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谷口雅彦の情報 (たにぐちまさひこ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

谷口雅彦の情報(たにぐちまさひこ) 写真家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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谷口 雅彦さんについて調べます

■名前・氏名
谷口 雅彦
(読み:たにぐち まさひこ)
■職業
写真家
■谷口雅彦の誕生日・生年月日
1967年5月27日 (年齢57歳)
未年(ひつじ年)、双子座(ふたご座)
■出身地・都道府県
沖縄出身

(昭和42年)1967年生まれの人の年齢早見表

谷口雅彦と同じ1967年生まれの有名人・芸能人

谷口雅彦と同じ5月27日生まれの有名人・芸能人

谷口雅彦と同じ出身地沖縄県生まれの有名人・芸能人


谷口雅彦と関係のある人

丹野章: (代表・谷口雅彦)亡くなるまで会の精神的支柱として活動を行った。


土方巽: 2018年 - 写真集『土方巽病める舞姫東北歌舞伎計画秋田公演』(全撮影 谷口雅彦・出演 大野慶人・和栗由紀夫・小林嵯峨・山本萌・白榊ケイ)を出版(NPO土方巽記念秋田舞踏会)。


丹野章: 内弟子に、写真家の谷口雅彦、映像キャメラマンの岡野秀俊がいる。


末井昭: 谷口雅彦写真集『沈黙と饒舌と原発のある町』(白夜書房、2012年3月) - 末井が白夜書房を退社する前に最後に手掛けた写真集


谷口雅彦の情報まとめ

もしもしロボ

谷口 雅彦(たにぐち まさひこ)さんの誕生日は1967年5月27日です。沖縄出身の写真家のようです。

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来歴、縁顕名義(プロデュース)などについてまとめました。映画、解散、卒業、テレビ、現在、事件、ドラマに関する情報もありますね。今年の情報もありました。谷口雅彦の現在の年齢は57歳のようです。

谷口雅彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

谷口 雅彦(たにぐち まさひこ、1967年5月27日 - )は日本の写真家、アートプロデューサー。日本近現代写真研究家。京都芸術大学通信教育部芸術学部芸術教養学科に在学中。一般社団法人日本写真学会正会員。一般社団法人日本写真芸術学会学生会員。

谷口雅彦写真アーカイブ室代表 。ART PROJECT【完全写真化計画】主宰。3.11を忘れない写真家の会代表。近現代写真発掘活用プロジェクト代表。写真師中鉢直綱研究室代表、旭川市民活動団体あさひかわ写真アーカイブ研究会顧問。

北海道旭川市生まれ。AB型。VIVOの写真家丹野章、細江英公に師事。

写真家細江英公氏主宰の写真ワークショップ「CORPUS(コルプス)」(東京目黒・土方巽記念アスベスト館・からだの学校)第二期修了。

舞踏家土方巽の著『病める舞姫』を底本に、土方ゆかりの舞踏家(「大野慶人・和栗由紀夫・小林嵯峨・山本萌・白榊ケイ」)をモデルに秋田の風土を背景に写真を撮り(「病める舞姫完全写真化計画」アサヒグループ芸術文化財団助成)、写真展(秋田県立美術館・国際交流基金ロサンゼルス文化センター)・写真集(『土方巽原作「病める舞姫」東北歌舞伎計画秋田公演』 」NPO土方巽記念秋田舞踏会刊)で発表(2017年-2019年)。

アメリカの写真家ウィリアム・クラインが写真集『東京』(1964年刊)で撮影した舞踏祖土方巽らの当時の行われた日本初の街中屋外でのパフォーマンス写真を、現代のダンサーと写真家でライブで再現してみる彫刻実験的身体行為に写真家ウイリアム・クライン役として参加。元ダムタイプのダンサー川口隆夫、舞踏家上杉満代らと共演(東京・寺田倉庫・NPO法人ダンスアーカイヴ構想・2017年12月)。

