もしもし情報局 > 1974年 > 6月26日 > 野球選手

デレク=ジーターの情報 (DerekSandersonJeter)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【4月11日】今日誕生日の芸能人・有名人

デレク=ジーターの情報(DerekSandersonJeter) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

デレク=ジーターさんについて調べます

■名前・氏名
デレク=ジーター
(読み:Derek Sanderson Jeter)
■職業
野球選手
■デレク=ジーターの誕生日・生年月日
1974年6月26日 (年齢50歳)
寅年(とら年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
不明

(昭和49年)1974年生まれの人の年齢早見表

デレク=ジーターと同じ1974年生まれの有名人・芸能人

デレク=ジーターと同じ6月26日生まれの有名人・芸能人

デレク=ジーターと同じ出身地の人


デレク=ジーターの情報まとめ

もしもしロボ

デレク=ジーター(Derek Sanderson Jeter)さんの誕生日は1974年6月26日です。

もしもしロボ

引退、家族、父親、結婚、兄弟、現在、母親、卒業、テレビ、事件、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。デレク=ジーターの現在の年齢は50歳のようです。

デレク=ジーターのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

デレク・サンダーソン・ジーター (Derek Sanderson Jeter, 英語発音: [ˈdɛrɪk ˈsændɚsən ˈd͡ʒitɚ]; 1974年6月26日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州モリス郡ペカノック出身の元プロ野球選手 (遊撃手)、野球解説者。右投右打。MLBのニューヨーク・ヤンキースの第15 (11)代主将。背番号「2」はヤンキースの永久欠番。

1995年のデビューから2014年の引退までヤンキース一筋でプレーしたフランチャイズ・プレイヤー。現役生活20年間で5回のワールドシリーズ優勝、14回のオールスター選出があるほか、通算で3000本安打以上を記録、MLBを代表するスーパースターとして長年活躍した。ヤンキース・ファンからは敬意を持って「ザ・キャプテン (The Captain)」と呼ばれる。また、「ミスター・ヤンキース」とも呼ばれている。2014年にコミッショナー特別表彰を受賞した。

2017年オフよりマイアミ・マーリンズの共同オーナーとなり、最高経営責任者 (CEO)を2022年2月まで務めた。

アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノックにて、アフリカ系アメリカ人(黒人)である父チャールズ、アイルランド系アメリカ人(白人)である母ドロシーの間に生まれる。父は心理学のPh.D.を持つカウンセラーであり薬剤師でもあり、母は会計士であった。家族には他に妹のシャーリーがいる。

4歳の時にミシガン州カラマズーへ移住。その後も毎年の夏休みにはニュージャージーに住む祖父母の下で暮らしていた。大のヤンキースファンであった祖母からキャッチボールを教わり、頻繁にヤンキースタジアムに観戦に連れて行ってもらったことで、デレクも祖母と同じようにヤンキースファンになった。

大学野球でショートを守っていた父親の影響で、5歳の頃から野球を始める。父はミシガン州へ移り住んでから地元デトロイト・タイガースのファンになっていたが、ヤンキースを熱心に応援するデレクの影響でヤンキースファンへと転向した。タイガースの本拠地タイガー・スタジアムでのヤンキース戦には、車で2時間半かけて観戦に訪れ、父にいつかこの舞台でプレーすることを約束した。お気に入りの選手はデーブ・ウィンフィールドで、風貌が父親に似ていたことと、偶然にも父親と同じ分野の慈善事業に携わっていたことが大きいという。

カラマズー・セントラル高校時代から頭角をあらわし、通算で5割を超える打率を残した。1992年にはアメリカ野球コーチ連盟(The American Baseball Coaches Association)から高校年間最優秀選手賞(The High School Player of the Year)に選出されている。また、バスケットボールでも州を代表する選手として活躍していた。しかしNCAA(大学バスケ)校から声がかからず、野球に絞った。

1992年のMLBドラフトの注目選手となったジーターは、当時ヒューストン・アストロズのスカウトを務めていたハル・ニューハウザーに見出され、アストロズの1巡目指名候補となった。しかし、ジーターはミシガン大学から奨学金のオファーを受けており、契約金の高騰が予想されたため、アストロズはジーターの指名を見送り、フィル・ネビンを全体1位で指名した。ジーターはニューヨーク・ヤンキースから1巡目(全体6位)で指名を受け、入団した。

その際には両親が、オフに大学へ通ってもよいという条項を入れさせ、1992年のオフシーズンに一学期間ミシガン大学アナーバー校へ通った。しかし、翌1993年のオフシーズンは球団から守備の強化練習を命ぜられたため大学のクラス登録に間に合わず、1994年オフにはメジャーデビュー実現の可能性が高まり住居を球団のトレーニング施設のあるフロリダ州タンパに移したため、学業は中断している。2004年には、スポーツ・イラストレイテッド誌に寄せた手記の中で、将来的に学業を再開したいという希望を持っていることを明かした。

プロとしてのキャリアは、マイナーリーグルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースから始まる。ルーキー級では打率.202と苦しんだが、その年の後半にはA級グリーンズボロ・グラスホッパーズへと昇格。入団当初は守備に難があり、1A時代の1993年には年間56失策を記録した。あまりのエラーの多さから、ジーターは自主的に居残り練習を行い、徹底的に守備を鍛えていった。家族への愛着がひときわ強く、新人時代にはホームシックにかかり、給料のほとんどをつぎ込んで毎日長距離電話で両親に電話をしていたという。1993年にはA級で打撃成績が飛躍的に向上し、数々の賞を受賞。当時低迷していたヤンキースの期待の若手となる。その後順当にA級タンパ・ヤンキース、AA級オールバニ・コロニー・ヤンキース、AAA級コロンバス・クリッパーズと昇格していった。

1994年にはマイナーリーグでの通算打率.344を残し、ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞に選出された。

1995年に怪我で戦列を離れたトニー・フェルナンデスの代役としてメジャー昇格を果たし、5月29日のシアトル・マリナーズ戦でデビュー。13試合に出場し、打率.234・0本塁打・6打点の成績で6月11日にマイナーへ降格したが、9月3日にメジャー昇格を果たし、その後2試合に出場しシーズンを終えた。

1996年は、1962年のトム・トレッシュ以来となるルーキーでの開幕スタメン遊撃手に抜擢され、ソロ本塁打を放つなど、クリーブランド・インディアンスからの勝利に貢献している。9月5日から9月27日にかけて17試合連続安打を記録、新人選手としては球団史上ジョー・ディマジオの18試合に次ぐ最長記録となった。この年にレギュラーに定着し、打率.314を残して新人王を満票で受賞。同年のポストシーズンでも活躍し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドシリーズチャンピオン奪取に大きく貢献した。

1997年は159試合に出場し、打率.291、10本塁打、70打点だった。

1998年は、6月4日から初の故障者リスト入りとなり12試合に欠場したが、復帰後の8月には50安打を放ち、球団史上ディマジオの53安打(1941年7月)以来の月間50安打を達成。月間MVPに選出された。この年は初めてオールスターゲームにも選出され、シーズンでは149試合に出場。打率.324・19本塁打・84打点・30盗塁を記録し、MVPの投票で3位に入った。本塁打数はロイ・スモーリーの遊撃手としての球団記録16を更新し、203安打を放ち、遊撃手として球団史上2人目となる200本安打を達成した。

1999年には打率.349(リーグ2位)、24本塁打、102打点、134得点(リーグ2位)、219安打(リーグ1位)、出塁率.438と、いずれも自己最高の成績を残した。

2000年は148試合に出場し、打率.339、15本塁打、73打点、22盗塁だった。

2001年にヤンキースと総額1億8,900万ドルの10年契約を結んだ。この年は150試合に出場し、打率.311、21本塁打、74打点、27盗塁だった。

2002年は157試合に出場し、打率.297・18本塁打・75打点・32盗塁だった。

2003年は4月1日に左肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、5月13日に復帰。故障の影響で、5年連続選出されていたオールスターゲームには選ばれなかった。6月3日にはドン・マッティングリーが1991年 - 1995年に務めて以来空位となっていた、ヤンキース11代目のキャプテンに就任した。この年は119試合に出場し、打率.324、10本塁打、52打点、11盗塁だった。

2004年は2年ぶりにオールスターゲームに選出され、シーズンでは154試合に出場。打率.292、23本塁打、78打点、23盗塁だった。オフに自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した。

2005年は159試合に出場し、打率.309、10本塁打、70打点、14盗塁だった。オフには2年連続でゴールドグラブ賞を受賞した。

2006年は打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)、34盗塁の好成績を残し、ゲーリー・シェフィールドや松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた。結果はジャスティン・モルノー(ツインズ)にMVPを譲ったが、ハンク・アーロン賞とシルバースラッガー賞、3年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。

2007年は156試合に出場し、打率.322、12本塁打、73打点、15盗塁だった。2年連続でシルバースラッガー賞を受賞したが、3年連続で受賞していたゴールドグラブ賞は受賞を逃してしまった。

2008年は150試合に出場し、打率.300、11本塁打、69打点、11盗塁だった。オフに3年連続となるシルバースラッガー賞を受賞した。

2009年は8月16日のマリナーズ戦で、通算2674本目のヒットを放ち、ルイス・アパリシオが持っていた遊撃手としての通算安打数メジャーリーグ記録を更新した。9月9日の対レイズ戦で、3安打でルー・ゲーリッグの持つヤンキースの安打記録2721本に並び、2日後のオリオールズ戦で記録を更新した。シーズン前には年齢から「限界説」も唱えられていたが、例年3~4週間取るオフを2週間で切り上げ、下半身を徹底的に鍛え抜いたことにより、打率.334・18本塁打・30盗塁とキャリアハイに迫る活躍を見せ、安打数も2年ぶりに200安打を放った。同年は守備範囲も広まり、守備指標の各数値で平均以上を記録。オフには4年連続となるシルバースラッガー賞と3年ぶりのゴールドグラブ賞を受賞した。

2010年はシーズンを通して調子があがらず、打率.270と低迷したが、ファン投票でのオールスターゲーム出場は5年連続で達成した。また同年シーズンに、ベーブ・ルース越えの2874安打を放った。守備では遊撃手として両リーグ1位の守備率.989を記録し、自身5度目のゴールドグラブ賞を獲得。オフの12月7日にヤンキースと総額4800万ドルの3年契約(2014年・800万ドル+出来高900万ドルのオプション付き)に合意した。

2011年7月10日、タンパベイ・レイズ戦(ヤンキー・スタジアム)、通算安打2999本で第2打席目を迎える。大声援の中、フルカウントから粘った末にデビッド・プライス投手の8球目を左翼席に放った。ヤンキースのベンチからは総出でジータ―を出迎えて祝福し、レイズの選手もダグアウトから出て拍手を送った。ジータ―が打席に立ったときから起こっていた声援は更に大きくなり、数分間鳴り止まなかった。この本塁打によってメジャー史上28人目・ヤンキース史上初の3000本安打を達成。本塁打での達成はウェイド・ボッグスに次ぐメジャー史上2人目の記録である。同試合では5打数5安打の活躍で決勝打も放ち、5対4でヤンキースが勝利。自らの偉業に花を添えた。シーズンでは終盤に復調して前年より打率は上がったが、本塁打はレギュラー定着後最低の6本で、連続二桁本塁打は15年で途切れた。

