弘田三枝子の情報(ひろたみえこ) 歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
弘田 三枝子さんについて調べます
■名前・氏名 |
弘田三枝子と関係のある人
大野雄二: 劇伴のジャンルで名を馳せた大野だが、弘田三枝子・ソニア・ローザといった歌手のプロデュースも手がけ、成功を収めている。 久里洋二: 25.ちびっこカウボーイ / 弘田三枝子、ひばり児童合唱団 久里洋二: 9.デビークロケットの歌 / 弘田三枝子△ 大野雄二: 弘田三枝子 岩井直溥: 1959年に東芝イーエムアイの専属となり、尾藤イサオ、山下敬二郎、森山加代子、弘田三枝子、スリーファンキーズなどの作曲、編曲を手がけた。 小泉フサコ: 弘田三枝子物語 ミコちゃん(S37夏の増刊号)なかよし 金井克子: 「バケイション/涙のハート(The Biggest Sin of All)」1962.11(SA-1012) A面はコニー・フランシスのカバー(コニー・フランシス(日本語盤)、青山ミチ、伊東ゆかり、弘田三枝子、安村昌子との競作)。 桜井センリ: 「明日をみつめて」(弘田三枝子、1963年) 畠山みどり: 昭和40年代からはタレント/実業家としての活躍が目立ち、1970年にはベストセラーになった弘田三枝子のダイエット本「ミコのカロリーBook」に触発され出版した「みどりの6時間絶食法」、1975年には紅茶キノコ健康法が脚光を浴びる。 岩谷時子: ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』、岸洋子『夜明けのうた』、弘田三枝子、中尾ミエ『夢見るシャンソン人形』、沢たまき『ベッドで煙草を吸わないで』、園まり『逢いたくて逢いたくて』、加山雄三『君といつまでも』、佐良直美『いいじゃないの幸せならば』、ピンキーとキラーズ『恋の季節』などの、数多くのヒット曲を生み出してきた。 寺川正興: 弘田三枝子 ミラクルひかる: 弘田三枝子 栗本修: 作曲家、編曲家、キーボーディストとして、C&K、松本英彦、加山雄三、MALTA、NOKKO、田村直美、ジミー竹内、長嶺ヤス子、ミッキー・カーチス、尾崎豊、小坂忠、弘田三枝子、マルシア、島袋寛子らのライブやレコーディングに参加している。 島本真衣: トットちゃん!(2017年) - 弘田三枝子 桜井センリ: 作曲家としての活動歴があり、スリーファンキーズのシングル盤「ナカナカ見つからない」、弘田三枝子のシングル盤「明日をみつめて」(2曲とも作詞は青島幸男)の作曲を本名の桜井千里名義で担当している。 川口真: 1969年に「人形の家」(弘田三枝子)で本格的に作曲家としてデビュー。 竹内まりや: 音楽的な原点は、1960年代のニール・セダカやデル・シャノンなどの欧米ポップスの作品、弘田三枝子や坂本九、ザ・ピーナッツなど日本人歌手が訳詞して歌っていたオールディーズ、吉田拓郎。 久里洋二: 22.すてきな夢を / 弘田三枝子、東京放送児童合唱団▲ 小西康陽: 弘田三枝子 草野浩二: 弘田三枝子 長良じゅん: 雪村いづみ、浜村美智子、弘田三枝子、山田真二、水原弘といった大物スターのマネージャーを担当した。 小林亜星: レナウン『ワンサカ娘』/弘田三枝子/シルヴィ・ヴァルタン(CM出演もしている)、『イエ・イエ』/朱里エイコ ※編曲も手がけた。 ジリオラ=チンクェッティ: また、伊東ゆかり、弘田三枝子などの日本人歌手が彼女の曲をカヴァーしている。 小林亜星: 出世作のレナウンのコマーシャルソング「ワンサカ娘」(歌:弘田三枝子)は、当時レナウンの宣伝部に在籍していた実妹(川村みづえ:イエイエのCMのイラストは川村の作品)の紹介で実現したという。 久里洋二: 26.ママとゴーゴー / 弘田三枝子、杉並児童合唱団△ 久里洋二: 29.アマリリス / 弘田三枝子、シンギングエンジェルス 寺川正興: MIEKO IN PERSON~弘田三枝子リサイタル(2枚組のうち1枚目のみ) 土方隆行: 弘田三枝子 AL『TOUCH OF BREEZE』(1983年)ギター コニー=フランシス: 世界各国でヒット曲がカバーされており、日本では弘田三枝子や中尾ミエなどがカバーしヒットしたことで知られる。 合田道人: その後、伊藤の「ラスト・メール」、倍賞千恵子「お月様と影ぼうし」、クミコ「誰のための愛」、弘田三枝子「悲しい恋をしてきたの」などの作曲を担当する。 |
弘田三枝子の情報まとめ
弘田 三枝子(ひろた みえこ)さんの誕生日は1947年2月5日です。東京出身の歌手のようです。
結婚、テレビ、子役、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2020年に亡くなられているようです。
弘田三枝子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子〈たけなが みえこ〉、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2020年〈令和2年〉7月21日)は、日本のポップス、歌謡歌手。愛称は「MICO(ミコ)」、「(パンチの)ミコちゃん」。 歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。後のミュージシャン(都はるみ、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた。 世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り、幼稚園の頃FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。母の協力のもと、7歳の頃から自らの意思でティーブ・釜萢の「日本ジャズ学校」に週1回バスで通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、8歳から進駐軍のキャンプで歌っていたともいい、駒沢学園女子中学校の1年生の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌っていた。曲を提供されて自分の世界にもっていくために、家での練習(本人曰く「小稽古」)の際、歌詞を理解してメロディーを体に入れてから(本人曰く「儀式」)、自ら考案した記号を譜面に記載したうえで、自ら歌唱したテープを確認し歌をものにしたうえで収録に臨んだという。この儀式は、レコードデビューからラストシングル収録まで続けられたという。 