赤堀四郎の情報(あかぼりしろう) 化学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
赤堀 四郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
赤堀四郎と関係のある人
赤堀四郎の情報まとめ
赤堀 四郎(あかぼり しろう)さんの誕生日は1900年10月20日です。静岡出身の化学者のようです。
兄弟、卒業、現在に関する情報もありますね。1992年に亡くなられているようです。
赤堀四郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)赤堀 四郎(あかほり しろう、1900年10月20日 - 1992年11月3日)は、日本の生化学者(生物有機学)。勲等は勲一等。学位は理学博士(東北帝国大学・1931年)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員、大阪大学総長、理化学研究所理事長などを歴任した。 苦学しながら醤油の香り成分の研究などで業績を残した。日本学士院会員、大阪大学総長、理化学研究所理事長を歴任し、勲一等を贈られた。日本学士院、ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ、ソビエト連邦科学アカデミーなどの会員に選ばれている。また、アメリカ生化学会名誉会員、静岡県小笠郡大東町名誉市民などの称号を贈られている。 1900年(明治33年)、静岡県小笠郡千浜村(現・掛川市千浜)で小学校教師の赤堀秀雄と妻・しのの息子として生まれた。兄弟が多く家計は苦しかったが、父から鈴木梅太郎やキュリー夫妻の話を聞いて育った。母の営む養蚕業を手伝いながら、1913年(大正2年)に千浜村立千浜尋常小学校(現・掛川市立千浜小学校)を卒業した。 翌年、叔父の勧めで上京し、叔母の家に住みながら大蔵省の給仕として働き、やがて同省専売局の化学分析室に移った。働きながら錦城中学校(現・錦城学園高等学校)の夜間部に通ったが、叔父・沖卵太郎の支援を受けて同校の昼間部に移り、さらに千葉医学専門学校薬学科(現・千葉大学薬学部)に進学した。 1921年(大正10年)に同校を卒業し、桃谷順天館に入社した。同社から東京帝国大学(現・東京大学)理学部講師の西沢勇志智の助手として派遣され、同年夏に西沢とともに東北帝国大学(現・東北大学)教授眞島利行の研究室で研究を行った。翌年、赤堀本人の希望と西沢の勧めから東北帝大理学部化学科に入学。西沢の知人である味の素課長・高山義太郎の助けもあって味の素から奨学金を得ることができ、1924年(大正13年)には眞島研究室に配属された。 1932年(昭和7年)からヨーロッパに留学し、ベルリンでドイツ語を学んだ後、プラハのプラハ=ドイツ大学で酵素化学を学んだ。また、プラハでは三浦環の蝶々夫人を観劇している。1934年(昭和9年)からはアメリカのコロンビア大学に渡り、ジョン・ノースロップの研究室で消化酵素の結晶化の研究を行なった。 翌年正月に帰国し、同年大阪帝国大学の助教授に就任している。1939年(昭和14年)には同大学理学部教授に昇任した。太平洋戦争中はガスマスクの開発にも従事し、シアン化水素の吸収材として銅と生糸を軽石にまぶしてガスマスクに詰めた。戦後、赤堀はこれが戦時協力に当たるかと思い、郷里に帰って農業を営むことも考えた。しかし、実際にはむしろGHQによって教員適格審査委員会の委員長に任命されている。この頃の教え子に、大阪大学の総長となった山村雄一らがいる。この後、『蛋白質を構成するアミノ酸の結合状態に関する研究』により、1955年(昭和30年)に日本学士院賞を受賞した。 1958年(昭和33年)、大阪大学蛋白質研究所が創立されると所長に就任した。1960年(昭和35年)には同大学総長となり、基礎工学部の設立や千里丘陵へのキャンパス移転に尽力した。1965年にはそれまでの功績から文化勲章を受章。また1966年(昭和41年)から1970年(昭和45年)にかけては理化学研究所の理事長を務めた。1975年(昭和50年)、勲一等瑞宝章を受章。1983年(昭和58年)に夫妻そろってカトリックの洗礼を受けた。1992年11月3日に老衰のため92歳で逝去。 東北帝国大学での研究では、醤油のエーテル抽出物を塩化第二水銀で処理することによって硫黄を含むアミノ酸の結晶化に成功した。この反応ではメチオニンが発酵してメチオノールが生成しており、香りの主成分は中間体のメチオナールであることを明らかにしている。 プラハでの研究では、ニシンの肝臓に含まれるタンパク質・クルペインの中のプロリンについて定量を行なった。