越路吹雪の情報(こしじふぶき) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
越路 吹雪さんについて調べます
■名前・氏名 |
越路吹雪と関係のある人
入江薫: 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光(現役) 松井八郎: 淡谷のり子、春日八郎、越路吹雪、森繁久彌などへの歌の作曲や、多くの日本映画の音楽を手掛けた。 岩谷時子: 『ケ・サラ』(越路吹雪) 岩谷時子: 『家へ帰るのが怖い』(越路吹雪) 浅沼晋平: 「越路吹雪・愛の生涯〜この命燃えつきるまで私は歌う〜」(2005年11月25日) - 友孝 役 岩谷時子: 越路吹雪、ザ・ラヴ 岩谷時子: 『メランコリー』(越路吹雪) 市川由衣: 帯ドラマ劇場「越路吹雪物語」(2018年1月8日 - 3月30日、テレビ朝日) - 片桐八重子 役 岩谷時子: 『サン・トワ・マミー』(越路吹雪) 美川憲一: 淡谷からは越路吹雪も紹介され、もともと美川が大ファンだったこともあり、亡くなるまで親交が続いた。 宮田慶子: 越路吹雪物語 - 2003年、コマプロダクション 榎木孝明: 越路吹雪物語(2018年、テレビ朝日) - 松岡功 役 渡邉このみ: 越路吹雪物語(2018年1月、テレビ朝日) - 河野真佐子 役 本田美奈子.: ロックバンド時代の前作『豹的 (TARGET)』以来5年ぶりとなるアルバム『JUNCTION』(1994年9月24日発売)は、映画『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』で音楽監督を務めた渋谷森久(越路吹雪の担当ディレクターとしても知られる)と『ミス・サイゴン』の訳詞を担当した岩谷時子をプロデューサーに迎え制作が進められた。 加治将樹: 越路吹雪物語 第7話、第11話・第12話、第23話 - 第31話(2018年1月16日、22日・23日、2月7日 - 19日、テレビ朝日) - 武藤大介 役 伊藤富美也: 帯ドラマ劇場 越路吹雪物語(2018年1月8日~3月30日、テレビ朝日系) 篠井英介: 越路吹雪物語(2018年、テレビ朝日) - 近江丈一郎 役 永山耕三: 女の一代記 第2夜 越路吹雪(2005年) 岩谷時子: 『ミロール』(越路吹雪) 高見澤宏: 歌声が聞こえる(越路吹雪没後の岩谷時子再起第一作 / 1983年7月25日発売) 森英治: 越路吹雪物語(2018年) 松下由樹: 女の一代記 第2夜・越路吹雪「愛の生涯〜この命燃えつきるまで私は歌う〜」(2005年11月25日、フジテレビ) - 岩谷時子 役 岩谷時子: 『ラストダンスは私に』(越路吹雪) 遠山一: 歌声が聞こえる(越路吹雪没後の岩谷時子再起第一作 / 1983年7月25日発売) 安蘭けい: 2014年8月 「越路吹雪生誕90周年記念コンサート~想い出のヤマハホール~」(ヤマハホール) 木南晴夏: 帯ドラマ劇場 越路吹雪物語(2018年1月 - 3月、テレビ朝日) - 岩谷時子(青年期) 役 岸田今日子: テレビドラマでは、1963年の『男嫌い』で、男をむしる独身四姉妹・越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代(現・横山通乃)の三女役で出演したことで、お茶の間での岸田の認知度が上がった(四姉妹の末弟役は坂本九)。 岩谷時子: 『枯葉』(越路吹雪) 山本學: 越路吹雪物語(2018年、EX) - 宇野重吉 田中清司: 1977年、大野克夫や後藤次利らと共に、庄野真代のアルバム『ぱすてる331/3』や越路吹雪のアルバム『一寸おたずねします』などに参加した。 |
越路吹雪の情報まとめ
越路 吹雪(こしじ ふぶき)さんの誕生日は1924年2月18日です。東京出身の女優のようです。
父親、映画、テレビ、事故、卒業、ドラマ、結婚、退社、現在、子役、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1980年に亡くなられているようです。
越路吹雪のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名:内藤 美保子(ないとう みほこ)、旧姓:河野(こうの)、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、日本のシャンソン歌手、舞台女優。元宝塚歌劇団の主演男役。 愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。 所属レコード会社は日本コロムビア→東芝音楽工業(その後東芝EMIに改称、現:ユニバーサルミュージック)。 1924年(大正13年)に東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区麹町)に5人きょうだいの3人目として生まれる。両親は山梨県の出身。越路本人は「父親の祖先は山窩の出」と話している。両親が姉の看病に専念するため、越路は山梨の祖父母のもとに預けられた。その後、父が新潟へ転勤し、越路も新潟で下宿した。これが「越路吹雪」の芸名の由来となった(芸名は父親が名づけた)。長野県飯山高等女学校(後の長野県飯山南高等学校・現:長野県飯山高等学校)を中退し、宝塚音楽歌劇学校(現:宝塚音楽学校)に入学した。 子供の頃から歌が好きで、ラジオから流れる曲をよく口ずさんでは当時の流行り歌をたちまち覚えたが、その反面勉強が大嫌いでずる休みすることばかり考えているような子だった。その様子を目にしていた父が、娘に好きな歌を思う存分歌える場所として宝塚歌劇団入団を薦めたのである。 宝塚歌劇団男役スターとして戦中から戦後にかけて活躍した。宝塚歌劇団27期生。同期生に月丘夢路、乙羽信子、東郷晴子、大路三千緒らがいる。宝塚入団時の成績は93人中73位。「清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚で越路は喫煙や門限破りをするなど異色の存在であり、「不良少女」というあだ名を付けられた。 1939年(昭和14年)2月、宝塚歌劇団・月組公演「宝塚花物語」で初舞台を踏んだ。この時の役は、たくさんいるたんぽぽの精のうちの1人だった。花組に所属してからは、1943年(昭和18年)の公演「航空母艦」で浪曲師・広沢虎造のものまねをして演じた森の石松が評判となり、この頃から注目を集めるようになる。 1944年(昭和19年)、宝塚大劇場が戦争により閉館するなど戦況が悪化するとともに、先行きを不安視し退団する生徒が続出した。その結果、若手たちが台頭し始めるのだが、その筆頭が越路であった。この直後不良っぽさを漂わせる越路の色気に熱烈な大人のファンがつき花組のトップスターとなった。 終戦後、宝塚が再開した1946年(昭和21年)の第2回花組公演で越路が主演した「ミモザの花」は好評を博し、楽曲は今も宝塚の代表曲のひとつとして歌われている。また「ブギウギ巴里」でレコードデビューし、戦後の宝塚で最大のヒットとなった。 1950年(昭和25年)、宝塚在籍のまま東宝映画「東京の門」「エノケンの天一坊」などに出演。翌年には、第1回帝劇コミック・オペラ「モルガンお雪」に主演。この舞台の主演によって、越路が国産ミュージカル女優第一号となった。同年7月31日、宝塚を退団した。最後に出演した公演の演目は、月組公演「春のおどり」である。 1951年(昭和26年)の宝塚退団後は、1968年にフリーになるまで17年間東宝の専属スター女優として主にミュージカルで活躍したほか、歌手としてシャンソンや映画音楽を多くカヴァーする。特にシャンソンにおいては、作詞家・翻訳家の岩谷時子とともに数多くの曲を日本に紹介し、「(日本の)シャンソンの女王」と称された。「魅せる歌手」と評価された越路は、同じ女性シャンソン歌手で「聴かせる歌手」と称される岸洋子と人気を分け合った。ちなみにシャンソンを歌うきっかけとなったのは、宝塚時代にある舞台を見に来た進駐軍の将校から「あなたは“語る”歌い手になるべき」と言われたことから。 1953年(昭和28年)から当時では珍しい歌手のワンマンショーであるリサイタルを開催した。