飯山裕志の情報(いいやまゆうじ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
飯山 裕志さんについて調べます
■名前・氏名 |
飯山裕志と関係のある人
稲田直人: 7月9日の対西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)では三塁手として初先発起用され、以降はホセ・マシーアス・飯山裕志との併用で出場する機会も増え、8月以降は三塁手としてはチーム最多の19試合に先発、日本シリーズも指名打者制のある札幌ドームでの試合では全試合でスタメンを勝ち取り、第5戦では川上憲伸から反撃の突破口となる二塁打を放ち、その後同点のホームを踏んでいる。 小宮山悟: 2008年8月27日の対日本ハム戦、9回表0-1ビハインドの場面において飯山裕志に、流れを変えようと2球連続で使用したが、1球目こそそこそこ変化したが、2球目がど真ん中へのスローボールとなってしまい、痛烈な二塁打を打たれている。 金子誠: 2011年、故障への配慮から飯山裕志、今浪隆博らと併用され、一度も二軍落ちせずシーズンを乗り切ったが、打撃成績・守備成績ともに下降した。 紺田敏正: 2007年は飯山裕志と共に代走及び守備固めとして試合終盤を任され、94試合に出場(うち先発出場は6試合)。 井生崇光: プロ13年目での初本塁打は、NPBの野手としては石山一秀(14年目)に次ぎ、飯山裕志、田原晃司と並ぶ史上二番目タイの遅さとなった。 原信生: 北海道日本ハムファイターズの飯山裕志は高校時代の同級生である。 金子洋平: 初出場・初打席:2007年3月25日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、12回表2死に飯山裕志の代打で出場、小林雅英から中飛 矢野謙次: 9月には一軍内野守備コーチであった飯山裕志の体調不良を背景に、臨時一塁ベースコーチを兼任。 江尻慎太郎: 開幕を1軍で迎えたが、開幕第2戦となる3月21日の対ソフトバンク戦で7回1点リード二死無走者の場面から小久保裕紀に同点の二塁打を浴び、翌日3月22日の同カードでは9回15点リードの場面から登板し、先頭打者のサードゴロを飯山裕志がエラーしたのをきっかけに集中打を浴び4失点し、翌日3月23日に二軍降格となった。 古城茂幸: 2005年シーズン以降、古城と同様に守備を売りとするタイプの同期入団の飯山裕志の活躍で出場機会が激減し、シーズンの大半を二軍で過ごした。 |
飯山裕志の情報まとめ
飯山 裕志(いいやま ゆうじ)さんの誕生日は1979年7月13日です。鹿児島出身の野球選手のようです。
引退、テレビ、結婚に関する情報もありますね。今年の情報もありました。飯山裕志の現在の年齢は45歳のようです。
飯山裕志のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 飯山 裕志(いいやま ゆうじ、1979年7月13日 - )は、鹿児島県日置郡市来町(現:いちき串木野市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。右投右打。 小・中学ではボーイズリーグ「吉野バッファロー」に所属。小学6年時は投手兼捕手で全国大会に出場した。中学時には投手、捕手、遊撃手、中堅手で試合出場しており、内野・外野守れるユーティリティープレイヤーであった。 れいめい高等学校では1年秋に明治神宮大会に出場、3年夏はベスト4で鹿児島県選抜メンバーとして上海遠征を経験。 1997年のドラフト会議で日本ハムファイターズに4位で指名され、遊撃手として入団した。 二軍では長くレギュラーを務め、2003年にイースタン・リーグ3位の打率.328、11本塁打、長打率.578を記録しているが、打撃の弱さからなかなか一軍に上がれなかった。一軍では出場試合数が打席数より多いことからもわかるように、守備固めや代走としての出場が多かった。 2005年に初の開幕一軍入りを果たし、一軍初打点と初安打を記録している。二軍では打率.278、4本塁打を記録し、二塁・遊撃・三塁・外野に加え捕手としても5試合守った。 2006年には三塁手の木元邦之のケガもあって、9年目にして初の開幕戦先発出場を成し遂げた。以後は一軍に定着し、初めて一度も二軍落ちせずにシーズンを終え、職人肌のプレーで紺田敏正との「スーパーサブコンビ」として武田久、マイケル中村、中嶋聡と共にほとんどの試合の終盤を任された。また1試合だけ左翼手として先発出場している。 2007年には自己最多の105試合(先発出場は4試合)に出場し、打率.306(規定打席には届いていない)、特に左投手からは5割を超える打率を残し打撃開眼。10月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)では初の「1試合3安打以上(4安打)」と「1試合4打点」を記録している。 2008年には再び低調になる。正遊撃手の金子誠の不振および離脱により、金子に替わって先発出場した試合もあったが、守備よりも攻撃を重視するオーダーでは後輩の陽仲寿や高口隆行に先発の座を奪われた。しかし、クライマックスシリーズ第2ステージでは金子の腰痛悪化により、初戦では9番・遊撃手として自身初のポストシーズンの先発出場を果たし、また第3戦では埼玉西武ライオンズの抑え投手・アレックス・グラマンから打点を挙げるなど、大一番での活躍も見せた。 