薬師丸ひろ子の情報(やくしまるひろこ) 女優、歌手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
薬師丸 ひろ子さんについて調べます
■名前・氏名 |
薬師丸ひろ子と関係のある人
能年玲奈: 「憧れのアイドル」として薬師丸ひろ子を挙げていて、この劇中で薬師丸演じる「大女優・鈴鹿ひろ美」と映画共演を果たした。 船山基紀: 薬師丸ひろ子 石坂敬一: 邦楽制作本部時代には原田知世、薬師丸ひろ子、本田美奈子.らを育てる。 矢島裕子: 女性アイドルとしては薬師丸ひろ子以来となる、デビュー作チャート首位という快挙を成し遂げる。 松井五郎: 薬師丸ひろ子 売野雅勇: 薬師丸ひろ子 大貫妙子: 薬師丸ひろ子 池田エライザ: 2021年7月14日、松本隆作詞活動50周年トリビュートアルバム『風街に連れてって!』に参加し、「Woman "Wの悲劇"より」(オリジナルアーティスト:薬師丸ひろ子)をカバーした。 あめくみちこ: オレたちひょうきん族(1984年7月21日 - 1989年、フジテレビ) - 薬師丸ひろ子のそっくりさんとして。 田中麗奈: 『明日のバナナ篇』(2009年4月1日 - ) - 豊川悦司&薬師丸ひろ子と共演 山本未来: 山田太一スペシャルドラマ・香港明星迷(2002年9月4日、テレビ東京) 薬師丸ひろ子、山本未來、室井滋が、香港スターを追っかけるOL役を演じ、イーキン・チェンが本人役でゲスト出演。 竹内まりや: 作詞・作曲家としては、薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984年)、岡田有希子の「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」(1984年)、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」(1986年)など、数多くのヒット作を生み出してゆく。 有馬自由: 「きらきらひかる」(1992年、主演:薬師丸ひろ子、豊川悦司、筒井道隆) 山田邦子: 「ひょうきんベストテン」では主に薬師丸ひろ子(のちに天久美智子、現:あめくみちこに交代)や欧陽菲菲、島倉千代子、松任谷由実、鈴木聖美などを演じ、担当コーナーである「ひょうきん絵かき歌」は大ヒット企画になった。 中森明菜: 同時期には、新井薫子、石川秀美、小泉今日子、嶋大輔、シブがき隊、原田知世、早見優、堀ちえみ、松本伊代、三田寛子、薬師丸ひろ子、渡辺徹(五十音順)らがデビューしている。 南佳孝: メイン・テーマ(薬師丸ひろ子) 坂井泉水: カラオケビデオ(Winkの「One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜」、中森明菜の「CARIBBEAN」、永井真理子の「23才」、薬師丸ひろ子の「手をつないでいて」、やしきたかじんの「未練〜STILL〜」)に出演。 根岸寛一: 小泉丑治の息子・吉之助は母方の根岸家の養子になったが、吉之助の孫(寛一にとっては義理の甥の長男)が、薬師丸ひろ子主演の映画『探偵物語』や中島みゆきの『夜会』の映像演出で知られる映画監督の根岸吉太郎である。 斉藤由貴: デビュー当時は「知的アイドル」と称され、斉藤の音楽プロデューサー的な立場であった編曲家の武部聡志は、薬師丸ひろ子と共に、斉藤を「文学系アイドル」と評した。 設楽統: 他には薬師丸ひろ子のモノマネを行う事もあるが、これもあまり似ていない(ただし、日村は設楽のこのモノマネをかなり気に入っており、たまにバラエティ番組でやらせる事がある)。 真田広之: 1981年の『魔界転生』での沢田研二とのキスシーン、1982年『道頓堀川』で松坂慶子とのベッドシーン、1983年『里見八犬伝』での薬師丸ひろ子とのラブシーンを演じた。 伊藤麻衣子: 薬師丸ひろ子(いとうと同い年である)に似ていることが話題となり、衣裳も薬師丸がザ・ベストテンに初出演したときと似た衣裳であった。 手塚眞: また、角川映画『ねらわれた学園』に有川正彦役で出演、薬師丸ひろ子と共演する。 来生たかお: 歌手活動と同時に、姉・来生えつことのコンビを主軸に作曲家としても活動しており、「セーラー服と機関銃」(歌唱:薬師丸ひろ子)、「スローモーション」「セカンド・ラブ」(歌唱:共に中森明菜)、「シルエット・ロマンス」(歌唱:大橋純子)、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(歌唱:しばたはつみ)など、日本ポピュラー音楽史上に残るスタンダードナンバーを数多く送り出している。 光石研: 映画で共演していた柳沢慎吾、岡竜也らと「ひょうたん三銃士(ひょうたんトリオ)」という3人グループを結成、薬師丸ひろ子応援歌『SENSATIONAL HIROKO』というシングルレコードを映画のキャンペーンの一環で発売した。 奥田美香: 女性アイドルとしては薬師丸ひろ子以来となる、デビュー作チャート首位という快挙を成し遂げる。 守屋寿恵: 女性アイドルとしては薬師丸ひろ子以来となる、デビュー作チャート首位という快挙を成し遂げる。 大林宣彦: 同作は、大作路線を続けた角川春樹が一転、若者向け「アイドル映画」を手掛けた第1弾で、1979年の『金田一耕助の冒険』で意気投合した角川と大林は「誰もやらないような映画を作ってやろう」という目論見から薬師丸ひろ子主演で本作を企画した。また角川から大林に「薬師丸ひろ子をアイドルにしてやってくれませんか」との依頼があり、本作で薬師丸はアイドルとしての地位を確立させた。 藤原釜足: そのほか『サザエさん』シリーズの磯野波平役、薬師丸ひろ子との共演が話題を呼んだ『セーラー服と機関銃』など、数多くの作品に出演した。 辻畑鉄也: 薬師丸ひろ子『瞳で話して』 |
薬師丸ひろ子の情報まとめ
薬師丸 ひろ子(やくしまる ひろこ)さんの誕生日は1964年6月9日です。東京出身の女優、歌手のようです。
映画、母親、卒業、子役、結婚、離婚、ドラマ、テレビ、引退、事故、現在、病気、姉妹、趣味、家族、父親、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。薬師丸ひろ子の現在の年齢は60歳のようです。
薬師丸ひろ子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)薬師丸 ひろ子(やくしまる ひろこ、本名:薬師丸 博子(読み同じ)、1964年〈昭和39年〉6月9日 - )は、日本の女優、歌手。東京都港区北青山出身。1978年のデビュー以来、角川映画の中心的存在として人気の頂点を極め、2000年代からは母親役が似合い、シリアスからコメディな役まで主演・助演の両方をこなすベテラン女優として、また、円熟した歌手として活躍している。 東京都立八潮高等学校、玉川大学文学部英米文学科卒業。 中学1年生の時、角川映画第3弾『野性の証明』の長井頼子役オーディションで優勝、高倉健との共演で1978年に映画デビュー。1980年に相米慎二の監督作品『 1985年に角川春樹事務所から独立する。その後も映画女優として『野蛮人のように』・『紳士同盟』・『ダウンタウン・ヒーローズ』・『病院へ行こう』・『タスマニア物語』などに出演する。歌手としては、民営化直後のNTTのCM曲「あなたを・もっと・知りたくて」や映画主題歌「紳士同盟」などのシングル曲だけでなく、オリジナル・アルバムを製作し、コンサートを開くなど本格的な歌手活動をする。しかし、1991年に安全地帯のリーダーの歌手玉置浩二と結婚し、歌手活動や映画の世界から遠ざかる。その後、1998年に玉置と離婚を発表。1997年に18年ぶりのドラマ『ミセスシンデレラ』に主演してからは、テレビドラマの世界にも活躍の場を広げる。 2000年代に入り、ドラマ『木更津キャッツアイ』(宮藤官九郎脚本)や『1リットルの涙』、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ(山崎貴監督)などに出演し、日本を代表する女優の1人として評価される。 2010年代には、木皿泉脚本のドラマや舞台、NHK連続テレビ小説への初出演(『あまちゃん』)などの女優活動の一方で、シングル曲や音楽アルバムの発表、35周年記念コンサートなど歌手活動にも取り組む。2013年の多方面での活躍と長年の放送文化に対する功績が評価され、放送ウーマン賞2013を受賞する。2014年には『第65回紅白歌合戦』に歌手として初出場した。2019年、NHK大河ドラマ(『いだてん〜東京オリムピック噺〜』)へ初出演する。2024年、第78回毎日映画コンクール 田中絹代賞受賞。 オリコンチャートによると、薬師丸のシングルの累計売上は2018年までに396万枚、アルバムは2005年までに189万枚を記録し、シングルとアルバムの合計の売上は585万枚となっている。 薬師丸は引退も考えていたが、角川春樹事務所はTBS系の単発ドラマ『装いの街』(1979年)や実相寺昭雄が監督した資生堂のコマーシャル「色」、雑誌『バラエティ』での写真モデルの仕事を入れることで薬師丸の芸能界から引退するという選択肢を奪った。その一方で、角川社長や側近の人たちは、本当に〔俳優の仕事が〕嫌になったら辞めさせてあげると薬師丸の気持ちを尊重してもいた。1979年1月4日に1回限り放送されたロングCM「色」は カンヌ国際広告祭で金賞を受賞した。翌1980年1月3日に放送された東陽一監督の資生堂ロングCM「口紅-あこがれ」にも出演する。 テレビドラマ『装いの街』(プロデューサー : 石井ふく子)は薬師丸が休業中だった1982年7月に『セーラー服と機関銃 完璧版』の併映作として劇場公開もされた。2012年のドラマ『妻が夫をおくるとき』では、石井ふく子の役を薬師丸が演じている。 1979年、中学3年生だった薬師丸は高校受験のため女優業は休止。1979年夏の角川文庫「時間がないんだ青春は」キャンペーンのポスターやチラシの仕事だけはしていた。雑誌『バラエティ』に薬師丸のグラビアが掲載されるたびに読者の反響が大きくなっていったので、初写真集『薬師丸ひろ子フォトメモワール』を発売する。当時、1800円という高額だったが、発売3日間で1万5000部、最終的には10万部を越えるベストセラーになった。映画出演2作目『戦国自衛隊』(1979年)は若侍役というカメオ出演だったのにもかかわらず、ファンが劇場に押し寄せた。 同年、キティ・フィルム代表多賀英典が薬師丸本人に直接映画『 宮本治雄によれば、ドル箱だった山口百恵を結婚引退で失った東宝はポスト百恵として薬師丸の2作品『翔んだカップル』(1980年)・『ねらわれた学園』(1981年)を配給した。 初主演映画『翔んだカップル』は大ヒットとはならなかったが、キティ・フィルムは相米慎二監督&薬師丸主演第二弾として『セーラー服と機関銃』(1981年)を予定していた。角川春樹事務所に薬師丸の出演交渉を行うが、他社映画への出演に難色を示した。しかし、薬師丸が角川春樹を説得し、キティ・フィルムと角川春樹事務所提携作品として映画が製作されることになった。 映画『セーラー服と機関銃』の中で機関銃を乱射するシーンで有名な「カイ・・・カン」のセリフは薬師丸のアドリブであると言われていたが、薬師丸は台本であると断言した。このシーンの撮影で割れたビンの破片が薬師丸の左頬に当たり少し出血する事故が起きるが、そのまま演技を続け映画の本編で使われている。傷は長さ1cm弱で浅かったが、対応した医師は傷痕は残ると宣告する。 『セーラー服と機関銃』の公開2日目(1981年12月20日)、大阪・梅田東映ほかでの舞台挨拶を予定していたが、徹夜組を含めた約8,000人 のファンが上映3館に殺到したため、放水車 を伴う機動隊まで出動し、舞台挨拶も上映も中止となった。その騒動は翌日のスポーツ新聞のみならず、一般新聞の社会面トップ記事にもなった。朝日新聞の1面には「機動隊と機関銃」という見出しの記事が載った。舞台挨拶を見られなかったファンは薬師丸を追って大阪空港へ殺到し、空港もパニックになる。空港を回避し新大阪駅に向かったが、そこにもファンがいて、結局、名古屋までタクシーで移動し東京に戻った。その後、薬師丸が大阪を訪問するには、何年かの間、警察の許可が必要だった。同月25日、「翌年(1982年)は大学受験のために仕事を控える」と休業宣言をする。休業期間は1年半だった。映画評論家の増當竜也によれば、『セーラー服と機関銃』は薬師丸を一躍日本映画界を代表する青春スターにしただけでなく、大作路線からプログラムピクチャー路線に舵を切った角川映画の救世主となった。 1982年1月、『セーラー服と機関銃 オリジナル・サウンドトラック』がオリコン週間LPチャート第1位になる。プロマイドの売上はデビューからベストテンにランクインしていたが、同月、ついに1位となった。 