児玉清の情報(こだまきよし) 俳優、司会者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
児玉清と関係のある人
草刈民代: 前任者・児玉清(五十音文蔵)が病気のための代役として登場した。 北川町子: なお、北川の児玉清の第一印象は、「なんておしゃべりな人なんだろう」だった。 神山繁: 高倉健、宇津井健、いかりや長介、仲代達矢、児玉清、木村拓哉との共演が数多かった。 浦川泰幸: 1975年の番組開始当初から司会を務めた俳優の児玉清が体調不良により収録を欠席した2011年3月31日収録分(4月17日・24日放送)から、急遽代理司会を担当。 浦川泰幸: 5月22日には、浦川の司会で収録済みだった『アタック25』の放送を休止する代わりに、同月19日に収録された児玉への追悼特別番組『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』を放送した。 鈴木英夫: 一方では、名指しは避けているものの、数本の鈴木作品に出演した児玉清は、著書『負けるのは美しく』で執拗な大部屋俳優苛めのようすを回顧し、「S監督は、俳優の好き嫌いが極端で、必ず撮影中に嫌いな俳優を見つけては、いびりにいびり、いじめまくることで評判の監督なのだ」と批判している。 神山繁: トヨタ自動車 / トヨタ・マークII(4代目)※児玉清と共演。 北川大祐: 現在は児玉清事務所代表取締役、事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長。タレントとしてのデビュー当初は父・児玉清が経営していた児玉清事務所に所属していたが、後にアダムスモデルスに所属した。 森内俊之: A級に昇級した初年度でのことでもあり、司会者の児玉清は番組冒頭で「今週は見たことのある方が出場されています」と紹介した。 万城目学: 児玉清の「あの作家に会いたい」 児玉清著(2009年7月 PHP研究所)- 著者と対談 角野卓造: 演劇部の先輩に篠沢秀夫・児玉清・細川俊之、後輩には黛りんたろう・大森博史・宮田慶子・田中明生がいる。 河内桃子: 1957年(昭和32年)12月31日、東宝サンパウロ支社開設のため、同じ東宝の女優だった北川町子(後の児玉清夫人)らとブラジルへ出発。 浦川泰幸: さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜(2011年5月22日) 木村拓哉: 『HERO』で木村と共演した児玉清は木村について「自然に振る舞っているようで、目の動きとかで濃密な演技をしている。 縄田一男: 『ぼくらが惚れた時代小説』、山本一力/児玉清と鼎談、朝日新書・朝日新聞出版 2007年 淀川長治: 俳優の児玉清は『土曜洋画劇場』の解説を務めた際、ある放送で取り上げた四流映画を正直に酷評したところ、監修の淀川から「解説者がひどい映画と言ってしまってはいけない。 佐伯泰英: 2010年11月29日の「新・古着屋総兵衛」の児玉清の対談において「血に非ず」のタイトルの由来時に前立腺癌を発症していたが、現在、治療している事を語っていた。 福山雅治: 『美女か野獣』『龍馬伝』で共演した児玉清とはメールのやり取りなどを通じてプライベートでも交流があり、"東京の父"として慕っていた。 杉村春子: 土方与志(宗方)を演じる児玉清は「プロ野球でいえば、ルーキーが川上監督や鶴岡監督になるようなもの。 長山藍子: 宇津井健、児玉清、井川、前田吟との共演も多く、特に宇津井とは夫婦・兄妹・父娘役という立場で共演しており、児玉・井川・前田とは夫婦役での共演が多い。 中江有里: また同年には『週刊ブックレビュー』で共演した児玉清の助言を得て、2作目の小説『ティンホイッスル』を執筆。 加藤明子: さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜(2011年5月22日) 北川大祐: 父は俳優・タレントの児玉清、母は元女優の北川町子。 板東英二: 1984年に児玉清が盲腸の破裂による急性腹膜炎で入院した結果、司会を務める『パネルクイズ アタック25』(朝日放送)に出演できなくなった時、板東が代理司会として10月14日と28日の2週にわたって抜擢されたことがある。 北川町子: 夫は俳優・タレント・司会者・作家の児玉清。長男は元タレントで児玉清事務所代表兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ社長の北川大祐。 堀川とんこう: みかん きんかん 夏みかん(1971年、池内淳子、児玉清、山岡久乃、黒柳徹子ほか) - ディレクター 田宮二郎: マスコミの報道の中、弔問には同じ大映専属の俳優だった宇津井健と藤巻潤、勝新太郎・中村玉緒夫妻、藤村志保、松坂慶子、若尾文子、三條美紀らに加え、ドラマ『白い巨塔』で共演した山本學・加藤嘉・小沢栄太郎・中村伸郎・清水章吾・島田陽子・金子信雄・渡辺文雄・児玉清・北村和夫・北林谷栄・夏樹陽子など、多くの有名人が駆けつけた。 西川貴教: 理想の父親像として、児玉清を挙げている。 谷原章介: 俳優業との両立には不安もあったが、ドラマで共演した児玉清の助言で挑戦しようと決断した。 篠沢秀夫: 大学生時代から俳優の児玉清と親交が深く、役者を志望したこともあったが、児玉に比べて見劣りブロマイドが売れずに役者にはなれないと思い、学者になった。 |
児玉清の情報まとめ
児玉 清(こだま きよし)さんの誕生日は1933年12月26日です。東京出身の俳優、司会者のようです。
テレビ、卒業、映画、退社、事故、趣味、家族、病気、ドラマ、父親、引退、結婚、姉妹、事件に関する情報もありますね。去年の情報もありました。2011年に亡くなられているようです。
