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ジェイソン=キッドの情報 (JasonFrederickKidd)
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ジェイソン=キッドの情報(JasonFrederickKidd) バスケットボール 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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ジェイソン=キッドさんについて調べます

■名前・氏名
ジェイソン=キッド
(読み:Jason Frederick Kidd)
■職業
バスケットボール
■ジェイソン=キッドの誕生日・生年月日
1973年3月23日 (年齢51歳)
丑年(うし年)、牡羊座(おひつじ座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和48年)1973年生まれの人の年齢早見表

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ジェイソン=キッドの情報まとめ

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ジェイソン=キッド(Jason Frederick Kidd)さんの誕生日は1973年3月23日です。

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現在、テレビ、卒業、事件、結婚、父親、離婚、引退、兄弟に関する情報もありますね。ジェイソン=キッドの現在の年齢は51歳のようです。

ジェイソン=キッドのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

選手時代

NBAチャンピオン (2011)

10× NBAオールスター (1996, 1998, 2000-2004, 2007, 2008, 2010)

5× オールNBAファーストチーム (1999, 2000, 2001, 2002, 2004)

オールNBAセカンドチーム (2003)

4× NBAオールディフェンシブ・ファーストチーム (1999, 2001, 2002, 2006)

5× NBAオールディフェンシブ・セカンドチーム (2000, 2003, 2004, 2005, 2007)

NBA新人王 (1995)

NBAオールルーキー・ファーストチーム (1995)

5× NBAアシスト王 (1999, 2000, 2001, 2003, 2004)

NBAスキルチャレンジ優勝 (2003)

NBAスポーツマンシップ賞 (2012, 2013 )

NBA75周年記念オールタイムチーム

USAバスケットボール男子年間最優秀選手 (2007)

No.5 ブルックリン・ネッツ永久欠番

オールアメリカン・コンセンサスファーストチーム (1994)

ウェイマン・ティスデイル賞 (1993)

Pac-10年間最優秀選手 (1994)

Pac-10フレッシュマン・オブ・ザ・イヤー (1993)

NCAAシーズンアシスト王 (1994)

NCAAシーズンスティール王 (1993)

No. 5 カリフォルニア・ゴールデンベアーズ永久欠番

全米ハイスクールバスケットボール年間最優秀選手 (1992)

マクドナルド・オール・アメリカン (1992)

2× パレード誌オールアメリカン・ファーストチーム (1991, 1992)

2× カリフォルニア州ミスター・バスケットボール (1991, 1992)

コーチ時代

NBAチャンピオン (2020)

ジェイソン・フレデリック・キッド(Jason Frederick Kidd, 1973年3月23日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロバスケットボール選手であり現在は指導者。NBAのダラス・マーベリックスでヘッドコーチを務めている。現役時代はポイントガードでプレーし、ニュージャージー・ネッツを2年連続NBAファイナルに導いた。その後、NBAキャリアをスタートしたダラス・マーベリックスに復帰し、2011年に自身およびチーム共に初のNBAチャンピオンを制覇した。

ポイントガードにも関わらず、キャリア平均6.3リバウンドと、リバウンド能力が高く、トリプル・ダブルをレギュラーシーズンで107回、プレーオフで11回、達成しており、Mr.トリプル・ダブルの称号を与えられた。また、アシスト数、スティール数はNBA歴代2位、3ポイントゴール成功数は歴代5位である。「個人の成績にこだわらない。チームの勝利がすべて」と言い切る、チームプレイに徹する選手でもあった。

ジェイソン・フレデリック・キッドはアフリカ系アメリカ人の父スティーブと、アイルランド系アメリカ人の母アンの間に、3人兄妹の長男として生まれ、オークランドヒルズで育った。少年時代のキッドが最初に熱中したのはサッカーだったが、グラスバレー小学校の3年生の頃から次第にバスケットボールにその情熱を傾けるようになった。キッドは上級生グループに混じってバスケをするようになり、下級生という立場と身長の低さから、キッドはこの頃からシュートよりも味方の得点チャンスを演出するパスに磨きを掛けるようになったという。

彼の才能は小学生の頃から周囲の関心を惹いた。小学生離れした体格に優れたクイックハンド、一日中走り回れるスタミナを持った少年は、小学生でありながら地方紙の記事に載るほどだった。また少年時代のキッドは1980年代に一世を風靡したマジック・ジョンソンに大きな影響を受けており、テレビでロサンゼルス・レイカーズの試合を観戦してはマジックのプレーを参考にした。後にNBA有数のファーストブレークの使い手となるキッドのプレースタイルは、この頃から形作られていた。近所のプレーグラウンドでもすぐに頭角を現したが、当時、そのプレーグラウンドの頂点に君臨していたのが5歳年上のゲイリー・ペイトンであり、キッドは何度もペイトンに挑むことでバスケットの技術を培った。

高校は聖ジョセフノートルダム高校に進学。すぐにチームのエース格となり、1991年のシーズンには同校のバスケットチームを州タイトルへと導く。学校の英雄となったキッドは大変な人気者となり、試合の前後にはファンが集団で彼の元に押し寄せてはサインを求め、キッドをプリントした高校の公式Tシャツの売り上げは四桁に及び、膨れ上がる観衆に対応するために聖ジョセフ高の試合は定期的にオークランド・コロシアムで行われた。1992年のシーズンにキッドは平均25得点7リバウンド10アシスト7スティールという成績を残してネイスミス賞やUSAトゥデイ紙、パレード誌選出の年間最優秀選手、マクドナルド・オール・アメリカンなど、数々の賞を受賞し、チームを州タイトル連覇に導いた。後に、マクドナルド・オール・アメリカンの偉大な35人に選ばれている。

カレッジバスケ界からも注目の的となったキッドは多くの名門大学からの勧誘を受け、あるいは高校卒業後は大学に進学にせず、そのままNBA入りするのではないかという話もあった。キッドはカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)への進学を選び、多くのカレッジバスケ関係者を困惑させた。当時のUCバークレーのバスケットボールチームはお世辞にも強豪とは言えず、キッドが入学する前年のシーズンは10勝18敗と負け越しており、パシフィック・テン・カンファレンス(Pac-10)タイトルは1960年に優勝したのを最後に長らく遠ざかっていた。キッドがUCバークレーを選択した理由は至極単純なもので、UCバークレーのキャンパスが自宅から近いからというものだった。

大きな注目を集めて始まったキッドの大学最初のシーズン(1992-93シーズン)、初戦のサクラメント州立大学を大差で勝利したUCバークレーは、シーズン序盤を4連勝と順調な滑り出しを見せるが、彼らの快進撃は長続きしなかった。コーチであるルウ・カンパネリの軍隊然とした厳しい指導方針に選手達が不満を持ち始め、不穏な空気が漂うチームは敗北を繰り返すようになった。シーズン中盤には選手達が反乱を起こし、2月にはカンパネリがコーチを解任され、元トラック運転手のトッド・ボズマンが代理コーチに就任したが、この反乱を主導したのは1年生のキッドだった。この反乱劇の後にUCバークレーは勢いを取り戻し、このシーズンは前年の10勝18敗を大きく上回る19勝8敗の成績を残し、NCAAトーナメント進出。UCバークレーバスケチームを復活させた新人キッドは平均13.0得点4.9リバウンド7.7アシスト3.8スティールを記録し、Pac-10の新人王とオールチームに選出される。新人にしてPac-10のオールチームに選ばれるのは史上5人目だった。また通算110スティールはNCAAの新人記録とUCB新記録となり、通算220アシストも同校の記録を更新した。キッドは全米から注目を集めるNCAAトーナメントでも活躍。1回戦のルイジアナ州立大学戦では64-64で迎えた試合残り数秒でキッドのレイアップが決まり、UCバークレーに劇的な勝利を呼び込むと、2回戦では当時トーナメント2連覇中だったグラント・ヒル擁するデューク大学を破るという波乱を巻き起こした。この年のUCバークレーはSweet16まで進出している。

2年目のシーズンを迎えるにあたってキッドはNCAAトーナメントのFinal4進出を目標に掲げ、10ポンドの増量と当時からキッドの課題だったアウトサイドシュートの向上に取り組んだ。しかしチーム内で故障者が続出したこともあって前年の勢いを維持することはできず、NCAAトーナメントでは1回戦敗退を喫している。個人としては課題の3Pシュート成功率を前年の28.6%から36.2%、フリースロー成功率を65.7%から69.2%まで上げることに成功。平均16.7得点6.9リバウンド9.1アシスト3.1スティールを記録して、再び通算アシスト数のUCバークレー記録を更新すると共に全米でも1位に輝き、UCバークレーにとっては1968年以来となるAP通信選出のオールアメリカ1stチーム、さらに2年生としては史上初となるPac-10の年間最優秀選手に選ばれている。2004年にはUCバークレーでキッドの背番号『5』が永久欠番となった。

