深作欣二の情報(ふかさくきんじ) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
深作 欣二さんについて調べます
■名前・氏名 |
深作欣二と関係のある人
丹波哲郎: 同作品の監督の深作欣二に「自分の台詞くらい家で覚えて来てよ」と言われると「俺は仕事を家に持ち込まない主義なんだよ」と返したという。 渡哲也: 渡が東映に来るようになり、深作欣二の映画に出演した際、擬斗を担当していた菅原俊夫と深作の意見が合わず、渡の意見を聞くことになったが、まだ駆け出しの菅原の気持ちを渡が尊重し、「菅原の案を採用したい」と気配りしたことに対し、菅原は呼吸ができなくなるほど感動し、渡の人柄に大きく心を引かれたと語った。 川谷拓三: 前後して1973年の『仁義なき戦い』の第1作で演じた、ヤクザ・江波亮一役の死にっぷりが深作欣二監督に認められて次作への出演が決まり、以降同シリーズに出演。深作欣二監督は『新仁義なき戦い』3部作(1974年 - 1976年)、『資金源強奪』(1975年)、『やくざの墓場 くちなしの花』『暴走パニック 大激突』(1976年)、『ドーベルマン刑事』(1977年)と川谷を配役し続け、その存在が次第に大きく認知されていくこととなった。 荻野目慶子: そのおよそ一年後、今度は出演映画の監督で、34歳年上であったバイオレンス映画の巨匠、深作欣二と不倫関係になるも、まもなく深作が前立腺癌を発病。 長谷川智樹: いつかギラギラする日(1992年9月、深作欣二監督) 梶間俊一: 伊藤俊也・深作欣二・佐藤純弥に師事する傍ら、労働組合活動に従事。 水谷豊: 同作品は深作欣二、神代辰巳、恩地日出夫ら名だたる映画監督が演出を担当したが、当初は視聴率が伸び悩んだ。 高岡蒼佑: バトル・ロワイアル(2000年、東映、監督:深作欣二) - 杉村弘樹 矢島信男: 本編監督である深作欣二とはほとんど打ち合わせをせず、「一番打ち合わせをしていないのは僕と監督」と後年のインタビューで冗談半分で答えているが、本作品で「特撮監督 矢島信男」の単独クレジットを薦めたのは深作である。 小林旭: 仁義なき戦い 代理戦争 監督 深作欣二(1973.9.25) 梶野悳三: 「鰊漁場」は「ジャコ万と鉄」として1949年に谷口千吉監督、黒澤明、谷口千吉脚色、三船敏郎、月形龍之介主演、1964年にも深作欣二監督、高倉健、丹波哲郎主演で再映画化され、小説も改題された。 藤原竜也: バトル・ロワイアル(2000年、東映、監督:深作欣二) 小西通雄: (定期採用3期)同期には東映会長であった高岩淡が、1期先輩には深作欣二がいた。 宮本真希: おもちゃ (1999年1月15日、配給: 東映、監督: 深作欣二) - 時子 役(主演) 深作健太: 父は映画監督の深作欣二、母は女優の中原早苗、祖父(早苗の父)は俳優の藤尾純。 神波史男: 博徒外人部隊 (1971年)※松田寛夫、深作欣二との共作 堀長文: 主に深作欣二に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わるが、監督としてはあまり作品にタッチできなかった。 藤原竜也: 深作欣二監督に才能を認められ、『バトル・ロワイアル』と監督の遺作となった『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』で共に仕事をしている。 水野晴郎: 特に『映画評論』では、「娯楽映画」として批評の対象外だった監督たち、加藤泰や沢島忠、深作欣二らをその活動初期から高く評価した。 石橋蓮司: 降旗康男監督作品には互いのキャリアの初期から40年にわたって出演を続けているほか、深作欣二、篠田正浩、市川崑、神代辰巳、田中登らに起用され続けてきた。 ビートたけし: 『その男、凶暴につき』(1989年)は、監督:深作欣二 主演:ビートたけしで映画化を予定し、配給の松竹は両者の間で交渉を進めたが、スケジュールや条件で合致せず、深作が辞退した。 今村昌平: この作品の映画化をめぐっては、黒木和雄、深作欣二、藤田敏八らと映画化権取得をあらそった。 野上龍雄: 組織に利用され裏切られる若きやくざの悲劇『現代やくざ 血桜三兄弟』、孤独に生きる渡世人の悲しみを描いた傑作『木枯らし紋次郎 関わりござんせん』、大西瀧治郎中将を描いた『あゝ決戦航空隊』(笠原和夫、相良俊輔と共同執筆)、三代将軍継嗣問題を巡る徳川家の骨肉の争いを描いた大作『柳生一族の陰謀』(深作欣二、松田寛夫と共同執筆)、山田風太郎の小説を原作として島原の乱で鎮圧されたキリシタン民衆の怨念を報いんとする男の執念と彼に立ちはだかる剣豪との対決を描いた『魔界転生』(深作欣二、石川孝人と共同執筆)と、野上作品の題材は多岐に渡る。 原田美枝子: 赤穂城断絶(1978年10月28日、東映、深作欣二監督) - 橋本はつ 役 岡崎二朗: 狼と豚と人間(1964年、東映、監督:深作欣二) - タケシ 三村恭代: バトル・ロワイアル(2000年、深作欣二監督) - 琴弾加代子 役 草刈正雄: 市川崑・深作欣二・今村昌平らの映画にも出演した。 郷鍈治: 新仁義なき戦い 組長最後の日 監督 深作欣二(1976.4.24 東映 ジョー) 阪本順治: 2000年、深作欣二監督『仁義なき戦い』(1973年)をリメイクした『新・仁義なき戦い』を監督する。 風間杜夫: 生前田中監督から「風間の代表作は深作欣二さんの撮った『蒲田行進曲』ではなく、僕が監督したロマンポルノの3作品だ」と告げられた。 |
深作欣二の情報まとめ
深作 欣二(ふかさく きんじ)さんの誕生日は1930年7月3日です。茨城出身の映画監督のようです。
映画、兄弟、姉妹、卒業、テレビ、解散、事件、ドラマ、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2003年に亡くなられているようです。
