934年6月28日に公開された熊谷久虎監督、宇留木浩主演の無声映画『三家庭』(日活多摩川撮影所作品)を最後に俳優を引退、東京から京都に戻り、「入江ぷろ」に入社、入江のマネージャーに転向する。 1935年に「入江ぷろ」が新興キネマとの提携を解消し、京都・双ヶ丘(現右京区御室双岡町)の入江ぷろ撮影所も閉鎖された。1937年、「入江ぷろ」は東京・砧のPCL映画製作所との提携を始め、配給は東宝映画配給となり、やがて同プロダクションは解散し、入江は東京に戻り、東宝映画東京撮影所と専属契約を結ぶ。それとともに田村も同社に入社、入江出演作品を中心にしたプロデューサーに転向する。俳優時代の作品の原作者、菊池寛や吉屋信子の作品を原作にとったものを得意とし、また島津保次郎作品を多く手がけた。 1943年、入江が妊娠、休業に入るのを契機に正式に入籍した。東京市赤坂区(現港区赤坂)に家を構える。同年5月12日、長女若葉(田村若葉、のちの入江若葉)が生まれる。その翌月の6月10日に公開された渡辺邦男監督の『男』を最後に、42歳の誕生日を目前にして表舞台から姿を消す。島津監督作品のプロデューサーも南旺映画出身の藤本真澄に取って代わられる。産休に入った入江の復帰作である衣笠貞之助監督の『進め独立旗』が1943年10月21日に公開されるが、プロデューサーは佐藤武監督作品を手がけてきた平尾郁次であった。 終戦後の1945年、44歳の時に東宝演劇部付となり、同年10月の帝国劇場再開には支配人に就任するが、後に演劇部総合企画室に転じて退社。この頃、さらに一男をもうけるが1948年、入江と別居。娘の若葉は1959年以降、女優を引退した入江が東京都中央区銀座7丁目に開いた「バー・いりえ」でマダムをつとめ、赤坂の家で育てられた。 一方、田村は1954年8月に創立したゼネラル・フィルム協会事務局長・ユニオン映画支配人を務め、1960年に退社した後は永田雅一がオーナーをしていた毎日オリオンズの営業部長を務めた。その後の消息は不明であるが、平成に入って間も無く死去したという。没年不詳。 白い姉 前篇 1931年 監督・脚本村田実、原作大仏次郎、共同脚本依田義賢、主演小杉勇、共演田中春男、夏川静江、山県直代 白い姉 後篇 1931年 監督・脚本村田実、原作大仏次郎、共同脚本依田義賢、主演小杉勇、共演夏川静江、 海に散る花 1932年 監督三枝源次郎、共演伊沢二郎、銀玲子、吉井康、高津愛子、星玲子、杉山昌三九 花の東京 1932年 監督畑本秋一、原作菊池寛、主演夏川静江、共演小杉勇、市川春代、一木札二、杉山昌三九、高津愛子、佐藤美子 彼女の道 1933年 監督熊谷久虎、原作吉屋信子、主演夏川静江、共演伏見信子、沖悦二、杉山昌三九、東勇路 未来花 前後篇 1933年 監督牛原虚彦、原作菊池寛、主演夏川静江、共演市川春代、中田弘二、杉狂児 三家庭 1933年 監督熊谷久虎、主演宇留木浩、共演久松三津江、高橋兼次、青山和子、杉狂児、市川春代、山路ふみ子、中田弘二 禍福 前篇 1937年 監督成瀬巳喜男、原作菊池寛、出演高田稔、丸山定夫、英百合子、生方明、入江たか子、竹久千恵子 禍福 後篇 1937年 監督成瀬巳喜男、原作菊池寛、出演高田稔、丸山定夫、英百合子、生方明、入江たか子、竹久千恵子 藤十郎の恋 1938年 監督山本嘉次郎、原作菊池寛、脚本三村伸太郎、製作主任黒澤明、出演長谷川一夫、藤原釜足、滝沢修、入江たか子、山県直代、横山運平 家庭日記 前篇 1938年 監督山本薩夫、原作吉屋信子、脚本山崎謙太、製作主任関川秀雄、出演大日方伝、千葉早智子、月田一郎、竹久千恵子、英百合子、山県直代 