金光庸夫の情報(かねみつつねお) 実業家、政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
金光 庸夫さんについて調べます
■名前・氏名 |
金光庸夫と関係のある人
竹内寿平: 妻の英子は金光庸夫の長女。 元田肇: その後、政友会が対立する憲政会とともに第2次護憲運動に参加したことに対しては批判的で、同じくこれに反発する床次竹二郎とともに政友会を離党して政友本党を結成するが、護憲三派の崩壊後に今度は床次が憲政会と合同して立憲民政党を結党すると、元田はこれを批判して金光庸夫ら少数の合同反対派を連れて政友会に復党した。 佐藤謙一郎: 母・淳子は立憲政友会所属の代議士で国務大臣・厚生大臣等を歴任した金光庸夫の娘である。 熊谷典文: 岳父は金光庸夫。 犬養健: 1939年 - 政友会の分裂に際し、金光庸夫や太田正孝とともに中立派に属する。 太田正孝: 1939年の政友会分裂に際し金光庸夫、犬養健らとともに中立派に属す。 竹内寿平: ^ 『人事興信録』10版(昭和9年) 上卷、金光庸夫の項 |
金光庸夫の情報まとめ
金光 庸夫(かねみつ つねお)さんの誕生日は1877年3月13日です。大分出身の実業家、政治家のようです。
卒業に関する情報もありますね。1955年に亡くなられているようです。
金光庸夫のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金光 庸夫(かねみつ つねお、1877年(明治10年)3月13日 - 1955年(昭和30年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。拓務大臣(第16代)、厚生大臣(第7代)。衆議院議員(9期)。名前の「庸夫」は「やすお」とも読まれる。 経済企画庁長官を務めた佐藤一郎及び通産事務次官を務めた熊谷典文は女婿、佐藤の長男で衆議院議員を務めた佐藤謙一郎は孫にあたる。 大分県宇佐郡高家村(現・宇佐市)生まれ。高等小学校を卒業後税務官吏となり、長崎税関、福岡税務署長、熊本税務監督局勤務を経て、1908年(明治41年)鈴木商店に入社する。1910年に太陽生命保険に転じて支配人となり、1913年(大正2年)に独立して大正生命保険(現・プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険)の社長となる。その他日本火災海上保険(現・損害保険ジャパン)役員、王子電気軌道(現・都電荒川線)社長など多数の企業の社長や役員を兼任し、東京商業会議所副会頭や、1931年(昭和6年)には国際労働会議の資本家代表も務めた。また、法政大学の理事に就任(昭和15年)するなど、大学事業への運営にも寄与した。 1920年(大正9年)の第14回総選挙で政友会公認で旧大分2区からに立候補し初当選。一時期、政友本党に籍を置いたのち政友会に復帰し、1937年(昭和12年)衆議院副議長。1939年(昭和14年)には阿部内閣で拓務大臣を拝命して初入閣する。同年の政友会分裂に際しては太田正孝、犬養健とともに中立派(金光派)を形成する。その近衛文麿の新体制運動に協力し、1940年(昭和15年)6月10日には陸軍省軍務局長の武藤章と会談し軍部の諒解を取り付ける。 新体制準備委員会委員を経て、第2次近衛内閣で厚生大臣となり、国民優生法を施行したり、生活必需物資統制令に基づき衛生材料生産配給統制規則を制定した。以後、大日本産業報国会初代総裁、大政翼賛会顧問、同調査会長、翼賛政治会政務調査会長、大日本政治会総務会長などを務める。 第二次世界大戦後は日本進歩党の結成に関わるが、間もなく公職追放となる。追放中は長男の義邦が身代わりで総選挙に立候補し当選、代議士を3期務める。追放解除後の1953年(昭和28年)第26回総選挙で吉田自由党の公認で立候補し当選、同党顧問を務める。1954年(昭和29年)に尾崎行雄が死去した際には、金光が11月30日の衆議院本会議に於いて尾崎に対する追悼演説を行った。 1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙に出馬したが落選し、同年3月5日死去、77歳。墓所は多磨霊園。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈。 父・金光芳蔵 ‐ 大分県人。