1961年に東芝音楽工業から、草野浩二担当のもと、「和製ブレンダ・リー」のキャッチフレーズをうたい「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビュー(草野の兄である漣健児訳詞)。当時14歳。翌1962年には各社競作で出された「ヴァケーション」(コニー・フランシスのカバー)が20万枚のヒットを記録する。他に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子らも同曲をカバーした。青山版は3万枚の小ヒットだった。同年NHK紅白歌合戦に初出場。1973年の森昌子に破られるまで紅組最年少出場記録保持者であった。1964年1月に11年ぶり2度目の来日を果たしていたエラ・フィッツジェラルドの楽屋を訪ねた際、エラから直々に「養女にしたい」とまで言われている。 1964年10月に日本コロムビアへ移籍。新幹線で移動中、グレンミラー楽団を引き連れ来日していた当時のニューポート・ジャズ・フェスティバルを主催していたジョージ・ウエインと出会い、「小さな日本のジャズシンガー」と紹介された弘田に興味を持ったウエインは、後日東京のスタジオを借り、自らの伴奏で何曲か歌唱・録音させた。その結果、1965年7月に、東洋人歌手として初めてアメリカ合衆国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に招待され、ビリー・テイラー・トリオのゲスト・ヴォーカリストとして出演した。3日目の夜、降雨による中断の後、ビリー・テイラー・トリオにトニー・スコットが加わったカルテットをバックに「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス (Just One of Those Things)」、「ミスティ (Misty)」、「ムーン・リバー (Moon River)」、「マック・ザ・ナイフ (Mack the Knife)」と、「三階節」のジャズ編曲版を歌い、トリを務めた。その足でニューヨークに渡り、譜面の中から、ボビー・ヘブに先んじた「サニー(Sunny)」等のオリジナルジャズを、自ら選んで録音し、ビリー・テイラー・トリオ演奏のもと(トニー・スコットはプロデューサーに徹した)アルバム「ニューヨークのミコ」を制作した。 2か月ほど渡米・渡欧。その成果として1968年5月30日にはリズム・アンド・ブルースのコンサートをサンケイホールにて開き、ライブアルバムを制作し、日本におけるリズム・アンド・ブルースの先駆けとなった。 弘田は、60年代前半あたりまでは好調を保っていたが筒美京平らが曲を提供したにもかかわらず、それ以後のGSブームなどには完全に乗り遅れてしまった。60年代初頭のアメリカン・ポップスやオールディーズを歌う歌手という古いイメージを払拭し、カムバックを果たしたのが川口真作曲の「人形の家」である。弘田は1969年10月20日、「人形の家」でオリコンチャート首位となり、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。他方、1966年に雑誌スイングジャーナルの人気投票「ジャズ・ヴォーカル女性歌手」部門でトップに立ち(1970年まで5年連続。それまでのトップはマーサ三宅。)、小規模なジャズライブを中心に活動していた弘田が、カムバックという形で再度表立った活動を始めたことに対して、コアなジャズファンから、ジャズイベントの楽屋などで「弘田三枝子は堕落した」と言われたという。 海外での活躍としては、1973年、第11回チリ・ポピュラー音楽フェスティバルで5位に輝き、同年、第13回ブルガリア音楽祭(en:Golden Orpheus)にゲストとして招待され、50分ほどのワンマン・ショーを披露した。 カムバックに際し、弘田はダイエットによる大幅な減量をしていたが、この経験も踏まえ1970年に『ミコのカロリーBOOK』を出版した。この本はベストセラーとなり「芸能人のダイエット本の先駆け」、「タレントダイエット本の元祖」と評され、150万部を超えたともいわれる。同年のベストドレッサー賞を受賞した。この後、イヴ・サン=ローランとタイアップしていき、ファッションリーダーとしても活躍していくこととなった。 後の2019年11月28日にNHKで放送された「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」の「ストレスの原因?単位のお名前」の回において、「カロリー」という言葉を日本に普及させた人物として紹介された。 その後、渡米し1977年にはニューヨークでアルバム『Mieko In New York』を自主制作、さらに当地で結婚、娘を出産して母となったが、1979年9月に帰国して歌手活動を再開し、1980年には自ら作曲したシングル「ミスターシャドー」を東芝EMIから発売した。 1983年にはキングレコードへ移籍し、アルバム『TOUCH OF BREEZE』やシングル「愛のNOKORIGA」などを発表する。 2006年にレコードデビュー45周年を迎え、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売。「Everything」「接吻」「SWEET MEMORIES」「いとしのエリー」 「駅」など、はじめて日本の楽曲をカバーした。ジャマイカでツインズ=スライ&ロビーと初めてのレゲエを吹き込む。 2015年10月21日、レコードデビュー55周年記念として32年ぶりの新曲「悲しい恋をしてきたの」を発売。ボーナス・トラックに「人形の家」のピアノバージョンを収録した。 2020年7月20日、千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されるも、翌21日午後10時31分、心不全のため73歳で死去。葬儀は親族のみで密葬として行い、6日後の27日に訃報が発表された。同年はレコードデビュー60周年にあたり、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していたが、新型コロナウイルス感染拡大で「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていたという。同年6月15日に公開されたYouTubeでの日本歌手協会リレー歌謡祭第46弾での電話での自身の曲紹介(「人形の家」)が公の場での最後の肉声となった。同年1月2日に「日本歌手協会新春12時間歌謡祭【第4部】」内で放送され、2019年11月12日に開催された第46回日本歌手協会歌謡祭夜の部での「夢みるシャンソン人形」が最後のテレビ出演に、同年12月8日の名古屋市の星神社で催された御本殿竣功奉告祭が最後のライブになった。 