矢田部良吉の情報(やたべりょうきち) 植物学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
矢田部 良吉さんについて調べます
■名前・氏名 |
矢田部良吉と関係のある人
外山正一: 1882年(明治15年)、同僚の矢田部良吉、井上哲次郎とともに『新体詩抄』を発表。 松村任三: 矢田部良吉が辞任したのを受け、帝国大学植物園の管理を命ぜられる。 矢田部達郎: 1893年 - 矢田部良吉の四男として東京に生まれる。 矢田部達郎: 矢田部良吉の子。 松村任三: 1877年、東京大学小石川植物園に奉職し、矢田部良吉教授の助手となる。 牧野富太郎: そこで東京大学理学部(後の帝国大学理科大学)植物学教室の矢田部良吉教授を訪ね、同教室に出入りして文献・資料などの使用を許可され研究に没頭する。 エドワード=モース: この間函館にも『臨海実験所』を開いている(矢田部良吉「北海道旅行日誌」鵜沼わか『モースの見た北海道』1991年)。 矢田部達郎: 父・矢田部良吉 - 植物学者 |
矢田部良吉の情報まとめ
矢田部 良吉(やたべ りょうきち)さんの誕生日は1851年10月13日です。静岡出身の植物学者のようです。
卒業、事件、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1899年に亡くなられているようです。
矢田部良吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)矢田部 良吉(やたべ りょうきち、1851年10月13日(嘉永4年9月19日) - 1899年(明治32年)8月8日)は明治時代の日本の植物学者、詩人。理学博士。植物学者としてはいくつかの命名を行い、たとえばアジサイ科のキレンゲショウマの学名 (Kirengeshoma palmata Yatabe) が彼によるものである。 1851年10月13日(嘉永4年9月19日)、伊豆国田方郡韮山(現・静岡県伊豆の国市)に生まれる。1857年(安政4年)、父・卿雲が没したため、母の実家である沼津の原川家に身を寄せる。1864年(元治元年)、江戸へ出て江川家に住み、中浜万次郎・三宅秀・大鳥圭介らに英語と数学を学び、さらに横浜語学所で引き続き学んだ。 1869年(明治2年)、開成学校教官、大学校助教となる。1871年(明治4年)、森有礼に随行してアメリカ合衆国に渡り、翌年よりコーネル大学で植物学を学ぶ。1876年(明治9年)6月にコーネル大学を卒業し、8月に帰国。9月に東京開成学校五等教授となり、12月には東京博物館(現・国立科学博物館)の館長に任ぜられる。 1877年(明治10年)8月、東京大学理学部教授となる。1879年(明治12年)1月、博物館長を解任される(後任は箕作秋坪)。1882年(明治15年)2月25日、東京植物学会(現・日本植物学会)を設立し、会長に就任。8月、外山正一、井上哲次郎とともに『新体詩抄』を上梓した。ローマ字論者でもあり、1885年(明治18年)1月17日には羅馬字会を設立して神田乃武とともに幹事に選出された。1886年(明治19年)12月より訓盲唖院(後の東京盲唖学校)校長、1888年(明治21年)3月より東京高等女学校校長を兼任。5月、理学博士号を授与される。 1888年に帝大植物学教室に出入りしていた伊藤篤太郎を出入り禁止とする(トガクシソウ「破門草事件」)。1890年(明治23年)6月、東京盲唖学校校長を辞任。11月、東京大学に出入りして研究をしていた牧野富太郎に対し、大学の書籍・標本を使って自著を編纂することを止めさせる。 1891年(明治24年)3月、教授職を非職となる。1894年(明治27年)3月、非職満期により免官。1895年(明治28年)4月、東京高等師範学校教授となり、1898年(明治31年)6月には同校校長となる。 1899年(明治32年)8月7日、鎌倉沖で遊泳中に溺死。8月10日に葬儀が行われ、三好学・乾環(松村任三の代理)・小山作之助・学士会・後藤牧太・上真行らにより弔辞が寄せられた。 父・矢田部卿雲(1819–1857) - 蘭学者。武蔵国勅使河原(現・埼玉県児玉郡上里町)の農家の出だが、江戸で蘭学に通じたことで、反射炉の築造で著名な韮山代官・江川英龍に重用された。 母・満寿 - 沼津藩士・原川氏の出。 前妻・録子(1858-1887) - 医師・金沢良斎(永孝)の娘。良斎(1839年生)は岐阜出身の医師で、勝海舟の主治医。1878年に結婚。1887年10月に死別。 後妻・順(1869-1959) - 裁判官・柳田直平の娘。男爵安東貞美の姪。