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竹内まりやの情報 (たけうちまりや)
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【6月17日】今日誕生日の芸能人・有名人

竹内まりやの情報(たけうちまりや) シンガー ソングライター 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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竹内 まりやさんについて調べます

■名前・氏名
竹内 まりや
(読み:たけうち まりや)
■職業
シンガー ソングライター
■竹内まりやの誕生日・生年月日
1955年3月20日 (年齢69歳)
未年(ひつじ年)、魚座(うお座)
■出身地・都道府県
島根出身

(昭和30年)1955年生まれの人の年齢早見表

竹内まりやと同じ1955年生まれの有名人・芸能人

竹内まりやと同じ3月20日生まれの有名人・芸能人

竹内まりやと同じ出身地島根県生まれの有名人・芸能人


竹内まりやと関係のある人

中村泰士: 中村はGポップスにあたる音楽家に、小田和正、山下達郎、布袋寅泰、来生たかお、玉置浩二、南佳孝、松任谷由実、竹内まりや、ZARD、森高千里、あいみょんの名を挙げていた。


古内東子: シングル「誰より好きなのに」などが好調にヒットし、恋愛を主題にした曲のスタイルから「恋愛の神様、教祖」などと称えられ、松任谷由実、竹内まりやに次ぐ逸材といった評価も受けた。


城南海: 元気を出して(作詞・作曲:竹内まりや)(薬師丸ひろ子のカバー)


福永恵規: 卒業後もシングルとアルバムを定期的に発売、おニャン子ソロデビュー組で秋元康に限らず秋元以外でも竹内まりやなどの有名シンガーソングライターからの楽曲提供も多数ある。


告井延隆: 竹内まりや


エリック=マーティン: 竹内まりや – Sincerely, Vol. 2: Mariya Takeuchi Song Book (2003年)


世良公則: 1980年には桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、ダディ竹千代と期間限定ユニット「竹の屋セントラル・ヒーティング☆」を結成、ベースを担当している。


麻由: 恋うたドラマSP「竹内まりや・元気を出して」(TBS)2008年10月7日


大根仁: 竹内まりやソングミュージカル 本気でオンリーユー(2008年)


西島秀俊: 竹内まりや「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」(2022年)


リー=リトナー: 竹内まりや


杉真理: 表舞台での活動を休止していた時期は西荻窪の喫茶店“CITY MAGIC”の運営に携わりながら、作曲家として竹内まりや、須藤薫、レイジーらに楽曲を提供していた。


白鳥マイカ: なお、担当したのは竹内まりやのカヴァー。


マルシア: 竹内まりやソングミュージカル 本気でオンリーユー(2008年)


山下達郎: 10月22日、竹内まりやのアルバム『Quiet Life』リリース。


工藤静香: 当時中島もキャニオン所属だった)が工藤を兼任することになったことと、デビュー前に工藤が渡辺より「中島みゆきと松任谷由実と竹内まりやなら誰が一番好き?」と聞かれ、中島みゆきと答えたことから縁が出来たとされる(それ以前より中島の曲に影響されたともいわれている)。


川床明日香: 竹内まりや 「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」(2022年8月31日)


藤川なお美: 竹内まりや


安室奈美恵: 竹内まりやが2008年に記録した『Expressions』以来3年9ヶ月ぶりに女性アーティストによるアルバム3週連続首位を獲得し、日本、台湾、香港、韓国、シンガポールの計5ヶ国で前作『PAST < FUTURE』に引き続き1位を獲得。


石田ゆり子: 竹内まりや「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」(2022年)


山下達郎: 1日目はシークレット・ゲストとして竹内まりやと登場し、夫婦でデュエットを披露。


杉真理: CMソングも多数手掛けており、代表的な作品にサントリーのCMソング『ウイスキーが、お好きでしょ』(SAYURI〔石川さゆり〕、ゴスペラーズ、竹内まりや)がある。


平田勝男: スーパードライ! コマーシャル待ってます!」と絶叫したシーンの映像(朝日放送テレビが撮影していた祝勝会の映像の一部)と、CMのテーマソングでもある『元気を出して』(竹内まりや)の音源を使用している。


吉田拓郎: 竹内まりやは「音楽の入り口は拓郎さんのデビュー曲『イメージの詩』だったんですよ。


濱田金吾: 竹内まりや


山下達郎: 妻は同じくシンガーソングライターの竹内まりや


高畑充希: その後、翌2008年にかけて「瞳ひらいて」(川嶋あいプロデュース、アニメ映画『ルイスと未来泥棒』イメージ曲)、「夏のモンタージュ」(竹内まりや作詞・作曲、ドラマ『ナツコイ』主題歌)のシングル2作品を発表。


