那珂通世の情報(なかみちよ) 歴史学者(東洋史) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
那珂 通世さんについて調べます
■名前・氏名 |
那珂通世と関係のある人
白鳥庫吉: 師に那珂通世、弟子に津田左右吉などがいる。 |
那珂通世の情報まとめ
那珂 通世(なか みちよ)さんの誕生日は1851年2月6日です。岩手出身の歴史学者(東洋史)のようです。
卒業に関する情報もありますね。1908年に亡くなられているようです。
那珂通世のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)那珂 通世(なか みちよ、1851年2月6日(嘉永4年1月6日) - 1908年(明治41年)3月2日)は、南部藩出身の明治時代の歴史学者、文学博士。学問領域及び教科名としての「東洋史」創唱者とされる。 陸奥国岩手郡盛岡城下にて盛岡藩士・藤村盛徳の三男として生まれる。幼名は荘次郎。その優れた才能を買われ、14歳の時に藩校作人館の句読師であった儒官江帾通高(梧楼)から乞われ養子となった。藩主南部利恭の近侍となり、養父が「那珂」と改姓したのに伴い、「那珂通世」を名乗った。戊辰戦争における敗戦を経験し、江戸の越前藩邸に預けられる。 明治維新後は英学を志し、初めは山東一郎主宰の北門社に入塾したが、まもなく福澤諭吉の書生となり、1872年(明治5年)に慶應義塾別科に入塾、1876年(明治9年)、26歳の時に「日本古代文字考」を『洋々社談』に発表。慶應義塾別科を卒業後、福澤の推薦で師範学校・中学校・巴城学舎などの教師を務め、後に千葉師範学校、東京女子師範学校の校長を歴任し、女子教育に尽力した。 1890年代には華族女学校教授、高等師範学校及び第一高等学校教授に就任。1896年(明治29年)には帝国大学文科大学の嘱託講師を務めた。その間、日本・朝鮮・中国の歴史における実証的な研究を多く発表。1900年(明治33年)には国語調査委員を命ぜられ、高等官三等(従五位)に累進した。 1903年(明治36年)に早稲田大学の東洋史講座、1904年(明治37年)には浄土宗大学の仏教地理講座など、その他の私立学校からも講師を嘱託された。 1905年(明治38年)の日露戦争中、戦地視察の命を受け、嘉納治五郎等とともに清国の金州・旅順等へ差遣され、さらに翌1906年(明治39年)には満韓修学旅行に監督として随行し、満州・韓国を訪れた。 那珂は学問領域及び教科名の「東洋史」の創唱者(外国史を西洋史と東洋史に二分することを提案)として知られ、満州語・モンゴル語を独自に研究、1907年(明治40年)にはモンゴル語で書かれた元朝秘史を『成吉思汗実録』と題して邦訳刊行した。 1908年(明治41年)、心臓発作により死去。従四位勲四等に叙された。 同じく東洋史学者の内藤湖南(盛岡藩出身)とは親交を結び、白鳥庫吉は中学教師時代の教え子だった。栃木県日光市の華厳滝で「巌頭之感」を書き残して投身自殺した藤村操は甥。 1891年(明治24年)12月8日 - 従六位 1898年(明治31年)3月30日 - 正六位 1900年(明治33年)9月21日 - 従五位 1906年(明治39年)6月30日 - 正五位 1908年(明治41年)3月2日 - 従四位 1897年(明治30年)12月28日 - 勲六等瑞宝章 1901年(明治34年)12月27日 - 勲五等瑞宝章 1908年(明治41年)3月2日 - 勲四等瑞宝章
『那珂通世遺書』(以下近代デジタルライブラリー) 『旅の苞憂国余話』 『支那通史』巻之1 『支那通史』巻之2 『支那通史』巻之3 第1−3編 『支那通史』巻之3 第4−9編 『支那通史』巻之4 『元史訳文証補』 『新撰東洋史地図』 『成吉思汗実録』 『那珂東洋略史』 ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)20頁 ^ 『官報』第2534号「叙任及辞令」1891年12月9日。 ^ 『官報』第4421号「叙任及辞令」1898年3月31日。 ^ 『官報』第5169号「叙任及辞令」1900年9月22日。 ^ 『官報』第6901号「叙任及辞令」1906年7月2日。 ^ 『官報』第7403号「叙任及辞令」1908年3月4日。 ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。 ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。 三宅米吉「文學博士那珂通世君傳」故那珂博士功績紀念会編『那珂通世遺書』所収(大日本図書、1915年) 窪寺紘一 『東洋学事始:那珂通世とその時代』(平凡社、2009年)ISBN 978-4582834260 - 評伝 表 話 編 歴 初代 野口明 1949-1953 第2代 蠟山政道 1954-1959 第3代 久米又三 1960-1964 第4代 藤田健治 1965-1968 第5代 波多野完治 1969-1971 第6代 谷田閲次 1971-1976 第7代 市古宙三 1976-1979 第8代 井上茂 1979-1982 第9代 藤巻正生 1982-1987 第10代 河野重男 1987-1992 第11代 太田次郎 1992-1997 第12代 佐藤保 1997-2001 第13代 本田和子 2001-2005 第14代 郷通子 2005-2009 第15代 羽入佐和子 2009-2015 第16代 室伏きみ子 2015-2021 第17代 佐々木泰子 2021- 小杉恒太郎 1874-1875 摂理 中村正直 1875-1880 摂理/校務嘱託 福羽美静 1880-1881/1881-1885 那珂通世 1881-1885 中村正直 1890-1891 心得 村岡範為馳 1891 心得 中川謙二郎 1891 細川潤次郎 1891-1894 秋月新太郎 1894-1897 高嶺秀夫 1897-1908 高嶺秀夫 1908-1910 代理 飯盛挺造 1910 中川謙二郎 1910-1917 湯原元一 1917-1921 茨木清次郎 1921-1927 吉岡郷甫 1927-1935 下村寿一 1935-1945 藤本万治 1945-1949 野口明 1949-1952 カテゴリ メディア お茶の水女子大学 お茶の水女子大学 人物 ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 日本 CiNii Books CiNii Research IdRef この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 19世紀日本の歴史家 20世紀日本の歴史家 19世紀日本の教育者 20世紀日本の教育者 日本古代史学者 日本の東洋史家 戦前日本の学者 お茶の水女子大学学長 東京女子高等師範学校の教員 東京高等師範学校の教員 東京大学の教員 日本の師範学校の教員 日本の宮内省関係者 日本の元老院関係者 慶應義塾の塾生 明治時代の人物 勲四等瑞宝章受章者 岩手県出身の人物 陸奥国の人物 幕末盛岡藩の人物 1851年生 1908年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 学者関連のスタブ項目 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/22 02:13更新
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