デボラ=ハリーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
デボラ・ハリー(Deborah Harry、1945年7月1日- )は、アメリカの歌手、シンガーソングライター、女優。
デビー・ハリー(Debbie Harry)の名でも知られ、同国のロック・バンドである「ブロンディ」のボーカルを務めている。ブロンドと赤い唇が特徴。
フロリダ州マイアミに、アンジェラ・トリンブル(Angela Trimble)として生まれた。生後3か月で、ニュージャージー州ホーソーンに住むリチャード・ハリーとキャサリン・ハリー夫妻のもとへ養子に出された。ハリー夫妻はみやげ屋を営んでおり、アンジェラの名前は「デボラ・アン・ハリー」となった。
1963年にホーソーン高校を卒業し、1965年に同州ハケッツタウンにあるセンテナリー大学を卒業した。1960年代後半にニューヨークに移住。BBCラジオに秘書として1年勤務。その後、ナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ(Max's Kansas City)」でウェイトレスをしたり、ユニオンシティのディスコでゴーゴーダンサーをしたり、プレイボーイのバニーガールをしたりして生計を立てた。
フォーク・グループ「ウインド・イン・ザ・ウィロウズ (The Wind in the Willows)」のバックシンガーを経て、1970年代初頭に3人組のガールグループ「スティレットーズ」に参加。そのバックバンドのメンバーだったクリス・スタインらとともに1974年、ブロンディを結成。バンドは成功を収め、デボラ自身も自らの唇に保険がかけられるほどの人気を得る。バンドが成功を収めた後はソロ活動も活発化させる。5枚のソロ・アルバムを発表。
1983年、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヴィデオドローム』に出演。以後、女優としての活動も並行して行う。1997年にはブロンディを再結成させた。
ディスコグラフィ
『予感』 - KooKoo (1981年)
『ロックバード』 - Rockbird (1986年)
『デフ、ダム・アンド・ブロンド』 - Def, Dumb & Blonde (1989年)
『デブラベーション』 - Debravation (1993年)
Necessary Evil (2007年)
『スーパー・ダンス・ヒット・リミックス!』 - Once More into the Bleach (1988年) ※ブロンディ時代も含む編集盤
『ザ・コンプリート・ピクチャー』 - The Complete Picture: The Very Best of Deborah Harry and Blondie (1991年) ※ブロンディ時代も含む編集盤
Deborah Harry Collection (1998年)
Most of All: The Best of Deborah Harry (1999年)
映画出演
『ヴィデオドローム』 - Videodrome (1983年、カナダ)
『ヘアスプレー』 - Hairspray (1988年、アメリカ)
『ニューヨーク・ストーリー』 - New York Stories (1989年、アメリカ)
『フロム・ザ・ダークサイド 3つの闇の物語』 - Tales from the Darkside (1990年、アメリカ)
『真夜中の殺人コール』 - Intimate Stranger (1991年、アメリカ)
『ウイッグストック』 - Wigstock: The Movie (1995年、アメリカ)
『君に逢いたくて』 - Heavy (1995年、アメリカ)
『ハードコア・デイズ』 - The Fluffer (2001年、アメリカ)
『デュースワイルド』 - Deuces Wild (2002年、アメリカ)
『死ぬまでにしたい10のこと』 - My Life without Me (2003年、アメリカ)
『エレジー』 - Elegy(2008年、アメリカ)