藤島桓夫の情報(ふじしまたけお) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
藤島桓夫と関係のある人
遠藤実: 1957年、日本マーキュリーより発売された「お月さん今晩わ」(作詞:松村又一、歌:藤島桓夫)がヒット。 遠藤実: お月さん今晩わ (藤島桓夫、1957年4月) 松山恵子: ガッチャガチャ節/東京どじょっこ娘(JP-1503:1963年2月新譜)B面は、藤島桓夫の歌唱。 野崎真一: 藤島桓夫「俺らは東京へ来たけれど」(1957年) 松山恵子: アンコ船長さん/風と一緒に行っちゃった(1959年)B面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: さのさ月夜/ジョンガラ娘(H-15155:1955年8月新譜)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 流転三度笠/女三度笠(H-15324:1957年12月新譜)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 男涙のあるかぎり/母恋月夜船(H-15177:1956年1月新譜)A面は藤島桓夫の歌唱。 野崎真一: 1957年(昭和32年)、26歳のときに、日本マーキュリーレコードより発売された藤島桓夫歌唱の「俺らは東京へ来たけれど」で作曲家デビュー。 遠藤実: 破れソフトのギター流し(藤島桓夫、1952年) ※作曲者名義は「星幸男」 三丘翔太: (番組での歌唱曲は春日八郎「別れの波止場」と藤島桓夫「お月さん今晩は」) 松山恵子: 洞海旅情/若戸大橋音頭(JP-1400:1962年4月下旬臨発)B面は、藤島桓夫の歌唱(ベニ・シスターズも参加)。 松山恵子: 貨物船(カーゴ)のひとり者/悲恋の波止場(DH-19:1957年8月15日発売)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 銀ブラ娘/ブルーハワイのレイ賣り娘(H-15214:1956年)B面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 青春ジングルベル/ホワイトクリスマス(H-15317:1957年12月新譜)歌唱は、藤島桓夫、松山恵子、若杉啓二、由利章、丸山美智子、津川洋一となっている。 松山恵子: さよなら鷗/だから言ったじゃないの(DH-36:1958年3月新譜)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: さよなら鷗/だから言ったじゃないの(H-15334:1958年3月新譜)A面は藤島桓夫の歌唱。 遠藤実: 星幸男のペンネームで作曲した「酒場の女」が、1952年、日本マーキュリーより「破れソフトのギター流し」(作詞:松村又一、歌:藤島桓夫)のタイトルで発売され作曲家としてデビュー。 松山恵子: (民謡童謡)手拍子音頭/ドッコイ甚句(TP-1790:1970年2月5日発売)松山の歌唱はA面のみで藤島桓夫とのデュエット、B面は浜田喜一と神楽坂浮子による。 松山恵子: 若い船頭だよ/十九の浮草(H-15222:1956年10月新譜)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 癪な雨だよ/わたしゃ浮草(H-15198:1956年)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 嘘は云わぬよ/アンコ追分(H-15195:1956年)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 河童ソング/河童とお恵ちゃん(H-15213:1956年)A面は藤島桓夫の歌唱。 近江俊郎: 近江自身もマーキュリーで「坊ちゃん青空を行く」などをレコーディングし、歌手活動も継続しているが、作曲家としても藤島桓夫らに曲を提供している。 松山恵子: 田舎へ帰ろうよ/飲めば天国(DH-33:1957年12月15日発売)A面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: 銀座アベック・タイム/さよなら空港(1959年)B面は藤島桓夫の歌唱。 松山恵子: マドロス祭り/鈴鹿追分(H-15217:1956年)A面は藤島桓夫の歌唱。 |
藤島桓夫の情報まとめ
藤島 桓夫(ふじしま たけお)さんの誕生日は1927年10月6日です。大阪出身の歌手のようです。
卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1994年に亡くなられているようです。
藤島桓夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 1994年2月1日)は、日本の演歌歌手。本名:坂本 義明。愛称はオブさん。藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。 大阪府大阪市西成区出身。大鉄高校卒業後、大阪府内の電話局勤務を経て、1950年に「あゝ東京へ汽車は行く」でタイヘイレコードからデビュー。1954年、「初めて来た港」がヒット。以後、「かえりの港」「さよなら港」などの港シリーズで一世を風靡。 1957年には「お月さん今晩は」がヒットし、マドロス(船乗り)物以外でもヒットが出ることを証明。1960年、設立当時の東芝レコードに引き抜かれる形で移籍した。同年、「月の法善寺横町」が大ヒット。この曲は藤島の最大のヒットとなった。ちなみに実際の地名は「法善寺横丁」だが曲名は「法善寺横町」となっている。その後も長く活躍を続け、1980年にはデビュー30周年記念全国縦断公演を行った。1992年、第34回日本レコード大賞功労賞を受賞。 1994年1月10日に倒れ、2月1日、高血圧性脳出血のため死去。66歳没。同年、勲四等瑞宝章追贈。 「たった一言なぜ云えぬ」(作詞・作曲:小池青磁) 1954年 「初めて来た港」(作詞・作曲:豊田一雄) 1954年 「かえりの港」(作詞・作曲:豊田一雄) 1955年 「さよなら港」(作詞・作曲:豊田一雄) 1956年 「流し舟唄」(作詞・作曲:豊田一雄) 1956年 「また来た港」(作詞・作曲:豊田一雄) 1957年 「村の駐在所」(作詞:松井由利夫 作曲:原六朗) 1957年 「お月さん今晩は」(作詞:松村又一 作曲:遠藤実) 1957年 「アンコなぜ泣く」(作詞:松村又一 作曲:遠藤実) 1957年 「凧々あがれ」(作詞:松村又一 作曲:遠藤実) 1958年 「月の法善寺横町」(作詞:十二村哲 作曲:飯田景応) 1960年 「嫁ぐ娘に」(作詞・佐藤信/加藤登紀子 作曲:加藤登紀子)
「帰ってきたぜ」b/w「野菊ちゃん」(作詞:杉紀彦 作曲:岸本健介) 1985年 「思い川」(作詞・星野哲郎 作曲:船村徹 編曲:蔦将包)
「大阪みれん」c/w「男の舞台」(作詞:高橋直人 作曲:花笠薫 ラストシングル) 1992年 第7回と第8回、第9回、第10回は、ラジオ中継による音声が現存する。 第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、藤島の歌を含め全編が再放送された(音声はモノラル)。 ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(アルバム『レヴェラーズ・チンドン』で「さよなら港」をカバー) ISNI VIAF 日本 MusicBrainz
日本の男性歌手 タイヘイレコードのアーティスト EMIミュージック・ジャパンのアーティスト NHK紅白歌合戦出演者 勲四等瑞宝章受章者 阪南大学高等学校出身の人物 大阪市出身の人物 1927年生 1994年没 2024/11/22 03:42更新
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fujishima takeo
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