赤木圭一郎の情報(あかぎけいいちろう) 俳優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
赤木 圭一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
赤木圭一郎の情報まとめ
赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう)さんの誕生日は1939年5月8日です。東京出身の俳優のようです。
映画、現在、卒業、家族、事故、子役、趣味に関する情報もありますね。去年の情報もありました。1961年に亡くなられているようです。
赤木圭一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2月21日)は、日本の映画俳優。本名:赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。愛称はトニー。 東京府東京市麻布区麻布笄町(現在の東京都港区西麻布4丁目)で歯科医の家庭に生まれ、後に神奈川県鎌倉市へ疎開。1948年(昭和23年)4月、藤沢市鵠沼に転居する。 栄光学園中学校から藤沢市立鵠沼中学校を経て神奈川県立鎌倉高等学校卒業後、成城大学に入学した(在学中に他界)。 1958年(昭和33年)、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。石原裕次郎主演の『紅の翼』に本名の「赤塚親弘」名義で群衆の一人としてエキストラ出演し、これが映画デビュー作となった。その西洋的風貌や退廃的な雰囲気がこれまでの日本人俳優にはない個性として評判を呼び、「トニー」の愛称で主人公の弟分や準主役級として出演するようになった。この愛称は、1950年代から1960年代にかけて人気のあったハリウッドスタートニー・カーティスにどことなく風貌が似ていたことが由来である。 1959年(昭和34年)『拳銃0号』で演じた不良少年役が評判になった後、鈴木清順監督の『素っ裸の年令』で初主演を果たす。この映画で赤木の人気に手応えを感じた日活は、『清水の暴れん坊』と『鉄火場の風』で石原と共演させるとこれらの映画が評判となった。日活はさらに1960年1月から赤木、石原、小林旭に和田浩治を加えた4人で「ダイヤモンドライン」を結成させ、それぞれ毎月1本ずつのペースで彼らの主演映画を製作することにした。 その後、『拳銃無頼帖』シリーズなど20本以上の無国籍アクション映画に主演し、日活のアクション俳優として「タフガイ=石原裕次郎」「マイトガイ=小林旭」に続く「第三の男」と呼ばれた。その風貌から「和製ジェームズ・ディーン」とも云われた。また、『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)では少年時代からの憧れだったという船乗りを演じ、「マドロス姿が最もさまになる日活俳優」とも評価された。 歌手としても、日本グラモフォン(ポリドール)から『霧笛が俺を呼んでいる』をはじめとする数々のヒット曲をリリースした(生前レコーディングしたのは、全部で25曲)。その声は低音で哀愁があり、ブルースが似合う声と評された。 1961年(昭和36年)2月14日12時20分頃、石原裕次郎のケガにより代役となって撮影に臨んだ映画『激流に生きる男』のセット撮影中の昼休憩時に、セールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、咄嗟にブレーキとアクセルを踏み違え、60 km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突し、東京都北多摩郡狛江町(現:狛江市)にある慈恵医大病院に緊急搬送された。