ブランコ=シカティックの情報(BrancoCikatic) 格闘家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ブランコ=シカティックさんについて調べます
■名前・氏名 |
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ブランコ=シカティックの情報まとめ
ブランコ=シカティック(Branco Cikatic)さんの誕生日は1954年10月4日です。
引退に関する情報もありますね。2020年に亡くなられているようです。
ブランコ=シカティックのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ブランコ・シカティック(セルビア・クロアチア語: Branko Cikatić, 1954年10月3日 - 2020年3月23日)は、クロアチアの元男性キックボクサー。スプリト出身。K-1 GRAND PRIX '93王者。 初代K-1 GRAND PRIX王者であり、「石の拳」と称された。右ストレート、右スイングフック、カウンター気味のショートの左フックを得意とし高いKO率を誇った。元軍人で、クロアチア紛争にも参加したという異色の経験を持つ。 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国スプリトに生まれる。12歳からテコンドー、16歳から松濤館流空手を始め、18歳でキックボクシングに転向した。 1993年4月30日、K-1 GRAND PRIX '93に出場。既に38歳であったが、1回戦でチャンプア・ゲッソンリット、準決勝で佐竹雅昭、決勝ではアーネスト・ホーストをそれぞれKOで破り、初代K-1 GRAND PRIX王者となった。 1994年12月10日、K-1 LEGEND 乱で自身の引退試合(引退の理由は衰えなどではなく、当時のクロアチア独立戦争に参加するため)を行い、アーネスト・ホーストと1年8か月ぶりに再戦。KO勝ちで返り討ちにし、引退を飾った。また、シカティック本人が、自身のベストバウトとして、この試合を挙げている。引退後は予定通り、クロアチアの特殊コマンド部隊教官として、スポーツ選手で構成された部隊を率いて、戦場に出た。 1997年3月16日、K-1 KINGS '97で現役復帰し、ムサシ(武蔵)にKO勝ち。同年7月20日、K-1 DREAM '97でサム・グレコに生涯初のKO負け。この試合でシカティックは立ったまま失神。「チャクリキに痛いという感情はない」という自身の言葉を実証した形になった。 1997年9月7日、K-1 GRAND PRIX '97の1回戦でマイク・ベルナルドと対戦する。1ラウンド開始直後にお互いに打ち合いに行った際、ベルナルドとシカティックの額が当たり、そのままベルナルドの連打を浴びて倒れる。シカティックの額の傷の深さからドクターが試合を止めTKO負けとなった。 1997年10月11日、総合格闘技PRIDEに参戦。PRIDE.1でラルフ・ホワイトと対戦。グラウンド状態のホワイトにシカティックのキックが当たり、ノーコンテストとなった。 1998年3月15日、PRIDE.2でマーク・ケアーと対戦。ケアーのタックルに倒されないようにロープ掴みを連発し、失格負け。ホイス・グレイシーの欠場による緊急参戦であった。 1999年9月12日、PRIDE.7でモーリス・スミスと対戦。1R前腕チョーク(PRIDEの公式記録はギロチンチョーク)で一本負け。 2005年7月18日、WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!-で金山裕文と18オンスのグローブを使用して対戦し、1-0の判定ドローとなった。 その後は母国クロアチアで警備会社「タイガー・シカティック」の代表取締役として、クロアチアの要人(大統領や大臣)の警護などを業務とする会社を経営していた。また、日本クロアチア協会の常任理事も務めていた。 2017年4月21日、来日、東京新宿でのドージョーチャクリキ主催のパーティーに参加。 2018年に肺塞栓症と敗血症のため入院。パーキンソン病も発症した。2020年3月23日にソリンの自宅で死去。65歳没。 戦績 169戦 150勝 15敗 3分 138KO 1NC K-1: 11戦 6勝 5敗 6KO アマチュア
第4回WAKO欧州選手権大会キックボクシング部門男子79kg未満級 優勝(1980年) 第5回WAKO欧州選手権大会フルコンタクト部門男子79kg未満級 優勝(1981年) 第2回WAKO世界選手権大会フルコンタクト部門男子74kg未満級 3位(1979年) プロ
WKA世界王座 K-1 GRAND PRIX '93 優勝 ^ 「シカティック」は英語読みであり、「ツィカティッチ」がクロアチア語での発音に近い) ^ “K-1初代王者ブランコ・シカティック氏死去、65歳…「伝説の拳」でPRIDEでも活躍”. スポーツ報知 (2020年3月23日). 2020年3月23日閲覧。 ^ OYAZI BATTLE 7.18 後楽園:シカティック×金山は通常グローブ使用バウトレビュー 2005年7月11日 ^ WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!- 第9試合 スポーツナビ ^ 3rd WAKO EUROPEAN CHAMPIONSHIPS ^ 4th WAKO EUROPEAN CHAMPIONSHIPS ^ 5th WAKO EUROPEAN CHAMPIONSHIPS ^ 2nd WAKO WORLD CHAMPIONSHIPS 男子キックボクサー一覧 PRIDE選手一覧 K-1王者一覧 K-1選手一覧 PRIDE 選手データ - Internet Archive ブランコ・シカティックの戦績 - SHERDOG(英語) 表 話 編 歴 1993 ブランコ・シカティック / 1994 ピーター・アーツ / 1995 ピーター・アーツ / 1996 アンディ・フグ / 1997 アーネスト・ホースト / 1998 ピーター・アーツ / 1999 アーネスト・ホースト 2000 アーネスト・ホースト / 2001 マーク・ハント / 2002 アーネスト・ホースト / 2003 レミー・ボンヤスキー / 2004 レミー・ボンヤスキー / 2005 セミー・シュルト / 2006 セミー・シュルト / 2007 セミー・シュルト / 2008 レミー・ボンヤスキー / 2009 セミー・シュルト 2010 アリスター・オーフレイム / ISNI VIAF クロアチア 男子テコンドー選手 クロアチアの空手家 クロアチアのキックボクサー クロアチアの総合格闘家 テコンドー出身の総合格闘家 松濤館流出身の総合格闘家 キックボクシング出身の総合格闘家 K-1に参戦した選手 キックボクシングのトレーナー クロアチア紛争の人物 パーキンソン病の人物 在外クロアチア人 オランダの外国人 スプリト出身の人物 1954年生 2020年没 書きかけの節のある項目 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NSK識別子が指定されている記事
2024/11/26 15:37更新
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