リサイタルは1965年(昭和40年)より開設間もない日生劇場に場を移した。リサイタルはさらに好評を博し、越路が逝去する1980年(昭和55年)まで「ロングリサイタル」と称する1ヶ月に渡る長期公演となった。「ロングリサイタル」は歌手・越路吹雪の名声を不動のものとしたのであった。 1958年(昭和33年)にテアトロン賞、1965年(昭和40年)に第7回日本レコード大賞歌唱賞、1968年(昭和43年)に文化庁芸術祭奨励賞など、多くの賞を受賞した。 テレビ出演はほとんどしないことでも有名であったが、1964年(昭和39年)8月31日から始まった、フジテレビ系音楽番組『ミュージックフェア』の初代司会者でもある。また、希にテレビ出演する際は、「お久しぶりのテレビでございます」と、視聴者へ挨拶をしたこともあったという。ちなみに映画では、市川崑監督作品などに1950年代から60年代半ばまで数本出演した。 NHK紅白歌合戦には、1952年・「第2回NHK紅白歌合戦」に出場予定の歌手の事故被害による代役として初出場。当日越路は自宅で新年会(当時紅白は正月開催だった)の真っ最中で出場を依頼された時は泥酔状態だったが、時間が迫ると「じゃあ、行ってくるか」とNHKへ向かい本番では見事に歌い上げた。 その後、紅白には1969年・第20回まで通算15回出場。しかし、1970年・第21回には出場を辞退した。辞退の理由は「ジーンズ姿の歌手と一緒に並んで出るのが嫌」だったから、とも伝えられた。しかし後年の岩谷の証言に拠れば、1月に舞台出演が多くなり主演をしている立場として紅白のために舞台稽古を止めて歌合戦の稽古に出るのは舞台人として迷惑をかけることになる。このため岩谷は越路リサイタルの演出家である浅利慶太に相談し、彼と伴にNHK会長と話し合い、卒業という形で解決したとある。その後も、人気アンケートでベスト10にランクインしたこともあり、NHKからもオファーがあったものの頑なに出場を辞退し一度も復帰することは無かった。 1980年(昭和55年)3月に越路は、ライフワークであった恒例の日生劇場でのロングリサイタル(越路の急逝により越路最後のリサイタルとなった)を終えると、新境地開拓として芝居に挑戦した。演目は「古風なコメディ」、劇団民藝の重鎮宇野重吉の演出で、越路と米倉斉加年の二人だけの芝居であった。 その経緯として浅利によれば、ロングリサイタルとミュージカルの両輪が揃った越路に、岩谷と内藤から「越路に芝居を。シェークスピアのマクベス夫人などはどうだろう」という注文が出たが、これは少し難しく、内藤と親しかった倉橋健を通じて宇野が引き受けることになったという。岩谷も、越路とはかねてより歌のかたわらに念願だった芝居の勉強もしておきたいと相談しており、浅利の諒承を得て「古風なコメディ」に出演することになったと記している。 「古風なコメディ」は福岡で5月27日から上演され、その後東京では連日大入りの好演となり、6月5日から22日までの公演であったところ追加公演が行われた(6月26日千秋楽)。なおこの劇中で内藤作曲の「サーカスの唄」が越路によって歌われたが、これが越路最後の歌唱となった。 公演中より越路は胃の不調を訴えていたようであり、西武劇場(現:PARCO)にて胃の激しい痛みを堪えつつ舞台を務めるも、公演終了直後に緊急入院。「重度の胃潰瘍」との診断を受け、7月8日に東京都目黒区の東京共済病院で、胃の5分の4を切除する大手術を受けた。術後の復帰を目指してリハビリに励み、その後も入退院を3回繰り返すものの、11月7日午後3時2分に死去した。56歳没。「古風なコメディ」の終演後僅か4ヵ月という急逝であった。 実は本当の病名は胃潰瘍ではなく「末期の胃癌」で、腹膜にも多数の癌が転移していたが、当時本人には告知されなかった。死の直前、病床に臥し意識が朦朧とする中で「法美さんにコーヒーを」と、最期まで最愛の夫を気遣った。越路は両親と実兄を共に癌で亡くしている(夫・内藤も1988年7月、肝臓癌のため死去)ことから、自身も一番癌を怖れ毎年の癌検診を欠かさなかったが、たまたま死の前年だけ多忙のため検査を先延ばしにしていたという皮肉な結果だった。 死に化粧は親友の一人で生前永きにわたり交友のあった淡路恵子によって施された。葬儀の後、火葬場に向けて走っていた霊柩車が途中でコースを変えて、越路が幼い頃から気にいっていた中野区・旧陸軍電信隊のコスモスの原っぱをスピードを落として走り出した。これは、自らの死期を悟った越路が内藤にこの原っぱの思い出話をしていたことなどから、内藤が取り計らったものだという。 墓所は川崎市宮前区初山の日蓮宗初香山本遠寺で内藤の墓に隣接する形で越路の墓が建てられている。死後、岩谷の意向により東京都港区元麻布にある浄土真宗本願寺派麻布山善福寺に「越路吹雪の碑」と名づけられた石碑が建てられた。石碑には代表曲『愛の讃歌』の歌詞が刻まれている。 死後、2014年に古巣・宝塚歌劇団が創立100周年を記念して創立された「宝塚歌劇の殿堂」最初の100人のひとりとして殿堂入りを果たした。 1953年(昭和28年)春、日本人の海外渡航が自由化されていない時代に越路は初めてフランス・パリへ渡る。そこでシャンソン歌手のエディット・ピアフのステージを生で聴いた越路は大きな衝撃を受け、当時の日記には「エディット・ピアフを初めて聴く。オーケストラ、ジェスチャー、アレンジの素晴らしさに私は悲しい。ピアフを二度聴く。語ることなし。私は悲しい。夜、一人泣く。悲しい、寂しい、私には何もない。私は負けた。泣く、初めてのパリで。」と書き残されている。ピアフは越路の代表曲『愛の讃歌』のオリジナル歌手でもあり、生涯にわたって越路にとってシャンソン歌手としての大きな目標になった。なおこの時の越路の3ヶ月のパリ生活を世話したのは、当時パリに滞在していた錚々たる日本の文化人達であった。 越路とピアフとは因縁めいた関係があり、越路夫妻が1963年(昭和38年)にパリに旅行した際に、偶然にも夫妻はピアフの訃報をホテルで聞いたのであった。ホテルのスタッフが誰彼となく、ピアフの死を泣きながら伝えていたことを越路は後年記している。また越路は後にピアフの妹シモーヌとの交流も深めたらしく、越路が彼女と抱擁し合う写真が残されている。 1971年(昭和46年)に越路は日生劇場のロングリサイタルの演目として、劇団四季と共に「ドラマチックリサイタル 愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯」を作り上げ、以後越路の十八番として好評を博したが、それはこのような越路とピアフとの不思議な縁も大いに関係していた。 越路の「愛の讃歌」との出会いには、作曲家の黛敏郎が一役買っていた。黛がパリのコンセルヴァトワールに留学している時に、「とてもいい歌だから、ぜひ歌ったら」とパリから越路に譜面を送ってきたのだという。 その後実際に越路が歌ったのは1952年(昭和27年)9月の日劇のショー「巴里の歌」においてであった。二葉あき子の代役でショーに出演することになった越路に「愛の讃歌」を勧めたのは、奇しくも当ショーの音楽監督を務めていた黛であった。岩谷は期日の迫る中で、戦後日本を代表する作曲家でありフランス語に長けた黛の弾くピアノと彼による歌詞の訳を聞きながら、「愛の讃歌」の日本語詞を完成させ、これが彼女の最初の訳詞作品となった。 越路は初めてのパリ行からの帰国後の1953年(昭和28年)に、第1回リサイタルを東京銀座のヤマハホールで開催した。以後はほぼ年に1回のペースでヤマハホールを拠点に(他では日比谷公会堂)リサイタルを開催し、1965年(昭和40年)から日生劇場での開催を始めその後芸能界の歴史に残るリサイタルとなった。第1回当初は2〜3日の公演だったがその後大きな反響を呼び、1968年(昭和43年)には公演期間は11日間に伸び、1969年(昭和44年)からは空前絶後の約1ヶ月におよぶロングリサイタルとなった。1970年代当時、最もチケットの入手が困難なライブ・ステージのひとつともいわれた。1972年(昭和47年)以降はほぼ春、秋に公演され、秋の公演後は全国縦断公演も行った。 越路の歌唱は年々進化・深化していったが、その最大の功績者の一人はロングリサイタルの演出家であった浅利慶太と言って良いだろう。