2012年は開幕から絶好調で、4月は打率4割を維持。シーズン中盤頃から調子を落とすも、後半から再び打率をあげて最終的に3年ぶりにシーズン打率3割を残し、リーグ最多の216安打を放った。ただし、盗塁はレギュラー定着後初めて1桁に終わった。デトロイト・タイガースとのALCSでは、第1戦の延長12回表にゴロを捌いた際に足首を骨折。全治3ヶ月の診断を受けて戦線離脱した。オフに3年ぶり5度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。

2013年は前年の怪我の影響で、3月31日に15日間の故障者リスト入りし、4月27日に60日間の故障者リストへ異動。7月11日に復帰したが、同日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で大腿四頭筋を痛め、7月19日に再び15日間の故障者リスト入りした。7月28日に復帰。復帰後は4試合に出場していたが、8月3日に右ふくらはぎを痛め、8月5日に再び15日間の故障者リスト入りした。8月26日に復帰。復帰後は12試合に出場していたが、9月8日に左足首を痛め、9月11日にこの年4度目となる15日間の故障者リスト入りした。9月14日に60日間の故障者リストへ異動し、そのままシーズンを終えた。この年は度重なる故障の影響で、17試合の出場にとどまり、打率.190、1本塁打、7打点だった。オフの11月1日にヤンキースと1200万ドルの1年契約に合意した。

2014年2月12日に、2014年シーズン限りで現役を引退することが発表された。 7月には2年ぶり14回目となるオールスターゲームにファン投票・遊撃手部門1位で選出された。9月23日、球界に多大な功績を残したとしてコミッショナー特別表彰を贈られた。同賞のトロフィーを手渡したMLBコミッショナーのバド・セリグは「ジーターの業績に敬意を示す今日のような日を心待ちにしていた。同じ時代にコミッショナーを務めることができ、幸せに思う」と話し、ジーターは「多くの人がもらえるわけではない。この受賞を大切にしたい」と述べた。9月25日のボルチモア・オリオールズ戦(監督はジーターのデビュー時の監督であるバック・ショーウォルター)がホーム最終戦となった。ジーターにとってはヤンキー・スタジアムでの最後の試合、5-5の同点、9回1死二塁のチャンスにエバン・ミークからサヨナラヒットを放った。試合終了後はチームメイトのほか、ジーターの家族(両親、妹、甥)、かつて共にプレーし、自身を含め"Core Four"と呼ばれたマリアノ・リベラ、ホルヘ・ポサダ、アンディ・ペティット、そしてバーニー・ウィリアムス、ティノ・マルティネス、ヤンキース前監督のジョー・トーリがグラウンド内に集まり、ジーターを迎えた。その後、フランク・シナトラの名曲『マイ・ウェイ』が流れるなかダイヤモンドを一周し、ヤンキー・スタジアムに別れを告げた。9月28日にボストン・レッドソックス戦の3回表、三塁への内野安打で三塁走者のイチローを返し、タイムリーヒットを記録したところで代走と交代。観客の大きな拍手・声援を受けながら笑顔で監督のジョー・ジラルディやチームメイトと抱き合い、ベンチへと下がった。現役最後の試合で3465本目の安打を放ち、20年間のキャリアに幕を閉じた。試合後、「心身の全てをささげてきた。自分のやりたいことを最後までやり切ることができた。本当に幸せだ」と話した。

2014年10月1日に「The Players' Tribune」(ザ・プレーヤーズ・トリビューン)という名のスポーツウェブサイトを開設した。通常のメディアと違い、記者を介在せず、選手からファンへ直に想いや意見を届けるのがサイトの特徴で、開設直後から多くの選手が利用している。例えば、NBAスターのコービー・ブライアントは、引退表明の場とした。また、ジーター自身もサイトに寄稿しており、2016年にはイチローに対する想いを綴った記事を掲載している。

引退後の活動について2014年に地元メディアから質問された際、監督やコーチ業は(全米各地への)遠征に多くの移動時間が要求されるため「やりたくない」と明言しており、オーナーになることについては興味があると話した。

2015年5月24日にバーニー・ウィリアムスの永久欠番セレモニーに出席し、現役引退後初めてヤンキー・スタジアムに姿を見せた。ティノ・マルティネス、ポール・オニール、ジョー・トーリ、アンディ・ペティット、ホルヘ・ポサダ、マリアノ・リベラと共に、盟友を祝福した。

2016年3月11日にタンパベイ・レイズ対キューバ代表の親善試合の特別ゲストとなったことが発表された。7月9日にカリフォルニア州ナパバレーでモデルのハンナ・デービスと結婚式を挙げた。MLBシーズン中に行われたセレモニーには、家族とごく少数の友人だけが招待され、ヤンキースの元選手ではホルヘ・ポサダ、アンドリュー・ジョーンズ、ティノ・マルティネスが列席したという。2人は2012年から交際、デービスはジーターの現役最後のヤンキースタジアム戦にも姿を見せていた。12月6日にヤンキースがジーターの背番号「2」を永久欠番に指定し、2017年5月14日にヤンキースタジアムで記念式典を行われた。これでヤンキースの1桁の背番号は全て永久欠番となった。ただし、0番のみ2019年から現役選手が付けている。

2017年は実業家のブルース・シャーマンとともにマイアミ・マーリンズを買収し、10月3日に最高経営責任者(CEO)に就任した。

2020年1月21日に殿堂入り資格1年目にして得票率99.75%でアメリカ野球殿堂入りを果たした。満票を1票の差で逃したことから、アメリカ中でしばらく「ジーターに投票しなかった奴は誰だ?」と犯人捜しが起こっていた。

2022年2月28日、共にマイアミマーリンズを買収したブルース・シャーマンと意見が割れたことが原因となって、マーリンズのCEOを辞任したことを発表した。

2023年2月13日に第57回スーパーボウルのハーフタイムショーでFOXメジャーリーグベースボール(英語版)の野球解説者に就任することが発表された。6月24日と6月25日にロンドンにてカブスとカージナルスのライバル対決(英語版)で開催された公式戦のロンドンシリーズ(英語版)が解説者としてのデビュー戦となった。元チームメイトのロドリゲスと現役時代のレッドソックスのライバル(英語版)であるデビッド・オルティーズと共に解説を行ったが、誕生日が近かった(6月26日)ジーターに対してオルティーズが誕生日プレゼントとして特注のユニフォームを贈呈したが、それがレッドソックスのユニフォームだったため、投げ捨てて話題となった。

2006年3月に第1回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された。2次リーグで敗退したが、自身はベストナイン(遊撃手部門)に選出された。

2009年3月に開催された第2回WBCのアメリカ合衆国代表に選出され、2大会連続2度目の選出となった。アメリカ合衆国代表に辞退者が相次ぐ中、真っ先に参加を表明し、大会期間中もMLBのスポークスマン的な役割を果たした。チームは準決勝進出を果たすも日本に敗れ、連覇を果たした日本を「優勝は何も驚くことじゃない」と称えた。そして「日本はひどい。みんな足が速いんだ」と感嘆していた。

ベースボールにおけるインスティンクト(本能的に反応する能力)に優れ、ゲームの進み方に関する卓越した知識を活かし、走攻守で頭脳的なプレーを魅せる。常に全力を注ぐプレイスタイルの評価が高い。

優れたミート技術と確かな選球眼で安打を積み重ねる巧打者。

チャンスで勝負強さを発揮するMLB屈指のクラッチヒッターとして知られ、「キャプテン・クラッチ(Captain Clutch)」の異名を持つ。2012年に引退したアトランタ・ブレーブスの強打者チッパー・ジョーンズは現役時代、「1点とられたら負けの場面、2アウトで最も打席に迎えたくないのが、デレク・ジーターだ」と述べている。

引退までに年間200本安打を8回達成しており、通算安打数は歴代6位の3465本、544の二塁打を含めたこの記録はいずれもヤンキースの球団記録である。また、遊撃手の通算安打数も、ルイス・アパリシオを抜いて歴代1位となった。ハイペースで安打数を積み上げており、35歳までの通算安打数のペースでは通算安打数記録保持者のピート・ローズと比べても遜色がない。

ゴロ性の打球が多く、右打ちを得意とする。GB/FB(全ゴロ数÷全フライ数)は毎年平均で2.38に達し、打率.343を記録した2006年は3.25に達した。三遊間の深い位置に飛ぶゴロ性の強い打球が多く、加えて俊足であることから内野安打も多く、ほぼ毎年20本以上の内野安打を放っている。一方で併殺打も多く、2007年、2008年は年間20を超える併殺打を放った[4]。

1996年から2003年までの間、年間平均で約111もの三振を喫しており、2番打者としては比較的多かった。ただし、当時としては2番・遊撃というポジションでジーターほどの攻撃力を見せる選手はほとんどおらず、1990年代後半にはアレックス・ロドリゲス、ノマー・ガルシアパーラと共に3大遊撃手と称された。2009年からは1番打者としての起用が主になった。

遊撃手としてはメジャーリーグでも大柄なほうではあるが、決してパワーヒッターではなく、首位打者のタイトルにも縁がなかった。それどころか現役時代に遂に打撃三冠を1つも獲得することが無かった。しかし選球眼はよく、打率とともに出塁率が高い。通算打率は.310を記録し(特に左投手に対しては通算打率.337と強い)、20年のキャリアの中で好不調の波も少なく、長期に渡り安定した成績を残してきた実績も高く評価されている。

ネクストバッターズサークルで打順を待っているときに、よく観客席の子供と話をしていた。以前にコーチ陣から集中力の妨げになるとたしなめられたこともあったが、「子供たちと試合を楽しみたいんだ。自分には集中力に関する問題はない」と自分のスタイルを貫き通した。

[icon]
この節の加筆が望まれています。
右打者ながら一塁到達まで4.1秒、セーフティバントを試みる際には4.0秒を切ることもある俊足を誇った。加齢に伴い、2008年頃にはスピード面で衰えを指摘されるようになったが、下半身強化に取り組んだ2009年には3年ぶりの30盗塁に到達し、通算300盗塁も達成した。盗塁成功率も2002年に32盗塁を残して成功率91.4%(同年のリーグ1位)、2006年に34盗塁を残して成功率87.1%(リーグ3位)を記録するなどしている。 スライディングする際は、ほとんどがヘッドスライディングである。

