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エメリヤーエンコ=ヒョードルの情報 (EmelianenkoFedor)
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【6月26日】今日誕生日の芸能人・有名人

エメリヤーエンコ=ヒョードルの情報(EmelianenkoFedor) 格闘家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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エメリヤーエンコ=ヒョードルさんについて調べます

■名前・氏名
エメリヤーエンコ=ヒョードル
(読み:Emelianenko Fedor)
■職業
格闘家
■エメリヤーエンコ=ヒョードルの誕生日・生年月日
1976年9月28日 (年齢47歳)
辰年(たつ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和51年)1976年生まれの人の年齢早見表

エメリヤーエンコ=ヒョードルと同じ1976年生まれの有名人・芸能人

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エメリヤーエンコ=ヒョードルの情報まとめ

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エメリヤーエンコ=ヒョードル(Emelianenko Fedor)さんの誕生日は1976年9月28日です。

もしもしロボ

来歴、ファイトスタイルと評価などについてまとめました。映画、引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。エメリヤーエンコ=ヒョードルの現在の年齢は47歳のようです。

エメリヤーエンコ=ヒョードルのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

エメリヤーエンコ・ヒョードル(露: Фёдор Емельяненко、英: Fedor Emelianenko、1976年9月28日 - )は、ロシア の男性元総合格闘家、サンビスト、元柔道家。チーム・ヒョードル主宰。元PRIDEヘビー級王者。元WAMMA世界ヘビー級王者。元リングス無差別級王者。元リングスヘビー級王者。

柔道の国際大会で活躍したのち総合格闘技に転向、2000年にリングスの大会で来日、ヘビー級と無差別級の王座に就く。2002年のリングス休止以降はPRIDEに出場し、2003年にアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下しヘビー級王座を獲得した。2004年にはヘビー級グランプリに優勝、2005年にはミルコ・クロコップを下し王座を防衛した。2007年のPRIDE消滅後は日本国外の大会に出場、2008年にはAfflictionで元UFCヘビー級王者ティム・シルビアを破りWAMMA世界ヘビー級王者となっている。その後も、2009年にはアンドレイ・アルロフスキーに勝ち、WAMMA王座の防衛に成功。2010年に敗れるまで10年間無敗という記録を作った。

PRIDE王者時代から2010年に敗れるまでは日本だけでなくアメリカなどのメディアからも「総合格闘技界最強」と評価され、多くのメディアのランキングにおいてヘビー級で世界1位にランクインしていた。

2009年にロシア政府認定の投票によりテニスのスベトラーナ・クズネツォワと共にロシアのベスト・アスリートに選ばれている。また、ロシアの長年活躍したトップアスリートだけに送られるスポーツマスターの称号を持ち、プロ格闘家として活動する傍らコンバットサンボの大会にも出場し、世界選手権で4度の優勝を果たしている。

2022年4月、4年間務めたロシア総合格闘技連合MMA(英語版)監査部門の会長を電撃辞任したが理由は明らかにしておらず、直後にロシアMMAのラドミール・ガブドゥリン(英語版)会長がロシア格闘技界は一丸でウラジーミル・プーチン大統領に忠誠を誓うとコメントしたこともあり、同年2月より続いているロシアによるウクライナ侵略との関係も取り沙汰された。

来歴

プロデビュー以前

リングス

2000年初頭にニコライ・ピチコフの誘いでヴォルク・ハン率いるリングス・ロシア(現ロシアン・トップチーム)を見学し総合格闘技に興味を持ち、ヒョードルはこのジムで練習を始めた。またリングスのスカウトオーディションに参加し、前田日明からバラチンスキー・スレン に次ぐ評価を受け日本大会への出場が決まった。同年5月にはリングスのロシア大会で総合格闘技デビュー。9月5日には日本大会で初来日を果たし高田浩也(英語版)と対戦、開始12秒で左右のフックによるKO勝利を収めた。同年12月22日、「KING of KINGSトーナメント」の1回戦でヒカルド・アローナに延長の末、3-0の判定勝ち。同日に行われた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に目尻をカットし、試合開始17秒でカットのためドクターストップによるTKO負けとなった。しかし実際のところ、このカットは本来反則であるはずの高阪の肘が偶然で当たったものであり、高阪自身も後にアクシデントだったと認めている。