実家は古くから高家郷の地頭職にあり、のちに宇佐八幡宮の神職と庄屋を務めていた。 兄・金光芳夫 妻・トシ ‐ 都島茂七(福岡市にあった西日本初の私立銀行筑紫銀行取締役)の長女 長男・金光義邦 長女・英子 ‐ 竹内壽平の妻 次男・亨 三男・庸房 ‐ 東大卒。義邦が社長を務めていた日本教育生命保険(のち大正生命保険に吸収)の取締役 二女・淳子 ‐ 佐藤一郎の妻。長男に佐藤謙一郎 三女・澄子 ‐ 熊谷典文の妻 四男・邦夫 四女・昌子 五男・庸俊 ^ レファレンス事例詳細 大分県立郷土-2022-002レファレンス協同データベース ^ 金光庸夫『大日本実業家名鑑 上巻』実業之世界社、1919年 ^ 『法政大学校友名鑑』(1941) ^ 1940年5月1日官報。 ^ 1941年5月7日官報。 ^ 役員を正式に任命、総裁は金光厚相『中外商業新報』昭和15年11月24日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p427 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年) ^ 第20回国会 本会議 第1号 衆議院会議録 1954年11月30日 ^ 『官報』第8456号194頁 昭和30年3月11日号 ^ 『人事興信録』10版(昭和9年) 上卷、金光庸夫の項 ^ 都島茂七『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月] ^ 福岡市の近代史略年表福岡県立図書館 ^ 『ポケツト会社職員録 昭和18年版(第8回)』(ダイヤモンド社、1931-32)日本教育生命保険の項 厚生省. “1940年5月1日官報、国民優生法”. 大蔵省印刷局. 2018年11月13日閲覧。 厚生省. “1941年5月7日官報、衛生材料生産配給統制規則”. 大蔵省印刷局. 2018年11月13日閲覧。 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056 歴史が眠る多磨霊園 金光庸夫 表 話 編 歴 木戸幸一 広瀬久忠 小原直 秋田清 吉田茂 安井英二 金光庸夫 小泉親彦 広瀬久忠 相川勝六 岡田忠彦 松村謙三 芦田均 河合良成 一松定吉 竹田儀一 林譲治 黒川武雄 橋本龍伍 吉武恵市 山縣勝見 草葉隆圓 鶴見祐輔 川崎秀二 小林英三 神田博 堀木鎌三 橋本龍伍 坂田道太 渡邊良夫 中山マサ 古井喜実 灘尾弘吉 西村英一 小林武治 神田博 鈴木善幸 坊秀男 園田直 斎藤昇 内田常雄 斎藤昇 塩見俊二 斎藤邦吉 福永健司 田中正巳 早川崇 渡辺美智雄 小沢辰男 橋本龍太郎 野呂恭一 斎藤邦吉 園田直 村山達雄 森下元晴 林義郎 渡部恒三 増岡博之 今井勇 斎藤十朗 藤本孝雄 小泉純一郎 戸井田三郎 津島雄二 下条進一郎 山下徳夫 丹羽雄哉 大内啓伍 井出正一 森井忠良 菅直人 小泉純一郎 宮下創平 丹羽雄哉 津島雄二 坂口力 米窪満亮 加藤勘十 増田甲子七 鈴木正文 保利茂 吉武恵市 戸塚九一郎 小坂善太郎 千葉三郎 西田隆男 倉石忠雄 松浦周太郎 石田博英 倉石忠雄 松野頼三 石田博英 福永健司 大橋武夫 石田博英 小平久雄 山手満男 早川崇 小川平二 原健三郎 野原正勝 原健三郎 塚原俊郎 田村元 加藤常太郎 長谷川峻 大久保武雄 長谷川峻 浦野幸男 石田博英 藤井勝志 栗原祐幸 藤波孝生 藤尾正行 初村滝一郎 大野明 坂本三十次 山口敏夫 林迶 平井卓志 中村太郎 丹羽兵助 堀内光雄 福島譲二 塚原俊平 小里貞利 近藤鉄雄 村上正邦 坂口力 鳩山邦夫 浜本万三 青木薪次 永井孝信 岡野裕 伊吹文明 甘利明 牧野隆守 吉川芳男 坂口力 坂口力 尾辻秀久 川崎二郎 柳澤伯夫 舛添要一 長妻昭 細川律夫 小宮山洋子 三井辨雄 田村憲久 塩崎恭久 加藤勝信 根本匠 加藤勝信 田村憲久 後藤茂之 加藤勝信 武見敬三 福岡資麿 2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。 