リサイタルには1966年(昭和41年)から劇団四季の演出家である浅利慶太が関わったが、当初は越路の所属先であった東宝(越路は昭和43年からフリー)との関係から浅利が前面に出ることは無かった。その後は浅利の演出、日本ゼネラルアーツ(浅利の舞台制作会社)の制作により、越路の死去する1980年(昭和55年)までリサイタルを支えた。 また、音楽構成は越路の夫である作曲家の内藤法美が務め、舞台装置は金森馨、照明は吉井澄雄、また演奏にはジョージ川口らが加わり、最高のスタッフ陣がロングリサイタルを支えたことは特筆すべきことである。 ロングリサイタルでは、越路が単独で歌い演ずる形式だけではなく「ドラマチックリサイタル」と称する意欲的な作品も制作された。これは越路吹雪と劇団四季とのタイアップで行われた。その最大のヒット作は1971年(昭和46年)初演の「愛の讃歌-エディット・ピアフの生涯」であり、越路が亡くなる前年の1979年(昭和54年)までロングリサイタルの一演目として再演された。 その内容とは、ピアフを演ずる越路とギリシア古典劇のコロス様に扮した劇団四季の俳優陣とが相呼応しつつ、ピアフの名曲約20曲でピアフの生涯を劇的に描くものであった。四季による「三つの鐘」の大合唱で幕を開けて、出生・結婚(当作品ではパリ解放)・死という人生で鳴り響く3度の鐘をモチーフにして、ピアフの生涯が綴られた。 第1幕は、ピアフの出生(第1の鐘)から始まる。凍る冬の真夜中にパリの路上で産み落とされたピアフ、その不幸な少女は街で歌いやがてスターに、しかし殺人の疑惑をかけられ転落、その後復活した彼女はドイツ占領からパリ解放に喜ぶパリ市民と高らかにラ・マルセイエーズを歌い上げて幕(第2の鐘)。 第2幕は、戦後アメリカで人気を博したピアフのバラ色の人生で幕を開ける。ボクシングの世界チャンピオンであるマルセル・セルダンとの恋、そして悲しい別れ、その後薬物中毒に落ちるピアフ、やがて復活、ギリシアの年若いテオ・サラポとの新たな恋そして彼との結婚、しかし病魔に蝕まれていたピアフはテオに看取られながら永遠の眠りにつく。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されるピアフを何万人ものパリ市民が見送る。ピアフの魂を安らげる鐘(第3の鐘)が鳴り響き、愛の讃歌の大合唱へと変わり幕が閉じる。 劇中でピアフの最愛の恋人マルセル・セルダンの突然の事故死を受けて、絶望の中でマルセルの霊を慰め永遠の愛を込めて越路が歌った「愛の讃歌」は、悲痛さと魂の清らかさを表現した絶唱として、「ノワールの愛の讃歌」「世界で最も感動的な愛の讃歌かも知れない」との評価を得ている。 その他のドラマチックリサイタルとしては、1975年(昭和50年)春の「恋の7章」がある。また越路最後のリサイタルとなった1980年(昭和55年)春の「スペシャルリサイタル」も、第1部は劇団四季との共演であった。これらの越路と劇団四季との共演が、今日の四季ミュージカルの基盤となったであろうことも指摘できるだろう。 越路の活躍の裏には、マネージャーとして最期まで支え、21世紀に入っても現役で活躍していた岩谷時子の存在が大きかった。越路が15歳の頃、宝塚出版部に勤めていた岩谷と知り合い意気投合し、その後越路が宝塚を辞めた際に岩谷も一緒に退社。共に上京した後東宝に所属し、岩谷は東宝の社員として籍を置いたまま越路のマネージャーも務めた(岩谷は1963年に東宝を退社)。その後作詞家として成功を収めた後も、岩谷は自分の本業を聞かれるたび「越路吹雪のマネージャー」と答えていた。 宝塚時代の越路と岩谷が初めて接触したのは、新人だった越路が自分のサインの見本を書いてほしいと岩谷に相談を持ちかけた時だった。この時2人で作ったサインを越路は終生使い続け、彼女が忙しくなってからは岩谷が「代筆」することもよくあったという。 その後、岩谷は気づけば越路の付き人の役割を担っており、ある日の舞台が終わったあと、越路は不器用ながらも小道具の手入れをする岩谷を見て、「時子さんもどこか抜けているし、私も抜けている、二人でやっと一人前だよね」と言ったという。 宝塚時代から、靴や洋服など欲しいものがあればどんどん買ってしまい、よく給料を前借りしていた越路は、東宝に移籍するときには歌劇団に借金が残っていた。その浪費癖を重々承知していた岩谷は、1978年、越路がパリにアルバムのレコーディングに赴くにあたり、レコード会社の担当ディレクターに「(所持金が)足りなくなったら使ってほしい」とこっそり現金を託した、という話も残っている。 また岩谷はマネージャー業の傍ら、越路の「日本語でしか歌いたくない」という求めに応じてシャンソンなど外国曲の訳詞を担当。越路の代表曲である『愛の讃歌』『ラストダンスは私に』『サン・トワ・マミー』『ろくでなし』などは、岩谷の優れた訳詞によりヒットへ導かれた。越路が亡くなるまで約30年間に渡りマネージャーを務めた岩谷だが、「越路のことが好きで支えていた」と語り、マネージャーとしての報酬は一切受け取っていなかったという。 越路がこの世を去る数か月前、胃の手術のため入院した際「もう一度彼女を舞台に立たせたい」と強く願っていた岩谷は、闘病中の彼女から睡眠薬と煙草を取り上げることに懸命だった。それにも拘わらず、夫の内藤は妻である越路が病床でタバコを吸っていても、ずっと大目に見ていたという。「いまの越路には厳しい愛が必要だ」と考えていた岩谷にとって、これは許しがたいことであった。3度目の入院を前に岩谷は、越路のもとを訪れた際に「内藤さん、あなた(越路)に甘過ぎるんじゃないの。あなたもあなたよ!『睡眠薬もタバコも辞めなけりゃ、胃の痛みは治らない』って、お医者様も仰ったでしょう?もし今後もあなたが私の言う事を守れないのなら、あなたの仕事は一切手を引かせて貰うわよ!!」と叱責する一方、一対一で説得。その日以来、越路は睡眠薬もタバコも一切止めたという。 浅利は、越路を「シャントゥーズ・レアリスト(真実を歌う歌手)」と評し、心の中の愛や悲しみ、祈りを見事に歌う歌手、感性の中にものすごいひらめきと知的な部分を持っている人であったと語っている。岩谷は、浅利が越路に一つ一つの歌の意味を教えドラマとして作り上げていく過程を振り返り、「浅利と越路は芸術家として心が深く通い合っていた」こと、「浅利との仕事が越路の人生で最高の時であった」と回顧している 越路への稽古がどう進められていたのかについて、浅利自身はこう語っている。「ケイコしていてつくづく感じるのですが、越路さんという人は、実に「苦しむ人」なんです。こういう話はこれまで公開したことはないのですが、この3年くらい彼女は苦しんでいます。たとえば愛の讃歌をケイコしていて、「あなたの燃える手で私を抱きしめて」と歌いますね。これを彼女はもう何千回も歌っているわけでしょう。ところが、当の彼女だけが、この歌に対して、歌うたびに白紙の状態なんです。ケイコ場で、ひとり自分の手を見つめたり、恋する人の手というものを想定しながら「あなたの燃える手で」「あなたの燃える手で」と繰り返している。これはどういうイメージなんだろうと苦しんでいる。『愛の讃歌』にしても『サントワマミー』にしても、あれだけ歌いこんでいて、「むつかしい」「どうやって歌おうか」ということなんです。みていると痛々しい感じがする」。 「しかし、この辺に越路吹雪の芸というものの秘密があるのではないかと思います。演出家というものは、俳優の苦しみの証人なんでしょうね。ぼくは、だまってケイコを聞きながら、「そこのイメージはこうではないか」「そこはあなたの求めているイメージとちょっとズレた」とかアドヴァイスしてあげるわけだけど、1曲やるのに1時間くらいかかる。歌詞からじっくり掘り起こしてゆくということですからね。二人だけで数時間ケイコして、終るとゲッソリしている、くたくたになっているわけですね。とにかく、かの女の芸に対する執着、考え方は、実に過酷で、見ていて気の毒になります。もっといい気持になったっていいんじゃないかという気もします。しかし、自らをさいなんでゆく努力、ある意味では幸福であることを拒むその姿勢が、越路吹雪のあの栄光を支えているのだと思います」 私生活では1959年秋作曲家の内藤法美と35歳で結婚、夫妻に子はなかったが彼とは越路の逝去まで連れ添った。