2001年は4月20日からヘビー級王座決定トーナメントに出場する。1回戦ではケリー・ショールに勝利し 8月11日の決勝大会に進出すると、準決勝ではトーナメント本命と目されていた レナート・ババルに判定勝利し、決勝では対戦相手のボビー・ホフマンが左肩脱臼のため棄権し不戦勝 となり、初代リングス世界ヘビー級王者に就いた。その後10月20日には無差別級王座決定トーナメントにも出場、1回戦では柳澤龍志に、準決勝ではリー・ハスデルに勝利し、決勝戦に進出した。リングス最後の興行となった2002年2月15日の決勝戦ではクリストファー・ヘイズマンと対戦、2度のダウンとロープエスケープでポイントアウトに追い込み、リングス2冠を達成した。

PRIDE

リングスが活動停止となると、2002年6月23日のPRIDE.21においてPRIDE初参戦。当時パンクラス無差別級王者だったセーム・シュルトに30cmのリーチ差をものともせず、グラウンドのポジショニングで優位に立って判定勝ち、PRIDEデビューを飾った。同年11月24日のPRIDE.23では、ヒース・ヒーリングをパウンドの連打によるドクターストップでTKO勝利し、ヘビー級王座挑戦権を獲得した。

2003年3月16日、PRIDE.25にて、初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦する。開始早々フックでノゲイラを吹き飛ばし、グラウンドではパウンドをまとめてダメージを与える。2R以降もテイクダウンからのパウンドで手堅くポイントを稼ぎ、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。4月5日にはリトアニアでBUSHIDO-RINGSに参戦、エギリウス・ヴァラビーチェスに一本勝ちを収めた。同年6月8日のPRIDE.26ではノンタイトル戦で藤田和之と対戦し、直撃した藤田の右フックによってよろめくシーンを見せたが、すぐに反撃、右フック・左ミドルキックを打ち込んでダウンを奪いチョークスリーパーで一本勝ち。ヒョードルは後年(2009年)のインタビューで『私に真っ当な打撃を与えたのはこれまでで藤田だけだよ。激しい打撃だったね』と回想している。同年8月10日の「PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」ではゲーリー・グッドリッジと対戦し1R1分9秒でTKO勝ち。同年11月9日のPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦はミルコ・クロコップとのヘビー級タイトルマッチが行われる予定であったが、練習中に右手を骨折したため欠場し、ミルコ対ノゲイラの暫定王者決定戦が代わりに組まれた。この年の大晦日には3つのイベントによるヒョードル争奪戦が繰り広げられ、紆余曲折を経て最終的にイノキ・ボンバイエに出場、永田裕志に勝利した。なおこれに関連して、ヒョードルは年末にロシアン・トップチームからレッドデビル・スポーツクラブに移籍し、後に、チーム代表であったウラジミール・パコージン との確執があったことを述べている。

2004年4月25日、PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦のヘビー級グランプリ1回戦で2000年のPRIDEグランプリ優勝者マーク・コールマンと対戦。試合ではコールマンにテイクダウンからマウント、バックを奪われるも脱出し、その後再度タックルでテイクダウンを奪われるも下のポジションから腕ひしぎ十字固めで切り返し一本勝ちで初戦突破を果たす。同年6月20日のPRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDの2回戦では、番狂わせでミルコを1回戦で破って勝ち上がってきたケビン・ランデルマンと対戦し、開始後スープレックスで頭から垂直にマットに叩きつけられるも、何事もなかったようにすぐにポジションを奪い返してチキンウィングアームロックを極め一本勝ち、同年8月15日のPRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦で行われる準決勝に駒を進める。準決勝では事前に組み合わせを決めるファン投票が行われ、最高得票を集めた小川直也との一戦が決定した。小川を柔道家として尊敬する反面、ハッスルポーズは下品だと不快感を表し、試合前の握手は小川に拒否される。試合は1ラウンド開始からパンチで攻勢に立ち、開始54秒で腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。決勝はセルゲイ・ハリトーノフに勝利したヘビー級暫定王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦の運びとなる。試合は1ラウンド3分過ぎにグラウンドでヒョードルの額とノゲイラの頭頂部がバッティングし、ヒョードルの右眉上が切れて試合が中断。協議の結果無効試合となり、優勝者は決まらなかった。同年の大晦日、PRIDE 男祭り 2004にて行われたPRIDE GRANDPRIX 2004決勝を兼ねたPRIDEヘビー級統一王座決定戦でノゲイラと再戦し、判定勝ちを収めヘビー級王座を統一するとともにグランプリ優勝を果たした。