肖像写真、ドキュメンタリー写真、舞踏家や身体表現者とのフォトセッションでの写真作品に定評がある。国内外で展覧会多数。

ホラー作家の平山夢明のエッセイ(「どうかと思うが面白い」など)などに「谷やん」として時折登場する。

ENKENや縁顕名義で、メディアやアートイベントのプロデュースを行う。

2013年から、青森県八戸市在住の写真家高田幸枝とユニット#527を結成。

2015年、第18回調布映画祭ショートフィルム・コンペディション本審査員。

2017年から、音楽家寺岡大悟と写真家のユニット[SHAOSHA ON]のメンバー。

2021年、第13号より、旭川の詩誌『フラジャイル』の表紙写真を担当している。

2023年5月から「あさひかわ新聞」(株式会社北のまち新聞社)にて「谷口雅彦の写真の話」を連載中。

来歴

1967年 - 北海道旭川市春光町(旧二区六条)(矢ヶ崎病院にて出生)生まれ。

1970年 - (3歳)初めて写真を撮る(母の笑顔・現存)(旭川市緑町18丁目)。

1977年1月26日 - (9歳)自らオリンパスペンを購入、写真を撮り始める。

1980年 - (12歳)初めてモノクロフィルムの自家現像をする。

1980年 - 同級生の友人と「天文知識研究会」を結成。会誌「アステロイド」。

1981年 - (13歳)初めてカラーネガフイルム自家現像とプリントをする。

1981年7月31日。自宅前で天体望遠鏡【ビクセン・ポラリス8M】に一眼レフを装着し、部分日食の観測&約200枚の写真撮影をする。

1983年 - 「天文知識研究会」を発展的解散し、新たに「天文情報同好会」を結成。会誌「ぶらっくほぉる」。

1984年 - 高校の修学旅行で韓国へ。北海道の高校としては史上初めての海外修学旅行第1期生となる。

1985年9月 - 中高の同級生で同人誌『幻像(イリュージョン)』を発刊。写真作品、詩、エッセイ、評論などを発表する。1987年 - 8号で終刊。

1986年3月 - 旭川実業高等学校機械科(のち電子機械科)を卒業。在学中に国家資格・ボイラー技士(二級)、危険物取扱者(丙種)、ガス溶接作業者を取得している。

1986年 - 大学進学のため上京。国士舘短期大学国文科に在籍。中世文学を専攻。卒論は「平家物語と義経記の描写比較と義経伝説について」

1988年4月 - 日本ジャーナリスト専門学校メディア研究科入学。写真部に入部。

1988年7月から9月にかけて、日本一周の旅を決行。東京から北上、故郷旭川から日本海沿い南下、富山県の総本家に初めて訪問。その後、鳥取県まで南下したあと、瀬戸内に移動、姫路市を経て、岡山で瀬戸大橋を渡り、香川県、愛媛県を経て宇和島からフェリーで大分佐伯で九州に渡り、別府、臼杵、都城を経て鹿児島へ。熊本、長崎、佐賀、福岡を経て、本州山口へ。広島、姫路を経て、名古屋、東京。69日間の旅を経験する。

1988年 - 友人の通う写真専門学校に潜り込み、写真家丹野章の授業を聴講。その日に見つかり、以降、丹野の内弟子になる(丹野が亡くなる2015年まで続く)。

1988年 - NHK教育テレビ『土曜倶楽部』にて、体験隊として2回出演(体験保父さん・体験ケーブルTV番組作り)。いとうせいこう、笑福亭鶴瓶、えのきどいちろう、山崎哲、夏目房之介らと共演。

1989年 - 日本ジャーナリスト専門学校メディア研究科卒業。在学時、写真家樋口健二、ジャーナリスト猪野健治、映画監督千野皓司、評論家丸山邦男らに学ぶ。

1989年-1992年 - 東京世田谷の営業写真館(フォトスタジオ)株式会社フォートサービスでサラリーマンを経験。

1990年 - 「昭和天皇大喪の礼」のスクープ写真で、毎日新聞ニュース写真1989年度賞特選を受賞。

1991年 - 短大、専門学校の友人たちと同人誌『PROOF(プルーフ)』を創刊。翌年 - 2号で終刊。この頃、『PROOF』同人らと、東京・新宿御苑のビプランシアターに出入りし、太田プロダクション、吉本興業などの若手お笑い芸人らと知り合い、舞台写真、宣材写真を担当する。

1992年 - 舞踏家土方巽記念アスベスト館で行われていた[からだの学校](校長・大野一雄)の写真教室【CORPUS】第2期に参加(写真家細江英公主宰)、細江に学ぶ。第3期から第7期まで【CORPUS】の助手を務める。講師で来られた写真家倉田精二、須田一政と出会う。舞踏家の大野一雄、大野慶人、元藤燁子、和栗由紀夫に出会い、以後、舞踏家、ストリッパーなど、身体表現者たちをモチーフに写真作品を、写真展、写真集、カメラ誌で発表する。1992年からフリーランスの写真家となる。

