金井元彦の情報(かないもとひこ) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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金井元彦の情報まとめ
金井 元彦(かない もとひこ)さんの誕生日は1903年11月28日です。兵庫出身の政治家のようです。
卒業、現在、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1991年に亡くなられているようです。
金井元彦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金井 元彦(かない もとひこ、1903年11月28日 - 1991年8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。 行政管理庁長官(第43代)、参議院地方行政委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、参議院議員(2期)、兵庫県知事(第36-37代・公選)、兵庫県立近代美術館長(第3代)、兵庫県副知事、青森県知事(第45代・官選)などを歴任。 1903年(明治36年)、神戸市に生まれる。旧制第二神戸中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法科を卒業した。1927年(昭和2年)に内務省へ入省し、警保局検閲課長を経て1945年(昭和20年)1月に官選第45代青森県知事となる。 太平洋戦争の戦局悪化に伴いアメリカ軍の本土空襲が日を追って激しくなる中、金井は7月18日に新聞を通じて「家をからっぽにして逃げたり、山中に小屋を建てて出てこないというものがあるそうだが防空法によって処罰出来るのであるから断乎たる処置をとる」との声明を公表する。この声明を受けて青森市では郊外へ避難している市民に対して「7月28日までに帰宅しなければ人名台帳から氏名を抹消し、食糧や物資の配給を差し止める」と警告し、多くの市民が強制的に避難先から帰宅させられたが、青森市街は28日から29日にかけての青森大空襲により市街地の81%を焼失する壊滅的な被害を受け、1018名の犠牲者を出した。このため、結果的に金井の声明が空襲による犠牲者を増大させたとの批判がある。 1946年(昭和21年)1月、公職追放処分を受けて知事を免職となり大野連治が後任の知事に就任する。公職追放後は民間企業に勤めていたが、1948年(昭和23年)に自らの命令で空襲により多くの犠牲者を出したことを悼んで慰霊のため観音像の建立を提唱し、柳町交差点のロータリーに三国慶一作の「平和観音像」が設置された。1964年(昭和39年)に道路拡張のため2代目の観音像が10メートルほど北に作られ、金井らが建立した初代の像は青森市文化会館の4階で展示されている。 1955年(昭和30年)2月、兵庫県知事の阪本勝に迎えられて副知事に就任。1962年(昭和37年)、阪本が2期目の任期満了に伴い知事を退いた後継候補として知事選に出馬し当選する。1964年(昭和39年)6月、現在の兵庫県庁舎1号館落成を記念して兵庫県旗を制定した。 在任中はちょうど日本が高度成長期に差し掛かっていた時期であり「生活の科学化」をスローガンに掲げて第1次県勢振興計画を策定する。その一方で、1969年(昭和44年)に滋賀県の障害児入所施設・びわこ学園を視察した際の体験を基に提唱し、ダウン症候群などの染色体異常を早期に発見することを目的として出生前診断を奨励した「不幸な子どもの生まれない運動」は優生思想に基づく人権侵害施策として青い芝の会などから強い非難を浴びた。元明石市長泉房穂は、金井は、優生保護法の推進第一人者で、兵庫県庁にその部署まで作り「障害のあるものはこの世から抹殺する」ということを方針に掲げ「障害を持ち生まれそうだったら、殺してしまえ」という運動を全国の先頭を切って行った知事であった。このため、障害者であった私の弟も危うく殺されそうになったと証言している。 