NCAAトーナメントは期待外れの結果となったが、UCバークレーでの2年間はキッドがNBAでもすぐに通用することを証明していた。キッドは大学3年生には進学せず、1994年のNBAドラフトへアーリーエントリーすることを宣言。ドラフト当日、1位指名権を持つミルウォーキー・バックスはパデュー大学のスターフォワード、グレン・ロビンソンを指名。そして2位指名でキッドを指名したのがダラス・マーベリックス(以下マブス)だった。選手としては1年先輩のグラント・ヒルの方が洗練されていたが、それでもキッドを指名したマーベリックスは、キッドと9年5400万ドルの大型契約を結んだ。ナイキとも契約を結んだキッドは、プロの世界を目前にして充実した夏を過ごしているかに見えたが、実はドラフトの前に起こした当て逃げとスピード違反で逮捕されており、2年の執行猶予付きで1,000ドルの罰金と100時間の地域奉仕活動を科せられていた。また交際していた女性からは子供の認知訴訟を起こされ(後に自身の子供であることを認める)、さらにマブスと契約した3日後には愛車のシボレーを盗まれるという災難にも見舞われた。プロ入りを前にプレー以外の部分で騒動の絶えなかったキッドは改めてファンからの支持を集めるために、ダラスの地元の教会に体育フロアを建設するための資金を寄付し、30枚のシーズンチケットを購入して恵まれない子供たちをマブスの試合に招待した。

多くの人々はキッドが沈み行く船に乗り込もうとしているように思えた。キッドが入団する2年前の1992-93シーズンにはNBA史上ワースト2位となる11勝71敗を記録し、翌1993-94シーズンも13勝69敗に沈んだマブスはリーグ最弱と言っても過言ではないチームだった。しかし1994年のオフ、マブスは1980年代に一時隆盛を誇った時代のマブスを指揮したディック・モッタをヘッドコーチに招聘、さらに薬物問題で3年間NBAを離れていた元マブスのロイ・タープリーを獲得し、手薄のインサイドを補強した。2年連続勝率1割台を記録し、低迷を極めたマブスだったが、1992年のNBAドラフト4位で指名したシューティングガードのジミー・ジャクソンに1993年のNBAドラフト4位で指名したスモールフォワードのジャマール・マッシュバーンと、優秀な若手は揃いつつあった。そして揃い始めた駒を上手く活かすためのポイントガードとして選ばれたのが、キッドだった。キッドはその期待に応え、21歳の新人に率いられた新生マブスは1994-95シーズン最初の16試合を9勝7敗と勝ち越し、その間、キッドが演出するファーストブレークの恩恵を受けたマッシュバーンとジャクソンはそれぞれ1試合50得点を記録。シーズンの前半終了を待たずして前年の13勝を上回る勝ち星を積み重ねる。シーズン終盤にはジャクソンが故障で戦線を離脱するも、キッドはその間平均15得点8アシスト以上の成績でチームを牽引し、シーズン最後の3週間では4回のトリプル・ダブルを達成している。キッドのルーキーイヤーの最終的な成績は平均11.7得点5.4リバウンド7.7アシスト1.9スティール。平均アシスト・スティールではリーグTop10入りを果たしている。キッドという若くも優秀な司令塔を得て前年の1試合平均100.4得点から107.6得点(平均失点は殆ど変わらず)と大幅な伸びを見せたマブスは、前年の倍以上の勝ち星となる36勝46敗の成績を残し、躍進の中心に居たキッドはデトロイト・ピストンズのグラント・ヒルと共に新人王を受賞。NBAプレーオフには届かなかったものの共に平均20得点以上を記録したジャマール・マッシュバーンにジム・ジャクソン、そして新人王ジェイソン・キッドのトリオ、The 3 J'sはマブスと共にその将来を期待される若手ユニットとなった。

マブスファンの多くは1995-96シーズンのプレーオフ進出について楽観的だった。しかし、開いてみればこのシーズンのマブスは災難だらけだった。まず開幕を待たずしてロイ・タープリーが薬物違反で永久追放され、さらにセンターのドナルド・ホッジはマリファナ所持で逮捕された。シーズン開幕は4連勝を飾ったものの、18試合目にはマッシュバーンが左膝の故障に見舞われ、以後の試合を全休させられる事態に追い込まれ、重要な得点源を失ったマブスは敗北を重ねる。辛い現実はチーム内に不協和音を響かせ、2月のユタ・ジャズ戦のハーフタイムではジャクソンとスコット・ブルックスの間でチームメート同士の殴り合いが発生し、前半でジャズに20点差をつけていたマブスはその後逆転負けを喫している。この事件によってキッドのジャクソンへの不信感が高まり、キッドはシーズンが終了するまでの間、バックコートの相棒とほとんど口をきかなくなった。チームの不祥事が多発するなか、キッドは孤軍奮闘し、そんな彼の姿を地元ダラスのファンも支持した(フォートワース・スター・テレグラム社が集計したダラス市民が支持するスポーツ選手において、キッドはダラス・カウボーイズのトロイ・エイクマンに次ぐ2位だった)。NBAオールスターゲームにはファン投票によって選ばれ、マブス史上初のオールスター先発選手となり、試合ではゲームハイの10アシストを記録。シーズンの個人成績は平均16.6得点6.8リバウンド9.7アシスト2.2スティール、9.7アシストはリーグ2位、2.2スティールはリーグ4位、6.8リバウンドはガードの選手の中では1位の好記録であり、さらに史上6人目の通算700アシスト500リバウンド以上達成者となった(一方でターンオーバーは平均4.0回、通算328回でリーグワースト1位となり、またFG成功率は2年連続で40%を下回った)。しかしキッドの奮闘も甲斐なく、マブスは26勝56敗と前年の勝率を割り込んだ。

1995‐96シーズンの混乱はオフになっても尾を引き、オーナーのドナルド・カーターはチームの大部分を売却し、新オーナー陣はディック・モッタをコーチから解任。後任にジム・クレモンズが選ばれた。キッド自身はナイキが主催するツアーのために日本へ渡った際、マイケル・ジョーダンから「素晴らしい可能性を浪費している」と説教を受けている。

1996-97シーズン、新しいヘッドコーチは戦術にトライアングル・オフェンスを導入しようとしたが、選手がこれに反発し、特にキッドは公の場でクレモンズの方針を痛烈に批判した。怪我から復帰したマッシュバーンは本来の動きを取り戻せず、新戦術がもたらした混乱と得点源不足によりマブスはシーズン序盤から敗北を重ねた。この頃にはキッドとジャクソンの関係は危険水域に達していた。2人の間には人気歌手トニー・ブラクストンを巡った三角関係もあったとされ、キッドが公の場で「マブスは私かジャクソンを選ばなければならなくなるかもしれない」と口走る場面もあった。マブスももはやキッドとジャクソン、キッドとクレモンズの共存は不可能であると悟り、トレードに向けて動き始めた。そしてクリスマスの翌日、マブスとフェニックス・サンズとの間で大型トレードが交わされ、マブスからはキッド他2名、サンズからはマイケル・フィンリー、サム・キャセール、A.C.グリーンが出される事になった。その後の2月14日にはキッドとジャクソンの対立ではキッド側に味方したマッシュバーンもトレードで放出され、ここに3J'sは完全に解体された。

当時リーグを代表する強豪チームだったフェニックス・サンズは、1996-97シーズン開幕前にエースのチャールズ・バークレーが電撃移籍し、開幕13連敗を喫するなど不振だったが、キッドはアリゾナでの再出発を喜んで受け入れた。サンズでの最初の試合では20分の出場で9アシスト7リバウンドを記録したが、鎖骨骨折に見舞われたキッドはこの試合の後約1ヶ月半を欠場している。バレンタインデーのロサンゼルス・クリッパーズ戦で復帰したキッドは、大学の先輩でもあるケビン・ジョンソンと強力なバックコートを組み、2人の平均アシスト数は共にリーグTop5入りを果たした。またキッドは3月のゴールデンステート・ウォリアーズ戦では8本の3Pシュートを決めている。様々な雑音から個人成績は平均10.9得点9.0アシスト4.5リバウンド2.3スティールと前年を下回ったが、サンズはキッド獲得効果でシーズン終盤に11連勝を飾って一気に巻き返しを演じ、最終的には40勝42敗の成績を記録し、プレーオフに滑り込みで出場を果たした。キッドが待ち焦がれたプレーオフ初戦の相手は少年時代から知るゲイリー・ペイトン率いるシアトル・スーパーソニックスだったが、2勝3敗で敗れた。オフには1年間交際したテレビリポーターと結婚している。

初のプレーオフに結婚と公私ともに順調な時期を過ごしたキッドは、1997-98シーズンには本格的にサンズを操り始めた。サンズにはセドリックス・セバロスにクリフォード・ロビンソン、レックス・チャンプマンといったベテランのスコアラーが揃っていたが、彼らはキッドが繰り出すファーストブレークに対応できる優れた身体能力も備えていた。さらにサンズはシーズン前に若手のアントニオ・マクダイスを獲得したことで、ロスターはさらに充実した(控えにはNBA2年目のスティーブ・ナッシュの姿もある)。キッドは敵のゴールに襲い掛かる彼らに均等にパスを送り、チームのリーディングスコアラーは毎晩のように入れ替わった。シーズン終盤には10連勝を飾り、56勝26敗を記録したサンズはプレーオフ1回戦でサンアントニオ・スパーズと対戦したが、デビッド・ロビンソンと新人ティム・ダンカンのツインタワーの前に1勝3敗で屈した。キッド個人は平均11.6得点6.2リバウンド9.1アシスト2.0スティールの成績を残し、アシストランキングではリーグ2位に入った。

