青山修子の情報(あおやましゅうこ) テニス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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青山修子の情報まとめ
青山 修子(あおやま しゅうこ)さんの誕生日は1987年12月19日です。東京出身のテニス選手のようです。
卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。青山修子の現在の年齢は36歳のようです。
青山修子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)青山 修子(あおやま しゅうこ、1987年12月19日 - )は、東京都町田市出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで17勝を挙げている。右利き、フォアハンド・バックハンドストロークともに両手打ち。自己最高ランキングはシングルス182位、ダブルス4位。近藤乳業所属。 2021年マイアミ・オープン女子ダブルス優勝。2021年ウィンブルドン選手権で、柴原瑛菜と日本人女子ペア初のベスト4入り。2023年全豪オープン女子ダブルス準優勝。 9歳からテニスを始める。町田市立南第四小学校、日本大学第三中学校・高等学校を経て早稲田大学スポーツ科学部に入学。早大時代に指導した土橋登志久は、高校生スカウトに勧められ視察した際、小柄な子がループボールを多用する正統派とはいえない戦い方をしており、「こんな選手になるとは思わなかった」とのちに振り返っている。卒業後にプロに転向した。 2010年9月のHPオープンでは藤原里華と組んだダブルスで準優勝。 2011年ウィンブルドン選手権のダブルスでも藤原里華と組み予選から勝ち上がって4大大会初出場を果たし、1回戦でイタリアのサラ・エラニ/ロベルタ・ビンチ組に 6–3, 2–6, 4–6 で敗れた。深圳ユニバーシアードでは高畑寿弥と組んだダブルスで金メダルを獲得し全日本テニス選手権でも高畑とのペアで優勝した。 2012年8月のシティ・オープンでは張凱貞と組み2度目のツアー決勝に進出。決勝でイリーナ・ファルコニ/シャネル・シェパーズ組を 7–5, 6–2 で破りWTA初優勝を果たした。 2013年2月のBMWマレーシア・オープンで2勝目を挙げている。4月のスペインとのフェドカップに初めて日本代表として出場した。日本が3連敗して決着がついた後のダブルスに土居美咲と組んで出場し、ルルド・ドミンゲス・リノ/アナベル・メディナ・ガリゲス組に 4–6, 5–7 で敗れた。 ウィンブルドンではシャネル・シェパーズと組み1回戦で第9シードのアナスタシア・パブリュチェンコワ/ルーシー・サファロバ、3回戦で6シードのリーゼル・フーバー/サニア・ミルザ組、準々決勝で第16シードのユリア・ゲルゲス/バルボラ・ザフラボバ・ストリコバ組を破りベスト4に進出した。準決勝で優勝した謝淑薇/彭帥組に 4–6, 3–6 で敗れた。 また、シティ・オープンでは好調のウージニー・ブシャール擁するペアに勝利して大会2連覇。翌年は桑田寛子/奈良くるみとの日本人対決に勝利して3連覇を果たした。2017年にはこの年全米オープンを制したスローン・スティーブンスとブシャールのペアを下して優勝している。 2014年のジャパン女子オープンテニスダブルスで優勝。東京移転後の2016年と2017年には連覇を達成した。 2019年7月より柴原瑛菜とペアを組み、7月のシリコンバレー・クラシックで準優勝、10月の天津オープンの決勝で日比野菜緒/加藤未唯組を 6–3, 7–5 で破り優勝をした。翌週のクレムリン・カップでも勝ち、2週連続優勝を果たした。 2020年のサンクトペテルブルク・レディース・トロフィーで優勝。9月のBNLイタリア国際とストラスブール国際でともにベスト4入りすると、続く全仏オープンではベスト8入りした。 2021年は、年始のアブダビ女子オープンで前年全豪覇者ソフィア・ケニンのペアを下すなどしていきなり優勝。続くヤラ・バレー・クラシックでも、準決勝で相手の4本連続のマッチポイントをはねのけて逆転勝ちするように強さを見せ、2大会連続優勝を成し遂げた。全豪オープンはベスト8。その後は3連敗を喫した。しかし、マイアミ・オープンで決勝進出すると、決勝でルイーザ・ステファニー/ヘイリー・カーター組を6-2, 7-5で破り、WTA1000初優勝を果たした。 クレーシーズンはBNLイタリア国際で4強入りしたが、全仏は2回戦敗退に終わる。グラスシーズン、イーストボーン国際で優勝し、このペアで初の芝タイトルを獲得した。