深作欣二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年〈昭和5年〉7月3日 - 2003年〈平成15年〉1月12日)は、日本の映画監督・脚本家。愛称はサクさん。茨城県緑岡村出身。 6人兄弟姉妹の次男(第5子)として生まれる。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校、日本大学芸術学部卒業。1953年(昭和28年)に東映へ入社。 1961年(昭和36年)、千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。千葉とはこののち23作品でコンビを組み、ヒットを連発していく。千葉を主演に据え置き演出した『風来坊探偵シリーズ』『ファンキーハットの快男児シリーズ』、1966年(昭和41年)の『カミカゼ野郎 真昼の決斗』は、『キイハンター』(1968年 - 1973年)の土台となった作品で、『キイハンター』の企画にも関わり、第1,2,157,158,178話を演出した。日米合作『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を黒澤明が降板したため、後任となった舛田利雄から懇願され共同監督を引き受けたりしていたが、当時の深作は創りたい映画を東映になかなか認めてもらえず、東映に籍を置きながらにんじんプロダクションと國光影業が製作した『カミカゼ野郎 真昼の決斗』を監督していた。 1973年(昭和48年)から公開された『仁義なき戦いシリーズ』は邦画史に残るヒットを記録。『柳生一族の陰謀』『復活の日』『魔界転生』『蒲田行進曲』『里見八犬伝』『忠臣蔵外伝 四谷怪談』『バトル・ロワイアル』など、発表した一部の映画がヒット・話題作となった。テレビ映画では前述の『キイハンター』のほか、『傷だらけの天使』、『必殺シリーズ』、『影の軍団II』などを演出している。92年の『いつかギラギラする日』では、大量の車、火薬、銃弾を消費したため、当初予算の3億円が11億円にまで膨張してしまった。 1997年(平成9年)、紫綬褒章受章。 2002年(平成14年)にはカプコンのプレイステーション2用ゲームソフト『クロックタワー3』のイベントCGムービーの監督を務め、これが撮影終了まで関わった最後の作品となった。同年9月25日、前立腺ガンの脊椎転移を公表し、『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』の製作を発表。12月16日からクランクインするが、21日にがんの骨転移の痛みから、放射線治療のため予定より2日早く入院。23日に定期の放射線治療、29日に体力の低下による風邪から肺炎を併発、31日に自力呼吸が困難になり、人工呼吸器を装着し、一時危篤状態になった。 2003年(平成15年)1月初頭、小康状態に回復。5日に同作のプロデューサーで長男・深作健太が監督を代行することとなった。7日、配給を担っている東映が会見を開き、健太と岡田茂が出席し、「翌月早々に復帰」と説明されたが、4日後の11日夕方には容態が悪化。妻・中原早苗と健太、菅原文太、健太から連絡を貰った渡瀬恒彦や藤原竜也が、臨終に立ち会った。12日の午前1時、死去。72歳没。 15日、築地本願寺で通夜が営まれ、喪主を務める深作健太が選曲した20曲が流れるなか、弔問客が献花を行った。中原早苗は終始、ハンカチを離さず悲しみの深さをうかがわせ、健太は弔問客に気丈に応対していたが、ロサンゼルスから駆けつけた千葉真一にねぎらいの言葉をかけられると、健太は涙をあふれさせていた。弔問にビートたけし・梅宮辰夫・緒形拳・津川雅彦・富司純子・三田佳子・藤真利子・渡哲也・小林稔侍・永島敏行・風間杜夫・平田満・藤原竜也・安藤政信・八名信夫・前田愛・前田亜季・竹内力・高岡早紀・薬師丸ひろ子・夏木マリ・宮本真希・柴咲コウ・加藤夏希・南果歩・渡辺えり子・松田美由紀・美輪明宏・山田洋次・崔洋一・降旗康男・沢井信一郎・奥山和由らが参列した。 翌16日の午後、同所で葬儀・告別式が執り行われた。千葉真一と、菅原文太が、それぞれ弔辞を述べ、菅原が献花したときは映画『仁義なき戦い』のテーマ曲がかかった。『蒲田行進曲』『バトル・ロワイアル』のテーマ曲や、深作の好きな越路吹雪の『バラ色の人生』、THE BLUE HEARTSの『1001のバイオリン』が流された。深作はフリーとなっていたが、東映は葬儀を全面的にサポートした。墓所は川崎市春秋苑。 2月7日に勲四等旭日小綬章を追贈され、1シーンしか撮れなかった遺作『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』は健太とともに監督としてクレジットされている。 アクション映画やヤクザ映画以外でも、『柳生一族の陰謀』『魔界転生』などの時代劇、『火宅の人』『おもちゃ』のような文芸、『ガンマー第3号 宇宙大作戦』『宇宙からのメッセージ』『復活の日』などのSF、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』のようなホラー映画、と幅広い作品を残している。文芸作品に取り組んでも「文芸アクション」と呼ぶ深作にとって、荒唐無稽やウソの物語をいかにリアルに仕上げるかを真骨頂にし、そのような作品では実に楽しそうに撮っていた。「いい監督にとって、役者は単なる色、絵の具でしかないという感じがするときがある。僕はそれは違うと思う。どんなに日にちがかかろうと、金が掛かろうと、芸術映画ならばいいという巨匠もいるが、僕は映画を衰退させたのは、そういう巨匠にも責任があると思う」と語っている。 日本のみならず世界でも劇場公開されており、クエンティン・タランティーノやジョン・ウーらは崇拝していることを明言している。全作品のうち『ファンキーハットの快男児』と『おもちゃ』以外のすべての作品で人の死を描いているが、戦争という巨大な暴力を体験したことで「暴力を描くことで暴力を否定しよう」という考えが根底にあり、決して暴力を肯定していた訳でなく、だからこそ様々な批判を受けても最後まで作風を変えなかった。「私も戦中派のしっぽにぶら下がっているが、今の人間のありようには、エネルギーのようなものが感じられない。