1887年12月に鳩山和夫・鳩山春子夫妻を媒酌人として縁組し、1888年5月に結婚。相婿に柳田国男。 長女・文(1879-1885) - 夭折 長男・秀吉(1881年) - 夭折 次女・密(1882-?) 二男・俊二(1887-?) - 画家 三男・雄吉(1890-1909) 四男・達郎(1893-1958) - 心理学者 五男・勁吉(1896-1980) - 音楽家 六男・敏夫(1899-?) 1881年(明治14年)9月24日 - 正六位 1885年(明治18年)8月3日 - 従五位 1891年(明治24年)6月27日 - 勲六等瑞宝章 1894年(明治27年)4月16日 - 正五位 1899年(明治32年)8月8日 - 従四位 東京大学教授の伊藤圭介の孫で本草学者の伊藤篤太郎は、東京大学植物学教室に出入りを許された在野の植物学者だった。伊藤篤太郎は、自分の叔父の伊藤謙が1875年(明治8年)にトガクシソウを戸隠山で採集し、小石川植物園に植栽した標本を、1883年(明治16年)にロシアの植物学者マキシモヴィッチに送り、マキシモヴィッチは1886年にロシアの学術誌「サンクト・ペテルブルク帝国科学院生物学会雑誌」にPodophyllum japonicum T.Itô ex Maxim. として、メギ科ミヤオソウ属の一種として発表した。 東京大学教授だった矢田部良吉も1884年(明治17年)に戸隠山でトガクシソウを採集し、小石川植物園に植栽した。2年後の1886年(明治19年)に開花し、1887年(明治20年)にマキシモヴィッチに標本を送り、鑑定を仰いだところ、翌1888年(明治21年)3月、マキシモヴィッチは「本種はメギ科の新属であると考えられ、Yatabea japonica Maxim. の学名をつけたいが、正式な発表前に花の標本を送ってほしい」と回答した。 伊藤はこの矢田部の動きを聞き、既に自分が発表したPodophyllum japonicum がミヤオソウ属の一種ではなく新属であることを知り、また、新属名が Yatabea と矢田部に献名される予定であることを知った。伊藤は、叔父が採集し、自分が最初に学名をつけた植物の学名が矢田部に献名されることにあせり、1888年(明治21年)10月に、イギリスの植物学雑誌 Journal of Botany, British and Foreign 誌に、新属 Ranzania T.Itô を提唱し、Podophyllum japonicum T.Itô ex Maxim. (1887) をこの属に移し、新組み合わせ名 Ranzania japonica (T.Itô ex Maxim.) T.Itô (1888) として発表した。 マキシモヴィッチによる Yatabea japonica Maxim.は、伊藤による発表の後であるため、この学名は無効となり公にならなかった。矢田部はこのことを知って怒り、伊藤篤太郎を植物学教室の出入り禁止処分にした。トガクシソウは俗に「破門草」という隠れた名前がある。 『新体詩抄 初編』 外山正一、井上哲次郎仝撰、井上哲次郎ほか、1882年8月
吉野作造編輯代表 『明治文化全集 第十二巻 文学芸術篇』 日本評論社、1928年10月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第二十巻 文学芸術篇』 日本評論社、1967年11月 / 明治文化研究会編 『明治文化全集 第十三巻 文学芸術篇』 日本評論社、1992年10月、ISBN 4535042535 山宮允編 『日本現代詩大系 第1巻 創成期』 河出書房、1950年9月 / 河出書房新社、1974年9月 『新体詩抄 初編』 外山正一、井上哲次郎仝撰、世界文庫〈近代文芸資料復刻叢書〉、1961年4月 長谷川泉著 『私たちの日本古典文学 25 文明開化』 さ・え・ら書房、1963年12月 / 長谷川泉著 『日本の古典文学 20 文明開化』 さ・え・ら書房、1975年5月、ISBN 4378016206 『新体詩抄 初編』 外山正一、井上哲次郎仝撰、日本近代文学館〈特選 名著複刻全集近代文学館〉、1971年7月 森亮ほか注釈 『日本近代文学大系 52 明治大正訳詩集』 角川書店、1971年8月、ISBN 4045720529 矢野峰人編 『明治文学全集 60 明治詩人集1』 筑摩書房、1972年12月、ISBN 4480103600 『新体詩抄 初版・再版』 外山正一ほか著、国文学研究資料館〈リプリント日本近代文学〉、2009年3月、ISBN 9784256901618 『羅馬字早学び』 羅馬字会、1885年6月