内藤は越路が亡くなるまでリサイタルやディナーショーの構成、作曲、編曲、指揮などを手掛けた。結婚前は“恋多き女”として名を馳せた越路だが、結婚後は尽くす女となりプライベートでは家事の一切を彼女が仕切り、特に掃除の腕前は素晴らしかったという。 独身時代、三島由紀夫の恋人だったことがあり、三島の母は、息子が越路と結婚するものと思い込んでいたようである。しかし、マスコミによって結婚報道が報じられた越路と三島は対談してその噂を笑い飛ばし、マスメディアを煙にまいた。また、越路は三島が書いた戯曲『女は占領されない』(1959年9月、芸術座で上演)の主役・伊津子を演じ、彼の命日に毎年行われている追悼集会「憂国忌」の発起人にも名を連ねていた。佐藤栄作元首相夫人の佐藤寛子は越路のファンの1人で、「越路吹雪後援会」会長を引き受けていた。 越路は人の面倒見が良く、多くの芸能人から慕われた。宝塚歌劇団在団時、同期生である月丘夢路がぬきんでた美貌を嫉妬されて他の生徒から深刻ないじめにあっていたが、見かねた越路に救われたことを月丘本人が後年になって明かしている。また、宝塚OG枠を超えて国民的人気を博し、美空ひばりや吉永小百合と並んで女性アイドルの源流とみる向きもある。 越路は舞台の観客に最高のステージを見てもらう為に、コンディション調整を欠かさず、舞台に上がる時間から逆算し、起床時間、食事の時間、劇場入りの時間などを決定し、全ステージを見据えた生活リズムをとるため、いつ舞台があり、その稽古は何日前からか、それには何kg増やしておくか等々、一年を通じて舞台のために日常を過ごすことを常としていた。 肝の据わった女性と思われがちだが、徹底したプロ意識の一方、開演前の舞台袖では過度の緊張から常に全身を震わせていた。宝塚時代から不眠に苦しみ、毎晩の睡眠薬とタバコが手放せなかった。日劇のリサイタルの直前にも、緊張を紛らせるためにタバコを燻らせ、コーヒーを飲んだ後で本番に臨んでいた。さらにステージに出る際は緊張も極限に達し、マネージャーの岩谷から背中に指で「トラ」と書いて貰い、「あなたはトラ、何も怖いものは無い」と暗示をかけて貰ってからステージに向かっていた。 「岩谷時子 音楽文化振興財団理事」で音楽プロデューサーの草野浩二によると、越路はレコードのスタジオ録音を好まなかったとのこと。自らを“舞台の歌い手”と考える越路には、「できれば(生歌である自身の)舞台を見に来てほしい。見に来られないならば舞台のレコード(ライブ音源)を聴いて」との強い思いがあったとされる。 ファッション好きで、舞台衣装としても着用していたニナ・リッチの本店には、越路の胴の木型がある。バッグが大好きで、エルメスやルイ・ヴィトン、フェンディなどを愛用していた。また、パリのエルメス本店で革の手袋を購入する際に「全色頂くわ!」と言った話は有名である。ちなみにパリの有名店では「マダム内藤」で通っていた。さらに無類の香水好きで、生涯で購入した香水代は外車1台と同じくらいとされる。一部では日本でパンタロン(今で言うベルボトム)を流行らせた人物とも言われている。 喫煙者であったことでも知られ、好きだった煙草の銘柄はラーク(LARK)。 1924年(大正13年)2月18日:誕生。父・友孝は東京電燈のエンジニアだった。 1937年(昭和12年)4月:宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に合格。宝塚歌劇団27期生(同期生に月丘夢路、乙羽信子、東郷晴子、大路三千緒らがいる)。 1939年(昭和14年)2月:初舞台。 1951年(昭和26年)8月:宝塚歌劇団を退団。東宝専属となる。 1952年(昭和27年)1月:『第2回NHK紅白歌合戦』に初出場。以後1969年(昭和44年)までに15回出場。 1959年(昭和34年)11月:内藤法美と結婚。 1965年(昭和40年)9月:母・益代死去。12月、第7回日本レコード大賞歌唱賞受賞。 1966年(昭和41年)2月:父・友孝死去。 1968年(昭和43年):東宝から独立、フリーとなる。 1969年(昭和44年):東京・日生劇場でロングリサイタルを挙行(劇団四季制作)。以後恒例化。1970年代当時、最もチケットの入手が困難なライブ・ステージのひとつともいわれた。 1980年(昭和55年)
6月:劇団民藝主宰の宇野重吉演出・米倉斉加年共演で西武劇場にて『古風なコメディ』(原作・アレクセイ・アルブーゾフ)に出演の最中、胃の激痛を訴え公演終了直後に緊急入院。 7月:胃の手術を受けるがその後入退院を繰り返す。 11月7日:15時2分、胃癌のため死去。56歳没。戒名は乗法院越路妙華大姉。 『愛の讃歌』 - この曲が収録されているレコード・CD等売上枚数は200万枚以上を数える。 『ラストダンスは私に』 『サン・トワ・マミー』 『ろくでなし』 『挽歌』(1957年) - 同名映画の主題歌。 『ある愛の詩』- 同名映画の主題歌。 『イカルスの星』 『夢の中に君がいる』 『誰もいない海』 『夜霧のしのび逢い』 『ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー』- この曲の歌唱により1965年度の第7回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。 『幸福を売る男』 『別離(わかれ)』 『メランコリー』 『そして今は』 『一寸おたずねします』 『人生は過ぎゆく』 『家に帰るのがこわい』 『冬の蛍』 『ビギン・ザ・ビギン』(1952年7月・SPレコード) 『哀れなジャン』 『じらさないで』 コロムビアオーケストラ 片面「ミモザの花」深緑夏子 コロムビアオーケストラ 片面「いつもうきうき」久慈あさみ 深緑夏子・越路吹雪・コロムビアオーケストラ 天城月江・越路吹雪・南悠子・浦島歌女・明石照子 コロムビアオーケストラ 合唱・登代春枝・青葉しげる・明石照子 コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ 片面「夢の花すみれ」淡路通子 コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ 片面「つぶどん」淡路通子 片面「タンゴ物語」笠置シヅ子 コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ ブルーコーツオーケストラ コロムビア男声合唱団 コロムビアオーケストラ Falling Leaves in the Wind コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ 片面「ドミノ」メリー大須賀 Anna(陽気なバイヨン) リリオ・コーラス コロムビアキューバンボーイズ コロムビアオーケストラ コロムビア合唱団 コロムビアオーケストラ 越路吹雪・芦野宏 コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ (Festival of the flowers) コロムビアオーケストラ コロムビアオーケストラ Complainte De La Butte コロムビアオーケストラ 片面「地球はだまって廻ってる」中島孝 コロムビアオーケストラ