一時は意識が戻ったものの、2月20日になって再び昏睡状態に陥り、2月21日午前7時50分、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため、21歳で死去した。赤木の家族らと共に長門裕之も臨終に居合わせた。葬儀は杉並区永福にある大円寺にて2月23日の午後2時より執り行われ、多くの芸能関係者など4,000人が参列した。 また、赤木の死に顔を見た宍戸錠は、「まるでハリウッドの俳優ルドルフ・ヴァレンティノのようだった」と語った。宍戸は、長門など他の俳優やスタッフらと共に赤木がゴーカートを走らせる前からその場に居合わせており、弟の郷鍈冶、そして杉山俊夫共々家族同様に親しい間柄だった。 神奈川県鎌倉市の長勝寺には赤木の胸像が、材木座霊園には記念碑が建立されている。墓は静岡県富士宮市の大石寺典礼院L-2区881号にある。 赤木のプロマイドは、死後6年経った1967年(昭和42年)まで、男優部門での売り上げ10位以内に入り続けるという高い人気を保った。同年には『激流に生きる男』の未完成フィルムの一部と、ゆかりの俳優たちの座談会などで構成された『赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男』が公開され、写真集やレコードも発売された。 「赤木圭一郎を偲ぶ会」の野口正光会長は、「赤木が亡くなって今年(2021年)で60周年ですが、赤木を知らない世代の若者も入ってくれており、こんなにオーラのある俳優は赤木圭一郎だけかもしれません。まさに100年に一人の大スターだと思います」と語った。また、小林旭も後年「もし赤木が生きていたら、俺も裕次郎も霞んでいた」と赤木のスター性を高く評価している。 1939年に赤塚家の次男(6人きょうだいの4番目で兄が一人、姉が二人、妹が二人いる)として生まれた。戦時中に一家で湘南の片瀬海岸に疎開し、そのまま終戦を迎えた。湘南学園小学校に入学したが、その後三浦郡葉山町に引っ越した事で葉山小学校に転校。小学生時代は家の裏山で友達とインディアンごっこをしたり、妹と一緒に海で泳ぐなどしていた。勉強嫌いだったが成績は良かった。 中学は父の希望でクリスチャン系の私立の名門・栄光学園に入学するも、勉学第一の校風に馴染めず地元の鵠沼中学校に転校した。鎌倉高校時代は帰宅部として自由を謳歌した。ただし、スポーツ好きだった為助っ人を頼まれては柔道、テニス、ボクシング、水泳などの様々な部に一日入部する形で色々と楽しんだ。見た目の良さに加えスポーツ万能、成績もそこそこ優秀だった事から同級生の間でも特に目立つ存在だった。 成城大学文芸学部に進学し気ままな学校生活を送っていた1年生の夏休みに、父の囲碁仲間だった日活プロデューサー・高木雅行が赤木家に囲碁を打ちに来た。容姿端麗な赤木は高木の目に留まり、役者にスカウトされると「いいアルバイトになる」と軽い気持ちでこの誘いに乗って後日オーディションを受ける。当時日活は二枚看板俳優だった石原、小林に続く新人俳優を探しており、赤木は全国2万人を超える応募者の中から男8人女13人の「第4期ニューフェイス」の1人として選ばれて入社した。同期の日活俳優・野呂圭介によると、入社直後の赤木について「撮影所の女優たちの間で『裕次郎さんの後を継ぐのは赤木くんに違いない』と早くも評判になった」とのこと。 当初は本名の赤塚親弘で活動したが、入社からほどなくして井上梅次監督から「もっと簡単で親しみやすい芸名にした方がいい」と改名を助言された。井上の考案で、井上の母校である慶應義塾大学で当時野球部で活躍していた赤木健一から名前を借り、「下の名前は、石原裕次郎にあやかって三文字にしよう」ということから“赤木圭一郎”に決まった。 