2005年4月3日、PRIDE 武士道 -其の六-で4年半前にプロで唯一の敗北を喫した高阪剛との再戦が組まれ、試合はテイクダウンからのパウンドでヒョードルが優勢に立ち、1ラウンド終了時にドクターストップによるTKOでリベンジを果たした。6月にはロシアのクストヴォで開かれた全ロシアコンバットサンボ選手権に出場し、100kg超級で優勝する。同年8月28日には「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」にて2年越しにミルコ・クロコップとのヘビー級タイトルマッチが実現。試合はヒョードルは打撃で圧力をかけ続け、ミルコはバックステップでリングを回りながらの打撃で応戦するという形となった。1ラウンド前半にミルコの打撃に押される場面もあったが、それ以外は打撃で攻め立て、投げや足払いからのテイクダウン、ポジショニングでも制し判定勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功した。大晦日に出場した「PRIDE 男祭り 2005」ではズールと対戦。パンチでダウンを奪い、パウンドの連打により1ラウンド開始26秒でタップアウト勝ち。

2006年1月26日、強力なパウンド力・パンチ力ゆえの慢性的な拳の怪我や骨折 に苦しんでいたヒョードルは、サンクトペテルブルクの病院で右拳の手術に踏み切る。続いて6月24日、同じサンクトペテルブルクの病院で、固定していた金属プレートの除去手術を受けた。この手術のため、「PRIDE無差別級GP」の1回戦と、回復次第ではシード扱いで出場する予定だった2回戦を共に欠場し、代役でヴァンダレイ・シウバが参戦した。2度に渡る拳の手術を経て、10月21日、マーク・コールマンを相手に復帰第1戦を行った。1Rは打撃で攻め立て、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。続いて12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」でのヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦し、腕ひしぎ十字固めを返されたり、アームロックで追い詰められたものの、チキンウィングアームロックで一本勝ちし、3度目の王座防衛に成功した。

BodogFight・Affliction

2007年3月、BodogFightと契約し、同年4月14日には、地元ロシアのサンクトペテルブルク大会に凱旋出場。マット・リンドランドに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。同年4月にPRIDEが休止した後はUFC、BodogFight、HERO'Sなど世界中の格闘技団体がヒョードルの獲得を競っている状況であったが、2007年10月、米国の総合格闘技イベントM-1 Globalと2年6試合の契約を結んだ。ファイトマネーは1試合につき基本給が200万ドルで、これは契約金・ボーナスなどのその他報酬を含めない額であった。11月10日、チェコ共和国プラハで行われた第31回コンバットサンボ世界選手権100kg超級に出場し、4度目の世界王者となった。11月11日、ロシアの国家勲章であるピョートル大帝勲章を受章した。12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で1年振りの来日を果たしチェ・ホンマンと対戦、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2008年2月8日、全ロシアコンバットサンボ選手権100kg超級で優勝。同年2月15日にはコンバットサンボ大統領杯100kg級で優勝した。同年7月19日、アメリカ合衆国の新興MMA団体であるAfflictionの第1回大会「Affliction: Banned」において、元UFC世界ヘビー級王者で当時SHERDOGのヘビー級ランキングで4位にランクインしていたティム・シルビアと対戦。スタンドのパンチでダウンを奪うと、グラウンドでバックからチョークスリーパーを極め、開始36秒で一本勝ちし、新たに設立された総合格闘技の王座認定団体であるWorld Alliance of Mixed Martial Artsの初代世界ヘビー級王座獲得に成功した。同年11月、主演映画『第5の死刑』の撮影で、コンバットサンボのロシア代表合宿に参加できないまま11月16日の世界選手権に臨んだ。100kg超級に出場したヒョードルは過去2戦勝利していたブラゴイ・アレクサンドル・イワノフとの準決勝で投げ技でポイントを奪われ、その後打撃で攻め立てたものの5-8の判定で敗れ3位に終わった。

