トッド=ウッドブリッジの情報(ToddWoodbridge) テニス 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
トッド=ウッドブリッジさんについて調べます
■名前・氏名 |
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トッド=ウッドブリッジの情報まとめ
トッド=ウッドブリッジ(Todd Woodbridge)さんの誕生日は1971年4月2日です。
その後、4大大会ダブルス優勝などについてまとめました。引退、兄弟に関する情報もありますね。トッド=ウッドブリッジの現在の年齢は53歳のようです。
トッド=ウッドブリッジのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)トッド・ウッドブリッジ(Todd Woodbridge, 1971年4月2日 - )は、オーストラリア・シドニー市出身の男子プロテニス選手。身長177cm、体重75kg、右利き。フルネームは Todd Andrew Woodbridge (トッド・アンドリュー・ウッドブリッジ)。自己最高ランキングはシングルス19位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス2勝、ダブルス83勝。 長年にわたり、ダブルスの名手として活躍した。とりわけ、同じオーストラリアのマーク・ウッドフォードとのペアで無敵の強さを発揮したが、この2人は姓がよく似ていることから「ウッディーズ」(Woodies)と呼ばれた。 グランドスラム合計優勝数23回は歴代3位タイ記録。グランドスラムダブルス優勝数16回は歴代2位タイ記録(オープン化以降1位タイ記録)。ペアでの優勝数11回は歴代3位記録(オープン化以降2位)。 1988年にプロ入り。最初期のウッドブリッジのダブルス・パートナーは、同じオーストラリアのジェイソン・ストルテンバーグと組むことが多かったが、1991年から6歳年上のマーク・ウッドフォードと本格的にペアを組み、世界的な活動を始める。この年は日本の「サントリー・ジャパン・オープン」男子ダブルスで、ステファン・エドベリとペアを組んだ優勝もあった。1992年にウッドフォードとのペアで全豪オープン男子ダブルスに初優勝を飾り、1993年から1997年までウィンブルドン男子ダブルス5連覇を達成した。この頃から、2人のペアは「ウッディーズ」と呼ばれるようになる。 2人はウィンブルドン5連覇の期間中に、1995年と1996年の全米オープン男子ダブルスで2連覇を飾り、1997年には地元の全豪オープンで5年ぶり2度目の優勝を果たす。また、1996年アトランタ五輪のオーストラリア代表選手として、ウッドフォードとのペアで金メダルを獲得したが、この決勝ではイギリス代表のティム・ヘンマンとニール・ブロードの組を圧倒している。しかし、1998年のウィンブルドン・ダブルス決勝ではオランダの強豪ペア、ヤッコ・エルティンとポール・ハーフースの組に「4時間5分」の激戦の末 6-2, 4-6, 6-7, 7-5, 8-10 で敗れ、6連覇はならなかった。 シングルスでのウッドブリッジは、1995年5月にアメリカ・フロリダ州「コーラルスプリングス」大会の決勝でグレグ・ルーゼドスキーを破って初優勝を遂げた。それから1997年初頭のオーストラリア・男子ハードコート選手権で2勝目を挙げたが、彼のシングルス優勝はこの2つのみで、準優勝が7つあった。最後のシングルス決勝は、1997年2月にテネシー州メンフィスの大会の決勝でマイケル・チャンに敗れた準優勝である。この年はウィンブルドンの男子シングルスで自己最高のベスト4に入り、準決勝でピート・サンプラスに 2-6, 1-6, 6-7 のストレートで敗れた。これ以後、ウッドブリッジはシングルスでの活躍は少なかった。 2000年に入り、ウッドブリッジとウッドフォードの組は全仏オープン男子ダブルスで初優勝を飾り、これで男子ダブルスの同一ペアとして「キャリア・グランドスラム」を達成した。2人は全仏オープンはあまり得意ではなく、初めての決勝戦は1997年でエフゲニー・カフェルニコフとダニエル・バチェク(チェコ)の組に敗れていた。