平和は結構なことだが、その中で人間が衰弱してしまっているのではないか」と最後の作品でも暴力描写にこだわり、闇市の中で自ら体験した「生きることへの希望」を、再び現代社会に訴えようとした。 深作作品には欠かせない存在だった千葉真一にとって、深作はかけがえのない師匠であり盟友だった。千葉が1990年代からハリウッドに拠点を移していた際に「(千葉が)まだ独りでロサンゼルスに住んでいたころにわざわざ来てくれてね。そのころまだ自炊をしていたので、自分で作った料理を食べてもらったんです。『おい、いつの間にこんなに料理がうまくなったんだ(笑い)』って言われましたよ。滞在中は映画の話をたくさんしました」と述懐している。千葉はインタビューの際、最も尊敬する映画監督である深作を世界で活躍してほしかったこともあり、キンジ・フカサクと敬意をこめて呼んでいる。 干されていた室田日出男、大部屋でくすぶっていた川谷拓三・志賀勝らを抜擢し、ピラニア軍団として知らしめた。福本清三は「監督は大部屋俳優の名前を覚えてくれず、『そこ』、『おい』程度でしか呼ばれないが、深作監督はわしら大部屋俳優でも名前で呼んでくれた」と証言している。初めて東映京都撮影所で演出した際には殺陣師・擬斗師がいるにも関わらず、自ら殺陣や擬斗を細かく指示し、福本ら大部屋俳優のシーンにも綿密にリハーサルをしたので大部屋俳優たちに驚かれた。映画の打ち上げ時に福本は「スターさんにあまり言わないで、なぜわしら(大部屋俳優)に細かく指示するのか? 自分たちは撃たれる時も殺される時も、かっこよくできる」と思わず質問。深作は「(大部屋俳優には)台本も渡されてないから、なぜ殺されるのか、殺された後、組がどうなるか、状況や背景を説明してるんだよ。映画はスターだけじゃなく、映っているみんなが主役なんだ。スターさんがどんなに一生懸命でも、スクリーンの片隅にいる奴が遊んでいたら、その絵は死んでしまう。だから同じ子分でも、それぞれが個性を出して殺されてほしいから、うるさいだろうけど、細かく指示を出すんだよ」と諭した。福本は「この人、ただもんでないわ」と唸り、それまで大部屋俳優として幾度となく殺されてきたため、慣れ・自信・奢りがあったかもしれないと、反省したという。福本はこれ以降、与えられた役をとにかく一生懸命にやろうと転機になったと述べている。 小山内美江子は同い年で“サク”と呼んでいる。小山内がスクリプターをしていた頃に、助監督をしていた深作と出会った。助監督は何でもやらされるから忙しいのに、その合間に脚本書いていたので、その姿勢を見直したという。池袋で映画を観て、ラーメンを食べながら互いに感想を語り、汁を飛ばしながら夢中に話す深作が脳裏に浮かぶと振り返った。近藤照男・小山内・佐藤純彌を含めた4人はウマが合い、時々会って、付き合いを続けていたと小山内は回想している。 夜型で徹夜が平気な体質を持ち、深夜になっても撮影に入らない凝り性で、スタッフが疲弊することが多く、苗字になぞらえて「深夜作業組」と呼ばれるほどテストやリハーサルが長かった。また映画『ファンキーハットの快男児』から始めた手持ちカメラはその後の数々の作品で導入され、ストップモーションやナレーションを効果的に使った作品を生み出してきた。時に脚本を変えてしまうことから、『仁義なき戦い』では笠原和夫 から監督登用に拒まれたこともあった。製作者として深作と関わった角川春樹は「論理より感覚で撮る人で、凝り性」と述べている。 自主製作的なことは一切行わなず、門下の中田新一は著書『奔れ!助監督』で、監督は自分の金を映画に一銭も出してはいけないと教えられたと記している。どうしても撮りたい企画があった場合は、東映の外で出資してくれるプロダクションを探すという姿勢だった。その関係で、1970年前後に共産党系のプロダクションで何本か監督しているが、党員ではなく特にシンパ活動などは行っていない。『仁義なき戦い』などはむしろ山田和夫ら共産党系の評論家に叩かれたぐらいである。しかし、フリーとしての活動はかならずしも順調ではなく、40代で24本、50代で10本の映画を監督した深作も、60代では3本の映画しか撮れなかった。 サム・ペキンパーのファンで、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』を好きな映画に挙げている。ペキンパーが『戦争のはらわた』のプロモーションのためにジェームズ・コバーンと共に来日し、『独占!男の時間』に出演していると、泥酔した川谷拓三が乱入してきた。川谷も深作同様にペキンパーのファンだが、ペキンパーが監督した映画「『ゲッタウェイ』!!!」と吠えながら握手をして、「ペキンパー、深作欣二と勝負せんかい!」と叫んでいた。 2000年公開の映画『バトル・ロワイアル』を制作する際、WOWOWの代表番号に深作監督本人が出資依頼の電話をし、取次ぎ先に困った受付担当者が松橋真三に相談したことで縁を持った。松橋は『バトル・ロワイアル』には協力プロデューサーとして参画し、映画プロデューサーの道を歩み始める。 ※は脚本兼。☆は脚本のみ。★は編集兼。*は構成兼。 風来坊探偵シリーズ(1961年、ニュー東映)
風来坊探偵 岬を渡る黒い風 ファンキーハットの快男児シリーズ(1961年、ニュー東映)
ファンキーハットの快男児 二千万円の腕 白昼の無頼漢(1961年、ニュー東映) 誇り高き挑戦(1962年、東映) ギャング対Gメン(1962年、東映) ギャング同盟(1963年、東映) ジャコ萬と鉄(1964年、東映) 狼と豚と人間(1964年、東映)※ 脅迫 (おどし)(1966年、東映)※ 顔役(1965年、東映)☆ カミカゼ野郎 真昼の決斗(1966年、にんじんプロダクション / 國光影業)※ 北海の暴れ竜(1966年、東映) 解散式(1967年、東映)※ 博徒解散式(1968年、東映) 黒蜥蜴(1968年、松竹)※ 恐喝こそわが人生(1968年、松竹) ガンマー第3号 宇宙大作戦(1968年、東映 / ラム・フィルム / MGM) 黒薔薇の館(1969年、松竹)※ 日本暴力団 組長(1969年、東映)※ 血染の代紋(1970年、東映)※ 君が若者なら(1970年、新星映画 / 文学座)※ トラ・トラ・トラ! 1970年、20世紀フォックス) 博徒外人部隊(1971年、東映)※ 軍旗はためく下に(1972年、東宝 / 新星映画) ※ 現代やくざ 人斬り与太(1972年、東映) ※ 人斬り与太 狂犬三兄弟(1972年、東映) 仁義なき戦いシリーズ(東映)
仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年) 仁義なき戦い 代理戦争(1973年) 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年) 仁義なき戦い 完結篇(1974年) 仁義なき戦い 総集篇(1980年)★ 新仁義なき戦いシリーズ 東映)
新仁義なき戦い 組長の首(1975年) 新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年) 仁義の墓場(1975年、東映) 県警対組織暴力(1975年、東映) 資金源強奪(1975年、東映) 暴走パニック 大激突(1976年、東映)※ やくざの墓場 くちなしの花(1976年、東映) 北陸代理戦争(1977年、東映) ドーベルマン刑事(1977年、東映) 柳生一族の陰謀(1978年、東映)※ 宇宙からのメッセージ(1978年、東映 / 東北新社) 赤穂城断絶(1978年、東映) 復活の日(1980年、角川春樹事務所 / TBS)※ 青春の門(1981年、東映) 魔界転生(1981年、角川春樹事務所 / 東映)※ 道頓堀川(1982年、松竹)※ 蒲田行進曲(1982年、松竹 / 角川春樹事務所) 人生劇場(1983年、東映)※ 里見八犬伝(1983年、角川春樹事務所)※ 上海バンスキング(1984年、松竹 / 西武流通グループ / シネセゾン / ANB)※ 火宅の人(1986年、東映)※ 必殺4 恨みはらします(1987年、松竹 / ABC)※ 華の乱(1988年、東映)※ いつかギラギラする日(1992年、NTV / バンダイ / 松竹第一興行) 忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年、松竹)※ おもちゃ(1999年、東映 / ライジングプロダクション) バトル・ロワイアルシリーズ
バトル・ロワイアル【特別篇】(2001年、バトル・ロワイアル製作委員会) バトル・ロワイアルII 鎮魂歌(2003年、東映) スパイキャッチャーJ3 (1965年、NET)
第2話 「SOSポラリス潜水艦 後編」 キイハンター (TBS)
第2話「非常の唇」(1968年) 第157話「キイハンター 皆殺し作戦」(1971年) 第158話「現金と舌を切られた女」(1971年) 第178話「南の国へヌードで新婚珍道中」(1971年) ザ・ガードマン 第326話「年上の妻の華麗な犯罪」(1971年、TBS) 必殺仕掛人 (ABC)
第2話「暗闘仕掛人殺し」(1972年) 第24話「士農工商大仕掛け」(1973年) アイフル大作戦 第31話「メロメロお色気大作戦」(1973年、TBS) バーディ大作戦 第1話「連続ピストル強盗団」(1974年、TBS) 傷だらけの天使(1974年、NTV)
第3話「ヌードダンサーに愛の炎を」(1974年) 影同心 第18話「濡れた女の殺し節」(1975年、MBS) Gメン'75 (TBS)
第20話「背番号3長島対Gメン」(1975年) 第85話「'77元旦 デカ部屋ぶっ飛ぶ!」(1977年) 第354話「吾輩は人喰猫である」(1982年) 柳生一族の陰謀 第1話「将軍毒殺」(1978年、KTV) 影の軍団II 第1話「眼には眼を」(1981年、KTV) 黒い館の女 (1982年、ANB) ダブル・パニック'90 ロス警察大捜査線(1990年、ANB) 阿部一族(1995年、CX) 仁義なき戦い 金子信雄プロデュース新演劇公演(1974年、紀伊國屋ホール) バラエティショウ ピラニア十六匹大行進 ピラニア軍団公演(1977年、御堂会館) * 柳生十兵衛 魔界転生(1981年、新宿コマ劇場) ゆかいな海賊大冒険
1983年3月25日 - 4月14日、梅田コマ劇場 1984年3月24日 - 4月17日、新宿コマ劇場) 酔いどれ公爵 (1985年4月1日 - 29日、新宿コマ劇場) リメインズ 美しき勇者たち(1990年、松竹 / サニー千葉エンタープライズ / JTB / 京都映画) 泣いてたまるか (TBS)
20世紀末黙示録 もの食う人びと(1997年、NBN) クロックタワー3(2002年、ムービー演出) 人間の証明(1977年、角川春樹事務所)- 渋江警部補 柳生一族の陰謀 第34話「やわ肌の秘密」(1979年、KTV)- 深海欣十郎 RAMPO 奥山バージョン(1994年、松竹)- 巨匠 第11回ゴールデン・アロー賞 映画賞『仁義なき戦い』(1973年) 第18回ブルーリボン賞 監督賞『仁義の墓場』 『県警対組織暴力』(1975年) 第2回日本アカデミー賞 優秀脚本賞 『柳生一族の陰謀』(1979年) 第56回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画監督賞『蒲田行進曲』(1982年) 第25回ブルーリボン賞 監督賞『蒲田行進曲』(1982年) 第37回毎日映画コンクール 監督賞『蒲田行進曲』(1982年) 第6回日本アカデミー賞 最優秀監督賞『蒲田行進曲』(1983年) 第10回日本アカデミー賞 最優秀監督賞・最優秀脚本賞 『火宅の人』 (1987年) 第7回日刊スポーツ映画大賞 監督賞『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年) 第18回日本アカデミー賞 最優秀監督賞・最優秀脚本賞『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1995年) 