椎名和夫: また、"打ち込み"という概念の誕生とともに、J-POPに大きな変革がもたらされたシーケンスミュージック黎明期から、そのプログラミング・スキルは、山下達郎、竹内まりや、吉田美奈子、山木秀夫などの多くのアーティストから絶大なる信頼を受けている。


中野督夫: 竹内まりや『BEGINNING』『UNIVERSITY STREET』「返信 / シンクロニシティ (素敵な偶然)」『Denim』


桑田佳祐: 桑田・原夫妻と山下達郎・竹内まりや夫妻は公私ともに長い家族ぐるみでの交流があり、山下・竹内の楽曲には後述のように4人でコーラスを入れたものが存在するほどである。


竹内まりやの情報まとめ

もしもしロボ

竹内 まりや(たけうち まりや)さんの誕生日は1955年3月20日です。島根出身のシンガー ソングライターのようです。

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コンサート、人物などについてまとめました。結婚、現在、兄弟、テレビ、ドラマ、映画、家族、父親、母親に関する情報もありますね。竹内まりやの現在の年齢は69歳のようです。

竹内まりやのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

竹内 まりや(たけうち まりや、1955年〈昭和30年〉3月20日 - )は、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサー。出生名も竹内まりや。結婚後の本名は山下まりや。島根県簸川郡大社町杵築南(現・島根県出雲市大社町杵築南)出身。

現在所属するレコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。現在所属する芸能事務所はスマイルカンパニー、および、夫と共同経営する(著作権管理用)個人事務所のテンダベリー&ハーヴェスト。

父は老舗旅館「竹野屋旅館」の4代目当主であった4代目竹内繁蔵である。竹内は2男4女の6人兄弟の三女・第4子として、1955年3月20日に生まれた。

1961年、地元の大社町立大社小学校(現・出雲市立大社小学校)に入学した。

1967年、大社町立大社中学校(現・出雲市立大社中学校)へ入学した。

1970年、島根県立大社高等学校 へ進学した。高校時代はテニスに熱中。

高校2年生の9月から大学受験を控える3年生の8月まで、AFS交換留学制度を利用して、米国イリノイ州のロックフォールズ(英語版) にある四年制公立高校「ロックフォールズ高等学校(ロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクール(英語版)、Rock Falls Township High School)」で1年間の留学生活を送ることになった。クラブ活動はコーラス部に入った。パーティで吉田拓郎や六文銭の歌を弾き語りで歌い、地元の新聞に載るほどの人気者になったという。

1973年、慶應義塾大学文学部へ進学し、英米文学を専攻した。慶應には、日吉キャンパス を本拠として1962年に結成された同校公認のオールジャンル・バンドサークル(音楽バンド同好会)「Real McCOYs(リアル・マッコイズ、通称:マッコイ、慶應リアルマッコイズ、頭字語:KRM)」があり、ジャンルを問わずに音楽とライブ等の演奏を楽しむこのサークルに竹内も籍を置いた。3年生の杉真理がリーダーを務めるこのバンドサークルで、竹内は鈴木慶一の従妹らとともにバックコーラスを担当している。また、杉のソロ活動をバンド形式でサポートする「PEOPLE(ピープル)」にも参加してキーボードとバックコーラスを担当した。1978年の音楽雑誌での本人取材記事では「友人の杉真理のレコーディングにバック・コーラスで参加したのがデビューのきっかけ」と書かれている。当時の竹内はプロの歌手を目指していたわけではなく、高校時代ビートルズの記事をよく読んでいた雑誌の影響から、将来は音楽雑誌の編集者になりたいと思っていた。

1974年9月7日、杉の率いる PEOPLEは第8回ポプコン関東・甲信越大会(中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で出場している。

1979年8月21日(火曜日)、3枚目のシングル「SEPTEMBER」を発売した。この曲はトップ100圏内に半年近くチャートインし続け、同年12月31日に開催された第21回日本レコード大賞で新人賞を獲得するに到った。「SEPTEMBER」では新宿音楽祭の金賞を受賞し、イタリアのサンレモ音楽祭にも出場した。

1980年2月5日(火曜日)には、資生堂の化粧品のCMソングとなったシングル曲「不思議なピーチパイ」が大ヒットした。担当した安井かずみが「あなたの声にぴったりな曲」と言われたのを今でも覚えている。当初は安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていた竹内であったが、自らも作詞・作曲を手がけるようになった。

