藤王康晴の情報(ふじおうやすはる) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
藤王 康晴さんについて調べます
■名前・氏名 |
藤王康晴と関係のある人
安達俊也: 2学年先輩に工藤公康・山本幸二・中村稔、1学年先輩の高橋雅裕とは二遊間を組み、後を受けて遊撃手となると3年春の県大会決勝で藤王康晴のいた享栄高に勝って優勝。 イチロー: その理由は中日を幼少期から応援していたことに加え、イチローが好きな打者だった藤王康晴・田尾安志が所属していたためで、父・宣之も「子供のころからドラゴンズのファンだったし、せめて3位ぐらいまでに(中日が)指名してくれればいい」と考えていた。 村上隆行: なお、同学年の藤王康晴の高校通算49本塁打を超える同52本を記録していたが、藤王への注目に対する反発から通算46本塁打と過少申告をしていたという。 近藤真一: 中でも地元球団の中日は過去、槙原寛己(大府高校から読売ジャイアンツに入団)や工藤公康(名古屋電気高校から西武ライオンズに入団)といった地元出身の高校生スターを他球団に取られていたことから、「今度こそは」と近藤の獲得に強い熱意を入れており、将来的には近藤の3学年先輩である藤王康晴とともに、投打の中心的存在として活躍することを期待していた。 早川和夫: 1990年に投手の田中幸雄と共に藤王康晴、小松崎善久との2対2の交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。 安田秀之: 2学年上に藤王康晴(元中日ドラゴンズなど)、1学年下に近藤真市と長谷部裕のバッテリー(ともに元中日)がいた。 ケン=モッカ: 1985年も打撃は好調だったが、高齢による更なる守備の衰えもあり、前年入団の藤王康晴をレギュラーとして育成したかったチームの方針により、球団から戦力外通告を受ける。 小松崎善久: 1989年オフに田中幸雄・早川和夫との交換トレードで藤王康晴と共に日本ハムファイターズに移籍した。 |
藤王康晴の情報まとめ
藤王 康晴(ふじおう やすはる)さんの誕生日は1965年4月13日です。愛知出身の野球選手のようです。
卒業、引退、退社に関する情報もありますね。藤王康晴の現在の年齢は59歳のようです。
藤王康晴のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 藤王 康晴(ふじおう やすはる、1965年4月13日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。 1965年4月13日に愛知県一宮市で生まれる。一宮市立大和中学校卒業後は享栄高等学校へ進学し、1学年の秋季から4番・一塁手として活躍する。1982年の全国高等学校野球選手権愛知大会に出場して決勝戦まで進出するが、野中徹博を擁する中京高等学校に抑えられて敗れた。1983年の第55回選抜高等学校野球大会に出場すると、同僚の平田幸夫(のちに中央大学を経て河合楽器)の好投もあって準々決勝へ進出するが、東海大学付属第一高等学校に延長10回サヨナラ負けを喫し、優勝は果たせなかった。藤王は大会記録となる11打席連続出塁を記録したほか、3試合で打率.900、出塁率.923と驚異的な記録を残した。同年夏は愛知大会決勝でまたも野中を擁する中京高等学校に敗れ、甲子園の連続出場は叶わなかった。高校通算で49本塁打を放っている。 1983年のドラフト会議において、地元の中日ドラゴンズのほか、西武ライオンズからも1位指名が確実視されていたが、結局中日が単独で1位指名し、入団する。左の長距離打者として期待され、背番号は高木守道の引退後に選手としては着用する者がいなかった1を与えられ、期待度の高さがうかがえた。 1984年は夏場に一軍へ昇格し、代打起用を中心として優勝を争う試合で北別府学(広島)から本塁打を放つなど活躍した。ウエスタン・リーグでは打率.227、8本塁打と苦しんだ。 1985年には二軍で打率.277、翌年には打率.278・14本塁打と徐々に好成績を残すようになり、一軍でも出場機会を得た。 1988年には同期入団の山本昌らと共に業務提携していたロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグへ野球留学として派遣された。 1989年5月18日の対読売ジャイアンツ戦(北九州市民球場)では、1点を追う9回表二死1,2塁で代打として登場し、廣田浩章から足元近くに投球されると(ボール判定)、ストッキングを脱いで死球をアピールする姿が全国放送で中継された。結局、判定は覆らず三振を喫して試合終了となった。中継ではスローVTRが流されたが投球は当たっておらず、そもそも死球ではなかった。 1990年年頭に田中幸雄・早川和夫との交換トレードで、小松崎善久と共に日本ハムファイターズへ移籍した。移籍後は王貞治も行っていた一本足打法の習得に取り組み、同年のオープン戦では打率.347の結果を残した。同年は75試合に出場し、そのうち31試合が一塁手または指名打者として先発出場だった。 1991年には22試合と大きく出場数を減らす。 