第20回おおさか映画祭 監督賞『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1995年) 紫綬褒章(1997年) 勲四等旭日小綬章(2003年) 祖父:深作 大叔父:深作安文 - 浅次郎の弟、東京帝国大学文学部教授、倫理学者、水戸学研究者 従叔父:深作守文 - 安文の長男、東京都立大学人文学部教授、倫理学者 父:深作雄太郎 - 浅次郎の長男、農業技師、第17代緑岡村村長 兄:深作哲太郎 - 雄太郎の長男、林業技師 従兄弟:深作清次郎 - 右翼、政治活動家 子:深作健太 - 欣二の長男、映画監督、演出家、脚本家 従甥孫:深作ヘスス - 清次郎の孫、衆議院議員 父の雄太郎は、故郷・緑岡村の地主で、かつ東京帝国大学農学部を卒業した農業技師という、当時の富裕層かつエリートだった。映画監督として有名になってからも、父は欣二に対し、地元に戻って農業を継ぐように度々催促した。結局、両親の臨終には立ち会えなかった。 兄の哲太郎とは12歳離れており、欣二に物心がついた時には、既に進学のために上京していた。このため、兄と一緒に暮らしたのは、終戦から兄が復員した後の数年間のみだった。哲太郎の没後、「芸で食っていくのは大変だぞ」と励まされた事など、兄の思い出を手記に寄せている。 姉(雄太郎の三女)は、大成建設の社長となった藤田武雄の長男に嫁いだ。 深作欣二、高野育郎『仁義なきバトル・ロワイアル』アスペクト(原著2000年12月)。ISBN 4757208103。 深作欣二『映画監督 深作欣二』ワイズ出版、2003年7月12日。ISBN 489830155X。 深作欣二 著、映像塾プロジェクト 編『深作欣二 ラスト・メッセージ』シネマハウス(原著2005-1-15)。ISBN 4434055011。 中原早苗「夫・深作欣二 最後の戦い」『文藝春秋』、文藝春秋社、2003年3月。 映画主義">立松和平『映画主義者 深作欣二』(第1刷)文藝春秋、2003年6月1日。ISBN 4-89036-181-2。OCLC 54088600。 JJサニー千葉『千葉流 サムライへの道』ぶんか社、2010年。ISBN 4821142694。 一坂太郎『フカサクを観よ 深作欣二監督全映画ガイド』青志社、2018年1月 春日太一責任編集『深作欣二 文藝別冊』河出書房新社、2021年9月 ^ 第一作の必殺仕掛人の他、続編の企画に参加し中村主水を生む。 ^ 角川春樹は「話を暗い方へ変えたがる傾向があった」と評している。 ^ 深作は一切、脚本に手を入れないことを約束している。 ^ 深作雄太郎 著、森田美比 編『ある茨城県農政史―農林技師・深作雄太郎日記―』昌平社、1980年、3,7,37,40頁。 ^ “【復刻・日曜のヒーロー】待っていて下さい 必ずや ハリウッドの千葉真一”. nikkansports.com. 日曜日のヒーロー. 日刊スポーツ新聞社 (2021年8月20日). 2021年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月4日閲覧。 ^ 千葉流 サムライへの道、140 - 141頁。 ^ 関口裕子 編『映画監督 深作欣二の軌跡』 5月12日号、No.1380、キネマ旬報社〈キネマ旬報臨時増刊〉、2003年5月12日、154頁。ASIN B008GP8RRY。OCLC 1126327309。 ^ “千葉真一、深作欣二の初監督の怒号に驚いた”. アサ芸+. 芸能. 徳間書店 (2012年11月27日). 2024年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月6日閲覧。 ^ 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報1982年8月上旬号』第1655巻第841号、キネマ旬報社、1982年8月1日、131頁、ASIN B005R6CCEE。 ^ “「仁義なき戦い」シリーズの深作欣二監督が死去”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2003年1月13日). オリジナルの2003年2月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20030206060523/http://www.nikkansports.com/jinji/2003/seikyo030113.html 2014年10月31日閲覧。 ^ 金箱隆二 編「『仁義なき戦い』の役者インタビューII 渡瀬恒彦」『追悼! 菅原文太 仁義なき戦い COMPLETE』川田修〈TOWN MOOK〉、2015年1月10日、83頁。ISBN 4197103964。 ^ “深作監督通夜、来ては困る女優の名前”. ZAKZAK (2003年1月16日). 2014年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月12日閲覧。 ^ 中原早苗『女優魂 中原早苗』ワイズ出版、2009年、176頁。ISBN 9784898302354。 ^ “千葉真一、見参!”. 加瀬健治のブログ. 楽天ブログ (2014年10月30日). 2014年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月31日閲覧。 ^ 文化通信社 編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、176頁。ISBN 978-4-636-88519-4。 ^ 「深作欣二「千葉ちゃん、ウソって観客に思わせたら負け」」『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月29日、2013年1月1日閲覧。 ^ “必殺4 恨みはらします”. 東映チャンネル. 