鈴木悦郎の情報(すずきえつろう) イラストレーター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鈴木 悦郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
鈴木悦郎と関係のある人
佐々木たづ: 童話集は三十書房より非売品として200部出版され、序文を武者小路実篤と坪田譲治が書き、挿絵を鈴木悦郎が描いた。 松本かつぢ: 田村セツコ、鈴木悦郎、上田トシコらが松本に師事している。 佐々木たづ: 『白い帽子の丘』鈴木悦郎絵、三十書房、1958年6月 佐々木たづ: 『らいねんはよい年』鈴木悦郎絵、ポプラ社〈ポプラ社の創作童話〉、1969年 佐々木たづ: 『白いぼうしの丘』鈴木悦郎絵、偕成社文庫、1976年 佐々木たづ: 『もちやくけむりとおじぞうさま』鈴木悦郎絵、実業之日本社〈創作幼年絵童話〉、1969年 吉沢久子: 『美しい日々のために 少女の日の生活設計』鈴木悦郎絵. 三十書房 1953 |
鈴木悦郎の情報まとめ
鈴木 悦郎(すずき えつろう)さんの誕生日は1924年1月20日です。
兄弟に関する情報もありますね。2013年に亡くなられているようです。
鈴木悦郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鈴木 悦郎(すずき えつろう、1924年(大正13年)1月20日 - 2013年(平成25年)8月5日)は、日本の画家、イラストレーター。本名は鈴木一郎。 雑誌『ひまわり』『それいゆ』などの挿絵、月刊絵本『ぎんのすず』、本の装幀、バレエ美術など幅広い分野で知られる。 1924年(大正13年)、東京浅草に父清五郎、母かねの6人兄弟の長男として生まれる。 1939年(昭和14年)、下谷商業学校中退後、絵の仕事がしたくて中原淳一を訪ねたことがきっかけとなり、麹町にあった淳一の店「ヒマワリ」で店番を1年ほどして過ごす。 1941年(昭和16年)、父が東宝舞台で大道具を担当していた縁で東宝舞台に入社。東京宝塚劇場の舞台背景の仕事につく。翌年からは太平洋戦争の関係で徴用され、蒲田で戦車の部品などを作る。 1944年(昭和19年)、陸軍に入隊。その後中国で捕虜になるが、余興のための舞台装置や衣装作成などに関わる。1946年(昭和21年)5月に復員後は東京宝塚劇場(当時は接収されアーニー・パイル劇場)の舞台背景を描く仕事に復帰する。 1946年(昭和21年)、雑誌『少女の友』で鈴木越郎として初めて挿絵を描く。のち『ソレイユ』、『ひまわり』にも挿絵を描く。この頃は、「一郎」または「越郎」の名前で描いていた。挿絵の仕事に本格的に取り組むため翌年2月、東宝舞台を辞職する。 1948年(昭和23年)、松本かつぢの紹介で少女雑誌『白鳥』『青空』『少女世界』にもカットを描く。さらに「鈴木悦郎」のペンネームを付けてもらう。 1950年(昭和26年)、猪熊弦一郎絵画研究所で絵画の基礎を学ぶ。それまでは独学であった。のち新制作派協会展に出品して入選。新制作派協会の仲間であった三岸節子、脇田和とも縁ができる。 1952年(昭和27年)、中村メイコの初の著書『小さな花の背のび』(ひまわり社)の装幀を手がける。この頃、『ぎんのすず』『チャイルドブック』といった児童雑誌、幼児、小学生向けの絵本、イラストなどの仕事が増える。また、文具、雑貨などのデザインも多く手がけるようになる。また、バレエの絵を描くためにバレエ団でレッスンを受け、その後にバレエ公演衣装や美術、ポスターなども多く手がけるようになった。 1957年(昭和32年)1月、寺山修司からの強い要望を受け、処女作品集『われに五月を』(作品社)の装幀を手がける。 1960年(昭和35年)、『家庭画報』『主婦と生活』『主婦の友』『平凡』などの雑誌のイラストを手がける。 1966年(昭和41年)、東京を離れて神奈川県大磯町に転居する。1974年(昭和49年)には神奈川県湯河原町に転居する。 1975年(昭和50年)、フランスのパリにあった水野正夫のアトリエに間借りして、1年間滞在。美術館やバレエ、オペラ鑑賞などに費やす。 1977年(昭和52年)、神奈川県真鶴町に転居。終の棲家となる。1979年(昭和54年)1月、膵臓壊死と診断され真鶴町の診療所に入院、半年後に回復して退院する。 1980年(昭和56年)6月、東京銀座の資生堂ギャラリーで第2回の個展を開催。この頃から挿絵から油彩画に活動を移していく。 1988年(昭和63年)、埼玉県の「あるぴいの銀花ギャラリー」で個展を開催。以降も6月と12月に「鈴木 悦郎 絵展楽」が毎年開催されることとなる。 2013年(平成25年)8月5日、死去。 子供の頃は初山滋、武井武雄の絵に憧れていた。 中原淳一、猪熊弦一郎、松本かつぢを3人の師と仰ぐ。 中原淳一とは最後の雑誌『女の部屋』の最終号まで仕事をした。 松本かつぢとの出会いは戦後まもなくで、その後長年にわたりつきあいがあった。また、松本かつぢの弟子、上田トシコ、田村セツコとの交流も深い。 野崎泉編 『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』 河出書房新社、2012年、ISBN 9784309727936 内田静枝編 『松本かつぢ 昭和の可愛い!をつくったイラストレーター』 河出書房新社、2006年、ISBN 9784309727516 鈴木悦郎先生コレクション - 公認ファンサイト。トップページにある「ようこそ。そしておかえりなさい」のフレーズは『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』の序文にも使われている。 ^ 『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』 河出書房新社、pp.94-109 ^ 『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』 河出書房新社、p.38 ^ 『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』 河出書房新社、p.39 ^ 鈴木 悦郎 絵展楽 2013冬 - SAITAMA アート GUIDE 100×α(2013年11月21日) - 埼玉県 県民生活部 文化振興課(2021年1月20日閲覧) ^ 『松本かつぢ 昭和の可愛い!をつくったイラストレーター』 pp.110-112、河出書房新社 ^ 『鈴木悦郎 詩と音楽の童画家』 河出書房新社、p.2 中原淳一 松本かつぢ 上田トシコ 田村セツコ 内藤ルネ ISNI VIAF WorldCat ドイツ アメリカ 21世紀日本の画家 平成時代の画家 20世紀日本の画家 昭和時代の画家 日本の男性イラストレーター 東京都出身の人物 1924年生 2013年没 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2024/11/21 04:48更新
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suzuki etsurou
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