キッドはオフに長年の課題のジャンプシュートを改善するべく練習を重ねたが、このオフはロックアウトという思わぬ事態で長引くことになった。遅れに遅れた1998-99シーズンの開幕は2月となり、シーズンは通常の82試合から50試合に短縮された。キッドはオフの特訓が実り、FG成功率は44.4%と改善が見られた。また平均16.9得点6.8リバウンド10.8アシスト2.3スティールを記録したキッドは、初のアシスト王にも輝き、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームにも選ばれ、名実共にリーグのトップポイントガードの地位に上り詰めた。しかしチームは故障者が多かったこともあり27勝23敗と前年よりも勝率を落とすと、プレーオフではポートランド・トレイルブレイザーズの前に3戦全敗を喫し、3年連続でプレーオフ1回戦負けを喫したキッドは非難の矢面に立たされた。同時期に父親の死も重なったため、キッドにとっては辛い時期となったが、オフに開催されたバスケットボールアメリカ選手権での活躍は、彼の評価を上昇させた。

サンズは1999-2000シーズンを前にアンファニー・ハーダウェイとオリバー・ミラーを獲得。キッドとハーダウェイのデュオは大きな注目を集めたが、ハーダウェイは怪我がちで全盛期のプレーは再現できなかった。また20試合を消化した時点でダニー・エインジが突然ヘッドコーチを辞任。後任には当時まだ36歳のスコット・スカイルズが選ばれた。キッドは平均14.3得点7.2リバウンド10.1アシスト2.3スティールを記録し、2年連続のアシスト王、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに選ばれた。しかしキッドはシーズン終盤の3月に右足の骨折で戦線離脱。チームの司令塔を失ったサンズは一気に失速するかに思われたが、ショーン・マリオンの成長とケビン・ジョンソンの電撃復帰、スカイルズの手腕によりキッド離脱後も大きく成績を崩すことはなく、サンズは53勝29敗の成績でレギュラーシーズンを終えた。サンズファンにとってプレーオフの関心事はキッドが復帰するかどうかだったが、サンズは意外にもキッド抜きで前年のチャンピオンチーム、サンアントニオ・スパーズ相手に2勝をあげた。キッドは第4戦にて10アシストと金髪の頭を手土産に復活。スパーズを破り、キッドは念願のプレーオフ1回戦突破を果たした。しかしカンファレンス準決勝ではシャキール・オニールとコービー・ブライアントを擁し、黄金期を迎えようとしていたロサンゼルス・レイカーズの前に1勝4敗で屈する。キッドは第4戦で22得点10リバウンド16アシストと自身初のプレーオフでのトリプル・ダブルを達成し、シリーズ唯一の1勝に貢献した。オフにはアメリカ代表として2000年シドニーオリンピックに出場し、金メダルを獲得している。

2000-01シーズン序盤、サンズは7連勝を飾るなど順調な滑り出しを見せているかのように思えた。しかしチーム内では複数の選手にプライベイトでの問題が噴出。アンファニー・ハーダウェイは女性を殴ったとして訴訟を起こされ、クリフォード・ロビンソンは飲酒運転で逮捕された。しかし最大の事件は2001年1月にキッドが妻に対するドメスティックバイオレンスで逮捕されたことであり、このニュースは全米に向けて報じられ、保釈後のキッドは様々な批判に晒された。この問題でキッドは数日間チームを離れる事になったが、復帰後は事件の影響をコートには持ち込まずに精力的にプレーした。チームはキッドの得点力を活かすためにより多くの得点機会をキッドに与え、キッドはシーズン後半には43得点を記録するなど、高得点の試合を連発した。最終的には平均16.9得点6.4リバウンド9.8アシスト2.2スティールの成績で3年連続のアシスト王、オールNBA、オールディフェンシブ、両1stチームに輝いている。3年連続のアシスト王はボブ・クージー、オスカー・ロバートソン、ジョン・ストックトンに続く史上4人目だった。プレーオフは1回戦でサクラメント・キングスに1勝3敗で敗れた。

キッドは暴行事件の後に6ヶ月の心理カウンセリングを受け、アルコールを断ち、妻とも和解するなど社会的人格の回復に努めていたが、サンズは騒動により損なわれたチームのイメージ回復を優先し、キッドの放出を決定。6月にニュージャージー・ネッツと交渉しキッドとステフォン・マーブリーとの交換トレードを成立させた。

当時のニュージャージー・ネッツは誰の目から見てもリーダー不在のフランチャイズであり、過去7年間でプレーオフ進出は1回のみ、2000-01シーズンも26勝56敗と大きく負け越した典型的なドアマットチームだった。そのネッツがたった一人、キッドを迎え入れただけでプレーオフ、さらにNBAファイナルまで進出したことは、当時のNBAファンを大いに驚かせた。

近年のネッツの不振は故障者が続出した影響もあったが、シューティングガードのケリー・キトルズやパワーフォワードのケニオン・マーティン、エース格のキース・ヴァン・ホーンらは怪我から立ち直りつつあった。また新人たちの中にはリチャード・ジェファーソンやジェイソン・コリンズの姿もあった。2年目の若手ヘッドコーチ、バイロン・スコットはキッドという正真正銘のリーダーがチームを牽引してくれると確信し、そしてキッドはスコットの要請で開幕前にチームメートの前で演説し、迎える2001-02シーズンを「特別なシーズンとなる可能性がある」と述べた。キッドは開幕戦のインディアナ・ペイサーズ戦で自らの言葉を実証するようなプレーを見せた。第4Qに入った時点で11点のビハインドを背負っていたキッドは、14得点10リバウンド9アシスト4スティールの活躍でチームに逆転勝利を呼び込んでいる。緒戦の勝利に勢いに乗ったネッツは最初の8試合を7勝をあげ、アトランティック・デビジョンの首位を確保することになった。ネッツ躍進の秘密はディフェンスの大幅な改善にあった。前年平均失点でリーグ22位と下位に沈んでいてたネッツのディフェンス力は、リーグ指折りのディフェンダーでもあるキッドの加入で平均失点はリーグ5位まで改善された。さらにディフェンスの強化はオフェンスにも好影響を及ぼした。強固なディフェンスによってボールの保持権を奪えば、それはそのままキッドが得意とするファーストブレークを繰り出すチャンスとなったからである。刺激的なトランジション・ゲームを展開したネッツの平均得点は、前年のリーグ22位から13位まで上昇。攻守両面の改善という困難な作業を成功させたネッツはシーズンを通して好調を維持し、前年の26勝の倍となる52勝をあげて前年のカンファレンス12位から一気に1位まで駆け上がった。キッドはMVP獲得も有力視されていたが、個人成績は決して派手なものではなかったため(キッドの成績は平均14.7得点7.3リバウンド9.9アシスト2.2スティールで4年ぶりにアシスト王の座を明け渡している)、MVP投票はティム・ダンカンに次ぐ2位に終わった。

プレーオフに入ってもネッツの勢いは止まらなかった。1回戦でレジー・ミラー率いるインディアナ・ペイサーズと対戦。初戦を落とし、その後1勝2敗とペイサーズに先にシリーズを王手を掛けられるも、天王山の第5戦ではキッドの31得点の活躍でネッツがペイサーズを降し、1983-84シーズン以来の1回戦突破を果たした。カンファレンス準決勝ではバロン・デイビス擁するシャーロット・ホーネッツと対戦。第3戦ではルーズボールの争いでキッドとホーネッツのデビッド・ウェズリーが接触し、キッドの瞼が裂けるという災難に見舞われるも、ネッツは4勝1敗でホーネッツを一蹴し、NBA加盟以来初となるカンファレンス決勝進出を果たした。ファイナルの前に立ちはだかったのがポール・ピアスとアントワン・ウォーカー擁するボストン・セルティックスだったが、キッドはこのシリーズで3回のトリプル・ダブルを達成し(1つのシリーズで3回以上のトリプル・ダブルを達成するのは1960年代以来の快挙だった)、4勝2敗でこのシリーズを制したネッツがついにファイナル進出を果たした。ファイナルでは当時ファイナル2連覇中だったロサンゼルス・レイカーズと対戦。怪物センター、シャキール・オニールを止める術を最後まで見出せなかったネッツは4戦全敗を喫したが、このシーズンのネッツのセンセーションはキッドの実力を周囲に改めて知らしめた。