3月、1980年公開時にカットされた11分が復活した『翔んだカップル オリジナル版』がビデオ発売され、1年後の1983年3月に劇場公開された。 4月18日、第2の薬師丸ひろ子を発掘するために『角川・東映大型女優一般募集』オーディションが開催される。グランプリは渡辺典子、特別賞に原田知世。この後、原田知世・渡辺典子と共に「角川三人娘」と呼ばれる。 同月21日、薬師丸のナレーションと『野性の証明』・『ねらわれた学園』の出演シーンの音声などで構成された異色のアルバム『ひろ子 青春のメモワール』が発売される。5月、『ひろ子 青春のメモワール』がオリコン週間LPチャート第1位になる。 6月、前年(1981年)に舞台挨拶中止となった大阪で『セーラー服と機関銃 完璧版』の試写会挨拶を行い、『完璧版』は7月にミニシアター系で封切られる。 休業中の1982年11月、次作『探偵物語』(根岸吉太郎監督)が薬師丸の受験の合否に関係なく撮影されることが発表される。原作は前作と同じ赤川次郎で、書き下ろす前から薬師丸主演で映画化されることが決まっていた。1983年7月に公開された『探偵物語』(共演:松田優作、併映は原田知世主演『時をかける少女』)は薬師丸が出演した角川映画の中で最高の興行成績、配給収入28億円、興行収入51億円を記録する。その後、同年12月公開『里見八犬伝』(深作欣二監督)、1984年7月公開『メイン・テーマ』(森田芳光監督)に主演する。 澤井信一郎監督の『Wの悲劇』(1984年12月公開)は興行的な成功とともに映画の評価も高く、薬師丸の代表作となった。ブルーリボン主演女優賞の表彰式で、「この映画で燃えつきたので、(女優を)やめようと思った。でも、この賞は私にガンバレという励ましの意味でいただけたと思います」とスピーチ。澤井監督「役のつかみ方に天性のものがあって、方向さえきちんと示せば確実にできる子だと思いました」、澤井監督の師匠マキノ雅弘監督「普通はどんな上手い子でも数カットは作ったような間違った表情をするものだけど、この子にはそれが全くない」と賞賛している。澤井監督は薬師丸のセリフについて、声量があるため響きがあり、かつ、リズム感も良かったと解説している。 主演映画のヒットは続いていたが、内心ではずっと女優を辞めたいと思ってた。角川社長の「いつ辞めてもいい。でも、もったいないぞ」の言葉にその都度なだめられ、7年間、その気持ちを抑えていたが、二十歳の時、ユーミンの苗場のコンサートに遊びに行ったことを契機に、所属事務所を辞める決心をする。直接、社長に掛け合うと「分かった。でも、もったいないぞ。やりたくなったら、またいつでも始めろよ」と許可され、1985年3月26日、角川春樹事務所から独立する。引退の報道をうけ、大勢の取材陣が家に直接殺到することに困り、同月、個人事務所オフィス・メルを設立した。 既にブルーリボン賞の授賞式で、多様な作品に挑戦し芸域を広げるためフリーになりたいと宣言していた。独立した薬師丸をめぐっては、複数の芸能事務所から勧誘があったが、薬師丸は完全なフリーランスを選択。 『セーラー服と機関銃』の原作者である赤川次郎は、『翔んだカップル』・『セーラー服と機関銃』を監督した相米慎二と『Wの悲劇』を監督した澤井信一郎の2人が薬師丸の魅力を引き出したと評価している。 1985年の日本映画解禁後、台湾で大ヒットした日本映画の1本として『里見八犬伝』(1986年台湾公開) を挙げることができる。1986年、主演の薬師丸が映画宣伝のために台湾を訪れると連日マスコミを賑わした。ただし、日本語の使用に関しては規制が残っていたので、薬師丸はインタビューや歌の披露には英語を使用した。 2005年のインタビューで薬師丸は、独立後の2本の正月映画『野蛮人のように』(1985年)、『紳士同盟』(1986年)は模索していた時期の映画と回顧している。『紳士同盟』(配給収入 9.5億円)は興行的には失敗し、寺脇研は「薬師丸のアイドルとしての圧倒的なまでの神通力」は衰えたと感じた。その後、薬師丸は一枚看板のアイドルとしてではなく、女優として着実に歩むことになる。1988年は山田洋次監督の『ダウンタウン・ヒーローズ』、1989年に桃井かおりと再共演となった『レディ! レディ READY! LADY』に出演する。 1989年、冷戦終結に伴い外国人も立ち入ることが可能になったサハリン(樺太)を訪れた『薬師丸ひろ子が見た!サハリン(樺太)縦断1000キロ』(フジテレビ)に出演している。この番組は第7回ATP賞優秀賞ノンフィクション部門を受賞している。後に、このドキュメンタリーで「故郷」を歌ったことに薬師丸は触れている。1992年には続編『薬師丸ひろ子が見た!サハリン感動の47年』も放送される。 滝田洋二郎監督の『病院へ行こう』(1990年)には、〔共演者にもスポットが当たり〕自分だけにスポットが当たっていないことの面白さ、自分が主役でなくても成立する作品自体の面白さがあり、そういう点に引き込まれていったと答えている。『病院へ行こう』とオーストラリアのタスマニア島の自然を舞台にした『タスマニア物語』(1990年)によって、第14回日本アカデミー賞話題賞俳優部門を受賞する。同性愛の夫とアル中の妻、そして夫の彼氏の3角関係を描いた『きらきらひかる』(1992年)では、大人の女性の演技が評価される。『きらきらひかる』で高崎映画祭最優秀主演女優賞を受賞した。 1997年、『装いの街』(1979年)以来18年ぶりにテレビの連続ドラマ『ミセスシンデレラ』に出演した。デビュー以来、映画専門で芝居のキャリアを重ねてきた薬師丸を"銀幕女優"・"最後の映画女優"と呼ぶこともある。テレビドラマへの出演がなかったのは、映画に関わり続けたかったことや〔映画と比較して〕慣れていないテレビの早いサイクルに少し臆病になっていたことを理由に挙げている。〔撮影開始時に〕脚本が最終回分までは用意されていないことに戸惑ったとも答えている。『ミセスシンデレラ』でザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞を受賞した。 同年のNHKドラマ『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』 は多数の賞に輝いた作品だが、薬師丸も演技が評価され、第24回放送文化基金賞女優演技賞を受賞した。ドラマ評論家でもある樋口尚文監督は、薬師丸出演のテレビドラマでは井上由美子脚本の『熱の島で〜ヒートアイランド東京〜』や山田太一脚本の『香港明星迷』(ホンコンみょうじょうめい)のような作家性の強い作品に見るべきものが多いとしている。 2000年、『キネマ旬報』誌上の「映画を愛する74人の著名人が選んだ20世紀の映画スター 女優編」で日本女優第14位。同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では日本女優第10位。さらに、「映画館をいっぱいにしたマネーメイキング・スターは誰だ!」日本篇では、渥美清・西田敏行に次いで第3位。2014年に刊行された『オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100』では京マチ子・杉村春子・倍賞美津子らと並び日本映画女優の第11位にランクインした。 2002年、宮藤官九郎脚本の『木更津キャッツアイ』に浅田美礼(美礼先生)役として出演する。俳優としての宮藤とNHKドラマ『コウノトリなぜ紅い』(2001年)で共演していなかったら、"学校にタヌキの置物の爆弾を仕掛けるような奇抜な役"は引き受けなかった可能性もあったが、共演して知った 『ナースコール』(1993年)以後の10年間には、『マグニチュード 明日への架け橋』(1997年)と『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(2003年)の2本しか映画出演していない。その間はドラマやミュージカル『雨に唄えば』(1996年)・『シュガー』(1998年)などをしていて、良い経験・修行の期間、試練だったと薬師丸は答えている。 2005年『ALWAYS 三丁目の夕日』や『1リットルの涙』の母親役の演技が評価され、数多くの映画賞や複数のドラマの賞を受賞した。母親役は見ている人にとって身近なので「こんな母親いない」と判断されやすく、さらに、自分に子供がいないので母親役に不安もあった。経験のない分を街中の人間観察や想像で補っていると答えている。薬師丸は2005年キネマ旬報助演女優賞受賞に際し、20歳の時の『Wの悲劇』を評価していただいて以来20年ぶりと振り返り、受賞の理由を自分のキャラクターと役がうまくマッチした結果と想像するが、それよりも〔受賞対象となった〕素敵な映画や役に巡り会えたこと、それらの映画を観てくださった方々が強く感じてくれたことに感謝し、きっと映画のマジック、映画の 2006年3月、シネマヴェーラ渋谷で「女優 薬師丸ひろ子の軌跡」と題する特集上映(デビュー作から最新作まで)が開催された。 日本郵便が2006年10月10日に発行した特殊切手「日本映画II」(現代の名作)(1980年 - 2000年代公開)は、代表的な日本映画10作品を選定しているが、その1本に薬師丸主演の映画『セーラー服と機関銃』が選ばれた。 2009年9月12日放送の土曜プレミアム『戦場のメロディ〜108人の日本人兵士の命を救った奇跡の歌〜』(渡辺はま子の実話を基にしたドラマ)において、主役の渡辺はま子役を演じ、1か月の歌のレッスンをした上でドラマの中で「ああモンテンルパの夜は更けて」などのはま子の歌を歌唱した。この歌唱が『今度は愛妻家』(2010年)の公開記念イベントのコンサート開催へと 2012年、木皿泉作品に出演する機会があるのならば、それが舞台であろうと構わないと、14年ぶりに舞台『すうねるところ』に主演する。木皿作品の魅力を心臓をぎゅっと 初の朝ドラ『あまちゃん』(2013年4月 - 9月)の出演依頼は断るつもりだったが、プロデューサーから渡された台本を読み出演を決める。しかし、懸念が一つあり、それは薬師丸が演じる鈴鹿ひろ美の大女優という役柄だった。また、鈴鹿には"音痴"という設定もあったが、それは、視聴者の世代によって受け止め方が違った。30代から下の世代には本当に下手だと思っていた人もいた。しかし、ドラマの最終週で本来の歌唱力を披露すると大反響となった。薬師丸は役作りのために「トンネルの現場」(トンネルから先の線路や建物が津波で流された東日本大震災の被災現場)を訪れ、その経験から「潮騒のメモリー」を犠牲者追悼の賛美歌のようにしたいと考え、メロディーとテンポを変えて歌うことを提案していた。薬師丸が演じた鈴鹿ひろ美役は抜群の存在感だったと評価された。(35周年記念)コンサートもアルバムも『あまちゃん』より前に決まっていたけれど、「潮騒のメモリー」を歌わせてもらったことは、私にとって大きかったと振り返っている。薬師丸は歌う機会が増え、若い世代には歌手として認知され、上の世代には薬師丸の歌を久しぶりに聴いたという人もいた。 2003年から始まり、薬師丸がナレーションを担当する紀行・料理番組『食彩の王国』(テレビ朝日系)は2013年に10周年、放送回数も500回を超えた。 薬師丸がナビゲーターを務めた『ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜』(2013年)は第30回ATP賞情報・バラエティー部門最優秀賞と第40回放送文化基金賞テレビエンターテインメント番組優秀賞、主演し主題歌も担当した『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』(2013年)は第68回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門優秀賞を受賞している。 2014年、シリアスからコメディな役まで、主演・助演の両方をこなすベテラン女優として評価され、放送ウーマン賞2013を受賞した。 薬師丸がナレーションを担当した『赤めだか』(2015年)は 第42回放送文化基金賞テレビドラマ部門最優秀賞、小泉今日子と共に主演の『富士ファミリー』(2016年)は第32回ATP賞テレビグランプリのドラマ部門最優秀賞をそれぞれ受賞した。薬師丸は続編の『富士ファミリー2017』(2017年)でも小国鷹子を演じている。 2016年3月、ドキュメンタリー『ガウディの迷宮〜サグラダ・ファミリア100年の夢〜』の中で「生誕のファサード」を完成させた彫刻家の外尾悦郎と供にガウディゆかりの地を訪ねた。同年7月、スウェーデンを舞台にしたドラマ『百合子さんの絵本 〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争〜』では小野寺百合子を演じた。 