1993年 - 写真教室【CORPUS】第5期生の6人、佐々木六介、細渕太麻紀、菊地美紀、西岡浩記、笠井爾示、大井慶子の写真集団CUM-ADMIXに途中加入。

1994年 - 誕生日が同じ3人の写真家(菊地美紀1967年5月27日生、村瀬太加夫1969年5月27日生、谷口雅彦1967年5月27日生)で写真家ユニット527を結成、コピー紙のみで写真展を開催[コピーでlet's527(1996 東京)]したり、国際的なアートイベントに参加して、青山通りに面したビルに5メートルの写真壁画を制作展示[KISS DE 527(1996 東京)]する。9回の展覧会を開催して1998年解散

1994年8月 - 日本一周の旅(2回目)を決行。北は北海道稚内、南は鹿児島指宿まで。

1995年 - 雑誌『自由時間』(マガジンハウス)の特集「写真家荒木経惟が選ぶ20代の写真家15人」に作品が掲載される。

1995年 - デザイン事務所マッチアンドカンパニーのアートディレクター町口覚氏が同時代の写真家40人を選んで制作した写真集『40+1 PHOTOGRAPHERS PIN-UP』(印刷・図書印刷 500部限定)に参加。

1995年秋 - 阪神淡路大震災の現場を1週間かけて、4×5サイズのカメラで300カットを撮影して回る。淡路島北淡町も含む。

1996年 - 劇団・指輪ホテル(主宰・羊屋白玉)の法政大学大講堂で行われた公演の幕間で、出演女優たち21人を撮影した写真スライドムービー[指輪にホレテルショウ]を上映。

1997年から2003年まで、オリエンタル写真工業株式会社(のちに株式会社サイバーグラフィックス社)との協力で、銀塩写真ならびに印画紙普及のための、展覧会やイベントなどを計画。このことがきっかけで、以前から興味があった日本近現代写真史研究を本格的に始める。

1997年から2001年 - 写真の町・東川町と自身の故郷旭川を拠点に、若手写真家を中心とした写真イベント[写真タワープロジェクト](1997年)、[PHOTO DIMENSION](1999年 - 2000年)のプロデュース(協賛・オリエンタル写真工業株式会社)や写真誌『PHOTO PRE』(窓社)の創刊参画などを経験(2002年-2003年)。

1998年 - 北海道東川町・文化ギャラリー第1・第2展示場にて自身の写真人生20年を記念する写真展[二十年記77/98]を開催。展示点数800枚。

1998年~1999年 - 月刊情報誌『さっぽろタウン情報』にて「谷口雅彦写真日記」を連載。全6回。

1998年 - 渡米しサンフランシスコとバークレーに約1か月滞在。バークレーでは舞踏家の玉野黄市宅に世話になり、当時、玉野がサンフランシスコで経営していた寿司屋のネタの仕入れを手伝ったりした。

1999年 - 2000年と、沖縄県与那国島に滞在。地元の土葬で行われる葬儀を体験、カルチャーショックを受ける。

2002年 - 約3年かけて、ストリップ及びストリップ劇場について実際に何が行われているか、芸の数々を中心に知られざるその世界を写真家として解説、レポートした本を執筆。『裸女の秘技絢爛絵巻 ストリップはいま』(河出書房新社・文庫)を上梓。現在では失われた秘芸やしきたりなどを写真と共にアーカイブしている。

2002年 - 谷口雅彦写真集『日々の旅 1993-2002』(ワイズ出版写真叢書15)(編集・大田通貴 装丁・原耕一)を上梓。

2004年 - コニカミノルタ(東京・新宿)で写真展開催記念にZINE『稚児と大仏』を出版。(装幀・原耕一、編集・蒼穹舎大田通貴)

2005年秋 - mixiコミュニティ【yOUR pARTy (ユアパ!)】(主宰・寮母)の運営に参画。「あなたも今日は主役!」と東京都内のクラブを活動拠点に、引きこもり系アーティストとのコンタクトを試みる。撮影会や作品審査委員長などを担当。~2012年まで。

2006年-2008年 - 国立ファーム有限会社(創業・高橋がなり)で農業契約生産者のポスター写真を担当する。飲食店「農家の台所」(立川・新宿・恵比寿)で写真展示。