勢いに乗り挑んだウィンブルドン選手権では、すべてストレート勝ちで自身2度目のベスト4入り。ウィンブルドンで日本女子同士のペアが4強入りするのは史上初のことだった。準決勝では第3シードでGS覇者のエリーズ・メルテンス/謝淑薇組と対戦し、2セット目を奪う奮闘を見せたが、4-6, 6-1, 3-6で惜敗した。しかしながら、この結果により7月12日付けの世界ランキングで10位になり、トップ10入りを果たした。 2020年東京オリンピックテニス女子ダブルスでも柴原瑛菜とペアを組み出場。メダルも期待されたが、準優勝するベンチッチ/ゴルビッチ組(スイス)と対戦し、2時間23分の熱戦の末初戦敗退となった。それでも翌月のテニス・イン・ザ・ランドでシーズン5勝目を挙げた。BNPパリバ・オープンでベスト4。同一ペアとして最多の5勝をあげ、WTAファイナルズ出場が決定した。日本ペアとしては2002年の杉山愛/藤原里華19年ぶりであり、日本人としても2008年の杉山以来の快挙であった。大会では2勝1敗でラウンドロビンを突破。準決勝ではメルテンス/謝組に敗れ、初出場にして決勝進出を逃したものの、試合後の会見ではこの1年を「最高のシーズンだった」と振り返った。最終順位は5位まで上昇した。 2022年全豪オープンに第2シードとして出場。シード通りの強さで自身全豪オープン初の4強入りを果たした。しかし、準決勝でベアトリース・ハダード・マイア/アンナ・ダニリナ組にアップセットを起こされ、またもGS決勝進出はならなかった。その後、柴原がシングルに注力するため、ペアを解消。複数選手と組み、シリコンバレー・クラシックで準優勝、カタール・トータル・オープンやノッティンガム・オープンでベスト4、ウィンブルドン選手権でベスト8入りなどしたが、優勝はなかった。最終順位は23位。 2023年年始から柴原とのペアが復活。全豪オープンでは、順調にベスト4進出を決めると、準決勝で第2シードのガウフ/ペグラ組をストレートで破り、自身初のGS決勝進出を果たす。しかし、決勝では前年覇者にして第1シードのクレイチコバ/シニアコバに4-6, 3-6で敗れ、準優勝に留まった。 W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし. ^ スポまちキッズNo.6町田市 ^ “青山、柴原組がテニス4大大会初決勝…小柄な青山修子の重ね続けた努力が大きな成果に”. スポーツ報知. 2023年1月29日閲覧。 ^ Fed Cup - Tie details - 2013 - Spain v Japan ^ “テニス=ウィンブルドン女子複、青山組が準決勝進出”. Reuters. (2013年7月4日). https://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE96209X20130703/ ^ “女子テニス 青山修子 写真特集”. 時事ドットコム. 2021年2月14日閲覧。 ^ “青山修子がヤン・ザオシャンとのダブルスで3度目のタイトル獲得 [JAPAN WOMEN'S OPEN]”. www.thetennisdaily.jp. 2021年2月14日閲覧。 ^ “青山修子/柴原瑛菜が天津に続いて2週連続優勝の快挙 [VTBクレムリン・カップ]”. tennismagazine.jp. 2021年2月14日閲覧。 ^ “アブダビ優勝の青山/柴原をWTAが公式サイトで紹介「ジェットコースターウィークを締めくくった」”. tennismagazine.jp. 2021年2月14日閲覧。 ^ “優勝の青山修子、柴原瑛菜ペア「全豪につなげたい」”. nikkansports.com. 2021年2月14日閲覧。 ^ “青山修子、柴原瑛菜組がV「五輪絶対に出たい」”. 日刊スポーツ. 2021年4月5日閲覧。 ^ “青山修子&柴原瑛菜組が日本人女子ペア初4強入り/ウィンブルドン”. 日刊スポーツ. 2021年7月12日閲覧。 ^ “ダブルスで青山修子/柴原瑛菜がキャリアハイの10位を記録! 大坂なおみは変わらず2位をキープ。”. tennisclassic.jp. 2021年7月12日閲覧。 ^ “青山、柴原組は初戦敗退 女子ダブルス/テニス”. サンケイスポーツ. https://www.sanspo.com/article/20210725-Y74O2W6J7RJLHC7ODVPNRAYCBE/?outputType=theme_tokyo2020 2021年7月25日閲覧。 ^ “青山/ 柴原V ペアで8勝目”. テニス365. 2021年9月1日閲覧。 ^ “青山修子/柴原瑛菜、ツアー最終戦で決勝進出ならずもシーズン最多5勝挙げ「最高のシーズンでした」”. tennisclassic.jp. 2021年11月23日閲覧。 ^ “青山修子/柴原瑛菜が全豪ベスト4進出!頂点を目指すエネルギーは“二人の化学反応”<SMASH>”. THE DIGEST. 2022年1月29日閲覧。 ^ “【全豪テニス】決勝進出の青山修子、柴原瑛菜組「相手よりいいプレーできると信じて優勝したい」”. nikkansports.com. 2023年1月29日閲覧。 ^ “青山/柴原「経験の差が出た」”. テニス365. 2023年1月29日閲覧。 青山修子 - WTAツアーのプロフィール (英語) 青山修子 - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール (英語) 青山修子 - 国際テニス連盟 青山修子 - 日本テニス協会のプロフィール 表 話 編 歴 (1924年)鴨井一枝&小林春子 (1925年・26年)羽山住江&安宅登美子 (1927年・28年)滝口澪子&飯村敏子 (1929年)朝吹磯子&小林知子 (1930年)戸田定代&増田登志江 (1931年)滝口澪子&小林知子 (1932年)中村千賀&棚橋糸子 (1933年)立花文子&林美喜子 (1934年・35年)岡田早苗&山岸久子 (1936年)佐々倉久美&原田美智子 (1937年)戸田定代&マリー・ホーン (1938年)大浦直子&原久子 (1939年)木全豊子&沢田佳 (1940年)加茂幸子&加茂純子 1941年 大会開催なし (1942年)加茂幸子&大浦直子 1943年-45年 大会開催なし (1946年)井上早苗&大浦直子 (1947年)井上早苗&山川道子 (1948年・49年)加茂幸子&朝長慶子 (1950年)加茂幸子&中牟田純子 (1951年-55年)宮城黎子&朝長慶子 (1956年)宮城黎子&井上早苗 (1957年)宮城黎子&中浴靖子 (1958年)保田多美子&有田雅子 (1959年)宮城黎子&井上早苗 (1960年-62年)宮城黎子&福井昭子 (1963年)小幡陽子&空野桂子 (1964年)ヘルガ・シュルツェ&マーゴット・シュルツェ (1965年)太田智恵子&風呂本操 (1966年・67年)小幡陽子&後神澄江 (1968年)畠中君代&飯田藍 (1969年)畠中君代&村上智佳子 (1970年)キャスリーン・ハーター&エヴァ・ルンドクイスト (1971年・72年)畠中君代&村上智佳子 (1973年)沢松和子&福岡加余子 (1974年)飯田藍&野村貴洋子 (1975年)楊正順&雀景美 (1976年)佐藤直子&中川清美 (1977年)塚本国代&中川清美 (1978年)畠中君代&米沢そのえ (1979年)塚本国代&中川清美 (1980年)畠中君代&米沢そのえ (1981年)古橋富美子&柳昌子 (1982年)古橋富美子&野村貴洋子 (1983年)塚本国代&中川清美 (1984年)佐藤直子&柳昌子 (1985年)井上悦子&柳昌子 (1986年)佐藤直子&岡本久美子 (1987年)飯田栄&西谷明美 (1988年)佐藤直子&木戸脇真也 (1989年)伊達公子&木戸脇真也 (1990年・91年)平木理化&遠藤愛 (1992年・93年)平木理化&宮城ナナ (1994年)雉子牟田直子&田中由夏 (1995年)浅越しのぶ&松田愛子 (1996年)雉子牟田直子&神尾米 (1997年)佐伯美穂&吉田友佳 (1998年)石田恵子&永冨恵子 (1999年)浅越しのぶ&久松志保 (2000年)井上青香&井上摩衣子 (2001年)平木理化&藤原里華 (2002年)杉山愛&藤原里華 (2003年)佐伯美穂&吉田友佳 (2004年)金恵美&田口景子 (2005年)岡本聖子&高瀬礼美 (2006年)飯島久美子&波形純理 (2007年)新井麻葵&米村知子 (2008年)クルム伊達公子&藤原里華 (2009年)浜村夏美&米村知子 (2010年)浜村夏美&藤原里華 (2011年)青山修子&高畑寿弥 (2012年・13年)青山修子&波形純理 (2014年)二宮真琴&田中真梨 (2015年)久見香奈恵&高畑寿弥 (2016年)今西美晴&大前綾希子 日本の女子テニス選手 オリンピックテニス日本代表選手 2020年東京オリンピックテニス出場選手 ユニバーシアードテニス日本代表選手 日本のユニバーシアード金メダリスト 日本のユニバーシアード銀メダリスト 日本のユニバーシアード銅メダリスト アジア競技大会テニス日本代表選手 日本のアジア競技大会銅メダリスト 早稲田大学出身の人物 東京都出身のスポーツ選手 1987年生 存命人物 編集半保護中のページ ウィキデータにあるITF ID
2024/11/20 07:28更新
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