2017年12月、出演した2本の映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』と『8年越しの花嫁 奇跡の実話』が公開された。『8年越しの花嫁 奇跡の実話』の演技が評価され第41回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した。 2018年はドラマ『アンナチュラル』と映画『コーヒーが冷めないうちに』に出演。12月には長編時代劇コメディー『LIFE!スペシャル 忍べ!右左ヱ門』に参加。 2019年、『いだてん〜東京オリムピック噺〜』でNHK大河ドラマ初出演。 2020年、7年ぶり2度目のNHK朝ドラ『エール』に出演し、ヒロイン・関内音(演:二階堂ふみ)の母親・光子を演じる(4月 - 11月)。第90回で讃美歌「うるわしの白百合」を劇中で歌ったのに続き、最終回(第120回)の特別編『エール』コンサートでは「高原列車は行く」(作曲・古関裕而)を披露した。10月、角川春樹監督最後の映画『みをつくし料理帖』(2020年)が公開された。 2021年、TBSテレビ系金曜ドラマ『最愛』では、社長で主役・梨央(演:吉高由里子)の母親・真田梓を演じる。2022年、2本の映画『とんび』・『川っぺりムコリッタ』(声だけの出演)。 連続ドラマ『拾われた男 LOST MAN FOUND』では、主役・松戸諭(演:仲野太賀)を拾う芸能事務所の社長・山村ひろ子を演じる。2023年、テレビ朝日系で2夜連続スペシャルドラマ『キッチン革命』では主役・香美綾子(壮年時代)役。 2024年、デビュー以来、長きに渡って映画ファンを楽しませてきた実績が評価され、第78回毎日映画コンクール 田中絹代賞を受賞。 相米慎二監督は『翔んだカップル』(1980年)で演技の未熟な薬師丸たちが出来るようになるまで撮影に時間を掛けてくれた。その時間の長さが相米監督の愛情だったと薬師丸は回顧している。監督に気に入られるために、何回も自転車で壁に突っ込むシーンに挑んだ。新人監督の相米が辛い立場なのは薬師丸も理解していて、そんな相米を怖いけれど兄のように慕う部分もあった。 薬師丸は『翔んだカップル』の相米監督との相性が非常に良かったので、次の映画(『ねらわれた学園』)の大林宣彦監督の現場に慣れるのに時間が掛かってしまった。これは「相米病」になっていたためと薬師丸は説明している。 相米監督からは「小芝居をするな」、「手足、足先まで力を入れろ」と言われた。「ゴミ」「クズ」「ガキ」と罵声を浴びることもあった。通称しごき棒と言われるもので 薬師丸が相米監督に最後に会ったのは、監督が亡くなる前年(2000年)の12月で、久しぶりに相米組が集まった時だった。 『キネマ旬報』の相米慎二追悼特集(2001年)で、実際には服を着ていても、生身の姿を人前にさらけ出す覚悟がカメラ前に立つには必要であること、演じることの厳しさ、怖さを相米監督から教わったと薬師丸は話している。そして、あの時期があったからこそ、薬師丸は女優を続けられているとも述べている。 松本隆との対談の中で、薬師丸は原点である『セーラー服と機関銃』が相米の死によって「思い出」になってしまうことが悲しいと話した。 1981年の『セーラー服と機関銃』の頃、10代の男女中高生人気に支えられていた薬師丸は、多くの中年男性(オジン)からは、桃太郎似で、大多数の普通の女の子と大差なく、子供向けであり、かつ、角川の商業主義が捏造したアイドルと 角川映画時代にリリースしたシングル「セーラー服と機関銃」(1981年)・「探偵物語」(1983年)・「メイン・テーマ」(1984年)・「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)は、すべて主演映画の主題歌である。「メイン・テーマ」が最高位2位だったため、シングル連続首位記録は途切れたが、他の3曲はオリコン1位を獲得している。 セカンド・シングル「探偵物語」の両A面である「すこしだけやさしく」(1983年)は、TBS系『わくわく動物ランド』のエンディングテーマになっている。 再度、映画主題歌を歌うことになった「探偵物語」で作詞家の松本隆や作曲家の大瀧詠一に出会ったことで、歌うことやアルバム作りの楽しさを知り、今後も歌い続けたいと思った。もし、二人に出会っていなかったら、歌手との両立など考えずに、女優だけをしていたかもしれないと話している。松本は一連の薬師丸作品に関して、流行を狙うような俗っぽいビジネスライクなものとは違うものを作ろうとした。そして、松本は薬師丸に書いたすべての曲に満足していると答えている。 薬師丸の代表曲の1つである「元気を出して」は、竹内まりやが薬師丸のために書き下ろした。47.7万枚の売上を記録したファースト・アルバム『古今集』(1984年)に収録されているが、これまで、シングルカットされたことはない。その後、1987年に竹内まりやがアルバム『REQUEST』でセルフカバーした時に、山下達郎と共にコーラスに参加している。2人のコーラスは絶品と竹内まりやは賞賛している。 角川春樹事務所から独立した1985年には、シングル3枚「あなたを・もっと・知りたくて」・「天に星. 地に花.」・「ステキな恋の忘れ方」とセカンド・アルバム『夢十話』をリリースしている。 「あなたを・もっと・知りたくて」は民営化直後のNTTのCMソングで、薬師丸自身がCMに出演すると同時にCMソングも歌っている。「ささやきのステップ」(1986年)・「瞳で話して」(1986年)・「風に乗って」(1991年)もNTTのCMソング。 「ステキな恋の忘れ方」は映画『野蛮人のように』の主題歌で、映画関連としては1986年の「紳士同盟」(同名映画『紳士同盟』の主題歌)、1988年の「時代」(『ダウンタウン・ヒーローズ』のイメージソング)、1989年の「Windy Boy」(映画『レディ! レディ READY! LADY』主題歌)がある。 『古今集』(1984年)以来、1985年『夢十話』、1986年『花図鑑』(松本隆プロデュース&全曲作詞)、1987年『星紀行』と毎年1枚のオリジナル・アルバムのリリースがルーチンとなっていた。 1987年7月 - 8月にファースト・コンサート『星紀行』を行った。コンサートは翌年1988年8月 - 10月にも『SENTENCE』を開催している。 1987年10月、玉置浩二作曲のシングル「胸の振子」をリリースし、『ミュージックステーション』に出演している。『ミュージックステーション』へは「時代」(1988年)と「語りつぐ愛に」(1989年)でも出演している。玉置作品は他に「交叉点 〜そう それがそう〜」(1997年)がある。 1988年3月のフジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』ではマンスリーゲストを務め、特に卒業式前日の3月9日には同番組内でミニ・コンサート(服部克久指揮)を実施した。 同年7月にリリースしたシングル「時代」は中島みゆきのカバー。薬師丸の愛唱歌だったが、当時、中島がコンサートでは歌っていないので残念に思い、アルバム『Sincerely Yours』(1988年)の1曲とした。「時代」はフジテレビ系『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマにもなっている。 1989年1月のシングル「語りつぐ愛に」は「セーラー服と機関銃」と同じ来生たかお・来生えつこ姉弟の作品で、しかも、「セーラー服と機関銃」以来の競作曲となっている。「語りつぐ愛に」は日本テレビ系『水曜グランドロマン』の主題歌になっているが、薬師丸自身は『水曜グランドロマン』には出演していない。 同年3月に6枚目のアルバム『LOVER'S CONCERTO』、10月にシングル「Windy Boy」をリリースする。 別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限っても218.7万枚と当時の女性アイドル中7位であった 同じく1980年代、当時の女性アイドル中年間シングルオリコンチャート最高位の座は2回獲得している(1982年、1983年)。 1990年は、3月に7枚目のアルバム『Heart's Delivery』のリリース、3月 - 4月には3回目のコンサートとなる『ハート・デリバリー』を開催し、5月にシングル「手をつないでいて」を発表した。 1991年1月の玉置浩二との結婚を電撃発表の後、同月にシングル「風に乗って」、3月に8枚目のアルバム『PRIMAVERA』をそれぞれリリースする。 玉置との結婚中には、玉置のアルバム『カリント工場の煙突の上に』(1993年)に収録の「 1997年6月に、「風に乗って」(1991年)から6年ぶりのシングル「交叉点 〜そう それがそう〜」、12月に「恋文 〜哀愁篇〜」をリリースする。 1998年2月に『PRIMAVERA』(1991年)から7年ぶり9枚目のオリジナル・アルバム『-恋文-LOVE LETTER』を発表する。同年4月にはシングル「smile スマイル smile」(作詞:薬師丸)をリリースする。 2000年2月、テレビ朝日系主演ドラマ『恋愛中毒』の主題歌「Love holic」(作詞:松本隆)をリリースする。2006年3月、音楽番組NHK『音楽・夢くらぶ』へ出演。「セーラー服と機関銃」・「探偵物語」などのヒット曲を披露した。2008年9月放送のNHK『SONGS』に出演し代表曲を披露する。『SONGS』には2011年、2013年、2016年3月、2016年12月、2018年、2020年、2021年にも出演している。 2000年代の少ない歌手活動について、商業的にあまり必要とされていなかったのかもしれないと薬師丸は答えている。 2010年出演映画『今度は愛妻家』の公開記念イベントの一環として、1990年以来20年ぶりとなるコンサートを東京(1月7日)と大阪(1月12日)で開催。またコンサートの中で、同映画の監督行定勲と夫役の豊川悦司を交えてのトークショーも行なわれた。薬師丸はコンサートに人が集まるか不安だったが、合計2000席のチケットは発売開始3分で完売した。 2011年3月、主演映画『わさお』が公開され、主題歌「僕の宝物」も自らが担当。主演映画の主題歌を歌うのは22年ぶりとなる。「僕の宝物」は2013年11月のTBS系のドラマ『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』の主題歌にもなっている。2011年12月放送の『2011 FNS歌謡祭』で平井堅と「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットする。『FNS歌謡祭』には2013年にも出演しデュエットを含め3曲「セーラー服と機関銃」・「元気を出して」・「時代」を披露している。 2012年11月にリリースされたケルティック・ウーマンのアルバム『心のクリスマス/ホーム・フォー・クリスマス』のボーナス・トラック曲「ユー・レイズ・ミー・アップ〜 祈りヴァージョンfeat.薬師丸ひろ子」でコラボレーションした。 2013年10月に芸能活動35周年記念コンサートを東京・大阪で開催した。1990年の『ハート・デリバリー』以来23年ぶりの単独コンサートとなった。コンサートのパンフレットには、井上陽水、竹内まりや、中島みゆき、松任谷由実(掲載順)からの祝福のメッセージが掲載されている。このコンサートを観た先輩達から「もっと歌っていきなさい」と言われたことで、2014年12月のライブ『Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜』を自ら企画した。ライブは2013年12月にリリースした初のカバー・アルバム『時の扉』の曲を中心に構成され、アルバムの編曲を担当した吉俣良がアレンジャー兼サポートミュージシャンとして参加している。 2015年7月、『THE MUSIC DAY』に出演し、「時代」と「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱した。同年10月に行われた『薬師丸ひろ子 コンサート2015』では、薬師丸のヒット曲や「黄昏のビギン」・「夢で逢えたら」・「冬の星座」などのカバー曲・唱歌に加え、自身が声優として参加した劇場アニメ『シンドバッド 空とぶ姫と秘密の島』(2015年)の劇中歌「わたりどり」も披露された。 2013年末に急逝した大瀧詠一を追悼する『SONGS』(2016年3月)に出演し、ナレーションと大瀧作曲の「探偵物語」を歌っただけでなく、生前の大瀧のボーカル・トラックと鈴木雅之が共演する「夢で逢えたら」にも参加した。2016年7月、前年に引き続き『THE MUSIC DAY』に出演した。9月には初の野外コンサート『世界遺産劇場 春日大社 第六十次式年造替奉祝 薬師丸ひろ子コンサート』を実施し、アンコールでカバー・アルバム『Cinema Songs』から「ムーン・リバー」を歌唱した。