但し竹内自身、当時のアイドル的活動には大きな不満を持っていた。心ならずもバラエティ番組や、雑誌の表紙やグラビアなどにも引く手数多の、芸能活動をやらされることになった竹内は、歌唱させて貰えない仕事も数多くこなさざるを得なかった。与えられた任務を懸命にこなしながらも、根本的疑問を抱えていたこの時期の竹内の前に、アレンジャー(編曲家)として現れたのが、のちに公私に亘ってパートナーとなる山下達郎であった。

なお、竹内の結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦、細野晴臣、告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子、林哲司、伊藤銀次、杉真理、安部恭弘、浜田金吾といった作家が提供している。

1981年、先述したアイドル歌手としてのオファーと、自身の希望する活動とのギャップに原因するストレスと過酷なスケジュールが祟って喉を傷めて入院、音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言。

1982年4月6日(火曜日)、27歳のとき山下と結婚。これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などがヒットした。同年の秋、山下の担当ディレクター小杉理宇造がRVCから独立し、アルファ・ムーンを設立すると、山下も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍した。

1984年、アルファ・ムーンに移籍し、シングル「もう一度」、そして全曲を自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリースした。このアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下が驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。同作品は最終的に30万枚以上のヒットを記録した。同年、娘が誕生。

1981年の休養宣言と1982年4月の結婚をターニングポイントとして、それ以降は家庭を最優先にする生活になったため、ライブ活動からは遠のいた。しかし、アレンジャーとプロデューサーを務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動は続けた。

作詞・作曲家としては、薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984年)、岡田有希子の「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」(1984年)、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」(1986年)など、数多くのヒット作を生み出してゆく。ホワイトブレンドの作製時はまだ子供が小さく寝た子供を起こさないように洗面所にミニキーボードを持ち込んで作業をした。なお、「元気を出して」は1987年に竹内がセルフカバーしているほか、中国語カバー(北京語と広東語のいずれか)が香港と台湾あるいは両地域で2005年までに4度発売されている。日本におけるセルフ以外のカバーは早くも初年(1984年)にピアノソロ曲を出した村松健や、2003年にカバーしてヒットさせた島谷ひとみばかりでなく、多くのカバー曲が生み出されてきた。

1980年代半ばに中森明菜のアルバム『CRIMSON』のためにテーマに副った楽曲群を提供し、アルバムは1986年に発売された。これ以降、竹内はOLの何気ない日常に焦点を当てた歌や、道ならぬ恋を題材にした曲を数多く世に送り出していった。これらは高評価を得て、竹内の音楽世界のパブリックイメージの一つとして定着する。なお、竹内は、中森のアルバムに提供した5曲中の2曲を1987年)発売のアルバム『REQUEST』の中でセルフカバーしており、また、もう1曲のセルフカバーは『Denim』(2007年)の初回特典CDに収録された。

『REQUEST』は3年間のロングセールスを記録する。同1987年11月にはシングル「AFTER YEARS/駅」が発売されているが、「駅」は中森明菜の持ち味に合わせて作詞・作曲された竹内にしては珍しいマイナーコードの曲であったものが、当初は予定に無かったセルフカバーとしてリリースされ、大きな支持を集めることとなり、広くこの曲が知られるようになった。

1989年9月、『火曜サスペンス劇場』の8代目主題歌であった「シングル・アゲイン」が発売され、ロング・ヒット曲となった。

1990年9月、『火曜サスペンス劇場』の9代目主題歌「告白」が発売され、これもヒットした。

1992年5月、「マンハッタン・キス」がヒット。同年10月に発売されたアルバム『Quiet Life』は、発売と同時にミリオン・セラーとなった。

1994年5月、「純愛ラプソディ」を発売。竹内まりや最大のヒット曲(シングル売上ランキング第1位曲)となった。 同年7月に発売されたベスト・アルバム『Impressions』は売上枚数300万を超える大ヒットを記録。

1995年11月発売のシングル曲で、ケンタッキー・フライドチキンのクリスマスキャンペーン用CMソングとして使用された「今夜はHearty Party」では、当時たまたま観ていたフジテレビドラマ『あすなろ白書』に触発され、歌詞に「キムタク」のフレーズを入れたことから、SMAP・木村拓哉の起用をジャニーズ事務所へ打診したところ快諾を得て、コーラスと冒頭、間奏の台詞に木村が参加している。

1997年には、人気アイドル広末涼子が歌手としてデビューするに当たってシングル曲「MajiでKoiする5秒前」を提供し、これもヒットした。眩いほどの希望に溢れた少女の心情を爽やかに謳った曲で、先述の大人の道ならぬ恋の歌を生み出す竹内の振り幅の大きさを改めて示す作品になった。