2007年 - 北海道深川市・アートホール東洲館(深川市営)にて、自身の写真人生30年を記念する写真展[からだについての写真表現]を開催。同時に、旭川市内のギャラリーで、写真展[光彼方へ‐Digitalからの誘い‐]を開催する。

2007年 - 谷口雅彦写真アーカイブ室を設立。(北海道旭川市)

2008年以降、いわゆるファインアートだけでなく、北方謙三、今井絵美子、平山夢明、山本一力、堂場瞬一、鳥羽亮などの小説家や角川春樹、石井輝男などの文化人、アスリートの肖像写真、全国の原子力発電所のある町や未解決事件の現場を追ったドキュメンタリー写真、最新作『オーラ!? キルリアン写真の世界』(双葉社)といったサイエンス写真、また女性誌やWEBの広告写真、ムック本の口絵写真なども手がけている。

2008年-2009年 - 電子雑誌「FIST!」(ソフトバンククリエイティブ株式会社・現SBクリエイティブ株式会社)のグラビア写真を担当、定期連載する。

2009年-2010年 - TVCM[山田養蜂場]に取材写真家役で出演。BS朝日系[ちい散歩]放送時間内で繰り返し放送される。

2010年 - 川崎登戸にある自身のアトリエにて'[四畳半アートフェスティバル]'(主催:二〇八号展示室)を開催。アトリエ解体の2015年まで14回開催。

2010年5月17日 - ソフトバンクUSTREAM(ユーストリーム)スタジオ渋谷で谷口が参加しているmixiコミュニティ[yOUR pARTy (ユアパ!)]が、一般枠初の生配信をするに伴い、配信当日 - 動画の撮影と出演をする。ゲスト・写真家山内道雄。翌朝、NHK『おはよう日本』番組内で、「ネット生中継 個人が放送局に 1年で利用が4倍に」というタイトルで数回ニュース報道される。

2011年 - 東日本大震災を受けて、「WONDEFUL PHOTO to PEACE 写真で復興プロジェクト」を立ち上げ、共同代表となる。有志の写真家17人で被災前の被災地の写真だけを集めた写真展を開催。のちに「3.11を忘れない写真家の会」と改称。代表となる。東北を中心に巡回展を開催。現在も継続中。

2011年-2012年 - 母の生まれた中国・大連に4度にわたり訪問。太平洋戦争後、初めて日本人に解放されて間もない旅順を訪ね、二○三高地から旅順港を眺める。

2012年 - 全国の原子力発電所のある町をレポートした写真集『沈黙と饒舌と 原発のある町』を出版。編集は、白夜書房編集者でエッセイストの末井昭。

2013年 - 青森県八戸市在住の写真家高田幸枝と[ユニット#527]を結成。

2014年6月10日 京都・西本願寺にて帰敬式を受ける。第二十五代門主、釋専如(大谷光淳)から法名・釋縁顕(しゃくえんけん)をいただく。

2014年11月 - 俳優高倉健の死去を、中国四川省・成都の新聞『成都商報』からの依頼で、詳細取材、配信。中国本土での第1報となる。北京放送が紙面を用いてニュース番組で報道する。

2015年4月 - YouTubeに[チャンネル527]を開設。以降、東北や熊本の被災地取材の状況や、数々の試みを見せるメディアとして機能させる。

2015年‐2016年 - 画家、現代美術家、アートライターらとアートプロジェクト[登戸宿河原完全写真化計画]を決行。町(登戸・宿河原)をフィールドワークし、シネマリテラシーを取り入れたドラマ『登戸宿河原完全写真化計画』を制作(総合監督)。同時に、同タイトルの展覧会を開催。また登戸駅前の解体予定の旧秋葉ビルで、地域住民に向けてドラマ全編を上映する[シネマ527](旧秋葉ビル2階)を2日間に渡り開催。同時に、純喫茶「十字路」があった1階では、谷口自ら撮影の多摩川の桜を撮った写真展『光、彼方へ sakura of 7 minutes』と3階では、1995年から2007年まで撮影した『登戸1995-2007』を展示。