11月に実施した『Premium Acoustic Night 〜シネマソングス〜』 の追加公演が2017年1月に行われることになった。12月、3年ぶりに『FNS歌謡祭』に出演する。『SONGSスペシャル 薬師丸ひろ子 〜高倉健さんが教えてくれた映画のすべて〜』では、デビュー作『野性の証明』のロケ地である金沢を訪れ、高倉健との思い出を語るとともに『Cinema Songs』に収録の映画音楽と薬師丸主演映画の主題歌を披露した。 2017年4月、『Cinema Songs』収録の「追憶」がドラマ『女の勲章』の主題歌に採用された。6月には井上陽水作詞作曲の新曲「めぐり逢い」を含むライブ・アルバム『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』をリリースする。7月、3年連続で『THE MUSIC DAY』に出演し「ステキな恋の忘れ方」を歌った。 8月25日に放送された『The Covers』に出演し、「夢で逢えたら」・「Woman "Wの悲劇"より」・「めぐり逢い」を披露した。 2018年2月に『薬師丸ひろ子 コンサート2018』を行い、5月リリースの新アルバムから新曲「ここからの夜明け」も披露した。3月には作詞家・松本隆を特集した音楽番組『うたコン』に初出演し、「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱した。4月からNHK『みんなのうた』に楽曲「窓」の歌唱で、NHK『ラジオ深夜便』の「深夜便のうた」には楽曲「こころにすむうた」で参加する。また、同月、2月に開催された『薬師丸ひろ子 コンサート2018』がNHKBSプレミアムで放送される。5月には1998年の『-恋文- LOVE LETTER』以来20年ぶりのオリジナル・アルバム『エトワール』をリリース。同月、音楽番組の『ミュージックフェア』に出演し「セーラー服と機関銃」と「ここからの夜明け」の2曲を披露し、『SONGS』では「日本一星空がきれいな村」長野県阿智村を訪れるロケを行うと共に、「探偵物語」・「Woman "Wの悲劇"より」・「窓」を歌唱した。9月から10月にかけてライブツアー『Premium Acoustic Night 〜エトワール〜』をビルボードライブ東京・大阪で開催。また、10月に参加した「ビクターロック祭り大阪×MBS音祭2018」が薬師丸にとって初フェスとなった。12月の『2018 FNS歌謡祭』では松下奈緒のピアノで「Woman "Wの悲劇"より」を披露した。 2019年3月、NHKのコンサート番組『RUN! HOPE! RUN! 〜N響×大友良英×いだてんコンサート〜』の公開収録で「見上げてごらん夜の星を」を歌唱した。9月から10月にかけて『薬師丸ひろ子 コンサート2019』を東京・大阪・宮城・佐賀の4か所5公演を実施、「潮騒のメモリー」や「守ってあげたい」を披露。12月、『2019 FNS歌謡祭』に出演、「時代」と「メイン・テーマ」を歌唱。 2020年1月に出演した『SONGS』では、『薬師丸ひろ子 2019コンサート』のライブ映像「守ってあげたい」・「潮騒のメモリー」・「アナタノコトバ」・「セーラー服と機関銃」や舞台裏の様子が放送された。2月、Blu-ray&DVD&CD『薬師丸ひろ子 2019コンサート』の宣伝として、東京・西武新宿駅前のユニカビジョンで特集放映を実施。10月、NHK『映画音楽はすばらしい!』に出演し、「セーラー服と機関銃」・「Woman "Wの悲劇"より」・「コール」(主演映画『ナースコール』主題歌、玉置浩二のカバー)の3曲を披露した。 2021年3月の『ミュージックフェア』中島みゆき特集では「時代」、7月の『2021 FNS歌謡祭 夏』では「元気を出して」を歌唱。11月5日、YouTubeチャンネル・オープン。11月21日、歌手活動40周年記念オールタイムベストアルバム『Indian Summer』リリース。また、東京・キリスト品川教会グローリア・チャペルで行なった無観客によるWOWOWオリジナルコンサート『薬師丸ひろ子 40th Anniversary Starting Special Concert』がWOWOWから放送・配信。11月25日の『SONGS』(コメントゲスト:宮藤官九郎)では、歌手デビュー40周年スペシャルメドレー(「セーラー服と機関銃」、「探偵物語」、「あなたを・もっと・知りたくて」、「メイン・テーマ」、「Woman "Wの悲劇"より」)と連続テレビ小説『エール』で話題となった讃美歌「うるわしの白百合」を歌唱後、ユーミンが呉田軽穂名義で37年ぶりに薬師丸へ提供した新曲「Come Back To Me 〜永遠の横顔」をTV初披露。12月1日の『2021 FNS歌謡祭』第1夜では「探偵物語」、12月11日の『ミュージックフェア』では「Come Back To Me ~永遠の横顔」と「Woman "Wの悲劇"より」、12月19日の『The Covers』「歌手デビュー40周年! 薬師丸ひろ子ナイト! - いま届けたい名曲 -」(NHK BSプレミアム、NHK BS4K)では「守ってあげたい」、「コール」、「Come Back To Me 〜永遠の横顔」の3曲を披露。12月31日、第72回NHK紅白歌合戦に出演、東京フィルハーモニー交響楽団をバックに「Woman "Wの悲劇"より」を歌唱。ピアノ演奏、オーケストラアレンジは編曲者の松任谷正隆。 2022年5月25日、Blu-ray/DVD『Live at GLORIA CHAPEL 2021』リリース、これは2021年11月21日に品川教会グローリア・チャペルで披露された初の無観客コンサートの模様を完全パッケージしたもの。9月10日、NHK『ニッポン「今」つないでみたら』に出演、「アナタノコトバ」を歌唱。10月2日、2019年以来3年ぶりとなる『薬師丸ひろ子40th Anniversary Tour 2022 ~アナタノコトバ~』スタート(追加最終公演は11月18日)。10月8日、フジテレビ系列『MUSIC FAIR』「リスペクト! ユーミン」に出演、「守ってあげたい」を披露。 2023年、『祝・歌手活動40周年 薬師丸ひろ子 WOWOW特集』として、40周年記念ツアーファイナルや過去のコンサートなどがWOWOWから放送・配信、1月は40周年記念ツアーファイナル『40th Anniversary Tour 2022 〜アナタノコトバ〜』と〔初の無観客コンサート〕『40th Anniversary Starting Special Concert presented by WOWOW』。2月、2014年のビルボードライブ『Premium Acoustic Night 時の扉 〜Look For A Star〜』、3月は2016年の〔初の野外ライブ〕『35th Anniversary Best Songs 1981-2017 〜Live in 春日大社〜』。3月19日、テレビ朝日系音楽バラエティ『関ジャム 完全燃SHOW』「歌う女優特集」に出演、〔武部聡志のキーボード伴奏のみで〕「Woman "Wの悲劇"より」〔を含む2曲〕を即興歌唱。3月22日、『薬師丸ひろ子 2022コンサート』Blu-ray/DVD/CD リリース。 映画の公開前キャンペーンの一環としての歌番組出演だったため、〔映画公開前に〕音楽番組の『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』、『ザ・トップテン』などに1、2回出演し、〔映画が公開された後は〕出演依頼を断ることが圧倒的に多かった。通常、〔所属する歌手の出演を放送局に〕お願いする立場のレコード会社には難しい仕事だったため、歌番組との窓口は映画会社の東映が担当した。主演女優の宣伝は映画公開初日までという映画界の慣習を出演辞退の理由として活用した。歌番組への出演を控えた理由として、当時東映の宣伝担当だった遠藤茂行は、角川側が映画公開直前以外は薬師丸を世間に露出せずファンの飢餓感をあおる戦略を取っていたことや薬師丸が学業優先としていたこと、音楽活動が映画主題歌に限定されていたことを挙げている。 薬師丸にとってのアイドルはユーミン。小学生の頃、ピアノで「ひこうき雲」・「翳りゆく部屋」などの弾き語りの真似をしていた。そんな憧れの人が主題歌(『ねらわれた学園』の「守ってあげたい」)を担当したり、憧れの人から曲(「Woman "Wの悲劇"より」)を提供をされる。1985年3月の苗場のコンサートや2013年1月のユーミン40周年記念イベントに参加している。2011年4月放送のフジテレビ『僕らの音楽』で松任谷由実と共演し、「Woman "Wの悲劇"より」をデュエットした。2016年現在でも松任谷由実の前では緊張すると発言している。 音楽雑誌『レコード・コレクターズ』(2014年11月号)の特集「80年代女性アイドル・ソング・ベスト100」では薬師丸の曲が4曲選ばれた。5位「セーラー服と機関銃」、13位「探偵物語」、17位「Woman "Wの悲劇"より」、20位「あなたを・もっと・知りたくて」。 評論家の栗原裕一郎は、薬師丸にはアイドルのような人気があったが、アイドルとは別種のスターだったと述べている。 『セーラー服と機関銃』は映画・主題歌いずれも1980年代を代表する大ヒットとなったが、当時は薬師丸が大学受験のため休業中だったので1982年の『第33回NHK紅白歌合戦』を辞退、「セーラー服と機関銃」は薬師丸の代わりに桜田淳子によって披露された。薬師丸は2005年の『第56回紅白』にゲスト審査員、2007年の『第58回紅白』に応援ゲストと2回出演した後、特別出演した2013年の『第64回紅白』で『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美に 過去のヒット曲を歌う時は、聴き手の記憶のイメージを損なわないために、原曲のキーで歌い、節回しも変えないという 2017年のインタビューで、幸せ過ぎても、辛くても歌声に大変影響があり、自らの心身と向き合うことが必要だと発言している。〔映画『8年越しの花嫁』で演じている〕病気の娘を持つ母親役を引き摺っている状態で行われたライブリハーサルでは、〔悲しくて〕高い声は出ず、歌うことも楽しく感じられなかった。そのため、一時は「原曲キーで歌います」という宣言を取り消そうかと考えた。 2021年11月日本経済新聞のインタビューで、「芝居の役はあくまでも役であって私ではないが、歌は違う。伝えたくない言葉は混じっていない。この言葉を伝えたいと心から思って表現できるから、歌うのはとても好き。」と語っている。更に往年のヒット曲を歌手デビューから同じキーで40年間歌っている秘訣についても聞かれ、「数年前、米国の演劇畑の方が考えた発声法を教わった。それが芝居だけでなく、歌にも役立っているのかなと思う。昔のヒット曲はもはや私から離れ、多くの方々の思い出に組み込まれている存在だから、限りなく原曲に忠実に歌おうと心がけている。」と語っている。 歌唱力に関しては、アイドル風でなく、合唱団風と 歌声について、竹内まりやは「爽やか」で「 音楽ライターの栗本斉によれば、薬師丸の歌手としてのキャリアが幸せなものとなった理由の一つとして、一流スタッフからもたらされた完成度の高い楽曲の存在がある。その高いレベルに応える歌唱力があったからこそヒットし、評価されていると解説する。音楽評論家のスージー鈴木によれば、2曲の名曲、大瀧詠一作曲「探偵物語」(1983年)と呉田軽穂(松任谷由実)作曲「Woman "Wの悲劇"より」(1984年)に出会えたことが、歌手薬師丸にとって幸運だった。田家秀樹によれば、薬師丸の同世代の歌手に対する優位性は、1980年代にリリースした5枚のアルバム『古今集』(1984年)・『夢十話』(1985年)・『花図鑑』(1986年)・『星紀行』(1987年)・『Sincerely Yours』(1988年)の存在によるところが大きい。 薬師丸ひろ子は1964年(昭和39年)6月9日、東京都渋谷区にある日本赤十字病院で2人姉妹の次女として生まれ、港区青山の共働き家庭で育った。じっと集合住宅のエレベーターの前で仕事帰りの母親を待っているような園児だった。両親の趣味はクラシック音楽で演奏会に連れて行かれることもあった。幼稚園や小学校低学年の頃、ケガや病気で具合が悪くなると共働きの父母ではなく祖母に背負われて下校した。帰り道の青山通りは人の目が多いので恥ずかしかったのと同時に、恥じている自分が〔祖母に対して〕申し訳なかった。原宿幼稚園には髪がカールした園児が多かったこともあって、お鍋を 角川春樹によれば、薬師丸は芸能界に憧れがあって入ってきたわけではない。 写真家・会田我路は、角川映画第2弾『人間の証明』に女優を紹介した縁で、次作『野性の証明』(1978年)の高倉健の娘役に適した少女を探していた。