この全仏優勝で、2人はペアとして通算「58勝目」に到達し、それまでジョン・マッケンロー&ピーター・フレミング組(ともにアメリカ)が持っていた「57勝」の歴代1位記録を更新した。続いてウィンブルドンでも3年ぶり2度目の優勝を果たし、オランダのハーフースとオーストラリアのサンドン・ストール(往年の名選手フレッド・ストールの息子)の組を破った。しかし、この年に地元で開催されたシドニー五輪の男子ダブルス決勝で、2人はカナダ代表のダニエル・ネスターとセバスチャン・ラルーの組に 7-5, 3-6, 4-6, 6-7 で敗れ、2大会連続の金メダルを逃した。35歳になったウッドフォードは2000年のシーズンを最後に現役を引退したが、最後の年にも全仏オープンとウィンブルドンを含めて、ダブルスで年間8勝を記録している。 「ウッディーズ」のダブルスは、ほぼ10年間に及んだ活動期間中に男子ツアー大会のダブルスで「61勝」(うち4大大会男子ダブルス通算11勝)を挙げ、同一ペアによる男子ダブルス優勝の1位記録であったが、2010年にボブとマイクのブライアン兄弟に更新されている。 男子テニス国別対抗戦・デビスカップでも、2人はデ杯オーストラリア・チームの「ダブルス最多勝利ペア」(Best Doubles Team)の記録を残している。 その後ウッドフォードの引退後、ウッドブリッジはスウェーデンのヨナス・ビョルクマンとペアを組み、直ちに2001年の全豪オープン男子ダブルスで優勝する。これはウッドブリッジにとって4年ぶり3度目の全豪優勝であった。2002年から2004年にかけて、今度はビョルクマンとのペアで再びウィンブルドン男子ダブルス3連覇を成し遂げ、ウッドブリッジのウィンブルドン・ダブルス優勝は「9勝」となった。このペアは2003年の全米オープンでも優勝し、ウッドブリッジには7年ぶり3度目の全米ダブルス優勝となる。ビョルクマンとのペアでは4大大会男子ダブルスで「5勝」を挙げ、こうしてウッドブリッジは4大大会ダブルスで総計「16勝」の記録を残した。(ウッドフォードと11勝、ビョルクマンと5勝) しかし2005年に入ると、ウッドブリッジはインドのマヘシュ・ブパシとペアを組みながらも早期敗退が多くなる。ブパシと組んだ2005年のウィンブルドンで、2回戦でステファン・フース(オーストラリア)とウェスリー・ムーディ(南アフリカ)の組に 3-6, 6-7, 3-6 のストレートで敗れ、同選手権で10度目の優勝を逃す。この試合を最後に、ウッドブリッジは34歳で現役を引退した。 2010年、ウッドブリッジはウッドフォードと一緒に国際テニス殿堂入りを果たした。 ダブルス: 114 (83タイトル–31準優勝)4大大会ダブルス優勝全豪オープン 男子ダブルス:3勝(1992年・1997年 → 2001年)/混合ダブルス:1勝(1993年) 全仏オープン 男子ダブルス:1勝(2000年)/混合ダブルス:1勝(1992年) ウィンブルドン 男子ダブルス:9勝(1993年-1997年・2000年 → 2002年-2004年)/混合ダブルス:1勝(1994年) [大会5連覇と3連覇を含む] 全米オープン 男子ダブルス:3勝(1995年・1996年 → 2003年)/混合ダブルス:3勝(1990年・1993年・2001年) 男子ダブルスの4冠達成ペアフランク・セッジマン&ケン・マグレガー (ともにオーストラリア、1951年に唯一の「年間グランドスラム」) ケン・ローズウォール&ルー・ホード (ともにオーストラリア、1953年 → 1956年) ロイ・エマーソン&ニール・フレーザー (ともにオーストラリア、1959年 → 1962年) ジョン・ニューカム&トニー・ローチ (ともにオーストラリア、1965年 → 1967年) マーク・ウッドフォード&トッド・ウッドブリッジ (ともにオーストラリア、1992年 → 2000年) ヤッコ・エルティン&ポール・ハーフース (ともにオランダ、1994年 → 1998年) ボブ・ブライアン&マイク・ブライアン (ともにアメリカ、2003年 → 2006年) 2024/06/08 13:41更新
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Todd Woodbridge
トッド=ウッドブリッジと同じ誕生日4月2日生まれの人
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