守備

ジーターのフィールディング
特徴の一つとして、強烈な印象を残す守備が挙げられる。もっとも象徴的なものとして語られるのが、2001年のアスレチックスとのALDS第3戦で見せた、"The Flip"と呼ばれるプレイである。ヤンキースの1点リードで迎えた7回2死一塁からヤンキースの先発投手マイク・ムッシーナがアスレチックスのテレンス・ロングにライト線を破る長打を浴びる。右翼手のシェーン・スペンサーが本塁に返球したところ、中継に入った一塁手のティノ・マルティネスの頭を超える悪送球になってしまう。ボールが本塁数メートル前の一塁側ファウルラインのあたりを転がるところにジーターが飛び込み、右手でつかんだボールをそのまま捕手のホルヘ・ポサダにバックトス、走者のジェレミー・ジアンビ(ジェイソン・ジアンビの弟で、当時は兄弟揃ってアスレチックスに在籍)を間一髪でタッチアウトにした。のちにジェイソン・ジアンビがフリーエージェントでヤンキースに移籍した際、彼は真っ先に「おい、あのプレーの練習を見せろ」と言ったといわれている。 2007年8月に発行されたアメリカの雑誌『ベースボール・アメリカ』で発表されたアメリカンリーグ全監督の選考によるアメリカンリーグ部門別ベストツール選手ランキングにおいては「最も守備の上手いショート」部門で選出され、2004年から2006年まで3年連続でゴールドグラブ賞を受賞しており、一般の評価は高い。プレーでは三遊間の深い位置に飛んだ内野ゴロを逆シングルで捕球し、そのまま一塁へジャンピングスローする姿がよく見られる。 グラブ捌きに疑問符がつけられることはない一方で、瞬発力に欠けるため守備範囲は広くなく、打者の特徴や傾向を把握した的確なポジションをとることで動き出しの遅さをカバーしていた。特にセイバーメトリクスにおける守備指標の導入後は、各指標でいずれも遊撃手中で低い数値であることが明らかになり、特に2006年から2008年の3年間を対象にしたプラス・マイナス・システムでは全遊撃手中最下位の-68という数値であった。2010年から2012年までの3年間でも、守備防御点が合計-42で全遊撃手中最下位だった。 晩年はコンバート案も浮上し、2009年のWBC後にはニューヨーク・タイムズ紙がジーターの衰えを指摘し、ジミー・ロリンズに比べて守備範囲が狭いことを指摘した上で、外野へのコンバートを提言した。

ポストシーズン

ポストシーズンでも勝負強さを発揮することで知られている。2012年までのキャリア16年間で合計158試合に出場し、本塁打20本、打率/出塁率/長打率はそれぞれ.308/.374/.465といずれも高い数字を残している。この間、ヤンキースは1996年、1998年から2000年の3連覇、さらに2009年と、5度のワールドシリーズを制し、ジーターはその中心選手として活躍した。 2001年のワールドシリーズでは打率1割台と低迷し、チームもアリゾナ・ダイヤモンドバックスに3勝4敗で敗れはしたものの、第4戦で金炳賢から劇的なサヨナラホームランを放ったことから「ミスター・ノベンバー(Mr.November )」と呼ばれた。ワールドシリーズは例年10月中に全日程が終了するが、2001年は9・11テロの影響で日程が遅れ、第4戦は10月31日の開催となった。しかし、9回裏にヤンキースが同点に追いつき延長戦に突入し、10回裏にジーターが打席に入った時点で試合時間が3時間30分を超えて日付が11月1日に変わっていた。ヤンキース往年の名選手レジー・ジャクソンは、ポストシーズンでの活躍により「ミスター・オクトーバー(Mr.October )」と呼ばれたが、ジーターの「ミスター・ノベンバー」はそれになぞらえたものである。

評価

ヤンキース一筋20年、ワールドシリーズ優勝5回という輝かしい経歴を有する。 打撃タイトルとは無縁ながらもハイペースで安打を積み重ね、現役時代からアメリカ野球殿堂入りが確実視されていた。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、イチロー、マリアノ・リベラ、アルバート・プホルス、ジム・トーミの4人とともにジーターの名前が挙げられた。2016年12月6日、ヤンキースはジーターの背番号2を永久欠番とすることを発表した。 2014年の時、MLB10年以上のベテラン野手では唯一のヤンキース生え抜き野手であり、地元ニューヨークでは絶大な人気を誇る。2008年の調査では、ニューヨーク市民の好きなアスリートの1位がジーターだった。また、2012年後半のMLBレプリカユニフォームの売り上げで第1位となるなど、ニューヨークに限らず全米規模で注目を集めるスーパースターであり、最も人気のあるMLB選手に数えられる。 アメリカ合衆国の大手調査会社ハリスが実施した「アメリカ人の好きなアスリート」のランキングでは、2007年にタイガー・ウッズに次ぐ2位に入ったのを皮切りに、毎年のようにトップ10の上位に顔を出している。2011年の同調査では、ペイトン・マニング、コービー・ブライアントらを抑えて初の1位を獲得した。 2009年9月、ルー・ゲーリッグの球団最多安打記録を更新した際、全米メディアが熱狂の渦に包まれた。これほどの注目が集まる理由として、ニューヨークという巨大市場に本拠地を置く名門球団ヤンキースに所属するアメリカ人の生え抜き選手であること、「チームの勝利を第一に考え、自分の数字を追わない選手」として相手チームの選手からも尊敬されるロールモデルであること、ルー・ゲーリッグという伝説的ヒーローに挑むという図式が好まれたことが挙げられる。

人物

類まれなリーダーシップを持つ人格者として知られ、現役時代はヤンキースの第11代主将を務めた。 チームメイトには常に積極的に声をかけ、ベンチでもホームインした選手を真っ先に出迎える。英語が苦手な選手を食事に誘って英語を教えることもある。松井秀喜のように慕うチームメイトは非常に多く、監督を務めたジョー・トーリは著書の中で「ジーターの新人時代、どうしたらこんな人間ができるのかと思った。最初から言うべきことがあまりなかった。教育というより、どういう人間か知りたくて対話した」と記している。2010年4月13日に行われたチャンピオンリング贈呈式では、エンゼルスに移籍した松井にもリングが贈呈されたが、この時に松井に贈呈されたチャンピオンリングは偽物であった。これはジーターがいたずらを仕込んだもので、試合後には本物が渡されるまで松井は気付かなかった。 取材においても、選手は毎回試合後の取材を受けなくてはならない決まりがあるわけではないが、ジーターは負けた試合のあとは必ず報道陣の取材を受ける。20人前後の記者に取り囲まれて、最後のひとりの質問が終わるまで絶対に動かないという。逆に自分が活躍して勝った日などはすぐに帰ってしまうため、あるときに記者のひとりが「なぜ負けた日は丁寧に取材に応じるのに、自分が活躍した日は帰るのか」と質問したところ、ジータ―は「今日は僕以外にも活躍した人がいるから、そちらに脚光を当ててくれ」と答えた。 黒人と白人の間に生まれたハーフであり、成長過程では人種差別を受けることもしばしばあった。しかし両親の賢明な教育方針もあり、家族や友人や教師等、周囲から慕われ愛されながら幸福な子供時代を送った。小学校時代の教師は、たとえ野球選手として有名にならなかったとしても教師の記憶に永久に残る類いの生徒であり、もの静かながらどの人種グループにも自然に溶け込み人を打ち解けた気分にさせる特別な子供だったと語っている。また高校時代の教師も、学業やスポーツに秀でながら驕ったところが全くなく、他の生徒の手助けをする際にも相手に劣等感を抱かせることなく手を差し伸べ、あらゆる人種や経済的背景のグループと分け隔てなく付き合うことのできる生徒だったと証言している。一方、社会的な場では理不尽な差別を受けることもしばしばあり、特に1992年にドラフト1巡目で念願のヤンキースに入団してマイナーで初シーズンを過ごした後、初めて凱旋気分で帰郷した折にファストフード店の駐車場で「ニガー」と野次られた経験は、それまでになく悔しく許せないものだった。しかしヤンキー・スタジアムのファンから差別語を言われたことは1度もないと語っている。 毎年優れた成績を残すジーターだが、個人記録にはまったく興味を示さない。「チームスポーツをやっているのだから、何よりも勝つことがすべて」という考えを貫いている。よって、新人の頃から個人成績に関する取材を極端に嫌うことで有名である。また、審判に対しても非常に丁寧に接することで知られる。幼少時代に、父から「審判を敬え、文句を言うな」と言い聞かされて育ったため、審判の判定にクレームをつけることはない。際どい判定で主審と言葉を交わすのも、あくまで確認のためである。節目のシーズン200安打を達成した際にも、記念のボールは受け取らない。これについて、イチローは、「200本目のヒット(のボール)を取らないのはすごいなと思って。ボール欲しいよね、普通。そういうところで、ジーターって選手にすごみを感じます」とコメントしている。 甘いマスクから女性ファンに非常に人気がある。プレイボーイとして知られ、女性関係の話題は事欠かない。過去には、人気シンガーのマライア・キャリー、2000年のミス・ユニバース優勝者ララ・ダッタ(Lara Dutta)、歌手ジョイ・エンリケス(Joy Enriquez)、女優ジョーダナ・ブリュースター、女優スカーレット・ヨハンソン、女優ガブリエル・ユニオン、女優ジェシカ・アルバ、ファッションモデルのタイラ・バンクス、女優ジェシカ・ビール、タレントのヴァネッサ・ミニーロ(Vanessa Minnillo)との交際が報じられた。ヤンキースオーナーのジョージ・スタインブレナーから「夜な夜なパーティーにうつつを抜かしている」と苦言を呈されたこともあるが、この時には「俺はパーティーアニマルじゃない」と反論。この騒動は本人出演のパロディーCMが制作されるほどの話題になった。その後ミンカ・ケリー(Minka Kelly)と交際し、2009年8月にはニューヨーク・ポスト紙が2人は結婚間近であると報じたが、2011年8月26日にケリーの事務所が破局を発表した。 MLBを代表する人気選手であるジーターは、スポーツ用品などを中心に数多くのCMに出演している。日本では、打撃練習器具「ジップヒット」の通信販売CMが有名である。 ニューヨーク・マンハッタンの高級アパートメントの1フロア(penthouse)を所有していたが2012年に売り払い、現在は主にフロリダ州タンパの豪邸に住んでいる。 2013年に出版社を立ち上げ、「現役引退後の青写真が、これで決まってくる」と話した。 選手引退後、ミシガン州のスポーツ殿堂にノミネートされたが、多忙なスケジュールと悪天候が重なったことが原因で式典当日までに航空便の折り合いが付かなかったため式典に出席できず当日欠席し、そのままスポーツ殿堂の話はお流れになった。

家族">家族

引退後の2016年7月9日に、2012年から交際していたハンナ・デービスと結婚式を挙げた。2017年8月17日、第一子誕生。女児でベラ・レイン(Bella Raine)と名付けられた。 その後2019年1月に第二子(女児)、2021年12月に第三子(女児)、2023年5月に第四子(男児)が誕生している。

慈善活動

慈善活動に積極的である。ルーキー年の1996年9月に、子供たちを健全な生活スタイルに導くための組織を立ち上げたい意向を、当時ソーシャル・ワーカーをしていた父親に打ち明けるとともに仕事を止めて組織を運営してくれるよう依頼した。父親はジーターの決意が真剣であることを確認後、その方がより多くの人々を助けることができると考え承諾し、同年12月に反薬物の啓発や、奨学金の給付などを行う「ターン2ファウンデーション」という組織を立ち上げた。やがて実務に忙殺される父親の体調を心配する母親と大学を卒業した妹が加わり、現在ではニューヨーク、ミシガン、フロリダ州タンパ地域で活動を展開している。2009年には、社会福祉や地域奉仕に貢献した選手に贈られるロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