1998年11月、フジテレビ系木曜劇場『眠れる森』主題歌「カムフラージュ」発売。竹内の作品としては初のオリコンシングルチャート週間1位を獲得する大ヒットとなった。

1990年代の竹内は、縁故のあるミュージシャンのライブにサプライズゲストとして登場し、洋楽カバーを数曲歌うことはあっても、公式にライブ活動再開ということではなかった。

2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京・日本武道館(11日、12日)と大阪・大阪城ホール(31日)で行い、計2万5000人を動員する。その後もアルバム『Bon Appetit!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリースし、2作品はいずれもオリコンチャート第1位を獲得した。

2004年には山下のシングル「忘れないで」の作詞を担当など、音楽活動を着実に増やし続けていた。

2006年になると、子育てが一段落したことにより、新譜リリースを精力的に行うようになった。この頃からは、歌手として曲を提供されて歌っていた当時のことも思い出して、他人の作った曲も積極的に歌ってゆこうと考えるようになった。

2007年には、6年ぶりのオリジナルアルバム『Denim』を発表した。この作品でもオリコンチャート第1位を獲得した。同年8月に発売したシングル「チャンスの前髪」には、サザンオールスターズの原由子がゲストボーカルとして参加している。

同10月1日には、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『Expressions』が発売された。このベストアルバムの選曲にあたり、公式サイトで楽曲のファン投票を行い、NHK『SONGS』1周年記念特別番組にて発表している。10月23日には、東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家 林哲司の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場し、林が手がけた「September」「象牙海岸」の2曲を生披露した。12月28日、大阪フェスティバルホールで開かれた夫・山下達郎のフェスティバルホール最後の公演に、「私もフェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演し、「人生の扉」「September」を披露したのに加えて、ダブルアンコールでは山下とのデュエットで「LET IT BE ME」を披露した。

2009年4月17日、山下のコンサートツアー東京最終公演(追加公演を除く)にあたる中野サンプラザホールの公演にも、アンコールのサプライズゲストとして出演し、「September」を披露したうえで残り2曲のコーラス隊にも参加した。

2012年4月6日、結婚30周年(真珠婚)を迎えた同年9月2日、『SWEET LOVE SHOWER 2012』に山下が出演した際、スペシャルゲストとして登場し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「元気を出して」を披露した。

2013年には出身地の出雲市からの依頼を受け、出雲大社の60年に一度の大遷宮が斎行されるこの年に、故郷への想いを歌った楽曲『愛しきわが出雲』を書き下ろし、同年8月に提供した。出雲の市民コーラス隊と共に、地元でレコーディングした4日には、デビュー35周年の記念企画としてアン・ルイス「リンダ」、河合奈保子「けんかをやめて」、中森明菜「駅」など他のアーティストへの提供楽曲を集めた2枚組コンピレーション・アルバム『Mariya's Songbook』を発売。自ら監修・選曲を手がけ、楽曲解説も自ら執筆。初回限定盤には自身が歌った提供楽曲のデモバージョンなどのレア音源も収録された。

2014年、7月デビュー35周年アニバーサリイヤーを飾るシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。竹内自身の発案で桑田佳祐、原由子をコーラスに迎え、山下達郎も加えた4人での楽曲制作が「蒼氓」以来26年ぶりに実現した。同年9月、7年ぶりのアルバム『TRAD』をリリース。オリコンチャート2週連続で1位獲得。第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。また、同年11月から12月にかけて1981年以来33年ぶりに6都市9公演の全国アリーナツアー『ケンタッキーフライドチキン presents 「souvenir2014」supported by JAPAN FM NETWORK』も開催した。同年11月19日、ムーン移籍後最初のアルバムである『VARIETY』の30周年記念盤をリリースした。

2015年3月、出雲市から特別功労者として表彰を受けた。市に楽曲『愛しきわが出雲』を提供するなどしたことで地域への愛着醸成に貢献した功績による受賞であった。同年5月、第6回岩谷時子賞を受賞。

2016年2月、嵐のニューシングル「復活LOVE」の作詞を手掛けた。作曲・編曲は山下達郎。同年4月、テレビ東京系列経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」のエンディングテーマ「今日の想い」を書き下ろした。

2017年7月15日には第三者の手でYouTubeに80年代の曲「PLASTIC LOVE」(プラスティック・ラヴ)がアップロードされ、作品リリースの無い海外でも視聴され始めた。同年11月22日には『REQUEST』の30周年記念盤をリリースしている。

