青山ミチの情報(あおやまみち) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
青山 ミチさんについて調べます
■名前・氏名 |
青山ミチと関係のある人
星野哲郎: 青山ミチ 金井克子: 「バケイション/涙のハート(The Biggest Sin of All)」1962.11(SA-1012) A面はコニー・フランシスのカバー(コニー・フランシス(日本語盤)、青山ミチ、伊東ゆかり、弘田三枝子、安村昌子との競作)。 遠藤賢司: 1983年の『オムライス』以来、久々の作品リリースとなる本作は、青山ミチの「ミッチー音頭」のカバーであった。 湯川れい子: 青山ミチ 弘田三枝子: 他に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子らも同曲をカバーした。 湯川れい子: 同時期に青山ミチのヴァージョンのために日本語詞も書き、その日本語詞がのちに安西マリアに歌われることになる。 小杉仁三: 青山ミチ |
青山ミチの情報まとめ
青山 ミチ(あおやま みち)さんの誕生日は1949年2月7日です。神奈川出身の歌手のようです。
父親、母親、テレビ、姉妹に関する情報もありますね。2017年に亡くなられているようです。
青山ミチのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)青山 ミチ(あおやま みち、本名: 八木 フサ子〈やぎ ふさこ〉、1949年〈昭和24年〉2月7日 - 2017年〈平成29年〉1月)は、日本の元ポップ、ロック歌手。 代表曲に「涙の太陽」「ミッチー音頭」「叱らないで」「恋のゴーカート」「恋はスバヤク」などがある。 神奈川県横浜市出身。父親が在日米軍のアメリカ人兵(黒人と報じられることもあったが菊地史彦は白人と断定している)で母親が日本人(八木キミ子)。横浜中華街でバーを営んでいた母は育児のいとまがなく祖母に任せた。若いころ長唄などを習った経験を有する祖母は歌謡曲のファンであったので、歌の本を買い与えたりしたという。 1962年(昭和37年)3月、横浜のジャズ喫茶「テネシー」で素人ジャズコンテストがあり、祖母の同伴のもとこのコンテストに出場したところ3位で入賞した。このときコンテストを主催したプロダクション、エコープロの社長に「一位、二位と比べると日本人では出せない強烈なパンチをもっている」と見いだされ同プロから芸能界デビューを果たす。中学二年進級後夏休み中に「青山ミチ」の芸名を与えられ、『歌のカルテ』(NETテレビ)、『明治屋マイ・マイ・ショー』(フジテレビ)に出演、同年9月1日にはポリドール・レコード(日本グラモフォン、現・ユニバーサル ミュージック)と専属契約を結ぶ。契約直後ジャズ喫茶「新宿ACB」のステージで「カモナ・ダンス」を歌ったが、このときのライブ録音が同年12月発売のオムニバスLP「かっこいい十人」に収録されている。 単独でのレコードデビューは1962年(昭和37年)の「ひとりぼっちで想うこと」。当時は13歳で横浜市立港中学校の2年生だったが既に身長160センチメートル(cm)、バスト93cm、ヒップ90cmに達していた。 パワフルでパンチのある唄声で「ミッチー」の愛称で親しまれ、ジャンニ・モランディの曲をカバーした「恋のゴーカート」や、やはりカバー曲の「恋はスバヤク」などを発表した。また、1963年(昭和38年)には「ミッチー音頭」が、1965年(昭和40年)には、エミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が小ヒットした。1960年代後半には生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースにもなっている。 「風吹く丘で」の発売を控えた1966年(昭和41年)11月に覚醒剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズでヒット・後年、島谷ひとみによるカバーでもヒットした)。その後日本クラウンに移籍し活動を再開。1968年(昭和44年)には「叱らないで」を発表した。 1974年(昭和49年)3月に万引きで現行犯逮捕。当時はキャバレーの歌の営業で、月200万円ほどの収入があったとも報道された。1978年(昭和53年)10月には再び覚醒剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。その後、1999年にも3度目の覚醒剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。 その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがテレビ番組『あの人は今!?』の調査で判明した。また、アメリカに父方の彼女の異父姉妹に当たる姉がおり、2009年(平成21年)に妹のミチを捜し続けて、彼女の情報提供を呼びかけていた。 2017年(平成29年)1月、急性肺炎のため神奈川県横須賀市の自宅で死去。1月25日に親族が自宅を訪れたところ死亡しているのが発見された。67歳没。 スケバン・ロック(「カミソリQ子」名義) 若い樹々(1963年) 特別機動捜査隊 東京駅に張り込め(1963年) 七人の刑事 女を探がせ(1963年) 下町の太陽(1963年) 悪名波止場(1963年) クレージーの怪盗ジバコ(1967年) わが命の唄 艶歌(1968年) 進め!ジャガーズ 敵前上陸(1968年) 舶来仁義 カポネの舎弟(1970年) 野良猫ロック マシン・アニマル(1970年) バンカク 関東SEX軍団(1973年) ダイヤル110番(日本テレビ・讀賣テレビ) 白と黒(1962年、NET)- 宮本タマキ 役 特別機動捜査隊 第169話「春遠からじ」(1965年、NET) ^ “歌手の青山ミチさんが死去…「ミッチー音頭」”. 読売新聞社. (2017年2月8日). オリジナルの2017年2月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20170210164539/http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170208-OYT1T50003.html?from=yartcl_blist ^ 菊地史彦 (2014年1月31日). “[2]第1章「忘れられた歌姫――青山ミチの存在と闘い(2)」”. 論座. 朝日新聞社. 2022年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月10日閲覧。 ^ 「私は13歳!青山ミチよ!!...この"戦争の落とし子"青山ミチがデビューするまでをたどってみると-」『週刊平凡』1962年9月6日号、平凡出版、1962年9月、国立国会図書館書誌ID:000000010808-d1851285。 ^ 『週刊現代』1962年9月2日号、講談社、1962年、、国立国会図書館書誌ID:000000010743-d3371181。 ^ “Lifelines back to the 1900s”. ジャパンタイムズ (2009年1月20日). 2018年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月30日閲覧。 ^ 青山ミチさん、急性肺炎のため死去…代表曲に「涙の太陽」など - SANSPO.COM、2017年2月9日 ^ 文化ジャーナル(平成19年3月号) ■長谷邦夫さん インタビュー、北島町。 ^ あの幻の「まんがNo.1」が今蘇る!?、赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ!!、2006年9月26日。 安西マリア エミー・ジャクソン MusicBrainz 日本の女性歌手 ユニバーサルミュージックジャパンのアーティスト 日本クラウンのアーティスト アメリカ系日本人 横浜市出身の人物 1949年生 2017年没 出典のページ番号が要望されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事
2025/01/28 13:46更新
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aoyama michi
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