児玉清のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。本名は 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 東京市滝野川区出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。 1958年 - 東宝ニューフェイス第13期に合格、芸能界入り。 1958年12月28日 - 映画『隠し砦の三悪人』で、芸能界デビュー。 1967年 - 東宝を退社、フリーとなり、児玉清事務所を立ち上げ。 1972年 - 日本放送作家協会賞男性演技者賞を受賞。 1975年4月6日 - 司会を務めていた、朝日放送テレビ(以下、ABC)『パネルクイズ アタック25』放送開始(2011年4月10日放送分まで出演)。 2011年5月16日 - 胃癌により77歳で死去。法名は 2011年3月、児玉が緊急入院する直前『文藝春秋』5月特別号の東日本大震災に関する特集記事「われらは何をなすべきか」に寄稿していた。内容は「この国の危機管理のお粗末さに日々唖然」から始まり、「『決死で頑張る』とか精神論を披歴するだけ、まるで昔の旧軍人総理となんら変わらない幼稚さ」であると、菅直人首相(当時)の震災への対応について批判する主張を行い、さらに東京電力による福島第一原子力発電所事故に対する対応についても「日本は完全に幼稚化した人間たちがリーダーシップを握っていることを露呈」などと綴った。また「被災地へヘリコプターで物資を投下」といった提言も行っている。原稿は手書きでFAXを使って寄稿されており、後に編集部に対し「内容に満足できないので、ボツでも構いません。ご判断をお任せします。必要とあれば書き直します」と電話で伝えてきたといわれる。 「われらは何をなすべきか」のひと月前、同じく『文藝春秋』の4月号にも寄稿し「誰もビジョンを示さない」「目先のことだけしか頭にない」と政治家たちを批判している。 「俳優として売れないころ、何か作って(生活の)足しになればと思って始めた」のがきっかけで、長年切り絵を趣味としていた。テレビ朝日『徹子の部屋』などのインタビュー番組への出演時にもその腕前が紹介された。切り絵には外国の雑誌のページなども用いられ、死去直前に入院した際にも、切り絵の道具を病室に持ち込んでいた程で、来年のカレンダー用も製作しようとしていたが、彼の死去で幻になったと前記の特番で語られた。 2003年には自身の切り絵作品を紹介した『たったひとつの贈りもの わたしの切り絵のつくり方』(朝日出版社)を出版した。2008年には竹内まりやのシングル『幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)』のジャケットとして、切り絵作品を制作し提供した。また、かつて『アタック25』のスポンサーであった東リから、児玉の切り絵を原画にしたラグとマット「HOOK RUG & MAT with KIYOSHI KODAMA」も発売された。 また、自ら制作した切り絵の作品によるカレンダー(非売品)を毎年制作しており、親しい知人や関係者に配布されていた。『アタック25』で問題読みを担当する加藤明子(ABCアナウンサー)曰く、毎月捲るのが楽しみだったという。 逝去後の2011年11月には、2012年版のカレンダーが一般向けに発売され、また12月には、切り絵を絵柄としたフレーム切手(80円切手10枚)とポストカード(2枚)のセットも発売され、以後も毎年カレンダーが発売されている。 児玉は朝日放送テレビ(ABC)『パネルクイズ アタック25』の初代司会を、1975年4月6日の放送開始から2011年の死去直前の第1795回まで36年間にわたって務めた(この期間中、1984年、虫垂炎による入院のため収録を2回分欠席、通算1793回である)。 『アタック25』での児玉は司会者だけでなく、番組のブレーンも務めていた。スタッフ曰く、児玉自身常に「僕のバックボーン」としていたという。クイズ問題を作成する際、自らが得意とするドイツ文学などの問題では「こちらを問題や答えにした方がいいのでは」と児玉自らスタッフに助言したり、収録前の問題最終チェックも児玉自身がスタッフと共に検討を行っていた。 一部の回で想定外の解答があり、正誤が判定しにくいことがあり収録が中断したこともあったが「視聴者参加番組だから適当なことができない。ミスジャッジだと参加者さんに失礼になる」と、自らの哲学を一貫していた。また、誤答のブザーを押していたのも児玉自身であり、独自の間合いやアドリブなどを駆使しての番組進行ぶりは全て編集なしであったという。さらに晩年は「最近は問題が長くなったね」と苦言を呈したりもしていた。 アタックチャンス前の休憩中には児玉が出場者と観客に飴を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせる役目も担っていた。クイズファンの間では『児玉飴』として親しまれ、出場者の中には飴を記念に持ち帰る人もいたという。更にスタッフをも気遣い「アタック25は自分の家で、スタッフはみんな家族だ」としており、海外旅行紹介のビデオテープ収録のほか慰労会(宴会、ゴルフなど)でも気丈に「ファミリー」として振舞ったという。また息子の北川大祐も「アタック25に出ていた父は、比較的素に近い姿だった」と語った。 解答者がクイズに正解した場合、「正解」ではなく「結構!」「その通り!」または「お見事!」と言うのが大きな特徴であったが、2007年6月頃から「正解!」とも言うようになった。これは「博多華丸が児玉の物真似をするようになってから、バラエティー番組で執拗に『その通り!』を連発するようになり、客席からクスクス笑い声が時々聞こえたことを意識し、それを言い続けると逆に自分がそれを真似ているのかもしれないという思いで変更した」と、2007年9月5日放送の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)「テレフォンショッキング」にゲスト出演した際に語っていた 。晩年は、「正解」「結構」が半々ぐらいの割合で聞かれることが多く「その通り」は回数が少なくなった。不正解の時は「そうじゃない!」と怒っていたが、晩年では穏やかに「そうじゃないんだ」あるいは間に合わなかった時には「ごめん」と言っていた。 毎回収録が終わると観客を最後の一人まで見送っていた。見送りの際、色紙に自らのサインを渡す相手の名前を聞いて書いていたほど、律儀な姿勢を貫いた。 ウェブ上では、「アタックチャンス」(もしくは『ミスター・アタックチャンス』)というニックネームで親しまれていた。児玉のアタックチャンスは俳優らしく低声な声が有名だった。 児玉は2011年2月19日付の日刊スポーツ大阪版でのインタビュー記事にて、『アタック25』への思いを語っていた。 2011年4月、緊急の肝機能障害による入院のため、3月17日(4月3日・10日の放映分)の収録を最後に、2度目の休業に入った。