2013年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月6日閲覧。 ^ 千葉流 サムライへの道、132頁。 ^ 福本清三、小田豊二『どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役・福本清三』集英社、2001年11月30日、211-215頁。ISBN 4420310030。 ^ 第三章 私自身の『復活の日』、143頁。 ^ 第三章 私自身の『復活の日』、143 - 144頁。 ^ 第三章 私自身の『復活の日』、144頁。 ^ 第三章 私自身の『復活の日』、144 - 145頁。 ^ 『最後の角川春樹』、2021年11月発行、伊藤彰彦、毎日新聞出版、P153 ^ 「西郷輝彦「現場が凍った萬屋錦之介と深作欣二の衝突」」『アサ芸+』、徳間書店、2012年12月7日、 オリジナルの2013年1月1日時点におけるアーカイブ、2013年1月1日閲覧。 ^ 「「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話(1)「顔のシワ作り」に励んだ松方」『アサ芸+』、徳間書店、2012年11月28日、 オリジナルの2012年11月29日時点におけるアーカイブ、2012年11月29日閲覧。 ^ 「深作欣二「仁義なき戦い」の脚本に一目惚れ」『アサ芸+』、徳間書店、2012年12月25日、 オリジナルの2013年2月6日時点におけるアーカイブ、2013年2月2日閲覧。 ^ ワイズ出版 2003, pp. 60, 「松竹ヌーヴェルヴァーグの登場」 ^ 伊藤彰彦「映画の奈落 北陸代理戦争事件」p.227 ^ 小林信彦「映画×東京とっておき雑学ノート」(文藝春秋)P.193 ^ “株式会社クレデウス・代表取締役 松橋真三氏が語る 映画業界での働き方と求められる人材像 | エンタメ人コラム”. エンタメ人☆彡コラム (2021年6月7日). 2024年7月14日閲覧。 ^ 水戸市史編さん近現代専門部会 編『水戸市史 下巻』 1巻、水戸市、1993年、436頁。 ^ 水戸市史編さん近現代専門部会 編『水戸市史 下巻』 2巻、水戸市、1995年、139頁。 ^ 『昭和大典記念 自治業界發達誌』東京日日通信社、1928年、695頁。 ^ 『茨城人名録』いはらき新聞社、1939年、561頁。 ^ 「フ之部」『人事興信録』 下(14版)、人事興信所、1943年、6頁。 ^ 『新民』第13巻第12号、新民会、1962年12月、47頁。 ^ 文部省大学学術局 編『専門別 大学研究者・研究題目総覧 人文科学編』日本学術振興会、1961年、281頁。 ^ 深作哲太郎 著、深作初枝、深作律夫 編『深作哲太郎遺作遺稿集』深作初枝、1982年、9,11,401頁。 ^ FukasakuKjのツイート(1540568810344022019) ^ SawyerMakiのツイート(1545201798973165569) ^ “深作さんに最後の別れ/映画関係者多数が参列”. 四国新聞社 (2003年1月16日). 2021年5月31日閲覧。 ^ 福島伸享 (2022年7月5日). “神奈川県、深作ヘスス候補の応援”. 福島のぶゆきアーカイブ. 2022年7月5日閲覧。 ^ FukasakuKjのツイート(1540568810344022019) ^ 『ビッグコミックオリジナル 12月20日号』、小学館、1995年、32-34頁。 ^ 根岸康雄: “深作欣二監督が『仁義なき戦い』ヒット後に父から「田舎に戻れ」と言われた理由”. MAG2 NEWS. まぐまぐ (2021年9月21日). 2023年5月5日閲覧。 ^ 『財界家系図』人事興信所、1956年、307頁。 ^ 「ふ之部」『人事興信録』 下(22版)、人事興信所、1964年、71頁。 深作欣二 - allcinema 深作欣二 - KINENOTE 深作欣二 - 日本映画データベース 深作欣二 - テレビドラマデータベース 日本映画監督協会 深作欣二プロフィール 深作欣二 - NHK人物録 ベストライフ・オンライン インタビュー Kinji Fukasaku - IMDb(英語) 深作欣二 - Rotten Tomatoes(英語) 表 話 編 歴 風来坊探偵シリーズ(1961年)
風来坊探偵 岬を渡る黒い風 ファンキーハットの快男児シリーズ(1961年)
ファンキーハットの快男児 二千万円の腕 白昼の無頼漢(1961年) 誇り高き挑戦(1962年) ギャング対Gメン(1962年) ギャング同盟(1963年) ジャコ萬と鉄(1964年) 狼と豚と人間(1964年) 脅迫(おどし)(1966年) カミカゼ野郎 真昼の決斗(1966年) 北海の暴れ竜(1966年) 解散式(1967年) 博徒解散式(1968年) 黒蜥蜴(1968年) 恐喝こそわが人生(1968年) ガンマー第3号 宇宙大作戦 (1968年) 黒薔薇の館(1969年) 日本暴力団 組長(1969年) 血染の代紋(1970年) 君が若者なら(1970年) トラ・トラ・トラ!(1970年) 博徒外人部隊(1971年) 軍旗はためく下に(1972年) 現代やくざ 人斬り与太(1972年) 人斬り与太 狂犬三兄弟(1972年) 仁義なき戦い(1973年) 仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年) 仁義なき戦い 代理戦争(1973年) 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年) 仁義なき戦い 完結篇(1974年) 新仁義なき戦い(1974年) 仁義の墓場(1975年) 県警対組織暴力(1975年) 資金源強奪(1975年) 新仁義なき戦い 組長の首(1975年) 暴走パニック 大激突(1976年) 新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年) やくざの墓場 くちなしの花(1976年) 北陸代理戦争(1977年) ドーベルマン刑事(1977年) 