レイカーズをはじめとする西の強豪チームを相手にするには、ネッツはインサイドが非力過ぎた。優勝を目指すネッツは2002-03シーズン前にヴァン・ホーンらを放出して過去4度NBA最優秀守備選手賞に輝いたディケンベ・ムトンボを獲得するが、ムトンボは怪我で満足のいくプレーができず、この補強は失敗に終わった。一方で2年目のリチャード・ジェファーソンが成長を見せ、キッド、ケニオン・マーティンらと共にチームの中核を占めるようになった。ネッツは50勝には及ばなかったものの49勝33敗の成績でカンファレンス2位の座を堅守。キッドはキャリアハイ、チームハイとなる平均18.9得点、2年ぶりにアシスト王の座を奪回する平均8.9アシスト、その他平均6.3リバウンド2.2スティールをあげた。メディアの多くはニュージャージーの熱狂はこの年も続かないものとを思っており、プレーオフではネッツが1回戦を突破することすら疑問視していた。1回戦の相手はゲイリー・ペイトンとサム・キャセール擁するミルウォーキー・バックスだったが、キッドは3勝2敗で迎えた第6戦で22得点11リバウンド11アシストを記録してバックスを降し、周囲の否定的な予想を覆してみせると、カンファレス準決勝のセルティックス戦、カンファレンス決勝のデトロイト・ピストンズ戦をいずれも4戦全勝で制するという圧倒的な強さで、2年連続のファイナル進出を果たした。とは言えニューヨーク周辺のメディアは相変わらずネガティブな報道を繰り返し、ネッツはファイナルでサンアントニオ・スパーズの前に、前年と同じように惨敗を喫するだろうと予想された。スパーズはインサイドにはリーグを代表するビッグマンのティム・ダンカンがおり、バックコートにはトニー・パーカー、マヌ・ジノビリが揃うという充実した陣容を誇っていた。サンアントニオで行われた第1戦ではメディアの予想通り、ネッツの貧弱なインサイド陣がダンカンによって一蹴され、89-101で敗北するが、第2戦ではキッドの30得点の活躍でスパーズのホームコートアドバンテージを無効にする87-85の勝利をあげ、第4戦でも勝利するなどネッツは周囲の予想以上の善戦を見せたが、第6戦で力尽き、2勝4敗で2年連続ファイナル敗退に終わった。

このオフにFAとなったキッドのもとに、キッドの優勝の夢を砕いたばかりのスパーズからオファーが舞い込む。是非とも優勝したいキッドにとってこのオファーは大変に魅力的だったが、それでもキッドはネッツでの優勝を望み、ネッツと6年9900万ドルの大型契約を結んだ。ネッツはキッドを満足させるために腎臓疾患から奇跡の復活を果たしたアロンゾ・モーニングを獲得したが、彼もまたムトンボ同様にネッツに戦力を供給することはできず、12試合のみの出場にとどまっている。有力なビッグマン不在とキッドとバイロン・スコットHCの不和によりチームは安定性を欠き、シーズン前半は22勝20敗と勝率5割を僅かに上回っただけだった。しかしスコットがコーチを解任され、後任にローレンス・フランクが就任するとネッツは14連勝を飾る。連勝期間中キッドは2回のトリプル・ダブルを記録するなど活躍したが、3月には膝の故障で戦線離脱を強いられ、大黒柱の不在でネッツも勝率が伸び悩み、最終的には47勝35敗の成績に終わった。プレーオフでは1回戦でニューヨーク・ニックスを4戦全勝で破るが、カンファレンス準決勝のピストンズ戦では、膝の故障から回復しきってないキッドがシュートタッチに苦しみ、ネッツはロード2連戦を連敗する。ホームで迎えた第3戦ではネッツが勝利し、第4戦ではキッドが22得点10リバウンド11アシストと活躍、シリーズは3勝3敗のタイで第7戦を迎えた。しかしこの大一番でキッドは再びシュートスランプに陥り、8本のフィールドゴール全てを外し、0得点に終わった。大黒柱の大不振によってネッツは69-90と大敗し、3年連続のファイナル進出はならなかった。

オフ、キッドと相性の良かったケニオン・マーティンがチームを去ったことはキッドに大きなショックを与えた。キッド自身はプレーオフでの大不振の原因となった膝を完治させるために手術を決断し、2004-05シーズンの開幕に遅れることが決まった。キッドが受けたマイクロフラクチャー手術は過去にアンファニー・ハーダウェイなど多くの選手のキャリアを奪った危険度の高い手術として知られるが、キッドは無事復帰した(12月6日のトロント・ラプターズ戦で復帰)。キッドの不在中4勝11敗と大きく負け越していたネッツは、キッド復帰後少しずつ勝ち星を増やしていき、マーティンの放出で弱体化したインサイドでは新人のネナド・クリスティッチが踏ん張りを見せるなど、シーズン序盤を大きく出遅れたネッツにも明るい兆しが見え始めた。そして12月17日、ネッツはトロント・ラプターズからトレードによってヴィンス・カーターを獲得することに成功。リーグ最高峰のパサーであるキッドとリーグ最高峰のスラムダンカーであるカーターのデュオは大きな注目を集め、そしてジェイソン・キッドとヴィンス・カーター、リチャード・ジェファーソンのトリオはビッグスリーと称された。しかし1月に入ると今度はジェファーソンが手首の負傷により長期離脱を強いられ、このトリオがこのシーズン中に十分機能することはなかった。戦力不足によってネッツのプレーオフ進出に黄信号が点り始めたが、シーズン終盤にはキッドとカーターの活躍でネッツは驚異的な巻き返しを演じ、42勝40敗の成績で辛うじてプレーオフに進出した。プレーオフでは1回戦でマイアミ・ヒートの前に敗れている。

2005-06シーズンは開幕からキッド、カーター、ジェファーソンのビッグスリーが揃い、シーズン終盤にはチーム記録となる14連勝をマークし、勝率も2年連続でファイナルに出場した頃の水準に戻すが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルで再びヒートに敗れた。2006-07シーズンのキッドはクリスティッチとジェファーソンが故障により相次いで戦線離脱し、自身は離婚問題を抱えるなど、公私に渡って厳しい状況に置かれたが、平均13.0得点9.2アシスト、リバウンドでは平均8.2本とビッグマン並みの好成績を残し、3年ぶりにオールスターにも復帰した(怪我でゲームには不参加)。2人の得点源を欠いたチームは苦戦を強いられ、41勝41敗とキッド移籍以来の最低勝率に終わったものの、プレーオフには6シーズン連続の出場を果たした。プレーオフはカンファレンス準決勝でクリーブランド・キャバリアーズに敗退したが、キッドはプレイオフ期間中14.6得点10.9リバウンド10.9アシストのトリプルダブルのアベレージでチームを牽引した。

翌2007-2008シーズン、キッドは現役タイ記録となる3試合連続トリプルダブルを叩き出すなど、個人としては好調のシーズンを送っていたが、一方でチーム成績は低迷し、負け越しの状態が続いた。チームの不振と自身の契約に不満を持ったキッドはチームに対し強くトレードを要求するようになり、そして先発出場を果たしたオールスター明けに、ダラス・マーベリックスとの間で8選手が絡む大型トレード(ネッツ側からはキッド、マリック・アレン、アントワン・ライト。マーベリックス側からはデビン・ハリス、キース・ヴァン・ホーン、トレントン・ハッセル、サガナ・ジョップ、モーリス・エイガー及び将来の1巡目指名権2つ、現金300万ドル)が成立。キッドは7シーズン過ごしたネッツを去り、若手時代に過ごした古巣のマーベリックスに復帰することになった。

キッドが離れていた約11年の間にマーベリックスはリーグトップクラスの強豪チームとなっていたが、あと一歩のところで優勝には届かず、キッド獲得は優勝のための最後の手段でもあった。キッドの経験とリーダーシップがマブスに足りなかった最後のピースを埋めると期待されたが、しかしセットオフェンスと1on1を多用するマブスのオフェンスの中でキッドは上手く機能せず、マブスはむしろ失速してしまった。プレーオフでは若手PGのクリス・ポール率いるニューオーリンズ・ホーネッツの前に完敗してしまい、翌2008-09シーズンも成績は思うように上がらず、プレーオフではチャンシー・ビラップス擁するデンバー・ナゲッツの前に、またもや完敗を喫した。2009年のオフにFAとなったキッドは、3年2500万ドルでマブスと再契約した。

2010-2011シーズンにマブスは二度目、キッドは三度目のファイナル進出をする。ファイナルでは4勝2敗でヒートを退け、自身初となるチャンピオンリングを手に入れた。

2012年7月5日、ニューヨーク・ニックスと3年契約で合意した。

2013年6月3日、現役を引退

2018年3月31日、バスケットボール殿堂入りが発表された。

2013年6月12日、ブルックリン・ネッツのヘッドコーチに就任。指導者としての道を歩むこととなった。2013年10月17日に背番号5はネッツの永久欠番となった。しかしフロント陣と補強面や采配面などを巡って対立、チームは44勝38敗の成績でプレーオフに導いたものの、カンファレンス準決勝でマイアミ・ヒートの前に1勝4敗で屈した。そしてシーズンオフにキッドはフロントにもっと高い役職を要求するもフロント陣は拒否し、キッドに他チームとの交渉権を与えた。

ブルックリン・ネッツから他チームとの交渉権を与えられたキッドは、以前から親交が深かったニューヨークの資産家ウェズリー・エデンスとマーク・ラスリーが共同オーナーに就任したミルウォーキー・バックスと交渉し、2014年7月1日、晴れてバックスのヘッドコーチに就任することになった。その際に15勝67敗というリーグワーストの成績を記録した前ヘッドコーチのラリー・ドリューが自動的に解任となったのだが、新オーナー陣は一旦ドリューにコーチ続投を告げていたにもかかわらず、チーム関係者らに何の相談もせずにキッドを新ヘッドコーチに据えたとたんに一方的にドリューを解任したこともあり、新オーナー陣とキッドは、「ドリューに対する敬意を欠いている」と、いきなり非難を浴びる羽目になってしまった。またキッドの権利をバックスが譲受する際に、2015年と2019年のドラフトニ巡目の指名権をネッツに譲渡するというドタバタぶりであった。