平岡精二セ楠テット ※太字はサブスク配信済、☆印はライブ盤 『冬の蛍』(1961年) 『じらさないで』(1962年2月 JPO-1141) 『コーチャンお座敷うた』(1962年) 『越路吹雪のすべて』 『ミュージカルの世界』 『あの歌 この歌 こんな歌』(1963年、JPO-1169) 『ラストダンスは私に』(1964年7月、TP-7035) 『恋ごころ』(1965年) ☆『越路吹雪リサイタル』(1966年4月)※第10回、1965年10月29日~30日 『越路吹雪シャンソンのすべて』(1968年、TP-8044) ☆『KOSHIJI IN BEL AMI-ナイトクラブの越路吹雪』(1968年、TP-9001)※ナイトクラブ「ベラミ」にて収録、1967年11月16日 ☆『日生劇場における越路吹雪-リサイタル第2集』(1968年9月、TP-9003~4)※第13回、1969年2月29日~3月2日 『世界の恋人たち VOL.1 南ヨーロッパ編』(1969年4月、TP-7383) ☆『ロング・リサイタル'69』(1969年5月)※600981回ロング・リサイタル、1968年7月4日~14日 ☆『ロング・リサイタル』(1969年9月、TP-7337)※第2回ロング・リサイタル、1969年5月1日~28日 ☆『ロング・リサイタル・アゲイン』(1970年、TP-7433~4) ☆『ナイト・クラブの越路吹雪 第2集』(1970年、TP-9014)※ナイトクラブ「ベラミ」にて収録 『結婚物語』(1971年、TP-72157) 『誰もいない海』(1971年6月、TP-8094) 『愛の讃歌 越路吹雪ピアフを歌う』(1971年、TP-8125) 『越路吹雪リサイタル'72』(1972年) ☆『'73年ロング・リサイタル』(1973年) ☆『ロング・リサイタル-ようこそ劇場へ-』(1974年) ☆『初日の夜-越路吹雪ロング・リサイタル'75』(1976年) 『アダモを唄う』(1975年、TP-8120) 『一寸おたずねします』 (1977年) ☆『ロング・リサイタル'76』(1977年) ☆『宝塚大劇場で歌う'77』(1977年12月、TP-72299) ☆『春のリサイタル'78 巴里讃歌』(1978年3月) 『ユーヌ・シャンソン 越路吹雪ア・パリ』(1978年、TP-80035) ☆『ドラマチック・リサイタル-愛の讃歌-エディット・ピアフの生涯』(1979年) ☆『ロング・リサイタル'79』(1979年) ☆『'80スペシャル・リサイタル』(1981年) ☆『越路吹雪リサイタル 第11回1966年4月5~6日』(1982年1月) 『BIG ARTIST best collection 越路吹雪』(1989年) 『best collection 越路吹雪』(1992年8月26日) 『EVERGREEN』(1992年10月22日)※梅田コマにて収録された全盛時代の未発表メドレーを収録 『越路吹雪 コロムビア イヤーズ』(1993年)※解説・岩谷時子 『越路吹雪メモリアル 壱 ❲イカルスの星❳ - 日本のメロディ』(1996年) 『越路吹雪ベスト30』(2001年) 『GOLDEN☆BEST 越路吹雪』(2002年) 『愛の讃歌』(2003年) ☆『永遠の越路吹雪 / 日生劇場リサイクル'70』(2003年) 『越路吹雪ベスト30 Vol. 2』(2004年) ☆『宝塚大劇場で歌う』(2005年) 『CD & DVD THE BEST 越路吹雪』(2005年) 『愛の生涯』(2005年)※没後25周年記念企画 『イン・ベラミ』(2006年) 『エッセンシャル・ベスト』(2007年) 『越路吹雪 愛の讃歌』(2010年) 『越路吹雪 コロムビア イヤーズ』(2012年) 『越路吹雪 EMIイヤーズ』(2012年)※幻のデビュー音源を含む 『越路吹雪ベスト100』(2012年) 『想い出の歌声は永遠に』(2018年)※スタジオ9曲、ライブ11曲 『若き日の歌声 〜愛の讃歌〜』(2018年)※コロムビア音源 『アーリーソング・コレクション』(2024年)※コロムビア音源、生誕100周年記念 トリビュート・アルバム 『越路吹雪に捧ぐ』(2016年)
『越路吹雪物語』主題歌集』(2018年)
『宝塚花物語』(月組)(1939年3月26日 - 4月25日、宝塚大劇場 初舞台) 『國民の歌』(花組)(1943年9月26日 - 10月24日、宝塚大劇場) 『新かぐや姫』(花組)(1943年11月26日 - 12月28日、中劇場) 『棒しばり』『勝ちぬく誓』(花組)(1944年1月26日 - 2月24日、宝塚大劇場) 『メキシカーナ』『ミモザの花』(花組)(1946年6月1日 - 6月30日、宝塚大劇場) 『夏のをどり』(花組)(1946年8月6日 - 8月25日、宝塚大劇場) 『赤頭巾と狼』『センチメンタル・ヂャアニー』(花組)(1946年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場) 『踊る四季』『ファイン・ロマンス』(花組)(1947年1月1日 - 1月30日、宝塚大劇場) 『マノン・レスコオ』『春のおどり(世界の花)』(花組)(1947年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場) 『レインボーの歌』(花組)(1948年3月2日 - 3月30日、宝塚大劇場) 『田舎源氏』(花組)(1948年5月1日 - 5月29日、宝塚大劇場) 『再び君が胸に』(花組)(1948年7月1日 - 7月30日、宝塚大劇場) 『葛の葉』『アデュウ一九四八年』(花・星合同)(1948年12月1日 - 12月23日、宝塚大劇場) 『ハムレット』『ブギウギ巴里』(花組)(1949年1月26日 - 2月16日、宝塚大劇場) 『ワンダフル・ハリディ』『想ひ出の薔薇』(花組)(1949年5月11日 - 5月30日、宝塚大劇場) 『カルメン』『懐しのアリゾナ』(花組)(1949年7月16日 - 8月8日、宝塚大劇場) 『雨月物語』『プリズム・パレード』(花組)(1949年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場) 『モナミ』『春のおどり』(花組)(1950年4月1日 - 4月30日、宝塚大劇場) 『ブルウ・イン・ザ・ナイト』『スヰングハイ・スヰングロウ』(雪組)(1950年11月1日 - 11月29日、宝塚大劇場) 『春のおどり』(月組)(1951年5月1日 - 5月30日、宝塚大劇場) 『バス・ストップ』 (1957年) 『王様と私』 (1965年) 『南太平洋』 (1966年) 『屋根の上のバイオリン弾き』 (1967年) 『サウンド・オブ・ミュージック』 (1968年) 『I DO! I DO!』(1969年) 越路吹雪・出演歴 (日生劇場のみ) ※括弧内回数は、昭和28年第1回リサイタルからの通算回数である ★レコード音源あり(結婚物語はスタジオ録音、S52年ロングリサイタルは地方公演先の宝塚大劇場での収録) ☆ビデオ映像あり 1965年(昭和40年)10月:「リサイタル」(第10回)★ 1966年(昭和41年)4月:「リサイタル」(第11回)★ 1966年(昭和41年)12月:「リサイタル」(第12回) 1968年(昭和43年)2月:「リサイタル」(第13回)★ 1968年(昭和43年)7月:「ロングリサイタル」(第14回)★ 1968年(昭和43年)10月:「リサイタル」(第15回) 1969年(昭和44年)1月:「ミュージカル結婚物語」(平幹二朗共演)★ 1969年(昭和44年)5月:「ロングリサイタル」(第16回)★ 1969年(昭和44年)7月:「さよならチャーリー」(小沢栄太郎共演) 1970年(昭和45年)1月:「リサイタル」(第17回) 1970年(昭和45年)5月:「ロングリサイタル」(第18回)★☆ 1971年(昭和46年)1月:「結婚物語」再演(平幹二朗共演) 1971年(昭和46年)5月:「ロングリサイタル」(第19回) 1971年(昭和46年)11月:「ドラマチックリサイタル-愛の讃歌・エディットピアフの生涯」(劇団四季共演・第20回) 1972年(昭和47年)4月:「ドラマチックリサイタル-愛の讃歌・エディットピアフの生涯」再演(劇団四季共演・第21回・東京郵貯ホール) 1972年(昭和47年)6月:「ミュージカル『アプローズ』」(劇団四季) 1972年(昭和47年)9月:「ロングリサイタル」(第22回)★ 1973年(昭和48年)2月:「アプローズ」再演(劇団四季) 1973年(昭和48年)5月:「ミュージカル『メイム』」(劇団四季) 1973年(昭和48年)9月:「ロングリサイタル」(第23回)★ 1974年(昭和49年)3月:「ドラマチックリサイタル-愛の讃歌・エディットピアフの生涯」再演(劇団四季・第24回)★ 1974年(昭和49年)6月:「ミュージカル『日曜はダメよ!』」