ディエゴ=ベラスケスの情報(DiegoVelazquez) 画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ディエゴ=ベラスケスの情報まとめ
ディエゴ=ベラスケス(Diego Velazquez)さんの誕生日は1599年6月6日です。
セビーリャ時代 (1617-1622年) の代表作、1631-1649年の代表作などについてまとめました。結婚に関する情報もありますね。
ディエゴ=ベラスケスのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599年6月6日(洗礼日) - 1660年8月6日)は、バロック期のスペインの画家。エドゥアール・マネが「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である。 没落した貴族の家系とされてきたが、近年の研究では父方がコンベルソ(改宗ユダヤ人)の家系である可能性が高いとされている(父方の祖父ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバはポルトガルからセビーリャに移住しているが、当時多くのコンベルソがポルトガルから移動し、シルバなどの名を名乗っていた) 。スペイン南部の都市セビーリャに生まれ、11歳の頃に当地の有力な画家であるフランシスコ・パチェーコに弟子入りした。6年後の1617年、18歳のときに独立し、翌1618年には師匠であるパチェーコの娘であるフアナと結婚する。17世紀のスペイン画壇では、厨房画(ボデゴン)と呼ばれる室内情景や静物を描いた絵画が多く制作されたが、宮廷画家になる前のベラスケスも『東方三博士の礼拝』などの宗教的主題の作品、『修道女ヘロニマ・デ・ラ・フエンテ』などの肖像画とともに、この厨房画のジャンルに属する作品を描いていた。1618年に制作された『卵を調理する老女』などがその代表作である。1622年には首都マドリードへと旅行した。 セビーリャ時代 (1617-1622年) の代表作
『3人の音楽家』(1617-1618年) 絵画館 (ベルリン)
『マルタとマリアの家のキリスト』(1618年) ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
『卵を調理する老女』(1618年) エジンバラ、スコットランド国立美術館
『東方三博士の礼拝』(1619年) マドリード、プラド美術館
『修道女ヘロニマ・デ・ラ・フエンテ』(1620年) プラド美術館
『セビーリャの水売り』(1620年頃) ロンドン、アプスリー・ハウス
宮廷画家1623年、マドリードに2回目の旅行に行く。このとき、スペインの首席大臣であったオリバーレス伯爵ガスパール・デ・グスマンの紹介を受け (後に『オリバーレス伯公爵騎馬像』を制作)、国王フェリペ4世の肖像画を描いた。国王に気に入られてフェリペ4世付きの宮廷画家となり、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描いた。 美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていた。 ベラスケスの作品では、画面に近づいて見ると、素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える。このような、近代の印象派にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネらの近代の画家がベラスケスを高く評価したゆえんである。 1628年には、スペイン領ネーデルラント総督のイサベル・クララ・エウヘニアから外交官として派遣されてきたピーテル・パウル・ルーベンスと出会い、親交を結んだ。この年から翌年にかけて、『バッカスの勝利』(プラド美術館) を描いている。 1629年、美術品収集や絵画の修業などのためにイタリアへの旅行が許される。イタリアへ向かう船の中でオランダ独立戦争の英雄であったアンブロジオ・スピノラと同乗することとなり、親交を結んだ。イタリアではヴェネツィアやフェラーラ、ローマに滞在し、1631年にスペインへと戻った。この時、ローマで制作した『ウルカヌスの鍛冶場』(プラド美術館) と『ヨセフの衣を受けるヤコブ 』(エル・エスコリアル修道院) をスペインに持ち帰っている。また、イタリアでは『ヴィラ・メディチの庭園、ローマ』 (プラド美術館) を制作したと考えられている。 帰国後、1634年から1635年にかけて、新しく建設されたブエン・レティーロ離宮の「諸王国の間」に飾る絵の制作を依頼され、すでに故人となっていたスピノラ将軍をしのんで『ブレダの開城』を制作。他にも1637年以後には『バリェーカスの少年』、1644年には『エル・プリーモ』や『セバスティアン・デ・モーラ』(すべてプラド美術館) など多くの作品を制作し、役人としても順調に昇進していった。 1631-1649年の代表作
『十字架上のキリスト』(1631-1632年頃) プラド美術館
『ドン・フアン・マテオス』(1633年頃) アルテ・マイスター絵画館 (ドレスデン)
『聖アントニウスと隠修士聖パウルス』(1634年頃) プラド美術館
『皇太子バルタサール・カルロス騎馬像』(1635年頃) プラド美術館
『フェリペ4世騎馬像』(1635年頃) プラド美術館
『フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像』(1635年頃) プラド美術館
『聖母戴冠』(1635-1636年) プラド美術館
『オリバーレス伯公爵騎馬像』(1636年頃) プラド美術館
『軍神マルス』(1638年頃) プラド美術館
1649年には2回目のイタリア旅行に出発し、1651年まで同地に滞在した。各地で王の代理として美術品の収集を行うかたわら、『鏡のヴィーナス』や『インノケンティウス10世の肖像』などの傑作を制作している。 1649年、ローマで『フアン・デ・パレーハの肖像』(メトロポリタン美術館) を制作した。この作品は、1970年11月27日にロンドンのクリスティー&ウッズで231万ポンドで落札されたとして、かつてギネスブックに「オークションで最高値の絵」として認定されていたことがある。 1651年に帰国すると、1652年には王宮の鍵をすべて預かる王宮配室長という重職につくようになり、役人としても多忙となる。一方で、1656年には『ラス・メニーナス』を制作し、1657年には『アラクネの寓話』、1659年には絶筆となる『マルガリータ王女』など、この時期においても実力は衰えず、大作を完成させていった。1660年にはフェリペの娘であるマリー・テレーズ・ドートリッシュとフランス国王ルイ14世との婚儀の準備をとりしきるが、帰国後病に倒れ、1660年8月6日にマドリードで61歳で死亡した。 2024/06/18 19:42更新
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ディエゴ=ベラスケスと同じ誕生日6月6日生まれの人
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