1960年に主演した『拳銃無頼帖』シリーズの第一作『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』は、赤木にとって初のカラー作品にして大ヒットとなり、トニー人気は不動のものとなった。この頃から月収も15万円まで跳ね上がった(大卒の初任給が1万数千円の時代)。同年12月に、映画製作者協会の新人賞を受賞。 人気俳優の仲間入りを果たしたがいいことばかりではなく、赤木はこの頃から撮影スケジュールに追われるようになる。少しでも通勤時間を減らすため、東京・調布市の撮影所付近に住んでいた山崎辰夫撮影所長の自宅に間借りしたが、目覚まし時計を3個使わないと起きられないほど寝不足に苦しんだ。同期の野呂圭介によると「あの頃の赤木は撮影の合間に少しでも時間があると、部屋の隅に座り込んで仮眠をとっていた。そんな状況でも『NGを出さないこと』を信条にしていた彼は、スタッフの誰からも愛されていた」という。 1961年1月、『激流に生きる男』で主演を演じるはずだった石原裕次郎が、スキーで転倒して骨折したことで赤木にその代役が回ってくる。ただでさえ多忙だった赤木は、この映画への参加により超人的なスケジュールを送ることとなった。2月14日午前中に赤木が栄養剤を2本も飲んで撮影を行った後、昼休みの日活撮影所の中庭では俳優や歌手たちの行列ができていた。そこでは輸入代理店のセールスマンが持ってきた、当時アメリカで流行していたゴーカートを試乗させていた。赤木は疲労困憊だったが運転が好きだったことから、「すぐに撮影始まるから先に乗せてよ」と言ってヘルメットを被ってゴーカートに乗り込んだが、撮影所内を走り出した直後に運転を誤り事故が起きた。 救急車で緊急搬送された後、慈恵医大病院で緊急手術が行われ、病院には家族や俳優仲間日活関係者、多数の報道陣が詰めかけ騒然となった。医師は赤木の関係者に「生命が危ぶまれる」と告げたが、事故翌日日活は会見を開くと周りを安心させるためか「重症に見えるが脳は大丈夫」と告げたという。手術後赤木は危篤状態が続き、19日朝9時頃に意識を回復しガーゼに浸した水を自分で飲んだがその後容態が悪化して昏睡状態となり、21日に静かに息を引き取った。 事故直前に、同じく『激流に生きる男』出演中で撮影所にいた子役時代の江木俊夫は、赤木からゴーカートに誘われていたが、小林旭から「一緒に行くと危ないぞ、それより飯でも食おうよ」と呼ばれたため行くのを止め、小林と共に食堂で食事をしているところに、外から大きな音と騒ぎが聞こえて赤木の事故を知ったという。 上記のゴーカートに乗る順番をじゃんけんで決めた結果、赤木が先に乗ったが、次は友人のかまやつひろしが乗る予定だった。また同日、同じ業者は車好きの夏木陽介へカートを売り込むために東宝も訪れていたが、業者は撮影で多忙だった夏木と接触しないまま東宝を去っていた。夏木は「もし自分がその日カートを見る時間が有れば購入していたかもしれない。そうすれば赤木は死ぬことはなかったかもしれない」と悔んだという。 笹森礼子は赤木との共演作が最も多かった女優であった。入社後暫くしてから湘南学園幼稚園の同窓であることが判った。 同じ日活の後輩女優で共演の経験もある吉永小百合は、赤木を「憧れの先輩だった」と語っている。赤木は吉永を「ラビットちゃん」という愛称で呼び、自家用車のMGの助手席に時々乗せてあげるなど可愛がっていた。他にも吉永は、自身の著書や写真集、日活時代の思い出を語るインタビューなどで赤木とのエピソードや写真を挙げている。 加山雄三とは、日活と東宝で籍を置いた会社こそ違ったものの、1960年の秋、雑誌の取材で一緒になったことをきっかけに親しくなった。同世代で同じ湘南育ちということも手伝ってその親交は深まり、それは赤木の急逝まで続いたという。