詳細情報

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁死 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振 併殺打 打率 出塁率 長打率 OPS
1995 NYY 15 51 48 5 12 4 1 0 18 7 0 0 0 0 3 0 0 11 0 .250 .294 .375 .669
1996 157 654 582 104 183 25 6 10 250 78 14 7 6 9 48 1 9 102 13 .314 .370 .430 .800
1997 159 748 654 116 190 31 7 10 265 70 23 12 8 2 74 0 10 125 14 .291 .370 .405 .775
1998 149 694 626 127 203 25 8 19 301 84 30 6 3 3 57 1 5 119 13 .324 .384 .481 .864
1999 158 739 627 134 219 37 9 24 346 102 19 8 3 6 91 5 12 116 12 .349 .438 .552 .989
2000 148 679 593 119 201 31 4 15 285 73 22 4 3 3 68 4 12 99 14 .339 .416 .481 .896
2001 150 686 614 110 191 35 3 21 295 74 27 3 5 1 56 3 10 99 13 .311 .377 .480 .858
2002 157 730 644 124 191 26 0 18 271 75 32 3 3 3 73 2 7 114 14 .297 .373 .421 .794
2003 119 542 482 87 156 25 3 10 217 52 11 5 3 1 43 2 13 88 10 .324 .393 .450 .844
2004 154 721 643 111 188 44 1 23 303 78 23 4 16 2 46 1 14 99 19 .292 .352 .471 .823
2005 159 752 654 122 202 25 5 19 294 70 14 5 7 3 77 3 11 117 15 .309 .389 .450 .839
2006 154 715 623 118 214 39 3 14 301 97 34 5 7 4 69 4 12 102 13 .343 .417 .483 .900
2007 156 714 639 102 206 39 4 12 289 73 15 8 3 2 56 3 14 100 21 .322 .388 .452 .840
2008 150 668 596 88 179 25 3 11 243 69 11 5 7 4 52 0 9 85 24 .300 .363 .408 .771
2009 153 716 634 107 212 27 1 18 295 66 30 5 4 1 72 4 5 90 18 .334 .406 .465 .871
2010 157 739 663 111 179 30 3 10 245 67 18 5 1 3 63 4 9 106 22 .270 .340 .370 .710
2011 131 607 546 84 162 24 4 6 212 61 16 6 4 5 46 0 6 81 10 .297 .355 .388 .743
2012 159 740 683 99 216 32 0 15 293 58 9 4 6 1 45 1 5 90 24 .316 .362 .429 .791
2013 17 73 63 8 12 1 0 1 16 7 0 0 0 1 8 1 1 10 3 .190 .288 .254 .542
2014 145 634 581 47 149 19 1 4 182 50 10 2 8 4 35 0 6 87 15 .256 .304 .313 .617
MLB:20年 2747 12602 11195 1923 3465 544 66 260 4921 1311 358 97 97 58 1082 39 170 1840 287 .310 .377 .440 .817
    各年度の太字はリーグ最高

    赤太字はMLBポストシーズン歴代最高

    太字年はゴールドグラブ賞受賞

    新人王:(1996年)

    シルバースラッガー賞(遊撃手部門):5回(2006年 - 2009年、2012年)※歴代4位

    ゴールドグラブ賞(遊撃手部門):5回(2004年 - 2006年、2009年 - 2010年)※歴代5位タイ

    ワールドシリーズMVP:1回(2000年)

    ハンク・アーロン賞:2回(2006年、2009年)

    ベーブ・ルース賞:1回(2000年)

    ロベルト・クレメンテ賞:1回(2009年)

    ルー・ゲーリッグ賞:1回(2010年)

    オールスターMVP:1回(2000年)※オールスターゲームとワールドシリーズ両方のMVPを同じ年に受賞した選手はMLB史上初(2019年シーズン終了時点)

    コミッショナー特別表彰:1回(2014年)

    プレイヤーズ・チョイス・アワード

      アメリカンリーグ最優秀新人:(1996年)

      プレイヤー・オブ・ザ・マンス:1回(1998年8月)

      ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞:1回(1994年)

      MLBオールスターゲーム選出:14回(1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年、2014年)※歴代15位タイ

      シーズン安打試合数135:(1999年)※MLBタイ記録

      通算打席:12602(歴代10位)

      通算打数:11195(歴代7位)

      通算得点:1923(歴代10位)

      通算安打:3465(歴代6位)

      通算補殺:6605(遊撃手として歴代10位)

      2(1995年 - 2014年)※ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番

      2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表

      2009 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表

      ^ “英語のIPA発音記号変換 (アメリカ英語)”. tophonetics.com. 2019年5月23日閲覧。

      ^ “ジーターを特別表彰=コミッショナー”. 時事通信 (2014年9月24日). 2014年9月24日閲覧。

      ^ Jeter, Derek (2004-02-02). “Kalamazoo Kid”. Sports Illustrated. http://sportsillustrated.cnn.com/magazine/features/si50/states/michigan/essay/ 2009年7月7日閲覧。. 

      ^ Ian O'Connor (1999年10月26日). “For Yanks' Jeter, life is beautiful”. USA Today. http://www.usatoday.com/sports/baseball/99play/wsfs41.htm 2009年7月10日閲覧。 

      ^ 梅田香子,『松井秀喜 メジャー交友録』 VOL.4 目指せ新人王! 松井にジーターの輝きを(前編),スポーツナビ,2003/03/25

      ^ Acocella, Nick (2006年9月9日). “Jeter Drives the Yankees”. ESPN Classic.com. http://sports.espn.go.com/espn/classic/bio/news/story?page=Jeter_Derek 2009年7月23日閲覧。 

      ^ Jeter, Derek; Jack Curry (2000). The life you imagine : life lessons for achieving your dreams. New York: Crown Publishers. ISBN 9780609807187 

      ^ Buster Olney (2004年8月23日). “Jeter: Dynasty's child”. ESPN. http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?columnist=olney_buster&id=1863947 2009年7月13日閲覧。 

      ^ “1992 DRAFT TRACKER” (英語). MLB.com. 2021年4月1日閲覧。

      ^ Acocella, Nick (2007年). “Jeter always in position to win”. ESPN Classic. 2008年9月8日閲覧。

      ^ “Derek Jeter 2007 Career Highlights” (英語). 2008年5月25日閲覧。

      ^ “Derek Jeter 1996 Career Highlights” (英語). 2008年5月25日閲覧。

      ^ “Baseball Awards Voting for 1996 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年5月25日閲覧。

      ^ “Derek Jeter 1998 Career Highlights” (英語). 2008年5月25日閲覧。

      ^ “Jeter statement on Gold Glove”. MLB.com Yankees Press Release (2004年11月2日). 2014年8月8日閲覧。

      ^ “Statement from Derek Jeter regarding 2005 Gold Glove”. MLB.com Yankees Press Release (2004年11月1日). 2014年8月8日閲覧。

      ^ 出野哲也「ア・リーグMVP&サイ・ヤング賞 真のMVPは誰だ!!」 『月刊スラッガー』104号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、8-13頁。

      ^ “Jeter sets all-time shortstop hits mark” (英語). 2009年8月18日閲覧。

      ^ ジーター ゲーリッグ超えの2723安打,スポニチ,2009/09/13

      ^ 出村義和,ジーターの見果てぬ夢 ヤンキースの球団記録を塗り替えたキャプテンの素顔,スポーツナビ(2009/09/16)

      ^ Bryan Hoch (2009年7月28日). “Jeter making long strides at shortstop”. MLB.com. http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090727&content_id=6094262&vkey=news_nyy&fext=.jsp&c_id=nyy&partnerId=rss_nyy 2009年7月29日閲覧。 

      ^ “Yankees re-sign shortstop Derek Jeter to a three-year contract through 2013 with a one-year player option for 2014”. MLB.com Yankees Press Release (2010年12月7日). 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2010年12月7日). “Jeter happy with deal, displeased by process”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ ヤンキースのジーター 3000本安打を本塁打で達成

      ^ Paul Casella (2013年4月27日). “Nova to DL with triceps strain; Nuno promoted”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch, Josh Vitale (2013年7月11日). “Gardner, Hafner bruised but day to day”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2013年7月12日). “Jeter has quad strain, won't be back until after break”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2013年7月19日). “Jeter placed on 15-day DL with right quad strain”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ David Wilson (2013年7月28日). “Jeter could start for Yanks on Sunday after sim game”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2013年8月5日). “Strained right calf could land Jeter on DL again”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2013年8月27日). “Nunez to serve in utility role with Jeter back”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2013年9月12日). “Jeter's injury-plagued season comes to an end”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ Bryan Hoch (2013年9月14日). “Phelps reinstated from DL to bolster bullpen”. MLB.com. 2014年8月8日閲覧。

      ^ “Yankees re-sign shortstop Derek Jeter to one-year contract”. MLB.com Yankees Press Release (2013年11月1日). 2014年8月8日閲覧。

      ^ “Statements regarding Derek Jeter announcing retirement following 2014 season”. MLB.com Yankees Press Release (2014年2月12日). 2014年2月13日閲覧。

      ^ “ジーターを特別表彰 過去にはイチローも”. スポーツニッポン (2014年9月24日). 2014年9月24日閲覧。

      ^ “Core Four in attendance to watch Derek Jeter's 'perfect ending'”. Newsday (2014年9月26日). 2014年9月26日閲覧。

      ^ “ジーター、幸せな結末で「夢終わる」”. 日刊スポーツ (2014年9月27日). 2014年9月27日閲覧。

      ^ “Jeter's final at-bat(動画)”. MLB.com(MLB公式サイト) (2014年9月28日). 2014年9月30日閲覧。

      ^ “ジーター、現役最後の試合で打点挙げチームに貢献”. AFP=時事 (2014年9月29日). 2014年9月29日閲覧。

      ^ “ジーター、現役20年に終止符”. 朝日新聞(共同) (2014年9月29日). 2014年9月29日閲覧。

      ^ Chad Jennings (2014年10月1日). “Jeter announces formation of The Players' Tribune”. USA TODAY. 2014年10月2日閲覧。

      ^ “コービー引退「もうこれ以上あなたを愛し続けることはできません」”. スポーツニッポン (2015年11月30日). 2016年8月4日閲覧。

      ^ “ジーター氏がイチローへの想い綴る 「何よりも胸に刻まれている」時間とは”. Full-count (2016年8月4日). 2016年8月4日閲覧。

      ^ “Why Derek Jeter thinks owning a team is next logical move”. New York Post (2014年6月2日). 2015年3月16日閲覧。

      ^ “Yankees honor Bernie Williams by retiring No. 51 while Derek Jeter returns to Yankee Stadium for first time since retirement”. NY Daily News (2015年5月24日). 2015年5月25日閲覧。

      ^ Commissioner to be joined by Jeter, Tiant, Cardenal on historic trip to Cuba MLB.com (英語) (2016年3月11日) 2016年6月8日閲覧

      ^ “Derek Jeter marries Hannah Davis”. NEW YORK POST(Page Six) (2016年7月10日). 2016年7月10日閲覧。

      ^ ジーターの欠番指定により、ヤンキースの一桁台の背番号がすべて永久欠番になった。

      ^ “ジーター「2」が永久欠番 ヤンキース1~10は全て欠番に”. スポニチアネックス. (2016年12月7日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/07/kiji/K20161207013863180.html 2016年12月7日閲覧。 

      ^ “ジーター氏らのマーリンズ買収を承認 MLB”. 日本経済新聞 (2017年9月29日). 2017年10月17日閲覧。

      ^ “ジーター氏、マーリンズCEO就任 イチロー契約「これから」”. 日本経済新聞 (2017年10月4日). 2017年10月17日閲覧。

      ^ “Highest voting percentages in HOF history” (英語). MLB.com. 2020年1月22日閲覧。

      ^ ジーター氏満票殿堂に1票届かず“犯人捜し”始まる 日刊スポーツ 2020年1月22日18時51分 (2025年1月23日閲覧)