また、4月17日以降の放送分では代役として、ABCアナウンサーの浦川泰幸が司会を務めてきた。なお、5月9日に、早ければ5月12日の収録(15日・22日放送分)より復帰することが報道で明らかにされたものの、5月11日、体調が戻らないことから「しばらく休ませてほしい。復帰の際は事務所から発表します」とABCに連絡があり、無期限休養に入ったことが明らかにされた。ABC側は「児玉さん(の復帰)を待ちたい」と、司会交代については否定していた。 児玉は入院中も、担当医師に「大阪まで行くのに、飛行機と新幹線のどちらがいいか」と尋ねたり、ピンクのスカーフを巻くなどおしゃれに気を使いつつ、復帰に意欲を見せていた。また、見舞いに訪れた加藤明子(ABCアナウンサー、2009年より問題読み担当)には「去年(2010年)の10月に胃カメラ飲んどけば良かったんだなぁ」と、病気の早期発見が出来なかったことを悔やむ言葉を漏らしていたという。 こうした中で児玉自身も、周囲の者たちも願っていた仕事復帰が叶わず、児玉は5月16日死去。翌17日夜より、ABCは番組公式サイトにて児玉への追悼メッセージを掲載した。 児玉の死去に伴い、ABCでは5月22日の『アタック25』の通常放送を休止し、追悼特別番組『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』を放送。5月19日に収録が行われ、浦川と加藤が司会を担当。収録後、浦川は「病床の児玉さんから『浦川君なりのアタックをやってくれたらいいよ』とメッセージを頂きました」と振り返った。ABCサイドの話によると、病床で浦川の司会する『アタック25』を見ながら、物真似をしていたという。番組では『アタック25』における児玉の数々の名場面・名語録集のみならず、俳優として出演したテレビドラマなどの映像、VTR出演という形で石坂浩二と福山雅治が登場して故人との想い出を語るなど、人間・児玉清に焦点を当てた内容構成であった。 『アタック25』のプロデューサーを17年間務めた岩城正良(現・朝日放送ラジオ取締役)は児玉の訃報に際し「叱ってもらえる人が他界された…。本当に寂しい限りです。安らかに永眠されることを願っております」 とコメントを寄せた。 『アタック25』については5月29日以降、浦川が司会を引き継ぐうえで番組を継続することが決まり、浦川は「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした。番組開始時にスポンサーであった東リの公式ホームページにも、児玉の逝去を悼む旨がPDFで掲載された。 2015年3月29日放送をもって浦川が4年近く務めた『アタック25』2代目司会を卒業し、『アタック25』開始から40周年を機に4月5日よりリニューアル、3代目司会者に俳優の谷原章介が就任。児玉と谷原は2006年のフジテレビ月9ドラマ『トップキャスター』で共演し親交を深め、翌2007年に谷原がTBS『王様のブランチ』の司会に就任する際に、児玉は谷原に「役者にとらわれず広く見てもらうことが大切」とアドバイスしたという。谷原は就任にあたり「児玉さんが守ってきた番組(アタック25)を僕らが壊すわけにはいかない」との決意で臨んだという。 児玉が死去してから10年後の2021年9月26日、延べ46年半・2000回以上もの長い歴史を紡いだ『アタック25』はその長い放送の歴史に一旦幕を下ろした。岩城曰く、最終回の放送を前に「最終回にはきっと児玉さんもスタジオに来られる。そして、最後は美しく、皆様に名残惜しまれるように放送が終えられればと願っているはず」と語っていた。その後『アタック25』は番組終了から半年後の2022年3月27日より、新たにBSで開局した「BSJapanext」にて新番組『パネルクイズ アタック25 Next』として復活放送開始した。 実際の出生日は1933年12月26日だが、当時は数え年で年齢がカウントされていたため、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が出生日「1月1日」で出生届を出したという。 1984年秋、深夜に激しい腹痛を覚え、盲腸の破裂に因る急性腹膜炎を起こし3週間入院した。この折『アタック25』の司会代役を務めたのは、タレントの板東英二(元プロ野球中日ドラゴンズ投手)である。 T.M.Revolutionの西川貴教から「理想の父親」として尊敬されており、ニッポン放送『西川貴教のオールナイトニッポン』に度々出演した。タレントのYOUも番組などで好みの男性として名をあげている。 息子は北川大祐で、一時期「児玉大輔」や「北川大輔」、本名でタレントとして活動していたが、後に引退して会社員をしている。娘は前述の死去までマネージャーを務めていた。 自称「オリンピックおたく」。だが、2004年のアテネオリンピックまでは現地にて観戦したことがなかった。アテネへの現地観戦は、『美女か野獣』で共演して以来親交のあった福山雅治(テレビ朝日でオリンピックのカメラマン・リポーターを担当)から、関連番組のナレーション依頼を兼ねて誘われたことによる。 カラオケの十八番は石原裕次郎の『銀座の恋の物語』。『アタック25』のスタッフ曰く、一度マイクを握ると離さないタイプで、また『東京音頭』を歌ったりすることもあったという。 食べる事も好きで、東京都港区汐留のホテルにある日本料理店によく通っていた。必ずと言って良いほどステーキ定食を注文していたが、料理長に刺身もリクエストするなど、ささやかに接していた。ちなみに中トロと貝が好物であった。 2011年正月(児玉の戸籍上の77歳の誕生日である1月1日)には親族とともに喜寿のお祝いをした。フランス料理を食べ、バーに行き、蕎麦でお開きとした。その後、急激に体調を崩したという。 晩年は口髭を生やしてテレビ出演していたため、その口髭もトレードマークとなり有名となった。 隠し砦の三悪人(1958年12月28日、東宝) 侍とお姐ちゃん(1960年1月9日、東宝) 非情都市(1960年2月21日、東宝) 黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960年3月13日、東宝) - 森下 役 サラリーマン出世太閤記 花婿部長No.1(1960年3月29日、東宝) 電送人間(1960年4月10日、東宝)-スリラーショーの客 恐妻党総裁に栄光あれ(1960年5月10日、東宝) 青い野獣(1960年6月26日、東宝) 夜の流れ(1960年7月12日、東宝) 悪い奴ほどよく眠る(1960年9月15日、東宝) - 新聞記者 役 ああ女難(1960年12月6日、東宝) 社長シリーズ(東宝)