家庭日記 後篇 1938年 監督山本薩夫、原作吉屋信子、脚本山崎謙太、製作主任関川秀雄、出演大日方伝、千葉早智子、月田一郎、竹久千恵子、山県直代 吾亦紅 前篇 1938年 監督阿部豊、原作久米正雄、脚本木村千依男、音楽服部正、主演入江たか子、大日方伝、高田稔、丸山定夫 エノケンのびっくり人生 1938年 監督・原作・脚本山本嘉次郎、音楽栗原重一、主演榎本健一、霧立のぼる、宏川光子、大河内伝次郎 エノケンのがっちり時代 1939年 監督・脚本山本嘉次郎、音楽栗原重一、主演榎本健一、霧立のぼる、宏川光子、二村定一、横山運平、入江たか子、高田稔 吾亦紅 後篇 戦野に咲く 1939年 監督阿部豊、原作久米正雄、脚本木村千依男、音楽服部正、主演入江たか子、高田稔、月田一郎 リボンを結ぶ夫人 1939年 監督山本薩夫、原作森田たま、脚本八住利雄、撮影宮島義勇、音楽早坂文雄、主演汐見洋、入江たか子、霧立のぼる、大日方伝、藤田進 妻の場合 前篇 1940年 監督佐藤武、原作吉屋信子、脚本東坊城恭長、音楽服部正、主演藤田進、入江たか子、高田稔 妻の場合 後篇 1940年 監督佐藤武、原作吉屋信子、脚本東坊城恭長、音楽服部正、主演藤田進、入江たか子、高田稔 二人の世界 1940年 監督島津保次郎、原作塚本靖、原作・脚本山形雄策、音楽服部正、製作主任谷口千吉、主演丸山定夫、英百合子、原節子 時の花形 1940年 監督島津保次郎、脚本山形雄策、撮影鈴木博、音楽飯田信夫、製作主任関川秀雄、出演丸山定夫、沢村貞子 兄の花嫁 1941年 監督島津保次郎、脚本山形雄策、撮影宮島義勇、音楽服部正、製作主任関川秀雄、出演高田稔、山田五十鈴、原節子、江川宇礼雄 白鷺 1941年 監督島津保次郎、原作泉鏡花、脚本山形雄策、台詞久保田万太郎、撮影鈴木博、音楽早坂文雄、製作主任関川秀雄、出演入江たか子、黒川弥太郎、河津清三郎、高田稔、丸山定夫、横山運平 闘魚 1941年 監督島津保次郎、原作丹羽文雄、脚本山形雄策、撮影友成達雄、音楽早坂文雄、製作主任関川秀雄、出演高田稔、里見藍子、志村アヤコ、池部良、灰田勝彦 若い先生 1942年 監督佐藤武、原作平野婦美子、脚本岸松雄、撮影立花幹也・友成達雄、音楽早坂文雄、製作主任大岩弘明、出演原節子、一ノ瀬あや子、 緑の大地 1942年 監督島津保次郎、原作丹羽文雄、脚本山形雄策、撮影三村明、音楽早坂文雄、製作主任関川秀雄、出演入江たか子、丸山定夫、藤間房子、藤田進、江川宇礼雄、原節子、池部良、進藤英太郎、沢村貞子 男 1943年 監督渡辺邦男、原作舟橋聖一、脚本木村千依男、撮影河崎喜久三、特殊技術円谷英二、音楽服部正、主演岡譲二、黒川弥太郎、丸山定夫、汐見洋 東坊城家 - 東坊城徳長 - 東坊城恭長、入江たか子 - 入江若葉 入江ぷろだくしょん 日活 日活撮影所 ピー・シー・エル映画製作所 東宝映画配給 東宝映画 東宝スタジオ 田村道美 - 日本映画データベース 田村道美 - 日本映画データベース Michimi Tamura - IMDb(英語) 東京都区部出身の人物 慶應義塾大学出身の人物 日本の男優 戦前の日活の俳優 東宝の人物 サイレント映画の俳優 日本の映画プロデューサー 1901年生 1990年代没 プロジェクト人物伝項目
2024/11/09 19:37更新
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tamura michiyoshi
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