港区立青山中学1年だった薬師丸が地元を歩いているところを偶然見かけスカウトした。『野性の証明』オーディションに届いた、ある小さな芸能事務所が送ってきたスナップ写真の中に薬師丸がいた。 薬師丸は2次審査を通過したという通知で、自分の写真が送られていた事実を知った。非常に困惑した薬師丸母娘は、最終審査に落選すれば、写真を送った人も薬師丸のことを諦めてくれるだろうと期待していた。 2次審査通過後、角川春樹事務所に呼ばれた際に、今回のオーディションは年齢を理由に不合格だが、今後、芸能活動するつもりはないかと角川春樹から尋ねられる。芸能界入りを望んでいなかった薬師丸は、落選する保証を社長から貰ったと思い込み最終審査に臨んだ。 その小さな芸能事務所は薬師丸と契約前の状態で、 〔『野性の証明』オーディションで〕手応えがあれば契約しようとしていた節があった。しかし、角川は、その芸能事務所との関係を解消させた。 オーディション翌日、薬師丸は新聞に自分の名前が大きく載っているのを見て、この既成事実を覆すことは、もはや不可能と映画出演することになった。 『野性の証明』(1978年)の現場スタッフや共演者から可愛がられ、役者としての素質を評価する声もあったが、高校受験を控えていた薬師丸自身には女優継続の意志はなかった。祖母には芸能界入りを反対され、母親とは『野性の証明』だけで芸能界を辞めると約束もしていたので、撮影後、お世話になった共演者・スタッフにギャラの大半から買い求めたプレゼントにお礼の手紙を付けて贈っていた。デビュー映画のヒットは、下校を尾行したり、自宅へ押しかけたり、〔家の固定電話に〕電話をかけてくるような迷惑なファンも同時に生み出し、家族も被害者となった。初めての映画(『野性の証明』)の後、撮影中は病気になってはいけないと緊張していたが、無事に終わって安心したのと疲労から自律神経失調症になった。 薬師丸に芸能界への憧れがなかったのは、青山という出身地が大きく関係している。スターを実際に目撃することも多く、友達の父親がアイドルのディレクターだったり、友達の家に「せんせい」でヒットを記録した森昌子が遊びに来ていたり、芸能界に関係する人が周囲に大勢いたので、とても自分には向いていないと考えていた。出身地の環境とのギャップを感じていた薬師丸は、本来の自分の姿を「都会の田舎育ち」と形容している。『翔んだカップル』(1980年)の出演交渉の時、地味で、はしゃぐのが苦手なので、将来の希望は、役者よりも映画のスタッフ(スクリプター)になることだった。1993年の対談集の中で「テレビドラマに出ない理由」として、若い頃はテレビに出ることで不特定多数に自分のことを知られたり見られたりすることが嫌で、映画ならば映画館に行った人以外は薬師丸に興味も持たず知られることはないと考えていたと話している。 2013年時点でも、薬師丸は華やかな芸能界には デビュー作の『野性の証明』(1978年)は大ヒットしたが、この1作で芸能界引退も考えていた。理由は、進学することが当然と思っていたのに、映画の撮影等で53日間の長期欠席を余儀なくされ、学業が遅れてしまったからである。そのため、所属の角川春樹事務所に対して、学校を欠席する必要のないことを仕事の条件として要求した。結果、2作目の『戦国自衛隊』(1979年)は学業に支障がない祝日、体育の日だけの撮影となった。その後、映画撮影は学校の春夏の休暇を利用し、大学を卒業するまで仕事を理由に学校を欠席することはなかった。映画の撮影現場は第2の義務教育だと思っていた。監督からは芝居のことで叱られ、立ち食いを怒られ、撮影現場には父親的存在が何人もいた。 高校の恩師は、学校を休むな、〔薬師丸は芸能人なので〕休むのが当然と思われたら本当の学生生活を送っているとは言えないというのが持論だった。その先生のおかげで、普通の高校生活が送れ、良い友達にも恵まれた。校門の前にファンの男の子数十人が並んで待っていたり、学校の壁一面が落書きで埋まっていたりすることもあった。登校時の薬師丸が通用門に中傷の落書きを見付けた時は、学校の誰かが下校時までには消してくれていた。映画監督の樋口尚文は、同級生にガードされ青物横丁駅から高校へ登校する薬師丸を目撃したことがあるが、さながら『ねらわれた学園』(1981年)の1シーンで、当時の日本中の男の子の「守ってあげたい」対象だったのだろうと述べている。薬師丸にとって「普通の高校生」であることが仕事にプラスの効果をもたらした。 大学受験に関して、父親からは「既に仕事を与えられているのだから、それを活かすべきじゃないか」と反対され、逆に母親からは「大学に行きたいのならば、大学に行くのが一番」と後押しされた。休業中の1982年12月に薬師丸の玉川大学の推薦入試に合格したことがマスコミに漏れ、角川春樹事務所から公表される。1983年4月、玉川大学英米文学科に入学する。英米文学科の倍率は前年の4.7倍から7.6倍に、大学全体では前年の5.1倍から6.7倍に志願者が増加した。 大学4年の頃、薬師丸だと気付いてない男子大学生に「可愛い」と言われたと、ルンルン気分で自分の友達に触れまわったことがあった。そんな普通の女子大生の生活を過ごした。昼食に大学の友達と学食で220円のラーメンを食べていることが写真週刊誌の記事になることもあった。『メイン・テーマ』(1984年)の原作者片岡義男は角川映画40周年を特集した『キネマ旬報』に、友達連れの21、22歳の頃の薬師丸から小田急小田原線の玉川学園前駅の階段で声を掛けられたことを色あせない記憶として寄稿している。自宅から大学まで遠かったこと、玉川大学が出欠に厳しかったこと、高校と比較して範囲の広い定期試験など、大学生活はハードだったと薬師丸は振り返っている。仕事をしていなかったら、4年制大学には行かなかっただろうとも語っている。1年生の時に病気で休学したため、5年間の大学生活を過ごし、1988年3月に玉川大学を卒業する。 雑誌『アサヒグラフ』の「戦後ヒーロー&ヒロイン伝説」の中で宮本治雄は、等身大である彼女自身を表現したことが薬師丸の特徴であると解説している。女優である薬師丸ひろ子と学生である薬師丸博子を薬師丸自身が明確に分けて考えていたとも宮本は書いている。 1991年1月、安全地帯の玉置浩二とハワイのマウイ島にある教会で挙式する。結婚後1年間は芸能活動を完全休業し主婦業に専念した。安全地帯のコンサート・ツアーに同行することもあった。1996年12月に玉置が大腸の炎症になった時、薬師丸は看病するだけでなく生放送の音楽番組に代理で出演し、お詫びの言葉を述べた。 結婚生活は7年半で、1998年6月5日に開かれた薬師丸の誕生パーティーの席で玉置との離婚を発表する。離婚は2人が幸せを掴むためのスタートラインに再度立つことだと述べている。 薬師丸は2016年のインタビューで歌が上手いと思う歌手に玉置の名前を挙げている。 『野性の証明』(1978年)の製作発表の席で高倉健は13歳の薬師丸に「これからよろしくお願いします」と大きな手を差し出した。大人から、このように扱われたことはなかったので、薬師丸は感激すると同時に高倉に嫌われないように、迷惑かけないようにしようと思った。薬師丸は高倉からプレゼントされた大きなラジカセを愛用していた。 高倉から言われた「チャラチャラするなよ」を自らの原点として守ってきた。薬師丸は大学受験について高倉に相談したことはなかったが、合格したことを伝えると大変褒めてくれた。大学や仕事の話をすると高倉は薬師丸を褒めるのが常だった。高倉から褒められれば、薬師丸には頑張ることしか選択の余地がなく、ありがたい言葉であると同時に、一番厳しい、怖い言葉でもあった。 体調不良で医者に運動をするように言われた時、高倉健から勧められ同じジムに入った。しばらくして高倉に毎日ジム通いしてることを伝えると、「ジムに毎日来る奴に、幸せな奴はいないんだ」と言われる。 1979年6月9日に薬師丸は高倉主演『動乱』(1980年)の撮影現場を訪問し対談をしている。またその後も交流が続き、2011年11月、高倉健の遺作となった『あなたへ』(2012年)の撮影現場にも訪ねている。薬師丸は、この訪問で俳優高倉健の姿を目に焼き付けられたことが、今後の人生の糧になると発言している。 2014年11月、映画共演は『野性の証明』だけだったが、その後も公私で関わりのあった高倉健の訃報を聞いて、体から魂が抜けていった感じがしたとラジオで語った。12月、ラジオの高倉健追悼特別番組のパーソナリティを務める。同月の『第65回紅白』では「今年色々な出会いや別れがありましたが、紅白という晴れやかな舞台で、目に見えない遠くまで歌が届くといいなと思います」と述べた。 20歳の薬師丸は『Wの悲劇』(1984年)の出演後、俳優を辞める決心をした。自信も映画に対する情熱も失っていたこと、仕事中心の生活から自由になりたかったことなどを理由に挙げ、精神的に追い詰められていたと当時を振り返っている。一時は引退も考えた薬師丸は、撮影現場で「飽きない、冷めない、慣れない」の三原則を自らに課し、女優として再出発する。同じ頃のインタビューでは、30歳ぐらいになった時に良い母親役のできる女優になっていたいと願望を語っていた。 30代半ば、女優を続けて行くか悩んでいた頃、渡米しカウンセリングを受けた。自身の俳優への適性を相談すると、先生から俳優を何年しているか聞かれ薬師丸が答えると、「あなた、もう20年以上も俳優を続けてきたのでしょう? そんなに続けられたのに向いてないわけないでしょう。もういいんじゃないの、悩まなくても」と言われた。その言葉で目が覚め、自分は好きだからこの仕事(俳優)をしているんだと再確認し、人に望まれる限り女優を続けたいと話している。それからは、自分の演じたい役や表現したいことに出会った時に、それを体現できるようになってればいいと思うようになった。 〔薬師丸主演の『セーラー服と機関銃』(1981年)などの〕その頃の邦画を学生時代に見た、同世代の監督やスタッフと映画やテレビの仕事ができることに感謝している。『今度は愛妻家』(2010年)を監督した行定勲は『セーラー服と機関銃』を観て映画に興味を持ったと話している。また、 薬師丸が初主演したドラマ『ミセスシンデレラ』(1997年、フジテレビ)のプロデューサーで、薬師丸をテレビに担ぎ出した小岩井宏悦は、この業界に入ったきっかけとして映画『Wの悲劇』(1984年)を挙げている。〔現場のスタッフなどから〕球場で薬師丸さんが野球しているのを見に行きましたなどと話をされると、無駄遣いさせてすみませんと謝ることもある。 雑誌やコマーシャルのスタイリストをしていた小川久美子は、デビュー直後の1978年から角川春樹事務所独立後の『タスマニア物語』(1990年)までの間、薬師丸の衣装を担当していた。小川はスタッフとして初参加した『セーラー服と機関銃』で映画の世界に魅了され、その後、映画の衣装デザイナーに転身した。小川にとって薬師丸との出会いが人生のターニングポイントとなった。 『あまちゃん』(2013年)での鈴鹿ひろ美(演:薬師丸)が天野アキ(演:能年玲奈)に向けて言ったセリフの「続けていくのも才能よ」「向いてないけど、続けるっていうのも才能よ」は薬師丸自身を励ます言葉のように感じている。 2014年3月、放送ウーマン賞2013の授賞式で、芸能生活35年は混沌として計画的なものではなかったと回顧し、「子供の時から地味で社交性がなかった私が、みなさんのおかげで表舞台に立たせていただいて、35年間この仕事を続けることができた」と感謝の言葉を述べた。また、早めの失敗があったから頑張れたとも話した。 2017年のインタビューでも甘くなく、順調ではない〔芸能〕人生だったと薬師丸は回顧している。しかし、どこかに奇跡が転がっているとも付け加えている。 『里見八犬伝』(1983年)の撮影中、次作の『メイン・テーマ』(1984年)の撮影で自動車運転免許が必要になり教習所に通った。同時期同じ教習所に竹内まりやが通っていた。マネージャーなしの1人で、薬師丸が教習所近くの中華料理店で居合わせたサラリーマンと相席で餃子定食を食べてきた話をした時、竹内は薬師丸と友達になれると思ったと対談で答えている。薬師丸は運転の中では特に車庫入れが得意で、それを見かけたタクシー運転手に褒められたこともある。生まれも育ちも東京なので都内の道に詳しく、道に不案内なドライバーの助手席はストレスが溜まると話している。 高校時代、自分の存在を皆に知られているように思えて苦しくなったこともあった。どこの高校に通っていて、どこの大学を受験するのかを皆が知っているんじゃないかとプレッシャーから疑心暗鬼に駆られ、翌朝、友達を誘い軽井沢へ出掛けた。 1998年のインタビューで、薬師丸は精神的にバランスを崩している時には現実逃避の旅に出ると答えている。5年連用日記を付けていると、毎年同じ時期に、現実逃避の旅に出ているか、または、〔旅に出られない時は〕東京にいて深く悩んでいて、そんな自分の精神状態の周期性に驚かされると話している。