続サラリーマン忠臣蔵(1961年2月25日) サラリーマン清水港(1962年1月3日) 続・サラリーマン清水港(1962年3月7日) 南の風と波(1961年2月14日、東宝) 別れて生きるときも(1961年4月4日、東宝) 金づくり無法時代(1961年5月9日、東京映画) 黒い画集 ある遭難(1961年6月17日、東宝) 守屋浩の三度笠シリーズ(東宝)
守屋浩の三度笠シリーズ 有難や三度笠(1961年8月6日) アッちゃんのベビーギャング(1961年9月17日、東宝) B・G物語 二十才の設計(1961年10月29日、東宝) ガンバー課長(1961年12月17日、東宝) その場所に女ありて(1962年1月28日、東宝) はぐれ念仏 喜まんだら(1962年2月24日、東宝) 愛のうず潮(1962年5月22日、東宝) ニッポン無責任時代(1962年7月29日、東宝)エキストラ出演 僕たちの失敗(1962年9月1日、東宝) 早乙女家の娘たち(1962年9月8日、東宝) 箱根山(1962年9月15日、東宝) 地方記者(1962年10月13日、東宝) 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年11月3日、東宝) サラリーマン無鉄砲一家(1963年2月8日、東宝) 妻という名の女たち(1963年5月22日、東宝) 秘剣(1963年8月31日、東宝) 国際秘密警察 指令第8号(1963年8月31日、東宝) 女の歴史(1963年11月16日、東宝) 今日もわれ大空にあり(1964年2月29日、東宝) ただいま診察中(1964年5月30日、東宝) 裸の重役 (1964年7月1日、東宝) 団地・七つの大罪(1964年12月9日、宝塚映画) 太平洋奇跡の作戦 キスカ(1964年12月19日、東宝)- 福本少尉 戦場にながれる歌(1965年8月13日、東宝) 馬鹿と鋏(1965年12月5日、東宝) 女は幾万ありとても(1966年2月12日、東宝) 東宝8.15シリーズ
日本海大海戦(1969年8月1日) - 山本大尉 妖婆(1976年10月16日、松竹) HERO(2007年、東宝) - 鍋島利光 役 図書館戦争シリーズ(東宝) - 稲嶺和市 役(写真出演)
図書館戦争-THE LAST MISSION-(2015年) 義経くん奮戦記(1964年、TBS) 青春とはなんだ(1965年 - 1966年、日本テレビ) - 松井勝子の兄 役 ライオン奥様劇場(フジテレビ)
妻の座(1966年) 新・三等重役(1966年、日本テレビ) あじさいの歌(1966年、日本テレビ) 東芝日曜劇場(TBS)
霧のサンフランシスコ(1974年) 松本清張おんなシリーズ・記憶(1978年) - 野上和也 役 宝塚映画シリーズ 楽天夫人(1967年、フジテレビ) これが青春だ 第30話「美人投票」(1967年7月9日、日本テレビ) 霧の旗(1967年、NET) 三匹の侍 第6シリーズ 第11話「あゝ武士道」(1968年、フジテレビ) - 伊場平六 役 春よこい(1969年、TBS) 見合い恋愛(1969年、日本テレビ) - 天ぷら・しのはら店主/長女婿役 水曜劇場 甘柿しぶ柿つるし柿(1969年 - 1970年、TBS) ありがとう(TBS)
ありがとう 第2シリーズ(1972年 - 1973年) - 十 龍之介(つなし たつのすけ)役 ありがとう 第3シリーズ(1973年 - 1974年) - 木下 三三九(さんさく)役 こどもが帰ったあとからは(1970年、TBS) 火曜日の女シリーズ 人喰い(1970年、日本テレビ)-豊島宗和 役 花は花よめ(日本テレビ)
花は花よめ 第2シリーズ(1972年 - 1973年) 花は花よめ 第3シリーズ(1974年-1975年) 肝っ玉かあさん 第3シリーズ(1971年 - 1972年、TBS) - 市丸民三 役 おんな家族(1974年、TBS) 夏の家族(1974年、フジテレビ) - 庄田峻介 役 女の小箱(1975年、よみうりテレビ) 結婚前夜シリーズ・姉妹(1976年、TBS) 女の家庭(1978年、フジテレビ) - チーフパーサー佐竹 役 白い巨塔(1978年、フジテレビ) - 関口仁 役 大河ドラマ(NHK総合)
獅子の時代(1980年) - 瑞穂屋卯三郎 役 山河燃ゆ(1984年) - 島木文弥 役 武田信玄(1988年) - 飯富虎昌 役 太平記(1991年) - 金沢貞顕 役 龍馬伝(2010年) - 坂本八平 役 沿線地図(1979年、TBS) - 松本誠治 役 熱い秋(1980年、TBS) - 加納信之 役 土曜ドラマ(NHK総合)
理想の男性(1990年) - 三木竜治 役 銀行 男たちのサバイバル(1994年) ストックホルムの密使(1995年) こんにちは、母さん(2007年) - 荻生直文 役 想い出づくり。(1981年、TBS) - 𠮷川武志 役 嫁がず、出もどり、小姑(1981年 - 1982年、フジテレビ) - 古山雄大 役 親と子の誤算(1982年、TBS) - 真淵清志 役 武蔵坊弁慶(1986年、NHK総合) - 富樫家経 役 木曜ゴールデンドラマ ガラスの中の幸福(1986年、よみうりテレビ) ドラマ女の手記「愛は死線を越えて」(1987年、テレビ東京) ラストダンス(1990年、東海テレビ) - 佐平 役 素顔のままで(1992年、フジテレビ) - 香坂修造 役 ザ・ラストUボート(1993年、NHK総合、日独米墺合作) 連続テレビ小説(NHK総合)
ファイト(2005年) - 駒田隆行(疎開した四万温泉の旅館の主人) 役 ドラマ新銀河(NHK総合)
大地の子(1995年、NHK総合) - 斎木吾郎 役 月曜ドラマスペシャル 戸隠伝説殺人事件(1995年、TBS) HERO(2001年、フジテレビ)- 鍋島利光 役
