金子繁治の情報(かねこしげじ) ボクシング 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
金子 繁治さんについて調べます
■名前・氏名 |
金子繁治の情報まとめ
金子 繁治(かねこ しげじ)さんの誕生日は1931年8月13日です。新潟出身のボクシングのようです。
引退、退社に関する情報もありますね。2016年に亡くなられているようです。
金子繁治のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)金子 繁治(かねこ しげじ、1931年8月13日 - 2016年1月2日)は、日本の男性元プロボクサー、プロモーター。新潟県燕市出身。 「魅惑のパンチャー」の異名を持つ。全日本新人王決定戦を制したボクサーとして、初めてOBF東洋王座を獲得した。 現役時代は当時の世界フェザー級王者サンディ・サドラー(アメリカ合衆国)とノンタイトル戦で対戦したこともある。後の世界ジュニアライト級王者フラッシュ・エロルデ(フィリピン)に対しては4戦無敗と圧倒的な実力を示したが、網膜剥離を患い現役引退した。 現役時代は世界タイトルへの挑戦こそ叶わなかったが、引退後、金子ボクシングジムを設立、ジム初代会長として東洋バンタム級王者・村田英次郎や東洋太平洋クルーザー級王者・高橋良輔らを輩出している。 長男に金子ジム現会長の金子健太郎が、次男にマネージャー兼トレーナーの金子賢司がいる。 1950年4月、笹崎ボクシングジム所属でプロデビュー。1953年8月8日、ノンタイトル10回戦で後の世界王者フラッシュ・エロルデに判定勝ち。以後3戦し無敗であった。1953年8月29日、日本ライト級王座に挑戦。王者秋山政司に2回TKO負け。さすがに2階級上の王者には通用せず、以後はフェザー級に専念した。 1953年12月6日、東洋フェザー級王座に挑戦。王者ラリー・バターン(フィリピン)を4回KOに降し王座獲得。以後6度防衛。 1954年6月29日、東洋王座2度目の防衛戦。エロルデを10回判定で破り王座防衛。 1955年7月8日、世界フェザー級王者サンディ・サドラーとノンタイトル10回戦で対戦し、6回KO負けした。 1958年11月19日、ノンタイトル10回戦に2回TKOで勝利。しかし網膜剥離を発症したため、引退した。 1953年、殊勲賞、年間最高試合賞。 1954年、敢闘賞、年間最高試合賞。 1955年、最優秀選手賞。 1956年、最優秀選手賞、年間最高試合賞。 現役引退後は、後楽園スタヂアム内のボクシングジムにトレーナーとして勤務し、1963年12月、田辺ボクシングジムを設立し代表兼マネージャーを勤める。翌年12月同社を円満退社の後、1965年、東京都世田谷区・下北沢駅近くに金子ボクシングジムを開設し、数々の選手を育成した。 金子の弟子で有名なのは元東洋太平洋バンタム級チャンピオンの村田英次郎で、4度世界王座に挑んだが2分2敗で王座を獲得することは出来なかった。 また村田以外にもケビン・パーマー(元東洋太平洋ミドル級チャンピオン)、岩田健二(元日本ジュニアライト級チャンピオン)らを育てた。 2003年3月25日に、フィリピンのマニラで開催されたボクシングの年間表彰式に招待され、「第3回フラッシュ・エルロデ賞」を受賞した。受賞理由は、フラッシュ・エルロデと4度対戦し、4度勝利したことだった。この際、マニー・パッキャオも同じ賞を受賞しており、会場ではパッキャオとのツーショットが実現した。実の息子で金子ジム2代目会長の金子健太郎によれば、フィリピンの空港に着いたときから大歓迎され、サインを求められ、地元の新聞にも大きく掲載されたという。 2004年に会長職を長男である金子健太郎に禅譲し、名誉会長・プロモーターとして金子ジムを見守っていた。 2016年1月2日、進行性核上性麻痺のため死去。84歳没。 65戦54勝(33KO)10敗1分 ^ この時点では、東洋ボクシング連盟(OBF)が存在しない時期である為、当日の同連盟(OBF)の認定は無い。 ^ 「初代会長にニエト氏 東洋ボクシング連盟」『朝日新聞』1954年10月28日、(朝刊)第12版、6面。 ^ 「O・B・F(東洋ボクシング連盟)発足 初代会長には比国のニエト氏」『ボクシングガゼット』第30巻第12号、ガゼット出版社、1954年12月1日、10頁。 ^ 「リングサイド・ニュース」『ワールド・ボクシング』、日本スポーツ出版社 第22巻第5号 通巻253号、2003年5月15日発行、59頁。 ^ 金子繁治氏死去=金子ボクシングジム名誉会長、日本人初の東洋王者 時事通信 2016年1月2日閲覧 男子ボクサー一覧 東洋ボクシング連盟(OBF)王者一覧 日本アマチュアボクシング連盟 金子ボクシングジム 金子繁治の戦績 - BoxRec(英語) 1953年12月6日 - 1957年11月21日(返上) 表 話 編 歴 49 白井義男 50 白井義男 51 白井義男 52 白井義男 53 白井義男 54 (該当者なし) 55 金子繁治 56 金子繁治 57 (該当者なし) 58 矢尾板貞雄 59 (該当者なし) 60 高山一夫 61 (該当者なし) 62 ファイティング原田 63 海老原博幸 64 ファイティング原田 65 ファイティング原田 66 ファイティング原田 67 藤猛 68 西城正三 69 小林弘 70 小林弘 71 大場政夫 72 大場政夫 73 輪島功一 74 柴田国明 75 ガッツ石松 76 具志堅用高 77 具志堅用高 78 具志堅用高 79 具志堅用高 80 具志堅用高 81 三原正 82 渡辺二郎 83 渡辺二郎 84 渡辺二郎 85 渡辺二郎 86 浜田剛史 87 井岡弘樹 88 (該当者なし) 89 (該当者なし) 90 レパード玉熊 91 辰吉丈一郎 92 鬼塚勝也 93 勇利アルバチャコフ 94 薬師寺保栄 95 竹原慎二 96 川島郭志 97 辰吉丈一郎 98 畑山隆則 99 戸高秀樹 00 畑山隆則 01 徳山昌守 02 徳山昌守 03 徳山昌守 04 川嶋勝重 05 長谷川穂積 06 長谷川穂積 07 内藤大助 08 長谷川穂積 09 長谷川穂積 10 西岡利晃 11 西岡利晃 12 井岡一翔 13 山中慎介 14 井上尚弥 15 内山高志 16 山中慎介 17 村田諒太 18 井上尚弥 19 井上尚弥 20 井上尚弥 21 井上尚弥 22 井上尚弥 08 富樫直美 09 多田悦子 10 富樫直美 11 藤岡奈穂子・富樫直美 12 小関桃 13 藤岡奈穂子 14 小関桃 15 藤岡奈穂子 16 藤岡奈穂子 17 藤岡奈穂子 18 天海ツナミ 19 天海ツナミ 20 多田悦子 21 藤岡奈穂子 22 晝田瑞希 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。 日本の男子ボクサー 東洋太平洋ボクシング連盟王者 日本のプロボクシングプロモーター 新潟県出身の人物 1931年生 2016年没 2024/11/25 18:07更新
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kaneko shigeji
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