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ゲーブ=キャプラー
ゲーブ=キャプラー(Gabe Kapler)さんの誕生日は1975年7月31日です。
人物、詳細情報などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。去年の情報もありました。現在の年齢は48歳のようです。
ゲイブリエル・ステファン・キャプラー(Gabriel Stefan Kapler、1975年7月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッド出身の元プロ野球選手(外野手)、監督。右投右打。 1995年のMLBドラフト57巡目(全体1487位)でデトロイト・タイガースから指名され、プロ入り。 1998年に22歳でメジャーデビューを果たす。 1999年11月にフアン・ゴンザレスらとのトレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した。 2002年7月にトレードで、コロラド・ロッキーズへ移籍した。 2003年シーズン途中にトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した。 2004年はレッドソックスで136試合に出場、打率.272、6本塁打、33打点を記録。左投手要員と外野全てを守れる選手として広い守備範囲と強肩で、2004年のレッドソックスのワールドシリーズ制覇へとつながった快進撃に貢献した。 2004年11月22日に読売ジャイアンツは守備力を期待しセンターラインの補強として契約した。 2005年のキャンプでは外野の深い位置から目の覚めるような送球を見せ、ファンを期待させたが、来日する数年前から足の故障もあってホームへのダイレクト返球向きの大きな送球モーションをつかれ走られることが多かった(4月24日の中日ドラゴンズ戦で、井端弘和の中堅前の単打で一塁走者の荒木雅博が生還するなど)。その大きなモーションを改めたら、今度は送球が手投げ同然になり強肩が発揮されなくなったため結局は走られていた。不動のレギュラーの清水隆行を押しのけてポジションは開始当初は中堅手で出場していたが打撃不振で左翼手にコンバートされると併用になり最終的には清水にレギュラーを奪い返されるなど最後まで日本野球に適応することはできず、持病の腰痛を再発させた事を理由に6月4日に出場登録抹消され、治療に専念していたが、完治の見込みが立たず、7月8日に契約解除を球団に申し出ると球団も了承した。開幕から17打席無安打を含め38試合、111打数で17安打、打率.153と低迷した。 帰国後の7月15日に古巣のレッドソックスとメジャー契約を結んだが、15日間の故障者リスト入りし、AAA級ポータケット・レッドソックスでプレー。同じ元巨人のロベルト・ペタジーニと共に本塁打を放ち、対左投手要員という元のサヤに収まっていたが、アキレス腱断裂のため出場試合機会が減少。レッドソックスでの成績は36試合出場で打率.247、1本塁打、9打点だった。オフにFAとなった。 2006年も再びレッドソックスでプレーしたが、72試合出場で打率.254、2本塁打、12打点と満足な成績を残せず、この年のオフに一旦引退。 2007年はレッドソックス傘下のマイナーで監督を務めていたが、9月20日にレッドソックスは現役復帰の意向を示したと発表し、その後ミルウォーキー・ブルワーズと1年契約を結んだ。 2008年、ブルワーズでは98試合に出場。打率.301、出塁率.340、8本塁打という結果を残している。守備でも強肩を発揮する場面もあった。キャプラーは対左を得意としており、(対左には)82打数で.354、4本塁打の数字を残している。 2009年1月12日、タンパベイ・レイズと1年100万18ドルで契約を結んだ。端数の18ドルには(キャプラー自身の)ラッキーナンバーとユダヤ教における生命という意味が込められている。キャプラーはマット・ジョイスと中堅手のポジションを争った。なお、当時レイズの中堅手には不動のレギュラーであるB.J.アップトンがいたのだが、オフに行った左肩手術の関係で開幕は絶望的だった。4月13日、レイズの大量リードのためマウンドに上がったニック・スウィッシャー(本来は外野手)と対戦、三振を喫した。シーズン中は右翼手としてゲーブ・グロスと併用されていた。7月10日時点では長打率は.505をマークし、75打数で打率.320、4本塁打をマークしていた。対左に対しては滅法強く長打率は.680をマークしていた。安打のうち64本が長打となっており、100打席以上の野手ではトップの長打数をマークしていた。7月23日に当時ホワイトソックスのマーク・バーリーが完全試合を達成した試合にも出場している。この試合でキャプラーは本塁打性の打球を放ったものの、ドウェイン・ワイズの好捕によって完全試合を阻むには至らなかった。10月27日、レイズと1年105万ドルで再契約を結んだ。2009年シーズン、キャプラーは対左キラーとして活躍し、(対左に対して)打率.304、長打率.577の成績を残す。レイズのGMであるアンドリュー・フリードマンはキャプラーを「(キャプラーほど)対左に打ってつけの選手はいないし、守備も素晴らしい。チームに欠かせない人材となっているし、チームにいるだけで、若手に手本としていい影響を与えている。」と高く評価した。 2010年のスプリングトレーニングではまたもジョイスと右翼手のポジションを争った。しかし、シーズンを通して出場試合は59試合で打率.210、2本塁打の低成績に終わり、シーズンオフにはFAとなった。 2011年1月18日にはロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約した。スプリングトレーニングで招待選手として参加したものの、同年3月31日で契約を解除された。 引退後はフォックス放送で解説者を務めた。 2014年にドジャースの強化育成部門として球団フロント入りした。 2015年からファームディレクターとなった。 2016年オフに第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のイスラエル代表コーチを務めた。同大会でイスラエルは本戦初進出を果たした。 2017年1月にはイスラエル代表選手10名と共にイスラエルの第2都市テルアビブを表敬訪問した。しかし、第4回WBC本戦はドジャースのスプリングトレーニングと日程が重なるため、代表コーチを辞退。 2017年10月30日にフィラデルフィア・フィリーズの監督に就任することが発表された。 2019年10月10日に解任された。 2020年からはサンフランシスコ・ジャイアンツの監督を務める。 2021年は、チーム史上最多となる107勝を記録するとともに、監督として初となる地区優勝を経験。前年まで8年連続でナショナルリーグ西地区を制していたロサンゼルス・ドジャースの優勝を阻止した。同年オフの11月16日に全米野球記者協会から自身初となる最優秀監督賞を受賞した。 2023年は2年連続でプレーオフ進出を逃したことでシーズン途中の9月29日に解任された。残りの3試合はヘッドコーチのカイ・コレアが監督代行を務めた。 人物ユダヤ系アメリカ人の実業家の家に生まれた。MLBでは有名なボディビルダーであり、シーズンオフになると、ボディビルに力を入れていた。鍛え抜かれた身体を生かし、数々のエクササイズ系雑誌に登場した。また、スポーツシューズのCMに出演し、懸垂をしたこともある。 詳細情報2023年度シーズン終了時。 年度の太字は最優秀監督賞受賞。 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)。 WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム ナショナルリーグ最優秀監督賞:1回(2021年) 初出場・初先発出場:2005年4月1日、対広島東洋カープ1回戦(東京ドーム)、7番・中堅手で先発出場、3打数無安打 初打席:同上、2回裏に黒田博樹の前に見逃し三振 初安打・初本塁打・初打点:2005年4月6日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、4回表に門倉健から左越ソロ 初盗塁:2005年4月9日、対中日ドラゴンズ2回戦(東京ドーム)、4回裏に二盗(投手:山井大介、捕手:谷繁元信) 51(1998年) 23(1999年 - 2000年) 19(2001年、2002年 - 2003年、2004年、2010年、2019年 - 2023年) 18(2002年) 29(2003年) 22(2005年、2018年) 44(2005年 - 2006年) 33(2008年) 27(2009年) 2024/05/16 14:37更新
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