そんなすったもんだの末に "移籍" したキッドだったが、1年目のシーズンは、前シーズン15勝67敗に終わったバックスを見事に立て直し、2009-10シーズン以来の40勝を記録し、プレーオフに導いた。2015-16シーズンは34勝48敗に終わったが、2016-17シーズンはヤニス・アデトクンボを軸としたオフェンスが効を奏し、2009-10シーズン以来のシーズン5割以上に導いた。

2018年1月22日、バックスからヘッドコーチの職を解任された。キッドはバックスでの3年半でチームを2度プレーオフに導いており、今季も22日時点でプレーオフ圏内のカンファレンス8位につけていた。またチームのエースであるアデトクンボはキッドの解任に反対し、留任を試みようとしたと報じられた。

2021年6月28日、マブスのHCに就任したことが発表された。

キッドが初めてアメリカ代表に参加したのは彼がカリフォルニア大学バークレー校で最初のシーズンを終えた時であり、彼はチーム唯一の大学1年生だった。代表チームはヨーロッパ遠征をし、3勝2敗の戦績を残している。キッド自身は8.4得点4.2リバウンド4.0アシストの成績を記録した。

キッドが次にアメリカ代表に参加したのは1999年のオリンピック予選(バスケットボールアメリカ選手権)で、キッドは7.4得点4.4リバウンド6.8アシスト2.7スティールを記録し、代表チームの優勝に大きく貢献した。チームキャプテンの一人として臨んだ本番の2000年シドニーオリンピックでは、6.0得点5.3リバウンド4.4アシスト、3P成功率は50.0%を記録し、見事に金メダルを獲得した。キッドは2002年のバスケットボール世界選手権の代表にも選ばれたが、怪我のため出場を辞退した。2003年のオリンピック予選には無事出場したが、2004年のアテネオリンピックは再び怪我で代表を辞退せざるを得なかった。この時、アメリカ代表はオリンピックにNBA選手を送り出して以来、初めて金メダルを逃している。

以後、暫く代表には参加していなかったキッドだったが、2007年のオリンピック予選では代表入りの意思を示した。アテネで金メダルを逃したアメリカ代表は以後若手選手中心のチーム構成で戦ってきたが、2006年の世界選手権でも満足のいく結果は得られず、ベテランのキッドの代表入りは歓迎すべきことだった。キッドはオリンピック予選、本番の北京オリンピックで殆どの試合で先発出場し、期待されたリーダーシップも存分に発揮して金メダル奪回に貢献した。

キッドはエキシビジョンゲームも含めてプロ入り以降に出場した国際試合全56試合で無敗という成績を誇っている。

優秀なポイントガードならば、得点、アシストともに毎試合二桁を狙えるが、キッドの場合は加えてリバウンドでもしばしば2桁を記録し、ミスター・トリプルダブルと呼ばれた。通算の達成回数はオスカー・ロバートソン、ラッセル・ウェストブルック、マジック・ジョンソンに次いで歴代4位である。2007年のプレイオフ、ラプターズ戦では自身プレイオフ2回目のトリプルダブルを達成、ウィルト・チェンバレン、マジック・ジョンソンに次いで史上3人目のプレイオフでのトリプルダブル複数回達成者となり、プレイオフでの通算達成回数はマジック・ジョンソンに次ぐ2位となった。ちなみにトリプルダブル達成のチャンスを逃す選手の多くはリバウンド数やアシスト数が足りないが、キッドの場合は得点が足りないことが多い珍しいタイプである。

キッドは3人兄弟の長男で、サンフランシスコで黒人の父と白人の母の間に生まれた。現在は自身も3人の子供たちの父親である。

NBAではフリースローは放つ際に独自のルーチンを行う選手が多いが、キッドのそれはとりわけ奇抜であり、リングに向けて投げキッスをするというものである。これは前述の暴行事件の後から始められ、妻へ向けられているとされた。事件後2人は和解し、関係も良好と伝えられていたが6年後に離婚。それ以後もこのルーチンはしばらく続けられていたが、徐々に動作が大人しくなり、ついには全くやらなくなった。

新人王: 1995年

NBAオールルーキーチーム 1stチーム: 1995

5×アシスト王: 1999(10.8), 2000(10.1), 2001(9.8), 2003(8.9), 2004(9.2)

オールNBAチーム

    5×1stチーム: 1999, 2000, 2001, 2002, 2004

    2ndチーム: 2003

    NBAオールディフェンシブチーム

      4×1stチーム: 1999, 2001, 2002, 2006

      5×2ndチーム: 2000, 2003, 2004, 2005, 2007

      1試合最多得点:43得点 (vs ヒューストン・ロケッツ 2001年3月29日)

      1試合最多アシスト:25個 (vs ユタ・ジャズ 1996年2月8日)

      1試合最多リバウンド:19本

      1試合最多スティール:6本

      1試合最多ブロック:4本 (vs ユタ・ジャズ 1998年4月17日)

      NBA歴代通算トリプルダブル達成回数:3位

      NBA歴代通算アシスト数:2位

      NBA歴代通算スティール数:4位

      ^ 新人の頃、「J」(ジャンプシュート)がないという理由で、「ason」(エイソン)と呼ばれていた。

      ^ グラント・ヒルと同時受賞

      ^ “In My Mind - Rajon Rondo SLAM Magazine Feature” (英語). Slam Magazine (2016年10月25日). 2022年2月19日閲覧。

      ^ “10 Sneaker Endorsement Switches that Made The Biggest Impact” (英語). Complex.com (2012年10月10日). 2022年2月19日閲覧。

      ^ “Jason Kidd”. basketball-reference.com. 2015年7月6日閲覧。

      ^ “Jason Kidd's triple-double helps Mavs roll 76ers”. (March 1, 2011). http://proxy.espn.go.com/nba/recap?gameId=310301020 March 1, 2011閲覧。 

      ^ “Nets control boards this time around, take Game 3 from Cavs”. ESPN (May 12, 2007). July 12, 2007閲覧。

      ^ “All-time assists great Kidd retiring after 19 seasons”. NBA.com. 7 June 2014閲覧。

      ^ 中山恵『スーパスターに学ぶバスケットボール』株式会社ナツメ社、2003年、82ページ、ISBN 4-8163-3437-8

      ^ “Wilkins Honored as One of 35 Greatest McDonald's All Americans”. NBA (2012年1月31日). 2012年2月9日閲覧。

      ^ “Steve Nash, Jason Kidd, Grant Hill, Maurice Cheeks lead 2018 Naismith Hall of Fame class” (英語). NBA.com (2018年3月31日). 2018年4月1日閲覧。

      ^ “バックスがジェイソン・キッドHCを解任”. NBA.com (2018年1月23日). 2018年1月23日閲覧。

      ^ “リポート:解任されたジェイソン・キッドHCの留任を志願していたヤニス・アデトクンボ”. NBA.com (2018年1月23日). 2018年1月23日閲覧。

      ^ “キッドがマブスの新HCとして正式に就任「勝利のレガシーを築いていく」”. バスケットボールキング (2021年6月29日). 2021年6月29日閲覧。

      ジェイソン・キッド公式サイト (英語)

      選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、ESPN、Eurobasket、RealGM、Yahoo

      HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、ESPN、Eurobasket、RealGM

      0 エクザム

      00 ウィリアムズ (TW)

      1 ハーディー

      2 ライブリー

      3 フッジ (TW)

      5 グライムズ

      7 パウエル

      9 ローソン

      11 アービング

      13 マーシャル

      18 プロスパー

      20エドワーズ (TW)

      21 ギャフォード

      25 ワシントン

      26 ディンウィディー

      31 トンプソン

      33 シャープ

      42 クレバー

      77 ドンチッチ

      88 モリス

      - ミラー

      ヘッドコーチ: キッド

      アシスタントコーチ: アームストロング

      ダドリー

      ブロマー

      ヒューズ

      シャムゴッド

      ニューヨーク・ネッツ マックス・ザスロフスキー(Max Zaslofsky)1967-1969 --- ヨーク・レアーズ(英語版)1969-1970 --- ルー・カーネセッカ(英語版)1970-1973 ニュージャージー・ネッツ --- ケビン・ローアリー(Kevin Loughery)1973-1980 --- ボブ・マッキノン(英語版) 暫定1980-1981 --- ラリー・ブラウン(Larry Brown)1981-1983 --- ビル・ブレア(英語版)暫定1983 --- スタン・アルベック(Stan Albeck)1983-1985 --- デーブ・ホール(英語版)1985-1987 --- ボブ・マッキノン(英語版)1987-1988 --- ウィリス・リード(Willis Reed)1988-1989 --- ビル・フィッチ(Bill Fitch)1989-1992 --- チャック・デイリー(:Chuck Daly)1992-1994 --- ブッチ・ベアード(Butch Beard)1994-1996 --- ジョン・カリパリ(John Calipari)1996-1999 --- ドン・ケイシー(英語版)1999-2000 --- バイロン・スコット(Byron Scott)2000-2004 --- ローレンス・フランク(Lawrence Frank)2004-2009 --- トム・バリセル(英語版) #2009 --- キキ・ヴァンダウェイ(Kiki Vandeweghe) 暫定 2009-2010 --- エイブリー・ジョンソン(Avery Johnson)2010-2011 ブルックリン・ネッツ--- エイブリー・ジョンソン(Avery Johnson)2011-2012--- P・J・カーリシモ(P. J. Carlesimo) 暫定2012-2013 --- ジェイソン・キッド(Jason Kidd)2013-2014 --- ライオネル・ホリンズ(Lionel Hollins)2014-2016 --- トニー・ブラウン(Tony Brown)暫定2016 --- ケニー・アトキンソン(Kenny Atkinson)2016–2020 --- ジャック・ヴォーン(Jacque Vaughn)暫定2020 --- スティーブ・ナッシュSteve Nash2020-2022 --- ジャック・ヴォーン (Jacque Vaughn)2022-2024 --- ケビン・オリー (Kevin Ollie)暫定2024-