2009年も内野守備のキーマンとして試合終盤を任され、守備固めとしての出場が3年連続リーグ最多と、スペシャリストらしい記録を達成した。また、7月4日の函館オーシャンスタジアムの試合など数試合では3年ぶりに左翼手としての出場もこなした他、打撃でも規定打席未到達ながら打率.333を記録した。 2010年はシーズン中盤は守備で大スランプに陥りエラーに苦しむも次第に復調、8月20日の西武戦で9回裏二死にブライアン・シコースキーから起死回生のプロ初本塁打(後述)を放つ。日本ハムはこの本塁打によって同点に追いついたあと、10回裏にサヨナラ勝利し、北海道移転後通算500勝を達成した。同年の飯山は正遊撃手の金子の離脱により、遊撃手として先発出場する機会を得て、シーズンの打席数が出場試合数を上回った。 2011年は故障が慢性化した金子の起用法との兼ね合いからさらに出場機会を増やしたが、打撃成績が低迷しスタメン定着には至らなかった。 2012年は85試合に出場した。打率は1割台だった。10月24日に国内FA権を取得。10月31日の日本シリーズ第4戦で、12回裏に西村健太朗からサヨナラヒットを放った。 2013年は開幕こそ出遅れたものの6月に一軍登録され、最終的に出場機会は減ったがエラーは1つのみで堅実な守備でチームに貢献した。 2014年は前年より出場機会を増やし84試合に出場した。打撃でも打率.216を記録した。 2016年は右太ももの負傷で36試合に留まった。オフにFA権を行使せず残留することを表明した。このとき、「僕を必要としてくれることが一番だと思って決断した。正直こんなに長く出来ると思っていなかった。これだけ長くやれたことは自分でも誇りに思う。やることは変わらない。精一杯やっていく」と述べている。 2017年は、開幕前に左大腿二頭筋筋挫傷を発症し、開幕を二軍で迎えた。8月9日に一軍昇格を果たすも、9月1日に再び登録を抹消された。9月14日に同年限りでの現役引退を決意したと発表され、翌15日に引退会見を行った。会見では「正直、年齢を重ねると、毎年のように考えてはいた。けがをして、1年間、一軍でプレーできずにチームに迷惑をかけてしまった。それが一番の理由です。〈中略〉今、ちょっと一つの夢が叶って、そして消えてしまった。時間をかけて、(今後を)考えていきたいです。」と時折言葉を詰まらせながら語った。10月3日の対オリックス・バファローズ戦(札幌ドーム)が引退試合となり、7回表から遊撃の守備固めで途中出場。8回表には二塁手の田中賢介と二塁ゴロ併殺を完成させた。8回裏には現役最終打席を迎え、左飛となった。最後は9回表二死から大城滉二が放った遊撃ゴロを自らさばいて20年間の現役生活を締めくくった。試合後には引退セレモニーが行われ、ファンや関係者らに感謝を伝えた。10月13日、任意引退公示された。 引退後の2017年12月4日、2018年から日本ハムの二軍内野守備コーチを務めることが発表された。その後、2019年も同職を務め、2020年からは一軍内野守備コーチを担当。2022年は二軍内野守備走塁コーチ、2023年は一軍内野守備走塁コーチを務め、同年限りで退任した。 2024年1月4日、日本ハムのスカウト兼プロスカウトに就任した。 2024年10月28日、2025年シーズンより中日ドラゴンズの野手総合コーチに就任する事を発表した。 守備力が高く、内野の全ポジションを守れるユーティリティープレイヤーであり守備固めとして重宝されている。飯山は選手人生のほとんどを守備固めとして生き抜いて、2017年シーズン開幕時点でプロ20年目を迎える稀有な選手であることから、いつしか「守備職人」「守備のクローザー」と称されるようになっている。外野手として起用されることもあり、二軍では捕手を担当したこともある。 2006年にチームが優勝した際、飯山の夫人が双子の子供を出産したばかりなので、「日ごろいないから、オフくらいは手伝いたい」と優勝旅行を辞退した。 現役選手時に使用されていた応援歌は飯山の元同僚の髙橋信二の旧応援歌であり、西武ドームで使用していたものである。 初出場:2001年7月31日、対オリックス・ブルーウェーブ21回戦(札幌ドーム)、5回表に田中賢介に代わり遊撃手で出場 初打席:同上、7回裏に小倉恒の前に三振 初盗塁:2001年9月1日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(東京ドーム)、9回裏に二盗(投手:山村宏樹、捕手:的山哲也) 初打点:2005年4月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(いわきグリーンスタジアム)、9回表に谷中真二から右犠飛 初安打:2005年4月12日、対西武ライオンズ5回戦(インボイスSEIBUドーム)、5回表に青木勇人から遊撃強襲二塁打 初先発出場:2005年5月11日、対ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7番・遊撃手で先発出場 初本塁打:2010年8月20日、対埼玉西武ライオンズ18回戦(札幌ドーム)、9回裏にブライアン・シコースキーから左越3ラン フランチャイズ・プレイヤー:プロデビューから引退まで19年間移籍なし 57(1998年 - 2007年) 4(2008年 - 2017年) 71(2018年 - 2023年) 『勇次』長渕剛( - 2009年、2012年 - 2017年) 『プルメリア ~花唄~』Aqua Timez(2010年 - 2011年) ^ 2006年以来2度目。 ^ 一軍では捕手としての出場は無いが、自軍の攻撃が終了して守備に就く際、捕手がプロテクターを取り付ける関係などで守備に就くまでに時間がかかる場合は投手の投球練習用の代役捕手を務めることもあった。 ^ 野手でプロ13年目の初本塁打は、2005年の田原晃司(西武ライオンズ)、2011年の井生崇光(広島東洋カープ)と並び史上2番目に遅い記録である。1位は1983年の石山一秀(近鉄バファローズ)で、プロ14年目だった。ただし飯山が初本塁打までに要した358打席および319打数は、田原(77打席、71打数)と石山(76打席、72打数)を大きく上回っている(井生は278打席、250打数)。投手では2004年の工藤公康(読売ジャイアンツ)の23年目が最も遅い。 ^ 1998プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社 ^ “栗山ハムが巨人とタイ!飯山サヨナラ打 - プロ野球ニュース”. 日刊スポーツ (2012年11月1日). 2022年4月9日閲覧。 ^ 飯山裕志選手がFA権を行使せず残留 北海道日本ハムファイターズ公式サイト 2016年11月3日配信 ^ “【日本ハム】飯山が残留、来季プロ20年目FA行使せず”. スポーツ報知 (2016年11月4日). 2017年1月15日閲覧。 ^ “日本ハム・飯山が現役引退へ…20年目でユニホーム脱ぐ決断下す”. サンケイスポーツ (2017年9月15日). 2024年2月10日閲覧。 ^ “日本ハム一筋20年…守備職人・飯山、最後のアウトを自らさばき有終”. デイリースポーツ online. 2021年4月7日閲覧。 ^ “任意引退選手|2017年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2017年10月13日). 2017年10月13日閲覧。 ^ “2018年ファームコーチングスタッフのお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2017年12月4日). 2023年10月30日閲覧。 ^ “2019年コーチングスタッフのお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2018年11月12日). 2024年2月10日閲覧。 ^ “2020年コーチングスタッフのお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2019年10月28日). 2023年10月30日閲覧。 ^ 「新庄剛志ビッグボス 来季首脳陣発表!林ヘッド、武田投手コーチら」『日刊スポーツ』2021年11月18日。2021年11月18日閲覧。 ^ “コーチ配置転換のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2022年11月1日). 2024年2月10日閲覧。 ^ 「日本ハム 飯山コーチと矢野スカウトの退任発表」『スポニチ Sponichi Annex』2023年10月27日。2023年10月27日閲覧。 ^ “【日本ハム】飯山裕志氏がプロスカウト、谷元圭介氏がチームスタッフ就任 立田将太氏は勇翔寮管理担当”. スポーツ報知 (2024年1月4日). 2024年2月10日閲覧。 ^ “【中日】平田良介氏が外野守備走塁コーチで復帰…松中信彦氏、飯山裕志氏、小山伸一郎氏、田島慎二氏、小林正人氏の入閣も発表”. スポーツ報知 (2024年10月28日). 2024年10月28日閲覧。 ^ “日本ハム 飯山裕志内野手・いぶし銀のスペシャリスト”. 週刊ベースボールonline (2016年1月16日). 2017年1月15日閲覧。 ^ “【プロ野球】試合を締めるのは投手だけじゃない!“守備のクローザー” 飯山裕志(日本ハム)の安定感”. デイリーニュースオンライン. 2017年1月15日閲覧。 ^ FFFFF(北海道テレビ放送)の企画「Fifteen voice」の「結婚したい相手はダレ?」より ^ 2012年選手登場曲 北海道日本ハムファイターズ 2016年11月11日閲覧 ^ 2016年選手登場曲 北海道日本ハムファイターズ 2016年11月11日閲覧 鹿児島県出身の人物一覧 北海道日本ハムファイターズの選手一覧 個人年度別成績 飯山裕志 - NPB.jp 日本野球機構 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE 表 話 編 歴 1位:清水章夫(逆指名) 2位:小田智之 3位:原田健二 4位:飯山裕志 5位:古城茂幸 6位:日里正義 日本の野球選手 日本の野球指導者 れいめい高等学校出身の人物 北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手 アジアシリーズ選手 中日ドラゴンズ関連人物 鹿児島県出身のスポーツ選手 1979年生 存命人物 言葉を濁した記述のある記事 (いつ)/2011年 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/21 10:47更新
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iiyama yuuji
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