日記を読み返すと、「人生はこんなものだ」と自分に言い聞かすことができるとも薬師丸は答えている。2005年のインタビューでは10年分が一覧できる日記を付けているが、毎年季節の変わり目には感傷的になるという同じパターンを繰り返していると話している。 これまで3匹の犬を飼っていた。めったに鳴かない〔屋内犬の〕柴犬が戸外に設置した配電盤から火花が散るような漏電を 児童劇団を1回受験したことがあり入所金の支払いも済ませていたが、結局、入団せず返金してもらった。 薬師丸は、東京バザール(TBSラジオが明治神宮外苑で開催していたイベント)でスカウトされたことがある。 演技経験の無かった薬師丸は、1978年10月公開の映画『野性の証明』より早く、5月スタートのテレビドラマ『敵か?味方か?3対3』(全7回)で演技経験を積んだ。また、『野性の証明』の公開前に本名の薬師丸博子から芸名の薬師丸ひろ子に変更。 デビュー時のキャッチ・コピーは「ひろ子という字何度ノートに書いたっけ」だった。 映画の『翔んだカップル』や『レイクサイド マーダーケース』で共演した鶴見辰吾は幼稚園・小学校の同級生。 薬師丸は1981年にコンサートと映画『フラッシュ・ゴードン』の宣伝のために4度目の来日をしたクイーンにインタビューをしている。5日間の武道館公演に毎日のように通った。 『ねらわれた学園』では 18,000人の応募者から高柳良一が、『メイン・テーマ』では 23,000人から野村宏伸が一般オーディションで薬師丸の相手役に選ばれた。薬師丸が合格した『野性の証明』オーディションの応募者は1,224人だった。 1978年のスクリーン・デビューから歌手デビューを催促していた角川春樹、(特に『ねらわれた学園』(1981年)の時は強く催促していた)、実際には薬師丸をコーラス部特有の歌い方で素養(音楽的才能)はあるが「〔歌手としては〕個性がない」と評価していた。 1985年には、薬師丸からのメッセージが聞けるテレフォンサービス「HIROKO'S DIARY」をNTTが実施。ピーク時には1日に13万件の電話が来て、当時の日本におけるテレフォンサービスの新記録を樹立した。 薬師丸の形態模写を持ちネタとした芸能人としては『オレたちひょうきん族』でのあめくみちこがいる。『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』では、薬師丸のCM『ソフトインワン』のパロディー「薬師丸ひろ子 ちゃんリンシャンシリーズ」を山田邦子が演じていた。 写真週刊誌の『FLASH』は薬師丸の泣きボクロが消えたのは1994年5月から1995年12月の間だと推理している。 『あまちゃん』の天野アキが鈴鹿ひろ美に憧れていたように、能年玲奈はデビュー後の演技指導で薬師丸を参考にするように言われて『野性の証明』・『探偵物語』・『Wの悲劇』などを視聴し、『あまちゃん』の出演者オーディションでは「憧れのアイドル」に薬師丸の名前を書いていた。 『あまちゃん』の鈴鹿ひろ美と天野春子の設定は、薬師丸が出演したミュージカル『雨に唄えば』を観ていた番組プロデューサーがオマージュとして設定したと語っている。 1964年(昭和39年)6月9日、東京都渋谷区にある日本赤十字病院で生まれる。 1978年(昭和53年)
5月、『敵か?味方か?3対3』でドラマ・デビュー。(13歳) 10月、映画『野性の証明』でスクリーン・デビュー。(14歳) 1980年(昭和55年)
1981年(昭和56年)
11月、主演映画の主題歌「セーラー服と機関銃」で歌手デビュー。(17歳) 12月、主演映画『セーラー服と機関銃』公開。休業宣言。(17歳) 1983年(昭和58年)
7月、主演映画『探偵物語』公開。(19歳) 12月、主演映画『里見八犬伝』公開。 1984年(昭和59年)
12月、主演映画『Wの悲劇』公開。本作品で第27回ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞。(20歳) 1985年(昭和60年)3月、角川春樹事務所から独立。(20歳) 1988年(昭和63年)3月、玉川大学を卒業。(23歳) 1991年(平成3年)1月、玉置浩二とハワイで挙式。(26歳) 1997年(平成9年)4月 - 6月、 フジテレビ木曜劇場『ミセスシンデレラ』に主演。(32歳) 1998年(平成10年)6月、玉置との離婚を発表。(33歳) 2002年(平成14年)1月 - 3月、TBSテレビ『木更津キャッツアイ』に出演。(37歳) 2005年(平成17年)
11月、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』公開。本作品で第29回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを受賞。(41歳) 2011年(平成23年)3月、歌手活動30周年を記念したアルバム『歌物語』をリリース。 2013年(平成25年)
10月、『芸能活動35周年記念コンサート』を東京・大阪で開催。 2014年(平成26年)
12月、第65回NHK紅白歌合戦に初出場。 2016年(平成28年)
2019年(令和元年)
『薬師丸ひろ子フォトメモワール』『Part2』『Part3』を合わせた累計発行部数は80万部を超える。 『薬師丸ひろ子フォトメモワール』(1979年12月、富士見書房)NCID BN15803059
『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part2)』(1980年12月、富士見書房)NCID BN1580330X
『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part3)』(1982年3月、富士見書房)NCID BN15804288
『フラッシュバックひろ子 : ありのままの輝き 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子写真集』(1983年6月、角川書店)全国書誌番号:83052406 『薬師丸ひろ子フォトメモワール (Part4)』(1984年6月、富士見書房)ISBN 4829160047、全国書誌番号:85005801 『薬師丸ひろ子Visual message 21才の旅立ち』(1985年12月、扶桑社)ISBN 9784893530653 『「野蛮人のように」写真集』(1986年1月、 集英社)全国書誌番号:86010647 『プレイバックひろ子 : 言葉かみしめて 「探偵物語」公開記念・薬師丸ひろ子対談集』(1983年6月、角川書店)全国書誌番号:83052407 鎌田慧『日本人の仕事』(1986年9月、平凡社)ISBN 4582705022 - 〔角川春樹事務所独立後、〕仕事(女優)についてのインタビュー収録。 『「映画愛」 俳優編 武藤起一インタヴュー集』(1993年5月、大栄出版)ISBN 4886825591 - 1992年11月17日のインタビュー収録。 松本隆対談集『KAZEMACHI CAFE』 (2005年4月、ぴあ)ISBN 483561514X - 2001年9月12日の対談収録。
『バラエティ』(1978年 - 1986年、角川書店) - 薬師丸のファン・マガジンの役割を担う。角川春樹事務所の方針で薬師丸はファンクラブを持たなかった。
「デュエット・オブ・フィフティーン」1979年(昭和54年)12月号。 - 荻野目慶子との対談。 「笑顔300万ボルト・青春をあなたに」1980年(昭和55年)10月号。 - 杉田かおる・荻野目慶子との 「薬師丸ひろ子スペシャル」1981年(昭和56年)8月臨時増刊号。 - ミニ写真集、兼、『ねらわれた学園』までの映画・TV・CMのデータブック。 「グッドラック! 薬師丸ひろ子」1985年(昭和60年)5月号。 - 角川春樹事務所から独立直前のグラビアとインタビュー、ブルーリボン賞授賞式の模様、8年間86冊(通常号84冊と臨時増刊号2冊)の掲載内容リストなど。 『週刊朝日』(1979年11月23日号、朝日新聞社)表紙 『週刊ザテレビジョン』(1982年9月22日創刊号、角川書店) - 創刊号を含め表紙登場回数は12回(2002年3月1日号時点) 『キネマ旬報』キネマ旬報社
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1.星紀行 2.SENTENCE 3.ハート・デリバリー 4.薬師丸ひろ子35周年記念コンサート 5.Premium Acoustic Night 時の扉〜Look For A Star〜 6.薬師丸ひろ子 コンサート2015 7.世界遺産春日大社コンサート 8.Premium Acoustic Night 〜シネマソングス〜 9.薬師丸ひろ子 コンサート2018 10.薬師丸ひろ子 コンサート2019 薬師丸ひろ子 ひろ子探偵局 → 薬師丸ひろ子 ほほえみ通信 薬師丸ひろ子のオールナイトニッポン 薬師丸ひろ子 あなたに・愛・わいわい! 薬師丸ひろ子 ハート・デリバリー 来生たかお 大瀧詠一 竹内まりや 松任谷由実 筒美京平 井上陽水 玉置浩二 中島みゆき 来生えつこ 松本隆 井上鑑 松任谷正隆 武部聡志 S.E.N.S. 吉俣良 角川映画 ビクターエンタテインメント ユニバーサルミュージック EMIミュージック・ジャパン BMGファンハウス 東芝EMI キティレコード ディスコグラフィ 出演作品一覧 カテゴリ 表 話 編 歴 桃井かおり(1977) 大竹しのぶ(1978) 小川眞由美(1979) 大楠道代(1980) 田中裕子(1981) 小柳ルミ子(1982) 浅野温子(1983) 菅井きん(1984) 三田佳子(1985) 原田美枝子(1986) かたせ梨乃(1987) 石田えり(1988) 市原悦子(1989) 石田えり(1990) 和久井映見(1991) 藤谷美和子(1992) 香川京子(1993) 室井滋(1994) 乙羽信子(1995) 渡辺えり子(1996) 倍賞美津子(1997) 麻生久美子(1998) 岸本加世子(1999) 原田美枝子(2000) 柴咲コウ(2001) 北林谷栄(2002) 深津絵里(2003) 長澤まさみ(2004) 薬師丸ひろ子(2005) 蒼井優(2006) もたいまさこ(2007) 余貴美子(2008、2009) 樹木希林(2010) 永作博美(2011) 余貴美子(2012) 真木よう子(2013) 黒木華(2014、2015) 杉咲花(2016) 広瀬すず(2017) 樹木希林(2018) 長澤まさみ(2019) 黒木華(2020) 清原果耶(2021) 安藤サクラ(2022) 安藤サクラ(2023) 日本アカデミー賞 作品賞 監督賞 脚本賞 アニメーション作品賞 外国作品賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 音楽賞 表 話 編 歴 淡島千景(1950) 原節子(1951) 山田五十鈴(1952) 乙羽信子(1953) 高峰秀子(1954) 淡島千景(1955) 山田五十鈴(1956) 望月優子(1957) 山本富士子(1958) 北林谷栄(1959) 岸惠子(1960) 若尾文子(1961) 吉永小百合(1962) 左幸子(1963) 岩下志麻(1964) 若尾文子(1965) 司葉子(1966) 浅丘ルリ子(1975) 秋吉久美子(1976) 岩下志麻(1977) 梶芽衣子(1978) 桃井かおり(1979) 十朱幸代(1980) 松坂慶子(1981) 夏目雅子(1982) 田中裕子(1983) 薬師丸ひろ子(1984) 十朱幸代(1985) いしだあゆみ(1986) 三田佳子(1987) 桃井かおり(1988) 田中好子(1989) 松坂慶子(1990) 工藤夕貴(1991) 三田佳子(1992) ルビー・モレノ(1993) 高岡早紀(1994) 中山美穂(1995) 桃井かおり(1997) 原田美枝子(1998) 鈴木京香(1999) 吉永小百合(2000) 天海祐希(2001) 片岡礼子(2002) 寺島しのぶ(2003) 宮沢りえ(2004) 小泉今日子(2005) 蒼井優(2006) 麻生久美子(2007) 木村多江(2008) 綾瀬はるか(2009) 寺島しのぶ(2010) 永作博美(2011) 安藤サクラ(2012) 貫地谷しほり(2013) 安藤サクラ(2014) 有村架純(2015) 大竹しのぶ(2016) 新垣結衣(2017) 門脇麦(2018) 長澤まさみ(2019) 長澤まさみ(2020) 永野芽郁(2021) 倍賞千恵子(2022) 吉永小百合(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 