2015年 - 第18回調布映画祭ショートフィルム・コンペディション本審査員を務める(映画評論家・柳下毅一郎、映画監督・井口奈己と共に)。

2015年 - 沖縄県久高島に1週間滞在。数々の電子機器が故障してしまう。

2015年10月1日 - 自身の[オフィスMaP]内に「谷口雅彦企画室」を設立。

2016年1月1日 - アトリエ兼事務所を神奈川県の登戸から都内世田谷区経堂に移転。それに伴い、[オフィスMaP]から[オフィス527]に屋号を改称。谷口、アシスタント2人、ライター1人の4人体制での運営になる。

2017年1月1日 - [谷口雅彦企画室]を[オフィス527]を統括する形で[スぺクターズカンパニー]に改称し新たに設立、[オフィス527]の代表をアシスタントNに任せる。

2017年 - 谷口雅彦写真人生40年記念写真全集出版プロジェクトを開始。(全10冊)

2017年3月23日 - AbemaTV fresh!に[チャンネル527]を開設。この日 - プレ配信をする。(出演・えんけんこと谷口雅彦、寺岡大悟・ゲスト中津宗一郎)

2017年4月6日 - AbemaTV fresh![チャンネル527]配信スタート。新番組[まるみつ](えんけんこと谷口雅彦・寺岡大悟) 。

2017年 - 浅草東洋館(旧浅草フランス座)にて「ストリップ70周年記念イベント 裸と笑いの殿堂・フランス座を語る会」に参画。初代浅草駒太夫、青空球児、ビートきよしのベテラン師匠らと共にストリップを撮り続けている写真家として登壇。

2017年6月‐10月 - 土方巽生誕90年記念企画[病める舞姫完全写真化計画]に参画(助成:アサヒグループ芸術文化財団)、土方巽ゆかりの世界的舞踏家を被写体に全撮影。翌年9月 - 写真集出版、秋田県立美術館にて写真展開催。2019年 - 米ロサンゼルス(外務省・国際交流基金ロサンゼルス文化センター)にて展示。

2017年7月 - 公益財団法人ニッポンドットコム(東京虎ノ門・笹川平和財団ビル)ロビーにて、谷口が撮影した東日本大震災の写真が常設展示される。

2017年9月 - AbemaTV fresh![チャンネル527]を[スぺクターズチャンネル]に改称。

2017年10月 - [オフィス527]を閉鎖、すべての事業を[スぺクターズカンパニー]に収斂。

2017年12月 - NPO法人ダンスアーカイヴ構想からの依頼で、写真家ウィリアム・クラインが写真集『東京』で撮影した舞踏祖土方巽らの当時の写真を、現代のダンサーと写真家でライブで再現してみる実験的身体行為に写真家として参加。元ダムタイプのダンサー川口隆夫らと共演(東京・寺田倉庫)。

2017年12月28日をもって経堂アトリエを解消、[スペクターズカンパニー]を神奈川県藤沢市に拠点を移す。

2018年1月1日 - [スペクターズカンパニー]内に[からだと日々の写真研究所]を設立。代表就任。

2018年 - 八戸在住の写真家・高田幸枝と[八戸完全写真化計画]をスタート。2019年から美術家、写真家で東京芸術大学美術学部教授の佐藤時啓が加わり、ユニット[八戸完全写真化計画]となる。

2018年10月1日 - [谷口雅彦写真アーカイブ室](北海道旭川市)の分室として、神奈川県藤沢市に[谷口雅彦写真アーカイブ室湘南分室]を設立。

2018年12月末、FRESH LIVEの配信側が有料化になるのを機に、[スペクターズチャンネル]を廃止。

2019年1月1日 - [スペクターズカンパニー]を[谷口雅彦写真アーカイブ室湘南分室]に統合。同時に[プロデュースENKEN]を併設。

2019年 - ENKENプロデュースとして 『舞踏家榎木ふく音楽家寺岡大悟セッション 〜ピアノと身体〜』を神奈川県藤沢市片瀬の[カフェハウスもん]で開催。

2019年 - 同郷旭川生まれの木工造形家・太田敏孝の作品集『樹言辞解』を出版プロデュースする(全70作品を撮影)。

2020年2月2日 - [谷口雅彦写真アーカイブ室]で兼ねていた[近現代写真発掘活用プロジェクト]を、新設した[ENKEN NIPPON MODERN PHOTO COLLECTION(通称エンケンコレクション)]に移管。