柳生一族の陰謀(1978年) 宇宙からのメッセージ(1978年) 赤穂城断絶(1978年) 復活の日(1980年) 青春の門(1981年) 魔界転生(1981年) 道頓堀川(1982年) 蒲田行進曲(1982年) 人生劇場(1983年) 里見八犬伝(1983年) 上海バンスキング(1984年) 火宅の人(1986年) 必殺4 恨みはらします(1987年) 華の乱(1988年) いつかギラギラする日(1992年) 忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年) おもちゃ(1999年) バトル・ロワイアル/バトル・ロワイアル 特別篇(2000年 / 2001年) バトル・ロワイアルII 鎮魂歌(2003年) キイハンター(1 - 2, 157, 158話) ザ・ガードマン(326話) 必殺仕掛人(1 - 2, 24話) アイフル大作戦(31話) バーディ大作戦(1話) 傷だらけの天使(1, 3話) Gメン'75(16, 20, 85, 354話) 影同心(18話) 柳生一族の陰謀(1話) 影の軍団II(1話) ダブル・パニック'90 ロス警察大捜査線 阿部一族 柳生十兵衛 魔界転生(1981年) クロックタワー3 中原早苗 深作健太 表 話 編 歴 第1作 広島死闘篇 代理戦争 頂上作戦 完結篇 新 組長の首 組長最後の日 その後 新(2000年) 新・謀殺 1974年版 〜彼女(おんな)たちの死闘篇〜 飯干晃一 深作欣二 美能幸三 菅原文太 東映 東映京都撮影所 広島抗争 工藤栄一監督作品 阪本順治監督作品 橋本一監督作品 表 話 編 歴 村田実 1936-1937 溝口健二1937-1943、1949-1955 小津安二郎1955-1963 五所平之助1964-1980 大島渚1980-1996 深作欣二1996-2003 山田洋次2003-2004 崔洋一2004-2022 本木克英2022-現在 表 話 編 歴 今井正(1950、1953、1956、1957) 小津安二郎(1951) 成瀬巳喜男(1952) 溝口健二(1954) 豊田四郎(1955) 田坂具隆(1958) 市川崑(1959) 市川崑(1960、1962) 伊藤大輔(1961) 今村昌平(1963) 勅使河原宏(1964) 山本薩夫(1965) 山田洋次(1966) 深作欣二(1975) 山根成之(1976) 山田洋次(1977) 野村芳太郎(1978) 今村昌平(1979) 鈴木清順(1980) 根岸吉太郎(1981) 深作欣二(1982) 森田芳光(1983) 伊丹十三(1984) 黒澤明(1985) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 和田誠(1988) 舛田利雄(1989) 篠田正浩(1990) 北野武(1991、1996、1998) 周防正行(1992) 滝田洋二郎(1993) 神代辰巳(1994) 金子修介(1995) 原田眞人(1997) 大島渚(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 崔洋一(2002) 森田芳光(2003) 是枝裕和(2004、2008) 佐藤純彌(2005) 西川美和(2006、2009) 周防正行(2007) 石井裕也(2010) 新藤兼人(2011) 内田けんじ(2012) 大森立嗣(2013) 呉美保(2014) 橋口亮輔(2015) 片渕須直(2016) 白石和彌(2017、2018) 真利子哲也(2019) 中野量太(2020) 西川美和(2021) 早川千絵(2022) 石井裕也(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 作品賞 監督賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 新人賞 表 話 編 歴 今井正(1946) 黒澤明(1947) 木下惠介(1948) 小津安二郎(1949) 吉村公三郎(1950) 成瀬巳喜男(1951) 渋谷実(1952) 今井正(1953) 木下惠介(1954) 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956) 今井正(1957) 木下惠介(1958) 山本薩夫(1959) 市川崑(1960) 小林正樹(1961) 市川崑(1962) 今村昌平(1963、1967) 勅使河原宏(1964) 内田吐夢(1965) 山本薩夫(1966) 岡本喜八(1968) 山田洋次(1969) 山本薩夫(1970) 篠田正浩、山田洋次(1971) 斎藤耕一(1972) 山田洋次(1973、1977) 野村芳太郎(1974) 新藤兼人(1975) 山本薩夫(1976) 野村芳太郎(1978) 長谷川和彦(1979) 黒澤明(1980、1985) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 大島渚(1983) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 原一男(1987) 大林宣彦(1988) 舛田利雄(1989) 市川準(1990) 山田洋次(1991) 東陽一(1992) 市川準(1993) 神代辰巳(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 今村昌平(1997) 平山秀幸(1998) 森田芳光(1999) 阪本順治(2000) 宮崎駿(2001) 平山秀幸(2002) 崔洋一(2003) 黒木和雄(2004) 緒方明(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 若松孝二(2008) 園子温(2009) 三池崇史(2010) 富田克也(2011) 吉田大八(2012) 石井裕也(2013) 