      ラリー・コステロ (Larry Costello)1968-77 -- ドン・ネルソン (Don Nelson)1976-77/1986-87 -- デル・ハリス (Del Harris)1987-88/1991-92 -- フランク・ハンブレン (Frank Hamblen)1991-92 -- マイク・ダンリービー (Mike Dunleavy)1992-96 -- クリス・フォード (Chris Ford)1996-98 -- ジョージ・カール (George Karl)1998-20003 -- テリー・ポーター (Terry Porter)2003-05 -- テリー・ストッツ (Terry Stotts)2005-07 -- ラリー・クリスコービアック (Larry Krystkowiak)2007-2008 -- スコット・スカイルズ (Scott Skiles)2008-2013 -- ジム・ボイラン(Jim Boylan)2013 -- ラリー・ドリュー(Larry Drew)2013-2014 -- ジェイソン・キッド(Jason Kidd)2014-2018 -- ジョー・プランティ(Joe Prunty)2018 -- マイク・ブーデンホルツァー(Mike Budenholzer)2018-2023 -- エイドリアン・グリフィン(Adrian Griffin)2023-2024 -- ジョー・プランティ(Joe Prunty)2024 -- ドック・リバース(Doc Rivers)2024-

      ディック・モッタ (Dick Motta)1980-1987 -- ジョン・マクリード (John MacLeod)1987-1990 -- リッチー・アデュベイト (Richie Adubato)1989-1993 -- ガー・ハード (Gar Heard)1992-1993 -- クイン・バックナー (Quinn Buckner)1993-1994 -- ディック・モッタ (Dick Motta)1996-1998 -- ジム・クリーモンズ (Jim Cleamons)1996-1998 -- ドン・ネルソン (Don Nelson)1997-2005 -- エイブリー・ジョンソン (Avery Johnson)2005-2008 -- リック・カーライル (Rick Carlisle)2008--2021 -- ジェイソン・キッド(Jason Kidd)2021--

      1989: ジャクソン

      1990: アンダーソン

      1991: ロジャース

      1992: ウェバー

      1993: キッド

      1994: スミス

      1995–97: 授与無し

      1998: ヒューズ

      1999: リチャードソン

      2000: ガードナー

      2001: グリフィン

      2002: フォード

      2003: アンソニー

      2004: デン

      2005: ウィリアムズ

      2006: ハンズブロー

      2007: デュラント

      2008: ビーズリー

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      2010: ウォール

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      1989: エリオット

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      1994: キッド

      1995: オバノン & スタウダマイアー

      1996: アブドゥル=ラヒーム

      1997: グレイ

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      1999: テリー

      2000: ハウス

      2001: ランプリー

      2002: クランシー

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      2004: チルドレス

      2005: ディオグ

      2006: ロイ

      2007: アフラロ

      2008: ラブ

      2009: ハーデン

      2010: ランドル

      2011: ウィリアムズ

      2012: グティエレス

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      2014: ジョンソン

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      2017: ブルックス

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      2020: プリチャード

      2021: モーブリー

      2022: マサリン

      2023: ハケス

      2024: ラブ

      1952-53 ドン・マイネケ(DET)

      1953-54 レイ・フェリックス(WAS)

      1954-55 ボブ・ペティット(ATL)

      1955-56 モーリス・ストークス(SAC)

      1956-57 トム・ヘインソーン(BOS)

      1957-58 ウッディ・ソウルズベリー(GSW)

      1958-59 エルジン・ベイラー(LAL)

      1959-60 ウィルト・チェンバレン(GSW②)

      1960-61 オスカー・ロバートソン(SAC②)

      1961-62 ウォルト・ベラミー(LAL②)

      1962-63 テリー・ディッシンガー(WAS②)

      1963-64 ジェリー・ルーカス(SAC③)

      1964-65 ウィリス・リード(NYK)

      1965-66 リック・バリー(GSW③)

      1966-67 デイブ・ビン(DET②)

      1967-68 アール・モンロー(WAS③)

      1968-69 ウェス・アンセルド(WAS④)

      1969-70 ルー・アルシンダー(MIL)

      1970-71 デイブ・コーウェンス(BOS②)&ジェフ・ペトリー(POR)

      1971-72 シドニー・ウィックス(POR②)

      1972-73 ボブ・マカドゥー(LAC)

      1973-74 アーニー・ディグレゴリオ(LAC②)

      1974-75 ジャマール・ウィルクス(GSW④)

      1975-76 アルヴァン・アダムス()

      1976-77 エイドリアン・ダントリー(LAC③)

      1977-78 ウォルター・デイビス(②)

      1978-79 フィル・フォード (SAC④)

      1979-80 ラリー・バード(BOS③)

      1980-81 ダレル・グリフィス(UTA)

      1981-82 バック・ウィリアムズ(NJN)

      1982-83 テリー・カミングス(LAC④)

      1983-84 ラルフ・サンプソン(HOU)

      1984-85 マイケル・ジョーダン(CHI)

      1985-86 パトリック・ユーイング(NYK②)

      1986-87 チャック・パーソン(IND)

      1987-88 マーク・ジャクソン(NYK③)

      1988-89 ミッチ・リッチモンド(GSW⑤)

      1989-90 デビッド・ロビンソン(SAS)

      1990-91 デリック・コールマン(NJN②)

      1991-92 ラリー・ジョンソン(CHA)

      1992-93 シャキール・オニール(ORL)

      1993-94 クリス・ウェバー(GSW⑤)

      1994-95 グラント・ヒル(DET③)&ジェイソン・キッド(DAL)

      1995-96 デイモン・スタウダマイアー(TOR)

      1996-97 アレン・アイバーソン(PHI)

      1997-98 ティム・ダンカン(SAS②)

      1998-99 ヴィンス・カーター(TOR②)

      1999-00 エルトン・ブランド(CHI②)&スティーブ・フランシス(HOU②)

      2000-01 マイク・ミラー(ORL②)

      2001-02 パウ・ガソル(MEM)

      2002-03 アマーレ・スタウダマイアー(②)

      2003-04 レブロン・ジェームズ(CLE)

      2004-05 エメカ・オカフォー(CHB)

      2005-06 クリス・ポール(NOH)

      2006-07 ブランドン・ロイ(POR③)

      2007-08 ケビン・デュラント(OKC)

      2008-09 デリック・ローズ(CHI③)

      2009-10 タイリーク・エバンス(SAC⑤)

      2010-11 ブレイク・グリフィン(LAC⑤)

      2011-12 カイリー・アービング(CLE②)

      2012-13 デイミアン・リラード(POR④)

      2013-14 マイケル・カーター=ウィリアムス(PHI②)

      2014-15 アンドリュー・ウィギンス(MIN)

      2015-16 カール=アンソニー・タウンズ(MIN②)

      2016-17 マルコム・ブログドン(MIL)

      2017-18 ベン・シモンズ(PHI③)

      2018-19 ルカ・ドンチッチ(DAL②)

      2019-20 ジャ・モラント(MEM②)

      2020-21 ラメロ・ボール(CHA)

      2021-22 スコッティ・バーンズ(TOR)

      2022-23 パオロ・バンケロ

      (ORL)

      2023-24 ビクター・ウェンバンヤマ

      (SAS)