2018年、デビュー40周年を迎えた。この年、上述した「PLASTIC LOVE」の動画再生回数が2400万回以上という驚異的な伸びを見せ、大きな話題となった。2010年代初頭に始まったヴェイパーウェイヴが数多くサンプリングしたことで、かつて日本で大流行しながら欧米に輸出されなかったために国際的にはほぼ無名であったシティーポップなる音楽ジャンルが“少しずつ”海外に知られることとなり、加えて、知ったからにはと世界中どこからでもボーダーレスで簡単にアクセスできる動画共有サービスを使って熱心に掘り起こされる過去作の中から「PLASTIC LOVE」と竹内が見出され、一躍脚光を浴びることになった。それがこのブームの本流の動きであった。往時の竹内はシティーポップの第一人者というわけではなかったが、2017年発のブームの下では係る音楽ジャンルを代表する楽曲および人物と捉えられるまでになった。火付け役となったYouTubeには数多くのシティーポップ集がアップロードされるが、「PLASTIC LOVE」と竹内まりやはその種のコンピレーションでは定番中の定番となった。

同年10月17日には、デビュー40周年を記念してシングル「小さな願い/今を生きよう」をリリースし、11月18日には初のファンミーティングを開催した。11月21日からはデビューアルバム『BEGINNING』の40周年記念リマスター盤が発売されたことを皮切りに、RCA/RVC時代のカタログが最新リマスターとボーナストラック付きで順次発売された。11月23日からデビュー40周年を記念して製作されたライブ・ドキュメンタリー映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live』が、期間限定で全国ロードショー(後述)。

2019年3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。同月、デビュー40周年記念特番「竹内まりやMusic&Life〜40年をめぐる旅」がNHK総合で放送された。39年ぶりにNHKスタジオにて歌唱。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ映画『ダンボ』(ティム・バートン監督)にて日本版エンディングソング『ベイビー・マイン』を歌唱。同年5月、「関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日系列)にて竹内まりや特集がオンエア。前年公開された映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live』がアンコール上映される。同2019年9月、40周年記念アルバム『Turntable』をリリース。オリコンチャート1位を記録し、これにより「昭和・平成・令和3時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に、「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6か月)となった。10月、映画「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・吉永小百合・天海祐希共演)主題歌「旅のつづき」を書き下ろし、シングル・リリースする。11月、『第61回輝く!日本レコード大賞』にて「特別賞」を受賞。12月31日にはNHK紅白歌合戦の特別企画・竹内まりや×第70回紅白「未来へつなぐいのちのメッセージ」に出演し、「いのちの歌」を歌唱した。

2020年1月1日発売の「いのちの歌」(スペシャル・エディション)が13日付オリコン週間シングルランキングで第1位獲得。64歳10か月での1位獲得は歴代最年長記録となった。これにより、「カムフラージュ」以来21年1か月ぶりの1位インターバル記録を樹立した。11月18日、初の映像作品「souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live (special edition)~」をDVD、Blu-rayで発売。《Disc 1》には、デビュー40周年を記念して2018年11月に劇場公開され大ヒットしたライヴ・ドキュメンタリー映画『souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜』を、《Disc 2》には、これまでに制作されたほとんどのミュージック・ビデオと、映画では未公開だったライヴ映像を4曲収録。さらには、山下達郎とのスペシャル対談やライヴ写真を掲載した80ページのブックレットが封入されている。「オリコン週間DVDランキング」、「オリコン週間Blu-ray Disc(以下BD)ランキング」で、ともに初登場1位を獲得。音楽作品のDVDとBDを合計した「ミュージックDVD・BDランキング」でも、合計売上6.2万枚で初登場1位を獲得し、3部門同時1位となった。 初めての音楽映像作品でオリコンチャート3部門1位は史上4組目である。

2021年1月22日、前年11月に7年ぶりの全国アリーナツアー『ケンタッキーフライドチキン presents 「souvenir2021」』を2021年4月~5月に全国6都市で計13公演開催する事を発表したが、新型コロナウイルス感染拡大と緊急事態宣言の再発令を受け、中止を発表。 2月、アルバム『Turntable』とシングル「旅の続き」の応募抽選特典として、2019年4月に計画されていたZepp Tokyoでのライブが新型コロナ感染の影響で11月に延期となったが、感染状況が収束の兆しを見せないことから、無観客での配信ライブ『LIVE Turntable』として、当選者約2000人を対象にMUSIC/SLASHにて配信された。 5月29日、2月に応募特典として配信された『LIVE Turntable』のネット上での反響と全国アリーナツアーの中止を受け、初の有料ライブ動画配信『LIVE Turntable Plus』を実施した。2月に配信した限定ライブ映像に2010~2014年のライブ映像を加え、動画配信20分前には『サンデー・ソングブック出張編』として音声配信「夫婦放談Plus」も実施され、音声とともに収録の様子の静止画が流された。プラットフォームはMUSIC/SLASH。6月11日〜13日にアンコール配信が実施された。