HERO 第2シリーズ(2014年、フジテレビ)※Special thanks(遺影のみで登場) 恋ノチカラ(2002年、フジテレビ) - 倉持堅 役 天体観測(2002年、関西テレビ) 美女か野獣(2003年、フジテレビ) - 桜木恭一郎 役 ラストクリスマス(2004年、フジテレビ) - 澤口孝太郎 役 危険なアネキ(2005年、フジテレビ) - 田村伸一 役 トップキャスター(2006年、フジテレビ) - 柴田勝俊 役 ドリーム☆アゲイン(2007年、日本テレビ) - 田中 役 鹿男あをによし(2008年、フジテレビ) - 小治田史明 役 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-(2008年・2009年・2010年、フジテレビ) - 田所良昭 役 ニュース速報は流れた(2009年、フジテレビワンツーネクスト) - 遠藤圭一 役 図書館戦争 ブック・オブ・メモリーズ(2015年、TBS) - 稲嶺和市 役(写真出演) 女と味噌汁(1973年、明治座) - 太巻右吉 役 サウンド・オブ・ミュージック(1982年、日生劇場) - トラップ大佐 役 スチームボーイ(2004年、東宝) - ロバート・スチーブンスン 役 富士通パソコンシステムズ「パネルクイズ アタック25」(1998年) - PlayStation版およびパソコン版のゲームソフト。児玉が映像と声で出演した。当時の出題者である相馬宏美も児玉と同様に映像と声で出演したほか、パッケージに児玉・相馬の写真が掲載されている。 デジキューブ「パネルクイズ アタック25」(2002年) - PlayStation 2版。ゲーム内に登場する児玉はCGで、声は児玉本人によるもの。当時の出題者である沢木美佳子も児玉と同様にCGと声で出演したほか、パッケージに児玉・沢木の写真が掲載されている(バックはパネルボード)。 テレビナイトショー(1969年、東海テレビ) - 木曜放送分司会 朝のワイドショー ○○と90分(1970年、日本テレビ) - 司会 土曜ショー(1971年 - 1972年、NET) - 第2代司会 東リクイズ・イエス・ノー(1974年 - 1975年、毎日放送) - 司会 パネルクイズ アタック25(1975年 - 2011年、ABC) - 初代総合司会 土曜映画劇場(1975年 - 1977年、NET→テレビ朝日) - 4代目解説者 私は名探偵(1977年、テレビ朝日) - 司会 輝く!第24回日本レコード大賞(1982年12月31日、TBSテレビ・ラジオ)- 司会 人工衛星クイズ(1984年、日本テレビ) - 司会 TVムック・謎学の旅(1985年 - 1990年、日本テレビ) - ナビゲーター(準レギュラー) 週刊ブックレビュー(1993年 - 2011年、NHK-BS2→NHK BSプレミアム) - 司会 そこが知りたい(1991年 - 1993年、TBS) - リポーター 仮面の告白(1992年 - 1993年、日本テレビ) びっくり法律旅行社→世界びっくり旅行社(2007年 - 2009年・2009年 - 2011年、NHK総合) - 「児玉トラベル」社長兼オーナー - 司会 偉大なる未来図鑑(2007年12月29日・2008年3月26日、フジテレビ) - 司会 テレビでドイツ語(2008年・2009年・2010年、NHK教育) ワーズハウスへようこそ(2009年 - 2011年、日本テレビ) - 五十音文蔵 役 テレフォン人生相談(2003年 - 2011年、ニッポン放送) 高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン(2007年 - 2008年、ニッポン放送) - 金曜日レギュラーコメンテーター 朗読・藤沢周平傑作選(2009年 - 2011年、ニッポン放送) きょうも元気でわくわくラジオ「耳より生活情報 ブックコラム」(2007年、NHKラジオ第1) ラジオ深夜便 人生私流(2008年11月8日・9日、NHKラジオ第1) ラジオビタミン 児玉清の読み出したら止まらない(2008年 - 2011年、NHKラジオ第1、毎月第2週の金曜日) 小林製薬
肩こり薬「アンメルツ」 アルインコ - 一時期『アタック25』の提供スポンサーであった。 東北電力 マルボシ酢 トヨタ自動車、マークII(1980年) 日興證券(現:SMBC日興証券)(1987年) - 一時期『アタック25』の提供スポンサーであった。 大川荘(会津若松市・芦ノ牧温泉)(1991年 - 1992年) 救心製薬、救心(1993年 - 2001年) ニッサン石鹸(現:NSファーファ・ジャパン)(1995年) - 「清潔一筋、誠実一筋、ニッサン石鹸です」のナレーションで有名。『アタック25』の提供を一時期務めていた。 サントリー、モルツ(1999年) 日本コカ・コーラ、大豆ノススメ(2005年) - 柳葉敏郎と共演 日本たばこ産業、ディライト・ファクトリー(2006年) - ナレーション パイオニア、楽ナビ(2006年) 日産自動車
ピノ(2007年) - ナレーション モコ(2007年) - ナレーション 『図書』(岩波書店の書店配布冊子) 総兵衛見参!(新潮文庫の「新・古着屋総兵衛」の書店配布小冊子) - 2010年11月29日、佐伯泰英と東京・青山にて特別対談。 柏崎ふるさとまつり(新潟県柏崎市でお盆に開催) - 直筆の絵あんどんを出品。 寝ても覚めても本の虫 (新潮社、2001年、ISBN 4104495018 / 新潮文庫、2007年) たったひとつの贈りもの-わたしの切り絵のつくりかた(朝日出版社、2003年、ISBN 4255002495) 負けるのは美しく(集英社、2005年、ISBN 4087747743 / 集英社文庫、2008年) 児玉清の「あの作家に会いたい」-人と作品をめぐる25の対話 (PHP研究所、2009年、ISBN 978-4569770048) すべては今日から (新潮社、2012年、ISBN 978-4104495023 / 新潮文庫、2015年) 人生とは勇気-児玉清からあなたへラストメッセージ (集英社、2012年、ISBN 978-4087815092 / 集英社文庫、2014年) ひたすら面白い小説が読みたくて-文庫解説コレクション (中央公論新社、2013年、ISBN 978-4120044922 / 中公文庫、2017年) 上橋菜穂子『神の守り人』(下、新潮文庫) 遠藤展子『父・藤沢周平との暮らし』(新潮文庫) 北方謙三『鬼哭の剣』(新潮社文庫) 北原亞以子『おひで』(新潮文庫) 城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮文庫) 玉岡かおる『天涯の船』(下、新潮文庫) 蜂谷涼『雪えくぼ』(新潮文庫) 宮部みゆき『孤宿の人』(下、新潮文庫) 宮本輝『天の夜曲』(新潮文庫) 山本一力『かんじき飛脚』(新潮文庫) 和田竜『忍びの国』(新潮文庫) 百田尚樹『永遠の0』(講談社文庫) ケン・フォレット『大聖堂―果てしなき物語』(全4巻、ソフトバンク文庫) 万城目学『鹿男あをによし』(幻冬舎文庫) アダム・ファウアー『数学的にありえない』(下、文春文庫) 有川浩『阪急電車』(新潮文庫)『図書館戦争』シリーズ(角川文庫) トム・クランシー『レインボー・シックス 4』 (新潮文庫) トム・クランシー『容赦なく〔下〕』(新潮文庫) 爆笑問題 『爆笑問題の「文学のススメ」』(対談コラム)(新潮文庫) 蓮見圭一『かなしぃ。』