2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」では、元UFC世界ヘビー級王者で当時SHERDOGのヘビー級ランキングで2位にランクインしていたアンドレイ・アルロフスキーと対戦。1R3分過ぎ、跳び膝蹴りに来たアルロフスキーにカウンターで右フックを命中させ失神KO勝ちを収め、WAMMA世界ヘビー級王座の初防衛に成功した。2月21日には全ロシアコンバットサンボ選手権に出場、100kg超級で連覇を達成した。

同年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」で来日し、青木真也とサンボ衣着用・打撃ありのエキシビションマッチを行った。

同年8月1日、Affliction: Trilogyでジョシュ・バーネットと対戦予定であったが、ジョシュが試合前のドーピング検査で陽性反応が出たとして欠場となり、その影響で同大会は開催中止、さらにAfflictionのMMA興行からの撤退が発表された。その後、UFCとの交渉も伝えられたが、8月3日にStrikeforceと出場契約を交わしたことが発表された。後年ヒョードル自身がUFC参戦に至らなかった理由について「基本的に、私は無敗でUFCを離脱することができませんでした。私はインタビューをすることも、映画や広告の仕事もできません。UFCの合意なしでは何をする権利もありません。」と契約に理不尽を感じたことをインタビューで明確に語った。このような契約をすればロシア国内で開かれるコンバットサンボの大会に参加することも不可能になり、国民性の観点からヒョードルにとっては納得のいかない条件であった。

同年8月28日、「M-1 Global Presents Breakthrough」でゲガール・ムサシと道着ありのエキシビションマッチを行い、腕ひしぎ十字固めでタップを奪った。

Strikeforce

同年11月7日、Strikeforce初参戦となった「Strikeforce: Fedor vs. Rogers」で、当時SHERDOGのヘビー級ランキングで6位にランクインしていたブレット・ロジャースと対戦。ヒョードルにとってケージでの戦いは初めてであり、1R終盤にロジャースのパウンドを受けて流血したものの、2Rに強烈な右オーバーハンドフック一発でロジャースをふきとばすと追撃のパウンドにより2ラウンドTKO勝ちを収め、WAMMA世界ヘビー級王座の2度目の防衛に成功した。試合は地上波CBSによって全米に放送され546万人が視聴した。

2010年6月26日、Strikeforce: Fedor vs. Werdumでファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦。開始早々にヒョードルのフックがかすってファブリシオが寝技に誘うように後方に倒れこみ、追撃のパウンドを浴びせようとしたところで1R1分9秒腕ひしぎ三角固めを極められ、大番狂わせのタップアウト負け。2000年の高阪剛戦以来10年ぶりの敗戦であり、高阪戦が反則技による負傷でのTKO負けであるため、実質生涯初の敗戦となった。

2011年2月12日、Strikeforce: Fedor vs. Silvaのワールドグランプリヘビー級トーナメント1回戦でアントニオ・シウバと対戦。1Rは左右のフックをふるい攻勢に出ると3分過ぎにはシウバの投げのミスを誘って上のポジションを取り、パウンドを落としつつ関節技を狙い優位に進めるも、体格差のあるシウバに対して少しずつ動きが落ちカウンターのパンチを数発受ける。2Rは開始早々からシウバにテイクダウンを奪われ、マウントポジションからのパウンド、バックチョーク、肩固め、膝十字と防戦一方になり、最後にアンクルホールドで応戦する。しかし、2R終了後、多くのパウンドを受けたことにより右目が塞がりドクターストップ。ファブリシオ戦に続き連敗を喫した。試合後、「応援ありがとう。きっと、離れる時がやってきたんだ。これが最後だ。素晴らしい時間を過ごせた」と、引退を示唆する発言を残したが、ロシアに帰国後、「私はまだ戦う」と現役続行の意志を示す発言を行った。ヒョードルを圧倒したシウバだったが、「ヒョードルはNo.1だった。今もそうだ。これからもそうだ。彼のような格闘家は二度と現れないだろう」と、長年にわたりトップの座に君臨し続けたヒョードルにたいして敬意を示した。

2011年7月30日、Strikeforce: Fedor vs. Hendersonでダン・ヘンダーソンと対戦。打撃の攻防で互角に渡り合うも寝技で下になったヘンダーソンにバックを取られパウンドでTKO負け。この試合ではストップが早かったという声も多かったが、結果的に三連敗を喫した。

M-1 Global

2011年11月20日、母国ロシアで開催されたM-1 Globalでジェフ・モンソンと対戦し、判定勝ち。

DREAM

2011年12月31日、4年ぶりの日本での試合。DREAMの大晦日大会『元気ですか!! 大晦日!! 2011』で石井慧と対戦し、スタンドパンチ連打で失神KO勝ち。

2012年6月21日、ロシアで開催されたM-1 Globalでペドロ・ヒーゾと対戦し、パウンドで失神KO勝ち。試合後の会見で引退を表明した。長年マネージャーだったワジム・フィンケルシュタインとはこの引退で関係を終了させている。

引退

引退後はロシアスポーツ省特別補佐官とロシア格闘技連盟の代表に就任した。

2014年1月、ソチオリンピックの聖火リレーで走者を務めた。

2014年10月4日、日本武道館にて開催された「ロシア連邦民族・伝統武道団交流演武会」に来場した。

現役復帰

2015年、総合格闘技団体『RIZIN』を立ち上げを検討している榊原信行がロシアに出向き、ヒョードルと現役復帰の件を話し合った。

2015年7月15日、「スポーツ省ではスポーツの発展のために大臣たちと働き、できるだけ問題を解決しようと務めてきました。しかし今はリングに戻る時だと思っています」と、古傷も癒えトレーニングを再開したとして年内の現役復帰を示唆した。

RIZIN

2015年9月20日、ロシアスポーツ省特別補佐官を辞任し、榊原信行が設立した新たな総合格闘技団体「RIZIN FIGHTING FEDERATION」と契約を結んだことが発表された。

2015年12月31日、3年6か月ぶりの復帰戦となったRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYSでシング・心・ジャディブと対戦し、マウントパンチでギブアップを奪いTKO勝ち。試合前に馳浩文部科学大臣から「ロシアと日本の交流、スポーツ振興に大きな貢献」を果たしたとして記念のチャンピオンベルトを贈られた。

Bellator

2017年6月24日、Bellator NYCでマット・ミトリオンと対戦。両者同時に右ストレートを放ち、両者が倒れてダブルノックダウンとなるも、先に立て直したミトリオンに追撃のパウンドを落とされたことで1R KO負けとなった。

2018年4月29日、Bellator 198のヘビー級ワールドグランプリ1回戦で元UFC世界ヘビー級王者のフランク・ミアと対戦。開始直後に右フックでフラッシュダウンを喫するも直ぐに立て直し、前進したミアにカウンターの左アッパーでダウンを奪い、追撃のパウンドで1R KO勝ち。グランプリ準決勝進出を果たした。

2018年10月14日、Bellator 208のヘビー級ワールドグランプリ準決勝でチェール・ソネンと対戦し、パウンドで1RTKO勝ち。グランプリ決勝進出を果たした。

2019年1月26日、Bellator 214のヘビー級ワールドグランプリ決勝戦でBellator世界ライトヘビー級王者のライアン・ベイダーと対戦し、開始直後に左フックでダウンを奪われ、パウンドで1R KO負け。グランプリ準優勝となった。

2019年12月29日、あと2試合で完全引退することを発表したことから、日本最後の試合として、RIZINサポートの元で日本開催されたBellator JAPANに出場。PRIDEファイターで元UFCライトヘビー級王者のクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、1R KO勝ち。勝利者マイクで日本のファンへの感謝の気持を述べた。