2020年2月4日 - [谷口雅彦写真アーカイブ室湘南分室]を[谷口雅彦写真アーカイブ室・湘南]と改称、旭川を[谷口雅彦写真アーカイブ室・旭川]と改称。引き続き、写真家谷口雅彦の写真活動、写真、ネガ、付随する資料のすべてをアーカイブする機関として存在する。

2020年11月 - 1週間かけて東日本大震災被災地3県(岩手県・宮城県・福島県)を写真集制作のために追加取材。

2020年12月‐2021年1月 - 1週間かけて東日本大震災被災地(宮城県・福島県)を写真集制作のために追加取材。

2021年2月3日 - 2011年から公開していたブログ[続 谷口雅彦 写真の他火(たび)日記]を[谷口雅彦 写真と日々とアーカイブと]に改題し、リニューアル。以前の記事はそのままアーカイブ。

2021年3月 - 1週間かけて10年を迎える東日本大震災被災地3県(福島県・宮城県・岩手県)を取材。

2021年3月7日発売の写真集『津波を乗り越えた町々 東日本大震災十年の足跡』(双葉社刊)が、3月11日にAmazonランキング(現代日本史)で、3月13日に楽天ランキング(タレント・その他)で、それぞれ売上第1位を記録する。

2021年5月-6月 - 3.11を忘れない写真家の会主催で、写真展『東日本大震災10年』を東京四谷・ギャラリーニエプスとギャラリーヨクトの2会場で開催する。

2021年7月26日から、[1000本現像プロジェクト]をスタート。約25年間で撮影済み未現像であった銀塩モノクロフイルムを現像するプロジェクトを自ら開始し、旭川にて重点的に現像作業を繰り返す。ちなみに100本達成が8月11日 - 200本達成が8月31日 - 300本達成が9月20日。現在も継続中。

2021年8月18日 - 文春オンラインに、2021年4月29日付でアップされた記事【「大変なことをしてしまった」事件から7年…手詰まりになった「島根女子大生バラバラ殺人事件」に起きた激震】が、2021年上半期(1月~6月)、反響の大きかった記事ベスト5(事件部門)の4位にランキングする。現場写真を担当。

2021年9月13日・14日 - 北海道上川郡当麻町の木工造形家・太田敏孝のアトリエにて、10月に開催される「太田敏孝追悼展」のために太田の作品約30点が開催地茨城県笠間市・常陸國出雲大社にトラック&フェリー輸送されるに伴い、同社禰宜が同席のもと谷口指揮の下、梱包積み込み作業を行う。「太田敏孝作品展」2021年10月17日から2022年1月23日まで(茨城県笠間市・常陸国出雲大社内・桜林ギャラリー)。

2021年10月 - 写真評論家飯沢耕太郎・打林俊著『写真集の本 明治~2000年代までの日本の写真集662』(カンゼン刊)誌上にて、明治から2000年代における日本の代表する写真集の一つとして写真集『日々の旅』が紹介される。

2021年12月25日 - 旭川の詩誌『フラジャイル』13号の表紙写真を担当する。タイトルは「春光台より 1983(昭和58)年10月」。自身が16歳の時に撮影した旭川市街を展望した写真。

2022年4月1日 - 京都芸術大学通信教育部芸術学部芸術教養学科三年次に編入学。

2022年4月25日 - 旭川の詩誌『フラジャイル』14号の表紙写真を担当する。写真集『日々の旅1993-2002』(ワイズ出版写真叢書15)所収 作品No.126。写真編集者大田通貴(蒼穹舎)プロデュースの写真シリーズ ワイズ出版写真叢書15番目の写真集『日々の旅1993-2002』から。1995-1997頃に撮影した写真。旭川駅前の西武デパートのエレベーターから先代の旭川駅舎とロータリーを撮影した写真。

2022年5月 - 明治期の旭川第七師団内の建築途中の写真(撮影者・中鉢写真館・中鉢孝)を入手(2021年10月にENKENコレクション)したことをきっかけに、撮影者中鉢孝及び旭川の最初の写真師と言われる中鉢直綱の写真や足跡を重点的に研究する[写真師中鉢直綱研究室]を、谷口雅彦写真アーカイブ室内に設立する。