(劇団四季) 1974年(昭和49年)9月:「ロングリサイタル」(第25回)★ 1975年(昭和50年)3月:「ドラマチックリサイタル『恋の7章』」(第26回)(平野忠彦、細川俊之、浜畑賢吉、鹿賀丈史、寺田稔、菱谷紘二、井関一、水島弘) 1975年(昭和50年)6月:「日曜はダメよ!」再演(劇団四季) 1975年(昭和50年)9月:「ロングリサイタル」(第27回)★ 1976年(昭和51年)3月:「シャンソンドラマチックリサイタル」(第28回) 1976年(昭和51年)6月:「アプローズ」再演(劇団四季) 1976年(昭和51年)9月:「ロングリサイタル」(第29回)★ 1977年(昭和52年)3月:「結婚物語」再演(細川俊之共演) 1977年(昭和52年)9月:「ロングリサイタル」(第30回)★ 1978年(昭和53年)3月:「ロングリサイタル巴里讃歌」(第31回)★ 1978年(昭和53年)9月:「ロングリサイタル」(第32回) 1979年(昭和54年)3月:「ドラマチックリサイタル-愛の讃歌・エディットピアフの生涯」再演(劇団四季・第33回) 1979年(昭和54年)6月:「ミュージカル『リトルナイトミュージック』」(藤野節子、平野忠彦、斉藤昌子、久野綾希子、鹿賀丈史、市村正親、安田祥子、島田祐子) 1979年(昭和54年)9月:「ロングリサイタル」(第34回)★ 1980年(昭和55年)3月:「スペシャルリサイタル」(劇団四季共演・第35回)★ 日生劇場の春、秋のリサイタルと共に恒例だったのがディナーショーであった。ここではあくまで分かる限りの記録である。 新高輪プリンスホテル「飛天」 こけら落としディナーショー 帝国ホテル ディナーショー(1975年) 東京會舘 クリスマスディナーショー(1970年 - 1978年) パレスホテル ディナーショー(1978年) 次郎長三国志(1950年、東宝) 結婚行進曲(1951年、東宝) 足にさわった女(1952年、東宝) 三等重役(1952年、東宝) プーサン(1953年、東宝) 恋化粧(1955年、東宝) へそくり社長(1956年、東宝) ぼんち(1960年、大映) ああ爆弾(1964年、東宝) 男嫌い (1964年、東宝) 大冒険(1965年、東宝) 前述の通り『ミュージックフェア』以外はほとんどテレビ出演しないことで有名だったが、年に数回は出演していた。ここでもあくまでも分かる限りの記録である。 にっぽん製
男嫌い
大河ドラマ
ミュージックフェア(司会降板後)
1966年12月12日放送 1967年7月10日放送 1967年12月25日放送 1972年4月4日放送 1973年1月2日放送 1974年1月8日放送 1976年5月18日放送 1980年4月29日放送 第6回思い出のメロディー
ビッグショー
1978年5月30日放送 NHK紅白歌合戦 女神(1956年、文化放送) - 語り手 (注意点) 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す 舞台「越路吹雪物語」
舞台「ラストダンス〜the musical 越路吹雪〜」
「愛の讃歌 越路吹雪の青春」(TBS 1983年5月11・18日)
「女優時代」(読売テレビ 1988年10月13日)
1990年NHKドラマスペシャル「ごめんねコーちゃん」(1990年9月24日、NHK)
『女の一代記』シリーズ 第2夜「越路吹雪・愛の生涯~この命燃えつきるまで私は歌う」(フジテレビ 2005年11月25日)
岩谷時子の逝去により、追悼番組として 2013年11月4日にドラマチックα枠で急遽再放送された。 歴史秘話ヒストリア 「歌え!友情の『愛の讃歌』〜異色の宝塚スター 越路吹雪と岩谷時子〜」(NHK 2012年4月4日)
帯ドラマ劇場・越路吹雪物語(2018年1月8日 - 3月30日、テレビ朝日)
淡谷のり子 エディット・ピアフ - 生涯の目標としたシャンソン歌手。 美川憲一 - 美川は越路の大ファンであった。淡谷の紹介で知り合い舞台共演に誘った事もある。 梅垣義明 - 鼻の穴に豆を詰めながら『ろくでなし』を歌う、下品な形態模写をすることで有名。 大沢悠里のゆうゆうワイド - 年内最後の放送で必ず愛の讃歌を流していた。 イヴ・サン=ローラン、越路吹雪が舞台衣装として愛用 ニナ・リッチ越路吹雪が舞台衣装として愛用 高野酒造-新潟市に所在する酒造会社。創業時からの代表銘柄は「白露」だが、1991年から「越路吹雪」の銘柄も展開している。 ^ 出場予定だった松島詩子を乗せた車がNHKに向かう途中都電と衝突する事故を起こし重傷を負ったことで出場が不可能になったため急遽出演がオファーされた。 ^ おそらく前年初出場したカルメン・マキを指しているものと思われる。 ^ 内藤の考えにより、墓石には芸名の「越路吹雪」の名が刻まれた。また、越路と内藤の墓は地下で繋がっているとのこと。 ^ 小林秀雄(文芸評論家)、今日出海(作家)を筆頭に、川喜多長政(映画配給)、藤浦洸(詩人)、益田義信(画家)、宮田重雄(画家)、田中千代(デザイナー)、砂原美智子(オペラ歌手)、石井好子(シャンソン歌手)らである。 ^ 同時代の日本のシャンソン歌手の中で、実際に生のピアフの歌唱に接したのは、越路とともにピアフのリサイタルに出かけた石井好子の記述以外は見当たらない。なお女優では山口淑子がニューヨークのピアフ公演を見た際の感動を後年記している。 ^ 黛の留学期間は1951年(昭和26年)〜1952年(昭和27年)である。 ^ 1ヶ月分約4万枚のチケットが発売後数分で完売した。 ^ ちなみに越路の死後、本遠寺にある彼女の墓には命日などに訪れるファンが、線香の代わりに煙草を供えることが少なからずあるとのこと。 ^ “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月19日閲覧。 ^ “帯ドラマ劇場『越路吹雪物語』”. テレビ朝日. 2017年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月27日閲覧。 ^ “大地真央、宝塚の大先輩・越路吹雪の絶頂期演じる「うれしさと責任感じる」”. ORICON NEWS (オリコン株式会社). (2017年12月6日). https://www.oricon.co.jp/news/2101834/full/ 2017年12月27日閲覧。 ^ 安倍寧「STAR 日本のビッグ・スタア(1) 越路吹雪物語 コーちゃんに関するミニ20章」『スタア』1975年1月日号、平凡出版、124–132頁。 ^ 週刊現代2021年5月1日、5月8日号「昭和の怪物」研究その115「シャンソンの女王は、56歳で逝った」p189-196 ^ 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』(監修:小林公一、2014年4月1日、阪急コミュニケーションズ、p.32)ISBN 9784484146010 ^ 越路吹雪/岩谷時子1999「夢の中に君がいる- 越路吹雪メモリアル」講談社 ^ 浅利慶太 人々を酔わすフランス演歌 「アサヒグラフ」1996.5.24 ^ 岩谷時子 1982「愛と哀しみのルフラン」講談社 ^ “越路吹雪さんのお墓”. 日蓮宗初香山本遠寺. 2014年8月28日閲覧。 ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140111-1242409.html 2022年6月27日閲覧。 ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。 ^ 越路吹雪ドラマチックリサイタル「愛の讃歌 エディット・ピアフの生涯」パンフレット1971 ^ 石井好子 1997 「私は私」岩波書店。 ^ 山口淑子・藤原作弥 1987「李香蘭 私の半生」新潮社 ^ 安倍寧1978「越路吹雪・愛の讃歌」PHP研究所 ^ わたしの流儀 ひたむきに生きる女性たち2006 産経新聞社 ^ 安倍寧1978 越路吹雪・愛の讃歌 PHP研究所 ^ 『夢の中に君がいる 越路吹雪メモリアル』(越路吹雪/岩谷時子、1999年、講談社) ^ 『聞き書き 越路吹雪 その愛と歌と死』(江森陽弘、1981年、朝日新聞社) ^ 越路吹雪/岩谷時子1999 夢の中に君がいる 講談社 ^ 演出家は語る 越路吹雪リサイタル シャンソンドラマチック 公演パンフレット1976 ^ 越路吹雪公式プロフィール - 内藤音楽事務所(2013年10月29日時点のアーカイブ) ^ ごめんねコーちゃんテレビドラマデータベース ^ 瀧本美織が“シャンソンの女王”に! 帯ドラ第3弾は越路吹雪の一代記をつづる ウォーカープラス 2017年11月21日発行、同日閲覧。