      ^ “ジーター氏がマーリンズのCEO辞任「このチームの一員になれたことを本当に感謝」”. 日刊スポーツ. 2022年3月1日閲覧。

      ^ Bryan Horowitz (2023年2月13日). “Jeter joins FOX crew as studio analyst for '23” (英語). MLB.com. 2023年6月26日閲覧。

      ^ Cole Jacobson (2023年6月24日). “Jeter tosses gift from Big Papi -- with good reason!” (英語). MLB.com. 2023年6月25日閲覧。

      ^ 2006 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年9月1日閲覧

      ^ 2009 Tournament Roster The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年9月1日閲覧

      ^ 出野哲也 「BEST PLAYER RANKING 2009/C 2009捕手ッランキング」 『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、28頁。

      ^ 【WBC】「日本はひどい。みんな足が速いんだ」 ジーター感嘆 2009.3.25 10:35 MSN産経

      ^ 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2005年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、10-13頁。

      ^ 『MLBカウントダウン』NHKBS1、2012年11月4日

      ^ 芝山幹郎,ジーターと大きな猫。~好調ヤンキースを牽引する30代~,Number Web(2009/09/09)

      ^ ジーターは伝説超えた ゲーリッグ抜く球団新2723案打,中日スポーツ

      ^ “Jeter's backhand flip rescues Yankees - ESPN.com” (英語). 2009年9月7日閲覧。

      ^ “2001 ALDS, Game 3: Yankees at A's” (英語). 2012年10月7日閲覧。

      ^ FanGraphs Derek Jeter Advanced Fielding

      ^ 2006-2008 Plus/Minus Leaders,The Fielding Bible

      ^ Major League Leaderboards » 2012 » Shortstops » Fielding Statistics | FanGraphs Baseball

      ^ Jack Curry,Jeter, Face of the U.S. Team, Looks His Age at the Classic,New York Times(英語),2009/03/24

      ^ Bryan Hoch (2009年7月28日). “Jeter making long strides at shortstop”. MLB.com. http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090727&content_id=6094262&vkey=news_nyy&fext=.jsp&c_id=nyy&partnerId=rss_nyy 2009年7月29日閲覧。 

      ^ https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/01/07/kiji/K20130107004923590.html

      ^ https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130107-1068891.html

      ^ Poll says Red Sox more popular statewide than lowly Knicks New York Daily News(英語),2009年8月18日閲覧

      ^ Jeter's No. 2 is No. 1-selling jersey since break

      ^ Tiger’s Great: Tiger Woods is America’s Favorite Sports Star,Harris Poll,2009/07/16

      ^ Way To Go - Derek Jeter Has 3,000 Hits and is America's Favorite Sports Star

      ^ イチロー“金字塔”も…米での評価「ほとんど」ナシ,ZAKZAK,2009/09/14

      ^ 【メジャーリーグ】ジーターとの“報道格差”,産経新聞,2009/09/15

      ^ 野球好きの日本人に贈る トーリ監督の著書、出版,スポーツナビ,2005/11/22

      ^ 選手の素晴らしさを伝える醍醐味 - 日経トレンディネット

      ^ 幼少期に父親が黒人と言う理由だけで、アパートなど部屋を貸してくれなく、白人の母親父親に代わって契約していたなど、つらい時期があったと「CBSドキュメント 60Minusts」のインタビューで語っている。[1]

      ^ [Buster Olney(2004).THE LAST NIGHT OF THE YANKEE DYNASTY:HarperCollins Publishers Inc.]

      ^ [2]

      ^ 「僕に追いつけジーター」/イチ一問一答

      ^ “ESPN.com: Page 3 - Derek Jeter: All-Star ladies' man”. Sports.espn.go.com. 2008年9月16日閲覧。

      ^ Tom Verducci (2000年11月6日). “The Toast Of The Town”. Sports Illustrated. http://vault.sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1020985/2/index.htm 2009年7月18日閲覧。 

      ^ Bob Gillies, Greg Gittrich, and Kristoffer Garin (2001年8月19日). “JETER SWEETER A-Rod says OK as ex-date is seen with Yankee star”. New York Daily News. http://www.nydailynews.com/archives/news/2001/08/19/2001-08-19_jeter_sweeter_a-rod_says_ok_.html 2009年7月18日閲覧。 

      ^ “Sports Beat”. Sports Illustrated. (2002年7月15日). http://vault.sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1026234/index.htm 2009年7月18日閲覧。 

      ^ Hasani Gittens (2007年1月29日). “DEREK'S DOMINOS”. New York Post. http://www.nypost.com/seven/01292007/news/regionalnews/dereks_dominos_regionalnews_hasani_gittens.htm 2009年7月18日閲覧。 

      ^ “Alba is latest Jeter interest”. Chicago Tribune. (2004年7月29日). http://pqasb.pqarchiver.com/chicagotribune/access/670901781.html?dids=670901781:670901781&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&date=Jul+29%2C+2004&author=&pub=Chicago+Tribune&desc=Alba+is+latest+Jeter+interest&pqatl=google 2009年7月18日閲覧。 

      ^ Paul White (2008年7月14日). “Pinstripes a perfect fit for Yankees All-Star Jeter”. USA Today. http://www.usatoday.com/sports/baseball/al/yankees/2008-07-13-jeter_N.htm 2009年7月18日閲覧。 

      ^ “Biel Dating Jeter?”. San Francisco Chronicle. 2006年11月16日閲覧。

      ^ Jason McIntyre. “Derek Jeter: All-Star ladies' man”. ESPN.com. 2005年2月14日閲覧。

      ^ Tyler Kepner,Jeter Is Quietly Angry About Steinbrenner's Barbs,New York Times(英語),2003/02/14

      ^ Yankee doodle circus,SI.com(英語),2003/02/17

      ^ YouTube - Jeter - Steinbrenner VISA Commercial

      ^ “Derek Jeter talks Minka Kelly (sort of)”. Sports Illustrated. (2008年10月28日). http://vault.sportsillustrated.cnn.com/vault/article/web/COM1147484/4/index.htm 2009年7月18日閲覧。 

      ^ Derek Jeter: Engaged to Minka Kelly?,The Hollywood Gossip,2009/08/27

      ^ [3]

      ^ ジップヒット プライムショッピング テレビショッピング

      ^ “Derek Jeter sells Trump World Tower home for $15.5 million”. NY Daily News (2012年10月10日). 2014年9月26日閲覧。

      ^ “ジーターが出版社立ち上げ”. 日刊スポーツ (2013年11月17日). 2014年9月26日閲覧。

      ^ “Derek Jeter welcomes daughter Bella Raine”. Fox News (2017年8月18日). 2017年8月19日閲覧。

      ^ “世の中に貢献した男”…それはデレク・ジーター!,スポーツニッポン,2009/10/31

      ^ 2006 WBC Player Hitting StatsMLB.com 2023年3月24日閲覧

      ^ 2009 WBC Player Hitting StatsMLB.com 2023年3月24日閲覧

      メジャーリーグベースボールの選手一覧 J

      選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)

      Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介

      Derek Jeter stats MiLB.com (英語)

      Derek Jeter.com (英語)

      Derek Jeter (derekjeter) - Facebook

      ルイス・アパリシオ

      ルーク・アップリング

      デイブ・バンクロフト

      アーニー・バンクス

      ルー・ブードロー

      ジョー・クローニン

      ジョージ・デイヴィス

      トラビス・ジャクソン

      ヒューイー・ジェニングス

      デレク・ジーター

      バリー・ラーキン

      ジョン・ヘンリー・ロイド

      ラビット・モランビル

      ピー・ウィー・リース

      カル・リプケン・ジュニア

      フィル・リズート

      ジョー・シーウェル

      オジー・スミス

      ジョー・ティンカー

      アラン・トランメル

      アーキー・ヴォーン

      ホーナス・ワグナー

      ボビー・ウォレス

      モンテ・ウォード

      ウィリー・ウェルズ

      ロビン・ヨーント

      49 ロイ・シーバース(英語版)

      50 ウォルト・ドローポ(英語版)

      51 ギル・マクドゥガルド(英語版)

      52 ハリー・バード(英語版)

      53 ハービー・キーン

      54 ボブ・グリム(英語版)

      55 ハーブ・スコア

      56 ルイス・アパリシオ

      57 トニー・クーベック

      58 アルビー・ピアーソン(英語版)

      59 ボブ・アリソン

      60 ロン・ハンセン(英語版)

      61 ドン・シュウォール(英語版)

      62 トム・トレッシュ(英語版)

      63 ゲイリー・ピーターズ(英語版)

      64 トニー・オリバ

      65 カート・ブレファリー(英語版)

      66 トミー・エイジー

      67 ロッド・カルー

      68 スタン・バーンセン(英語版)

      69 ルー・ピネラ

      70 サーマン・マンソン

      71 クリス・チャンブリス

      72 カールトン・フィスク

      73 アル・バンブリー

      74 マイク・ハーグローヴ

      75 フレッド・リン

      76 マーク・フィドリッチ

      77 エディ・マレー

      78 ルー・ウィテカー

      79 ジョン・カスティーノ(英語版)、アルフレッド・グリフィン

      80 ジョー・シャボニュー

      81 デイブ・リゲッティ

      82 カル・リプケン・ジュニア

      83 ロン・キトル

      84 アルビン・デービス

      85 オジー・ギーエン

      86 ホセ・カンセコ

      87 マーク・マグワイア

      88 ウォルト・ワイス

      89 グレッグ・オルソン

      90 サンディー・アロマー・ジュニア

      91 チャック・ノブロック

      92 パット・リスタッチ

      93 ティム・サーモン

      94 ボブ・ハムリン(英語版)

      95 マーティ・コードバ

      96 デレク・ジーター

      97 ノマー・ガルシアパーラ

      98 ベン・グリーブ

      99 カルロス・ベルトラン

      00 佐々木主浩

      01 イチロー

      02 エリック・ヒンスキー

      03 アンヘル・ベローア

      04 ボビー・クロスビー

      05 ヒューストン・ストリート

      06 ジャスティン・バーランダー

      07 ダスティン・ペドロイア

      08 エバン・ロンゴリア

      09 アンドリュー・ベイリー

      10 ネフタリ・フェリス

      11 ジェレミー・ヘリクソン

      12 マイク・トラウト

      13 ウィル・マイヤーズ

      14 ホセ・アブレイユ

      15 カルロス・コレア

      16 マイケル・フルマー

      17 アーロン・ジャッジ

      18 大谷翔平

      19 ヨルダン・アルバレス

      20 カイル・ルイス

      21 ランディ・アロサレーナ

      22 フリオ・ロドリゲス

      23 ガナー・ヘンダーソン

      24 ルイス・ヒール

      80 ロビン・ヨーント

      81 リック・バールソン

      82 ロビン・ヨーント

      83 カル・リプケン・ジュニア

      84 カル・リプケン・ジュニア

      85 カル・リプケン・ジュニア

      86 カル・リプケン・ジュニア

      87 アラン・トランメル

      88 アラン・トランメル

      89 カル・リプケン・ジュニア

      90 アラン・トランメル

      91 カル・リプケン・ジュニア

      92 トラビス・フライマン

      93 カル・リプケン・ジュニア

      94 カル・リプケン・ジュニア

      95 ジョン・バレンティン(英語版)