2021年10月23日、母国ロシアで開催されたBellator 269でBellatorヘビー級ランキング2位のティモシー・ジョンソンと対戦し、右フックで1RKO勝ち。

2023年2月4日、引退試合を行い、Bellator 290のBellator世界ヘビー級タイトルマッチで王者ライアン・ベイダーに挑戦し、パウンドで1RTKO負けし、王座獲得に失敗。この試合を最後に現役を引退した。試合後のケージ内にはランディ・クートゥア、チャック・リデル、ホイス・グレイシー、ヘンゾ・グレイシー、マット・ヒューズ、マーク・コールマン、フランク・シャムロック、ジョシュ・バーネット、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン、チェール・ソネン等が集まった。

ファイトスタイルと評価

寝技・組技に関する評価

ヒョードルのバックボーンは国際大会でも結果を残してきたサンボ・柔道である。柔道でヒョードルとの対戦経験がある小斎武志はバックボーンである組技の力が発揮されていると評価し、「あんなに力が強いロシア人とやったのは初めて」だったと証言している。グラウンドでは安定感と決定力に秀でており、持ち前の瞬発力を生かした関節技とスイープが得意である。さらに強力なパウンドで攻め立てる。ヒョードルと3度対戦したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは「休んでいる時はじっとしていて、動く時は数発集中して打ってくる」 と証言しており、また「左のパンチの方が強くて焦った」と述懐している。パウンドを打つ時のボディコントロールが上手く、下からの仕掛けをことごとく制することが出来る。当然そのパンチはスタンディングの状態でも発揮され、フックはイゴール・ボブチャンチンのロシアン・フックに似た軌道を描く。この強力なパンチを武器に幾多の試合で勝利を収めて来たものの、その威力故に拳への負担が大きく、慢性的な拳の怪我に苦しむこととなった。

打撃に関する評価

元サンビスト・柔道家でありながら、日本での総合格闘技デビュー戦ではパンチでKO勝利と天性の物を見せていた。スタンドでの打撃は、ヘビー級では類を見ない踏み込みの早さと強力な連打を有している。2005年に対戦したキックボクシング出身のミルコ・クロコップは「打ち負けた」ことを認め、また36秒で敗れたティム・シルビアは「俺もヘビー級のトップファイターの一人だが、ヒョードルの強さには驚かされた。あいつは人間じゃない。あんなに強く殴られたことはなかった」とそのパンチ力を称えている。特に右のオーバーハンドの破壊力は非常に高くアンドレイアルロフスキーを一発で失神させたり、体格差のある巨漢ブレットロジャースを一撃で身体ごと吹き飛ばす程である。185kgあるズールをも簡単に吹き飛ばす程の破壊力とパンチ重さも見せている。またキックの威力も高く、藤田和之を左ミドルキック一発でダウンさせ、ジェフ・モンソンはヒョードルのローキックによって右足を骨折させられセコンドに抱えられたまま病院へ送られた。ミルコクロコップ相手にハイキックでガードごと吹き飛ばす破壊力とヘビー級離れしたスピードを見せている。

元々圧倒的なストライカー能力により守勢に立たされる場面が少ないため、あまり目立つことがないディフェンススキルだが、その能力は高く、マーク・ハント戦では、相手のパンチをガードに頼らず、そのほとんどに空を切らせる技術を披露した。しかし、2009年1月のアンドレイ・アルロフスキー戦ではボクシングの攻防で劣勢になるシーンが見られ、アルロフスキーのコーチであるフレディ・ローチは「作戦通りに試合を支配していた。幼いミステイクが無ければ簡単な試合だった」と語っている。専門家の検証では、一分間当りに相手の打撃をもらう回数が全階級を通してトップファイターたちのなかでもヒョードルは最も低い一人である。

精神面その他の評価

ヘビー級では小柄な部類だが高い瞬発力と柔軟性を併せ持ち、打撃を交えながら相手をテイクダウンする一連の動きを一呼吸も置かずにワンテンポでこなす巧みさとパワーを有している。片足を取られてもテイクダウンされないバランスの良さや、相手に上に乗られた状態からの腕ひしぎ十字固めへの切り返しの早さなど、あらゆる面に優れている。また、ケビン・ランデルマンによるスープレックスを巧みな受身でダメージを抑えるなどの投げ技に対する対応力も備えている。