2020年11月20日、第62回日本レコード大賞特別功労賞受賞。 小説家の小林信彦は、「戦後の17年は無駄ではなかった」「大天才」と、弘田に賛辞を贈った。 1991年発行の評論本『日本のポピュラー史を語る』(村田久夫・小島智著)によれば、「西洋のリズム・メロディラインと日本語の言語としての伝達能力の問題を克服する手段として、英語っぽい日本語を考え出した」と評価されている。 ポップスやジャズなどジャンルの垣根を超えた歌声を評価された反面、歌唱スタイルの変化に対して好意的ではない見解を示す向きもあった。 1970年代後半以降はヒット曲が出なかったことなどから、活動後期は小規模のライブがメインでメディア露出が減っていた。そのため、訃報時にテレビ局の若手制作者がその存在をよく知らず、話題として取り上げない判断をしたワイドショーもあった。取り上げたスポーツ紙等も、スキャンダルを前面に押し出す内容がほとんどを占めた。追悼メッセージを寄せた人物もほぼ60歳代以上に限られた。 山下達郎は、「戦後最高の力量をもつシンガーのひとりの方でございますのに、こんなご時世もあってでしょうかね、メディアにはほとんどのぼりません。ホントに残念なことであります」と追悼するメディアが少ないことを残念がり、『悲しきハート』については、オリジナル歌手のスーザン・シンガーよりも「はるかにすぐれたバージョン。16歳とは思えない素晴らしい歌唱力」と絶賛している。 桑田佳祐「存在自体がポップ。ビート感満載のポップスで笑顔・ダンスをテレビ画面いっぱいに表現していた。チャーミングでみんなの憧れでとにかくナンバーワンだった。(一連のカバー曲は)明るい未来へ向かうアンセムのようだった」 中尾ミエ「同時期にデビューした戦友。すごいパワーで、この人にはかなわないと思った。『人形の家』からはパンチがなくなった」 菊地史彦「もし弘田三枝子がいなければ、戦後ポップスはひどくつまらなかっただろう」 このような弘田に対する訃報時のマスメディアの対応に対し、何のリスペクトもない、と業を煮やした都築響一は、自身の番組「SUPERDOMMUNE 『都築響一のスナック芸術丸』」にて、2020年8月13日に7時間にもわたる追悼特番を組んだ。 ピチカート・ファイヴ
『REMIXES 2000』収録曲『パーフェクト・ワールド(A night at Organ b. MIX)』(2000年3月18日)作詞・作曲:小西康陽。原曲はピチカート・ファイヴが1999年10月21日に発売したシングル。アップテンポな原曲を須永辰緒がジャズにアレンジ。 ※ 記載なしはステレオ録音。 ※ 小西康陽、Fantastic Plastic Machineなど参加したミニアルバム。 1966年3月17日・都市センターホールにて収録。A面 オープニング・テーマ 虹の彼方に〜スワニー ジョージア・オン・マイ・マインド スターダスト アレクサンダース・ラグタイム・バンド B面 マック・ザ・ナイフ ムーン・リヴァー サイド・バイ・サイド アイヴ・ガッチュー・アンダー・マイ・スキン 捧ぐるは愛のみ 聖者の行進 ボーナス・トラック リスペクト(「全日本ジャズ・フェスティバル'69」より) ムいそしぎ(「全日本ジャズ・フェスティバル'69」より) 1968年5月30日・サンケイホールにて収録。A面 Twinkie Lee I Can't Stop Loving You Sunny Massachusetts A Hard Day's Night B面 Lady Madonna By The Time I get To Phoenix If You Can Want Respect What'd I Say 1969年7月16日・京都会館第1ホールにて収録。A面 Knock On Wood Sitting On The Dock Of The Bay Since You've Been Gone Love Child Someone To Watch Over Me Comin' Home Baby B面 Chain Of Fools Cotton Fields Oh Happy Day Black Is Black Hold On, I'm Comin' 1971年12月・クラブ“リヴィエラ"にて収録。A面 On A Clear Day On The Sunny Side Of The Street Alfie - A House Is Not A Home It's Too Late B面 Never Can Say Good-Bye Hallo Young Lovers Hallo Dolly Mack The Knife Proud Mary On A Clear Day 1972年12月22日・クラブ“リヴィエラ"にて収録。A面 Openning Theme This Could Be The Start Of Something Big I Want To Be Happy When I Fall In Love Can't Take My Eyes Of You For Once In My Life B面 Theme From Shaft Be My Baby My Guy My Way You're Nobody Till Somebody Loves You Over The Rainbow 1973年ブルガリア音楽祭にゲスト出演した模様を収録。A面 This Could Be The Start Of Something Big On A Clear Day (You Can See Forever) Creazy For Me B面 On Sunny Side Of The Street Mackie Messer My Way 1976年5月11日・中野サンプラザにて収録。A面 On A Clear Day The Nearness Of You I Get A Kick Out Of You Madley