2021年11月3日に杏里とのユニット「Peach&Apricot」で「Watching Over You」(作詞:竹内まりや、 作・編曲:林哲司)の配信をスタート。林とのタッグはシングル「イチゴの誘惑」以来40年ぶり。旧知の仲である杏里との初コラボ作品。

コンサート

2000年に『TOKYO-FM&fm-osaka開局30周年記念イベント』が、日本武道館(7月11日・12日)と大阪城ホール(7月31日)にて開催され、cannaとSING LIKE TALKINGとともに竹内本人も出演し、約18年ぶりに本格的なコンサートを開催した。公演は3番目のトリとして出演。約1時間半の公演時間で14曲を歌唱した。山下達郎もバックメンバーとして参加し、最後には二人のデュエット曲「LET IT BE ME」も披露している。この模様は『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』としてアルバム化された。

これ以降も、2007年10月13日に開催された、コブクロなどが出演した野外ライブ『風に吹かれて』で、シークレットゲストとしてサプライズ登場し、「元気を出して」を、松たか子などの出演者とともに披露し、また、長年の音楽仲間であるセンチメンタル・シティ・ロマンスのコンサートのサプライズゲストで持ち歌を披露するなど、必ずしもライブに否定的ではなく、竹内本人も2009年以降のライブ活動に対して意欲を見せていた。また、同2008年12月5日に厚木市民文化会館で行われた夫・山下達郎のコンサートで、「まりやのコンサートもこのメンバーでやる」との山下の発言があり、ライブへの本格復帰が期待されていたが、その年に実現することは無かった。その後、2010年8月29日にゲスト出演したラジオ番組『山下達郎のサンデー・ソングブック』と公式サイトにおいて、12月3日・4日の日本武道館と12月21日・22日の大阪城ホールで、10年ぶりの本格的ライブである『souvenir again』を行うと発表した。このコンサートのライブ音源の一部は前述した番組の2011年2月27日放送回で「夫婦放談番外編」として披露されている。2014年には、11月22日から12月21日にかけて、33年ぶりとなる全国ツアー『souvenir 2014』を全国6都市で9公演を行った。

2018年には、デビュー40周年を記念して過去3度に亘って開催されたコンサートの模様を『souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live~』と題し、東映の配給により全国8か所の映画館にて上映された。2018年11月23日公開。上映時間 94分。好評を博したことにより、2019年5月17日から2週間、全国8都市・8劇場でアンコール上映された。加えて、同作品は内容などが評価され、平成30年度(第69回)芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞した。また、アンコール上映の際は、2012年に公開されて話題を呼んだ山下達郎の『山下達郎シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012』も同時アンコール上映された。

コンサート一覧

人物

名義

出生名は竹内 まりや(1955)。プロの音楽家としての名義は、ごく一部の例外を除き、出生名と同じである。結婚後の本名は山下 まりや(1982 - )であるが、公言されることはほとんど無い。公言した例として挙げられるのは、TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』の2013年7月10日放送回にゲスト出演した際のやり取りで、家庭での様子を尋ねられる場面で、安住紳一郎から「食事は、竹内まりやさんから?」と話を持ち掛けられ、「(家族といるときは)山下まりやです」と答えている。

アマチュア時代の名義は竹内 マリヤであった(? - 1978)。当時の音源は1978年に作品化されており、そこでは当時の名義が用いられている。

しらさやえみ(白鞘慧海)のセカンドシングル「君のそばに~song for Lucky」(1997年11月21日発売)では MAKO 名義で作詞している。この曲は別の歌手に提供するために作曲を担当した杉真理と共作したもので、しかし使われることなくお蔵入りしていたのを、白鞘が気に入ってシングル化したという経緯がある。Mako という名前は留学していたアメリカの公立高校でのニックネームと同じである(cf. 留学)。

NHK連続テレビ小説『だんだん』の劇中歌「いのちの歌」(2008年9月29日放映開始)は、放映開始時点で無かった歌詞が途中回から付くようになった。その作詞はこの番組の主題歌とナレーションを担当していた竹内まりやが Miyabi 名義で書いたものであった。この事実は2010年12月4日のライブで明かされている (cf. Miyabi2008, Miyabi2010)。