杉村春子(1951) 中北千枝子(1952) 浪花千栄子(1953) 望月優子(1954) 山田五十鈴(1955) 久我美子(1956) 淡路恵子(1957) 渡辺美佐子(1958) 新珠三千代(1959) 中村玉緒(1960) 高千穂ひづる(1961) 岸田今日子(1962) 南田洋子(1963) 吉村実子(1964) 二木てるみ(1965) 乙羽信子(1966) 倍賞千恵子(1975) 高峰三枝子(1976) 桃井かおり(1977) 宮下順子(1978) 倍賞千恵子(1979) 加賀まりこ(1980) 田中裕子(1981) 山口美也子(1982) 永島暎子(1983) 三田佳子(1984) 藤真利子(1985) 大竹しのぶ(1986) 秋吉久美子(1987) 秋吉久美子(1988) 南果歩(1989) 中嶋朋子(1990) 風吹ジュン(1991) 藤谷美和子(1992) 香川京子(1993) 室井滋(1994) 中山忍(1995) 岸田今日子(1996) 倍賞美津子(1997) 余貴美子(1998) 富司純子(1999) 宮崎美子(2000) 奈良岡朋子(2001) 宮沢りえ(2002) 大楠道代(2003) 長澤まさみ(2004) 薬師丸ひろ子(2005) 富司純子(2006) 永作博美(2007) 樹木希林(2008) 深田恭子(2009) 木村佳乃(2010) 長澤まさみ(2011) 広末涼子(2012) 二階堂ふみ(2013) 小林聡美(2014) 吉田羊(2015) 杉咲花(2016) 斉藤由貴(2017) 松岡茉優(2018) MEGUMI(2019) 伊藤沙莉(2020) 三浦透子(2021) 清野菜名(2022) 浜辺美波(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 大竹しのぶ(1975) 太地喜和子(1976) 桃井かおり(1977) 大竹しのぶ(1978) 小川眞由美(1979) 大楠道代(1980) 加賀まりこ(1981) 小柳ルミ子(1982) 永島暎子(1983) 三田佳子(1984) 藤田弓子(1985) いしだあゆみ(1986) 桜田淳子(1987) 秋吉久美子(1988) 相楽晴子(1989) 香川京子(1990) 和久井映見(1991) 藤谷美和子(1992) 桜田淳子(1993) 室井滋(1994) 乙羽信子(1995) 草村礼子(1996) 倍賞美津子(1997) 大楠道代(1998) 富司純子(1999) 大楠道代(2000) 柴咲コウ(2001) 北林谷栄(2002) 大楠道代(2003) YOU(2004) 薬師丸ひろ子(2005) 蒼井優(2006) 永作博美(2007) 樹木希林(2008) 満島ひかり(2009) 安藤サクラ(2010) 小池栄子(2011) 安藤サクラ(2012) 田中裕子(2013) 小林聡美(2014) 黒木華(2015) 杉咲花(2016) 田中麗奈(2017) 木野花(2018) 池脇千鶴(2019) 蒔田彩珠(2020) 三浦透子(2021) 広末涼子(2022) 二階堂ふみ(2023) 表 話 編 歴 太地喜和子(1976) いしだあゆみ(1977) 大竹しのぶ(1978) 小川眞由美(1979) 阿木燿子(1980) 田中裕子(1981) 山口美也子(1982) 倍賞美津子、永島暎子(1983) 菅井きん(1984) 三田佳子(1985) 原田美枝子(1986) 桜田淳子(1987) 石田えり(1988) 吉田日出子(1989) 樋口可南子(1990) 風吹ジュン(1991) 藤谷美和子(1992) 桜田淳子(1993) 室井滋(1994) 梶芽衣子 (1995) 渡辺えり子(1996) 倍賞美津子(1997) 麻生久美子(1998) 富司純子(1999) 西田尚美(2000) 柴咲コウ(2001) 菅野美穂(2002) 深津絵里(2003) 長澤まさみ(2004) 薬師丸ひろ子(2005) 蒼井優(2006) 永作博美(2007) 樹木希林(2008) 八千草薫(2009) ともさかりえ(2010) 宮本信子(2011) 安藤サクラ(2012) 池脇千鶴(2013) 大島優子(2014) 吉田羊(2015) 杉咲花(2016) 田中麗奈(2017) 樹木希林(2018) 小松菜奈(2019) 蒔田彩珠(2020) 寺島しのぶ(2021) 尾野真千子(2022) 二階堂ふみ(2023) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 水原ゆう紀(1979) 薬師丸ひろ子(1980) 風間舞子(1981) いしだあゆみ(1982) 永島暎子(1983) 白都真理(1984) 原田知世(1985) 安田成美(1986) 富田靖子(1987) 小泉今日子(1988) 中川安奈(1989) 斉藤由貴(1990) 風吹ジュン(1991) 南野陽子(1992) 鷲尾いさ子(1993) 高岡早紀(1994) 中山美穂(1995) 深津絵里(1996) 鈴木京香(1997) 原田美枝子(1998) 大竹しのぶ(1999) 藤山直美(2000) 天海祐希(2001) 瀬戸朝香(2002) 寺島しのぶ(2003) 深田恭子(2004) 田中裕子(2005) 蒼井優(2006) 佐藤江梨子 (2007) 小池栄子(2008) 小西真奈美(2009) 満島ひかり(2010) 吉高由里子(2011) 松たか子(2012) 真木よう子 (2013) 宮沢りえ(2014) 綾瀬はるか(2015) 筒井真理子(2016) 蒼井優(2017) 安藤サクラ(2018) 小松菜奈、門脇麦(2019) 水川あさみ(2020) 尾野真千子(2021) 倍賞千恵子、吉岡里帆(2022) 岸井ゆきの、黒木華(2023) 表 話 編 歴 亜湖(1979) 伊藤蘭(1980) 田中裕子(1981) 夏目雅子(1982) 田中美佐子(1983) 志穂美悦子、菅井きん(1984) 中井貴惠(1985) 渡辺典子(1986) 石田えり(1987) 本阿弥周子(1988) 相楽晴子 (1989) 中嶋朋子(1990) 和久井映見、広田玲央名(1991) 清水美沙、荻野目慶子(1992) ルビー・モレノ、水木薫(1993) 室井滋(1994) 中山忍(1995) 草村礼子(1996) 片岡礼子(1997) 吉行由実(1998) 吉本多香美(1999) 西田尚美(2000) 柴咲コウ(2001) 大塚寧々(2002) 余貴美子(2003) 樹木希林(2004) 薬師丸ひろ子(2005) 吹石一恵、中村優子(2006) 永作博美(2007) 余貴美子、広末涼子(2008) 安藤サクラ(2009) 夏川結衣(2010) 神楽坂恵、黒沢あすか(2011) 安藤サクラ(2012) 二階堂ふみ、渡辺真起子 (2013) 小林聡美、大島優子(2014) 河井青葉(2015) 杉咲花(2016) 臼田あさ美、松本若菜(2017) 松岡茉優、伊藤沙莉 (2018) 池脇千鶴(2019) 蒔田彩珠(2020) 三浦透子、片山友希(2021) 河合優実(2022) 中村久美(2023) 表 話 編 歴 秋吉久美子(1988) 南果歩(1989) 小川眞由美(1990) 和久井映見(1991) 中村玉緒(1992) 竹下景子(1993) 斉藤慶子(1994) 名取裕子(1995) 草村礼子(1996) 鈴木京香(1997) 倍賞美津子(1998) 田中裕子(1999) 大楠道代(2000) 天海祐希(2001) 宮沢りえ(2002) 八千草薫(2003) 鈴木京香(2004) 薬師丸ひろ子(2005) 富司純子(2006) 樹木希林(2007) 夏川結衣(2008) 余貴美子(2009) 蒼井優(2010) 加賀まりこ(2011) 樹木希林(2012) 伊藤蘭(2013) 広末涼子(2014) 長澤まさみ(2015) 宮崎あおい(2016) 尾野真千子(2017) 樹木希林(2018) 市川実日子(2019) 渡辺真起子(2020) 清原果耶(2021) 清野菜名(2022) 二階堂ふみ(2023) 表 話 編 歴 工藤夕貴(1991) 三田佳子(1992) 香川京子、和久井映見、池内淳子(1993) 山口智子(1994) 秋吉久美子(1995) 原田美枝子(1996) 鈴木京香(1997) 松たか子(1998) 風吹ジュン、鈴木京香(1999) 黒木瞳(2000) 夏川結衣(2001) 宮沢りえ(2002) 寺島しのぶ、竹内結子(2003) 秋吉久美子(2004) 田中裕子 (2005) 深津絵里(2006) 竹内結子(2007) 小池栄子(2008) 薬師丸ひろ子(2009) 内田有紀、永作博美(2010) 大竹しのぶ(2011) 安藤サクラ(2012) 麻生久美子(2013) 安藤サクラ(2014) 多部未華子(2015) 宮沢りえ(2016) 満島ひかり(2017※) 石橋静河(2018) 戸田恵梨香(2019※) のん(2020) 瀧内公美(2021) 板谷由夏(2022) 筒井真理子(2023) ※は授賞式中止 作品賞 監督賞 アニメーション作品賞 アニメーション監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 表 話 編 歴 吉永小百合(1985) 倍賞千恵子(1986) 三田佳子(1987) 岩下志麻(1988) 十朱幸代(1989) 岸惠子(1990) 樋口可南子(1991) 大竹しのぶ(1992) 香川京子(1993) 久我美子(1994) 浅丘ルリ子(1995) 松坂慶子(1996) 淡島千景(1997) 藤村志保(1998) 富司純子(1999) 原田美枝子(2000) 倍賞美津子(2001) 吉行和子(2002) 八千草薫(2003) 淡路恵子(2004) 若尾文子(2005) 草笛光子(2006) 中村玉緒(2007) 余貴美子(2008) 高橋惠子(2009) 江波杏子(2010) 大楠道代(2011) 田中裕子(2012) 加賀まりこ(2013) 鈴木京香(2014) 桃井かおり(2015) 松原智恵子(2016) 水野久美(2017) 白川和子(2018) 風吹ジュン(2019) 梶芽衣子(2020) 宮本信子(2021) 寺島しのぶ(2022) 薬師丸ひろ子(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 1. 安達祐実 2. 浅野温子 3. 和久井映見 4. 中山美穂 5. 酒井法子 6. 常盤貴子 7. 鈴木保奈美 8. 和久井映見 9. 山口智子 10. 常盤貴子 11. 酒井法子 12. 常盤貴子 13. 薬師丸ひろ子 14. 常盤貴子 15. 室井滋 16. 鈴木保奈美 17. 江角マキコ 18. 中谷美紀 19. 中山美穂 20. 中谷美紀 21. 永作博美 22. 深津絵里 23. 松嶋菜々子 24. 常盤貴子 25. ともさかりえ 26. 菅野美穂 27. 松嶋菜々子 28. 水野美紀 29. 星野真里 30. 国仲涼子 31. 藤原紀香 32. 深津絵里 33. 仲間由紀恵 34. 竹内結子 35. 松嶋菜々子 36. 松嶋菜々子 37. 仲間由紀恵 38. 菅野美穂 39. 仲間由紀恵 40. 上戸彩 41. 篠原涼子 42. 天海祐希 43. 米倉涼子 44. 仲間由紀恵 45. 篠原涼子 46. 天海祐希 47. 井上真央 48. 篠原涼子 49. 天海祐希 50. 宮崎あおい 51. 上野樹里 52. 篠原涼子 53. 菅野美穂 54. 堀北真希 55. 菅野美穂 56. 香里奈 57. 仲間由紀恵 58. 志田未来 59. 宮崎あおい 60. 菅野美穂 61. 天海祐希 62. 松嶋菜々子 63. 志田未来 64. 菅野美穂 65. 松雪泰子 66. 綾瀬はるか 67. 戸田恵梨香 68. 多部未華子 69. 芦田愛菜 70. 井上真央 71. 松嶋菜々子 72. 尾野真千子 73. 長澤まさみ 74. 堀北真希 75. 米倉涼子 76. 鈴木京香 77. 篠原涼子 78. 能年玲奈 79. 米倉涼子 80. 杏 81. 小泉今日子 82. 吉高由里子 83. 綾瀬はるか 84. 杏 85. 大島優子 86. 芳根京子 87. 石原さとみ 88. 波瑠 89. 黒木華 90. 北川景子 91. 新垣結衣 92. 松たか子 93. 波瑠 94. 有村架純 95. 綾瀬はるか 96. 石原さとみ 97. 長澤まさみ 98. 永野芽郁 99. 戸田恵梨香 100. 深田恭子 101. 吉高由里子 102. 黒木華 103. 高畑充希 104. 上白石萌音 105. 多部未華子 106. 森七菜 107. 綾瀬はるか 108. 松たか子 109. 小芝風花 110. 吉高由里子 111. 上白石萌音 112. 