Days Of Wine And Roses Killing Me Softly With His Song B面 悲しき片想い~子供じゃないの~想い出の冬休み~ひとつぶの真珠~かっこいいツイスト~ビー・マイ・ベイビ~ヴァケーション 渚のうわさ~枯葉のうわさ~涙のドライヴ~人形の家 Satin Doll Who Can I Turn To C面 I Can't Give You Anything But Love Misty Cute She's Funny That Way D面 Love Machine Sweet Love My Funny Valentine For Once In My Life 熱烈なミコ・ファンを自認する北九州の高野啓一氏によるプロデュースで、高野氏の自費により僅かに制作され、その内容の良さからネット・オークションでは1万円近い価格で取引されるプレミア盤だったライヴ盤。2008年にマスター・テープのクリーニング、ミキシング、リマスタリングを新たに施し、ライヴのリアル感を前面に出した高音質盤として再リリース。 Teach me tonight (7:29) On a clear day (3:10) someone to watch over me (6:34) bye bye blackbird(4:12) a woman am I (12:28) Im In The Mood For Love (4:56) Chattanooga choo choo (5:17) stardust (6:55) this is swing (6:55) 既発の「ミコ・イン・コンサート」「ミコR&Bを歌う 第2集」を2枚セットにしたもの。
A面 悲しきハート 想い出の冬休み 渚のデイト カモン・ダンス リトル・ミス・ロンリー すてきな16才 子供じゃないの B面 悲しき片想い バケーション 月影のレナード 明日を見つめて 寝不足なの 星影で愛して マック・ザ・ナイフ A面 ダンケ・シェーン アレキサンダース・ラグタイム・バンド 悲しきハート ひとつぶの真珠 気ンなるあいつ おてもやん ブルージン・ブルース B面 私のベイビー 涙のゴスペル ティーンエイジ・クレオパトラ ゆるしてゆるして 渚のデイト シング・シング・シング オーバー・ザ・レインボー A面 子供じゃないの ヴァケーション 渚のデイト 想い出の冬休み 私のベイビー(ビー・マイ・ベイビー) ダンケ・シェーン 踊り明かそう B面 砂に消えた涙 ナポリは恋人 可愛いマリア 夢見るシャンソン人形 ロック・アンド・ロール・ミュージック 渚のうわさ 枯葉のうわさ A面 人形の家 3:13 渚のうわさ 3:05 枯葉のうわさ 2:40 可愛い嘘 3:08 風とオトコノコ 2:26 あなたがいなくても 3:03 B面 私が死んだら 3:15 渚の天使 2:16 涙のドライブ 3:06 悲しみの足音 2:50 さざ波のバラード 3:05 鏡の中の天使 2:43 A面 Aquarius Ballade Of Doll's House The Ballade Of John And Yoko Time Of The Season Love Me Tonight In The Year 2525 B面 La Pioggia Nothing To Hide Get Back Sitting On The Dock Of The Bay Honky-Tonk Women Goodbye A面 燃える手 私が死んだら 渚のうわさ 可愛い嘘 風とオトコのコ 鍵を捨てたの B面 人形の家 枯葉のうわさ 渚の天使 さざ波のバラード 鏡の中天使 あなたがいなくても C面 子供じゃないの ヴァケイション ナポリの恋人 踊り明かそう ビー・マイ・ベイビー 砂に消えた涙 D面 Stardust Someone To Watch Over Me Comin' Home Baby Mack The Knife A面 ロダンの肖像 燃える手 私が死んだら 渚のうわさ あなたがいなくても 恋愛専科 人形の家 B面 砂に消えた涙 ヴァケーション 可愛いマリア 夢みる想い 500マイル 夢みるシャンソン人形 ナポリは恋人 A面 人形の家 私が死んだら 涙のドライブ できごと バラキのテーマ 燃える手 ロダンの肖像 B面 渚のうわさ 枯葉のうわさ 可愛いマリア 誘惑 危険な関係 都会の女 花の咲く朝 A面 Heart Fluttering Your Lipstick A Woman's Habit Butterfly Rain Lonely Sea Morning When Flowers Bloom Dangerous Relationship Let's Throw It Away In This Vast Sky B面 Rumors Of The Beach Rumors of dead leaves Drive Of Tears Cute Lie 人形の家 When I Die Burning Hand Portrait Of Rodin A面 UP JUMPED SPRING SATIN DOLL BUT NOT FOR ME THE SECOND TIME AROUND I WANT TO BE HAPPY B面 THE NEARNESS OF YOU RUBY POOR BUTTERFLY BODY AND SOUL A面 絵空事 胸さわぎ この大空に捨ててしまおう ロダンの肖像 私が死んだら 後悔 B面 渚のうわさ 枯葉のうわさ 涙のドライブ 渚の天使 可愛い嘘 人形の家 C面 想い出の冬休み 夢見るシャンソン人形 私のベイビー ナポリは恋人 子供じゃないの 砂に消えた涙 D面 帰り来ぬ青春 マイ・ボーイ レット・イット・ビー・ミー 哀しみのソレアード マスカレード 追憶 人形の家 渚のうわさ 枯葉のうわさ 涙のドライブ 渚の天使 可愛い嘘 私が死んだら 燃える手 ロダンの肖像 都会の女 花の咲く朝 蝶の雨 胸さわぎ 絵空事 ヴァケーション 子供じゃないの 砂に消えた涙 夢見るシャンソン人形 踊り明かそう 君住む街 ナポリは恋人 可愛いマリア 私のベイビー 渚のデイト 想い出の冬休み アイドルを探せ セイラー・ボーイ 夢みる想い ほほにかかる涙 胸さわぎ あなたの口紅 女の癖 蝶の雨 ひとりぼっちの海 花の咲く朝 危険な関係 この大空に捨ててしまおう 渚のうわさ 枯葉のうわさ 涙のドライヴ 可愛い嘘 人形の家 私が死んだら 燃える手 ロダンの肖像 子供じゃないの 悲しき片思い ハロー・メリー・ルー カモン・ダンス すてきな16才 ヴァケーション リトル・ミス・ロンリー 想い出の夏休み 悲しきハート 月影のレナート 渚のデイト 私のベイビー ダンケシェーン 涙のゴスペル ブルージーン・ブルース 寝不足なの ひとつぶの真珠 ティーンエイジ・クレオパトラ ゆるしてゆるして マック・ザ・ナイフ オーバー・ザ・レインボー ヴァケーション 子供じゃないの ひとつぶの真珠 Medley:リトル・ミス・ロンリー ~夢のスウィート・ホーム 想い出の冬休み 悲しき片想い ワン・ボーイ 渚のデイト 砂に消えた涙 Medley:涙のドライヴ ~渚のうわさ ~枯葉のうわさ 悲しきハート すてきな16才 私のベイビー 雪色のサンバ 別離 Wa・Ka・Re 思い出して 雪色のサンバ (Portuguese Version) 女の癖 3:00 蝶の雨 