試合中も常に冷静で落ち着きを払うことができるのは、生まれ持っての性格によるところと本人は語っている。

選手からの評価

UFCヘビー級のケイン・ヴェラスケスやシェイン・カーウィン、パウンド・フォー・パウンドと称されるジョルジュ・サンピエール、BJ・ペン、ジョン・ジョーンズなどから憧れの対象とされており、格闘技の団体を問わず、多くのファイターから尊敬され、目標とされている人物である。

ヒョードルの練習パートナーでもある元K-1チャンピオンのアーネスト・ホーストは「立ち技だけの練習をすれば間違いなくK-1でもトップクラスになる」と語っている。

元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンで長年のUFCファンであるマイク・タイソンは「歴代最強のMMAファイターはヒョードルだ」と発言している。

2024/06/21 04:09更新

Emelianenko Fedor


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福井 仁美(ふくい ひとみ)
1986年9月28日生まれの有名人 愛知出身

福井 仁美(ふくい ひとみ、1986年9月28日 - )は、日本の実業家。 かつてはタレント、モデルとして活動していたが28歳の時に芸能界を引退、現在は数十店舗のエステサロンオーナーであり、ハリウッ…


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エメリヤーエンコ=ヒョードルと近い名前の人

エミリー=サンデー(Adele Emeli Sande)
1987年3月10日生まれの有名人 出身

アデル・エミリー・サンデー(Adele Emely "Emeli" Sandé [ˈɛməli ˈsændeɪ]、1987年3月10日 - )は、イギリス・スコットランド出身の女性シンガーソングライタ…

ネリー=メルバ(Nellie Melba)
1861年5月19日生まれの有名人 出身

ネリー・メルバ(Nellie Melba、1861年5月19日 - 1931年2月23日)は、当時イギリス領であったオーストラリア出身のオペラ歌手、ソプラノ。ヘレン・"ネリー"・ポーター・ミッチェル …

アルトゥル=アビラ(Artur Avila Cordeiro de Melo)
1979年6月29日生まれの有名人 出身

アルトゥル・アビラ(Artur Avila Cordeiro de Melo, 1979年6月29日 - )はブラジルの数学者。2014年に大韓民国ソウル特別市で開かれた国際数学者会議(ICM)でラテ…

エメリヤーエンコ=アレキサンダー(Emelianenko Aleksander)
1981年8月2日生まれの有名人 出身

エメリヤーエンコ・アレキサンダー(ロシア語: Александр Емельяненко、ウクライナ語: Олександр Ємельяненко、英語: Alexander…

エメシェ=フニャディ(Emese Hunyady)
1966年3月4日生まれの有名人 出身

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エメリッヒ=ダンツァー(Emmerich Danzer)
1944年3月15日生まれの有名人 出身

エメリッヒ・ダンツァー(Emmerich Danzer、1944年3月15日 - )は、オーストリア出身の男性フィギュアスケート選手。1964年インスブルックオリンピック、1968年グルノーブルオリン…

エメット=ウォルシュ(Michael Emmet Walsh)
1935年3月22日生まれの有名人 出身

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エメ=ロスダー(Aime Laussedat)
1819年4月15日生まれの有名人 出身

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エメルソン=レオン(Emerson Leao)
1949年7月11日生まれの有名人 出身

エメルソン・レオン(ポルトガル語: Émerson Leão、1949年7月11日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。…

フェリペ=メロ(Felipe Melo de Carvalho)
1983年8月26日生まれの有名人 出身

フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ(Felipe Melo de Carvalho, 1983年6月26日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州出身のサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリ…

エメルソン(Marcio Emerson Passos)
1981年9月6日生まれの有名人 出身

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ケイティ=メルア(Katie Melua)
1984年9月16日生まれの有名人 出身

ケイティ・メルア(Katie Melua、1984年9月16日 - )は、グルジア(現ジョージア)出身のイギリスのシンガーソングライター。本名、ケテヴァン・メルア(ქეთევან მელუა)。 …

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