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ジョー=ニークロ
ジョー=ニークロ(Joseph Franklin “Joe” Niekro)さんの誕生日は1944年11月7日です。
詳細情報などについてまとめました。兄弟、現在、引退に関する情報もありますね。61歳で亡くなられているようです。
ジョゼフ・フランクリン・ニークロ(Joseph Franklin Niekro, 1944年11月7日 - 2006年10月27日)は、アメリカ合衆国オハイオ州マーティンズフェリー出身のプロ野球選手(投手)。 5歳上の実兄フィル・ニークロは元投手で、息子のランス・ニークロも元MLB選手。 1966年1月のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから7巡目に指名を受けるが契約せず。同年6月のMLBドラフトでシカゴ・カブスから3巡目に指名を受け入団。 1967年4月16日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。1973年に兄と同じアトランタ・ブレーブスに所属するようになるまでは、サンディエゴ・パドレス、デトロイト・タイガースを渡り歩いていた。ルーキーの1967年に23歳で10勝をあげ、1968年には14勝、1970年にも10勝をあげたが、その後は一時期伸び悩み、リリーフでの起用が中心となった。 1975年にヒューストン・アストロズに移籍。 1976年には生涯唯一のホームランを記録した。32歳にしてようやく開花して、1977年にはリリーフを含めて13勝8敗の好成績をあげ、1978年にはほぼ先発に専念して14勝。 1979年はオールスターゲームに初選出される。21勝を記録して兄フィルと並んで最多勝利のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票ではブルース・スーターに次ぐ2位に入った。 1980年にも20勝を挙げ、球団初の2年連続20勝を記録した。 1985年シーズン終盤、40歳の時に再び兄と同じチーム(ニューヨーク・ヤンキース)の所属となった。この年10月6日には兄が史上最年長での通算300勝を達成し、真っ先にマウンドに駆け寄って兄を祝福したが、それを最後に兄は翌1986年開幕前に突然クリーブランド・インディアンスに放出。 1987年には、兄弟での勝ち星のメジャー記録を作った数日後に、ジョーもまたミネソタ・ツインズにトレードされた。同年8月3日に、マウンドでポケットに爪ヤスリを入れていたのを発見され10試合の出場停止となった。ダグアウトで爪を磨いていたと主張したが認められなかった。 この年ツインズはワールドシリーズ制覇を果たし、ジョーもキャリアで唯一、そして兄の果たせなかったワールドシリーズでの登板を果たした。デビューから21年目でのワールドシリーズ初登板は、現在でもメジャー記録である。 翌1988年5月4日にツインズを解雇され、そのまま引退した。 2006年10月27日、脳動脈瘤のためフロリダ州タンパで逝去。61歳没。 詳細情報各年度の太字はリーグ最高 最多勝利 1回:1979年 MLBオールスターゲーム選出 1回:1979年 2024/05/23 10:58更新
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Joseph Franklin “Joe” Niekro
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