4:01 花の咲く朝 3:33 この大空に捨ててしまおう 2:53 渚のうわさ 3:13 枯葉のうわさ 2:47 涙のドライヴ 3:11 可愛い嘘 3:13 人形の家 3:16 私が死んだら 3:20 燃える手 2:58 ロダンの肖像 3:05 渚のうわさ 風とオトコのコ 枯葉のうわさ 悲しみの足音 涙のドライヴ さざ波のバラード 渚の天使 恋のエンジェル・ベイビー 可愛い嘘 砂に埋めた手紙 燃える手 鍵を捨てたの ダンシィング・セブンティーン ヴァケーション 子供じゃないの MEDOLEY ひとつぶの真珠05想い出の冬休み 悲しき片想い メドレー:リトル・ミス・ロンリー~夢のスウィート・ホーム 渚のデイト 悲しきハート 別離 砂に消えた涙 メドレー:涙のドライヴ~渚のうわさ~枯葉のうわさ すてきな16才 ワン・ボーイ 私のベイビー スマイル ※ 歌手生活40周年記念企画盤 DISC1:シングルズ(Vol.1) はじめての恋人 (1964.12.20/SAS-432/A) ナポリは恋人 (1965.2.5/SAS-434/A) 可愛いマリア (1965.4.10/JPS-1/A) 太陽の海 (1965.5.25/JPS-7/A) 夜の太陽 (1965.8.10/JPS-11/A) 恋のクンビア (1965.8.20/JPS-12/A) 道* 1965.10.10 (JPS-21/-A) ホワイト・クリスマス* (1965.10.20/JPS-22/A) バイ・バイ・ブロンディ* (1965.11.25/JPS-27/A) スーベニールス* (1966.2.10/JPS-30/A) 愛のゴーゴー (1966.3.20/JPS-38/A) 瞳の中の私* (1966.5.20/JPS-42/A) 夜明けの海* (1966.6.20/JPS-45/A) 砂に消えた涙 (1964.12.20/SAS-432/B) レッツ・ゴー・ベイビー (1965.2.5/SAS-434/B) 君に涙とほゝえみを (1965.4.10/JPS-1/B) 夕陽のなぎさ* (1965.5.25/JPS-7/B) 夢みるシャンソン人形 (1965.8.10/JPS-11/B) ジングル・ベル* (1965.10.20/JPS-22/B) 別離 (1965.11.25/JPS-27/B) そよ風に乗って (1966.2.10 /JPS-30/B) 砂の上のひめごと* (1966.3.20/JPS-38/B) 悲しみは空の彼方に* (1966.5.20/JPS-42/B) 夢みる乙女* (1966.6.20/JPS-45/B) DISC2:シングルズ(Vol.2) 恋はノン・ストップ* (1966.10.10/SAS-791/A) 世界の国からこんにちは (1967.3.5/SAS-869/A) 黒いブーツと皮ジャンパー* (1967.4.1/SAS-879/A) 南国の愛の星* (1967.6.1/SAS-907/A) 渚のうわさ (1967.7.10/P-1/A) 枯葉のうわさ (1967.11.1/P-3/A) 春風のうわさ* (1967録音/未発表) 涙のドライヴ (1968.3.15/P-10/A) 渚の天使 (1968.7.1/P-24/A) 可愛い嘘 (1968.9.15/P-37/A) 虹に瞳を* (1968.12.1/P-46/A) 人形の家 (1969.7.1/P-65/A) 私が死んだら (1969.12.10/P-79/A) 燃える手 (1970.4.25/P-89/A) ロダンの肖像 (1970.8.25/P-97/A) ロダンの肖像*(別アレンジ) (1970録音/未発表) 若さが燃えてる* (1967.3.5/SAS-869/B) 帰らぬ少年兵* (1967.4.1/SAS-879/B) どうすりゃいいの* (1967.6.1/SAS-907/B) さざ波のバラード (1968.3.15/P-10/B) あなたがいなくても* (1969.7.1/P-65/B) 恋愛専科* (1970.8.25/P-97/B) DISC3:シングルズ(Vol.3) できごと* (1970.12.15/P-108/A) バラの革命 (1971.3.10/P-114/A) 裏庭の出来事* (1971.11.10/P-150/A) 美しかった場所* (1972.4.10/P-169/A) 都会の女 (1972.9.25/P-182/A) バラキのテーマ* (1972.12.10/P-205/A) 花の咲く朝 (1973.4.10/P-217/A) 蝶の雨 (1974.4.1/P-339/A) 女の癖 (1975.2.25/P-392/A) 胸さわぎ (1975.10.1/P-429/A) 絵空事 (1976.5.1/P-455/A) 川の向こうに* (1977.1.1/PK-39/A) マイ・メモリィ* (1977.7.1/PK-68/A) ささやき* (1970.12.15/P-108/B) 恋人時代* (1971.11.10/P-150/B) ダニエルとマリアのテーマ* (1972.12.10/P-205/B) 後悔* (1976.5.1/P-455/B) 『ドーベルマン刑事』のテーマ* (1977.7.1/PK-68/B) ミスターシャドー* (1980.9.5/ETP-17010/A/東芝EMI) 愛のNOKORIGA (1983.3.21/K07S-389/A/キング) O-KAY* (1983.9.21/K07S-478/A/キング) DISC4:ライヴ トラックス トゥインキー・リー* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) 愛さずにはいられない* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) サニー* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) マサチューセッツ* (1968.9./JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) ハード・デイズ・ナイト* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) レディ・マドンナ* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) バイ・ザ・タイム・アイ・ゲット・トゥ・フェニックス* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) イフ・ユー・キャン・ウォント* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) リスペクト* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) ホワッド・アイ・セイ* (1968.9.1/JPS-5155/ミコ R&Bを歌う) メドレー:虹の彼方に~スワニー* (1966.9.10/JPS-5093/ミコ・イン・コンサート) アレクサンダース・ラグタイム・バンド* (1966.9.10/JPS-5093/弘田三枝子リサイタル) 懐メロメドレー* (1976.7.25/PP-7007~8/弘田三枝子リサイタル)