表 話 編 歴 高島鞆之助 田中義一 松田源治 原脩次郎 若槻禮次郎 秦豊助 永井柳太郎 岡田啓介 兒玉秀雄 永田秀次郎 結城豊太郎 大谷尊由 宇垣一成 近衛文麿 八田嘉明 小磯國昭 金光庸夫 小磯國昭 松岡洋右 秋田清 豊田貞次郎 東郷茂徳 井野碩哉 廃止 表 話 編 歴 津田真道 曾禰荒助 楠本正隆 安部井磐根 片岡健吉 島田三郎 元田肇 杉田定一 箕浦勝人 肥塚龍 関直彦 花井卓蔵 早速整爾 浜田国松 粕谷義三 松田源治 小泉又次郎 松浦五兵衛 清瀬一郎 小山松寿 増田義一 植原悦二郎 岡田忠彦 金光庸夫 田子一民 内ヶ崎作三郎 勝田永吉 木村小左衛門 井上知治 田中萬逸 岩本信行 原彪 高津正道 杉山元治郎 椎熊三郎 正木清 中村高一 久保田鶴松 原健三郎 田中伊三次 園田直 小平久雄 藤枝泉介 荒舩清十郎 長谷川四郎 秋田大助 三宅正一 岡田春夫 勝間田清一 多賀谷真稔 安井吉典 村山喜一 鯨岡兵輔 渡部恒三 中野寛成 横路孝弘 衛藤征士郎 赤松広隆 川端達夫 赤松広隆 海江田万里 玄葉光一郎 議院 衆議院 貴族院 参議院 表 話 編 歴 大江卓 松田正久 佐藤昌蔵 河野広中 箕浦勝人(代理) 石田貫之助 中野武営 阿部興人 武富時敏 星亨 元田肇 江原素六 栗原亮一 石田貫之助 原敬 栗原亮一 大岡育造 栗原亮一 大岡育造 栗原亮一 鳩山和夫 原敬 野田卯太郎 元田肇 井上角五郎 奥繁三郎 改野耕三 井上角五郎 大岡育造 片岡直温 山本悌二郎 小川平吉 斎藤珪次 中村啓次郎 吉植庄一郎 武藤金吉 田辺熊一 東武 山本悌二郎 野田卯太郎 片岡直温 町田忠治 藤沢幾之輔 川原茂輔 頼母木桂吉 武内作平 川原茂輔 堀切善兵衛 井上孝哉 森田茂 武内作平 川崎克 山崎達之輔 大口喜六 岡田忠彦 山崎達之輔 前田米蔵 島田俊雄 砂田重政 若宮貞夫 川崎克 小山松寿 熊谷直太 勝正憲 若宮貞夫 田子一民 桜井兵五郎 三土忠造 増田義一 東郷実 松村謙三 大口喜六 金光庸夫 小川郷太郎 島田俊雄 勝田永吉 太田正孝 中島弥団次 矢野庄太郎 竹田儀一 鈴木茂三郎 上林山榮吉 植原悦二郎 小坂善太郎 塚田十一郎 太田正孝 尾崎末吉 倉石忠雄 山口喜久一郎 牧野良三 三浦一雄 山崎巌 江﨑真澄 楢橋渡 小川半次 西村直己 船田中 山村新治郎 塚原俊郎 荒舩清十郎 青木正 福田一 植木庚子郎 井出一太郎 荒舩清十郎 中野四郎 瀬戸山三男 坪川信三 根本龍太郎 荒舩清十郎 白浜仁吉 坪川信三 田中正巳 中野四郎 小此木彦三郎(代理) 竹下登 田村元 小山長規 栗原祐幸 久野忠治 倉成正 天野光晴 小渕恵三 砂田重民 浜田幸一 奥田敬和 大野明 中尾栄一 越智伊平 渡部恒三 山村新治郎 高鳥修 粕谷茂 山口鶴男 佐藤観樹 上原康助 深谷隆司 松永光 越智通雄 中山正暉 島村宜伸 原田昇左右 野呂田芳成 津島雄二 藤井孝男 笹川堯 甘利明 大島理森 金子一義 逢沢一郎 衛藤征士郎 鹿野道彦 松原仁(代理) 中井洽 山本有二 二階俊博 大島理森 河村建夫 竹下亘 浜田靖一 河村建夫 野田聖子 棚橋泰文 金田勝年 根本匠 小野寺五典 伊藤達也 安住淳 表 話 編 歴 梅林時雄 村上勇 金光義邦 野上健次 村上勇 小玉治行 金光義邦 羽田野次郎 広瀬正雄 村上勇 木下郁 後藤義隆 金光庸夫 広瀬正雄 村上勇 木下郁 広瀬正雄 木下哲 一万田尚登 村上勇 村上勇 木下哲 一万田尚登 広瀬正雄 村上勇 広瀬正雄 二宮武夫 一万田尚登 村上勇 二宮武夫 広瀬正雄 一万田尚登 村上勇 工藤良平 広瀬正雄 一万田尚登 村上勇 広瀬正雄 羽田野忠文 合沢栄 村山富市 村上勇 広瀬正雄 羽田野忠文 村山富市 村上勇 広瀬正雄 羽田野忠文 村山富市 本郷公威 畑英次郎 木下敬之助 村上勇 羽田野忠文 畑英次郎 木下敬之助 村山富市 畑英次郎 木下敬之助 衛藤征士郎 村山富市 畑英次郎 木下敬之助 衛藤征士郎 村山富市 衛藤晟一 衛藤征士郎 畑英次郎 村山富市 畑英次郎 衛藤征士郎 衛藤晟一 ISNI VIAF 日本 20世紀日本の実業家 鈴木商店の人物 SOMPOホールディングスグループの人物 昭和時代戦前の閣僚 日本の厚生大臣 拓務大臣 衆議院副議長 (帝国議会) 大分県選出の衆議院議員 (帝国議会) 大分県選出の衆議院議員 大正時代の衆議院議員 昭和時代戦前の衆議院議員 昭和時代戦後の衆議院議員 勲二等旭日重光章受章者 公職追放者 大日本産業報国会の人物 大分県出身の人物 1877年生 1955年没 多磨霊園に埋葬されている人物 出典のページ番号が要望されている記事 プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/21 22:19更新
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