前任者の阪本に倣って1970年(昭和45年)の知事選挙には出馬せず2期限りで知事を退任する方針を表明し、副知事の坂井時忠が後継に指名された。 知事職を退いた翌1971年(昭和46年)の第9回参議院議員選挙に自民党公認で兵庫県選挙区から出馬して当選、七日会(田中派)の立ち上げに参加する。2期目の1977年(昭和52年)には参議院地方行政委員長に就任し、1978年(昭和53年)には第1次大平内閣で行政管理庁長官として入閣した。1980年(昭和55年)春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章(勲四等からの昇叙)。 1983年(昭和58年)の第13回参院選には出馬せず政界を引退し、兵庫県名誉顧問に就任する。また、かつて日本三大仏の一つに数えられながらも1944年(昭和19年)に金属類回収令で解体された能福寺(神戸市兵庫区)の兵庫大仏再建事業に際して奉賛会会長を務め、1991年(平成3年)5月9日の開眼法要に出席した。同年8月6日、脳梗塞のため死去、87歳。死没日をもって従四位から従三位に叙される。神戸市長田区の兵庫県立文化体育館で開催された県民葬には竹下登ら約2700名が参列した。 欧亜の印象(兵庫県商工労働部商業貿易課、1958年) 南北アメリカの旅に思う 私のたより(私家版、1964年) わが心の自叙伝(私家版、1983年) 緩歩残筆(兵庫県社会福祉協議会、1986年) 『兵庫県大百科事典 上 あ-そ』(神戸新聞出版センター、1983年) ISBN 4-87521-100-7 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』(日外アソシエーツ、2003年) ISBN 4-8169-1892-2 ^ 小室豊允の著書「豪の人、情の人 人間戸谷松司(筒井書房、2001年6月20日発行)p.49~50によれば、金井が3期目に意欲を示したため坂井との仲がこじれ、そのため川崎重工業社長・砂野仁ら地元財界の裁定により金井が引退し坂井が知事になることとなったとされる。 ^ 歴代兵庫県知事(兵庫県の公式ホームページ) ^ “金井 元彦”. コトバンク. DIGITALIO. 2024年4月15日閲覧。 ^ 禁じられた避難 ~青森市~ - NHK戦争証言アーカイブス ^ 兵庫県大百科事典上, p539 ^ 松永真純『兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」と障害者の生』(大阪人権博物館紀要第5号、2001年) ^ “【続!兵庫県政問題】知られざる斎藤元彦知事と泉房穂の関係”. いずみチャンネル (2024年8月21日). 2024年9月6日閲覧。 ^ 「金井 元彦」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』。https://kotobank.jp/word/%E9%87%91%E4%BA%95%20%E5%85%83%E5%BD%A6。コトバンクより2022年12月24日閲覧。 ^ 『官報』号外第26号48頁 昭和55年5月6日号 ^ 『官報』第717号10頁 平成3年8月26日号 斎藤元彦 - 第53代兵庫県知事。金井にあやかり、祖父より元彦と名付けられる。 表 話 編 歴 斎藤隆夫 船田享二 船田享二 殖田俊吉 工藤鉄男 本多市郎 岡野清豪 広川弘禅 橋本龍伍 木村篤太郎 野田卯一 本多市郎 塚田十一郎 西田隆男 川島正次郎 河野一郎 大久保留次郎 石井光次郎 山口喜久一郎 益谷秀次 高橋進太郎 小沢佐重喜 川島正次郎 山村新治郎 増原恵吉 福田篤泰 田中茂穂 松平勇雄 木村武雄 荒木万寿夫 中村寅太 浜野清吾 福田赳夫 保利茂 細田吉蔵 松沢雄蔵 荒舩清十郎 西村英一 荒舩清十郎 金井元彦 宇野宗佑 中曽根康弘 斎藤邦吉 後藤田正晴 廃止 表 話 編 歴 野田豁通 菱田重禧 北代正臣 池田種徳 塩谷良翰 北代正臣 権令 山田秀典 郷田兼徳 福島九成 鍋島幹 佐和正 牧朴真 河野主一郎 宗像政 