      1946-47 アーニー・カルバリー

      1947-48 ハウイー・ダルマー

      1948-49 ボブ・デイヴィス

      1949-50 ディック・マグワイア

      1950-51 アンディ・フィリップ

      1951-52 アンディ・フィリップ②

      1952-53 ボブ・クージー

      1953-54 ボブ・クージー②

      1954-55 ボブ・クージー③

      1955-56 ボブ・クージー④

      1956-57 ボブ・クージー⑤

      1957-58 ボブ・クージー⑥

      1958-59 ボブ・クージー⑦

      1959-60 ボブ・クージー⑧

      1960-61 オスカー・ロバートソン

      1961-62 オスカー・ロバートソン②

      1962-63 ガイ・ロジャース

      1963-64 オスカー・ロバートソン③

      1964-65 オスカー・ロバートソン④

      1965-66 オスカー・ロバートソン⑤

      1966-67 ガイ・ロジャース②

      1967-68 ウィルト・チェンバレン

      1968-69 オスカー・ロバートソン⑥

      1969-70 レニー・ウィルケンズ

      1970-71 ノーム・ヴァン・ライアー

      1971-72 ジェリー・ウェスト

      1972-73 ネイト・アーチボルド

      1973-74 アーニー・ディグレゴリオ

      1974-75 ケヴィン・ポーター

      1975-76 スリック・ワッツ

      1976-77 ドン・ブージー

      1977-78 ケヴィン・ポーター②

      1978-79 ケヴィン・ポーター③

      1979-80 マイケル・レイ・リチャードソン

      1980-81 ケヴィン・ポーター④

      1981-82 ジョニー・ムーア

      1982-83 マジック・ジョンソン

      1983-84 マジック・ジョンソン②

      1984-85 アイザイア・トーマス

      1985-86 マジック・ジョンソン③

      1986-87 マジック・ジョンソン④

      1987-88 ジョン・ストックトン

      1988-89 ジョン・ストックトン②

      1989-90 ジョン・ストックトン③

      1990-91 ジョン・ストックトン④

      1991-92 ジョン・ストックトン⑤

      1992-93 ジョン・ストックトン⑥

      1993-94 ジョン・ストックトン⑦

      1994-95 ジョン・ストックトン⑧

      1995-96 ジョン・ストックトン⑨

      1996-97 マーク・ジャクソン

      1997-98 ロッド・ストリックランド

      1998-99 ジェイソン・キッド

      1999-00 ジェイソン・キッド②

      2000-01 ジェイソン・キッド③

      2001-02 アンドレ・ミラー

      2002-03 ジェイソン・キッド④

      2003-04 ジェイソン・キッド⑤

      2004-05 スティーブ・ナッシュ

      2005-06 スティーブ・ナッシュ②

      2006-07 スティーブ・ナッシュ③

      2007-08 クリス・ポール

      2008-09 クリス・ポール②

      2009-10 スティーブ・ナッシュ④

      2010-11 スティーブ・ナッシュ⑤

      2011-12 ラジョン・ロンド

      2012-13 ラジョン・ロンド②

      2013-14 クリス・ポール③

      2014-15 クリス・ポール④

      2015-16 ラジョン・ロンド③

      2016-17 ジェームズ・ハーデン

      2017-18 ラッセル・ウェストブルック

      2018-19 ラッセル・ウェストブルック②

      2019-20 レブロン・ジェームズ

      2020-21 ラッセル・ウェストブルック③

      2021-22 クリス・ポール⑤

      2022-23 ジェームズ・ハーデン②

      2023-24 タイリース・ハリバートン

      ①ジョン・ストックトン:15,806

      ②ジェイソン・キッド:12,091

      ③クリス・ポール:11,501

      ④レブロン・ジェームズ:10,420

      ⑤スティーブ・ナッシュ:10,335

      ⑥マーク・ジャクソン:10,334

      ⑦マジック・ジョンソン:10,141

      ⑧オスカー・ロバートソン:9,887

      ⑨ラッセル・ウェストブルック:9,162

      ⑩アイザイア・トーマス:9,061

      ①マジック・ジョンソン:2,346

      ②レブロン・ジェームズ:2,023

      ③ジョン・ストックトン:1,839

      ④ジェイソン・キッド:1,263

      ⑤クリス・ポール:1,233

      ⑥トニー・パーカー:1,143

      ⑦ラジョン・ロンド:1,136

      ⑧ラリー・バード:1,062

      ⑨スティーブ・ナッシュ:1,061

      ⑩スコッティ・ピッペン:1,048

      2003 ジェイソン・キッド

      2004 バロン・デイビス

      2005 スティーブ・ナッシュ

      2006 ドウェイン・ウェイド

      2007 ドウェイン・ウェイド

      2008 デロン・ウィリアムス

      2009 デリック・ローズ

      2010 スティーブ・ナッシュ

      2011 ステフィン・カリー

      2012 トニー・パーカー

      2013 デイミアン・リラード

      2014 デイミアン・リラード & トレイ・バーク

      2015 パトリック・ベバリー

      2016 カール=アンソニー・タウンズ

      2017 クリスタプス・ポルジンギス

      2018 スペンサー・ディンウィディー

      2019 ジェイソン・テイタム

      2020 バム・アデバヨ

      2021 ドマンタス・サボニス

      2022 ジャレット・アレンダリアス・ガーランドエバン・モーブリー

      1996: ジョー・デュマース(DET)

      1997: テレル・ブランドン(CLE)

      1998: エイブリー・ジョンソン(SAS)

      1999: ハーシー・ホーキンズ(SEA)

      2000: エリック・スノウ(PHI)

      2001: デビッド・ロビンソン(SAS)

      2002: スティーブ・スミス(SAS)

      2003: レイ・アレン(SEA)

      2004: P・J・ブラウン(NOH)

      2005: グラント・ヒル(ORL)

      2006: エルトン・ブランド(LAC)

      2007: ルオル・デン(CHI)

      2008: グラント・ヒル②()

      2009: チャウンシー・ビラップス(DET)

      2010: グラント・ヒル③()

      2011: ステフィン・カリー(GSW)

      2012: ジェイソン・キッド(DAL)

      2013: ジェイソン・キッド②(NYK)

      2014: マイク・コンリー(MEM)

      2015: カイル・コーバー(ATL)

      2016: マイク・コンリー②(MEM)

      2017: ケンバ・ウォーカー(CHA)

      2018: ケンバ・ウォーカー②(CHA)

      2019: マイク・コンリー③(MEM)

      2020: ヴィンス・カーター(ATL)

      2021: ドリュー・ホリデー(MIL)

      2022: パティ・ミルズ(BKN)

      2023: マイク・コンリー④(MIN)

      2024: タイリース・マクシー(PHI)

      1980 アイザイア・トーマス

      1981 Kevin Boyle

      1982 ドック・リバース

      1983 マイケル・ジョーダン

      1984 マイケル・ジョーダン & サム・パーキンス

      1985 チャック・パーソン

      1986 デビッド・ロビンソン

      1987 ダニー・マニング

      1988 ダン・マーリー

      1989 ラリー・ジョンソン

      1990 アロンゾ・モーニング

      1991 クリスチャン・レイトナー

      1992 ドリームチーム

      1993 マイケル・フィンリー

      1994 シャキール・オニール

      1995 レイ・アレン

      1996 スコッティ・ピッペン

      1997 アール・ボイキンス

      1998 エルトン・ブランド

      1999 ゲイリー・ペイトン

      2000 アロンゾ・モーニング

      2001 クリス・デューホン

      2002 レジー・ミラー

      2003 ティム・ダンカン

      2004 ショーン・メイ & クリス・ポール

      2005 シェルデン・ウィリアムス

      2006 カーメロ・アンソニー

      2007 ジェイソン・キッド

      2008 北京五輪代表

      2009 James McAdoo

      2010 ケビン・デュラント

      2011 ジャバリ・パーカー

      2012 レブロン・ジェームズ

      2013 アーロン・ゴードン

      2014 カイリー・アービング

      2015 Jalen Brunson

      2016 カーメロ・アンソニー & ケビン・デュラント

      2017 Jameel Warney

      2018 Reggie Hearn

      2019 ロビー・ヒューメル

      カリーム・アブドゥル=ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar)

      レイ・アレン(Ray Allen)

      ヤニス・アデトクンボ(Giannis Antetokounmpo)

      カーメロ・アンソニー(Carmelo Anthony)

      ネイト・アーチボルド(Nate Archibald)

      ポール・アリジン(Paul Arizin)

      チャールズ・バークレー(Charles Barkley)

      リック・バリー(Rick Barry)

      エルジン・ベイラー(Elgin Baylor)

      デイブ・ビン(Dave Bing)

      ラリー・バード(Larry Bird)

      コービー・ブライアント(Kobe Bryant)

      ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)

      ボブ・クージー(Bob Cousy)

      デイブ・コーウェンス(Dave Cowens)

      ビリー・カニンガム(Billy Cunningham)

      ステフィン・カリー(Stephen Curry)

      アンソニー・デイビス(Anthony Davis)

      デイブ・ディバッシャー(Dave Debusschere)

      クライド・ドレクスラー(Clyde Drexler)

      ティム・ダンカン(Tim Duncan)

      ケビン・デュラント(Kevin Durant)

      ジュリアス・アービング(Julius Erving)

      パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)

      ウォルト・フレイジャー(Walt Frazier)

      ケビン・ガーネット(Kevin Garnett)

      ジョージ・ガービン(George Gervin)

      ハル・グリア(Hal Greer)

      ジェームズ・ハーデン(James Harden)

      ジョン・ハブリチェック(John Havlicek)

      エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes)

      アレン・アイバーソン(Allen Iverson)

      レブロン・ジェームズ(Lebron James)

      マジック・ジョンソン(Magic Johnson)

      サム・ジョーンズ(Sam Jones)

      マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)

      ジェイソン・キッド(Jason Kidd)

      カワイ・レナード(Kawhi Leonard)

      デイミアン・リラード(Damian Lillard)

      ジェリー・ルーカス(Jerry Lucas)

      モーゼス・マローン(Moses Malone)

      カール・マローン(Karl Malone)

      ピート・マラビッチ(Pete Maravich)

      ボブ・マカドゥー(Bob Mcadoo)

      ケビン・マクヘイル(Kevin Mchale)

      ジョージ・マイカン(George Mikan)

      レジー・ミラー(Reggie Miller)

      アール・モンロー(Earl Monroe)

      スティーブ・ナッシュ(Steve Nash)

      ダーク・ノヴィツキー(Dirk Nowitzki)

      シャキール・オニール(Shaquille O'Neal)

      アキーム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon)