加山は、赤木とのエピソードを自著『湘南讃歌』『若大将の履歴書』などの中で綴っているほか、赤木をイメージして作曲した楽曲「夕映えのスクリーン」も発表している(加山のアルバム『LIFE』に収録。山川啓介による歌詞も、加山と赤木の友情をモチーフにしたものとなっている)。また加山と同じ東宝所属の夏木陽介とも親しくしていたという。 当時の人気俳優にしては珍しく浮いた話は特に聞かれず、死後に美輪明宏が赤木との恋を告白したのが唯一とされる。 中学時代に横須賀の港を見て航海士に憧れ、中南米などを船で旅するのが夢だった。その後船乗りになるつもりで、高校卒業後の進路を水産系の学科がある大学や商船学校を志望したが、両親に反対されたため成城大学に進学先を変更した経緯がある。それでも船旅への憧れは収まらず、大学入学直後にスペイン船に乗って密航を試みて失敗したことがあるという。 俳優として多忙になる中でステレオやスポーツカー、オートバイなどに趣味を広げ、カーマニアとしても知られるようになった。『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』に出演後に収入が増えてからは、いくつかの外車を購入し乗るようになった。 映画鑑賞も愛好しており、アンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画『灰とダイヤモンド』を何度も観ていて、暗く影のある主人公マチェックに非常に共感していたという。逆に自身の俳優業には違和感を覚えていたようで、ゲスト出演したラジオ番組では「映画は好きだけどやるのは好きじゃないです」と語っていた。 昔からラジコン製作が好きで、中学時代に神奈川県のコンクールで入賞したことがある。 身長は175cmでスラリとした体型だった。高校時代から女子生徒たちに人気があり、俳優になってからもファンレターの送り主はほとんどが若い女性だったが、昔から照れ屋で女性と話すのが苦手だった。 皆でワイワイやるのを好んだ石原や小林とは対照的に、赤木は一人で海を眺めて詩作に耽る文学青年だった。 地元と家族を愛していたため、俳優になってからはスケジュールの合間を縫って母の料理を食べに実家に帰ったり、湘南の海に泳ぎに行っていた。 好物は、アイス、果物、牛肉。 プロ野球は、「弱いチームを応援したい」との理由から地元・大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)のファンだった。ちなみに小林旭、葉山良二、小高雄二などの日活俳優たちと映画人野球大会に参加したことがある。 好きな俳優は水島道太郎、マーロン・ブランド(赤木が日活に提出した身上書にこう記されていた)。 背広やネクタイを嫌っていたため、普段はシャツにジーンズなどのラフなスタイルを好んで着ていたという。 紅の翼(1958年、日活) ※エキストラ出演 実いまだ青し(1959年、日活)- ノンクレジット 応援部員 役 仮面の女(1959年、日活) - ノンクレジット 俺は挑戦する(1959年、日活) - ノンクレジット 高見ボクシングジムの練習生 嵐を呼ぶ友情(1959年、日活) - クレジットは赤塚親弘 バンドボーイ 役 群集の中の太陽(1959年、日活) - 城南大学ラグビー部員 役 狂った脱獄(1959年、日活)※この作品から、赤木圭一郎として活動するようになる 拳銃0号(1959年、日活) 絞首台の下(1959年、日活) - 柳本憲 役 街が眠る時(1959年、日活) 俺は淋しいんだ(1959年、日活) 若い傾斜(1959年、日活) - 庄子新吾 役 ゆがんだ月(1959年、日活) - 早川 役 浮氣の季節(浮気の季節)(1959年、日活) - 印藤良平 役 素っ裸の年令(1959年、日活) ※初主演作品 清水の暴れん坊(1959年、日活) - 戸川健司 役 ※石原裕次郎と初共演 大学の暴れん坊(1959年、日活) 鉄火場の風(1960年、日活) - 速水健 役 拳銃無頼帖シリーズ
拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活) - 丈二 役 拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活) - 早射ちの竜 役 拳銃無頼帖 明日なき男(1960年、日活) 打倒(1960年、日活) 邪魔者は消せ(1960年、日活) 男の怒りをぶちまけろ(1960年、日活) 霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活) - 杉敬一 役 海の情事に賭けろ(1960年、日活) 幌馬車は行く(1960年、日活) 錆びた鎖(1960年、日活) 俺の血が騒ぐ(1961年、日活) 紅の拳銃(1961年、日活)完成した映画としては遺作 赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男 (1967年、日活。死後6年後に、『激流に生きる男』の撮影済みの映像と日活関係者のインタビューで構成したものが映画として公開。) 霧笛が俺を呼んでいる(映画『霧笛が俺を呼んでいる』主題歌) 男の怒りをぶちまけろ 黒い霧の町 ふたりの渚 (映画『邪魔者は消せ』主題歌) 激流に生きる男 野郎泣くねえ! 俺の血が騷ぐ 海の情事に賭けろ 流転(上原敏のカバー。B面は宍戸錠の「旅笠道中」) ほか ^ そのジェームズ・ディーンも赤木が亡くなる6年前の1955年に自動車事故により、24歳で若くしてこの世を去っている。 ^ その後、ストーリーそのものは大幅に変更せず、高橋英樹を代役に立て、出演者を一部交替して撮り直され、1962年に公開された。 ^ 会員数は1,710人(2021年8月現在)にまで増え、年に3回の会報発行や、命日には揃って墓参りに行くなどの活動を絶やさず継続している。 ^ 赤木が初期に出演した映画『嵐を呼ぶ友情』、『群集の中の太陽』で監督を務めた。 ^ また、『大学の暴れん坊』の撮影期間中に急性盲腸炎で入院した時は、撮影を遅らせないため病室を抜け出して撮影を続けたという(本人の意志か会社側の指示かは不明)。 ^ 関川夏央『昭和が明るかった頃』文藝春秋、2002年、104-105頁。ISBN 978-4163591704。 ^ 大下英治「第1章 映画に魅せられて デビュー」『映画女優 吉永小百合』朝日新聞出版、2015年。ISBN 978-4022513359。 ^ 西田敏行「第二章 東京さ行って映画俳優になるぞう」『役者人生、泣き笑い』河出書房新社、2016年。ISBN 9784309025063。 ^ 水沢佐登留『赤木圭一郎写真集: わたしのトニー』赤木圭一郎を偲ぶ会出版局、1980年。 ^ 『甦るトニー : 赤木圭一郎写真集』日活芸能、1977年。 ^ 週刊現代9月4日号「昭和の怪物」研究その134・赤木圭一郎「21歳で散った青春」p173-180。 ^ 『日本映画俳優全集:男優編』キネマ旬報社、1979年、7-8頁。 ^ 野沢一馬『赤木圭一郎: 「光と影」二十一歳のフィナーレ』成星出版、1997年、頁。ISBN 9784916008343。 ^ 総監修:舛添要一『検証戦後50年: 文化編』サンドケー出版局、1995年、130頁。ISBN 4914938723。 ^ 『昭和二万日の全記録 安保と高度成長』 第12巻、講談社、1990年、122頁。 ^ 『文芸所沢』 第26号、所沢市教育委員会、2009年、90頁。 ^ “事故死した主な芸能人”. 日刊スポーツ (2013年10月6日). 2023年11月9日閲覧。 ^ 『近代映画臨時増刊 赤木圭一郎思い出のアルバム』154頁他より、近代映画社 1966年12月刊 ^ 『徹子の部屋』出演時などの江木の発言より ^ 『我が良き友よ 人生は愉快じゃないか』かまやつひろし、1970年6月5日、KKベストセラーズ、47ページ「トニーはもう帰らない」 ^ 『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 p.125 ^ “美輪明宏、赤木圭一郎との関係を告白”. アサ芸プラス (2012年12月12日). 2021年9月25日閲覧。 ^ 『驚きももの木20世紀』より 年代別プロマイド(ブロマイド)売上ベスト10 - 1956年 - 1960年、1967年 - 1968年。 赤木圭一郎 - KINENOTE 赤木圭一郎 - allcinema 赤木圭一郎略歴 映画DB 激流 赤木圭一郎を偲ぶ会 表 話 編 歴 56 池内淳子 石原裕次郎 川口浩 草薙幸二郎 白川由美 杉田弘子 高倉健 / 57 団令子 江原眞二郎 北沢典子 仲代達矢 森美樹 筑波久子 川崎敬三 / 58 浅丘ルリ子 叶順子 桑野みゆき 大空眞弓 佐久間良子 佐藤允 千乃赫子 / 59 本郷功次郎 星輝夫 水木襄 中谷一郎 夏木陽介 清水まゆみ 山本豊三 60 赤木圭一郎 藤巻潤 星由里子 川口知子 松方弘樹 三上真一郎 吉田輝雄 / 61 岩下志麻 加山雄三 三田佳子 田宮二郎 山﨑努 吉永小百合 / 62 倍賞千恵子 浜美枝 浜田光夫 姿美千子 千葉真一 山本圭 / 63 和泉雅子 加賀まりこ 北大路欣也 中川ゆき 中尾ミエ 高田美和 高橋幸治 / 64 藤村志保 本間千代子 市川染五郎 加藤剛 香山美子 松原智恵子 吉村実子 / 65 江波杏子 藤純子 内藤洋子 小川眞由美 竹脇無我 渡哲也 / 66 栗塚旭 黒沢年男 大原麗子 山口崇 山本陽子 安田道代 / 67 梓英子 栗原小巻 中山仁 小川知子 酒井和歌子 杉良太郎 / 68 生田悦子 峰岸徹 中山麻里 丘みつ子 高橋悦史 谷隼人 / 69 渥美マリ 沖雅也 尾崎奈々 太地喜和子 高橋紀子 橘ますみ 70 原田大二郎 森田健作 夏純子 岡田裕介 岡本信人 堺正章 佐藤オリエ 武原英子 梅田智子 渡瀬恒彦 八並映子 / 72 池玲子 近藤正臣 榊原るみ 関根恵子 三船史郎 山口果林 吉沢京子 / 73 宇津宮雅代 杉本美樹 志垣太郎 松坂慶子 村野武範 山本亘 田中真理 藤岡弘 本田みちこ 真木洋子 / 74 浅田美代子 梢ひとみ 島田陽子 関根世津子 仁科明子 萩原健一 三浦友和 桃井かおり 大門正明 高橋洋子 中島ゆたか / 75 秋吉久美子 草刈正雄 池上季実子 檀ふみ 志穂美悦子 中村雅俊 萩尾みどり / 76 東てる美 岡田奈々 大竹しのぶ 田中健 片平なぎさ 根津甚八 三林京子 勝野洋 早乙女愛 多岐川裕美 / 77 浅茅陽子 岩城滉一 江藤潤 原田美枝子 真野響子 / 78 新井春美 浅野ゆう子 井上純一 清水健太郎 夏樹陽子 竹下景子 武田鉄矢 永島暎子 / 79 国広富之 永島敏行 藤真利子 森下愛子 友里千賀子 80 熊谷真実 古手川祐子 柴田恭兵 松平健 宮内淳 / 81 金田賢一 神崎愛 岸本加世子 滝田栄 樋口可南子 / 82 鹿賀丈史 真田広之 田中裕子 夏目雅子 古尾谷雅人 / 83 風間杜夫 紺野美沙子 中井貴一 名取裕子 隆大介 / 84 佐藤浩市 時任三郎 中井貴恵 原田知世 役所広司 / 85 石原真理子 榎木孝明 和由布子 渡辺徹 藤谷美和子 / 86 菊池桃子 吉川晃司 沢口靖子 柳沢慎吾 / 87 斉藤由貴 陣内孝則 中山美穂 安田成美 渡辺謙 / 88 国生さゆり 富田靖子 後藤久美子 南野陽子 仲村トオル / 89 麻生祐未 緒形直人 髙嶋政宏 三上博史 若村麻由美 90 井森美幸 