歌謡曲メドレー* (1976.7.25/PP-7007~8/弘田三枝子リサイタル)
ラヴ・マシン* (1976.7.25/PP-7007~8/弘田三枝子リサイタル) スマイル* (1998録音/未発表) DISC5:ベスト トラックス ~ミコ カバーをうたう 子供ぢゃないの (1968.2.10/JDX-10/Pops De Luxe Series) ヴァケーション (1968.2.10/JDX-10/Pops De Luxe Series) 渚のデイト (1968.2.10/JDX-10/Pops De Luxe Series) 想い出の冬休み (1968.2.10/JDX-10/Pops De Luxe Series) 私のベイビー (1968.2.10/JDX-10/Pops De Luxe Series) ダンケ・シェーン* (1968.2.10/JDX-10/Pops De Luxe Series) 踊り明かそう* (1965.3.20/JPS-5029/ヒット・キット・ミコ[第1集]) アイドルを探せ (1965.3.20/JPS-5029/ヒット・キット・ミコ[第1集]) アイム・カミン・ホーム・ベイビー (1966.1.20/JPS-5072/ニューヨークのミコ) ロック・アンド・ロール・ミュージック* (1966.11.5/JSS-56/ロック・アンド・ロール・ミュージック) トゥナイト* (1967.4.1/JPS-5110/ミコ・ミュージカルを唄う) 慕情* (1967録音/未発表) 西暦2525年* (1970.4.25/JPS-5203/弘田三枝子'70) 悲しき片想い (1970.10.10/PSS-10029/ポピュラーヒット25年史 vol.3) ヴィーナス (1970.10.10/PSS-10030/ポピュラーヒット25年史 vol.4) 恋よ さようなら* (1971.7.25/JDX-52/ミコより愛をこめて) ラヴ・ミー・トゥナイト* (1971.7.25/JDX-52/ミコより愛をこめて) マイ・ウェイ* (1972.6.25/JDX-76/弘田三枝子の世界) イエスタデイ・ワンス・モア* (1974.2.25/JDX-7018/イエスタデイ・ワンス・モア) 風に吹かれて* (1966.7.10/JSS-53/ミコ・フォークを唄う) 悲惨な戦争* (1967.4.1/JSS-62/ミコ・フォークを唄う 第2集) いそしぎ* (1969.12.10/PSS-10005~6-J/全日本ジャズ・フェスティバル'69) DISC6:アラカルト レオのうた (1965.12.10/SCS-1/ジャングル大帝) アイウエオ マンボ* (1966.6.20/SCS-2/ジャングル大帝) たまごの赤ちゃん* (1966.6.20/SCS-2/ジャングル大帝) ジャングル工事* (1966.6.20/SCS-2/ジャングル大帝) ぼくに力をおとうさん* (1966.6.20/SCS-2/ジャングル大帝) パのパのうた* (1966.9.20/SCS-8) ドロップスの歌* (1966.10.20/KKS-4002/みんなのうた) デビークロケット* (1966.10.20/KKS-4002/みんなのうた) 涙のひとりごと* (1965.11/CSA-1502/ミコのヒット・アルバム[コロシート]) シェーク・アンド・ロール* 1967.12.1/JSS-70/渚のうわさ[コンパクト]) アメリカ通いの白い船* (1970.6.25/ALS5119/あのころの歌 今日の歌) 水鳥* (1970.6.25/ALS5119/あのころの歌 今日の歌) 愛の翼* (1970録音/未発表) 別ればなし* (1972.12.10/JDX-92/愛の歌) この大空に捨ててしまおう (1972.12.10/JDX-92/愛の歌) レッツ・ゴー・ベイビー(英語)* (1967録音/未発表) 人形の家(英語)* (1970.4.25/JPS-5203/弘田三枝子'70) コマソン・スペシャル
アスパラでやり抜こう (1963録音) 日石シルバーゴールドの歌 (1962録音) ダイキンの歌 (1962録音) ネスカフェ43粒スプーンに一杯 (1962録音) ルックチョコレートの歌 (1963録音) レナウンワンサカ娘 (1964録音) サッポロライト (1970録音) 可愛い嘘 涙のドライヴ ロダンの肖像 人形の家 蝶の雨 私が死んだら 渚のうわさ DISC-1 砂に消えた涙 はじめての恋人 ナポリは恋人 レッツ・ゴーベイビー 可愛いマリア 太陽の海 夕陽のなぎさ 夜の太陽 夢みるシャンソン人形 恋のクンビア 愛の言葉を 道 ほゝえみを忘れないで バイ・バイ・ブロンディ 別離 スーベニールス そよ風に乗って 愛のゴーゴー 瞳の中の私 夢みる乙女 帰ってね、きっと 世界の国からこんにちは レオのうた 子供ぢゃないの ヴァケーション <ボーナス・トラック>ダーリン・オブ・ディスコティック DISC-2 渚のうわさ 枯葉のうわさ 涙のドライブ 渚の天使 可愛い嘘 人形の家 私が死んだら 鏡の中の天使 燃える手 ロダンの肖像 できごと バラの革命 失われた月光 裏庭の出来事 美しかった場所 恋はフィーリング 都会の女 誘惑 花の咲く朝 蝶の雨 胸さわぎ 絵空事 マイ・メモリィ 『ドーベルマン刑事』のテーマ 子供ぢゃないの 悲しき片想い すてきな16才 ルイジアナ・ママ カモン・ダンス かっこいいツイスト ヴァケーション リトル・ミス・ロンリー 星影で愛して 私のベイビー 既発の8枚のアルバムをセットにしたもの。 