越路吹雪公式プロフィール - 内藤音楽事務所 - ウェイバックマシン(2013年10月29日アーカイブ分) ユニバーサル・ミュージック・ジャパンによる公式ページ 日本コロムビアによる公式ページ 越路吹雪 - 日本映画データベース 越路吹雪 - NHK人物録 “シャンソンの女王・越路吹雪の「趣味は家事」”. 文春写真館. 文藝春秋 (2013年7月1日). 2016年12月15日閲覧。 越路吹雪物語 BS朝日 表 話 編 歴 紫門ゆりや 羽立光来 永久輝せあ 紅羽真希 綺城ひか理 峰果とわ 高峰潤 聖乃あすか 泉まいら 一之瀬航季 和礼彩 愛乃一真 龍季澪 翼杏寿 涼香希南 侑輝大弥 太凰旬 南音あきら 涼葉まれ 希波らいと 海叶あさひ 颯美汐紗 天城れいん 珀斗星来 青騎司 美空真瑠 夏希真斗 伶愛輝みら 鏡星珠 宇咲瞬 遼美来 月翔きら 慧那まや 希蘭るね 瀬七波いろ 華波侑希 滝みらい 光稀れん 纏涼 輝涼じゅん 月世麗 風美はる帆 風白ルイ 優帆なぎさ 美風舞良 凛乃しづか 糸月雪羽 咲乃深音 鈴美梛なつ紀 三空凜花 朝葉ことの 詩希すみれ 二葉ゆゆ 琴美くらら 美羽愛 星空美咲 稀奈ゆい 初音夢 湖華詩 湖春ひめ花 真澄ゆかり 美遥あゆ 七彩はづき 咲良さき 常和紅葉 花海凛 美翠せいら 華路らら 翠笙芹南 花綺ちさと 夢希舞香 咲葉えめ 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 鳳月杏 春海ゆう 夢奈瑠音 佳城葵 英かおと 朝陽つばさ 風間柚乃 礼華はる 甲海夏帆 彩海せら 柊木絢斗 大楠てら 瑠皇りあ 彩路ゆりか 爽悠季 毬矢ソナタ 真弘蓮 月乃だい亜 七城雅 槙照斗 遥稀れお 和真あさ乃 涼宮蘭奈 澪あゆと 綺乃ゆず 大瀬いぶき 天つ風朱李 一輝翔琉 美颯りひと 相星旬 穂波舞咲 雅耀 桜之真緒 白霧椿 翔ゆり愛 飛翔れいや 日向みなき 央河希涼 梨花ますみ 白雪さち花 彩みちる 桃歌雪 妃純凛 天紫珠李 天愛るりあ 菜々野あり 白河りり 羽音みか きよら羽龍 咲彩いちご 美海そら 静音ほたる 朝香ゆらら 奏羽美緒 一乃凜 花妃舞音 蘭叶みり 澪花えりさ 華羽りみ 愛梛ちとせ 彩姫みみ 美渦せいか 星丘しずく 八重ひめか 乃々れいあ 帆華なつ海 朱鷺あおい 梨乃すずらん 天津乙女・・門田芦子・・小夜福子・・佐保美代子・・久慈あさみ・・南悠子・・故里明美・・藤里美保・・内重のぼる・・古城都 - 大滝子&榛名由梨 - 大滝子 - 榛名由梨 - 大地真央 - 剣幸 - 涼風真世 - 天海祐希 - 久世星佳 - 真琴つばさ - 紫吹淳 - 彩輝直 - 瀬奈じゅん - 霧矢大夢 - 龍真咲 - 珠城りょう - 月城かなと - 鳳月杏(現役) 住江岸子・・笹原いな子・・初代有明月子・・雲野かよ子・・勿来なほ子・・轟夕起子・・浦島歌女・・淡島千景・・固定スター不在(筑紫まり、加茂さくらら)・・八汐路まり - 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紫苑ゆう - 麻路さき - 稔幸 - 香寿たつき - 湖月わたる - 安蘭けい - 柚希礼音 - 北翔海莉 - 紅ゆずる - 礼真琴(現役) 梓真弓・・浅茅しのぶ・・宮城野由美子・・初風諄・・大原ますみ - 固定スター不在(衣通月子、奈緒ひろき、初風諄ら) - 遥くらら - 東千晃 - 姿晴香 - 南風まい - 南風まい&湖条れいか - 南風まい - 毬藻えり - 白城あやか - 月影瞳 - 星奈優里 - 渚あき - 檀れい - 白羽ゆり - 遠野あすか - 夢咲ねね - 妃海風 - 綺咲愛里 - 舞空瞳(現役) 門田芦子 - 汐見洋子 -(星組廃止中)- 神代錦 - 水原節子 - 御山櫻 - 天城月江 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 葉山三千子 - 一樹千尋 - 夏美よう - 英真なおき - 万里柚美 - 美稀千種(現役) (星組廃止中) - 美吉左久子 - 汐風享子 - 瑠璃豊美 - 由美あづさ - 汐風享子 - 畷克美 - 鳴海潮 - 瑠璃豊美 - 木花咲耶&水代玉藻 - 木花咲耶 - 麻月鞠緒 - 但馬久美 - 新城まゆみ - 萬あきら - 一樹千尋 - 夏美よう - 英真なおき - 万里柚美 - 美稀千種 - 白妙なつ(現役) 松風輝 芹香斗亜 桜木みなと 秋奈るい 瑠風輝 若翔りつ 鷹翔千空 真名瀬みら 雪輝れんや 風色日向 凰海るの 輝ゆう 亜音有星 嵐之真 真白悠希 梓唯央 大路りせ 泉堂成 葵祐稀 聖叶亜 鳳城のあん 郁いりや 波輝瑛斗 風翔夕 奈央麗斗 朱涼 織史青 華楽逸聖 志凪咲杜 海玖里粋 朝比奈天 響望歌 輝星成 空輝紫夕 飛月夏純 花菱りず 小春乃さよ 天彩峰里 湖々さくら 水音志保 春乃さくら 夢風咲也花 楓姫るる 山吹ひばり 美星帆那 渚ゆり 風羽咲季 花咲美玖 結沙かのん 澄乃紬 華乃みゆ 花恋こまち 愛城美紗 梨恋あやめ 輝珠ななせ 楓莉かの 朝絵咲名 宇河キラ ゆり遥 姿月あさと - 和央ようか - 貴城けい - 大和悠河 - 大空祐飛 - 凰稀かなめ - 朝夏まなと - 真風涼帆 - 芹香斗亜(現役) 花總まり - 紫城るい - 陽月華 - 野々すみ花 - 実咲凜音 - 固定スター不在 - 星風まどか - 潤花 - 春乃さくら(現役) 大峯麻友 - 出雲綾 - 美郷真也 - 寿つかさ - 松風輝(現役) 出雲綾 - 貴柳みどり - 寿つかさ - 鈴奈沙也 - 美風舞良 - 松風輝 - 秋奈るい(現役) 英真なおき 京三紗 汝鳥伶 一樹千尋 夏美よう 万里柚美 五峰亜季 美穂圭子 高翔みず希 悠真倫 凪七瑠海 凛城きら 水美舞斗 輝月ゆうま 瀬央ゆりあ 天津乙女 春日野八千代 神代錦 葉山三千子 松本悠里 轟悠 美吉左久子 天城月江 沖ゆき子 大路三千緒 八千草薫(映画専科) 淀かほる 寿美花代 真帆志ぶき 那智わたる 扇千景(映画専科) 加茂さくら 上月晃 南原美佐保 麻月鞠緒 榛名由梨 但馬久美 朝みち子 鳳蘭 高宮沙千 上原まり 立ともみ 萬あきら 星原美沙緒 邦なつき 未沙のえる 磯野千尋 箙かおる 一原けい 飛鳥裕 出雲綾 鈴奈沙也 檀れい 遠野あすか 北翔海莉 華形ひかる 星条海斗 沙央くらま 紫門ゆりや 愛月ひかる 星風まどか 星蘭ひとみ(映像) 紫吹淳 香寿たつき 絵麻緒ゆう 匠ひびき 初風緑 汐風幸 湖月わたる 伊織直加 樹里咲穂 彩輝直 成瀬こうき 小林一三 小林米三 小林公平 小林公一 坪内士行 楳茂都陸平 岸田辰彌 久松一聲 小野晴通 白井鐵造 堀正旗 岩村和雄 平井房人 竹原光三 水田茂 坪井正直 中西武夫 宇津秀男 東郷静男 岡田恵吉 菊田一夫 高木史朗 内海重典 渡辺武雄 横澤英雄 菅沼潤 鴨川清作 小原弘稔 植田紳爾◎ 柴田侑宏 川井秀幸 阿古健 大関弘政 酒井澄夫◎ 岡田敬二◎ 草野旦◎ 太田哲則 三木章雄◎ 村上信夫(プロデューサーに転身) 正塚晴彦◎ 小池修一郎◎ 中村暁◎ 石田昌也◎ 谷正純◎ 中村一徳◎ 木村信司 藤井大介◎ 荻田浩一 植田景子◎ 齋藤吉正◎ 大野拓史◎ 児玉明子 小柳奈穂子◎ 鈴木圭◎ 稲葉太地◎ 生田大和◎ 原田諒 田渕大輔◎ 上田久美子 野口幸作◎ 樫畑亜依子◎ 谷貴矢◎ 町田菜花◎ 指田珠子◎ 竹田悠一郎◎ 栗田優香◎ 熊倉飛鳥◎ 生駒怜子◎ 中村真央◎ 安藤弘 古谷幸一 高木和夫 酒井協 河崎一朗 須藤五郎 高橋廉 河村篤二 入江薫 中元清純 寺田瀧雄 吉崎憲治 高橋城 吉田優子 岡田良機 玉麻尚一 青木朝子 太田健 山田卓 喜多弘 朱里みさを 司このみ 家城比呂志 羽山紀代美 名倉加代子 謝珠栄(演出も担当) 尚すみれ 前田清実 KAZUMI BOY 若央りさ 花柳壽楽 御織ゆみ乃 