この結果、エールリッヒ試薬で呈色するのがプロリンではなくコラーゲンのタンパク質・オキシプロリンであることを明らかにし、肝臓病の診断に役立てられた。 また、戦後は戦前から手掛けていたタカジアスターゼの研究を再開し、成分の酵素であるタカアミラーゼAの結晶化に成功した。さらにミオグロビンやインスリンの結晶化も行なっている。また、ロケット燃料として豊富に作られたヒドラジンを使ってタンパク質のC末端のアミノ酸を同定する方法を開発した。 赤堀の名前の読み方について、 出身地である千浜村、およびその周辺地域(小笠郡菊川町、榛原郡初倉村、榛原郡金谷町、志太郡島田町等)では、「赤堀」姓はよく見られる苗字である。しかし、それらは「アカホリ」と読むのが一般的であり、群馬県のように「アカボリ」と呼称する例は皆無である。掛川市(旧千浜村)の公式ウェブサイトでも「あかほり」と表記している。 しかし、文献などでは、「あかぼり」と振り仮名を振っている例が散見される。これは、ドイツ留学時に名前を呼ばれるときにAKAORI=アカオリと発音され、それが本人にはアカオニ=赤鬼と聞こえ、それを嫌った四郎が「Akabori」表記にしたことに起因する。座右の銘は「雪梅花埋 不能埋香」。現在、孫の原邦雄がその思いを引き継ぎ、「ほめ育」という教育メソッドを世界に広げている。 赤堀の故郷である大浜町(旧千浜村)は、その業績を記念し1966年に「名誉市民」の称号を贈った。大浜町は城東村と合併し大東町となったが、大東町も同名の称号を贈っている。1991年には、大東町立千浜小学校に赤堀の胸像が建立されている。 1900年 - 誕生。 1913年 - 千浜尋常小学校卒業。 1914年
錦城中学校夜間部入学。 1916年 - 錦城中学校昼間部4年編入。 1918年
千葉医学専門学校薬学科入学。 1921年
桃谷順天館入社。 東北帝国大学理学部化学科入学。 1925年
東北帝国大学大学院入学。 1930年
東北帝国大学理学部講師。 1931年 - 理学博士取得。 1935年 - 大阪帝国大学理学部助教授。 1939年 - 大阪帝国大学理学部教授。 1947年 - 大阪大学理学部学部長。 1949年 - 大阪大学一般教養部部長。 1953年
東京大学応用微生物研究所教授。 1958年 - 大阪大学蛋白質研究所所長。 1960年 - 大阪大学総長。 1966年
理化学研究所理事長。 1992年 - 死去。 1950年 - 日本化学会賞受賞。 1955年 - 日本学士院賞受賞。 1966年 - 大浜町名誉市民。 1973年 - 大東町名誉市民。 1965年11月 - 文化勲章受章。 1975年4月 - 勲一等瑞宝章受章。 赤堀四郎著『アミノ酸及蛋白質』共立出版、1944年。 赤堀四郎著『生化學序説』岩波書店、1957年。 赤堀四郎・谷久也共著『蛋白質』三共出版社、1948年。 赤堀四郎・奥村重雄共著『解説有機化學』共立出版、1950年。 赤堀四郎・松井邦夫著『生體内反應論』1巻、岩波書店、1956年。 赤堀四郎・奥村重雄共著『解説有機化学』改新版、共立出版、1956年。 林太郎ほか編『高等学校化学』好学社、1955年。 赤堀四郎ほか編 『高等学校化学』好学社、1957年。 赤堀四郎稿「蛋白質の化學構造に就て」日本化學會編『最近化學綜説集』日本化學會、1939年。 赤堀四郎稿「生化学的触媒反応」學術研究會議編『化学綜報』1輯、岩波書店、1941年。 赤堀四郎稿「最近の酵素化学」日本化学会・近畿化学工業会共編『最新の化学とその応用』1集、工業通信社、1949年。 林繁彌・赤堀四郎稿「プロテアーゼ」兒玉桂三ほか著『酵素實驗法』河出書房、1950年。 ^ 大東「町」だが称号は名誉「市」民である。 ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 12頁。 ^ 掛川市教育委員会生涯教育課「赤堀四郎(あかほり しろう)」『赤堀四郎』掛川市役所、2013年2月17日。 ^ 都築洋次郎編著『科学・技術人名事典』北樹出版、1986年、30頁。 ^ その他の著者は小島頴男・赤堀四郎・仁田勇・桜田一郎・吉木利光。 