吉田澄夫、井之口有一編 『明治以降国字問題諸案集成』 風間書房、1962年7月 『日本植物図解』 (Iconographia Floræ Japonicæ; or Descriptions with Figures of Plants Indigenous to Japan) 丸善商社書店、1891年8月18日第一冊第一号 / 1892年3月第一冊第二号 / 丸善、1893年10月7日第一冊第三号 『日本植物編 第一冊』 大日本図書、1900年12月 『理科会粋 第1帙上冊 大森介墟古物編』 エドワルド・エス・モールス撰著、東京大学法理文学部、1879年12月 『植物通解』 文部省編輯局、1883年2月
『動物学初歩』 イー・エス・モールス著、丸善商社書店、1888年11月 『植物学初歩』 フーカー著、丸善商社書店、1891年8月 「理学博士矢田部良吉君」(花房吉太郎、山本源太編輯 『日本博士全伝』 博文館、1892年8月 / 日本図書センター〈日本人物誌叢書〉、1990年9月、ISBN 4820540300) 「客員矢田部良吉君ヲ悼ム」「矢田部理学博士履歴」(『東京茗渓会雑誌』第200号、1899年9月)、「故矢田部博士追悼会」(第201号、1899年10月) 外山正一 「故矢田部博士追悼会に於ける演説」(『東京茗渓会雑誌』第201号、1899年10月)
伊沢修二 「故矢田部博士追悼会ニ於ケル演説」、大鳥圭介 「矢田部博士少時ノ履歴」、南摩綱紀 「祭矢田部先生文」(『東京茗渓会雑誌』第202号、1899年11月) 松村任三 「故理学博士矢田部良吉君ノ略伝」(『植物学雑誌』第155号、東京植物学会、1900年1月、NAID 130004209924)
日本科学史学会編 『日本科学技術史大系 第15巻 生物科学』 第一法規出版、1965年7月 「矢田部博士十週忌紀念録」(『英語青年』第21巻第10号、英語青年社、1909年8月) 井原千鶴子、服部敦子 「矢田部良吉」(昭和女子大学近代文学研究室著 『近代文学研究叢書 第4巻』 昭和女子大学光葉会、1956年9月) 上野益三 「生物学の先駆者 2 矢田部良吉博士」(『遺伝』第21巻第2号、1967年1月)
上野益三著 『博物学者列伝』 八坂書房、1991年12月、ISBN 4896946146 中川徹ほか 「矢田部良吉資料について」(『科学史研究』第17巻No.126、日本科学史学会、1978年6月、NAID 110009699735) 中野実 「帝国大学成立に関する一考察 : 帝国大学理科大学教授矢田部良吉関係文書の分析を通して」(『東京大学史紀要』第13号、東京大学史史料室、1995年3月)
太田由佳、有賀暢迪 「矢田部良吉年譜稿」(『国立科学博物館研究報告』E類第39巻、2016年12月、NAID 40021168134)
伊村元道「東京師範学校附属中学校英語科史(創立から明治39年まで)」 ワタナベソウ トガクシソウ - 伊藤篤太郎に東京大学植物学教室への出入りを禁止する「破門草事件」のきっかけになった。 ^ 停職、帝国大学理科大学学長菊池大麓との確執といわれるが原因の詳細は不明。 ^ “矢田部良吉”. 近代日本人の肖像. 国立国会図書館. 2024年8月10日閲覧。 ^ 米倉浩司・梶田忠 (2007-). 「植物和名ー学名インデックスYList」(YList) 2023年5月13日閲覧。 ^ 矢田部良吉年譜稿太田由佳・有賀暢迪、国立科学博物館、2016 ^ 明治32年8月9日国民新聞『新聞集成明治編年史. 第十卷』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー) ^ 第1章 洋学修行矢田部良吉デジタルアーカイブ ^ 県重宝 旧三上家住宅三上剛太郎 生誕150年 特設サイト ^ 『定本柳田国男集 別巻 第5』(筑摩書房、1971年)p.660 ^ 矢田部俊二近代日本版画家名覧(1900-1945)、版画堂 ^ 王京「柳田国男と中国―1920年代以前を中心に―」(国際常民文化研究叢書4、2013年3月) ^ 「履歴書」(『近代文学研究叢書 第4巻』)。 ^ 『官報』第628号、1885年8月4日、35頁。 ^ 『官報』第3236号、1894年4月17日、189頁。 ^ 『伊藤篤太郎―初めて植物に学名を与えた日本人』八坂書房、2016年3月1日。 ^ “YList 植物和名-学名インデックス:簡易検索結果”. ylist.info. 2023年3月18日閲覧。