DISC-1 MICO JAZZING (新録音) DISC-2 ニューヨークのミコ〜ニュー・ジャズを唄う(1966年) DISC-3 JAZZ TIME〜弘田三枝子ベスト・ジャズ・アルバム (1973年) DISC-4 The Nearness of You〜弘田三枝子 イージー・リスニング・ジャズ (1974年) DISC-5 愛のめぐり逢い (1975年) DISC-6 My Funny Valentine (1976年) DISC-7 IN MY FEELING (1977年) DISC-8 My Tapestry (新録音) 砂に消えた涙 はじめての恋人 ナポリは恋人 レッツ・ゴー・ベイビー 夜の太陽 夢みるシャンソン人形 渚のうわさ 風とオトコのコ 涙のドライヴ さざ波のバラード 人形の家 あなたがいなくても 私が死んだら 鏡の中の天使 渚のデイト 想い出の冬休み メドレー:リトル・ミス・ロンリー~夢のスウィートホーム 悲しきハート メドレー:~涙のドライブ~渚のうわさ~枯葉のうわさ 悲しき片思い 雪色のサンバ ワンボ-イ メドレー:カモナダンス~ルイジアナ・ママ~ハロー・メリー・ルー~ナポリは恋人~月影のレナート~カッコイイツイスト サルサ人形の家 私のベイビー ノッポのサリー 砂に消えた涙 人形の家 渚のうわさ 砂に消えた涙 子供ぢゃないの ヴァケーション 渚のデイト 想い出の冬休み 恋のクンビア 可愛い嘘 グロッカ・モーラの様子はいかが 私が死んだら ロダンの肖像 ビー・マイ・ベイビー 「ドーベルマン刑事」のテーマ Everything *はモノラル録音。 DISC-1 子供ぢゃないの* 悲しき片想い* かっこいいツイスト* ヴァケーション* 想い出の冬休み* 渚のデイト* 悲しきハート* 私のベイビー* 9.砂に消えた涙 はじめての恋人 ナポリは恋人 レッツ・ゴー・ベイビー 踊り明かそう セーラー・ボーイ 可愛いマリア 太陽の海 夜の太陽 夢みるシャンソン人形 恋のクンビア 道 ホワイト・クリスマス スーベニールス 愛のゴーゴー 夢みる乙女 世界の国からこんにちは レオのうた DISC-2 人形の家 渚のうわさ 枯葉のうわさ 涙のドライヴ 渚の天使 可愛い嘘 私が死んだら 燃える手 ロダンの肖像 できごと バラの革命 裏庭の出来事 花の咲く朝 蝶の雨 女の癖 絵空事 川の向こうに マイ・メモリィ 『ドーベルマン刑事』のテーマ クリスマス・イブ 恋のクンビア21(English Ver.) [MICO Loves CUMBIA BROS.] <ボーナス・トラック> アスパラで生き抜こう* <ボーナス・トラック> レナウンワンサカ娘* <ボーナス・トラック> 菅平スキー小唄 Disc1 アクエリアス(輝く星座) 人形の家(英訳) ジョンとヨーコのバラード ふたりのシーズン ラヴ・ミー・トゥナイト 西暦2525年 雨 愛の聖書 ゲット・バック シッティング・オン・ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ ホンキー・トンク・ウイメン グッドバイ パピー・ラヴ ユーヴ・ゴット・ア・フレンド 雨の日と月曜日は シーズ・ファニー・ザット・ウェイ マイ・ウェイ Disc2 ロックン・ロール・ララバイ イフ・エバー・アイ・ウッド・リーヴ・ユー イット・ハッド・トゥ・ビー・ユー シンス・アイ・フェル・フォー・ユー イッツ・インポッシブル イエスタデイ・ワンス・モア やさしく歌って ハーフ・ブリード 落葉のコンチェルト タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング うつろな愛 ゲット・ダウン シング 迷信 カリフォルニアの青い空 人形の家 夢みるシャンソン人形 砂に消えた涙 DISC-1 RIGHT HERE RIGHT NOW SUNNY RAMBLIN' ROVER I'M COMIN' HOME BABY THE MESSAGE WHEN SUNNY GETS BLUE SATIN DOLL I WANT TO BE HAPPY THE NEARNESS OF YOU BUT NOT FOR ME FOOLS RUSH IN THE SCOND TIME AROUND LAURA MY MELANCHOLY BABY 〜ON A SLOW BOAT TO CHINA MY FUNNY VALENTINE WHAT'S GOING ON SWEET LOVE THERE WILL NEVER BE ANOTHER YOU YOU'RE AS RIGHT AS RAIN DAY DREAMING DISC-2 LOVE FOR SALE THEY SAY IT'S WONDERFUL IF YOU TOUCH ME BABY LOVING YOU WAS LIKE A PARTY DAY BY DAY SOUL LADY LOVE WON'T LET ME WAIT IN MY FEELING WHAT A DIFFERENCE A DAY MAKES MOONLIGHT IN VERMONT CARAVAN MEDITATION DREAM ANGEL EYES SOLITUDE AGUA DE BEBER <ボーナス・トラック> THE SHADOW OF YOUR SMILE (HINO & MIKO) <ボーナス・トラック> 人形の家(英語) BALLADE OF DOLL'S HOUSE DISC-1 Tr.1〜12:アルバム『Good Old Days Forever』(1974年) JDX-7036(1974.9.25)より Tr.13〜18:アルバム『愛のめぐり逢い』(1975年) JDX-7050(1975.2.25)より DISC-2 Tr.1〜5:アルバム『愛のめぐり逢い』(1975年) JDX-7050(1975.2.25)より Tr.6〜17:アルバム『私の好きな唄〜帰り来ぬ青春』(1975年) JDX-7064(1975.9.25)より DISC-1 ワン・ボーイ ボビーに首ったけ 悲しき街角 肩にほほをうずめて 悲しき雨音 霧のロンドン・ブリッジ 恋の日記 内気なジョニー 悲しき足音 ジョニー・エンジェル ビー・マイ・ベイビー 想い出の中に 愛のめぐり逢い 天使のささやき アイ・ショット・ザ・シェリフ 二人のきずな ユー・アー・エブリシング 追憶(英語) DISC-2 1.愛のためいき イマジネイション 愛は夢の中に 悪夢 誓い 帰り来ぬ青春 別れの時まで マイ・ボーイ マスカレード 愛のテレフォン 追憶(日本語) レット・イット・ビー・ミー 落葉のコンチェルト 哀しみのソレアード 信じさせて アイ・ビリーブ ラブ 1~5はモノラル録音。 