山之内一次 犬塚勝太郎 西沢正太郎 武田千代三郎 田中武雄 小浜松次郎 川村竹治 沢田牛麿 道岡秀彦 春藤嘉平 尾崎勇次郎 馬場一衛 緒方惟一郎 松原権四郎 遠藤柳作 小柳牧衛 森岡二朗 吉村哲三 新庄祐治郎 平井三男 守屋磨瑳夫 宮本貞三郎 多久安信 小林光政 小河正儀 鈴木登 上田誠一 山田俊介 宇都宮孝平 大島弘夫 金井元彦 大野連治 早坂冬男 津島文治 山崎岩男 竹内俊吉 北村正哉 木村守男 三村申吾 宮下宗一郎 表 話 編 歴 伊藤博文 久我通城 未赴任 中島錫胤 陸奥宗光 税所篤 権知事 中山信彬 神田孝平 森岡昌純 権令→県令 内海忠勝 内海忠勝 林董 周布公平 大森鍾一 服部一三 清野長太郎 有吉忠一 折原巳一郎 平塚広義 山県治郎 長延連 高橋守雄 岡正雄 小柳牧衛 白根竹介 湯沢三千男 岡田周造 関屋延之助 坂千秋 成田一郎 藤岡長敏 持永義夫 齋藤亮 岸田幸雄 遠藤直人 岸田幸雄 阪本勝 金井元彦 坂井時忠 貝原俊民 井戸敏三 斎藤元彦 表 話 編 歴 岡本愛祐 西郷吉之助 油井賢太郎 菊田七平 内村清次 中田吉雄 小笠原二三男 松岡平市 本多市郎 小林武治 田中啓一 館哲二 新谷寅三郎 増原惠吉 小幡治和 小林武治 石谷憲男 竹中恒夫 高野一夫 天坊裕彦 林田正治 岸田幸雄 仲原善一 津島文治 内藤誉三郎 山内一郎 若林正武 玉置猛夫 久次米健太郎 久保田藤麿 原文兵衛 上田稔 高橋邦雄 金井元彦 永野嚴雄 後藤正夫 亀長友義 上條勝久 宮田輝 大河原太一郎 金丸三郎 増岡康治 松浦功 谷川寛三 向山一人 渡辺四郎 野田哲 山口哲夫 佐藤三吾 小川仁一 岩本久人 竹山裕 菅野壽 渡辺四郎 峰崎直樹 藁科満治 廃止 表 話 編 歴 山本利寿 伊藤五郎 山本茂一郎 塚田十一郎 米田正文 長谷川仁 星野重次 金井元彦 古賀雷四郎 稲嶺一郎 岡田広 西村尚治 志村愛子 上田稔 大鷹淑子 佐々木満 板垣正 堀江正夫 夏目忠雄 矢野俊比古 川原新次郎 守住有信 田代由紀男 田沢智治 福田宏一 大浜方栄 木宮和彦 坪井一宇 成瀬守重 楢崎泰昌 志村哲良 中尾則幸 立木洋 笠井亮 沓掛哲男 佐藤雄平 本田良一 谷林正昭 木俣佳丈 高橋千秋 黒岩宇洋 市川一朗 中川雅治 岸信夫 猪口邦子 羽田雄一郎 林久美子 風間直樹 江崎孝 石田昌宏 藤井基之 石井浩郎 石橋通宏 小西洋之 鈴木宗男 榛葉賀津也 表 話 編 歴 原口忠次郎↓ 八木幸吉↓ 藤森真治 横尾龍↑ 岡崎真一↑ 赤木正雄 田口政五郎 小畑哲夫 松浦清一 山縣勝見 赤木正雄 成田一郎↓ 松浦清一 中野文門 岸田幸雄↑ 佐野芳雄 岸田幸雄 中野文門 浅井亨 佐野芳雄↓ 萩原幽香子 中西一郎↑ 中西一郎 矢原秀男 安武洋子 中西一郎 本岡昭次 安武洋子 中西一郎 本岡昭次 片上公人 河本三郎↓ 本岡昭次 片上公人 芦尾長司↑ 本岡昭次 大沢辰美 水岡俊一 末松信介 末松信介 水岡俊一 末松信介 伊藤孝江 片山大介 片山大介 末松信介 伊藤孝江 岡崎真一 松沢兼人 河合義一 岡崎真一 青田源太郎 松沢兼人 松沢兼人 中沢伊登子 青田源太郎 金井元彦 小谷守 中沢伊登子 金井元彦 渡部通子 小谷守 矢原秀男 抜山映子 石井一二 旭堂小南陵 石井一二 矢原秀男 石井一二 鴻池祥肇 鴻池祥肇 辻泰弘 辻泰弘 鴻池祥肇 鴻池祥肇↓ 清水貴之 清水貴之↓ 高橋光男 加田裕之 VIAF 日本 行政管理庁長官 昭和時代戦後の閣僚 兵庫県選出の参議院議員 自由民主党の参議院議員 昭和時代の参議院議員 兵庫県知事 兵庫県副知事 公職追放者 青森県知事 日本の内務官僚 日本の警察官僚 従三位受位者 従四位受位者 勲一等瑞宝章受章者 兵庫県立兵庫高等学校出身の人物 旧制第一高等学校出身の人物 東京大学出身の人物 神戸市出身の人物 1903年生 1991年没 プロジェクト人物伝項目 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/24 03:59更新
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