ナタリー=ウッドのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
ナタリー・ウッド(Natalie Wood、本名:Natalia Nikolaevna Zakharrenko、1938年7月20日 - 1981年11月29日)は、アメリカ合衆国の女優。
1981年、43歳で謎の死を遂げ、現在では伝説と化している女優である。その伝説はハリウッドにおいて様々な形で映像化されている。
カリフォルニア州サンフランシスコにて、ロシアから移民してきた両親の間に生まれる。妹は『007 ダイヤモンドは永遠に』に出演した女優のラナ・ウッド。
1943年から映画に出演しはじめ、シャーリー・テンプルの次の世代の人気子役として、1947年の『三十四丁目の奇蹟』で人気スターとなる。1955年の『理由なき反抗』でアカデミー助演女優賞にノミネートされた。
その後もジョン・フォードの西部劇『捜索者』やロバート・ワイズのミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』、エリア・カザン監督でウォーレン・ベイティと共演した『草原の輝き』などでスターの座を確たるものにした。
1981年11月29日、映画『ブレインストーム』の撮影中にロサンゼルス沖でワグナーやクリストファー・ウォーケンとヨットに乗っていたところ行方不明になり、翌日にサンタカタリナ島の入り江で水死体となって発見された。43歳没。事故死とされた一方、殺されたという意見もあり、真相は謎とされている。
新たな情報が寄せられたとして2011年11月にロサンゼルス郡警察の殺人担当部署が再捜査を開始した。2012年5月に作成された検視報告書では、遺体には複数の打撲や傷跡の痕跡があったことを認定し、死因を「事故死」から「水死および不確定要因によるもの」と変更。しかし警察は殺人事件として扱うには証拠不十分であると結論づけたと報じられた。2018年2月1日、ロサンゼルス郡の警察当局者がナタリー・ウッドの死に関し、新たな目撃者の証言が得られ、「不審死」とみて捜査し、元夫の俳優ロバート・ワグナーを重要参考人とみて事情聴取を求めていることが明らかになったが、ロバート・ワグナーは聴取を拒否している。
私生活・エピソード
1957年に俳優のロバート・ワグナーと結婚。破局後、ウォーレン・ベイティと婚約していたが結婚はしなかった。1969年にプロデューサーのリチャード・グレグソンと結婚し、娘ナターシャを儲けた。ナターシャは後に女優になった。グレグソンとの破局後、再びワグナーと結婚し、コートニーという娘をもうける。コートニーは宝石デザイナーになったが、2012年にコカイン所持で逮捕されている。
恋多き女優としても有名で、エルヴィス・プレスリー、デニス・ホッパー、レイモンド・バー、クリストファー・ウォーケンらと浮名を流した。
『草原の輝き』(1961年)のセットで知り合った、マート・クロウリーというテレビ制作会社に勤める男をアシストタントに雇った。ゲイであったクロウリーを経済的に支え、その援助によりクロウリーは同性愛を真正面から取り上げた戯曲『真夜中のパーティー』を書くことができた。同戯曲はオフ・ブロードウェイでロング・ランとなり、1970年にウィリアム・フリードキンの監督により映画化された。
ギャラリー
『夜が泣いている』(1960年)
『草原の輝き』(1961年)
1961年
ルーシー・ベインズ・ジョンソン、スティーブ・マックイーンらとともに(1964年)
『美人泥棒』(1966年)