今田美桜 113. 有村架純 114. 川口春奈 115. 安藤サクラ 116. 奈緒 117. 松岡茉優 118. 木南晴夏 119. 趣里 120. 杉咲花 表 話 編 歴 1973 藤本裕子・(特別賞)渡辺典子 1975 常田久仁子・ 平野愛子 1976 井村千鶴子・ 吉村陽子 1977 橋田壽賀子 ・井口保子 1978 黒柳徹子・上貞良江 1979 兼高かおる・磯野恭子 1980 せんぼんよしこ・坂本登志子・(特別賞)江上フジ 1981 石井ふく子・笹谷清子 1982 加藤道子・五井千鶴子 1983 大野靖子・市岡康子 1984 澤地久枝・高橋幸子 1985 アグネス・チャン・うないフェスティバル'85 1986 樹木希林・湯川れい子 1987 和田アキ子・額田やえ子 1988 落合恵子・福田雅子 1989 樋口恵子・松永英美・(日本女性放送者懇談会20周年特別賞)久米宏 1990 内館牧子・小池ユリ子 1991 米原万里・山田邦子 1992 宮嶋泰子・NHK『はんさむウーマン』スタッフ 1993 櫻井よし子・岩井まつよ 1994 東海林のり子・橋本佳子・(日本女性放送者懇談会25周年特別賞)秋山ちえ子 1995 小山内美江子・合津直枝 1996 斎明寺以玖子・城菊子 1997 国谷裕子・星田良子 1998 五十嵐久美子・伊井純子 1999 田丸美寿々 ・宮田輝美・(日本女性放送者懇談会30周年特別賞)大島渚 2000 増田明美・鹿児島テレビ『ナマ・イキVOICE〜100%女性倶楽部〜』スタッフ 2001 竹葉晶子・佐藤園子・(放送ウーマン賞2001特別賞)平良とみ 2002 浅野加寿子・土江真樹子 2003 東ちづる・野澤喜代 2004 大山のぶ代・大脇三千代・(日本女性放送者懇談会35周年特別賞) FMながおか・ FMゆきぐに 2005 磯山晶・大原れいこ 2006 岡江久美子・糸林薫 2007 中園ミホ・金本麻理子 2008 宮本理江子・水野晶子 2009 右田千代・(日本女性放送者懇談会40周年特別賞) 黒柳徹子・宇田川清江 2010 大石静・三上智恵 2011 堀川惠子・白石草 2012 岩谷可奈子・内山聖子 2013 薬師丸ひろ子・日本テレビ『キユーピー3分クッキング』制作チーム 2014 喜多あおい・深谷茂美・(日本女性放送者懇談会45周年特別賞)加藤みどり 2015 小柳ちひろ・山口千波 2016 大橋グレース愛喜恵・松本彩夏 2017 岡野真紀子・柿澤真理子 2018 斉加尚代・長嶋愛 2019 平良いずみ・松原文枝 表 話 編 歴 春日由三 吉本明光 中山晋平 春日由三 吉川義雄 春日由三 吉川義雄 川村専一 狩野近雄 河上英一 笹本恭彦 明瀬裕 池田太郎 牧定忠 春日由三 吉川義雄 渋沢秀雄 横山隆一 西崎緑 貝谷八百子 田付辰子 メイ牛山 春日由三 吉川義雄 岩田専太郎 勅使河原蒼風 千代の山雅信 小山いと子 吉村公三郎 市川翠穂 マヤ片岡 春日由三 吉川義雄 三國連太郎 小西得郎 栃錦清隆 青木茂高 河上牧子 水木洋子 坂西志保 田村佐紀子 吾妻徳穂 吉川義雄 田中角栄 菊田一夫 若乃花勝治 金田正一 奥むめお 森田たま 細川ちか子 近藤百合子 吉川義雄 横山泰三 水原茂 稲垣浩 朝汐太郎 沢田美喜 杉村春子 戸川エマ 赤堀全子 吉川義雄 木下惠介 大宅壮一 杉浦幸雄 若羽黒朋明 長谷川春子 大濱英子 榊淑子 谷桃子 吉川義雄 秋山登 唐島基智三 柏戸剛 松本幸四郎 中村汀女 田中絹代 秋山ちえ子 江上トミ 長沢泰治 土門拳 高田元三郎 仲代達矢 大鵬幸喜 和田夏十 勅使河原霞 村山リウ 森光子 長沢泰治 工藤昭四郎 東郷青児 森英恵 大山康晴 山内一弘 佐田の山晋松 藤間紫 岡田茉莉子 十返千鶴子 浪花千栄子 長沢泰治 細川隆元 丹羽文雄 實川延若 中西太 栃ノ海晃嘉 飯田蝶子 貞閑晴 新珠三千代 花柳壽輔 佐久間良子 長沢泰治 大林清 北葉山英俊 林与一 古賀忠道 春風亭柳橋 岩下志麻 司葉子 長谷川町子 林美智子 吉屋信子 坂本朝一 円地文子 安達曈子 入江美樹 藤村志保 小絲源太郎 松下幸之助 ファイティング原田 緒形拳 坂本朝一 樫山文枝 五代利矢子 浜美枝 山崎豊子 大佛次郎 尾上菊之助 加藤芳郎 鶴ヶ嶺昭男 中山卯郎 福島慎太郎 木村秀政 西本幸雄 石坂浩二 福原美和 栗原小巻 塩月弥栄子 平岩弓枝 中山卯郎 江夏豊 王馬熙純 榊原仟 鈴木俊一 曽野綾子 高田敏子 藤田弓子 三船敏郎 中山卯郎 浅丘ルリ子 市川海老蔵 今井通子 大谷直子 菅野義丸 佐藤愛子 鶴岡一人 平幹二朗 中道定雄 坂東玉三郎 樋口久子 小林弘 三田佳子 志村喬 武原はん 玉の海正洋 中山律子 仲代達矢 小野田勇 浪花家辰造 大場政夫 宇田川竜男 堀内寿子 大山英子 村山加代子 中山きよ子 樫山文枝 山口果林 高橋信雄 山下迪子 館弘子 石田芳夫 中山紀子 井沢つま 森戸辰男 溝尾正志 花本方美 為久優子 成田知子 桑田たつ子 村上巳里 山下誠 小川善三郎 河野久枝 桑原永子 田川由紀子 佐藤太圭子 山田三智穂 大谷豊二 高橋優子 貴ノ花利彰 赤塚洋文 平内義幸 富岡雅寛 平賀輝子 中川時子 加藤稔 池内淳子 中原誠 森英恵 小林桂樹 中村汀女 井上ひさし 中野貴代 神田好武 真木洋子 輪島大士 高橋洋子 生沼スミエ 棟方志功 村上元三 京マチ子 サトウサンペイ 高田ユリ 尾上菊五郎 寺島純子 北の湖敏満 根本良夫 橋本明治 杉村春子 尾上松緑 栗原小巻 堀江謙一 檀ふみ 魁傑將晃 新垣留美子 根本良夫 尾上梅幸 高橋展子 吉永小百合 加藤剛 三林京子 大竹しのぶ 古葉竹識 三重ノ海五郎 池田彌三郎 浅丘ルリ子 中村梅之助 小野清子 村上隆 堤加蓉子 カロリーナ・ピレス・ド・リオ 若三杉壽人 川上哲治 川口幹夫 市川染五郎 上田利治 旭國斗雄 水島新司 川橋幸子 橋田壽賀子 新井春美 竹下景子 川口幹夫 北の湖敏満 岩下志麻 植村直己 八千草薫 安奈淳 森和人 森下洋子 山本浩二 加藤好雄 若山富三郎 ミヤコ蝶々 菅原文太 大原麗子 松本零士 重兼芳子 古葉竹識 多岐川裕美 加藤好雄 松本幸四郎 陳舜臣 佐久間良子 木田勇 向田邦子 島田陽子 鈴木喜久子 角田好雄 渡辺一雄 石毛宏典 古手川祐子 緒形拳 花井幸子 倉本昌弘 森光子 坂田栄男 高橋洋子 秋竜山 澤地久枝 香川宏 生沼スミエ 玉の海梅吉 森英恵 山藤章二 池上季実子 広岡達朗 村松友視 真野響子 滝田栄 橋田壽賀子 前橋汀子 市川猿之助 香川宏 三船敏郎 松本幸四郎 大原麗子 田淵幸一 樋口久子 松坂慶子 田中裕子 隆の里俊英 谷川浩司 林真理子 胡桃沢耕史 宮尾登美子 山口小夜子 役所広司 菊池綜一 江上由美 釜本邦茂 名取裕子 風間杜夫 石井幹子 連城三紀彦 里中満智子 衣笠祥雄 松坂慶子 市川海老蔵 遠藤利男 三田佳子 中村吉右衛門 高野悦子 小池一夫 武原はん ジェームス三木 山口洋子 吉田義男 大地真央 北尾光司 中野正之 森光子 清原和博 森下洋子 雁屋哲 黒柳朝 加藤芳郎 山崎洋子 渡辺謙 加納みゆき 千代の富士貢 吉岡利夫 若尾文子 中井貴一 森瑤子 江藤俊哉 俵万智 逢坂剛 森口祐子 近藤真一 若村麻由美 北勝海信芳 今西陽一郎 三田佳子 片岡孝夫 伊藤京子 森祇晶 浅野温子 安野光雅 伊勢桃代 新井満 山口智子 千代の富士貢 沖清司 千代の富士貢 いしだあゆみ ねじめ正一 小林浩美 中村勘九郎 村崎芙蓉子 西田敏行 石岡瑛子 斎藤雅樹 渡辺梓 沖清司 山本陽子 中村鴈治郎 諏訪内晶子 野田秀樹 コシノジュンコ 渡辺久信 森口祐子 松岡修造 沢口靖子 真田広之 小林由紀子 増井光子 山崎豊子 秋山幸二 芦原すなお 荻野アンナ 若花田勝 貴花田光司 緒形直人 鷲尾いさ子 田中好子 内林達夫 有森裕子 曙太郎 古賀稔彦 富司純子 中田久美 野茂英雄 村上弘明 伊藤みどり 森光子 高橋克彦 松尾武 三田佳子 米長邦雄 市川團十郎 細川直美 筒井道隆 つみきみほ 松原敏春 平瀬真由美 宮尾登美子 川淵三郎 内館牧子 田村亮子 植木等 野村克也 中丸三千繪 古田敦也 ミヤコ蝶々 曙太郎 古橋廣之進 大林素子 松尾武 イチロー 赤井英和 奥野史子 岩下志麻 羽生善治 南井克巳 賀来千香子 川本ゆかり 市川崑 森光子 上田洋一 古田敦也 田村亮子 天海祐希 竹中直人 原辰徳 水谷八重子 中村紘子 ジョージ川口 柳家小さん 大石芳野 上田洋一 有森裕子 川口能活 江角マキコ 仰木彬 清水市代 中村橋之助 森英恵 桂米朝 大石静 周防正行 大橋晴夫 井原正巳 吉永小百合 片岡仁左衛門 伊藤みどり 佐々木主浩 佐藤夕美子 本木雅弘 篠田節子 谷川浩司 吉行あぐり 大橋晴夫 清水宏保 藤原紀香 琴錦功宗 中村玉緒 松平健 俵万智 ジェームス三木 服部道子 熊川哲也 浅利純子 伊東律子 出島武春 松嶋菜々子 内館牧子 野村萬斎 田村亮子 津川雅彦 草笛光子 阿久悠 福嶋晃子 乙武洋匡 伊東律子 田村亮子 長嶋茂雄 高橋尚子 渡辺謙 池内淳子 佐々木主浩 岡本綾 井上康生 木村佳乃 内藤國雄 出田幸彦 栃東大裕 川原亜矢子 室伏広治 竹田恆和 松岡佑子 唐沢寿明 平良とみ 天海祐希 藤田宜永 森下洋子 出田幸彦 朝青龍明徳 米倉涼子 市川新之助 阿川佐和子 宮本恒靖 仲間由紀恵 高橋由伸 恩田美栄 岩合光昭 岸惠子 中村季恵 浅野ゆう子 五木寛之 優香 三谷幸喜 村山由佳 末續慎吾 村主章枝 武田真治 有馬稲子 星野仙一 中村季恵 野口みずき 野村忠宏 橋田壽賀子 中村勘九郎 荒川静香 滝沢秀明 高島礼子 和田一浩 森光子 日野原重明 琴欧州勝紀 薬師丸ひろ子 野口聡一 長澤まさみ 山田洋次 森光子 上川隆也 眞鍋かをり 林家正蔵 栗原はるみ 渡辺謙 阿木燿子 リリー・フランキー 藤山直美 内野聖陽 横峯さくら 田口壮 吉田都 鎌田實 瀬戸内寂聴 宮﨑あおい 上田桃子 岡島秀樹 青木功 中村勘三郎 新垣結衣 茂木健一郎 坂東眞理子 陣内智則 藤原紀香 本木雅弘 吉田沙保里 太田雄貴 高橋尚子 松本幸四郎 松坂慶子 姜尚中 堀北真希 妻夫木聡 上野由岐子 白鵬翔 草刈民代 阿部寛 深田恭子 原辰徳 勝間和代 城田優 杉山愛 西田敏行 森光子 野口聡一 湊かなえ 岩崎夏海 寺島しのぶ 髙橋大輔 上野樹里 伊勢谷友介 仲間由紀恵 北大路欣也 武良布枝 大竹しのぶ 田中将大 コシノジュンコ 三谷幸喜 鈴木京香 佐々木則夫 鈴木明子 松山ケンイチ 松井冬子 琴奨菊和弘 綾瀬はるか 尾木直樹 澤穂希 中村勘九郎 樹木希林 桂文枝 吉田沙保里 入江陵介 菅野よう子 日馬富士公平 田中将大 滝川クリステル 宮藤官九郎 宮本信子 杉良太郎 風吹ジュン 岡田准一 杏 片岡愛之助 阿川佐和子 中園ミホ 尾上松也 蜷川実花 山中伸弥 井上真央 阿部寛 仲間由紀恵 タモリ 黒柳徹子 羽生結弦 堺雅人 長澤まさみ 大泉洋 土屋太鳳 三宅宏実 上橋菜穂子 所ジョージ 有村架純 又吉直樹 高畑充希 辻沙絵 草刈正雄 新垣結衣 大谷翔平 萩野公介 伊調馨 秋本治 春風亭昇太 村田沙耶香 村田諒太 村上茉愛 加藤一二三 吉岡里帆 高橋一生 宮本信子 鈴木亮平 林真理子 阿部サダヲ 安藤サクラ 池江璃花子 小平奈緒 佐藤健 出川哲朗 永野芽郁 中村勘九郎 夏井いつき 野村萬斎 長谷部誠 井上尚弥 上沼恵美子 サンドウィッチマン 渋野日向子 瀬戸大也 田中圭 戸田恵梨香 中西麻耶 長谷川博己 広瀬すず 吉野彰 黒柳徹子 サンドウィッチマン 杉咲花 染谷将太 チコちゃん 宮崎美子 宮本亞門 室伏広治 吉沢亮 石川佳純 清原果耶 小池栄子 坂口健太郎 谷真海 三谷幸喜 芦田愛菜 黒柳徹子 西村宏堂 羽生結弦 坂東彌十郎 福原遥 松本潤 村上宗隆 森保一 吉田都 北口榛花 国枝慎吾 堺雅人 俵万智 寺島しのぶ 寺田宜弘 バカリズム 吉高由里子 ISNI VIAF ドイツ 日本 CiNii Books CiNii Research MusicBrainz IdRef 芸能人の画像提供依頼 薬師丸ひろ子 日本の女優 アイドル出身の俳優 日本の女性歌手 日本の舞台女優 日本の女性アイドル 日本のナレーター 日本のラジオパーソナリティ ビクターエンタテインメントのアーティスト 玉置浩二 玉川大学出身の人物 東京都立八潮高等学校出身の人物 NHK紅白歌合戦審査員 東京都区部出身の人物 1964年生 存命人物 Pages using the JsonConfig extension プロジェクト人物伝項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/21 02:33更新
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yakushimaru hiroko
薬師丸ひろ子と同じ誕生日6月9日生まれ、同じ東京出身の人
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