2022年5月27日 - 旭川市民活動団体「あさひかわ写真アーカイブ研究会」の設立に伴い、顧問に就任する。 

2022年6月 - 約15年ぶりに故郷の旭川で、いわゆる自身の私的な要素を作品とする展覧会「まさひこ君と写真家谷口雅彦」を開催。

2022年9月 - 旭川の詩誌『フラジャイル』15号の表紙写真を担当する。写真集『日々の旅1993-2002』(ワイズ出版写真叢書15)所収 写真編集者大田通貴(蒼穹舎)プロデュースの写真シリーズワイズ出版写真叢書15番目の写真集『日々の旅1993-2002』から。1999年頃に撮影した写真。神居古潭(旧駅名漂と女性)。

2022年11月3日 - 「国内外で活躍はもとより、写真にまつわる本市の歴史や文化、芸術の振興と発展に大きく貢献する人物として、今後の更なる活躍が期待される」との理由により、令和4年度旭川市文化奨励賞を受賞する。記念講演のタイトルは、『カメラと写真と旭川の最初の写真師・中鉢直綱』。

2022年11月17日から30日まで、旭川市文化奨励賞受賞記念写真展として、『CHRONICLE 1977-2022』(ジュンク堂ギャラリージュンク・北海道旭川市)を開催する。14日間で、約1000人が来場、ギャラリージュンク始まって以来の来場者数となる。

2023年2月7日から12日まで、ストリップ75周年『踊り子』展に写真作品を出品。(東京・吉祥寺アートギャラリー絵具箱)

2023年3月10日から11日まで、(東日本大震災)福島県いわき市、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町を取材。

2023年3月 - 昨年12月、谷口雅彦写真展『CHRONICLE 1977-2022』の開催中に来場した30代から50代の写真好き数名に声をかけ、旭川を拠点とする【Rivers Salvage Underground】(リバース サルベージ アンダーグラウンド)を結成する。メンバーが、旭川市、東川町、滝川市、砂川市在住ということから、リバースと名付けた。

2023年5月‐北海道旭川市の新聞『あさひかわ新聞』にて「谷口雅彦の写真の話」を連載スタート。(毎月第一火曜日掲載)

2023年8月‐『詩の檻はない~アフガニスタンにおける検閲と芸術の弾圧に対する詩的抗議』〔発行所・バームダート(亡命詩人の家)、発行者・ソマイア・ラミッシュ、編集・柴田望〕の発行に賛同し、抗議詩集の表紙写真を提供する。

2023年9月‐谷口雅彦写真アーカイブ室・ENKENコレクションに寄贈された佐伯武雄旧蔵コレクションを活用し、旭川市内の飲食店2店舗同時開催『関東大震災から100年 ポストカード』展をプロデュースする。

2023年10月‐谷口雅彦写真アーカイブ室主催(ENKENコレクション・写真師中鉢直綱研究室)・市民活動あさひかわ写真アーカイブ室併催で、写真展『旭川で最初の写真師中鉢直綱とあさひかわの写真』展を旭川市民ギャラリーで開催。全プロデュースをする。

2024年1月2日‐『あさひかわ新聞』2024年元日号で、あさひかわ写真アーカイブ研究会並びに谷口雅彦写真アーカイブ室の旭川における写真アーカイブ活動について特集が2面に渡り掲載になる。

2024年1月17日‐旭川ななかまど文化賞協議会審査会において満場一致で、【谷口雅彦写真アーカイブ室】と【あさひかわ写真アーカイブ研究会】が団体として、第47回(令和5年度)旭川ななかまど文化賞受賞決定。(2024年1月18日報道公開)受賞理由は「写真展『旭川で最初の写真師中鉢直綱とあさひかわの写真』展(2023年10月)の開催と、活動内容の希少性や将来性等を評価」

2024年3月19日から3月24日まで。第47回旭川ななかまど文化賞受賞記念写真展を開催。(旭川市文化会館展示室)24日、①13時と②15時30分から、写真家谷口雅彦による展示ツアーを開催。3月24日の14時から14時30分まで、旭川市文化会館大ホールで、旭川ななかまど文化賞授賞式を開催。

縁顕名義(プロデュース)

縁顕(えんけん)名義で、2017年4月より株式会社サイバーエージェント運営の映像配信プラットフォーム「FRESH! by CyberAgent」にて[○○○みつけた!!!](通称:まるみつ!)(2017年4月6日₋2017年12月14日)及び[磯貝真稟の個人的見解から私の好きなアニメをカッパさんに教えようの番組です。](通称:いかさば!)(2017年4月12日₋2017年8月10日)の2番組をプロデュース。

2024/06/16 17:37更新

taniguchi masahiko


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