高望山大造の情報(こうぼうやまだいぞう) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
高望山 大造さんについて調べます
■名前・氏名 |
高望山大造と関係のある人
三根山隆司: 育成は弟子に付きっ切りで指導するほど熱心で、大受久晃を大関に、高望山大造を前頭まで育てたが、1982年に体調不良から部屋を閉鎖して熊ヶ谷部屋(高島部屋時代の後輩の芳野嶺元志が創設)へ弟子を移籍させ、1985年には日本相撲協会に廃業届を提出した。 |
高望山大造の情報まとめ
高望山 大造(こうぼうやま だいぞう)さんの誕生日は1957年8月15日です。宮城出身の相撲のようです。
その他、主な戦績などについてまとめました。現在、兄弟、卒業、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。高望山大造の現在の年齢は66歳のようです。
高望山大造のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 - )は、宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身で高嶋部屋と熊ヶ谷部屋に所属した元大相撲力士。本名は蓬田 光吉(よもぎだ こうきち)。最高位は西関脇(1984年1月場所)。現役時代の体格は179cm、145kg。得意手は突き、押し、もろ差し、寄り。 現在は、年寄・高島(高嶋)である。 肉牛を飼育する農家の三男として生まれた。蓬田兄弟は全員運動神経に長けていて、長兄と弟は相撲が、次兄はバレーボールが得意であった。築館中学校に入学してから本格的に相撲を始め、中学時代は2年連続して全国中学相撲選手権大会の宮城県予選の個人戦で優勝という実績を残した。2年生の時に高嶋(元大関・三根山隆司)の勧誘を受けたが、その時点では高校への進学を希望していたために断っている。中学卒業前、再び勧誘された時はその熱意に押し切られ、高校進学を諦めて角界入りを決意した。 1973年春、上京して高嶋部屋に入門し、同年3月場所で初土俵を踏んだ。この年は、中学生の入門が禁止されてから初めて3月卒業見込みの者を入門させることが許可された年であったので、同期生が多かった。その中には、同じ一門(立浪・伊勢ヶ濱連合)である宮城野部屋の後の前頭・竹葉山真邦もいた。入門後は高嶋に連れられて高砂部屋へ出稽古に通ったため、後に「出稽古で強くなった力士の典型」と評された。 必ずしも出世は早いほうではなかったが、23歳で迎えた1981年5月場所にて、新十両昇進を果たした。この時点で竹葉山は既に十両を経験していたが、同場所では幕下に在位していたので、ここで追い抜いたことになる。十両は3場所連続勝ち越しで通過して、同年11月、24歳で新入幕。大受久晃以来、高嶋部屋からの久し振りの幕内力士として期待された。しかし、師匠が健康を害して部屋経営を断念したため、1982年11月場所から同部屋の所属力士(高望山を含め2名)は同門の熊ヶ谷部屋(師匠は、高嶋の現役時代の弟弟子・芳野嶺元志(元前頭8枚目))に移籍した。 師匠から徹底した押し相撲を仕込まれた甲斐があり、出足の速さは当時の相撲界では際立っていた。押し相撲だが、両差しで一気の速攻も冴えた。新しいタイプの技能派力士と言われ、親方の教えが1982年7月場所と翌年11月場所における技能賞受賞にも繋がっている。不成績や右足首の怪我により新入幕の後に2度十両に陥落したが、いずれもすぐに番付を戻し、3度目の入幕を果たした1983年3月場所からは幕内に定着。1990年1月場所まで42場所連続して幕内の座を維持した。1984年1月場所では、最高位となる西関脇に昇進している。しかし、根が押し相撲であることから出足を止められると二の攻めがなく、幕内上位では二桁黒星を喫することが多く上位や三役に定着するには至らなかった。横綱戦では17戦全敗と、結局1度も勝つことはできなかった。大関戦でも2勝35敗と苦戦した。故郷である栗原郡築館町では、高望山が勝利した日には花火を打ち上げて町民に知らせていた(勝ち越しが決まった時は、花火は2発打ち上げられた)。 現役晩年は十両に陥落、西十両11枚目だった1990年11月場所中、幕下陥落が確実となり引退を決意する。 引退後は年寄・高島を襲名して熊ヶ谷部屋付きの親方となったが、1993年5月に同部屋から独立して高島部屋を再興した。しかし関取を育てられず、2011年6月17日に所属力士が0人になったために高島部屋は消滅し、高島は同門の春日山部屋に転属となった。 2016年10月19日に春日山部屋が閉鎖となった後は追手風部屋に転属したが、同年12月13日に宮城野部屋へ再転属している。 2016年1月、日本相撲協会理事選挙に出馬するも、6票獲得にとどまり、落選する。以降、協会内では監察委員を務めていた。 2018年2月の理事選挙に再び出馬、一門外の票も上積みし、12票を得てトップ当選を果たした。この選挙では現職理事・貴乃花光司の当落を巡り話題となる中で、前回落選の雪辱を果たした。この初当選の弁で『一門が団結した結果。(今後に向けて)みんなで一緒にやっていかないといけない』と述べた。 3月28日の職務分掌で大阪場所部長に就任した。 また2019年9月場所には、審判部長代理に就任することとなった。これは、現職の審判部長である阿武松が高血圧の治療により休場することになったためである。代理就任中の千秋楽の表彰式では、9月場所優勝の関脇・御嶽海久司、11月場所優勝の横綱・白鵬翔への優勝旗授与も担当している。 2020年1月30日の役員候補選は定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、高島を含む理事候補10人、副理事候補3人が全員当選。同年3月23日の評議員会で正式に理事として選任された。 2021年3月31日の照ノ富士春雄の大関復帰昇進の伝達式では、協会理事として使者を務めた(同じ一門の審判委員である浅香山が同行)。また同年7月21日、照ノ富士の横綱昇進の伝達式でも使者を務めている(同行者も4ヶ月前と同様に浅香山であった)。 2021年9月場所前に所属する宮城野部屋で北青鵬・幕下以下の力士が新型コロナウイルスに感染し、部屋に出入りしていた他の全関係者も本場所を全休することとなったが、高島は部屋に出入りしてなかったためこの場所の出場が認められた。 2022年の役員候補選挙には自身の停年が近いため立候補せず、同年3月28日の役員改選をもって理事職を退任。同月30日に発表された職務分掌では役員待遇委員に任命された。 2022年8月1日、宮城野部屋から時津風一門の伊勢ノ海部屋に転属。同月14日限りで日本相撲協会を停年(定年)退職した。停年後は再雇用で相撲協会の参与になった。2024年1月15日、再び追手風部屋所属となった。 その他初土俵が同期だった竹葉山とは、互いに引退後も同じ伊勢ヶ濱一門所属の親方として交流が続いており、高島は2017年1月場所から2022年7月場所まで宮城野部屋付きとして活動した。元々は高島部屋に入門する予定だったモンゴル出身の龍皇昇は、その時点で同部屋にモンゴル出身力士の旭天鵬勝(大島部屋)の弟である不動山が在籍していたため、「外国人2人の面倒を見るのは大変だから、親方、1人お願いしますよ」という高島からの依頼により宮城野部屋が引き受けたという経緯を持つ。 主な戦績通算成績:579勝606敗16休 勝率.489 現役在位:107場所 幕内成績:312勝377敗16休 勝率.453 幕内在位:47場所 三役在位:2場所(関脇1場所、小結1場所) 三賞:2回
金星:なし 場所別成績
幕内対戦成績
2024/06/21 17:45更新
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koubouyama daizou
高望山大造と同じ誕生日8月15日生まれ、同じ宮城出身の人
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