150 Ways to Say Cornell - Exhibition “…where any student…” - コーネル大学図書館。肖像写真が閲覧できる。 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー 矢田部良吉 表 話 編 歴 初代 三輪知雄 1973-1976 第2代 宮島龍興 1976-1980 第3代 福田信之 1980-1986 第4代 阿南功一 1986-1992 第5代 江崎玲於奈 1992-1998 第6代 北原保雄 1998-2004 第7代 岩崎洋一 2004-2009 第8代 山田信博 2009-2013 第9代 永田恭介 2013- 事務取扱/学長 柴沼直 1949/1949-1956 事務取扱 三輪知雄 1956 朝永振一郎 1956-1962 三輪知雄 1962-1968 三輪光雄 1968-1969 事務取扱/学長 宮島龍興 1969-1970/1970-1974 大山信郎 1974-1978 諸葛信澄 1873 学長/校長 諸葛信澄 1873/1873-1875 摂理 箕作秋坪 1875-1877 校長補 小沢圭二郎 1875-1877 秋山恒太郎 1877-1878 校長補/校長 伊沢修二 1878-1879/1879-1881 校務嘱託 西周 1881-1885 監督 森有礼 1885 高嶺秀夫 1881-1886 山川浩 1886 伊沢修二 1878-1879 折田彦市 1879-1880 平山太郎 1880-1881 小林小太郎 1881-1882 主幹/所長 西村貞 1882-1884/1884-1885 所長 野村彦四郎 1885-1886? 山川浩 1886-1891 心得/校長 高嶺秀夫 1891/1891-1893 心得/校長 嘉納治五郎 1893/1893-1897 河内信朝 1897 嘉納治五郎 1897-1898 矢田部良吉 1898-1899 事務取扱 後藤牧太 1899 伊沢修二 1899-1900 心得 後藤牧太 1900-1901 澤柳政太郎 1901 嘉納治五郎 1901-1902 嘉納治五郎 1902-1920 三宅米吉 1920-1929 事務取扱 松井簡治 1929 大瀬甚太郎 1929-1934 森岡常蔵 1934-1940 校長/事務取扱 河原春作 1940-1945/1945 務台理作 1945-1948 杉村欣次郎 1948-1949 事務取扱/校長 柴沼直 1949/1949-1952 横井時敬 1902-1919 横井時敬 1919-1922 沢村真 1922-1926 佐藤寛次 1926-1936 佐々木林治郎 1936-1937 佐藤寛次 1937-1939 上原種美 1939-1946 事務取扱 岡言智 1946 七沢甚喜 1946-1949 柴沼直 1949 七沢甚喜 1949-1952 北豊吉 1924-1932 事務取扱 山川建 1932-1934 岩原拓 1934-1939 所長/事務取扱 小笠原道生 1939-1941/1941 東龍太郎 1941-1942 河原春作 1942-1944 河原春作 1944 大谷武一 1944-1949 柴沼直 1949 大谷武一 1949-1950 野口源三郎 1950-1951 今村嘉雄 1951-1952 事務取扱/校長 松野憲治 1949-1950/1950-1951 事務取扱/校長 川本宇之介 1949-1950/1950-1951 三宅米吉 1929 事務取扱 松井簡治 1929 大瀬甚太郎 1929-1934 森岡常蔵 1934-1940 学長/事務取扱 河原春作 1940-1945/1945 務台理作 1945-1948 杉村欣次郎 1948-1949 事務取扱/学長 柴沼直 1949/1949-1956 事務取扱 三輪知雄 1956 朝永振一郎 1956-1962 舟木重彦 1947-1951 近藤春文 1951 大志万準治 1951-1953 伊東正勝 1953-1965 岡田温 1965-1969 太田和彦 1969-1973 齋藤毅 1973-1977 松田智雄 1978-1981 松田智雄 1979-1983 町田貞 1983-1987 藤川正信 1987-1991 小野寺和夫 1991-2005 吉田政幸 1995-2002 筑波大学 人物 カテゴリ メディア 表 話 編 歴 事務取扱/初代 上野直昭 1949/1949-1961 第2代 小塚新一郎 1961-1969 第3代 福井直俊 1969-1979 第4代 山本正男 1979-1985 第5代 藤本能道 1985-1989 第6代 平山郁夫 1989-1995 第7代 澄川喜一 1995-2001 第8代 平山郁夫 2001-2005 第9代 宮田亮平 2005-2016 