ヴァケーション 子供ぢゃないの 悲しき片思い 想い出の冬休み 私のベイビー 砂に消えた涙 ナポリは恋人 夢みるシャンソン人形 踊り明かそう 恋のクンビア 道 レオのうた 世界の国からこんにちは 渚のうわさ 涙のドライヴ 可愛い嘘 人形の家 私が死んだら 燃える手 ロダンの肖像 バラの革命 蝶の雨 『ドーベルマン刑事』のテーマ ひいふうみいよう 人形の家 あなたがいなくても 私が死んだら 鏡の中の天使 燃える手 鍵を捨てたの ロダンの肖像 恋愛専科 蝶の雨 ひとりぼっちの海 砂の上のひめごと ロダンの肖像(別アレンジ) 裁かれる女 愛の翼 人形の家(ピアノ・バージョン) レオのうた(1965年12月10日、ジャングル大帝) アイウエオ マンボ(1966年6月20日、ジャングル大帝) ドロップスの歌(1966年10月20日、みんなのうた) アスパラで生きぬこう(1962年、田辺製薬(現:田辺三菱製薬)) ネスカフェ43粒スプーンに一杯(1962年、ネスレ日本) ルックチョコレートの歌(1962年、不二家) ワンサカ娘'64(1964年、レナウン) サッポロライト(1970年、サッポロビール) マイメモリィ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事) ドーベルマン刑事のテーマ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事)ソウルミュージックをベースにしつつも、タイトルのイメージを崩さないようにするため、詞をできる限り少なくし、スキャットでまとめたという X+Y presents Midnight Ebisu [Analog] (2005年11月3日/THLP364)「春風のうわさ」「渚のうわさ」収録。都築響一プロデュースのナレーションレコード。 OK横丁に集れ(NTV, 1957) 若さで行こう(日本テレビ) セブンティーン(1962年、日本テレビ) 若さとリズム(1965年、NHK総合) シャボン玉ミコちゃん(1962年、朝日放送/TBS) ハイステップ・ミコちゃん(1962年、フジテレビ) 花の番地(1962年、朝日放送/TBS) ただいま見習中 泣きベソ天使(1966年、フジテレビ) 泣いてたまるか(TBS) - 第7話(1967年7月3日) 発車、オーライ!(1967年、関西テレビ) おやじさん(1967年、NETテレビ) ▲はラジオのみの再放送、△はNHK衛星第2テレビ(現:BSプレミアム)の『なつかしのみんなのうた』での再放送。 現存フィルム 第13回 (当時) 第14回 第15回 ラグタイム・バンド 第16回 モノクロキネコ 第18回 (状態が悪い) 第20回 第21回 モノクロ 第22回 ※ポピュラーヒットメドレーにて、「ラブ・ミー・トゥナイト」、「西暦2525年」をザ・ピーナッツ、伊東ゆかりらと歌唱 魚河岸の旋風娘(1963年3月3日)若林三重子役 : 松竹入社第一回作品。主題歌「明日をみつめて」「そっと一人に」と、「おてもやん」「ソーラン節」を歌唱。 独立美人隊(1963年4月28日)西本道子役 : 「ブルージン・ブルース」を歌唱。 女弥次㐂多 タッチ旅行(1963年7月13日)堀江和子役 :岩本多代・渥美清共演。「タッチ旅行の歌」「ギャンブル節」を歌唱。この作品を最後に再び歌手活動へ復帰。 栄光の黒豹(1969年12月17日)歌手役 : 「人形の家」を歌唱。 華やかな女豹(1969年12月31日)森下まゆみ役 : 「鏡の中の天使」を歌唱。 開運旅行(1971年3月3日)歌手役 : 「できごと」を歌唱。 ミコのカロリーBook、集団形星、1970年 マインド・ビューティ痩身法 : より美しくへの挑戦、講談社、1986年 サザンオールスターズ 『チャコの海岸物語』(1982年) 『MICO』1983年のアルバム『綺麗』に収録。 島本真衣 - 『トットちゃん!』(2017年、テレビ朝日) 1969年、第11回日本レコード大賞・歌唱賞(「人形の家」) 1970年、第1回東京国際歌謡音楽祭・歌唱賞(「できごと」) 1973年、第11回チリ・ポピュラー音楽フェスティバル 5位 2020年、第62回日本レコード大賞・特別功労賞 ^ MICO名義。サザンオールスターズの楽曲「MICO」のアンサーソング。 ^ MICO Loves CUMBIA BROS.名義。 ^ この当時、朝日放送(ABC)とTBSはJNN系ネットワーク局の関係にあった。朝日放送はテレビ朝日(NETテレビ)とネットチェンジを行ったのは1975年4月からである。 ^ “弘田三枝子さんが死去 73歳「ヴァケーション」「夢みるシャンソン人形」など”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2020年7月27日). https://www.daily.co.jp/gossip/2020/07/27/0013547695.shtml 2020年7月27日閲覧。 ^ 湯浅学. “チーム・クンビアって? 弘田三枝子(MICO)”. 日本コロムビア. 2020年2月20日閲覧。 ^ “[あすを若く]=60 やせる カッコよさ結構(連載)”. 読売新聞・朝刊: p. 19. (1972年3月15日). "ミコちゃんの作戦 【二十代】<歌手・弘田三枝子さん(二五)の場合=一年間に六十キロから三十八キロにやせた。現在身長一メートル六一、四十五キロ>" - ヨミダス歴史館にて閲覧 ^ 馬飼野元宏 (2015年10月20日). “46年前の本日、弘田三枝子「人形の家」がオリコン・チャートで1位を獲得”. 大人のMusicCalendar. 2020年2月20日閲覧。 ^ “12月22日の「テイスト・オブ・ジャズ」[「テイスト・オブ・ジャズ」プログラム情報 [テイスト・オブ・ジャズ]]”. 日経ラジオ社 (2018年12月21日). 2020年2月20日閲覧。 ^ 公式プロフィール ^ “[お顔拝借]弘田三枝子 いそがしい16歳”. 読売新聞・夕刊: p. 12. (1963年5月29日) - ヨミダス歴史館にて閲覧 ^ “弘田三枝子 ヒロタミエコ”. JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.. 2020年2月20日閲覧。 ^ https://www.discogs.com/Connie-Francis-Vacation/release/1397789 ^ “弘田三枝子『エラ・フィッツジェラルドさんとの出会い』”. 弘田三枝子オフィシャルブログ『ミコブロ』powered by Ameba. 2020年9月9日閲覧。 ^ “堂々と歌った弘田三枝子 大観衆をうならす ジャズ・フェスティバル”. 読売新聞・夕刊: p. 7. 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hirota mieko
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