鈴木保奈美 南果歩 本木雅弘 柳葉敏郎 / 91 工藤夕貴 髙嶋政伸 中嶋朋子 野村宏伸 牧瀬里穂 / 92 石田ひかり 仙道敦子 和久井映見 永瀬正敏 吉岡秀隆 田中実 / 93 加藤雅也 清水美砂 赤井英和 裕木奈江 唐沢寿明 / 94 桜井幸子 鷲尾いさ子 墨田ユキ 筒井道隆 萩原聖人 村田雄浩 / 95 山口智子 鈴木杏樹 羽田美智子 岸谷五朗 豊川悦司 木村拓哉 / 96 常盤貴子 鶴田真由 一色紗英 永澤俊矢 高橋克典 椎名桔平 / 97 松たか子 飯島直子 瀬戸朝香 上川隆也 西村雅彦 / 98 菅野美穂 木村佳乃 田中美里 浅野忠信 内野聖陽 / 99 松嶋菜々子 柏原崇 金子賢 酒井美紀 深田恭子 00 中谷美紀 池内博之 石井正則 加藤晴彦 中村俊介 / 01 伊藤英明 窪塚洋介 及川光博 池脇千鶴 加藤あい 矢田亜希子 / 02 国仲涼子 坂口憲二 竹内結子 妻夫木聡 藤木直人 米倉涼子 / 03 小澤征悦 菊川怜 柴咲コウ 仲間由紀恵 藤原竜也 / 04 上戸彩 オダギリジョー 小雪 寺島しのぶ 中村獅童 山田孝之 / 05 石原さとみ 伊東美咲 長澤まさみ 成宮寛貴 山本耕史 / 06 伊藤淳史 内山理名 沢尻エリカ 速水もこみち 堀北真希 / 07 蒼井優 綾瀬はるか 上野樹里 劇団ひとり 玉木宏 松山ケンイチ / 08 新垣結衣 小栗旬 貫地谷しほり 檀れい 大森南朋 / 09 瑛太 黒木メイサ 戸田恵梨香 松田翔太 三浦春馬 宮﨑あおい 10 榮倉奈々 岡田将生 志田未来 多部未華子 松田龍平 水嶋ヒロ / 11 吉瀬美智子 桐谷健太 佐藤健 松下奈緒 満島ひかり 向井理 / 12 高良健吾 井上真央 杏 長谷川博己 吉高由里子 / 13 染谷将太 尾野真千子 松坂桃李 武井咲 森山未來 真木よう子 / 14 綾野剛 木村文乃 東出昌大 能年玲奈 福士蒼汰 橋本愛 / 15 池松壮亮 北川景子 斎藤工 黒木華 鈴木亮平 二階堂ふみ / 16 柄本佑 有村架純 菅田将暉 土屋太鳳 玉山鉄二 吉田羊 / 17 坂口健太郎 高畑充希 ディーン・フジオカ 波瑠 星野源 広瀬すず / 18 高橋一生 門脇麦 竹内涼真 杉咲花 ムロツヨシ 吉岡里帆 / 19 志尊淳 葵わかな 田中圭 永野芽郁 中村倫也 松岡茉優 20 神木隆之介 安藤サクラ 横浜流星 清原果耶 吉沢亮 橋本環奈 / 21 賀来賢人 伊藤沙莉 北村匠海 上白石萌音 窪田正孝 浜辺美波 成田凌 森七菜 / 22 仲野太賀 江口のりこ 柳楽優弥 川口春奈 山田裕貴 広瀬アリス / 23 中川大志 芦田愛菜 松下洸平 岸井ゆきの 間宮祥太朗 奈緒 / 24 磯村勇斗 今田美桜 眞栄田郷敦 小芝風花 目黒蓮 堀田真由 FAST ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 MusicBrainz
この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 赤木圭一郎 日本の男性歌手 日本の男優 アクション俳優 日活の俳優 ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト 交通事故死した人物 神奈川県出身の人物 東京都区部出身の人物 20世紀日本の俳優 20世紀日本の音楽家 1939年生 1961年没 出典のページ番号が要望されている記事 2024/11/17 17:41更新
|
akagi keiichirou
赤木圭一郎と同じ誕生日5月8日生まれ、同じ東京出身の人
TOPニュース
赤木圭一郎と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「赤木圭一郎」を素材として二次利用しています。