曲作り

2014年におけるワーナーミュージック・ジャパンの「竹内まりや スペシャルサイト」では、作曲の際はピアノまたはキーボードを使う と言っている。しかし、実際のところ、ピアノはめったに使わないらしい。夫・山下達郎は自宅の地下に専用の音楽室を持っていて、そこで曲作りをするが、竹内にそういったものは無く、大抵はダイニングテーブルの上でミニキーボードを使って作る。

シングル曲「色・ホワイトブレンド」を書いたときは、まだ娘が赤ちゃんだったので、寝かしつけた後で起こさないよう洗面所辺りへ移動しては小さな音で作っていたが、すぐに目を醒ましてしまうため、行ったり来たりを繰り返していたという。しかし、曲が書けなくなると子育てや主婦業に逃げ、子育てや主婦業で行き詰ると曲作りに逃げることができたため、上手くバランスが取れていて楽しかったと振り返る。

シンガーソング専業主婦

「シンガーソング専業主婦」とも呼ばれる ようになったのは、夫の山下達郎がそのように名付けたからで、主婦業をこなしつつ在宅のまま音楽活動を続けていたことによる。しかし竹内自身は「シンガーソング“兼業主婦”でしょ?」と笑って反論する。竹内は在宅のままでの主婦と音楽活動の兼業によって「作家的視点が養われた」と語っている。

影響を受けた音楽

音楽的な原点は、1960年代のニール・セダカやデル・シャノンなどの欧米ポップスの作品、弘田三枝子や坂本九、ザ・ピーナッツなど日本人歌手が訳詞して歌っていたオールディーズ、吉田拓郎。人生で最も大きな影響を受けたのはビートルズである。1984年発売のアルバム『VARIETY』(のちの別表記:ヴァラエティ)の収録曲でシングルカットもされた「マージービートで唄わせて」は、彼らへの想いを表したオマージュソングになっており、少女だったあの頃は話している言葉も分からないのに夢中で追いかけていたと謳っている。また、大学時代には、ジェームズ・テイラーなどのシンガーソングライター、ウェストコーストロック、ザ・バンド、ニール・ヤングなどを好んで聴いていた。リンダ・ロンシュタットの『Living in the USA』のアルバムジャケットと同じような恰好をしたことがあり、"日本のリンダ・ロンシュタット"と称えられたこともあったが、これに反発し、「リンダよりキャロル・キングを尊敬する。彼女は自分で曲を書くから」と話したことがある。

ライブについて

結婚後にライブをやらなかった理由については、当時は基本的に「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下達郎から制限を受けていたり、遠慮・気遣いがあってのことではないと明言している。

実際、子育てが落ち着いた2000年以降には、「souvenir」(2000年、@東京・大阪)、「souvenir again」(2010年、@東京・大阪)、「souvenir 2014」(2014年、@東京・大阪・札幌・仙台・広島・福岡)と銘打ったライブを行っている。しかし、チケットについては争奪戦が激しく、毎回プラチナチケットになっている。

アイドル的活動

1979年10月2日放送のフジテレビ系特別番組(スポーツバラエティ番組)『第17回 オールスター紅白大運動会』にRCAレーベルの代表の一人として駆り出された時は、出るからには精いっぱい頑張って走り高跳びで第2位になったものの、帰宅して冷静になってからVTRで振り返っていると、「一日何も歌わせてもらえずに私は何をしていたんだろう」と酷く悲しい気持ちになったという。また、1980年7月21日に発売される5作目のシングル曲「二人のバカンス」を歌う予定で日本テレビ系のバラエティ番組『TVジョッキー』に出演した竹内は、大口コンテストというコーナーで天突き棒を使って一般人男性の口の中に大量のところてんを押し出す役を急遽させられる。男の子の口の中にところてんを押し込みながら、「私、何してるんだろう。」「私の人生、こんなことでいいのだろうか。」と疑問が湧き上がってきたという。やや冗談めかしてではあるが、この頃の思いがトラウマになっていて、何十年経ってもバラエティ番組には出演できないと語る。「ミニスカートとタイツで、アイススケートをする私」の撮影や、「お部屋でトーストをかじる私」のグラビア撮影とか、そういった仕事にも戸惑いばかりを抱いていた。