AYAKO ANJU 田中良 遠山静雄 野崎一郎 1期生 - 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1947年 - 1948年 - 1949年 1950年 - 1951年 - 1952年 - 1953年 - 1954年 - 1955年 - 1956年 - 1957年 - 1958年 - 1959年 1960年 - 1961年 - 1962年 - 1963年 - 1964年 - 1965年 - 1966年 - 1967年 - 1968年 - 1969年 1970年 - 1971年 - 1972年 - 1973年 - 1974年 - 1975年 - 1976年 - 1977年 - 1978年 - 1979年 1980年 - 1981年 - 1982年 - 1983年 - 1984年 - 1985年 - 1986年 - 1987年 - 1988年 - 1989年 1990年 - 1991年 - 1992年 - 1993年 - 1994年 - 1995年 - 1996年 - 1997年 - 1998年 - 1999年 2000年 - 2001年 - 2002年 - 2003年 - 2004年 - 2005年 - 2006年 - 2007年 - 2008年 - 2009年 2010年 - 2011年 - 2012年 - 2013年 - 2014年 - 2015年 - 2016年 - 2017年 - 2018年 - 2019年 2020年 - 2021年 - 2022年 - 2023年 - 2024年 宝塚大劇場 宝塚バウホール 東京宝塚ビル(東京宝塚劇場) 梅田芸術劇場メインホール シアター・ドラマシティ 日本青年館 東京国際フォーラム 東京建物 Brillia HALL 東急シアターオーブ KAAT神奈川芸術劇場 御園座 博多座 阪急阪神東宝グループ
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風と共に去りぬ エリザベート 宝塚コドモアテネ 宝塚音楽学校 宝塚歌劇団卒業生 TAKARAZUKA1000days劇場 中日劇場 宝塚歌劇検定 池田泉州銀行 タカラヅカ・ライブ・ネクスト 表 話 編 歴 高峰妙子(1927年退団) ・・ 初代瀧川末子(1933年退団) ・・ 奈良美也子(1939年退団) ・・ 汐見洋子(1943年退団) ・・ 神代錦(1989年退団) ・・ 打吹美砂(1972年退団) ・・ 越路吹雪(1951年退団) ・・ 淀かほる(1964年専科へ異動、1966年退団) ・・ 星空ひかる(1965年退団) ・・ 麻鳥千穂(1970年退団) ・・ 甲にしき(1974年退団) - 安奈淳,松あきら&瀬戸内美八(1974年2月2日? - 1975年1月30日) - 榛名由梨&安奈淳(1975年1月31日 - 1976年6月22日) - 安奈淳(1976年6月23日 - 1978年7月31日) - 松あきら(1978年8月1日 - 1980年3月30日) - 松あきら&順みつき(1980年3月31日 - 1982年12月6日) - 順みつき(1982年12月7日 - 1983年8月1日) - 高汐巴(1983年8月2日 - 1987年12月30日) - 大浦みずき(1987年12月31日 - 1991年11月29日) - 安寿ミラ(1991年11月30日 - 1995年5月5日) - 真矢みき(1995年5月6日 - 1998年10月5日) - 愛華みれ(1998年10月6日 - 2001年11月11日) - 匠ひびき(2001年11月12日 - 2002年6月23日) - 春野寿美礼(2002年6月24日 - 2007年12月24日) - 真飛聖(2007年12月25日 - 2011年4月24日) - 蘭寿とむ(2011年4月25日 - 2014年5月11日) - 明日海りお(2014年5月12日 - 2019年11月24日) - 柚香光(2019年11月25日 - 2024年5月26日) - 永久輝せあ(2024年5月27日 - ) 表 話 編 歴 第1回
八代目松本幸四郎 間宮芳生 第2回
土門拳 第3回
小林正樹 安川加壽子 第4回
内村直也 八代目坂東三津五郎 第5回
新藤兼人 第6回
三島由紀夫 第7回
市川崑 第8回
滝沢修 岡田謙三 第9回
第10回
茂木草介 東山魁夷 岩田藤七 第11回
平野謙 棟方志功 第12回
山田洋次 第13回
白川義員 第14回
宇野重吉 第15回
第16回
山田五十鈴 第17回
倉本聰 第18回
森繁久彌 第19回
黒川紀章 第20回
飯沢匡 林忠彦 第21回
篠山紀信 前進座 第22回
篠田一士 若杉弘 越路吹雪 第23回
藤原新也 第24回
八代目松本幸四郎 林康子 第25回
朝比奈隆 三代目市川猿之助 磯崎新 第26回
佐々木昭一郎 山本安英 第27回
第28回
安藤忠雄 NHK交響楽団 第29回
深町幸男 第30回
吉田簑助 渥美清 第31回
木下順二 第32回
本多秋五 森光子 第33回
第34回
佐々木昭一郎 山田太一 第35回
松村禎三 橋田壽賀子 第36回
幸田弘子 横尾忠則 第37回
江成常夫 ひょうご舞台芸術「GHETTO」 第38回
小栗康平 黒柳徹子 馬場あき子 第39回
入沢康夫 五代目坂東玉三郎 宮崎駿 第40回
森澄雄 十三代目片岡仁左衛門 第41回
岡井隆 河野多惠子 高倉健 第42回
大島渚 吉永小百合 第43回
麻実れい 鷹羽狩行 第44回
小澤征爾 清岡卓行 第45回
七代目竹本住大夫 第46回
前登志夫 観世栄夫 沼尻竜典 第47回
三木卓 奈良岡朋子 西村朗 李禹煥 第48回
篠弘 司修 二代目中村吉右衛門 篠原有司男 第49回
野田秀樹 平岩弓枝 細江英公 森山良子 第50回
舟越桂 永井路子 七代目尾上菊五郎 石内都 第51回
隈研吾 関正人 辻原登 遠山慶子 金子兜太 第52回
大峯あきら 村上龍 森村泰昌 吉田都 加山雄三 第53回
菊畑茂久馬 津島佑子 豊竹咲大夫 坂茂 由紀さおり 第54回
辰野登恵子 谷村新司 テレビマンユニオン 十代目坂東三津五郎 荒木経惟 第55回
平幹二朗 青木野枝 佐伯一麦 永六輔 第56回
鍵和田秞子 隠崎隆一 船本芳雲 柳家小三治 松浦寿輝 第57回
桐竹勘十郎 庄司紗矢香 菅木志雄 宮城谷昌光 是枝裕和 第58回
河口龍夫 黒沢清 筒井康隆 堤剛 坂本冬美 第59回
遠藤利克 髙村薫 仲川恭司 山路和弘 熊川哲也 第60回
栗木京子 内藤礼 永井愛 宮本輝 大林宣彦 第61回
逢坂剛 草笛光子 佐藤俊介 塩田千春 今野勉 第62回
西澤徹夫 鵜山仁 鴻池朋子 高樹のぶ子 水原紫苑 「半沢直樹」 第63回
皆川博子 下谷洋子 高橋睦郎 三島喜美代 吉野直子 第64回
遠藤彰子 加藤健一 桐野夏生 永田和宏 表 話 編 歴 越路吹雪 1964 左幸子 1965 長門裕之・南田洋子 1965 - 1981 星野知子 1982 - 1988 古手川祐子 1988 - 1995 鈴木杏樹 1995 - 2001 鈴木杏樹・恵俊彰 2001 - 2016 仲間由紀恵・軽部真一 2016 - 現在 FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz
越路吹雪 日本のシャンソン歌手 日本のミュージカル女優 日本の女性アイドル 日本の司会者 東宝の俳優 宝塚歌劇団卒業生 宝塚歌劇団27期生 宝塚歌劇団殿堂表彰者 男役 EMIミュージック・ジャパンのアーティスト NHK紅白歌合戦出演者 文部省芸術祭奨励賞 劇団四季の演目契約者 東京都区部出身の人物 胃癌で亡くなった人物 1924年生 1980年没 ISBNマジックリンクを使用しているページ プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2024/11/17 04:32更新
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koshiji fubuki
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