吉原賢二 『しょう油の香りから酵素の世界へ』 現代化学、Vol.410、P.16-20、2005年 赤堀反応 掛川市:赤堀四郎 表 話 編 歴 初代 長岡半太郎 1931-1934 第2代 楠本長三郎 1934-1943 第3代 真島利行 1943-1946 第4代 八木秀次 1946 事務取扱 仁田勇 1946 第5代 今村荒男 1946-1947 第5代 今村荒男 1947-1954 事務取扱 桑田芳蔵 1954 第6代 正田建次郎 1954-1960 第7代 赤堀四郎 1960-1966 第8代 岡田實 1966-1969 事務取扱 山本巌 1969 事務取扱 本城市次郎 1969 第9代 釜洞醇太郎 1969-1975 第10代 若槻哲雄 1975-1979 第11代 山村雄一 1979-1985 第12代 熊谷信昭 1985-1991 第13代 金森順次郎 1991-1997 第14代 岸本忠三 1997-2003 第15代 宮原秀夫 2003-2007 第16代 鷲田清一 2007-2011 第17代 平野俊夫 2011-2015 第18代 西尾章治郎 2015- 佐多愛彦 1903-1915 佐多愛彦 1915-1919 佐多愛彦 1919-1924 楠本長三郎 1924-1931 伊藤新六郎 1896-1901 伊藤新六郎 1901-1902 心得/校長 安永義章 1902-1904/1904-1918 土井助三郎 1918-1924 事務取扱/校長 堤正義 1924-1925/1925-1929 今川一 1929-1931 堤正義 1929-1933 野田義夫 1921-1927 隈本繁吉 1927-1935 金子幹太 1935-1938 石倉小三郎 1938-1941 佐々木喜市 1941-1943 伊藤達夫 1943-1948 事務取扱 杉浦寅之助 1948 森田淳一 1948-1950 事務取扱/校長 三浦菊太郎 1926/1926-1936 名須川良 1936 事務取扱 筧舜亮 1936-1937 安達貞太 1937-1947 森河敏夫 1947-1950 大槻弌 1917-1922 木村彦右衛門 1922-1925 大槻弌 1925-1935 吉木弥三 1935-1937 代理 大槻弌 1937-1938 松南千寿 1938-1946 村上信三 1946-1949 村上信三 1949-1951 古武弥四郎 1939-1940 佐谷有吉 1940-1944 佐谷有吉 1944-1946 富田朋介 1946-1947 富田朋介 1947-1951 中目覚 1921-1933 葉山万次郎 1933-1942 横山俊平 1942-1944 横山俊平 1944 事務取扱 吉本正秋 1944 尾崎卓郎 1944-1946 事務取扱 稲村純一 1946 平沢俊雄 1946-1951 平沢俊雄 1949-1961 森沢三郎 1961-1965 金子二郎 1965-1969 事務取扱/校長 牧祥三 1969-1972/1972-1977 伊地智善継 1977-1982 林栄一 1982-1987 山田善郎 1987-1992 池田修 1993-1999 赤木攻 1999-2003 是永駿 2003-2007 カテゴリ メディア 大阪大学 大阪大学 源流・前身諸機関 人物 表 話 編 歴 菊池大麓 1917 古市公威 1917-1921 大河内正敏 1921-1946 仁科芳雄 1946-1948 仁科芳雄 1948-1951 阪谷希一 1951-1952 会長 亀山直人 1952-1956 社長/会長 村山威士 1952-1956/1956-1958 佐藤正典 1956-1958 長岡治男 1958-1966 赤堀四郎 1966-1970 星野敏雄 1970-1975 福井伸二 1975-1980 宮島龍興 1980-1988 小田稔 1988-1993 有馬朗人 1993-1998 小林俊一 1998-2003 野依良治 2003-2015 松本紘 2015-2022 五神真 2022- カテゴリ メディア 理化学研究所 ISNI VIAF WorldCat アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research レオポルディーナ 日本の生化学者 日本学士院賞受賞者 文化勲章受章者 日本学士院会員 大阪大学総長 大阪大学の教員 東京大学の教員 東北大学の教員 大阪大学蛋白質研究所の人物 東京大学定量生命科学研究所の人物 ソビエト連邦科学アカデミー外国人会員 ロシア科学アカデミー外国人会員 国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員 理化学研究所の人物 東北大学出身の人物 コロンビア大学出身の人物 錦城学園高等学校出身の人物 静岡県出身の人物 1900年生 1992年没 2024/11/22 00:41更新
|
akabori shirou
赤堀四郎と同じ誕生日10月20日生まれ、同じ静岡出身の人
TOPニュース
赤堀四郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「赤堀四郎」を素材として二次利用しています。