      ロバート・パリッシュ(Robert Parish)

      クリス・ポール(Chris Paul)

      ゲイリー・ペイトン(Gary Payton)

      ボブ・ペティット(Bob Pettit)

      ポール・ピアース(Paul Pierce)

      スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen)

      ウィリス・リード(Willis Reed)

      オスカー・ロバートソン(Oscar Robertson)

      デビッド・ロビンソン(David Robinson)

      デニス・ロッドマン(Dennis Rodman)

      ビル・ラッセル(Bill Russell)

      ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes)

      ビル・シャーマン(Bill Sharman)

      ジョン・ストックトン(John Stockton)

      アイザイア・トーマス(Isiah Thomas)

      ネイト・サーモンド(Nate Thurmond)

      ウェス・アンセルド(Wes Unseld)

      ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)

      ビル・ウォルトン(Bill Walton)

      ジェリー・ウェスト(Jerry West)

      ラッセル・ウェストブルック(Russell Westbrook)

      レニー・ウィルケンズ(Lenny Wilkens)

      ドミニク・ウィルキンス(Dominique Wilkins)

      ジェームズ・ウォージー(James Worthy)

      0 ショーン・マリオン | 2 ジェイソン・キッド | 3 ロドリグ・ボーボワ | 4 カロン・バトラー | 6 タイソン・チャンドラー | 11 ホセ・バレア | 13 コーリー・ブリューワー | 16 ペジャ・ストヤコヴィッチ | 20 ドミニク・ジョーンズ | 28 イアン・マヒンミ | 31 ジェイソン・テリー | 33 ブレンダン・ヘイウッド | 35 ブライアン・カーディナル | 41 ダーク・ノヴィツキー (ファイナルMVP)| 92 デショーン・スティーブンソン | ヘッドコーチ:リック・カーライル | アシスタントコーチ:ドウェイン・ケイシー |

      37 コスタス・アデトクンボ(TW) | 11 エイブリー・ブラッドリー | 12 デボンテ・ケイコック(TW) | 1 ケンタビオス・コールドウェル=ポープ | 4 アレックス・カルーソ | 28 クイン・クック | 3 アンソニー・デイビス | 10 ジャレッド・ダドリー | 14 ダニー・グリーン | 5 タレン・ホートン=タッカー | 39 ドワイト・ハワード | 23 レブロン・ジェームズ(ファイナルMVP) | 0 カイル・クーズマ | 7 ジャベール・マギー | 88 マーキーフ・モリス | 9 ラジョン・ロンド | 21 J・R・スミス | 18 ディオン・ウェイターズ | コーチ:フランク・ヴォーゲル

      4 スティーブ・スミス - 5 ジェイソン・キッド - 6 アラン・ヒューストン - 7 アロンゾ・モーニング - 8 ティム・ハーダウェイ - 9 ヴィンス・カーター - 10 ケビン・ガーネット - 11 ヴィン・ベイカー - 12 レイ・アレン - 13 アントニオ・マクダイス - 14 ゲイリー・ペイトン - 15 シャリーフ・アブドゥル=ラヒーム - HC ルディ・トムヤノビッチ

      4 カルロス・ブーザー - 5 ジェイソン・キッド - 6 レブロン・ジェームズ - 7 デロン・ウィリアムス - 8 マイケル・レッド - 9 ドウェイン・ウェイド - 10 コービー・ブライアント - 11 ドワイト・ハワード - 12 クリス・ボッシュ - 13 クリス・ポール - 14 テイショーン・プリンス - 15 カーメロ・アンソニー - HC マイク・シャシェフスキー

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      アメリカ

      MusicBrainz

      20世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手

      21世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手

      アイルランド系アメリカ人のバスケットボール選手

      アフリカ系アメリカ人のバスケットボール選手

      アメリカ合衆国のオリンピック金メダリスト

      アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手

      アメリカ合衆国のバスケットボール指導者

      オリンピックバスケットボールアメリカ合衆国代表選手

      カリフォルニア州出身のバスケットボール選手

      サンフランシスコ出身の人物

      ダラス・マーベリックスのドラフト指名選手

      ニュージャージー州バーゲン郡出身の人物

      ネイスミス・メモリアル・バスケットボール殿堂入り

      バスケットボールのオリンピックメダリスト

      バスケットボール男子アメリカ合衆国代表選手

      パレード・ハイスクール・オールアメリカン (男子バスケットボール)

      ポイントガード

      マクドナルド・オール・アメリカン選出選手

      NBA永久欠番保持者

      NBAオールスターゲーム選出選手

      NBAのコーチ、ゼネラルマネージャー

      NCAA男子バスケットボールオールアメリカン選出選手

      UCバークレー出身のバスケットボール選手

      ダラス・マーベリックスの選手

      フェニックス・サンズの選手

      ニュージャージー・ネッツの選手

      ニューヨーク・ニックスの選手

      1973年生

      存命人物

      ISBNマジックリンクを使用しているページ

2024/09/28 17:50更新

Jason Frederick Kidd


ジェイソン=キッドと同じ誕生日3月23日生まれの人

千賀 健永(せんが けんと)
【Kis-My-Ft2】
1991年3月23日生まれの有名人 愛知出身

アイドルグループKis-My-Ft2(2005年 - ) 千賀 健永(せんが けんと、1991年〈平成3年〉3月23日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ・Kis-My-Ft…

宇賀神 友弥(うがじん ともや)
1988年3月23日生まれの有名人 埼玉出身

宇賀神 友弥(うがじん ともや、1988年3月23日 - )は、埼玉県戸田市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元日本代表。 中学・高校…

古谷 有美(ふるや ゆうみ)
1988年3月23日生まれの有名人 北海道出身

古谷 有美(ふるや ゆうみ、1988年3月23日 - )は、TBSアナウンサー。 北海道恵庭市出身。身長160cm。血液型B型。両親と姉がいる。 恵庭市立柏小学校、立命館慶祥中学校・高等学校、上智大…

八城 まゆ(やしろ まゆ)
1992年3月23日生まれの有名人 鳥取出身

八城 まゆ(やしろ まゆ、1992年3月23日 - )は、日本の女優。鳥取県出身。本名、非公開。愛称まぁぴょん。 地元の高校を卒業後、服飾専門学校に進み、卒業後に声優を目指して上京した。 ミスヤング…

七瀬 静香(ななせ しずか)
1989年3月23日生まれの有名人 兵庫出身

七瀬 静香(ななせ しずか、1989年3月23日 - )は、兵庫県出身の女性タレント。ジャンバリ.TV(グローエンターテイメント)所属。学生時代はバレー部に所属。趣味は読書と料理。 婚約者がいたが結…

千田 絵民(せんだ えみ)
1996年3月23日生まれの有名人 神奈川出身

千田 絵民(せんだ えみ、1996年〈平成8年〉3月23日 - )は、日本のモデル、タレント。神奈川県横浜市出身。オスカープロモーション所属。 この節の加筆が望まれています。

紗倉 まな(さくら まな)
1993年3月23日生まれの有名人 千葉出身

紗倉 まな(さくら まな、1993年〈平成5年〉3月23日 - )は、日本のAV女優、女優、タレント、歌手、小説家、YouTuberである。マインズ所属。 キャッチフレーズは「レモンティーよりも?(…

小山 正代(こやま まさよ)
1988年3月23日生まれの有名人 福岡出身

小山 正代(こやま まさよ、1988年3月23日 - )は、日本の女性ローカルタレント、ラジオパーソナリティ。福岡県八女市出身。 第一経済大学付属高等学校 芸能コース卒業。 血液型はA型。 一平彩菜…

清瀬 まち(きよせ まち)
1989年3月23日生まれの有名人 岡山出身

清瀬 まち(きよせ まち、1991年〈平成3年〉3月23日 - )は、スリーライズに所属していた日本の元モデル、元レースクイーン、元タレントである。 岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷南高等学校を経て、…

川島 絢子(かわしま あやこ)
1991年3月23日生まれの有名人 東京出身

川島 絢子(かわしま あやこ、1991年3月23日 - )は、日本の元タレント、モデルである。 趣味 - 人間観察、食べ歩き、1人旅行、ズンバ、ボクササイズ 特技 - お菓子つくり、走ること、早歩き…

出光 ケイ(いでみつ けい)
1961年3月23日生まれの有名人 東京出身

出光 ケイ(いでみつ ケイ、1961年3月23日 - )は、日本のスポーツキャスター、スポーツジャーナリスト。本名:出光紀子。個人事務所「オフィス出光」を開設している。 海軍中将出光万兵衛の孫にあた…


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ジェイソン・パトリック(Jason Patric, 1966年6月17日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーククイーンズ区出身の俳優。 祖父は俳優のジャッキー・グリーソン、父親は俳優・劇作家のジェイ…

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ジェイソン・ハンコック(Jason Hancock、1975年7月2日 - )は、日本のタレント、俳優。アメリカ・ネブラスカ州オマハ出身。ミシェルエンターテイメント所属。 大学在学中の1995年に初…

ジェイソン=ベイトマン(Jason Bateman)
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ジェイソン・ベイトマン(Jason Bateman, 1969年1月14日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。 父親はテレビ・映画の演出や脚本を手がけていた。姉は女優のジャスティン・ベイトマン。198…

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ジェイソン=キッド」を素材として二次利用しています。

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