かぜ耕士の情報(かぜこうじ) 放送作家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


かぜ 耕士さんについて調べます
■名前・氏名 |
かぜ耕士と関係のある人
北炭生: その後、テレビドラマ『八甲田山』の主題歌である「夢追い人」や、ラジオ番組『たむたむたいむ』パーソナリティをかぜ耕士の後任として務めた。 伊勢功一: 今夜の雨は女の涙(作詞:かぜ耕士 作曲:岡賢一) 惣領泰則: 放送開始の約半年前の1969年7月25日、シング・アウトはヤマハ音楽振興会が開催した音楽コンクール『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』に出場して、『ステージ101』の音楽監督になった中村八大が作曲した「涙をこえて」(作詞・かぜ耕士〕を披露して作曲グランプリを獲得し、同年11月5日に同曲をデビュー・シングルとして発表した。 国広富之: 作詞:かぜ耕士/作曲:鈴木キサブロー/編曲:若草恵 鈴木キサブロー: 十歩の孤独 (作詞:かぜ耕士) 鈴木キサブロー: ダウンタウンひとりぼっち (作詞:かぜ耕士) |
かぜ耕士の情報まとめ

かぜ 耕士(かぜ こうじ)さんの誕生日は1944年7月13日です。埼玉出身の放送作家のようです。

卒業、テレビ、現在に関する情報もありますね。2020年に亡くなられているようです。
かぜ耕士のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)かぜ 耕士(かぜ こうじ、1944年〈昭和19年〉7月13日 - 2020年〈令和2年〉9月26日)は、日本の作詞家・放送作家・ラジオパーソナリティ。本名は山田功(やまだ いさお)。 埼玉県比企郡嵐山町出身。中学生、高校生時代は東京都墨田区向島の美容院に預けられて過ごす。東京都立本所高等学校卒業後、ミュージカル俳優を目指して日本大学芸術学部演劇学科入学。大学在学中の1967年、永六輔主催の創作集団「ニコニコ堂」に入団して、筆名「かぜ耕士」を名乗った。この時の仲間には喰始がいた。 永が作家志望の学生を募集したことがきっかけで放送作家、作詞家となる。日本大学を卒業した翌年1968年の4月、アイ・ジョージの『太陽よ永遠なれ』で作詞家としてデビュー。当時、『3時のあなた』(フジテレビ)、『走れ!歌謡曲』(文化放送)でアシスタントディレクターとして働いていたこともある。 1969年からは放送作家としても活動開始、テレビ、ラジオの番組でレギュラーを持つ。NHKが翌1970年1月から放送を予定していた音楽番組『ステージ101』の出演者のオーディションに合格したシング・アウトが、ヤマハ音楽振興会の音楽コンクール『第1回合歓ポピュラーフェスティバル'69』に参加することになり、かぜはステージ101の音楽監督に就任した作曲家の中村八大と「涙をこえて」を共作した。永が作詞する予定だったが当時取材のために海外にいたので、かぜが代理に抜擢された。同曲は同年7月25日に開かれた同コンクールでシング・アウトによって披露され、作曲グランプリを受賞。11月にはRCAからシング・アウトのデビュー・シングルとして発表されて、21万枚を売り上げるヒットを記録した。 1970年1月からNHK総合テレビジョンでステージ101が放送開始。「涙をこえて」はレギュラー出演グループのヤング101のメンバーとして出演したシング・アウトにより番組オリジナルソングの第一作として披露され、この人気番組を代表する歌曲になった。かぜは番組の構成を担当すると共に、引き続いて「脱線列車にのり込んで」や「お昼は何にしましょうか」などのオリジナルソングの作詞を手掛けた。 1972年4月から約6か月間『土曜ショー』のインタビュアー、ナレーターを務める。同年10月からNHKのラジオ番組『若いこだま』の土曜日にレギュラー出演、ラジオパーソナリティとしても活動を始める。深夜放送が若者の間でブームの中、『たむたむたいむ』で人気を得る。その後、『セイ!ヤング』、『オールナイトニッポン』と深夜放送の代表的な番組でパーソナリティーを担当。 1981年10月、『かぜ耕士のオールナイトニッポン』終了。ラジオのレギュラーパーソナリティとしての座からは離れ、単発番組出演や、CMのナレーションなどを務める。 1984年、主な活動場所をテレビ番組の構成に移し、情報番組、ドキュメンタリー番組の構成を多く手掛ける。この時から風小路将伍というテレビ用のペンネームを使い始める。 1985年、『そこが知りたい』の「通勤線途中下車」シリーズの構成を始める。 1999年4月から『バックグラウンド・ミュージック』(TBSラジオ)の構成の担当を始める。同番組では再びかぜ耕士の名前を使い始める(ただし、テレビにおいてはこれまで通り『風小路将伍』のままとのことである)。 2013年6月 エフエムさがみ(FM HOT 839)、「かぜ耕士のどこかでラジオが」のパーソナリティでラジオ復帰。8月よりギランバレー症候群で入院、2014年1月に退院した。4月にラジオパーソナリティーに復帰、出演を続けていた。 2020年9月26日に死去。76歳没。 あいざき進也「ダウンタウンひとりぼっち」 伊勢功一「今夜の雨は女の涙」 春日八郎「おさみし谷の子守唄/明日に微笑はない」 西城秀樹「おぼえているかい」 鹿内タカシ「モカの香り」 西崎みどり「おもいで湖畔」 シング・アウト「涙をこえて」 市川光興「夕陽のまつり」 若いこだま (1972年10月 - 1973年3月、NHK)土曜日 たむたむたいむ (1973年4月 - 1978年6月) セイ!ヤング (1978年4月 - 1979年12月、月曜日) オールナイトニッポン (1980年7月 - 1981年10月、水曜日2部) かぜ耕士のどこかでラジオが(2013年 - エフエムさがみ 土曜 23時) ラッコ物語 (東宝制作、1987年公開 脚本担当) さよならの待ち伏せ 平安書店 1974年 各駅停車の青春に 婦人生活社 1975年 各駅停車の青春に(続) 婦人生活社 1976年 地球のフチに腰かけて 学習研究社 1977年 学校ってなんだ 祥伝社 1979年 炎の佛師 松本明慶 (共著)ネスコ 1999年 若山弦蔵のバックグラウンドミュージック (共著)コスモの本 2002年 ^ 永は作詞家として中村と『上を向いて歩こう』など多くのヒット曲を共作してきた。 ^ 伊東ゆかりの『青空のゆくえ』と受賞を分け合った。 ^ 1971年4月にシング・アウトが番組を卒業した後も、ヤング101によって1974年3月に番組が終了するまで歌い続けられた。その後、2023年現在に至るまでの約50年間、ヤング101の元メンバー達によって様々な機会に披露され、小中学校の合唱曲として、コンクールで取り上げられることも多い。 ^ 日刊スポーツ 2014年8月30日22面『あの人に聞きたい 著名人にロングインタビュー かぜ耕士さん・上』 ^ 「たむたむたいむ」DJかぜ耕士さん死去 76歳 日刊スポーツ 2020年9月28日 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15 作詞家一覧 ステージ101 ねこの森には帰れない - 寸劇の主人公(松井運転手)の声を担当。 かぜ耕士公式ホームページ この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 ISNI VIAF スペイン 日本 MusicBrainz 日本の作詞家 日本の放送作家 日本のDJ 日本のラジオパーソナリティ ステージ101の番組関係者 日本大学出身の人物 埼玉県出身の人物 1944年生 2020年没 ギラン・バレー症候群に罹患した人物 2025/04/05 20:29更新
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kaze kouji
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