第10代 澤和樹 2016-2022 第11代 日比野克彦 2022- 岡倉覚三 1886-1887 事務取扱 浜尾新 1887-1890 心得/校長 岡倉覚三 1890/1890-1898 高嶺秀夫 1898 心得/校長 久保田鼎 1898-1900/1900-1901 正木直彦 1901-1932 事務取扱 赤間信義 1932 和田英作 1932-1936 事務取扱 岡田三郎助 1936 芝田徹心 1936-1940 沢田源一 1940-1944 事務取扱 永井浩 1944 上野直昭 1944-1949 村田良策 1949-1952 御用掛/掛長/所長 伊沢修二 1879-1881/1881-1885/1885 青木保 1886 神津専三郎 1886-1887 伊沢修二 1888-1891 心得 神津専三郎 1891 村岡範為馳 1891-1893 上原六四郎 1893-1898 矢田部良吉 1898 渡辺龍聖 1898-1899 心得/校長 渡辺龍聖 1899/1899-1902 大島義脩 1902-1904 高嶺秀夫 1904-1907 湯原元一 1907-1917 茨木清次郎 1917-1918 村上直次郎 1918-1928 事務取扱 島崎赤太郎 1928 乗杉嘉寿 1928-1945 事務取扱 田中耕太郎 1945-1946 小宮豊隆 1946-1949 事務取扱 上野直昭 1949 加藤成之 1949-1952 カテゴリ メディア 東京芸術大学 東京芸術大学 人物 表 話 編 歴 御用掛 辻新次 1875 畠山義成 1875 畠山義成 1875-1876 事務取扱 内村良蔵 1876 矢田部良吉 1876-1877 矢田部良吉 1877-1879 箕作秋坪 1879-1881 手島精一 1881 手島精一 1881-1885 箕作秋坪 1885-1886 主幹 手島精一 1886-1889 主幹 青木保 1889 主幹 色川圀士 1889 主任/主事 千本福隆 1889-1890/1890-1894 主事 谷本富 1894-1898 主事 中川謙二郎 1898-1900 主事 朝夷六郎 1900-1901 主事 本荘太一郎 1901-1902 主事/館長事務嘱託/館長 棚橋源太郎 1906-1914/1914-1917/1917-1921 棚橋源太郎 1921-1924 秋保安治 1924-1931 秋保安治 1931-1938 水野常吉 1938-1939 坪井誠太郎 1939-1945 事務取扱 山崎匡輔 1945-1946 事務取扱 清水勤二 1946-1947 中井猛之進 1947-1949 中井猛之進 1949-1952 事務取扱 寺中作雄 1952-1953 岡田要 1953-1966 杉江清 1966-1970 福田繁 1970-1982 諸澤正道 1982-1992 川村恒明 1992-1994 事務取扱 泊龍雄 1994-1995 坂本弘直 1995-2000 林田英樹 2000-2001 佐々木正峰 2002-2009 近藤信司 2009-2013 林良博 2013-2021 篠田謙一 2021- カテゴリ メディア 国立科学博物館 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ イスラエル アメリカ 日本 オランダ International Plant Names Index CiNii Books CiNii Research この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 19世紀日本の植物学者 19世紀日本の詩人 戦前日本の学者 筑波大学学長 東京芸術大学学長 東京高等師範学校の教員 東京女子高等師範学校の教員 国立科学博物館の人物 日本の博物館職員 博物館の館長 大日本教育会の人物 理学博士取得者 勲六等瑞宝章受章者 水難死した人物 静岡県出身の人物 伊豆国の人物 明治時代の人物 1851年生 1899年没 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 Botanist識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 科学者関連のスタブ項目 文人関連のスタブ 日本の歴史関連のスタブ項目 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/10 05:14更新
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