(新潮文庫) シュテファン・ツヴァイク - 20世紀初頭のオーストリアの作家で、児玉は彼の作品に感動し学習院大学独文科に進学し、卒業論文のテーマにもツヴァイクを選んだ。 田宮二郎 - 学習院時代の同期で、田宮の遺作となったテレビドラマ『白い巨塔』で共演した。児玉と同様、俳優であると同時にテレビ司会者としても活躍していた。 篠沢秀夫 - 学習院大学時代からの友人。児玉が独文2年のときに俳優になるきっかけの1つコメディ・フランセーズのラシーヌ「ブリタニキュス」の主役を演じた。篠沢がALSで倒れてからの療養生活を追った『「ALS、フランス文学そして妻」〜篠沢秀夫さんの日々〜』(NHK教育、2010年9月2日放送)の番組では、児玉が篠沢の私邸へ見舞いに訪れる場面があった。 石坂浩二 - 『ありがとう』で共演以来、親交深い俳優。『アタック25』に解答者として出演した事がある。 安倍晋三 - 『文藝春秋』誌上で彼が小泉政権以降の首相にふさわしいという趣旨の寄稿をした。それをきっかけに安倍との会談が実現した。 博多華丸 - 児玉のモノマネを十八番とする芸人。2006年9月には『アタック25』に解答者として出演した。その際、児玉と一緒に「ダブルアタックチャンス」も行った。 竹内まりや - 竹内からの依頼により、シングル『幸せのものさし/うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)』のジャケットの切り絵を作成した。 福山雅治 - ドラマ『美女か野獣』共演時、児玉の好きな「オリンピックおたく」ネタで意気投合し、オリンピックで一緒に観戦する友人となった(2008年7月10日、日本経済新聞「交遊抄」への投稿より)。大河ドラマ『龍馬伝』でも共演した。 中江有里 - 『週刊ブックレビュー』で共演した際に児玉より刺激を受け、小説家として活動。 小池清 - 元毎日放送アナウンサー・『アップダウンクイズ』2代目司会者で、出身地が児玉と同じ。児玉も『アップダウンクイズ』に出演して共演を果たした。2012年4月に80歳で没。 板東英二 - 児玉が虫垂炎で入院した際に、『アタック25』代役司会を務めた。 浦川泰幸 - 朝日放送テレビアナウンサーで、『アタック25』後任司会者(児玉以外での進行としては実に27年ぶり)であり、2015年3月まで担当。追悼特番の司会も務めた。 谷原章介 - ドラマ『トップキャスター』で共演以来、親交を深め、『王様のブランチ』2代目司会者を引き受けるかどうか悩んだ際、児玉に相談してアドバイスをもらい、司会を受けることを決めた。2015年4月より『アタック25』3代目司会者を務めている。大河ドラマ『龍馬伝』でも共演した。 ^ 現・東京都北区。 ^ 実際の生年月日は1933年12月26日だが、戸籍上は1934年1月1日生まれ。 ^ 翌週5月7日以降は「海外出張中」という設定となり、代わって草刈民代が出演していた。 ^ 2022年3月26日の最終回には声のみの登場であったが帰宅する場面があり、多くの視聴者の涙を誘った。 ^ 産前産後休業のため2013年3月でいったん降板し、谷原章介が司会登板する2015年4月より復帰。 ^ 浦川の司会卒業と同時に、問題読みを担当した角野友紀(当時ABCアナウンサー、2013年より担当)も卒業した。 ^ 数え年は、生まれ年を1歳とするため、実際の出生日から計算した場合には生誕6日後に年が明け2歳になる。法律上は1902年に満年齢を使用する事が定められていたが、慣習上太平洋戦争後まで使われていた。 ^ ノンクレジット。 ^ 児玉の著書『負けるのは美しく』に、この時触れた古澤憲吾監督の演出ぶりなどについての記述がある。 ^ 『テレビナイトショー』はフジテレビ・関西テレビ・東海テレビで曜日毎に制作を分担していたが、児玉が担当していた分は東海テレビが制作を担当していた。 ^ “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月20日閲覧。 ^ ゴジラ大百科 1993, p. 119, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」 ^ “児玉清さん死去 アタック25の司会として親しまれる”. スポニチ Sponichi Annex. (2011年5月17日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/17/kiji/K20110517000839950.html 2017年4月8日閲覧。 ^ タブ・ハウス:インタヴュー 児玉清さん ^ 8月25日~8月29日の邦流は、児玉清さん文化放送 2008年8月25日配信 2022年10月25日閲覧。 ^ 2011年2月5日放送『土曜スタジオパーク」出演時のコメント、著書「負けるのは美しく」より) ^ “【エンタがビタミン♪】児玉清さん「泣く子も黙るキムタクなんだから出なさい」長女の説得でHERO出演を決めた。”. Techinsight. メディアプロダクツジャパン (2011年5月20日). 2018年2月1日閲覧。 ^ 児玉清著、集英社「負けるのは美しく」より。 ^ “児玉清さん死去…77歳、胃がん闘病2カ月”. スポーツ報知. (2011年5月18日). https://web.archive.org/web/20110520000839/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110518-OHT1T00024.htm ^ "日テレ「ワーズハウスへようこそ」最終回 児玉清さん"くしゃみ"にネット涙「寂しいけど素敵な終わり」". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 26 March 2022. 2022年3月27日閲覧。 ^ “児玉清さんに特別賞、クニマス番組に本賞”. 日刊スポーツ. (2011年5月27日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110527-781906.html 2017年4月8日閲覧。 ^ 2011年2月7日付『日刊ゲンダイ』「私の本の捨て方、残し方」より ^ 関川夏央(「NHK・BS『週刊ブックレビュー』終了」『やむを得ず早起き』小学館 2012年pp.149-153)。 ^ “児玉さん新聞で書評、08年に最後の寄稿”. サンケイスポーツ. (2011年5月18日). http://www.sanspo.com/geino/news/110518/gnj1105180504008-n1.htm 2011年5月22日閲覧。 ^ 週刊ブックレビュー「児玉 清 本を読む喜び」 NHKオンライン ^ 2011年6月26日朝日新聞朝刊40面テレビ欄より。 ^ 『文藝春秋』2006年7月号 ^ “児玉さん遺稿「われらは何をなすべきか」”. 日刊スポーツ. (2011年5月21日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110521-778904.html 2011年7月3日閲覧。 ^ 『文藝春秋』2011年5月特別号 ^ 『文藝春秋』2011年4月号 ^ 2004年2月27日放送の『徹子の部屋』出演時に切り絵の腕前を披露している(司会の黒柳徹子を表現した切り絵を作って見せた)。2011年5月22日に放送された『さようなら児玉清さん 〜パネルクイズ アタック25特別番組〜』(朝日放送)および、同年7月6日放送の『徹子の部屋』追悼特集において、その映像が紹介された。 ^ “児玉清氏のご冥福をお祈りいたします” (PDF). 東リ株式会社 (2011年5月19日). 2011年5月26日閲覧。 ^ 『さようなら児玉清さん』より ^ 児玉 清 公式ホームページ - KIYOSHI KODAMA OFFICIAL WEB SITE - 切り絵カレンダー 2012年度版 ^ 児玉 清 公式ホームページ - KIYOSHI KODAMA OFFICIAL WEB SITE - 切り絵フレーム切手 ^ “児玉清さんの切り絵カレンダー 切手・ポストカードセットも発売”. 読売新聞(東京夕刊). (2011年12月1日). https://web.archive.org/web/20111203183350/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/tnews/20111201-OYT8T00834.htm ^ 「パネルクイズ アタック25 公式ファンブック」(講談社、2014年)「1章・数字で見るアタック25」p.32 ^ “アタック25:ついに最終回 受け継がれてきた児玉清さんの哲学 正解の確認で収録中断も”. MANTANWEB (株式会社MANTAN). (2021年9月25日). https://mantan-web.jp/article/20210924dog00m200085000c.html 2021年9月25日閲覧。 ^ “「アタック25」司会の児玉清さん…番組を支え続けた36年”. 読売新聞(東京版夕刊). (2011年6月2日). https://web.archive.org/web/20110604140619/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/tnews/20110602-OYT8T00739.htm 2011年6月4日閲覧。 ^ “ファンを魅了した「児玉飴」 気遣いに満ちた「アタック25」の舞台裏”. 産経新聞. (2011年5月21日). pp. 1--3. https://web.archive.org/web/20110523052010/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110521/ent11052112010006-n1.htm 2011年5月24日閲覧。 ^ 「パネルクイズ アタック25 公式ファンブック」「8章・児玉清さんの思い出」p.137-p.146 ^ “今日のいいともニュース2007年9月5日(水)”. 笑っていいとも資料室 (2007年9月5日). 2015年4月12日閲覧。 ^ “児玉さんは最後の1人まで見学者を見送る”. 日刊スポーツ. (2011年5月18日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110518-777347.html ^ “さよならミスターアタックチャ〜ンス”. 日刊スポーツ. (2011年5月18日). https://www.nikkansports.com/ajaxlib/root/entertainment/news/p-et-tp0-20110518-777345.html 2011年7月12日閲覧。 ^ “【復刻】児玉さん「アタック25」への想い(2011年2月19日、日刊スポーツ大阪版)”. 日刊スポーツ. (2011年5月17日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110517-777166.html 2011年5月17日閲覧。 ^ “児玉清が肝機能障害で無期限休養”. スポーツ報知. (2011年5月12日). https://web.archive.org/web/20110514011052/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110511-OHT1T00306.htm ^ “児玉さん“後任”浦川アナへ助言「自分なりのアタックを」”. スポニチ Sponichi Annex. (2011年5月19日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/19/kiji/K20110519000852080.html 2017年4月8日閲覧。 ^ 児玉さん追悼特番、加藤アナ「ショック」 サンケイスポーツ 2011年5月20日閲覧 ^ 児玉清さんご逝去に伴うお知らせ 朝日放送『パネルクイズ アタック25』公式サイト 2011年5月17日閲覧 ^ “児玉清さんを追悼「パネルクイズ」特番”. 日刊スポーツ. (2011年5月18日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110518-777350.html ^ “児玉清さん「胃カメラのんでおけばよかった」スタッフに漏らす”. スポーツ報知. (2011年5月20日). https://web.archive.org/web/20110522024643/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110520-OHT1T00002.htm ^ “谷原章介「アタック25」3代目司会 40周年新たなスタート”. Sponichi Annex. (2015年2月12日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/02/12/kiji/K20150212009794850.html 2015年2月15日閲覧。 ^ 1975年4月から続く長寿番組 「パネルクイズ アタック25」は 2021年秋 幕を閉じます 朝日放送テレビ株式会社、2021年7月2日配信 (PDF) ^ “アタック25:今週末最終回 歴代Pが語る、長寿番組になった理由<前編>「変わらないルール」が支持され46年”. MANTANWEB (株式会社MANTAN). (2021年9月24日). https://mantan-web.jp/article/20210924dog00m200086000c.html 2021年9月25日閲覧。 ^ 負けるのは美しく(自著)「第1章 名もなき雑魚として」より ^ パネルクイズアタック25公式ファンブック 読めば25倍面白くなる(アタック25番組40周年特別委員会・編、講談社 2014年9月)4章「番組トリビアにアタック!」より。 ^ 週刊現代 2011年7月9日号 p.170~173 北川大祐「感動の第2弾 父・児玉清 家族と過ごした「帰らない日々」」 ^ “【エンタがビタミン♪】児玉清さん「泣く子も黙るキムタクなんだから出なさい」長女の説得でHERO出演を決めた。”. Techinsight (2011年5月20日). 2017年12月4日閲覧。 ^ 2008年7月10日、日本経済新聞「交遊抄」への投稿より。 ^ “歴代ディレクターからの祝辞”. 福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ. ニッポン放送 (2013年8月27日). 2017年12月4日閲覧。 ^ “福山雅治、児玉清さんを偲ぶ「永遠に龍馬の父」”. オリコン (2011年5月22日). 2017年12月4日閲覧。 ^ “サラメシ 2012年4月9日放送回”. gooテレビ (2012年4月9日). 2017年12月4日閲覧。 ^ 週刊文春 2007-06-14 p.140~144「阿川佐和子のこの人に会いたい 第683回」 ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–537, 「主要特撮作品配役リスト」 ^ “STEAM BOY”. メディア芸術データベース. 2016年8月17日閲覧。 ^ 児玉清 - オリコンTV出演情報 ^ お盆恒例ふるさとまつりが14・15日に - 柏崎日報(2009年8月11日)、2023年5月10日閲覧。 ^ “【中江有里】児玉清さんから刺激を受けて作家デビュー 2作目の小説を上梓”. 夕刊フジ. (2013年2月28日). https://www.zakzak.co.jp/people/news/20130228/peo1302280712000-n1.htm 2015年6月8日閲覧。 ^ “児玉清さん、谷原章介の司会挑戦を後押し”. nikkansports.com. (2011年5月21日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110521-778903.html 2015年2月15日閲覧。 映画全史1983">『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 児玉 清 公式ホームページ - Office KODAMA 運営 児玉清 - 日本映画データベース 児玉清 - allcinema 児玉清 - KINENOTE Kiyoshi Kodama - IMDb(英語) 児玉清 - MOVIE WALKER PRESS 児玉清 - テレビドラマデータベース 児玉清 - NHK人物録 [追悼・児玉清]特設ページ「ありがとう、児玉さん」 新潮社 コモレバWEB 表 話 編 歴 児玉清 1975.4.6-2011.4.10 浦川泰幸2011.4.17-2015.3.29 谷原章介 2015.4.5-2021.9.26、2022.3.27- あかはゆき 1975.4.6-1976.3.28 中村京子 1976.4.4-1980.3.30 相沢純子 1980.4.6-1984.9.30 豊島美雪 1984.8.5-1993.9.26 相馬宏美 1993.10.3-1999.3.28 沢木美佳子 1999.4.4-2009.3.29 加藤明子2009.4.5-2013.3.31 角野友紀2013.4.7-2015.3.29 加藤明子2015.4.5-2021.9.26 沢木美佳子 2022.3.27- 浅井環 森昌美 平井悦子 伊藤美加 (廃止) 堤章三 高見孔二 儀賀保秀 三上泰生 河野雅人 月村潔 吉田多満子 北條信之 野条清 岩城正良 尾島憲 渡邊拓史 樋笠りえ 中川翔子 山口正樹 綾川由里絵 秋山利謙 山下毅雄 原清 福田保朝 藤井桑正 柴田俊治 西村嘉郎 渡辺克信 脇阪聰史 山本晋也 六代 桂文枝 板東英二 島田紳助 博多華丸 石井亮次 朝日放送テレビ ABCリブラ Bestie 東リ アルインコ 旧・日興証券グループ
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