      96 アレックス・ロドリゲス

      97 ノマー・ガルシアパーラ

      98 アレックス・ロドリゲス

      99 アレックス・ロドリゲス

      00 アレックス・ロドリゲス

      01 アレックス・ロドリゲス

      02 アレックス・ロドリゲス

      03 アレックス・ロドリゲス

      04 ミゲル・テハダ

      05 ミゲル・テハダ

      06 デレク・ジーター

      07 デレク・ジーター

      08 デレク・ジーター

      09 デレク・ジーター

      10 アレクセイ・ラミレス

      11 アズドルバル・カブレラ

      12 デレク・ジーター

      13 J.J.ハーディ

      14 アレクセイ・ラミレス

      15 ザンダー・ボガーツ

      16 ザンダー・ボガーツ

      17 フランシスコ・リンドーア

      18 フランシスコ・リンドーア

      19 ザンダー・ボガーツ

      20 ティム・アンダーソン

      21 ザンダー・ボガーツ

      22 ザンダー・ボガーツ

      23 コーリー・シーガー

      24 ボビー・ウィット・ジュニア

      捕手

      一塁手

      二塁手

      三塁手

      外野手

      指名打者

      58 ルイス・アパリシオ

      59 ルイス・アパリシオ

      60 ルイス・アパリシオ

      61 ルイス・アパリシオ

      62 ルイス・アパリシオ

      63 ソイロ・ベルサイエス

      64 ルイス・アパリシオ

      65 ソイロ・ベルサイエス

      66 ルイス・アパリシオ

      67 ジム・フレゴシ

      68 ルイス・アパリシオ

      69 マーク・ベランガー

      70 ルイス・アパリシオ

      71 マーク・ベランガー

      72 エド・ブリンクマン(英語版)

      73 マーク・ベランガー

      74 マーク・ベランガー

      75 マーク・ベランガー

      76 マーク・ベランガー

      77 マーク・ベランガー

      78 マーク・ベランガー

      79 リック・バールソン

      80 アラン・トランメル

      81 アラン・トランメル

      82 ロビン・ヨーント

      83 アラン・トランメル

      84 アラン・トランメル

      85 アルフレド・グリフィン

      86 トニー・フェルナンデス

      87 トニー・フェルナンデス

      88 トニー・フェルナンデス

      89 トニー・フェルナンデス

      90 オジー・ギーエン

      91 カル・リプケン・ジュニア

      92 カル・リプケン・ジュニア

      93 オマー・ビスケル

      94 オマー・ビスケル

      95 オマー・ビスケル

      96 オマー・ビスケル

      97 オマー・ビスケル

      98 オマー・ビスケル

      99 オマー・ビスケル

      00 オマー・ビスケル

      01 オマー・ビスケル

      02 アレックス・ロドリゲス

      03 アレックス・ロドリゲス

      04 デレク・ジーター

      05 デレク・ジーター

      06 デレク・ジーター

      07 オーランド・カブレラ

      08 マイケル・ヤング

      09 デレク・ジーター

      10 デレク・ジーター

      11 エリック・アイバー

      12 J.J.ハーディ

      13 J.J.ハーディ

      14 J.J.ハーディ

      15 アルシデス・エスコバー

      16 フランシスコ・リンドーア

      17 アンドレルトン・シモンズ

      18 アンドレルトン・シモンズ

      19 フランシスコ・リンドーア

      20 J.P.クロフォード

      21 カルロス・コレア

      22 ジェレミー・ペーニャ

      23 アンソニー・ボルピー

      24 ボビー・ウィット・ジュニア

      投手

      捕手

      一塁手

      二塁手

      三塁手

      外野手

      99 マニー・ラミレス

      00 カルロス・デルガド

      01 アレックス・ロドリゲス

      02 アレックス・ロドリゲス

      03 アレックス・ロドリゲス

      04 マニー・ラミレス

      05 デビッド・オルティーズ

      06 デレク・ジーター

      07 アレックス・ロドリゲス

      08 ケビン・ユーキリス

      09 デレク・ジーター

      10 ホセ・バティスタ

      11 ホセ・バティスタ

      12 ミゲル・カブレラ

      13 ミゲル・カブレラ

      14 マイク・トラウト

      15 ジョシュ・ドナルドソン

      16 デビッド・オルティーズ

      17 ホセ・アルトゥーベ

      18 J.D.マルティネス

      19 マイク・トラウト

      20 ホセ・アブレイユ

      21 ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア

      22 アーロン・ジャッジ

      23 大谷翔平

      24 アーロン・ジャッジ

      1955 ジョニー・ポドレス

      1956 ドン・ラーセン

      1957 ルー・バーデット

      1958 ボブ・ターリー

      1959 ラリー・シェリー(英語版)

      1960 ボビー・リチャードソン

      1961 ホワイティー・フォード

      1962 ラルフ・テリー(英語版)

      1963 サンディー・コーファックス

      1964 ボブ・ギブソン

      1965 サンディー・コーファックス

      1966 フランク・ロビンソン

      1967 ボブ・ギブソン

      1968 ミッキー・ロリッチ

      1969 ドン・クレンデノン

      1970 ブルックス・ロビンソン

      1971 ロベルト・クレメンテ

      1972 ジーン・テナス(英語版)

      1973 レジー・ジャクソン

      1974 ローリー・フィンガーズ

      1975 ピート・ローズ

      1976 ジョニー・ベンチ

      1977 レジー・ジャクソン

      1978 バッキー・デント

      1979 ウィリー・スタージェル

      1980 マイク・シュミット

      1981 ロン・セイ、ペドロ・ゲレーロ、スティーブ・イェーガー

      1982 ダレル・ポーター

      1983 リック・デンプシー

      1984 アラン・トランメル

      1985 ブレット・セイバーヘイゲン

      1986 レイ・ナイト

      1987 フランク・バイオーラ

      1988 オーレル・ハーシュハイザー

      1989 デーブ・スチュワート

      1990 ホセ・リーホ

      1991 ジャック・モリス

      1992 パット・ボーダーズ

      1993 ポール・モリター

      1994 開催中止

      1995 トム・グラビン

      1996 ジョン・ウェッテランド

      1997 リバン・ヘルナンデス

      1998 スコット・ブロシアス

      1999 マリアノ・リベラ

      2000 デレク・ジーター

      2001 ランディ・ジョンソン、カート・シリング

      2002 トロイ・グロース

      2003 ジョシュ・ベケット

      2004 マニー・ラミレス

      2005 ジャーメイン・ダイ

      2006 デビッド・エクスタイン

      2007 マイク・ローウェル

      2008 コール・ハメルズ

      2009 松井秀喜

      2010 エドガー・レンテリア

      2011 デビッド・フリース

      2012 パブロ・サンドバル

      2013 デビッド・オルティーズ

      2014 マディソン・バンガーナー

      2015 サルバドール・ペレス

      2016 ベン・ゾブリスト

      2017 ジョージ・スプリンガー

      2018 スティーブ・ピアース

      2019 スティーブン・ストラスバーグ

      2020 コーリー・シーガー

      2021 ホルヘ・ソレア

      2022 ジェレミー・ペーニャ

      2023 コーリー・シーガー

      2024 フレディ・フリーマン

      1961 モーリー・ウィルス

      1962 レオン・ワグナー(英語版)

      1963 ウィリー・メイズ

      1964 ジョニー・キャリソン(英語版)

      1965 フアン・マリシャル

      1966 ブルックス・ロビンソン

      1967 トニー・ペレス

      1968 ウィリー・メイズ

      1969 ウィリー・マッコビー

      1970 カール・ヤストレムスキー

      1971 フランク・ロビンソン

      1972 ジョー・モーガン

      1973 ボビー・ボンズ

      1974 スティーブ・ガービー

      1975 ジョン・マトラック、ビル・マドロック

      1976 ジョージ・フォスター

      1977 ドン・サットン

      1978 スティーブ・ガービー

      1979 デーブ・パーカー

      1980 ケン・グリフィー・シニア

      1981 ゲイリー・カーター

      1982 デーブ・コンセプシオン

      1983 フレッド・リン

      1984 ゲイリー・カーター

      1985 ラマー・ホイト

      1986 ロジャー・クレメンス

      1987 ティム・レインズ

      1988 テリー・スタインバック

      1989 ボー・ジャクソン

      1990 フリオ・フランコ

      1991 カル・リプケン・ジュニア

      1992 ケン・グリフィー・ジュニア

      1993 カービー・パケット

      1994 フレッド・マグリフ

      1995 ジェフ・コーナイン

      1996 マイク・ピアッツァ

      1997 サンディー・アロマー・ジュニア

      1998 ロベルト・アロマー

      1999 ペドロ・マルティネス

      2000 デレク・ジーター

      2001 カル・リプケン・ジュニア

      2002 引き分けのため選出なし

      2003 ギャレット・アンダーソン

      2004 アルフォンソ・ソリアーノ

      2005 ミゲル・テハダ

      2006 マイケル・ヤング

      2007 イチロー

      2008 J.D.ドリュー

      2009 カール・クロフォード

      2010 ブライアン・マッキャン

      2011 プリンス・フィルダー

      2012 メルキー・カブレラ

      2013 マリアノ・リベラ

      2014 マイク・トラウト

      2015 マイク・トラウト

      2016 エリック・ホズマー

      2017 ロビンソン・カノ

      2018 アレックス・ブレグマン

      2019 シェーン・ビーバー

      2021 ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア

      2022 ジャンカルロ・スタントン

      2023 エリアス・ディアス

      2024 ジャレン・デュラン

      49 ジョー・ペイジ(英語版)

      50 ジェリー・コールマン

      51 フィル・リズート

      52 ジョニー・マイズ

      53 ビリー・マーチン

      54 ダスティ・ローズ

      55 ジョニー・ポドレス

      56 ドン・ラーセン

      57 ルー・バーデット

      58 エルストン・ハワード

      59 ラリー・シェリー(英語版)

      60 ビル・マゼロスキー

      61 ホワイティー・フォード

      62 ラルフ・テリー(英語版)

      63 サンディー・コーファックス

      64 ボブ・ギブソン

      65 サンディー・コーファックス

      66 フランク・ロビンソン

      67 ルー・ブロック

      68 ミッキー・ロリッチ

      69 アル・ワイス(英語版)

      70 ブルックス・ロビンソン

      71 ロベルト・クレメンテ

      72 ジーン・テナス(英語版)

      73 バート・キャンパネリス

      74 ディック・グリーン(英語版)

      75 ルイス・ティアント

      76 ジョニー・ベンチ

      77 レジー・ジャクソン

      78 バッキー・デント

      79 ウィリー・スタージェル

      80 タグ・マグロウ

      81 ロン・セイ

      82 ブルース・スーター

      83 リック・デンプシー

      84 ジャック・モリス

      85 ブレット・セイバーヘイゲン

      86 レイ・ナイト

      87 フランク・バイオーラ

      88 オーレル・ハーシュハイザー

      89 デーブ・スチュワート

      90 ビリー・ハッチャー

      91 ジャック・モリス

      92 デーブ・ウィンフィールド

      93 ポール・モリター

      94 (開催中止)