1992年には僅か3試合の出場で2三振と結果を残せず、同年限りで自由契約となり、そのまま現役を引退した。 現役引退後は佐川急便中京支社(現:佐川急便中京支店)へ就職し、セールスドライバーとして勤務しながら軟式野球部に所属してプレーを続けた。当時の中京支社内での藤王の勤務態度は非常に優秀で、佐川急便の社内報「飛脚」でも話題となるなど、社内では半ば伝説化していたほどだったという。その後、一度佐川急便を退社して実家の繊維業を継承しながら、2006年には中日ドラゴンズ球団応援歌「吹け吹け、伊吹おろし」の歌唱を担当し、この様子が当時の中日新聞に掲載された。 2007年に佐川急便中京支社へ再入社すると同時に、セールスドライバーと軟式野球部に復帰した。 2012年に再退社した後は「矢場とん」に転職。 2015年春に設立された硬式野球部「矢場とんブースターズ」の内野手兼監督に就任した。 2016年からは同じ中日ドラゴンズに所属していた片貝義明が部長兼監督に就任しており、これ以降はブースターズ公式サイトに藤王の名は掲載されていない。 2020年10月に公開された田尾安志(元東北楽天ゴールデンイーグルス監督)の公式Youtubeチャンネルの動画において、「矢場とん」会長の鈴木孝之から在籍当時の藤王について言及された。それによると「矢場とんブースターズの監督は1年で辞めさせて仕事に専念させた。6年くらい運転手をやらせたが、アルコール検査を厳格化してから毎日検査に引っ掛かり、『酒を辞めるか会社を辞めるか、どっちだ?』と聞いたら『会社辞めます』と答えた。いまは(藤王が)どうしているか知らない」と述べている。 初出場:1984年7月14日、対横浜大洋ホエールズ15回戦(ナゴヤ球場)、7回裏に郭源治の代打として出場 初打席・初安打・初打点:同上、7回裏に古賀正明から一塁強襲適時二塁打 初本塁打:1984年9月23日、対広島東洋カープ23回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に都裕次郎の代打として出場、北別府学から左越同点ソロ 初先発出場:1984年10月3日、対阪神タイガース25回戦(ナゴヤ球場)、5番・三塁手として先発出場 1 (1984年 - 1987年) 0 (1988年 - 1989年) 35 (1990年 - 1992年) 88 (2015年 - 2016年) ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年 ^ 週間ベースボール1983年10月31日号 ^ 高木自身が1980年限りで現役引退後、1981年・1982年には高木がコーチとして着用したのち、1983年は67に変更して空番となっていた。 ^ 【魚拓】【竜たちの発言録】山内一弘「藤王よ…若いうちから遊んだ選手に大選手はおらんぞ」:達人に訊け!:中日新聞Web ^ 中日ドラゴンズ新応援歌、全国へ発信 尾北ホームニュース ^ 吹け吹け.伊吹おろし:カラオケ楽曲検索 JOYSOUND.com ^ 中日新聞夕刊「伊吹おろし」で竜Vだ「六甲」より強い応援歌、ネットで配信 2006年9月22日紙面 ^ 中日83年ドラ1藤王さん豚まん振る舞う 日刊スポーツ 2012年11月14日 ^ 社会人野球:名古屋の矢場とんがクラブチーム(毎日新聞、2014年11月4日) ^ 元中日の片貝さん率いる矢場とんブースターズが全日本クラブ野球選手権に初出場 サンケイスポーツ 2016年6月26日 ^ スタッフ・選手紹介 - 矢場とんブースターズ公式サイト ^ 田尾安志【TAO CHANNEL】公式YouTube内「矢場とん会長と語る!中日ドラゴンズ!」4:16~ 愛知県出身の人物一覧 中日ドラゴンズの選手一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 日本人のマイナーリーグ選手一覧 個人年度別成績 藤王康晴 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 藤王康晴 - Facebook 1984年藤王を筆頭に中日期待の4新人が自主トレ開始 - Sponichi Annex 日めくりプロ野球 (キャリア全般から引退後のことまで記述されている) 表 話 編 歴 1位:藤王康晴 2位:仁村徹 3位:三浦将明 4位:山田和利 5位:山本昌広 6位:清水治美 日本の野球選手 享栄高等学校出身の野球選手 中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 SGホールディングスグループのスポーツ関係者 日本の野球監督 選手兼任監督 愛知県出身のスポーツ選手 1965年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/20 11:59更新
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fujiou yasuharu
藤王康晴と同じ誕生日4月13日生まれ、同じ愛知出身の人
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