藤本和宏の情報(ふじもとかずひろ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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藤本和宏の情報まとめ
藤本 和宏(ふじもと かずひろ)さんの誕生日は1947年11月28日です。山口出身の野球選手のようです。
引退に関する情報もありますね。藤本和宏の現在の年齢は76歳のようです。
藤本和宏のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 藤本 和宏(ふじもと かずひろ、1947年11月28日 -)は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。 聖光高から、社会人野球の八幡製鐵光を経て、1966年にドラフト外で西鉄ライオンズへ入団。 一軍での登板試合は少なく、勝ち星は挙げられないまま1969年オフに西鉄を自由契約となり、翌1970年に広島東洋カープに拾われる。 広島での1年目も成績は西鉄時代と変わらなかったが、1971年は、6月18日に大洋ホエールズから完投で初勝利を挙げると、29日には中日ドラゴンズの渋谷幸春との投手戦を制し1-0で初完封を達成。8月19日の中日戦(広島市民球場)でも渋谷と投げ合い、2四球を与えたのみで安打は許さず勝利、外木場義郎に続いて広島2人目のノーヒットノーラン達成者となる。同年8月29日のヤクルトアトムズ戦でも会田照夫に投げ勝ち、1対0で1安打完封勝利。タイミングを外すカーブやシュートを軸とした投球で同年は10勝6敗、防御率1.71をマークし、最優秀防御率のタイトルを獲得する。 翌1972年も開幕から先発として起用されるが身体が絞り切れず、5試合連続で早々と打ち込まれ降板、同年は白星がつかなかった。1973年は主に中継ぎで起用されるが、1974年には登板機会が減少、同年限りで現役引退した。 その後消息不明となるが、山本浩二はある時に藤本の名前が出されると「ああ、藤本ね…」と何かを隠しているような様子を見せていた。 藤本は1971年8月19日、中日戦(広島市民球場)でノーヒットノーランを達成した。広島ファンの歓声の中、27人目の打者新宅洋志を、この日106球目となる内角高めの速球で左翼ファウルフライ併殺に仕留めた。 藤本はベンチ裏の食堂でシャンペンで同僚の祝杯を受けた後、その足でプレスルームにおいて報道陣から取材を受ける。しかし、それまで全く実績を残しておらず自由契約も経験していた藤本は記録達成の実感が持てなかったのか、終始無表情であった。 備前喜夫投手コーチが「カーブのコントロールが悪いのでストレートを狙い打ちされる」と藤本を批判していたように、首脳陣からの信頼度は決して高い投手ではなかった。事実、この日も初回から島谷金二にフルカウントからの四球を出している。2回は女房役の水沼四郎の満塁本塁打、3回にも2点の援護があったが「大量点を貰った時は、どうもよく代えられるケースが多い」と、かえって自信を持てずにプレーしていた。だが「球が速く、アウトコースへの直球が決まった」ことに拠り所を求め、中盤からは欲と自信が沸いてきたという。 その後に藤本は「西鉄時代は遊んでいただけだからクビも当然のこと。あのままでは、今日の僕はなかった。カープに入って日南キャンプで走り込み、これが今日の投球の組み立てにも役立ったと思う」と、テスト生の立場から這い上がって得た栄光を振り返っている。また対戦相手の中日については、それまで藤本が挙げていた4勝のうち2勝が中日戦ということもあり「相性が良いのでしょう」と述べている。対戦打者の木俣達彦も「球が速く、ストレートを主体に押してきた。コーナーをよく突く投球もよく決まり、力負けした」と藤本の投球を褒め称えた。 各年度の太字はリーグ最高 初登板:1967年6月24日、対東映フライヤーズ13回戦(後楽園球場)、5回裏から2番手で救援登板、1回無失点 初先発登板:1968年9月27日、対南海ホークス24回戦(大阪球場)、4回3失点で敗戦投手 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1971年6月18日、対大洋ホエールズ12回戦(広島市民球場)、9回1失点 初完封:1971年6月29日、対中日ドラゴンズ9回戦(広島市民球場) ノーヒットノーラン:1回 (1971年8月19日、対中日ドラゴンズ21回戦、広島市民球場) ※史上45人目 最優秀防御率:1回 (1971年) 79 (1967年) 14 (1968年) 51 (1969年) 46 (1970年 - 1971年、1974年) 17 (1972年 - 1973年) ^ 広島の投手によるノーヒットノーラン達成は、史上3度目(過去2回はいずれも外木場)だった。 ^ 一塁走者の江島巧がアウトカウントを勘違いして塁から飛び出したまま戻れず、アウトとなった。 ^ なお、達成した瞬間について1971年8月20日付の朝日新聞には「マウンド上でこおどりした」、同日付の報知新聞には「こらえきれないうれしさを爆発させてとび上がった」とそれぞれ記されている。 ^ 「カープ今日は何の日 1971年8月19日」『中国新聞日刊』第45326号、中国新聞社、広島県広島市中区、2020年8月19日、スポーツ第17版、21面。オリジナルの2020年8月19日時点におけるアーカイブ。2020年8月19日閲覧。 山口県出身の人物一覧 埼玉西武ライオンズの選手一覧 広島東洋カープの選手一覧 ノーヒットノーラン達成者一覧 個人年度別成績 藤本和宏 - NPB.jp 日本野球機構 表 話 編 歴 1950 大島信雄 1951 松田清 1952 梶岡忠義 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 渡辺省三 1957 金田正一 1958 金田正一 1959 村山実 1960 秋山登 1961 権藤博 1962 村山実 1963 柿本実 1964 G.バッキー 1965 金田正一 1966 堀内恒夫 1967 権藤正利 1968 外木場義郎 1969 江夏豊 1970 村山実 1971 藤本和宏 1972 安田猛 1973 安田猛 1974 関本四十四 1975 安仁屋宗八 1976 鈴木孝政 1977 新浦寿夫 1978 新浦寿夫 1979 平松政次 1980 松岡弘 1981 江川卓 1982 斉藤明夫 1983 福間納 1984 小林誠二 1985 小松辰雄 1986 北別府学 1987 桑田真澄 1988 大野豊 1989 斎藤雅樹 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 盛田幸妃 1993 山本昌広 1994 郭源治 1995 T.ブロス 1996 斎藤雅樹 1997 大野豊 1998 野口茂樹 1999 上原浩治 2000 石井一久 2001 野口茂樹 2002 桑田真澄 2003 井川慶 2004 上原浩治 2005 三浦大輔 2006 黒田博樹 2007 高橋尚成 2008 石川雅規 2009 チェン 2010 前田健太 2011 吉見一起 2012 前田健太 2013 前田健太 2014 菅野智之 2015 K.ジョンソン 2016 菅野智之 2017 菅野智之 2018 菅野智之 2019 大野雄大 2020 大野雄大 2021 柳裕也 2022 青柳晃洋 2023 村上頌樹 2024 髙橋宏斗 表 話 編 歴 沢村栄治 V.スタルヒン 石田光彦 中尾輝三 亀田忠 浅野勝三郎 三輪八郎 森弘太郎 西沢道夫 天保義夫 藤本英雄 別所昭 石丸進一 呉昌征 梶岡忠義 真田重男 金田正一 林義一 大友工 山下登 杉下茂 大津守 大脇照夫 大矢根博臣 井上善夫 中山義朗 G.バッキー 外木場義郎 清俊彦 若生忠男 堀内恒夫 城之内邦雄 鈴木啓示 成田文男 渡辺秀武 鬼頭洋 藤本和宏 高橋直樹 江夏豊 神部年男 加藤初 戸田善紀 郭泰源 田中幸雄 近藤真一 柴田保光 湯舟敏郎 西崎幸広 佐藤義則 T.ブロス 渡辺久信 野口茂樹 石井一久 川尻哲郎 佐々岡真司 M.バンチ N.エルビラ 川上憲伸 井川慶 R.ガトームソン 山本昌 前田健太 杉内俊哉 西勇輝 山井大介 岸孝之 山口俊 菅野智之(CS) 千賀滉大 大野雄大 小川泰弘 東浜巨 今永昇太 山本由伸 C.ポンセ 石川柊太 戸郷翔征 大瀬良大地 日本の野球選手 日鉄ステンレス硬式野球部及びその前身チームの選手 埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手 広島東洋カープ及び広島カープの選手 最優秀防御率 (NPB) 山口県出身の人物 1947年生 存命人物 近況が不明な人物 2024/11/24 21:10更新
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fujimoto kazuhiro
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