      95 トム・グラビン

      96 セシル・フィルダー

      97 モイゼス・アルー

      98 スコット・ブロシアス

      99 マリアノ・リベラ

      00 デレク・ジーター

      01 ランディ・ジョンソン、カート・シリング

      02 トロイ・グロース

      03 ジョシュ・ベケット

      04 キース・フォーク

      05 ジャーメイン・ダイ

      06 デビッド・エクスタイン

      07 ジョナサン・パペルボン

      08 コール・ハメルズ

      09 アレックス・ロドリゲス

      10 ティム・リンスカム

      11 デビッド・フリース

      12 パブロ・サンドバル

      13 デビッド・オルティーズ

      14 マディソン・バンガーナー

      15 ウェイド・デービス

      16 ジョン・レスター

      17 ホセ・アルトゥーベ、ジャスティン・バーランダー

      18 デビッド・プライス

      19 フアン・ソト、スティーブン・ストラスバーグ

      20 ランディ・アロサレーナ

      21 フレディ・フリーマン

      22 ジェレミー・ペーニャ

      23 アドリス・ガルシア

      24 ムーキー・ベッツ

      71 ウィリー・メイズ

      72 ブルックス・ロビンソン

      73 アル・ケーライン

      74 ウィリー・スタージェル

      75 ルー・ブロック

      76 ピート・ローズ

      77 ロッド・カルー

      78 グレッグ・ルジンスキー

      79 アンドレ・ソーントン

      80 フィル・ニークロ

      81 スティーブ・ガービー

      82 ケン・シングルトン

      83 セシル・クーパー

      84 ロン・ギドリー

      85 ドン・ベイラー

      86 ギャリー・マドックス

      87 リック・サトクリフ

      88 デール・マーフィー

      89 ゲイリー・カーター

      90 デーブ・スチュワート

      91 ハロルド・レイノルズ

      92 カル・リプケン・ジュニア

      93 バリー・ラーキン

      94 デーブ・ウィンフィールド

      95 オジー・スミス

      96 カービー・パケット

      97 エリック・デービス

      98 サミー・ソーサ

      99 トニー・グウィン

      00 アル・ライター

      01 カート・シリング

      02 ジム・トーミ

      03 ジェイミー・モイヤー

      04 エドガー・マルティネス

      05 ジョン・スモルツ

      06 カルロス・デルガド

      07 クレイグ・ビジオ

      08 アルバート・プホルス

      09 デレク・ジーター

      10 ティム・ウェイクフィールド

      11 デビッド・オルティーズ

      12 クレイトン・カーショウ

      13 カルロス・ベルトラン

      14 ポール・コネルコ、ジミー・ロリンズ

      15 アンドリュー・マカッチェン

      16 カーティス・グランダーソン

      17 アンソニー・リゾ

      18 ヤディアー・モリーナ

      19 カルロス・カラスコ

      20 アダム・ウェインライト

      21 ネルソン・クルーズ

      22 ジャスティン・ターナー

      23 アーロン・ジャッジ

      24 サルバドール・ペレス

      ピート・ローズ

      タイ・カッブ

      ハンク・アーロン

      スタン・ミュージアル

      トリス・スピーカー

      デレク・ジーター

      ホーナス・ワグナー

      カール・ヤストレムスキー

      ポール・モリター

      エディ・コリンズ

      ウィリー・メイズ

      エディ・マレー

      ナップ・ラジョイ

      アルバート・プホルス

      カル・リプケン・ジュニア

      エイドリアン・ベルトレ

      ジョージ・ブレット

      ポール・ウェイナー

      ロビン・ヨーント

      トニー・グウィン

      アレックス・ロドリゲス

      デーブ・ウィンフィールド

      イチロー

      クレイグ・ビジオ

      リッキー・ヘンダーソン

      ロッド・カルー

      ルー・ブロック

      ラファエル・パルメイロ

      キャップ・アンソン

      ウェイド・ボッグス

      アル・ケーライン

      ロベルト・クレメンテ

      ミゲル・カブレラ

      太字は現役選手

      1998 マーク・マグワイア, サミー・ソーサ

      2001 トニー・グウィン, カル・リプケン・ジュニア, シアトル・マリナーズ

      2002 バリー・ボンズ, リッキー・ヘンダーソン

      2004 ロジャー・クレメンス

      2005 イチロー

      2006 ロベルト・クレメンテ

      2007 レイチェル・ロビンソン

      2011 ケン・グリフィー・ジュニア

      2013 マリアノ・リベラ

      2014 デレク・ジーター, ビン・スカリー

      2021 大谷翔平

      選手 02 デレク・ジーター 12 ウェイド・ボッグス 13 ジム・レイリッツ 17 ケニー・ロジャース 18 マリアーノ・ダンカン 19 ルイス・ソーホー 20 マイク・オルドリート 21 ポール・オニール 22 ジミー・キー 24 ティノ・マルティネス 25 ジョー・ジラルディ 26 アンディ・フォックス

      27 グレアム・ロイド 31 ティム・レインズ 33 チャーリー・ヘイズ 35 ジョン・ウェッテランド(シリーズMVP) 36 デビッド・コーン 39 ダリル・ストロベリー 41 ブライアン・ボーリンガー 42 マリアノ・リベラ 43 ジェフ・ネルソン 45 セシル・フィルダー 46 アンディ・ペティット 51 バーニー・ウィリアムス 52 デビッド・ウェザース

      監督 06 ジョー・トーリ コーチ 30 ウィリー・ランドルフ 34 メル・ストットルマイヤー 40 トニー・クロニンガー 48 ドン・ジマー 49 クリス・チャンブリス 53 ホセ・カーデナル

      選手 02 デレク・ジーター 11 チャック・ノブロック 14 伊良部秀輝 18 スコット・ブロシアス(シリーズMVP) 19 ルイス・ソーホー 20 ホルヘ・ポサダ 21 ポール・オニール 22 ホーマー・ブッシュ 24 ティノ・マルティネス 25 ジョー・ジラルディ 26 オーランド・ヘルナンデス 27 グレアム・ロイド

      28 チャド・カーティス 29 マイク・スタントン 31 ティム・レインズ 33 デビッド・ウェルズ 36 デビッド・コーン 38 リッキー・レディ 42 マリアノ・リベラ 43 ジェフ・ネルソン 45 チリ・デービス 46 アンディ・ペティット 47 シェーン・スペンサー 51 バーニー・ウィリアムス 55 ラミロ・メンドーサ

      監督 06 ジョー・トーリ コーチ 30 ウィリー・ランドルフ 34 メル・ストットルマイヤー 40 トニー・クロニンガー 49 クリス・チャンブリス 50 ドン・ジマー 53 ホセ・カーデナル 57 ゲイリー・タック

      選手 02 デレク・ジーター 11 チャック・ノブロック 13 ジム・レイリッツ 17 リッキー・レディ 18 スコット・ブロシアス 19 ルイス・ソーホー 20 ホルヘ・ポサダ 21 ポール・オニール 22 ロジャー・クレメンス 24 ティノ・マルティネス 25 ジョー・ジラルディ 26 オーランド・ヘルナンデス 27 アレン・ワトソン

      28 チャド・カーティス 29 マイク・スタントン 35 クレイ・ベリンジャー 36 デビッド・コーン 38 ジェイソン・グリムズリー 39 ダリル・ストロベリー 42 マリアノ・リベラ(シリーズMVP) 43 ジェフ・ネルソン 45 チリ・デービス 46 アンディ・ペティット 47 シェーン・スペンサー 51 バーニー・ウィリアムス 55 ラミロ・メンドーサ

      監督 06 ジョー・トーリ コーチ 30 ウィリー・ランドルフ 34 メル・ストットルマイヤー 40 トニー・クロニンガー 49 クリス・チャンブリス 50 ドン・ジマー 53 ホセ・カーデナル 57 ゲイリー・タック

      選手 02 デレク・ジーター(シリーズMVP) 11 チャック・ノブロック 12 デニー・ネーグル 13 ホセ・ビスカイーノ 14 ルイス・ソーホー 18 スコット・ブロシアス 19 ルイス・ポローニャ 20 ホルヘ・ポサダ 21 ポール・オニール 22 ロジャー・クレメンス 24 ティノ・マルティネス

      26 オーランド・ヘルナンデス 28 デビッド・ジャスティス 29 マイク・スタントン 31 グレナレン・ヒル 33 ホセ・カンセコ 35 クレイ・ベリンジャー 36 デビッド・コーン 42 マリアノ・リベラ 43 ジェフ・ネルソン 46 アンディ・ペティット 51 バーニー・ウィリアムス 58 ランディ・チョート

      監督 06 ジョー・トーリ コーチ 30 ウィリー・ランドルフ 34 メル・ストットルマイヤー 40 トニー・クロニンガー 49 クリス・チャンブリス 52 ドン・ジマー 53 リー・マジーリ

      選手 02 デレク・ジーター 11 ブレット・ガードナー 13 アレックス・ロドリゲス 14 エリック・ヒンスキー 17 ジェリー・ヘアストン・ジュニア 18 ジョニー・デイモン 19 ラミロ・ペーニャ 20 ホルヘ・ポサダ 24 ロビンソン・カノ 25 マーク・テシェイラ 26 ホセ・モリーナ 30 デビッド・ロバートソン 33 ニック・スウィッシャー

      34 A.J.バーネット 41 チャド・ゴダーン 42 マリアノ・リベラ 43 ダマソ・マルテ 46 アンディ・ペティット 48 フィル・コーク 52 CC・サバシア 53 メルキー・カブレラ 55 松井秀喜(シリーズMVP) 62 ジョバ・チェンバレン 65 フィル・ヒューズ 91 アルフレド・アセベス 99 ブライアン・ブルーニー

      監督 27 ジョー・ジラルディ コーチ 50 ミック・ケラー(一塁) 54 ケビン・ロング(打撃) 56 トニー・ペーニャ(ベンチ) 57 マイク・ハーキー(ブルペン) 58 デーブ・アイランド(投手) 59 ロブ・トムソン(三塁)

      31 バック・マルティネス

      レジー・スミス(打撃)

      マーセル・ラッチマン(投手)

      ケン・グリフィー・シニア(一塁)

      ジョン・マクラーレン(三塁)

      19 アル・ライター

      20 ヒューストン・ストリート

      22 ロジャー・クレメンス

      32 チャド・コルデロ

      35 ドントレル・ウィリス

      36 ジョー・ネイサン

      38 ゲイリー・マジュースキー

      39 ダン・ウィーラー

      40 ブライアン・フエンテス

      45 ジェイク・ピービー

      50 マイク・ティムリン

      54 ブラッド・リッジ

      59 トッド・ジョーンズ

      61 スコット・シールズ

      8 マイケル・バレット

      24 ブライアン・シュナイダー

      33 ジェイソン・バリテック

      1 マイケル・ヤング

      2 デレク・ジーター

      10 チッパー・ジョーンズ

      13 アレックス・ロドリゲス

      23 マーク・テシェイラ

      25 デレク・リー

      26 チェイス・アトリー

      3 ケン・グリフィー・ジュニア

      5 マット・ホリデイ

      6 バーノン・ウェルズ

      7 ジェフ・フランコーア

      18 ジョニー・デイモン

      21 ランディ・ウィン

      5 デービー・ジョンソン

      8 レジー・スミス(打撃コーチ)

      27 マーセル・ラッチマン(投手コーチ)

      11 バリー・ラーキン

      3 ビリー・リプケン

      20 マイク・シュミット

      30 メル・ストットルマイヤー(ブルペンコーチ)