呉美保(2014) 塚本晋也(2015) 西川美和(2016) 富田克也(2017) 上田慎一郎(2018) 石川慶(2019) 河瀨直美(2020) 濱口竜介(2021) 三宅唱(2022) 石井裕也(2023) 括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) 表 話 編 歴 成瀬巳喜男(1955) 今井正(1956、1957、1959) 木下惠介(1958) 市川崑(1960、1962) 羽仁進(1961) 今村昌平(1963、1968) 勅使河原宏(1964) 黒澤明(1965) 山本薩夫(1966) 小林正樹(1967) 篠田正浩(1969) 山田洋次(1970、1977) 大島渚(1971) 熊井啓(1972) 斎藤耕一(1973) 熊井啓(1974) 新藤兼人(1975) 長谷川和彦(1976) 東陽一(1978) 今村昌平(1979) 鈴木清順(1980) 小栗康平(1981) 深作欣二(1982) 森田芳光(1983、1985) 伊丹十三(1984) 熊井啓(1986) 伊丹十三(1987) 黒木和雄(1988) 今村昌平(1989) 中原俊(1990) 山田洋次(1991) 周防正行(1992) 崔洋一(1993) 原一男(1994) 新藤兼人(1995) 小栗康平(1996) 望月六郎(1997) 平山秀幸(1998) 原田眞人(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 山田洋次(2002) 黒木和雄(2003) 崔洋一(2004) 井筒和幸(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 滝田洋二郎(2008) 木村大作(2009) 李相日(2010) 園子温(2011) 周防正行(2012) 石井裕也(2013) 呉美保(2014) 橋口亮輔(2015) 片渕須直(2016) 大林宣彦(2017) 瀬々敬久(2018) 白石和彌(2019) 大林宣彦(2020) 濱口竜介(2021) 高橋伴明(2022) ヴィム・ヴェンダース(2023) 表 話 編 歴 山田洋次(1977) 新藤兼人(1978) 馬場当(1979) 朝間義隆、山田洋次(1980) 倉本聰(1981) つかこうへい (1982) 高田宏治(1983) 伊丹十三(1984) 松田寛夫(1985) 神波史男(1986) 伊丹十三(1987) 市川森一(1988) 石堂淑朗、今村昌平(1989) 山田太一(1990) 岡本喜八(1991) 周防正行(1992) 山田洋次(1993) 古田求、深作欣二(1994) 新藤兼人(1995) 周防正行(1996) 三谷幸喜(1997) 鄭義信(1998) 岩間芳樹、降旗康男(1999) 黒澤明(2000) 宮藤官九郎(2001) 山田洋次、朝間義隆(2002) 筒井ともみ(2003) 矢口史靖(2004) 山崎貴、古沢良太(2005) 李相日(2006) 松尾スズキ(2007) 小山薫堂(2008) 西川美和(2009) 中島哲也(2010) 奥寺佐渡子(2011) 内田けんじ(2012) 渡辺謙作(2013) 土橋章宏(2014) 足立紳(2015) 新海誠(2016) 是枝裕和(2017) 是枝裕和(2018) 徳永友一(2019) 野木亜紀子(2020) 濱口竜介、大江崇允(2021) 向井康介(2022) 山崎貴(2023) 日本アカデミー賞 作品賞 監督賞 脚本賞 アニメーション作品賞 外国作品賞 主演男優賞 主演女優賞 助演男優賞 助演女優賞 音楽賞 表 話 編 歴 黒木和雄(1988) 今村昌平(1989) 神山征二郎(1990) 山田洋次(1991) 東陽一(1992) 崔洋一(1993) 深作欣二(1994) 新藤兼人(1995) 北野武(1996) 宮崎駿(1997) 平山秀幸(1998) 深作欣二(1999) 阪本順治(2000) 行定勲(2001) 山田洋次(2002) 北野武(2003) 黒木和雄(2004) 犬童一心(2005) 根岸吉太郎(2006) 周防正行(2007) 滝田洋二郎(2008) 西川美和(2009) 三池崇史(2010) 新藤兼人(2011) 内田けんじ(2012) 是枝裕和(2013) 山崎貴(2014) 原田眞人(2015) 新海誠(2016) 石井裕也(2017) 白石和彌(2018) 真利子哲也(2019) 黒沢清(2020) 吉田恵輔(2021) 李相日(2022) 石井裕也(2023) FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン
フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research MusicBrainz SNAC IdRef 日本の映画監督 日本の脚本家 日本の映画の脚本家 紫綬褒章受章者 勲四等旭日小綬章受章者 東映の人物 東映時代劇 ヤクザ映画の監督 SF映画監督 特撮スタッフ ピラニア軍団 仁義なき戦い 必殺シリーズ 茨城県立水戸第一高等学校出身の人物 日本大学出身の人物 茨城県出身の人物 前立腺癌で亡くなった人物 1930年生 2003年没 春秋苑に埋葬されている人物 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるKINENOTE ID ウィキデータにあるJMDb人物と企業識別子 ウィキデータと異なるNHK人物録ID FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事
2024/11/17 11:04更新
|
fukasaku kinji
深作欣二と同じ誕生日7月3日生まれ、同じ茨城出身の人
TOPニュース
深作欣二と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「深作欣二」を素材として二次利用しています。