音楽界の頼れる先輩であった山下にもこの件でよく相談に乗ってもらっていた。山下からも「その先に君が望むような未来は無い」と言われた。やがて竹内はテレビ番組への出演を段階的に減らしていったが、踏ん切りを付けることはできないで活動し続けていたところ、いつものように出掛けようとしたある日の朝、急に涙が溢れてきて、そして声が出なくなってしまった。喉(のど)を傷めたとも言っており、とにかく入院する事態に陥ったことから、これを機に考えを切り替え、竹内は一旦芸能活動をリセットした。そうして、結婚相手と決めた山下を支える伴侶としての自分を第一とし、楽曲は提供する側に回って自分に合ったペースで手掛けてゆくことにした。

楽曲を提供する側になった竹内にとっては、アイドル的活動を通して経験した悲喜こもごもは大きな財産になった。作曲者および音楽プロデューサーとしての竹内まりやには、アイドルへの深いシンパシーとリスペクトがあり、それが数々のヒット曲をアイドル歌手に提供できる素地になっている。

山下達郎について

当初、竹内にとっての山下は、純然とした音楽的活動をやらせてもらえない自分のこれからを相談することができる、頼り甲斐のある先輩であった。さらに仕事と音楽に対する誠実さを知ることで、特別な存在へと変わっていった。(『不思議なピーチパイ』のレコーディングの少し後の仕事として、)アン・ルイスに提供するシングル曲「リンダ」(4月発売)を製作している時、仕事が立て込んでいたにもかかわらず、合間を縫ってひとり徹夜で多重コーラスに取り組んでくれていたのを目にした時が、気持ちの切り替わった瞬間であったという。

フジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の1980年7月28日放送回にシングル曲「二人のバカンス」で出演した竹内は、歌唱後に司会の芳村真理と井上順に詰め寄られた。既に双方の親に報告していたし、隠す必要も無かったので、「(噂どおり、山下達郎さんと)お付き合いしています」と答え、交際宣言をした。結婚に際して山下からのプロポーズの言葉は「結婚しようか」の一言くらいで、特別なことは無かったという。

竹内は夫のことを表立っては「達郎」と呼んでいる。ほかに、砕けた場面では「たっつぁん(達っつぁん)」と呼ぶことも多い。これは、上述したアン・ルイスが「リンダ」を製作していた時に呼び始めたもので、それを気に入って竹内も使いだしたのが始まりであった。TOKYO FM『山下達郎のサンデー・ソングブック』「納涼夫婦放談 Part2」(SSB #1401。2019年8月25日放送)で夫婦共演した際、山下は「周りに人が多いと『たっつぁん』になる」と分析してみせたが、竹内は特に法則は無いと答えた。もっとも、家での呼び名は全然違っていて、それは秘密だと言う。少なくとも「たっちー」ではない とのこと。

竹内の楽曲で山下が一番好きなのは「純愛ラプソディ」だという。二人とも話すのが大好きな性格なので、二人で家にいる時は音楽のことや雑多な日々の事柄などを一日中しゃべっている。

互いの音楽的な好みが微妙に違うことが時として作品に現れることがある。一例として山下が詞・曲ともに竹内に提供した『Morning Glory』では、竹内の好みと希望が反映された海外のミュージシャンによるAOR調の編曲が、山下の好みと異なったことと、竹内の希望でメロディーを変えた部分もあったことから、アルバム『FOR YOU』で自身がイメージした編曲のセルフカバーを発表した。また竹内が作詞・山下が作曲の『忘れないで』は山下が歌唱したが、当初の歌詞に対する「彼女自身が歌うといいんだけど、僕が歌うと全然ダメで」という山下の要望から作詞をやり直したという。

竹内の楽曲のサブスクリプション配信を開始した際には、自らの楽曲では基本的に行わない方針としている山下も協力的な姿勢を取り、音質などについても監修した。

竹野屋

「竹野屋(たけのや)」は屋号で、旅館の名前は「竹野屋旅館」という。1877年(明治10年)の創業時からずっと現在の場所にある。「竹内繁蔵」は竹野屋の当主が代々襲名してきた名跡で、まりやの父親は「四代目当主」として「四代目竹内繁蔵」を名乗り、竹内が高校2年生になった年から大社町町長を15年に亘って務めた人物でもある。

2014年発売のアルバム『TRAD』のディスクジャケットの写真は、竹野屋旅館の階段で撮影したものであり、今では現場に案内板が設置されている。館内には、「縁の糸」の曲名と歌詞および「愛しきわが出雲」の歌詞を表した書(書道作品)が展示されているが、これらは母親の手になる達筆で本格的な作品である。

2024/06/13 22:51更新

takeuchi mariya


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