      22 ジェイク・ピービー

      23 J.J.プッツ

      29 マット・リンドストロム

      31 ブラッド・ジーグラー

      33 テッド・リリー

      34 ジョン・グラボウ

      37 マット・ソーントン

      38 ジョエル・ハンラハン

      39 J.P.ハウエル

      42 ラトロイ・ホーキンス

      44 ロイ・オズワルト

      46 ジェレミー・ガスリー

      51 ジョナサン・ブロクストン

      52 ヒース・ベル

      62 スコット・シールズ

      16 ブライアン・マッキャン

      26 クリス・アイアネッタ

      1 ジミー・ロリンズ

      2 デレク・ジーターキャプテン

      4 デビッド・ライト

      6 ブライアン・ロバーツ(追加招集)

      7 マーク・デローサ

      10 チッパー・ジョーンズ(途中離脱)

      13 エバン・ロンゴリア(追加招集)

      15 ダスティン・ペドロイア(途中離脱)

      21 ケビン・ユーキリス

      17 アダム・ダン

      18 ライアン・ブラウン

      28 カーティス・グランダーソン

      50 シェーン・ビクトリーノ

      歴史

      選手

      監督

      成績

      YESネットワーク

      オリオール・パーク

      ヒルトップ・パーク

      ポロ・グラウンズ

      旧ヤンキー・スタジアム

      シェイ・スタジアム

      ヤンキー・スタジアム

      サブウェイ・シリーズ

      『ニューヨーク・ニューヨーク』

      『打撃王』

      『スカウト/涙の81球』

      『くたばれ!ヤンキース』

      ニューヨーク・シティFC

      対ドジャース

      対ジャイアンツ(英語版)

      対メッツ(英語版)

      対レッドソックス(英語版)

      1

      2

      3

      4

      5

      6

      7

      8

      8

      9

      10

      15

      16

      20

      21

      23

      32

      37

      42

      42

      44

      46

      49

      51

      1923

      1927

      1928

      1932

      1936

      1937

      1938

      1939

      1941

      1943

      1947

      1949

      1950

      1951

      1952

      1953

      1956

      1958

      1961

      1962

      1977

      1978

      1996

      1998

      1999

      2000

      2009

      1921

      1922

      1926

      1942

      1955

      1957

      1960

      1963

      1964

      1976

      1981

      2001

      2003

      2024

      1921

      1922

      1923

      1926

      1927

      1928

      1932

      1936

      1937

      1938

      1939

      1941

      1942

      1943

      1947

      1949

      1950

      1951

      1952

      1953

      1955

      1956

      1957

      1958

      1960

      1961

      1962

      1963

      1964

      1976

      1977

      1978

      1981

      1996

      1998

      1999

      2000

      2001

      2003

      2009

      2024

      バンビーノの呪い

      1978年のアメリカンリーグ東地区優勝決定プレイオフ

      パインタール事件

      伊良部メジャーリーグ移籍騒動

      コア4

      2006年ニューヨーク小型機衝突事故

      ドミンゴ・ヘルマンの完全試合

      スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース(AAA級)

      サマセット・ペイトリオッツ(AA級)

      ハドソンバレー・レネゲーズ(High-A級)

      タンパ・ターポンズ(Low-A級)

      フロリダ・コンプレックスリーグ・ヤンキース(Rookie級)

      ドミニカン・サマーリーグ・ヤンキース(Rookie級)

      FAST

      ISNI

      VIAF

      WorldCat

      アメリカ

      日本

      アメリカ合衆国の野球選手

      アフリカ系アメリカ人の野球選手

      アイルランド系アメリカ人の野球選手

      ミシガン大学出身の野球選手

      ニューヨーク・ヤンキースの選手

      ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)

      MLBオールスターゲームMVP

      ワールドシリーズMVP

      シルバースラッガー賞受賞者

      MLBオールスターゲーム選出選手

      ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表選手

      2006 ワールド・ベースボール・クラシック選手

      2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手

      MLB永久欠番保持者

      クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー

      アメリカ野球殿堂表彰者

      アメリカ合衆国の実業家

      MLB経営者

      マイアミ・マーリンズ関連人物

      MLB解説者

      FOX

      20世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手

      21世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手

      ニュージャージー州モリス郡出身の人物

      1974年生

      存命人物

      外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年9月

      外部リンクがリンク切れになっている記事/2016年3月

      野球に関する記事

      プロジェクト人物伝項目

2025/04/10 00:22更新

Derek Sanderson Jeter


デレク=ジーターと同じ誕生日6月26日生まれの人

落合 英二_(薬学者)(おちあい えいじ)
1898年6月26日生まれの有名人 埼玉出身

落合 英二(おちあい えいじ、1898年6月26日 - 1974年11月4日)は、日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。 埼玉県浦和市生まれ。 千葉師範学校附属小学校、千葉県立千葉中学校を卒業後…

佐藤 友紀_(野球)(さとう ともき)
1979年6月26日生まれの有名人 兵庫出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 佐藤 友紀(さとう ともき、1979年6月26日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 2001年から2005年までの登録…

ルイス=ゴンザレス_(内野手)(Luis Alberto Gonzalez)
1979年6月26日生まれの有名人 出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート ルイス・アルベルト・ゴンザレス(Luis Alberto González、1979年6月26日 - )は、ベネズエラ出身のプロ野球選…

井上 東万(いのうえ とうま)
【MAGiC BOYZ】
2001年6月26日生まれの有名人 静岡出身

井上 東万(いのうえ とうま、2001年6月26日 - )は、日本のタレントである。EBiDAN、MAGiC BOYZ、HONG¥O.JP の元メンバー。 静岡県出身。スターダストプロモーション新人…

堀井 新太(ほりい あらた)
【D☆DATE】
1992年6月26日生まれの有名人 出身

堀井 新太(ほりい あらた、1992年6月26日 - )は、日本の俳優、タレントであり、若手男性俳優集団D-BOYSおよびD☆DATEのメンバーである。 東京都葛飾区水元出身。ワタナベエンターテイン…


桑田 隆幸(くわた たかゆき)
1941年6月26日生まれの有名人 広島出身

桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者(JFA公認C級コーチ)。日本サッカーリーグ(JSL)初代アシスト王。 父親がハルビンの…

河村 亮(かわむら りょう)
1967年6月26日生まれの有名人 神奈川出身

河村 亮(かわむら りょう、1967年〈昭和42年〉6月26日 - 2022年〈令和4年〉5月14日)は、日本テレビのエグゼクティブアナウンサー。 神奈川県茅ヶ崎市に生まれ、その後父の転勤で新潟県新…

長部 稀(おさべ まれ)
1999年6月26日生まれの有名人 東京出身

長部 稀(おさべ まれ、1999年6月26日 - )は、テレビ東京のアナウンサー。 東京都出身。東京都立西高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業し、高校と大学ではアメフト部に所属していた。同大学を卒業…

郡司 恭子(ぐんじ きょうこ)
1990年6月26日生まれの有名人 東京出身

郡司 恭子(ぐんじ きょうこ、1990年6月26日 - )は、日本テレビのアナウンサー。 東京都港区出身。聖心女子学院高等科、慶應義塾大学総合政策学部卒業。高校時代は早稲田塾に通い、慶大にはAO入試…

難聴うさぎ(1994年[3]6月26日 - )
6月26日生まれの有名人 島根出身

難聴うさぎ(1994年6月26日 - )は、日本のインフルエンサー、YouTuber、会社経営者。島根県松江市生まれ。 YouTubeチャンネル名はメインチャンネルが「難聴うさぎ」、サブチャンネルが…


高橋 彩夏(たかはし あやか)
1960年6月26日生まれの有名人 東京出身

高橋 彩夏(たかはし あやか、1960年6月26日 - )は、日本の女優。本名は南出恵子。東京都足立区出身。旧芸名=高橋恵子。特技はピアノ、琴。 桐朋学園短期大学卒業。 実家は八百屋を営む。198…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


デレク=ジーターと近い名前の人

デレク=メディングス(Derek Meddings)
1931年1月15日生まれの有名人 出身

デレク・メディングス(Derek Meddings、1931年1月15日 - 1995年9月10日)は、イギリスの特殊効果・視覚効果監督。ロンドン出身。1960年代にジェリー・アンダーソンの下で、『サ…

クラウス=ドーデラー(Klaus Doderer)
1925年1月20日生まれの有名人 出身

1月20日生まれwiki情報なし(2025/04/10 07:19時点)

デレック=ウォルコット(Derek Walcott)
1930年1月23日生まれの有名人 出身

デレック・オールトン・ウォルコット(Derek Alton Walcott, 1930年1月23日 - 2017年3月17日)はセントルシア出身の詩人、劇作家。1992年、カリブ海諸国出身者として初め…

デレク=ベイリー(Derek Bailey)
1930年1月29日生まれの有名人 出身

デレク・ベイリー (Derek Bailey、1930年1月29日 - 2005年12月25日) は、イングランドのギター奏者、インプロヴァイザー(即興演奏者)。 サウス・ヨークシャー州シェフィール…


マデレーネ=ベルトート(Madeleine Berthoud)
1931年2月1日生まれの有名人 出身

2月1日生まれwiki情報なし(2025/04/05 15:48時点)

ドミトリー=メンデレーエフ(Dmitri Mendeleev)
1834年2月8日生まれの有名人 出身

ドミトリ・イヴァーノヴィチ・メンデレーエフ(ロシア語: Дми́трий Ива́нович Менделе́ев, ラテン文字転写: Dmitrij Ivanovich Mendel…

デレク=ワトキンス(Derek Roy Watkins)
1945年3月2日生まれの有名人 出身

デレク・ロイ・ワトキンス (Derek Roy Watkins、1945年3月2日 - 2013年3月22日) は、イングランドのジャズ、ポップ・ミュージック、クラシック音楽のリード・トランペット奏者…

デレク=パーラ(Derek Parra)
1970年3月15日生まれの有名人 出身

3月15日生まれwiki情報なし(2025/04/06 20:13時点)

デレック=ロングミュア(Derek Longmuir)
1951年3月19日生まれの有名人 出身

3月19日生まれwiki情報なし(2025/04/04 22:01時点)


デレック=ボック(Derek Curtis Bok)
1930年3月22日生まれの有名人 出身

3月22日生まれwiki情報なし(2025/04/02 00:57時点)

テディ=ペンダーグラス(Theodore DeReese “Teddy” Pendergrass)
1950年3月26日生まれの有名人 出身

テディ・ペンダーグラス(英: Teddy Pendergrass、1950年3月26日 - 2010年1月13日)は、アメリカ合衆国のR&B歌手である。本名はセオドア・デリーズ・ペンダ…

ビー=ベナデレット(Bea Benaderet)
1906年4月4日生まれの有名人 出身

4月4日生まれwiki情報なし(2025/04/10 17:24時点)

フェリックス=デレル(Felix d'Herelle)
1873年4月25日生まれの有名人 出身

フェリックス・ユベール・デレーユ(Félix Hubert d’Hérelle、1873年4月25日 - 1949年2月22日)は、カナダ生まれのフランス系ケベック人の生物学者である。バクテリオファー…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
デレク=ジーター
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

amorecarina OCTPATH King & Prince なにわ男子 XOX Number_i NORD (アイドルグループ) DISH// MAGiC BOYZ SUPER★DRAGON 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「デレク=ジーター」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました